今日はちょっぴりうれしい話から。
 我がお孫ちゃんの書いた税金に関する文章が、なんだか地域の税務署長賞に選ばれて表彰されたというのです。その文章を読んだんですがね。他の子供達が、「税金の意味」を理解し、税金に感謝し、大人になったらよき納税者になる、というトーンでまとめられている、優等生作文ばかりなのに、彼女のは、東日本大震災からの復興に際して作られた「復興税」について、疑問を挟んでいます。
 何故「寄付」ではいけなかったのか、税にしてしまうより、「寄付のままであったほうが気持ち的には良いのでは」と書きます。またその頃、「ODAをやめて復興に使ったら」という議論があったことにも触れて、「これは、どちらかを優先するという」議論ではない。両方とも大切なんだとと主張しているわけです。
 つまりはその共同体と個人の、復興に向かう「意識の問題」を問うているわけで、納税という行動に関する意識の問題を、とても論理的に書いていて、手前味噌ながら、感動してしまいました。

 大上段に振りかぶるつもりはないですが、これは即時的ながら、国とか共同体についての意味、意識について改めて問いかけをしている文章だと思いますね。どこでこんな考え方を学んだんだろうと、正直驚いています。
 中学3年って、もう子供じゃないんですねえ。私も、今年夏以降、物書きなんて大それたことを目指したりもしましたが、もういいわ。この子の未来に託したいですね。老兵は…の心境です。

 閑話休題。「紙の月」観ました。宮沢りえちゃんの濡れ場には、もうなにも反応できず、って彼女は息子と同じ歳なんで当たり前か。
 ですので、この映画の興味の半分が失われてしまったんですが、題名の意味とストーリー、つまりりえちゃんの心象風景が、題名とシンクロしなくて、違和感もありましたが、まあ1200円払ってみるだけの価値はある、面白い映画でしたよ。暇ならご覧ください、ですね。

 でも一番面白いのは、りえさん扮する銀行の営業女性が、お金を横領する相手が、まるで私らなんだよね。われら団塊の世代がそのまんまモデルになっています。
 毎日やるべきことがない中で、りえさん扮する銀行員が預金を集めに来て、お金を渡すわけだけど、若い男の子におぼれちゃたりえさんが、少し拝借し、さらに横領し、しまいにはだまして詐欺る。なんて話ですが、なんかなあ、ですね。
 私はあんまり貯蓄もない年金生活者ですが、確かにちょっぴりですが余裕資金がありますからね。同じような場面にも出会っています。それにしても、なんでいまさら銀行が営業に来るかなあ? とは思いますけどね。

 でもねえ、この老人たちとの会話の中で、りえちゃんは、お金持ちの夫婦に「世界一周クルーズにでも出かけるために積み立て」なんてことを勧めたりしています。
 これはおかしいですよね。リタイア夫婦が、積み立てで貯蓄を増やす、って。不動産でも持って賃貸収入があるみたいな人でなけりゃ、積み立てなんてしないだろうし、そんな人なら現金のやり取りなんてしないでしょうから。なんてね、
 というより、贅沢の代名詞が世界一周クルーズで、りえさんの放蕩の象徴がブランド物ショッピングと高級ホテルでの情交。なんだかわからんけど、ちょっとこの辺りはステロタイプ化されすぎているよね。

 なんてあほな感想で申し訳ないけど、まだ若いのに仕事もすることもなく、貯めた金の運用だけを頼りに、なんて、老人生活の描き方にはちょっと頭に来ますが、でも抗議できないよ。そのものずばりだからね。
 
 また話は変わります。「税と気持ちの持ち方」という題名の、孫のエッセイには、教えられました。

 りえちゃんは子供の頃、災害のあった途上国への難民に寄付をするために、親の財布から5万円を抜き取る。 たしなめるシスターである先生に「なんで悪いのかわからない」と抗弁するわけだけど、親の5万円と災害にあった途上国の難民にとっての、その5万円の価値って。
 そして、当座使う必要のない金(単なる紙ですわね、それって)をせっせと利殖に回す団塊さんからの、遊ぶ金欲しさの横領って。

 その行為は、寄付だろうが、税だろうが、そして横領だろうが、正悪の判断って出来るんだろうか?
 「目的は手段を浄化する」?、関係ないか?
  ふと思います。今の政府の経済政策って、「自由主義経済」の旗の元に巧妙に隠され仕掛けられた、富の横領なんじゃないか?
  なんてね。
 
  まあ、僕もそんなに富はないけど、人為的な株価操作で奪われる前に遣ってしまいたいですね。はい。