日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

井伊直虎完全ガイド (100%ムックシリーズ)

価格:842円
(2017/9/13 17:33時点)
感想(0件)



もちろんこの副題は、「許されざる者」からきてるんだろうなあ・・・
ほんと、イーストウッドも渡辺謙も、格が下がっちゃうと思ってしまうんです・・・

遂に寿桂尼様が亡くなられたという大事件を回顧もしなく、徳川に味方するかどうかから始まってしまったおんな城主直虎です。
今川から離れようとする井伊・・・武田・徳川との戦を決意し、戦備えをしだした氏真でした。

そんな中今川で・・・
氏真から呼び出される方久・・・何を・・・??

naotora

















気賀に蔵を作ろうとしていた方久・・・。
蔵を建てることを認める代わりに、此度の戦に備え、井伊を直轄地にしたいとの事・・・。
そうね・・・どう考えても、井伊を潰そうとしているのよ、今川は・・・!!

そうでなければ、井伊に徳政令を出すと・・・!!

そして、今川からの提案には、井伊が滅んでも、方久には今ある土地の安堵状が・・・
逆らえば、どうなるのか・・・??
それは但馬の預かり知らぬ事・・・
そう、寿桂尼は、政次と直虎を同じ穴の狢だと思っていたのです。

どうする??方久??

先日、寿桂尼に呼び出された直虎でしたが、それは、内通の疑いのある者を洗い出すためだったと政次から聞かされる直虎。

「あれは・・・われは試されておったということか・・・??」by直虎

って、それって当たり前じゃないの??
ビシビシと緊張感のない今年の大河です
「考えすぎじゃ・・・!!」by直虎
で、終わっちゃったよ・・・


naotora2

















「うむ!!」というとっても芝居がかった返事をしながら直虎が方久の元にやってきました。

naotora7













直虎がやってきたことに、腹が痛くなったり、腰が痛くなったり、仮病の方久ですが・・・

こんな「うむ!!」etc.の三文芝居をいつまで見させられるのか・・・
ムロツヨシさんもなんだか白々しいなあ・・・。
あ・・・白々しいのは「うむ!!」by直虎からか・・・。

naotora3

















蔵を建てると今川から連絡があったことは、政次も知らなかった模様・・・。

naotora4















今川の中で、政次の知らないことが増えて来たようです。

気賀に蔵を建てるのに、井伊に材木を頼まない方久を攻め立てる龍雲丸と政次!!

そして遂に、徳政令後の安堵状を龍雲丸に見つけられてしまいました

徳政令を出せば、今川は一兵も出さずに井伊を直轄地に出来る・・・!!

「徳政がどうであれ、井伊は取り潰されますよ。
 今川の目当ては井伊を直轄にすることですから・・・!!
 徳政なくとも、力を以て取り潰されるのがオチにございます・・・!!」by方久


そして遂に、井伊に徳政令のお下知が・・・!!??

naotora5

















「こたび、徳政をはねつければ、力に訴えられましょう。
 かような形でのおとり潰しは、寧ろ今川の温情かと・・・おとなしゅうお受けになりますよう。」by政次

「勝手なことをほざくな!!
 銭で潰れたなど、末代までの恥さらしじゃ!!」by直之


どうする??直虎!!??

もし徳政令を受け入れたなら、井伊の兵は今川として戦うことになる。。。
その相手は徳川!!
しかし、井伊は徳川とすでに結んでいる・・・。


あえて井伊を潰したうえ、今川の懐に入る・・・
そして、関口の首をあげ、徳川に指し出せば、井伊は・・・。
井伊は蘇る・・・!!


農民たちは、関口様に、徳政令を受け入れたくないと直訴し始めました。

「此度、かつてわしらが出した願いが元で、ありがたくもご太守様が徳政令をお出す下さると聞きました。
 なれど、わしらは井伊様の御恩のおかげで・・・すでに徳政を願う気持ちはなくしておりますで。
 わしらは徳政令を望まんで。。。どうぞ、お聞き届けくだせい。」by甚兵衛

naotora6

















「俺を信じろ・・・信じろ・・・おとわ・・・!!」by政次

ということで、寿桂尼様のように男勝りなおんな城主ではなく、お姫様のように周りの人(政次・龍雲丸・甚兵衛)が助けてくれるなんとものほほんとした城主な直虎です。

最近の時代劇は、こんな現実的な作品がいいのかもしれません。
映画でもそうですよね、現実的で、理にかなった作品が多いように思います。
個人的には冒険活劇が大好きなので、男らしい大きな作品を見たいんですが・・・あ・・・女主人公でした。

ま、細部にわたってきめ細やかに描いてくれていることは間違いないので、市井の人々の生活をじっくりと見ることができるのはいいかもしれません


↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村

戦国時代 ブログランキングへ

【戦国武将 フィギュア】戦国武将Aタイプ 井伊直政 (井伊の赤鬼 上野国高崎藩の初代藩主 戦国武将 甲冑フィギュア お土産 おみやげ) 【B-2638_200436】

価格:2,095円
(2017/9/13 17:34時点)
感想(1件)

赤備えの鬼武者 井伊直政 [ 近衛龍春 ]

価格:1,944円
(2017/9/13 17:34時点)
感想(0件)

日本史の叛逆者 私説・壬申の乱【電子書籍】[ 井沢 元彦 ]

価格:907円
(2017/9/8 21:06時点)
感想(0件)



今からおよそ2000年前、中国の皇帝から与えられたと言われている金印・・・
刻まれているのは、”漢委奴国王”の印・・・委は、当時のこの国の呼び名・・・この名を日本に改めたきっかけとなった戦いがりました。
672年、大海人皇子と大友皇子が皇位継承争いをした古代最大の内乱・・・壬申の乱です。
その50年後に成立した日本書紀には・・・
大海人皇子は、権力に野心がないことを示すために出家・・・吉野に隠棲していました。
ところが都にいる大友皇子は兵を集め始めました。
そのため止む無く大海人も挙兵!!
結果、僅か1か月で、大海人軍が大勝利を収めたのです。

しかし・・・近年日本書紀の記述は、正当防衛を主張する大海人・・・天武天皇の創作ではないか?と言われています。
壬申の乱勃発の本当の理由とは・・・??


