注:この短編は『紅いリボン』の続編と言うか、後日談的なお話です。
できれば『紅いリボン』を読んでからお読み下さい。
などと言いつつ、こっちを先に読むのもありかなーとも思っています。
スミマセン。
『紅茶とリボン』
そういえば、薔薇の館を訪ねるのはこれが初めてだ。
コンコンと扉をノックする。だけど返事はない。
ふう、と息を吐いて、私は扉を開けた。
「すいませーん」
リリアンの生徒らしく、控えめに声をかける。だけど二階からは誰も降りてこないし、返事もない。この時期に無人ということはないだろう。だから私は声を張り上げることにした。
「すいませーーんっ。落研でーす」
すると。
二階でバタンと扉が開く音がして、次にトントントンとリズムよく階段を下りてくる足音が聞こえた。
「はーい」
という声とともに姿を見せたのは”紅薔薇のつぼみの妹”福沢祐巳さんだった。
「ごきげんよう。落語研究部です。三年生を送る会で使う出囃子のことでちょっと相談があって来ました。つぼみ(ブゥトン)はいらっしゃる?」
「あ、はい。祥子さまなら」
「取り次いでいただける?」
「はい。少々お待ちを。あ、どうぞ中でお待ちになってください」
「ありがとう」
お言葉に甘えて、私は薔薇の館の中に入って扉を閉めた。春が近いとはいえまだ三月。肌寒い日々が続いている。
リズミカルに階段を上っていった祐巳さん。上の方から聞こえてきた短い会話(内容は聞き取れなかった)を挟んで、再びトントントンと階段を下りてきた。
「お待たせしました。二階までお越しください」
私はうなずいて、今度はゆっくりと階段を上り始めた祐巳さんの後に続いた。
ギシギシと階段が軋むことに、少し驚いた。校舎の廊下もここまで老朽化はしていない。いきなり「バキッ」とか言ったりしないのかな、と少々心配になった。
階段を上り切ると、右手にビスケットのような扉が現れた。
「どうぞ、お入りください」
祐巳さんが開けてくれたその扉から、私は会議室(というのだろう多分)へと入った。
部屋の広さは教室を二分の一に縮小したぐらいだろうか。その中央に置かれた楕円のテーブルの、こちらとは向かい合う席に小笠原祥子さんが腰掛けていた。彼女と祐巳さん以外の山百合会メンバーの姿はなかった。
「ようこそ薔薇の館へ。どうぞ、お座りになって」
祥子さんは軽く手を広げて、向かいの席に座るよう私を促した。
祐巳さんは、祥子さんが指定した椅子を引いて「どうぞ」と言ってから、部屋の隅にある流し台の方へ歩いていった。
(台所なんてあったんだ、この館。冷蔵庫まであるし)
ま、それはいいとして。私は椅子に腰掛けた。
「出囃子のことで相談があるとか」
いきなり本題を切り出す祥子さん。まあ、彼女と世間話を始めるなんて想像がつかないし、しろと言われても困る。
「ええ。急なことで申し訳ないのだけど、今から変更できるかしら」
「曲を変えるだけなら問題は何も」
「あ、いや、曲は変えないんだ」
「え?」
「実はカセットテープから生演奏の出囃子に変更したいの」
「生演奏? 実際の寄席のように?」
「ええ。といっても演奏はうちらでは無理だから軽音楽部に頼むんだけど。先方のオッケーはもう貰ってるから、あとは山百合会の許可だけ」
我が落研一年生部員の麗華ちゃんの提案で、学園祭の舞台の出囃子に使用したアニメの曲(ジングルというらしい)。三年生を送る会の舞台でも同じ曲を使うことになっていたのだけど、一昨日またもや麗華ちゃんから新たな提案が出された。『あの曲を採譜して、アレンジもしました。今回は生演奏で行きましょう!』と。反対意見もあったけど、賛成多数によりその案は可決された。あとは私の交渉能力次第。
「軽音楽部となると、楽器は何を?」
