あれよあれよという間に、1月も終わっちゃいますね。ってまだ27日なんですけどね。でもまあこのブログは明日はお休みですし、残るは3日。2月に入ると予定が詰まっていましてね。
 リタイア人生にもいろいろ山や谷があるもんですからと、まあそんな気分です。

 最近はカレンダーより季節の移ろいが早いような気もします。冬の盛りは、もうすぐ終わるんでしょうか。なんて、今日は何も書くことがなくて。憲法の話を続けてもいいんですが、いい加減にしないとクルーズのブログじゃないじゃないか?なんて言われちゃうだろうし。
  
 まあねえ。昨日も出ていましたが、日経さんや産経さんが、執拗に追っているMRJの顛末が気になりますねえ。イースタン航空の発注済40機がキャンセルですか?
 でもって、「MRJはすでに5度も納入を延期。ローンチカスタマー(初号機の顧客)であるANAホールディングスへの納入時期は32年半ばと、当初計画の25年から大幅にずれ込んでいる」そうで。これ以上の遅れは、ボーイングと提携する、ライバルのロンバルディアがMRJの開発に追いつくことになり、かつ「開発費が当初想定の2倍以上となる約5千億円に膨らむ中、しびれを切らした航空会社のキャンセルが相次げば、事業継続すら危うい」んだそうですね。

 にしても、25年引き渡しという最初のプランは一体なんだったんでしょうねえ。
 まあねえ。同社のOBさんに話を聞いても、AIDAのころには、まだ元気があって、いろいろ現場の問題点を吠えていましたが、最近のMRJとなると、「とにかくバラ色の絵さえ描いちゃえば、あとは…、なんてことじゃなかったのか?」って、投げやりなコメントしかくれない。 

 つまり開発計画がスタートしてしまえば、多少の遅れは…、みたいな。これが誇り高き三菱軍団さんの話かよ? と驚くようなコメントが飛び出す。まあAIDAも「新規分野だし、多少の赤字は…」なんて話で、エイヤアと突っ込んだものの…。だったわけで、同じような気分が社内を覆っていた?

 まあ改革派の宮永社長は、とにかく上から目線で、会社組織の改革と、事業の再編成を急ぎましたからねえ。いろんなところにほころびが出ている。
 でもって、宮永さんは今年、(暗黙の)任期5年を迎えるわけですが、くだんのOB氏「社長を辞めても、同じ期間会長に留まるからなあ」とこちらも諦めの言。とにかく彼の責任を明確にする辞め方にしないと、あと5年は、目が黒いまま、なわけで。

 次期社長と日経が書いているのが、小口さんですか? 経理・財務を仕切る事務屋さんですね。もともと、かの大重工は、いわば技術屋帝国でもあったのですが、こんな風に10年間も事務屋が続いていいんですかね。技術屋のヒエラルキーが事業部制、事業所制の弊害を生んだ!なんて、当時は言われていましたが、今は、「他に取締役もいないし…」なようですね。

 まあねえ。宮永さんの社長就任が発表されたのが、5年前の2月5日でした。前例主義の三菱さんですからね。「来週の発表が注目される」。
 一般紙風に書けば、そんな感じなんだろうけど、なんか「続投」論もあるみたいで。

 宮永改革は、ほとんどの部門で未完成ですし、事業部が会社内会社みたいな感じだったかつてに比べて、「経営側に、ここまで各事業分野にコミットするのを許したことはない」なんて、さすがに三菱重工さん的な声も聞こえてます。
 つまり、この人の「続」劇場が始まるんかなあ。MRJの見通しを付けるまで…なんて、理由はいくらでも付けられる。

 まあ余計な話でした。 
 日立との合弁を実現したパワープラント部門も火力発電所建設自体、世界的な需要の減退で…・
 こうなりゃ、最初に宮永氏が画策した、日立製作所との合併(吸収?)とか、川崎重工との統合とか、そんな話以外に手はない?というより、そのぐらいの話をぶち上げての、延命?かなあ。

 なんてね。まあ暇な爺さんのたわごとと思ってくださいな、でした。

 にしても重工会社の船って、どうするんだろ。そしてクルーズ客船の建造事業は?
 もうだめだわなあ。ね…。って、またクルーズの話にできなかったですね。すみません。。