January 28, 2013

正直なことを言えば、このブログは削除するつもりだった。


もともと個人的な覚書のような役割を果たすものであったし、幾分十代と二十代をまたぐ時期にある青年特有の膿んだ自意識の匂いがする文章を野晒しにしているのは、いかがなものかと思っていたのだ。なんとなく、若かりし頃のスケッチを除くような気分でログインしてみたら、なんと、意外に少なくない訪問者数に驚いた。



ぼくはここで偉そうに音楽について語っている。それをある日を境にぱたりとやめた。そしてこのブログは3年以上放置される結果となった。
ぼくがブログをやめようと思った理由は、音楽を本気で作ってみようと思ったからだ。大したものも作れないくせに、でかい口たたいて音楽批評などを標榜するわけにはいかない(もともとそんなつもりはなかったのだけれど、念のため)。こんなところでグダグダ書いてる暇があったら、一音でも多くハードディスクに録音しようじゃないかと、ぼくはMacBookとDTMソフトとMPCを買い揃えて、ブログからは足を遠ざけることになった。


結果としてよかったと思っている。大したものも作れないのに音楽を語るなかれ、という気持ちはいまでもかわっていないし、少なくとも音楽を純粋に聞く側ではなく作る側でいたいと思っているかぎり、この決断は大きく意味をもつことになった。



いさぎよくここでSoundCloudのURLを貼り付けれるほど、あいにくぼくはまだじぶんの音楽に自信はない。ただ、いまも音楽への気持ち、その途方もない片想いは、いくらか再構成を余儀なくされたにもかかわらず、つづいてる。



Blogブームは下火になり、Twitterがその隆盛を見せ始めたとき、じつはぼくはやんわりとTwitterへと移行した。ここを介してつながっていた人々のアカウントは、人知れずフォローはしていたけれど、"あの、じつはぼくなんです…"と言い出す勇気もなく、今はなんとなくフォローされたりしなくなったりしている。



ぼくがここでまたこういった文章を書きたくなったのは、放り出されたままになったこの場所に、少なくともなぜここを放り出してしまったかを残さないからには、示しがつかないと思ったからだ。無視して削除してしまえるほど、この場所に思い入れがなかったわけではない。



レコードプレーヤーに乗せられたBuffalo Springsfield のレコードは、A面が終わり、止まったままになっている。部屋の中央にはギターアンプと、それに向けられたマイクとマイクスタンドが大きな位置をしめ、床には乱雑にディレイペダルが並べられている。大して変わってないな、3年前と、いったいぼくはどこが変わったんだろう。何人かの顔が浮かんでは消え、何枚かのレコードの曲が頭の中でまるでJ Dillaの音楽みたいに煌めきながら渦巻いていた。


ぼくは文章を書くのが好きなんだ。この場所がはじまったときと同じ言葉で、ひとまずピリオドを打とうと思う。




cell_fish at 02:20コメント(1)トラックバック(0) 

December 15, 2009

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さぁJamie Cullumの新作だ。ファーストにて質の高いカバーアルバムを提示し、セカンドにてソングライティングの腕前を垣間見せた彼の、次の手が気になっていたのだ。クロスオーバーなスタイルと、卓越したピアノプレイとヴォーカリゼーションの持ち主である彼が、いかにしてオリジナリティのあるポップミュージックを構築していくのか、その一案がここに披露された。



 全編に渡って言えるのは、彼の確かな彼のシンガーとして、そしてピアニストとしての魅力である。彼の歌声は時に力強く、時に繊細で、なんとも表情豊かである。そして彼のピアノは跳ね、踊り、言葉を紡いでいる。それがジャズのナンバーであり、ポップス、ロックナンバーにおいても一貫されている。


 そしてここで特筆すべきなのは、彼のソングライター・メロディメイカーとしての成長であろう。彼のメロディは優雅にステップを刻み、雄弁にものを語る。ツボを捉えたメロディは、聞いていてとても気持ちがいいものばかりであるし、抑揚の聞いた彼の歌声が、聞くものを彼の音楽へと引き込んでいく力がある。


しかしながら、アルバム全体を通して質の高い歌、そして演奏、メロディ満載のアルバムといっていいと思うのだが、いくつか「惜しいな」と思う点も見当たってしまう。ジャズを根っこにロックやヒップホップまで手を伸ばしている彼だが、幾分かその雑食性が裏目に出てしまっている感がある楽曲もなくはない。決して悪くはないのだが、少し新奇ジャンル開拓に焦点を当てすぎて、アレンジにつたなさが垣間見れてしまうこともちらほら。発想は面白いと思うので、次作以降での成熟を期待したいと思う。


 あとはもう少し楽曲数を絞った方が良かったのではないかと思う。素晴らしいメロディに酔いしれる瞬間は確かにあるのだが、ほんの少しランニングタイムが長い。コンパクトに仕上げた方が、良曲が際立つのではないか、とわがままリスナーはついつい思ってしまいます。



 ジャズスタンダードから、レディオヘッド、ホワイトストライプスまで颯爽とカバーしてみせるJamie Cullum。その演奏能力の高さとセンスを、さらなるオリジナリティへと昇華させる姿を、今後とも楽しみに聴こう。









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cell_fish at 04:22コメント(0)トラックバック(0) 
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July 17, 2009




 まるでおもちゃを与えられた子供が、とにかくそのおもちゃで遊び倒すように、小山田圭吾はひたすら音で遊んでいる。左右に音を振り分け、エフェクト処理し、サンプリングを繰り返す。それはとにかく音の快楽性に溢れ、遊び心いっぱいに空間を埋め尽くしている。ビートは跳ね、音は飛ぶ。



 初めてこれを聴いたときは、日本にもベックがいた!と大喜びしたものだった。あらゆる音楽が飲み込まれ、すこぶるポップに昇華された夢の音楽がそこにはあった。ハードなものもソフトなものも、アコースティックなものもエレクトリックなものも、すべて平等にそこでは鳴っていた。そしてそこにはユーモアのセンスも忘れていない。



 渋谷系と称されるムーブメントの台風の目、小山田圭吾がたどり着いたのは、唯一無二の桃源郷ポップスだった。子どもが書く支離滅裂な絵本のように構成される本作は、遊び心と芸術性が共に高い水準で生み出されている。かつて大胆不敵なまでに海外の音楽を引用しまくっていた彼だが、コーネリアスにおいては見事に咀嚼され、確かなオリジナリティとして鳴っている。それは海外でも高い評価を生み、彼は日本を代表するアーティストとなった。




 彼の音楽はとても緻密であるし、知的ですらあるのだが、本作における彼の音楽からはどこかこなれた感じというか、気取った感じがしない。そこにあるのは確かな子どもっぽさと、純粋性、そして遊び心だ。博識な研究者が、どこか狭量な人物であることが多いのだが、彼は決して狭量でもなく偏屈でもない。ただ単純に音に恋をして、音と遊んでいるのだ。後に彼はより知的な音響的実験を繰り返していくのだが、本作の魅力はそういった子供らしさである。『POINT』も『Sensuous』もいいけど、ぼくはかわいい本作が好きだな。






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