「キーボードとフォークギターとタンバリン」
「ユニークね。でも、ギターとタンバリンはともかく、キーボードの準備には少し時間がかかるのではないかしら。演目の進行に支障が出るようなら」
「あ、それなら大丈夫だと思う」
「え? ああ、なるほど。落語研究部の一つ前の演目は軽音楽部、ということね」
祥子さんはテーブルの上の書類に一切目をやることなく演目の順番を思い出した。
さすがは次期”紅薔薇さま”、と感心していると、流し台から戻ってきた祐巳さんが私の前に紅茶のカップを置いた。
「どうぞ」
カップの数は一つ。つまり私だけ、ということだ。一人で飲むのも少し気が引けるが、考えてみれば三年生を送る会を控えて忙しいこの時期、この薔薇の館を訪ねてくる生徒はまさか私だけではないだろう。引っ切り無しに訪れる来客に付き合っていちいちお茶を飲んでいたら、水分過剰摂取でお腹を壊してしまうに違いない。
だから、ここは何も気にせずに有難く頂戴すればいいのだ。
「悪いね」
祐巳さんにお礼の言葉を述べて、私は紅茶を口に含んだ。「ミルクや砂糖もあるので、よかったら」と薦められたけど、どちらも「大丈夫。ありがとう」と断った。甘いものは好きだけど、紅茶に関してはストレート派だ。
うん、そこまでは何も問題はなかった。だけど。
ズズズッ。
まるで日本茶を飲むみたいに音を立ててすすってしまった。熱い物を飲む時に出る昔からの癖だ。母親はもちろん、お姉さまにも注意されたので矯正したはずだったけど、また出てしまった。慣れない薔薇の館に来て緊張しているからか、それとも。
「出囃子の件だけれど」
紅茶の登場で途切れていた会話を祥子さんは再開した。
「演目スケジュールに影響が出ないのなら執行部としては反対する理由はないので、その方向で進めていただいて問題はないわ」
「ありがとう。助かるわ」
こんなにあっさりと色よい返事をもらえるとは思わなかった。私としては、生演奏にきっぱりNGを出された方が面倒がなくていい、という気持ちも、まあ、無くはなかったわけだけで、少し拍子抜けしてしまったところはある。もちろん、部長の私以上に張り切っている麗華ちゃんのことを思えば、そんな気持ちは消し飛ぶんだけど。
「用件は他に何か?」
「いいえ。それだけ」
そう、とうなずいて祥子さんは書類に目を通し始めた。話はついたのだから、お暇すべきなのだろうけど、せっかく入れてくれた紅茶を飲み干すまでは席を立ちたくはなかった。
「花屋に確認入れた?」
流し台へ引き返そうとしていた祐巳さんに、祥子さんが唐突に尋ねた。
「は、はい」
祐巳さんはくるっと振り返った。、その直前、口に当てていた手をバッと下ろしたのを私は見てしまった。おそらく欠伸をしていたのだろう。
ごめんね、気づいちゃって私は心の中で謝った。
「それは、昨日のうちに。薔薇は、金曜日の夕方四時半から五時の間に届けてくれるそうです。裏門に車を回すので、受け取りにきて欲しい、と」
薔薇。送る会で三年生のお姉さま方がコサージュのように胸にさす花のことだろう。
「じゃ、それは祐巳にお願いするわね。由乃ちゃんにでも手伝ってもらって」
「はい」
そして、祥子さんは自らの妹の顔を見ずに、言ったのだ。
「あなたたちがいてくれるお陰で、本当に助かるわ」
(まったく、もう)
そういう台詞を部外者の前で口にするの、どうかと思いますよ? ま、一応「あなたたち」って複数形になっていたけどね。
「ごちそうさまでした」
二重の意味を込めた感謝の言葉を述べて、私は立ち上がった。
「忙しい時にお邪魔して、申し訳なかったわ」
「とんでもない。こうして直接訪ねてきてくれる方がこちらも有難いわ」