壬申の乱から遡ること5年の667年・・・
日本書紀には、都が近江に移されたとされています。
都の西岸に位置する大津宮です。
飛鳥からこの地に遷都したのは中大兄皇子(天智天皇)です。
その片腕として活躍していたのが、弟・大海人皇子です。
天智が大和政権下で権力を握って以降、兄を支えてきた大海人は、自他ともに認める後継者でした。
しかし・・・天智天皇が最高位の太政大臣に任命したのは息子・大友皇子を任命・・・僅か24歳での大抜擢でした。
これをきっかけに王位継承は、新しい局面を迎えました。
太政大臣は新しくできたポストで、その役割は一つに政策的なトップ、もう一つは有力な皇位継承者という意味を含んでいました。
大海人にとって、天智への不信感が出てきたのです。
天智のブレーンだった中臣鎌足の伝記には・・・天智不満を持った大海人が、宮中での宴会に乱入し、長槍で敷板を刺し貫いたというエピソードが書かれています。
その後、大海人は出家し、政治の実権は大友が握ることに・・・!!

奈良県にある吉野・・・万葉集にも詠まれた風光明媚なこの土地に、大海人が隠棲する吉野宮がありました。
天智の崩御の半年後の672年5月・・・大海人の元に知らせが・・・
出家した大海人を危険視した大友が、攻撃の準備に取り掛かっているというのです。

「今、避けることのできない禍が、私に降りかかろうとしている。
 どうしてこのまま黙っていられようか・・・!!」by大海人皇子

1か月後・・・兵を集め始めました。
つまり、正当防衛のために、やむをえず挙兵したというのです。


6月24日、大海人皇子は吉野宮を出立!!
同行するのは大海人の妃・鵜野讃良皇女をはじめ側近たち30人ばかり・・・。
しかし、3日後の26日に美濃兵3000、尾張兵20,000が合流・・・出発からわずか4日で、3万の軍勢を手に入れました。
一方、6月26日、大友も大海人の挙兵を知って、人を集め始めます。
しかし、東北へと向かった使者は、不破で捕獲されてしまいました。
不破は、近江と東国を結ぶ交通の要所・・・
大海人は、吉野を立つ二日前に、東国に向かう使者に伝えていました。

「軍勢を発し、速やかに不破の道を塞げ!!」

この為に、大海人軍に封鎖されていたのです。
さらに大海人は、もう一つの交通の要所・・・大津宮と東北を結ぶ鈴鹿山道も押さえていました。
なので、大友は、東北の兵を集めることができませんでした。
一方、吉備や筑紫など西国に向かった使者も、目的を果たすことができませんでした。

そしてついに始まった直接対決!!
しかし、十分の兵を集めることのできなかった大友の軍は、一方的な敗北を喫することに・・・
7月22日大津宮陥落!!
翌日、大友皇子自害!!

大海人皇子は、吉野出立からわずか1か月足らずで、完全勝利を収めたのです。

しかし・・・日本書紀には不審な点が・・・
特に、大友からの危険を知り、僅かの供と吉野を出た大海人に、4日間で3万の兵が扱ったことは、事前の準備がなければ考えられません。

大海人側は、かなり用意周到に計画をして立ち上がったのでは・・・??
日本書紀に書かれている記述が全てではない・・・。


壬申の乱の直前、委国は未曽有の外交的危機に直面していました。
きっかけは、663年の白村江の戦いです。
倭国初めての本格的対外戦争でした。
中大兄皇子の軍は、唐・新羅連合軍によって滅ぼされた百済の復興を助けるために、朝鮮半島に大軍を派遣!!
しかし、唐の大艦隊を前に、1万の援軍は僅か2日で壊滅・・・大敗北を喫しました。
その後、倭国は、唐、新羅がいつ攻めて来るかわからない中、対外的脅威にさらされることに・・・
そこで中大兄は、倭国防衛のために、九州、瀬戸内にたくさんの山城を・・・
667年には、近江へ遷都し、海岸線から遠くに都をおきます。

日本初となる戸籍「庚午年籍」を作成し、全国の土地や民を速やかに把握し、税や兵を集める仕組みを作ろうとしました。
白村江の時は、兵士の動員には要請から2年ほどかかっています。
その教訓から、定量的な帳簿を作り、それに基づく兵士や労役の動員が可能になるシステムを作り出したのです。

即位して中大兄は天智天皇となります。
対外的な危機感を利用し、中央集権・・・国内改革を一気に推し進めようとしていました。

一方で、東アジア情勢は、益々緊張・・・
壬申の乱の4年前には、唐・新羅連合軍が、朝鮮半島の高句麗を攻め滅ぼします。
翌年、標的を倭国と定め、軍船の修理に取り掛かりました。
次は倭国が・・・??
と思われていましたが、新羅が朝鮮半島統一を目指して唐と対立!!
これによって唐は、戦いの矛先を新羅に変えます。
倭国の危機は一旦去ることに・・・。

新羅は本格的に、倭に遣いを送り、倭との友好を求めてきました。
新羅も高句麗と同じように、唐に滅ぼされる危機から逃れ、新羅の地位を維持しようとしていました。
この新羅からの使者に対して倭国は船を送るなど手厚く歓待・・・以後毎年、両国の間で使者が行きかう関係を築くことに・・・

