愛しているーー最後の言葉がこれですか?
悲しいですね。海老蔵の記者会見を見ていて、不覚にも涙してしまいました。
麻央さん。享年34歳ーー。
いえ、私にも同じような…。
はい、生母が33歳でーー。当時、私めはすでに小学校3年生だったかな? 夏休みに入る終業式前だったかの日。休み時間に教室にやって来た担任の教師から、急に「すぐ家に帰りなさい」と呼び出されて、妹とダラダラと帰宅した風景を覚えています。
でも枕元に戻った時には、すでに…。
親類の叔母達から、「お母さん!と、大きい声で叫びなさい」と。つまり呼び戻すよう促されたことを覚えています。
そんなことをしても仕方ないだろうにーー、テレながら、真似事をしてやり過ごしたような。恥ずかしさというか、戸惑った気分を覚えていますね。
まだ、死のセレモニーに溶け込めていなかった。
でもって、死に化粧の最後に、鼻に詰め物がされた時、急に、亡くなったことの意味を、理解させられたというか?
つまり、「ああそうか、もう息をすることはないんだよね」と。
そんな光景を、昨夜は思い出しちゃったですね。
今から思えば、可哀想な母だったですね。
病に侵され、その前の年の夏に国立病院に入院。
夏休みに毎朝のように、歩いて、子供の足で30分ぐらいあったのかなあ、病院に通った。というか所在なく、病院のあたりをうろついたのを覚えていますね。
ほどなくしてその入院から、自宅に戻って闘病するようになり、そして亡くなる。
葬式…。なんてわずか1年もない時間の経過だったのに、記憶の中では10年分の長さがあるようなイメージショットの連続で…。
僕が住んでいた環七通り沿いの家から、駒沢の国立病院辺りまでは、トウモロコシ畑が続いていて。うん、病院からの帰りに、畑に入り込んで、一本盗んできた! みたいなやんちゃをした記憶もありますね。不良少年や!なんてね。
まあ麻央さんとはくらぶべくもないストーリーですが、なんか急に記憶が鮮明になって、思い出してしまいましたね。
60年前の夏の話でした。ごめんなさい。
お母さん! 僕も、こんなに立派に育ちましたよ…。なんてなんのこっちゃい。
って、全部フィクションです、からね。
こういう話は、悲しい物語にも、それからの少年は真っ当に…、みたいな英雄物語のような話にも仕立てられるし、いくつかのやんちゃ物語に作り直すこともできますね。
いやこの10年ほど、我が兄弟の間でも、お墓をどうすんだーーという話が、呑むたんびの大論争のテーマになっていて。いま親たちの墓は、あの原発汚染地域である福島にあって、「もう移設して造りの直す」なんて兄者が言うのに、「墓なんていらん」と応じて来たのが私。
「オレの骨なんて、相模湾にでも散骨したらいい」といい言い続けて来たのでした。
でもなあ。墓もいるかもしれないですね。
「墓を自分の家の近くに造りなさい」と言い続けている姉嫁が、ちょっと大病して、もう3か月も入院しています。
昨夜から、「そうか、墓か!」なんて、思い直しているところです。
そういえば、福島のお墓にも3年も行っていませんね。
「千の風は、まだ汚染されているのだろうか?」なんてね。
母の命日は7月17日です!
船知めん太も、今日はちょっとセンチメンタルな気分になっています。
悲しいですね。海老蔵の記者会見を見ていて、不覚にも涙してしまいました。
麻央さん。享年34歳ーー。
いえ、私にも同じような…。
はい、生母が33歳でーー。当時、私めはすでに小学校3年生だったかな? 夏休みに入る終業式前だったかの日。休み時間に教室にやって来た担任の教師から、急に「すぐ家に帰りなさい」と呼び出されて、妹とダラダラと帰宅した風景を覚えています。
でも枕元に戻った時には、すでに…。
親類の叔母達から、「お母さん!と、大きい声で叫びなさい」と。つまり呼び戻すよう促されたことを覚えています。
そんなことをしても仕方ないだろうにーー、テレながら、真似事をしてやり過ごしたような。恥ずかしさというか、戸惑った気分を覚えていますね。
まだ、死のセレモニーに溶け込めていなかった。
でもって、死に化粧の最後に、鼻に詰め物がされた時、急に、亡くなったことの意味を、理解させられたというか?
つまり、「ああそうか、もう息をすることはないんだよね」と。
そんな光景を、昨夜は思い出しちゃったですね。
今から思えば、可哀想な母だったですね。
病に侵され、その前の年の夏に国立病院に入院。
夏休みに毎朝のように、歩いて、子供の足で30分ぐらいあったのかなあ、病院に通った。というか所在なく、病院のあたりをうろついたのを覚えていますね。
ほどなくしてその入院から、自宅に戻って闘病するようになり、そして亡くなる。
葬式…。なんてわずか1年もない時間の経過だったのに、記憶の中では10年分の長さがあるようなイメージショットの連続で…。
僕が住んでいた環七通り沿いの家から、駒沢の国立病院辺りまでは、トウモロコシ畑が続いていて。うん、病院からの帰りに、畑に入り込んで、一本盗んできた! みたいなやんちゃをした記憶もありますね。不良少年や!なんてね。
まあ麻央さんとはくらぶべくもないストーリーですが、なんか急に記憶が鮮明になって、思い出してしまいましたね。
60年前の夏の話でした。ごめんなさい。
お母さん! 僕も、こんなに立派に育ちましたよ…。なんてなんのこっちゃい。
って、全部フィクションです、からね。
こういう話は、悲しい物語にも、それからの少年は真っ当に…、みたいな英雄物語のような話にも仕立てられるし、いくつかのやんちゃ物語に作り直すこともできますね。
いやこの10年ほど、我が兄弟の間でも、お墓をどうすんだーーという話が、呑むたんびの大論争のテーマになっていて。いま親たちの墓は、あの原発汚染地域である福島にあって、「もう移設して造りの直す」なんて兄者が言うのに、「墓なんていらん」と応じて来たのが私。
「オレの骨なんて、相模湾にでも散骨したらいい」といい言い続けて来たのでした。
でもなあ。墓もいるかもしれないですね。
「墓を自分の家の近くに造りなさい」と言い続けている姉嫁が、ちょっと大病して、もう3か月も入院しています。
昨夜から、「そうか、墓か!」なんて、思い直しているところです。
そういえば、福島のお墓にも3年も行っていませんね。
「千の風は、まだ汚染されているのだろうか?」なんてね。
母の命日は7月17日です!
船知めん太も、今日はちょっとセンチメンタルな気分になっています。