2018年11月

2018年11月22日

ヨセフ・モルナール先生死去

日本ハープ協会会長のヨセフ・モルナールさんが昨日(2018年11月21日)夜に死去されました。モルナールさんの功績や人柄についてはさまざまなところに書かれていると思いますので、思い出を書いて偲びたいと思います。

モルナールさんには私がハープの仕事についたばかりの20代のころにレッスンをお願いしたところ、何日の何時にいらっしゃいと言っていただき、約束通り伺いました。そのころは下目黒にお住まいでした。ところが7〜8人の生徒さんが並んで待っていらして、みなさん音大生や受験生でした。聞いていると、はじめて聞くすばらしい曲を習っています。隣の人に「あれはなんと言う曲ですか」と尋ねて、ピエルネのアンプロムプチュ・カプリスだと知りました。それくらい私はまだハープのことを知らないころです。2時間くらい待ってもまだまだ私の順が来ないので、お手伝いをしていた堤谷さんにお断りして帰ってしまいました。次回に約束をして再び伺うとやはり数時間待ちだとわかり、帰ろうとすると堤谷さんが「高田さんが帰ると私が怒られるので待っていてください」と言われてレッスンを受けました。そのとき、やはり男の人は音がいいですね、と褒められましたが結局レッスンを受けたのはその一度だけです。そのとき楽譜にスラーがあったので「スラーはどうやって弾くんですか」と尋ねたら「気持ちヨ〜」と言われたのが今でも記憶に残っています。生徒の誰をもハープを好きにさせてしまうレッスンで、教えることにかけても一流でした。教えるといえば、私の家族といっしょにスキーに行ったとき、まだ小学校に入るか入らないころの私の息子に3日間つきっきりでスキーを教えてくれました。根っから教えることが好きな方でした。

その後10年ほど、月に2,3度地方都市のコンサートに先生のハープを運ぶことを頼まれていっしょに全国を旅しました。往復の車中でいろいろと話をしました。生まれ故郷のオーストリアの町の話、そこを通過するジプシー(現ロマ)の生態、ウィーン少年合唱団時代に初めて食べた日本の柿の話、来日して初期の学生と20年たった当時の学生の差・・・。思い出すときりがありません。ステージは少人数編成の音教が多かったのですが、楽器をセットすると私も着替えていつも譜めくりをします。モルナールさんはしばらく休みが続くとどこを弾いているかわからなくなってしまうことがあり、小声で「イマドコ?イマドコ?」と聞かれます。これも譜めくりの仕事なんだと理解し、一回目の「イマド」あたりでさっと楽譜を示すようにいつも準備をしていました。もう一つ覚えているのはサルツェードの曲でcon sold.といってこの場合は弦の間に紙のしおりをはさみ、ピシピシとした雑音で弾く箇所がありました。これをsenza sold.ではずすのを忘れてしまったこともありました。これも譜めくりの私がそこまで気をつけていなくてはいけないのだ、と反省しました。

感心するのは、モルナールさんはアンサンブルでも楽譜通り弾かないことが多いのです。アドリブで音を変えたりグリッサンドを入れたりするのですが、そのセンス良くて譜めくりをしながらいつも感心していました。とくにフルートとハープで弾くドップラーのハンガリー田園幻想曲でのハープは、楽譜はオーケストラ縮小版のピアノ譜ですが、まったく違うまさにジプシーや東欧の民族楽器ツィンバロンの音と音形になります。これは聞き物でもう一度聞きたいと思っていましたが二度と演奏する機会がなく、とても残念です。

ですから私は、モルナールさんにはハープではなく譜めくりを師事しました。息子はスキーを師事し、娘は講習会でハープを師事し、一家でお世話になりました。謹んでご冥福をお祈りいたします。


ces_dur at 13:14コメント(0) この記事をクリップ!
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高田 明洋 (たかだ...

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