669年遣唐使を派遣・・・
こうして、唐と新羅、敵対する二つの国と、友好関係を築くという両面外交をすることで、一定の距離を置こうとしていました。
しかし、壬申の乱の前年・・・この方針の変換を迫られる事件が・・・
671年1月・・・唐からの使者が来訪。
朝鮮半島における、唐の立場は不安定で、倭に武器・武具を求めたり、軍糧・食料を要求したかったのですが・・・唐の味方になる事を迫られます。

この月、天智は大友皇子を太政大臣に任命。
同時に、鬼室集斯を重用・・・鬼室集斯は、唐と新羅に滅ぼされた百済からの難民のひとりで、数千の難民が近江に居住していました。
先進的な文化や技術を持つ彼らを、天智は招き入れていたのです。

これらの百済からの難民たちは・・・
基本的に、新羅に立敷いて伝統的に敵国意識があります。
唐は、旧百済領に熊津都督府を置き、百済の地元民たちの政治・自治を尊重してくれていました。
どちらかを選べと言われれば・・・唐!!

唐と新羅のどちらに味方するのか??
それとも、不介入を決め込むのか・・・??外交方針の決定を迫られていたのです。

危機感があるから天智に協力したのに、実は危機は日本には来ていないという事実・・・。
豪族たちは、天智に対する反発が強くなってきていました。

671年倭国が外交的機に直面していた頃、天智が突然病に・・・
先が長くないと悟った天智は、大海人を呼び・・・

「私の病気が重いので、あとのことをそなたに託したい。。。」by天智天皇

大友の太政大臣抜擢で立場が揺らいでいた大海人にとっては皇位に着く最大の機会・・・!!
しかし、倭国は今、朝鮮半島に介入するかで岐路に立たされている・・・

王位を継承する??
しかし、天智の急進的な改革に、豪族たちは不満を抱いていました。
豪族たちは、これまで自分たちの本拠地に住み、不定期で大王の宮に奉仕するという体制をとっていました。
大津遷都によって、遠く離れたところに暮らさなければならない。。。
おまけに、中間搾取、既得権益が、国家がメインになって徴収することで、収奪、編制、自分たちの旨みが無くなってしまった。
反対の人か・・・飛鳥から大津に遷都した際には、不審火が多発したと言われています。
さらに、朝鮮半島情勢に加われば、豪族たちの不満は噴出する可能性が・・・!!

王位を辞退する・・・??
不満はすべて大友に・・・しかし、大友に政を任せていいのか??
百済からの難民にささえられている大友は、唐との関係が深まれば、出兵を乞われるかもしれない・・・。
白村江の戦いの二の舞になるのではないか・・・??
誰が田畑を耕すのか・・・??

671年10月、王位を継いでほしいという兄・天智天皇に対し、大海人は・・・
「私は不幸にも病気がちで、国を保つことができません。
 どうか天下を皇后に・・・そして、大友皇子を皇太子になさいませ。」
大海人は、王位の辞退を申し入れます。

しかし、672年大海人が吉野から挙兵し、壬申の乱勃発!!
1か月で完全勝利を収めるのです。
実は、大海人が挙兵を決断したのは、自己防衛ではなく、大友の外交方針だったともいわれています。
日本書紀に・・・
大友が唐の使者に鎧や兜、弓矢を送ったと記載されています。
唐からの使者に、直接兵は出さなかったものの、武器や軍需物資を与えていたのです。
これは、それまでの倭国の外交方針からすると、かなり踏み込んだものだったのです。
大海人は、大友が唐よりに外交方針を変えたことを見届けて、挙兵したのです。

壬申の乱に勝利した翌年の673年、飛鳥浄御原宮に遷都。
そして、天武天皇として即位すると、外交問題に新しい方針を打ち出します。
唐と新羅どちらの味方にもならず、遣唐使の派遣を取りやめたのです。
その後、半島での戦いは、新羅の勝利に終わり、そのため、恐れていた唐からの報復を受けることもありませんでした。

これまで、倭国は高句麗や百済を防波堤にして、中国からの直接侵攻を妨げてきていました。
次は、新羅を防波堤にしたのです。
外交問題の難局を乗り越えた天武天皇は、新しい国家づくりに邁進します。
新城に都を・・・!!
幻の都・新城・・・後に持統天皇が完成させた藤原京の発掘現場の下の層から、新城の遺構が発見されました。
そこでは、東西と南北に沿った道路が直角に交わっていました。
これがのちに、藤原京で初めて完成する碁盤の目の都市計画なのです。

さらに681年、天武は国にとって大切な、律令と国史の編纂に取り掛かります。
それは・・・”大宝律令””日本書紀”として結実します。
飛鳥池工房遺跡には、最古の貨幣・富本銭が見つかりました。
この遺跡からは、さらに”天皇”と書かれた最古の木簡が発見されました。
それまでの大王から天皇へと改めたのもまた、天武だったと考えられます。

新たな国造りをした天武天皇は、686年に崩御。
しかし、天武の事業は、跡を継いだ持統天皇らによって受け継がれていくこととなります。
そして、この国始まって以来の律令が完成した翌年の702年、33年ぶりとなる遣唐使が大陸に渡るのです。
使者は、唐の皇帝に対し、新たなる国名を・・・それが、「日本国」でした。



↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村

戦国時代 ブログランキングへ

壬申の乱を読み解く (歴史文化ライブラリー) [ 早川万年 ]

価格:1,836円
(2017/9/8 21:06時点)
感想(0件)

壬申の乱の謎古代史最大の争乱の真相【電子書籍】[ 関裕二 ]

価格:540円
(2017/9/8 21:07時点)
感想(0件)

大河ドラマ 武田信玄 完全版 第壱集 DVD-BOX 全7枚セット

価格:19,440円
(2017/9/7 17:41時点)
感想(1件)



副題「女たちの挽歌」・・・って、誰のための挽歌なんでしょうね??
もちろん時間軸を止めているあの方です

武田信玄は、今川を戦に引きずり出すべく嫡男・義信を自刃に追い込みました。
一方、今川は、武田の天敵・上杉と結ぶことで、戦に持ち込ませないように持ち込もうとします。

戦そのものを避けることはできないか・・・??
ということで、家康に書状を送ります。

naotora

















どうする・・・家康・・・??

