やっぱり、今朝はオウムですかね。へそ曲がりの筆者としてはあんまり触れたくもないネタなんですけど。
 思い出すのは、地下鉄サリン。あれからもう23年経つんですね。
 1995年3月20日。ちょうど日曜と休日の中日だったかな? 当時まだ八重洲にあった会社の事務所の窓からパトカーや救急車のサイレンが聞こえ、随分と騒がしい朝だったことを覚えています。

 実はボクと言えば、翌日クラブメッド2の取材でタヒチに旅立とうとする日で、何かと忙しく、「サリンが撒かれた」なんてニュースを聞いても、何が起きているのか? なんてまったく理解していなかったという記憶だけが残っています。

 でもって、出かけた先のボラボラ島。ここはまさに、天国のような島でした。オテマヌ山の威容は、南太平洋のイメージそのものでしたし、限りなく透明に近いブルー!な海、と白砂に夢中になったことを覚えています。結局魅せられたボクは、その後2回、今度は自前で金を払って、タヒチには行くことになりました。もちろんボラボラを目指してね。

 そうなんです。オウムと言えば、必ず浮かんで来る記憶は、タヒチ。つまりあの上九一色村の第6サテアンの異様な捜索、でもなければ、地下鉄の駅周辺にバラバラと横たわるサリンの被害者達の光景でもなくて、この世の天国体験。
 だったわけで、同時代人としての記憶に欠落がある? というか、この時はまだ、サリンとかVXガスとか、いわゆる化学兵器の存在を理解していなかったというべきでしょうか?

 その後、これらの兵器をオウムに結集した若き化学者たちが造りだしたもの、だったと理解して率直に思ったのは、麻原も最初から化学兵器で革命をなんて構想に行き着いていたのではないのでは? 
 でしたね。というよりも、これらの優秀な科学者を帰依させることが出来て、そこからテロの妄想が膨らんで行った? みたいなことですね。

 大体ぬいぐるみで選挙に出馬した麻原の想像力が、化学兵器や銃による武装にまで到達するって、ホントに初めからそうだったの? そんこと構想していたのとは、考えにくい。
 というか、「あいつは敵だ、敵は殺せ」という着想を実行して行く中で、テロの「手段」への抵抗が無くなってゆく。それを担保し、妄想を高度化させたのが、若き科学者軍団だったと。

 言い換えると、麻原にとって彼らは、自慢の優秀な官僚たちですね。そして彼らにとっては自分が学んできた科学・技術を実証できる出来る組織に入った。テロだけだったらもっと穏便なやり方でも良かったのだろうけど。武器から兵器へ。宗教からハルマゲドンへ。妄想は膨らんで行く。

 まあ、今度の死刑執行で、日本人はそんな陰惨な歴史を、目の前から抹消したわけで、いまさら異論はないですが、「化学兵器の実験」という経験を残したことは理解しておくべきだと思いますね。
 日本は、核兵器という巨悪の実験場を提供し、化学兵器の実験台という歴史も担ったんかな? いずれにしても悲惨な民族だと…。逆にそうした兵器の革新に対する憎しみだけは、忘れてはいけないと、思いますけどね。

 うんうん。いわゆる左派系の文化人は、死刑執行という手続きに対する抵抗感があるほか、7人が処刑され、さらに残りの死刑囚もそのうち執行されるであろうことで、「実行者が何を思ったのか、教訓を引き出せなくなる」と処刑を批判しています。
 でも、今の司法制度の中で、現在まで、引き出せなかったという「教訓」なるものは、死刑の時期を引き延ばしても、引き出せないでしょうと思いますけどね。

 いや、「心の闇」を本当に知りたければ、幹部の中で唯一終身刑に減刑された林郁夫が生き延びているんだから、どうしても知りたい? そんな興味があるならば、彼と対話し、理解する道は残されていると思いますけどね。
 
 私には、もうそんな興味はないですね。歴史の彼方の事件ですし、科学的犯罪の正当化という意味では、原発もプルトニウムの蓄積もまだまだ現在進行形ですからね。

 それより、あの限りなく透明なタヒチの海と空をもう一度!の方がいいわ。

 そういえばあのポリネシアで核実験を行ったというフランスのバカ! という過去の歴史は、もういいんですかねえ? タヒチからの連想で、いつも頭の隅に浮かんでは消える…。
 ヨーロッパからタヒチは遠い、かな?