2006年06月12日
おわびかたがた…
CH−K編集部 小池 新
前回が5月11日。先週会った高校以来の友達にも「おまえ、もう少し真面目に書けよ」と怒られた。サボっているつもりはないが、申し訳ない。
村上ファンドの件や秋田の男児殺害事件など、書きたいと思うことはいろいろある。だが、どうも、気持ちが落ち着かず、書くことに踏み切れない。
それは、ここ最近、自分の将来について考えていることと関係がある。サラリーマンの宿命である定年を、いやでも意識せざるを得ない、残りの年月になった。知人からも「いつなの?」と聞かれるようになった。
前にも日記に書いたように、個人の勝手な思い込みで「いったんジャーナリストになった人間は(組織を離れても、気持ちの上では)死ぬまでジャーナリストなのではないか」と考えてきた。いや、考えようとしてきた、ということかもしれない。だから、組織を離れても、どんな形でも物書きとしてやっていきたい。その思いは変わらない。しかし、そのためにはどうすればいいのか。肩書は? 活動拠点は? 経済的な基盤は?
こんなことも心配してしまう。「なんにも肩書のない名刺で仕事をする勇気が自分にあるだろうか?」。ばかばかしく聞こえるかもしれないが、正直、そういう不安が心の中のどこかにある。先日会った人が「大丈夫、大丈夫。何か、それらしい名前で組織の名刺を作れば、世の中それで通っちゃうものよ」と言ってくれた。そんなものだろうか、と思うのも、しょせん、組織の中だけで生きてきたジャーナリストの弱さなのか。
このサイトが所属している共同通信のホームページも、この秋には抜本的な変更がある。この日記がどうなるか。それは今後の問題だが、社内外の情勢をみれば、現在のような、ほとんどフリーのブログ版はもうあり得ないように思える。そうなったら、そして組織を離れたら、自分はネットとどうかかわっていけばいいのか、とも考える。
別に編集委員としての仕事が目の前にある。そうしたもろもろのことが渦巻いて、きちんと整理できない状態が続いている。今回は全く私的なことで申し訳ないが、おわびかたがた、心の近況を報告させてもらった。すみません。次はちゃんと書きます。
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この記事へのコメント
先のことは誰もが多かれ少なかれ不安だと思います。私もその一人です。自分の信じた道を心のままに進めばいいのではないでしょうか?間違いに気づいた時はひきかえせばいいじゃないですか。
確かに流れが速いものをどの時点で輪切りにするか,ということは難しいと思います。新聞屋さんにとっては釈迦に説法なのかもしれませんが。
良くテレビなどでは「元〜」という肩書きの方が多く見られますが,そういう方は小池さんの言われるように「いったん〜になった人間は,死ぬまで〜」という人なのだと思います。でも,その「〜」をなくしたときにどうなるか不安,というのは,正常な人間なのだと思います。未知の世界なのですから当然ですし,多分(本当に推測ですが)記者になられたときとかにも「これからどうなるのか」という未知の世界への不安はあったと思います。
左巻きの駄文を書き散らかすくらいなら、しおらしく内省してた方がマシ。
ところで小池さん、「JANJAN編集委員」って肩書きは何? これ本当?
ttp://www.itmedia.co.jp/news/articles/0603/13/news023_2.html
加盟社の上納金で高給をもらいつつ、加盟社に対抗するメディア(JANJAN=日本インターネット新聞株式会社)に肩入れしてるならば、すごく矛盾してる。背信行為だよ。個人の資格で社会貢献するのは勝手だけど、職業上の利害関係がない形でやるのが常識ってもんでしょ。加盟社だって、日本インターネット新聞株式会社と同じようにネットメディアをやって、ネット広告で稼いでるんだから。
それは小池さんの弱さではなく強さなのだ。村上ファンドの村上氏は関西系だから、冗舌がすぎたきらいがある。「むちゃくちゃ儲けました」なんて普通には言えませんよ、しかも記者会見の場でね。
金儲けが悪いなんて誰も言ってないが、そこまでいうなら、これだけの社会還元をさして頂きましたと言うべきだよ。
あまりに社会を舐めた発言をしているとそれこそ社会から抹殺されかねない。
大きな力をもった人間はそれ以上に大きな責任を負っている。スパイダーマンを村上氏は見てなかったのかな。
どうして記者じゃないんでしょう?
ジャーナリストと記者の違いは?
なんですかジャーナリストって?
正義の味方?
団塊の世代と言うのは、関西のおっさんのネーミング、この人結構な財産家、10億円くらい持ってるらしい。
それはさておき、我々がどう身を処すべきか、と言うことだが、早めに終わるのも一方かな。
日本はけっこう陰湿な社会で、定年間際の人間には辛いものがある、雑音が多すぎると言うのか。
熟しすぎたのかねえ。
数が多すぎると思ったら、自分が身を引けばそれで済むんだが、そうもいかんのだろうなあ。