いきなり・・・寿桂尼さまが死んじゃいました。

naotora5















前回のお仕事で、全ての力を使い果たしちゃったんでしょうね・・・女大名様、ご苦労様でした

これでまた一つ、この作品の重みが無くなってしまった・・・。
この重みは、武田信玄が継いでくれるのかなあ・・・??


そして・・・時代が動き出すのでした。

駿府はもう終わり・・・??
武田が攻めて来る・・・??
戦が始まってしまうのか・・・??

そこへ常慶登場!!

naotora3

















家康の返事を持ってきました。
徳川には、武田からも話が来ていました。

大井川から西を徳川が、東を武田が・・・という条件を出してきたのです。
武田はこの時、織田と組んでいました。
つまり、徳川は、武田と組まなければ、織田をも敵に回してしまうのです。

「此度、上杉と通じるは、断念せざるを得ないとなりましてございます。」by常慶

「では、戦になるのはもう避けられぬと・・・??」by直虎

「はい・・・おそらくは今年のうち・・・。
 遠江には徳川が攻め込んでくることになろうかと。
 井伊はそれでも、今川方として戦うおつもりかと、確かめに参った次第にございます。」by常慶

「それでもとは・・・??」by直虎

「あの書状は、明らかに今川にお味方する者のご意見かと・・・??」by常慶

「我はただ、戦そのものを避けたかったというだけじゃ!!」by直虎

「では・・・徳川にお味方なさいますか・・・??」by常慶

これは・・・書状自体が藪蛇か・・・??

人質に、虎松さまの母君をいただきたいと言われてしまう直虎。。。

何故、人質を渡さねばならぬ・・・??と、この時代に、甘ちゃんなとぼけたことをいう直虎です。

ということで、常慶の実家の松下家におしのが嫁ぐことになってしまうのですが・・・
これは、直虎が、虎松を守るために”松下姓を名乗らせた”と持って行く方が、お家を守った感があっていいと思うんですが・・・
ただの勇み足になっちゃったのか・・・。というか、このドラマでは、あえて策を弄しないのだろうか・・・??


人質を願いにおしのの元に行く直虎。。。
おしのはすんなり聞き入れてくれました。

「行ってくれるのか??」なんてとぼけたことを言う直虎

う~ん・・・ここは当たり前だろう・・・??
戦国時代なんだから・・・
直虎より、しのの方が、よっぽど大人になってたんでしょうね・・・
子供を産んだ女性の方が優秀とは言いませんが、このドラマでいつまでも少女少女している直虎を見ていると・・・しの、母は強しでしょうか??

naotora4

















納得できない虎松ですが・・・。

そんなしのと反対に、しのを嫁がせないために武田と手を結んだほうが良いか??とか、いろいろ変な策を弄しようとする直虎。。。
そこらへんが、少女、少女な考え方で、嫌になってしまうのだ・・・。

その点しのは、全て承知のこと・・・。

「嫁ぐにあたり、殿には一つお願いがございます。

 私が嫁ぐということを、上手く取引にお使いください。
 井伊のためになるような何か・・・
 そして、その話をいつか虎松にしてやってください。。。」byしの

「心得た・・・」by直虎


「そなたの父上は、あるお家と仲良くしようとし、殺されてしまいました。
 此度、母が嫁ぐのは、そのお家と再び仲良くするためです。
 父上の志を母が継ぐことができる。
 考えてみれば、これは大層やりがいのあることです。
 ゆえに、行かせてくれませんか・・・??」byしの

「嘘じゃ!!
 母上は、虎松と離れたくないはずじゃ!!
 母上は、虎松のことが一番お好きなはずじゃ!!
 一番大事なはずじゃ!!」by虎松

「その通りです!!
 虎松は母の宝です。
 だからこそ、大事にしたいのです。
 
 母は、虎松に力強い味方を作ってやりたいのです。
 母が嫁げば、そこは井伊のお味方となるし、子ができれば、そなたの兄弟が増えます。
 虎松には、沢山、沢山、味方を作ってやりたいのです。
 故に、笑って送り出してはくれませぬか??」byしの

泣きながらも承知する虎松・・・

ほんと、直虎よりよっぽど周りが見えているという・・・できた方です。
最初っからこんなしので良かったんじゃないの??
っていうか、この数年でのしのの成長に比べると、主人公の成長が全く見えないのは・・・
周りの男子が助けるからじゃないの??って、斜めに見ちゃいます

「一つだけ、聞き届けてもらいたいことがある。」by直虎

「恐れながら・・・」by常慶

「ならば、井伊は武田と結ぶがよいか??」by直虎

「お伺いいたしましょう」by常慶

「徳川が攻め入ってきた折、我等は城を明け渡し、決して逆らいはせぬ。
 されど、その先兵を出すこともせぬ。」by直虎

「その後、徳川には加勢なさらぬということにございますか?」by常慶

「いかにも!!」by直虎

「しかし、それでは新たな地の安堵などは出来かねますが・・・」by常慶

「井伊と気賀、こちらは今以上の安堵は望みませぬ。

 我等の望むことは、喜びに満ちた日々!!
 井伊の目指すところは、民・百姓、一人たりとも殺さぬ事じゃ!!」by直虎


う~ん・・・”喜びに満ちた日々!!”から、嘘くささ満載!!
綺麗ごとだけじゃ、この戦国、やっていけないでしょう・・・??
まだまだ青二才というか・・・
大体、どうして徳川に対してこんなに強気に出ることができるのか・・・??井伊・・・??