柔らかい表情を浮かべて、祥子さんは言った。
(やっぱり、ね)
祥子さんとは、幼稚舎から高等部二年まで一度も同じクラスになったことがない。だから強く断言はできないのだけど、でもやっぱり以前と比べて彼女は、何と言うか、そう、いい表情をするようになった気がする。
何が彼女を変えたのか? って、考えるまでもないか。
「ありがとう。紅茶おいしかったよ」
ビスケット扉を開けながら、私は祐巳さんにもう一度お礼を言った。
「いえ。ありがとうございます」
お礼を言ったのに、お礼で返されてしまった。でも祐巳さんらしい反応だなと、何となく思った。
会議室を出て、階段を下り始めたところで、下のほうから話し声が聞こえてきた。
「誰もいらっしゃらないのかしら」
なんて言葉も聞こえるということは、山百合会メンバーじゃなくて、来客か。
私はくるりと会議室の前まで引き返して、ノックをしてから扉を開けた。
「何か?」
首を傾げる祥子さん。
「下に誰か来てるみたいだけど」
「本当? ありがとう。祐巳、お願い」
はい、とうなずいていて祐巳さんは私のいる扉までパタパタと駆け寄って来た。
「バタバタ走らないの」
本当に落ち着きがないんだから、と祐巳さんを嗜めたのは、もちろん私ではなく祥子さんだ。
「はい」
さっきより幾分へこんだ声で返事をして、祐巳さんは扉を閉めた。
二人並んで階段を下りていく。
「忙しそうね。山百合会の仕事はもう慣れた?」
「いえ。まだまだ未熟者で、お姉さまに恥ばかりかかせてます」
さっきみたいに、と祐巳さんは肩を落とした。
「気にすることないんじゃない?」
「え?」
「だって、未熟な部分を支えあうのが姉妹なんだから」
(って、私ってば何、お姉さまみたいなことを言って!)
気恥ずかしさに、顔が少し『紅く』なるのを感じた。
案の定、祐巳さんも「はあ」と少々困惑気味。
「ま、取り敢えずは明々後日の送る会まで、がんばって。ね?」
誤魔化すように私は明るい声で言った。
祐巳さんは、それに負けないぐらい明るい声で、
「はい、がんばります。元気だけが取り柄ですから」
それだけじゃないでしょう? とは思ったけど、口には出さなかった。
薔薇の館の一階で待ち受けていたのは、ダンス部の生徒三人だった。
祥子さんへの取り次ぎを求められて祐巳さんは「ちょっとお待ちを」と言い残し、二階へと引き返して行った。紅いリボンで結ばれた左右の髪が弾むように揺れるのが見えた。ギシギシと音を立てて、階段を小走りで駆け上って行ったからだ。また祥子さんに叱られるのではないだろうか?
クスクスと笑いながら、私は薔薇の館を出た。
(それにしても)
やはり、彼女は私の顔を思い出さなかった。そりゃあ、学園祭の翌月に髪を切ってポニーテールをやめたから、印象は結構変わったとは思うけど。
覚えられていないからと言って、何か特に不都合があるというわけではないのだけど。
でも、やっぱり、ちょっと寂しいかな、とは思うのだ。
「はい。そこまで」
そう呟くことで、軽く陥りかけたブルーモードに終止符を打ち、私は歩き出した。
未来へ。
いやいや違う違う。落研の皆が待つクラブハウスへ、の間違いだ。
さあ、気合を入れよう。
お世話になったお姉さまたち三年生のために、明々後日の舞台は最高のものにするのだ。
(End Of The Line / The Traveling Wilburys)
コメント
コメント一覧 (2)
オリジナルキャラクターが主人公なのにまったく違和感がなく、原作そのままの雰囲気のようで読みやすかったです。
リリアンの生徒たちにはひとりひとりそれぞれの物語、それぞれの青春があるんだなあとしみじみ感じました。
新しいお話も楽しみにしております。