さて、西部邁さんですね。
 この人が、テレビなどに登場してきたときに、僕が感じたのは、それまで政治評論と言えば、民主派風の論客ばかり。右派のまともな論客が出て来たという感じでしたね。というか。江藤淳さんみたいな文章型の知性と言うより、テレビ型の保守派の論客というか? 目立つ存在でした。

 それまでの政治評論と言えば、先の大戦の記憶を引きづって、どうしても戦争責任みたいな論理から離れることはできなかったわけですが…。60年安保リードした全学連の中から出て来たこの人は違った。論理といえば、内省を迫る哲学ではなくて、日本人としての矜持…。みたいなね。
 安保OBからは、吉本隆明さんなんかに象徴される戦争責任派や野坂昭如さんみたいな焼け跡闇市派とか、多彩でしたが、そうした人々が次々と去ってゆく。そんな時代の最後の人かもしれませんね。

 この人は、私たちに「こうすべきである」と押しつけがましい論理で迫るのでなく、「あんたはアホか」みたいな感覚でモノを語る。時代を支配する論理を覆そうとするときには、そんな風に論争を仕掛けて行くしかないんだろうと思います。
 でもって、行動様式は、徒党を組んで何かを実現するというよりも、そう思ったら自分だけでもやっちゃうよ、ついて来る? みたいな感覚だったようなね。

 死に方もまさに、「自裁死」ですか? 太宰治が玉川上水で入水し、三島由紀夫が「死ぬことを意識して」死んで、江藤淳が、奥様に殉死するかのように…。
 多摩川に身を投げる! というのはそれらを足して二か三で割ったような死に方というか。
 「死に方は、自ら選択する」! そんな日本人のこれからの生き方というか死に方を教えてやるよと言われているような。

 流行りますよ。きっと。多くの人がそんな方法を選択したとしても、誰も驚かなくなる時代が来るかも?
 あなたは、玉川上水にするの?それとも錦ヶ浦? なんてガイドブックが流行ったりして?

 今、「人生100年時代!」なんて政治家さんは、おっしゃるけど、一定年齢に来たら、後は「人に迷惑かけずに、早く死になさいね」と言われているようなもんですからね。
 西部さんの死は、そんな時代の魁? なんて予感もします。

 なんてね。
 昨日、その「人生100年時代」を指摘するアベサンの施政方針演説は、明治維新から説き起こしたようですね。
 会津藩の白虎隊から出た山川健次郎を例に引いて、「誰でも活躍できる」社会の実現を主張したわけだけど。つまりこの人の精神風土は、長州藩史観、そのものだったんですね。

 長州藩は、逆賊だった会津を許し、その結果として山川さんは、東京帝大の総長になったんだよ。みたいに説き起こす。きっと祖父の岸信介さんあたりは、そんな風土というか政治思想の中でシンゾー君を育てたんだろうね。
 明治維新史観というか、未だに日本のリーダーシップを取るのは、長州藩なんだぞと言われているようで、なんか嫌ですね。

 でもねえ。アベッチの話は、つまりは明治維新が「機会均等」をもたらしたんである! と。つまり発想の先には大日本帝国憲法は悪ではない! というか、それの回帰? 
 明治の論理は、「機会均等」だったんだよ、なんて感じでね。さすがに「四民平等」とまでは言っていないようだけど、国家のイメージは、完全な復古主義? 国への従属を求められる国民! 結局、そのまま日本は戦争で崩壊して行く、という結語の方は頬かむりですか?

 でも、勝てないかもね。この人の上から目線の復古主義にはね。でもって、話は「押しつけ憲法への叛旗」ですか?

 なら、僕に出来るのは? 
 こうなりゃ本気で100歳まで生きてやりましょうかね? 内省こそ哲学なんて思って生きて来た僕ですが、「無駄な年寄りは早く…」と、いわれているわけで、コノヤローな気分もある。
 西部さんのような「自裁」が認められるなら、どこまでも生きてやるという自裁だってあっていいわけで。
 
 でも、なんか、未来は悲惨かな? 
 そんなことない、長生きしてクルーズに行こう!だぜ。