「今日から我がそなたの養母となるが、母とは思わんで良い。
 我にはしの殿の代わりは出来ぬし、我のことは父と思うてほしい。」by直虎

禍を避ける木・・・良縁を結ぶ木・・・愛しいものの無事を祈る木・・・
梛の木を植えて・・・しのは旅立っていきました。

その頃・・・駿府では・・・??
今川と武田の決裂が表立ってきていました。
どうしても戦に持ち込みたい武田・・・!!

「もはや・・・戦しかあるまい・・・!!」by氏真

そしてその火の粉は井伊にも・・・!!

ということで、相変らず直虎は危ない橋を渡っています。
しのの成長を見ると、もっと成長してもいいと思う直虎ですが、そこは、政次や龍雲丸に助けられる少女漫画な主人公なので、人間としての成長が今一つなのかもしれません。

今回で、しのの人間としての株が一気に上がり、キャラ的にも深みが増したと思うんです。
このままのギャーギャーと、甘ちゃんな直虎だと、これから年をとっていくというのに、人間的な深みが・・・例えば、信玄や家康ならば老獪とでも言えるいやらしさが全くでない人間で終わってしまいそうです。

あ・・・主人公だから、綺麗でいいのか・・・??
大河の女優さんは年も取らないしね・・・??



↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村

戦国時代 ブログランキングへ

武田信玄と二十四将 イラスト&解説でよく分かる! (リイド文庫) [ すぎたとおる ]

価格:514円
(2017/9/7 17:41時点)
感想(3件)

武田信玄(第1巻) (SPコミックス) [ さいとう・たかを ]

価格:648円
(2017/9/7 17:41時点)
感想(0件)

井伊直政 逆境から這い上がった勇将 (PHP文庫) [ 高野澄 ]

価格:907円
(2017/9/5 21:08時点)
感想(0件)



時は戦国時代、真紅の幟をはためかせ、朱色に染め上げられたそろいの甲冑・・・
大将自ら突進し、命知らずと恐れられた最強の軍団・・・
人呼んで、”井伊の赤備え”!!
率いたのは、赤鬼の異名を持つ井伊直政です。
井伊直政は、井伊直虎を叔母に持ち、徳川家康の天下取りに貢献しました。
徳川四天王のひとりとして名を馳せました。
そんな壮絶な井伊直政の一生とは・・・??

静岡県浜松市北部にある引佐町・・・かつて井伊谷と呼ばれ、今川家配下にあった井伊家が代々この地を治めていました。
井伊家は、直虎の時代に領地を失い、一族滅亡の危機に瀕します。
直虎唯一の井伊家の希望の星は、直政でした。
直政は、1561年に父・直親と母・ひよの間に生まれました。
直政の父である直親は、本家に養子に入り、直虎とは兄弟関係にありました。
つまり、系図上、直虎と直政は叔母・甥の関係にありました。
そんな井伊家に大きな試練が・・・
井伊家が仕える今川家は、当時は海道一の弓取りと恐れられていました。
しかし、桶狭間の戦いで義元は自刃し、息子の氏真が後を継いだばかりでした。
甲斐の武田信玄や、三河の徳川家康がそこを虎視眈々と狙っていました。
今川家の将来に不安を抱いた直政の父・直親は、今川から独立したばかりの家康に近づきますが・・・その動きを今川に気付かれて殺されてしまいました。
28歳でした。

井伊谷の直接支配を目論む氏真は、直親の子で2歳だった虎松=直政の命も狙います。
この時は、今川家の家臣・新野親矩の嘆願によって命拾いしますが・・・後ろ盾だった新野が戦いで2年後に死亡。
そんな直政の後見人となったのが、叔母の直虎でした。

1568年直政8歳の時、今川家が井伊家の領地を没収、滅亡の危機に・・・
続いて武田信玄と、徳川家康が今川の領地に侵攻・・・
井伊谷にまで戦火が及んできました。
再び命の危険を感じた直政は、つてを頼って奥三河の山麓に身を寄せました。
鳳来寺山・・・1425段もある石段を登りきると・・・1300年以上の歴史を持つ鳳来寺があります。
戦火を逃れてきた直政は、ここで14歳までの7年間を過ごしました。

どうして鳳来寺だったのでしょうか??
寺院は殺生禁断、治外法権の場・・・武力勢力の踏み込めない場・・・
そして、学びの場であり、僧兵による技術の訓練を受けることができました。
何より井伊谷に近い・・・!!
直政はこの寺で、幅広い知識を身に着け、技を磨いていきました。
いつの日か井伊家を再興する為に・・・!!

今川家が信玄と家康に攻められて滅亡・・・領地と主君を失った井伊も風前の灯・・・
そこで直虎は、一族の再興を図るべく、行動を起こしました。
それは、寺に預けられていた直政を連れ戻し、当主にする道筋を立てること・・・。
直政の母・ひよを再婚させます。
相手は、家康の家臣だった松下源太郎です。
直政に井伊を名乗らせるのは危険だったので、直政を養子とし、井伊姓から松下姓に変えたのです。
そして直政の身辺警護も・・・!!
1574年14歳の直政は、父・直親の13回忌の法要を口実に井伊に戻ってきました。
直政に井伊家再興が託されました。

直政をどの戦国大名に仕えさせればいいのか・・・??

