今日はなんたって、ノーベル賞でしょう。吉野さん。1948年生まれというから、私のひとつ年上ですね。まあ写真を拝見して、最初に感じたのは…。
 でもって、今朝顔を洗うついでに、鏡に映る自分の顔をしげしげと覗き込んだんですがね。オラももっと若い顔しているのかと思っていたら、残酷。あんまり変わらんなあ、でした。

 といっても吉野さんの壮挙と、わが品のないブログの落差! みたいな違いは嫌というほど見せつけられた感じですけどね。
 いや、実は吉野さんのことは、今年のノーベル賞候補の一人という新聞記事で見つけた時から注目していましてね。

 我が息子の在籍会社が、A化成さんで、昨日も速報が流れるとすぐにLINEで、「おめでとう」と打ったんですがね。「なんのこと?今、出先だよ」とつれない返事。
 まあねえA化成さんも、いろんな事業をしていて、みんな会社も違うようですからね。別会社だったら、あんまり関係ない、のかもね。

 のちほど、「吉野さんも71歳だし、オラも頑張ろ」と打ったら、「ファイト!」なんて返信がありましたけど、もう遅いわなあ。過去の業績が評価されるんだもんね。
 そうか70過ぎたら叙勲! かってはそんな話も聞いたことがあったなあ…。なんて。
 ふざけたことを言うんじゃない! こらこら!
 
 吉野さん、リチウム電池を発明したんですってね。同時に受賞したグッドイナフさんというドイツ出身の化学者が、プラスの電極の材料を、そして吉野さんはマイナスの電極を探しあて、両方を結合したら…。
 まるでドラマのような、本当の話? みたいですね。
 相方さんは97歳だそうで、「親子のような」親交があるようですね。
 いや、吉野さんは、京大ですから、「兄弟みたい」とでもいえば面白いのにねえ。親子ほど離れているんですね。

 にしても京大工学部もいろいろですよね。原子力を学び、関西電力に進んだ方は、晩節を汚し、結果として、泥にまみれた人生を送ることになる。
 でも吉野さんの方も、苦労して開発したリチウム電池が、「最初はまったく売れずで」研究費の回収は? とか、「真綿で首を絞めれるような気持ちだった」と。社内プレシャーもあったようで。いろいろ大変だったみたいですね。

 それにしても、「小型・軽量、大容量」という一寸法師のようなリチウム電池は、地球と、世界の未来を変えるともいわれているようで、携帯電話やコンピュータはおろか、EVや無人運転車、災害対応機器へと用途は夢のように広がるようです。
 風力や太陽光などは出力が安定しないようで、これらの自然エネルギーの蓄電に、もっともっと活用されるようになれば…。
 
 なんかなあ。明後日には台風で、停電でまた大混乱? 
 政治家への裏金作りのためとしか思えないような、危なくてしょうがない原子力発電をやめない人々も横行しているし。
 クルーズの世界でも船に帆を立て太陽光を敷きつめて、なんてアイデアが出て来ていても、課題は蓄電。
 つまり、この技術が、未来社会を開くよすがになるのかも…、なんてね。

 まあとりあえず、台風19号の暴風に備えて、発電機でも買いに行こうかな? 日本も危なくてしょうがなくなって来たもの。
 吉野さんの後継者の皆さん、まずは、格安の蓄電池を開発してください。急いでね。

 スーパーエコシップの話題はまた今度にしましょうかね!