「中の人」さん、アドバイスありがとうございました。はい、ネットで拝見しましたが、こりゃあ大変ですね。まったく。客船について問われた宮永さんは、こう言っています。

−客船事業で累計約1600億円もの巨額損失を計上しました。

「社長就任直後、瞬間的に変だと思い、すぐに精査した。これだけ優秀で多くの技術者を抱えていても、経営史上想像を絶するような難しい船だと理解するのにものすごい時間を要した。客船の後続受注はエンジニアリング主体で続けたいが、まずは1、2番船をしっかり終えてからだ」

 『経営史上想像を絶するような難しい船だと理解するのにものすごい時間を要した』ーーこの文章を読んだときに唖然としましたね。つまりこの船への取り組み状況を把握もせずに、「いつまでに引き渡す」とか「今年度中に片を付ける」なんて、経営トップとしてあまりに傲慢で、しかも軽々しく言ってはならないことを、「難しい船だと理解もせずに」語っていたということでしょうか? 
 信じられませんね。というか、こんな発言を止めさせるような造船を代表する幹部がいなかったんでしょうか? 「全製品の7割はすぐに理解できないと」経営者として失格、と言い放つ宮永氏にとって、船とはその3割の部分に相当する事業だったのでしょうか? 

 まあこのインタビューを読むだけで完全に分かったわけではないですが、この1645億円だかの損失のうち、半分は船舶・海洋事業部の契約上のミスかもしれませんが、ここまで赤字を引きずらせ膨らませたのは、経営トップの大ミステークにあったことが良く理解できます。

 三菱重工の社内体制の固有の問題点として、それこそ20年以上も前から指摘されてきたのは、「事業所制」の弊害。加えて他の大重工会社にも共通する「事業部制」の弊害です。つまり長崎や神戸や名古屋といった事業所が、それだけ取り出しても巨大な一企業として独立していたところにある縦割り。意思疎通のなさ。そしてそれら事業所が大きく見ればまったく違う事業を担うという「会社内会社」的組織の集合体であるために意思決定が遅いなど、様々な問題を内包していたということでしょう。
 ですからメディアも問題があるたびに「どこへ行く巨艦」みたいな書き方をしたり、「帝国重工」などと評されたりしていたわけですね。

 この間経営トップはその弊害の除去にために、様々な補強策、改善策を講じてきていたわけですが、技術屋帝国、しかも人生の大半を出身事業の発展に費やし、まずまずの成果を収めて本社部門に上ってきた人たちでは、なかなか、だったのかもしれません。
 宮永さんは事務屋さんですからね。技術屋さんたちの「生え抜き思想」に問題を感じていたんでしょうね。この日刊工業の三菱重工特集を読んでいてもその辺りがジレンマというか焦りとして自覚されていたことはよく読み取れます。
 でもって、宮永さんが持ち込んだのが、ドメイン制。同時に事業所制の問題点を解消しようと、各事業を細分化し、成長事業だの衰退事業だのと区分けして、各事業の中に手を突っ込んで行ったんだと思います。

 しかし、時すでに船は変革へと舵を切っていた。つまり客船だの海洋調査船だの、船舶事業部にとってかなりな大勝負に差し掛かっていた。にもかかわらず、その途中で司令塔を更迭し、組織を生体解剖し、「成長性に疑問がある」商船について、そのポテンシャルを奪い取ったうえで、破たんが見えてくると、戦力の逐次投入を指示する。そんな経営手法をとったのではないかと推察できますね。

 まあこの限られたスペースでは骨格しか書けませんが、造船部門が、まさにチャレンジしようとしている仕事の困難性を理解しようとせずに、会社組織のリストラを優先した。
 でも、宮永さんの立場を考えると理解できなくもない。この会社の社長任期は4年しかありませんからね、宮永さんが、急ぎ過ぎているんではと感じられることの背景には「三菱重工ほど難しい会社はない」。つまり4年では変えられないんではという巨体への持て余し感すら感じられます。

 でもって船舶部門にとっての最大の不幸は、「衰退」事業に見える商船と、「成長性」が見込まれるというより、三菱がどうしても維持していかなければいけない防衛事業、「艦艇」を同じ事業部、同じ事業所で抱えていたことだと思いますね。

 宮永さんがどう考えたのかは、取材して見なければわかりませんが、事業部制を止めてドメイン制に改めるという方針を打ち出したとき、もっとも変化したのは、船。つまり艦艇部門と商船部門を切り離して、「防衛・宇宙」と「交通・輸送」へと再編するということだったような気がします。つまり同社にとって象徴でもあった「長崎」の解体ですね。

 「人事交流」なんでしょうし、別にそれをもって間違いだという気はありません。でも何度も書きますが、まさに203高地を攻めようとする戦いに突入しているときに、司令官と司令部を解体する。そんなことをやっっちゃたのかと。唖然とするばかりです。

 ここから先は、下司の勘繰りです。三菱重工さんにとって、長崎というのは祖業であり、特別な存在でした。造船出身の社長が途絶えた後も、しばらくは長崎を主体にした原動機出身者がトップに就き、この辺りまでは「お荷物」などと言われながらも、船に存在感はあったろうし、他の事業出身者からすれば、ウザイ存在だったろうと思います。
 何を外部のシロートが! と言われかねませんが、
  ドメイン=船の解体=長崎の地盤沈下! そんな絵姿がみえてなりせんね。長崎は、そのうち産業遺産として観光地に! なんてなるんでしょうか?

 何故「艦艇部門」を持つ船舶を解体しなければ、いけないのか? その戦略的な狙いなど、この日刊工業の特集を読んでいる限り、まったく読み取れません。そもそも、成長型と衰退型に分けるような線引きを商船と艦艇の間で行う必要はあったのでしょうか?
 IHIだって造船の分社は艦艇とともにですし、工場の操業体制や人事の交流を見る限り、艦艇と商船を切り離す必然性を理解する方が難しい。

 その意図は、国際競争に勝てなくなった商船の閉鎖?ですか。
 でもそれは、同時に艦艇部門の力を失ってゆくことでもあるのでは? 次は、日本最大の防衛産業である「三菱の艦艇部門」を窮地に追い込むのかも。
 別に三菱さんが崩壊しようと私はあんまり関心はないですね。それより、結果として、国民はより高額の防衛費負担を強いられ、さらには、国防の大きなポテンシャルが失われるのかも、なんて。
 もう一度書きます。商船と艦艇を統合して分社を! これが「解」のひとつかと思うのですが。まだまだ、遅くはない!と。