武田家は信玄が急死、勝頼が後を継いでいました。
徳川家康はまだ30代・・・三河から井伊谷のある遠江に進出していました。
三方が原の戦いで、武田軍に大敗・・・未知数でした。
しかし、家康を選んだ直虎・・・

直政の父・直親が家康に近づこうとしていたこと、松下源太郎から家康のことを聞き知っていたこと。。。

そこから家康を選びました。


徳川実記には・・・
1575年、家康が井伊谷まで鷹狩りにやってくることに・・・
一行が街道を歩いていると、真っ新の着物を着た少年が道端でひれ伏していました。
叔母直虎が、少しでも目立つように、新調した小袖を着せていたのです。
家康も立ち止まり、顔を上げた直政を見た家康は・・・
「面魂が尋常ではない。」と・・・。
「この地を治めていた井伊の孤児でございます。」byお付きの人
「我についてまいれ!!」by家康

こうして直政は、15歳にして家康に召し抱えられることとなるのです。

家康と内通したことによって、直政の父・直親が今川に某殺されたことを知っていて、自責の念があったこと。。。
築山殿の母は、井伊谷出身であったこと。。。
家康としては直政に身内のような感情を抱いていたのかもしれません。

15歳で家康に仕えることとなった井伊直政・・・
異例のスピードで出世していきます。
そのようにして、家康の信頼を勝ち取っていったのでしょうか?

1575年、甲斐・武田と争った遠江芝原の戦いが直政の初陣となりました。
家康の世話役として本陣に詰めていた直政。
夜半を過ぎた頃、武田の手の者が忍び込み、家康の寝首を欠こうとしました。
間一髪で、直政が討ち取りました。

1582年の神君伊賀越えでは・・・
本能寺の変が起きたとき、織田信長と同盟を結んでいた家康は大坂にいました。
追っ手から逃れるために、伊賀を抜け三河に・・・。
直政は、身を挺して家康を守り抜きます。

徳川家臣団・・・三河武士ばかりの中、外様の自分がどうやって忠義を表せばいいのか・・・??
その忠義に家康も応えます。
神君伊賀越えでの功を称え、「孔雀尾具足陣羽織」を与えます。

ところが家康の直政の可愛がりように・・・
家康と直政が衆道ではないのか??とまで噂されたといいます。

一気に出世していく直政・・・。
1582年天正壬午の乱・・・徳川と北条氏直との戦いで・・・
徳川軍8000VS北条軍4万!!
不利な徳川軍は、長期戦持ち込みます。
すると北条に行っていた武田の旧家臣たちが徳川に寝返っていきます。
遂には形勢が逆転!!
北条は和睦を申し入れ、甲斐と信濃は家康の手に落ちました。
この勝利の陰に、直政の活躍がありました。
直政の外交力・・・武田の旧家臣たちに書状を送り、本領安堵を約束し、彼らを取り込みます。
北条との交渉では・・・21歳にもかかわらず、交渉に臨み、どうどうと渡り合ったといいます。

その後、召し抱えることとなった武田の旧家臣たちを直政の配下に・・・。
武田の旧家臣を直政のもとに置いた家康の狙いとは・・・??
武田と徳川は、2代にわたっての宿敵でした。
皆には遺恨があったかもしれませんが、直政には遺恨がなかったので、上手くやっていけるのでは・・・??と思ったのです。

「武具、甲冑、全て赤にせよ!!」by家康

旧武田軍の中で、もっとも恐れられていたのは、赤備えと呼ばれた精鋭部隊でした。
当時、赤い甲冑は、特別な武勲をあげたものだけに許されていました。
その赤を、あえて身に着けさせることで、部隊の士気を上げようとしました。
こうして、武田の赤備えが井伊の赤備えに生まれ変わり、徳川一の精鋭部隊となったのです。

しかし・・・これが、徳川家臣団の中に不協和音を呼んできます。
やっかみと嫉妬の対象に・・・
直政にできることは、戦で証明し、譜代の家臣を黙らせること・・・
そのチャンスがやってきました。

1584年小牧・長久手の戦い勃発!!
信長の孫・三法師を擁する秀吉と、次男・信雄についた家康が対立!!
それは、後の天下取りを左右する大事な戦いでした。
先陣を任されたのは、井伊の赤備え!!
直政は、旧武田の兵を含む2000の兵を率いて、秀吉軍に襲い掛かります。
その時!!直政は対象であるにもかかわらず、先頭で敵方に突っ込んでいったのです。
すると、大将を死なせるわけにはいかないと、赤備えが・・・!!
直政は、一番首をとる活躍を・・・!!
それを見た秀吉は、「赤鬼!!」と、恐れおののいたといいます。
井伊の赤備えの鮮烈なデビューでした。
この常識破りの行動は・・・
武田の遺臣を任され、同僚の嫉妬、やっかみを黙らせるために、目立った手柄をあげる必要があり・・・旧武田の家臣団には、リーダーとしての気概を見せる必要があったのです。

小牧・長久手の戦いによって、家康から6万石を拝領。
かつて井伊が持っていた井伊谷の領地でした。
この時、25歳となっていました。

秀吉からヘッドハンティングされる直政・・・
しかし、直政は、自分を引き立ててくれ、お家を再興させてくれた家康に忠義を貫きます。
秀吉の命によって家康が関東に移されたときには、もっとも石高の大きい上野国12万石を拝領し、徳川筆頭家臣に・・・家康の四男・松平忠吉を娘婿に迎えます。
家康との結びつきをさらに強固なものに・・・!!
そして、家康の天下統一のために東奔西走します。
天下分け目の関ケ原に向けて・・・!!

