磯の上に根這ふ  むろの木見し人を   いずらと問わば   語り告げむか
                                                                                    大伴旅人

     広島は鞆の浦で、見つけた和歌です。はい万葉集巻3・448番歌だそうで、太宰府から奈良に、帰任する旅人が、磯の上に立つむろの木に向かって、赴任する時には一緒だった妻と一緒に見たむろだったのに、帰る時には、その妻はもうこの世にいない。わたしの妻は今どこにいるのか尋ねたら、お前は私におしえてくれるのだろうか?   と詠んだ歌だそうです。


  赴任地の、太宰府で、妻を亡くし、奈良に戻る道すがら、瀬戸内海の 港町「鞆の浦」で募る妻への恋情に耐えきれず!ですか?  なんか胸にこみ上げる ものを感じました。

  はい。鞆の浦は、瀬戸内を行き来する船の潮待ちの 港として、奈良時代から栄えていたんですね。僕も何回か鞆には来たことがあるんですが、今回、古い町並みに紛れ込んで 出会った逸話の多くはどれも、新鮮なものでした。朝鮮通信使の泊まったお寺、最古の常夜灯、でもってあの宮崎駿さんのポニョ、はい崖の上のポニョの世界に紛れ込んだ既視感!

   日本にこんなところがあったなんてーー。
    日本でクルーズが始まった頃から、最高の景勝地と言われ続けて来た瀬戸内海。でも、鞆の浦
 なんて寄港地の一つとして上げられたことなど、一度もなかったような。
    大伴旅人、毛利氏と徳川の抗争、朝鮮通信使、いや、いろは丸、つまり坂本龍馬と紀伊藩の海運 抗争事件、そして北前船の高田屋嘉平衛さんだって、ここには度々寄港したはずですし。そしてポニョ!これだけのエピソードが残る町だったなんて。
 
  別にこのままにしておいても悪くはないでしょうが、ぜひ行ってみることオススメします。
   まあ、客船の寄港数を自慢げに争う港町もいいですけど。そこで何を見 、何をするのか?ってもう一度考えてはいかがですかね。 

  大伴旅人が2年の任期を過ごして、帰り着いた奈良では、長屋王の変を経て、藤原氏の全盛期 をむかえようとしていました。旅人は帰京後1年、67歳の生涯を閉じたと、伝記にはあります。中央の政変には頓着せず。亡き妻を思う。なんかなあ? 今やっている平成の馬鹿し合い。総選挙ってなんなんでしょうか?

なんて、無理やり閉めました。
ポニョの宮崎さんが映画の構想を練りながら通ったという喫茶店。情緒がありますよ。
   今回は空いてなくては入れませんでしたけど。つぎには必ず!