豊臣秀吉は、幼い秀頼を残してこの世を去ります。
ようやく家康に天下のチャンスが巡ってきたのです。
徳川派と、反徳川(石田)派が対立する中、直政はその外交力で、豊臣恩顧の武将たちを徳川になびかせるために奔走します。
1600年6月・・・家康は敵対する上杉景勝を討つために会津征伐へと出陣!!
そのすきに、三成が反家康の狼煙を上げたのです。
家康軍はこの時、下野国、小山にいました。
景勝を討つべきか、三成を討つべきか・・・!!
直政は進言します。
「速やかに味方を上方に進め、天下を一つに定めるべきと存じます!!」by直政
家康は、三成との全面対決を決意!!
秀忠は中山道ルートで、直政は家康の名代として豊臣恩顧の大名たちを引き連れて東海道ルートで・・・!!
9月15日、関ケ原の戦い!!
東軍と西軍が対峙!!
前日に家康も到着しているというのに、秀忠は未だ到着しておらず・・・!!
真田に行く手を阻まれて、非常事態に・・・!!

大きな不安を抱えたまま、決戦に臨むことになった家康。
東軍の先陣を任されたのは、豊臣恩顧の武将・福島正則!!
後方にいた直政は、娘婿の松平忠吉と兵を引き連れて、福島隊の前へ・・・。

「今日は忠吉殿の初陣であるから、戦を学ぶため敵陣を見にいくだけじゃ。」by直政

が・・・鉄砲隊に号令をかけ、自ら敵陣へ・・・!!

直政は抜け駆けしてしまったのです。
これは重大な軍法違反でした。

「先手の差越しは、軍法に背く。
 行ったものは成敗する。」by家康

直政としては、徳川が先陣を切ったという既成事実が欲しかったようです。
徳川の力で戦いに勝った!!と。。。

直政の抜け駆けによって火ぶたが切られた関ケ原の戦い・・・。
一進一退の攻防の中、西軍の二人の武将が寝返ります。
一人は吉川広家!!
南宮山にいた毛利軍3万を足止めにしました。
もう一人は松尾山に陣取っていた小早川秀秋。
戦が始まって4時間後、味方である西軍にいきなり襲い掛かりました。
これをきっかけに一気に東軍優勢!!
この二人の行動の裏には、直政の影が・・・
事前に盟友・黒田長政を通じて寝返るように説得していました。

戦いが始まってから6時間後、東軍勝利が確定!!
ところが、直政を悲劇が襲います。
西軍の島津義弘の軍勢が、家康の本陣に突撃してきたのです。
敵中突破を図る”島津の退き口”です。
殆どの武将たちが島津に道をあける中、直政は・・・徳川の名に傷がつくと追撃・・・
直政は鉄砲で撃たれ、重傷を負ってしまいました。
怪我を負いながら家康の陣に戻った直政は、真っ先に松平忠吉の手柄を報告したと言います。
軍旗違反のリスクを犯しながら、忠吉に殊勲の機会を作り、命がけで徳川のために戦い抜いた直政に、労をねぎらう家康。。。

戦が終わっても、直政には多くの仕事が残っていました。
関ケ原の戦いでの西軍の武将たちの処遇です。
他の家臣たちが厳しい態度で臨む中、直政は敵として戦った武将たちの話を聞き、家康との交渉に粘り強く接します。
西軍の総大将・毛利輝元は、全ての所領を没収されるはずでしたが、120万石から30万石の減俸で済みました。
石田三成に対しても、処刑される直前まで手厚く面倒を見ました。
遺恨を残さないことが、徳川の安泰をもたらすと考えていたのです。
そして、直政自身は、近江国・佐和山18万石(彦根)を拝領。
その場所は、江戸に本拠を置く徳川に代わって、西国大名を見張る重要な拠点でした。
家康はその役目を全幅の信頼を置く直政に任せます。

が・・・2年後、直政は、関ケ原の傷が元で、42歳でその生涯を終えることとなるのです。
直政の死後、井伊家は、譜代大名筆頭となり、桜田門外の変でおなじみの井伊直弼をはじめ、大老を5人も排出。
直政は、徳川になくてはならない井伊家の礎を築いたのです。

「成敗利鈍に至りては 明の能く逆め賭るに非ざるなり」by直政

家康への義を尽くし、筆頭家臣にまで上り詰めた直政の人生は苦難の連続でした。
しかし、ひるむことなく突き進むチャレンジ精神こそが、名将と呼ばれる所以なのではないでしょうか?


↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村

戦国時代 ブログランキングへ

マンガで読む井伊直政とその一族 [ すずき孔 ]

価格:1,058円
(2017/9/5 21:09時点)
感想(2件)

赤鬼直政 徳川四天王井伊直政の生涯 [ 市橋章男 ]

価格:1,296円
(2017/9/5 21:09時点)
感想(0件)

赤鬼直政 徳川四天王井伊直政の生涯 [ 市橋章男 ]

価格:1,296円
(2017/9/1 17:29時点)
感想(0件)



今川の意に逆らって、自らおんな城主となった直虎は、あの手この手で内政を立て直し、その一風変わったやり口は、人々の頼りとされることとなり、遂には気賀を手中に治めることに・・・
しかしその裏で、もう一人の女子が熾烈な戦いを繰り広げておった。
ということで、今回は、寿桂尼さまの回のようです

ま、本当は、直虎よりもこの人の方が、おんな城主として戦国大名達と渡り合ったイメージが強いですね。
なので、大河が直虎となった時、おんな城主ならこっちの方がエピソード多いのにな・・・??って思った寿桂尼さんです


武田に孫・鈴を取り返しに行く寿桂尼です。
義信の妻(氏真の妹)・鈴は、夫亡き後も買いに留め置かれていたのです。

鈴はどうなるのか・・・??

使者として寿桂尼がやってきたと聞いた信玄は・・・ビックリ!!

「心の臓がいかれておったのではなかったのか??
 化け物か、あの婆は・・・!!」by信玄

naotora2
















駿府に返してもらえるように頼む寿桂尼ですが・・・チクリと一言!!

「そうそう、今日にいらっしゃる御父上、便りはございます?
 
 お父上は、織田方ともよろしくお付き合いをしておられるようですよ?
 老婆心ながら、そなたほどのお方が、尾張の若造に足をすくわれませぬように・・・」by寿桂尼

naotora5
















「ご忠告、痛み入ります。。。」by信玄

と、バチバチの二人です。
そうね・・・こんな大河が見たいって感じかな・・・??

naotora3











武田ではどんな感じだったか聞く氏真ですが・・・
ポジション的に、鈴は返してもらえないだろうと推測する寿桂尼・・・
ではどうして行ったのか・・・??
それは、北条に仲介を頼む前の布石だったのです。

老体に鞭を打って北条にも向います。
自らの哀れな姿を晒すことで、同情をひく作戦です。
壊れかけた心の臓を抱えた寿桂尼の、命がけの奔走が功を奏し、北条の仲裁によって、鈴とその娘は北条に戻されることになりました。

その条件は・・・武田に誓詞を出すこと・・・!!

誓詞を出すことに怒りだす氏真ですが・・・

「お見苦しや太守様!!泣き言を言うたものから負けるのです。 右筆を・・・!!」by寿桂尼

と、どすを利かせる寿桂尼です。

これにて一応の決着をみることになったものの・・・自分が必要なのか??と、いじけてしまう氏真は、現実逃避に走ったのでした。

気賀を手に入れた直虎は、堀川城落成!!

上代になったのはなんと方久でした。
全く変わらない気賀・・・願ったり叶ったりの商人たちです。

naotora1


















そこへ龍雲丸がやってきました。
ビミョーな複雑な雰囲気の直虎ですが、そんな女子的な直虎は必要ないんですけど・・・もうやめてくんないかな・・・。

いじけてジオラマで遊んでいる氏真・・・
上杉との盟約が整ったと寿桂尼。
書状は太守様にお考え頂きたい・・・と言うものの・・・花押は押すと言う氏真・・・。
ま、氏真をすっ飛ばしていろいろ動いた寿桂尼が悪いんでしょうが。。。
こんなに賢い寿桂尼なのに、孫の教育はしっかりとやっていなかったのかな??
太原雪斎何やってんだろ・・・??

「いつまで居れるかわからぬのです・・・」by寿桂尼

過労がたたったのか、倒れてしまう寿桂尼。。。
ちゃんとできる??氏真・・・??

おばば様のために、昔の栄光を・・・美しい調べと踊りを・・・宴を・・・
安心して冥途へ行けるように・・・。

今川の栄光の世が・・・そこにはまだ子供だった氏真・・・そして、寿桂尼にとっての大事な息子・義元も・・・!!

何をなすべきか・・・決意の氏真でした。

寿桂尼に呼び出された直虎・・・

naotora4

















初めてであった時のこと・・・
後見を許してもらった時のこと・・・

「そなた・・・あれをどう思うておる?」by寿桂尼

「あれとは・・・??」by直虎

「直虎のことじゃ・・・
 恨むなという方がむりであろうの・・・
 今でも恨んでおろう??」by寿桂尼

「家を守るということは、綺麗ごとでは達せられませぬ。
 狂うてでもおらねば、己の手を汚すことが愉快なものなどおりますまい。
 汚さざるを得なかったものの闇はどれほどのものか・・・」by直虎

共感できるほとんどおんな城主だった寿桂尼と、今おんな城主直虎・・・
二人はわかりあった・・・

と思いきや・・・!!

離反相次ぐ今川で、粛正の風が吹き始めました。
そう・・・寿桂尼の作ったデスノートには・・・井伊家も・・・!!

信用できない理由は、

「あれは・・・家を守るということは、綺麗ごとだけでは達せられぬと言うたのじゃ。
 いつも我が己を許すために、己に吐いておる言葉じゃ・・・
 おそらく同じようなことを、常日頃思うておるのであろう・・・
 我に似た女子は、衰えた主家に義理立てなど決してせぬ・・・!!」by寿桂尼

「では・・・井伊については、筋書き通り・・・」by氏真

ということで、井伊をどうにかしてしまいそうな今川です。

武田、今川、上杉・・・戦になりそうな雰囲気ですが・・・徳川次第と踏む南渓和尚。

どうする・・・徳川・・・??

ということで、この回は、とっても面白かったと思います。
とりあえず、いつも戦国の最初に義元が死んで終わっちゃう今川家のことが詳しく知ることができました。
策略、謀略がないとのし上がれないし、生き馬の目をぬくこともできないし、生き残れないから~~~!!
なんだか知らないけど、誰かが助けてくれるような少女漫画大河よりも、こんな大河が見たいと思うのです。

やっぱり大女優は違うのかしらね??
浅丘ルリ子さん、黒くって、何考えてんのかわかんないところが、とってもかっこよかったです。


↓ランキングに参加しています。
↓応援してくれると励みになります。

にほんブログ村

戦国時代 ブログランキングへ

侍・和柄・戦国武将Tシャツ(井伊直政)【大河】【赤鬼】【徳川】【送料無料】【お土産】【プレゼント】【半袖】

価格:1,620円
(2017/9/1 17:29時点)
感想(0件)

【送料無料】井伊藩主シリーズ 直虎~アップルテイスト炭酸飲料~330ml瓶×1ケース(全24本)【井伊直政】【井伊直虎】【彦根城】【サイダー】

価格:6,060円
(2017/9/1 17:30時点)
感想(0件)

このページのトップヘ