《大阪城天守閣所蔵》 童門冬二が読み説く十二人の戦国武将の書状と物語 第六巻 運命の章 石田三成/小早川秀秋 SBDV-0006 [DVD]

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小早川秀秋・・・彼は、豊臣秀吉の正室・おねの甥で、幼い頃養子となりました。
10歳で丹波国亀山城10万石を与えられ・・・その後秀吉に実子・秀頼が生まれたので小早川隆景の養子に出され、その後継者となりました。

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出されたとはいえ、秀吉は秀秋をかわいがり、筑前国名島36万石の大名にしています。

慶長の役では、総大将として渡航。
しかし、この時戦略を巡って石田三成と対立し、軽挙に出てしまいました。
秀吉はこの事を怒り、秀秋を処罰しようとします。


が・・・家康がその場をとりなし秀秋を助けたのです。
そう・・・家康が恩を売ったのでした。

慶長5年7月、秀秋は西軍に属し、家康軍の武将・鳥居元忠らが守る山城国伏見城を攻撃します。
その一方で、秀秋は密使を送って家康側と通じ、伏見落城後は病気療養を理由にして、近江国高宮に陣を置いたのです。

9月14日、秀秋のもとに書状が届けられました。秀頼が15歳になるまで秀秋に関白職を委ねたい。。。
播磨国を加増するなどの条件を記した誓約書です。
三成と小西行長の連名で、秀秋に再度出馬を申し入れたのです。

拒否し続ければ、西軍に包囲されるかも???

秀秋はこの要請を承諾してしまいました。
再び家康と内通し、戦が始まれば東軍に寝返ると・・・内応していました。


9月15日、関ヶ原の決戦の火蓋が切られました。
東西両軍は攻防を重ねます。。。が・・・
正午近くになっても小早川軍は日和見を続け・・・行動を起こす気配が全くなし!!
そこで、西軍は狼煙をあげて秀秋に戦闘への参加を促します。

「あの小倅に謀られたか・・・??
 金吾の陣に向け、鉄砲を撃て!!」

と、命じました。
金吾???金吾とは、秀秋の通称で・・・「金吾中納言」から来た呼び名です。

その銃撃で秀秋は意を決し、正午過ぎ、小早川軍1万5000余りは東軍に寝返り、家康を勝利に導いたのです。

秀秋は戦功の恩賞として、備前岡山城主となったのです。
しかし、わずか1年でその生活も終わりを迎えることとなります。

諫言した家老・杉原紀伊守を殺すなどの乱行ぶりが伝えられ、さらに国政が乱れていきます。

家老の稲葉正成、平岡頼勝らも秀秋を見限って出て行ってしまいました。

若くして大封を与えられたプレッシャーから、関ケ原の合戦における自らの行動に対する悔恨からか、さまざまな要因も絡みノイローゼ気味に。。。

頼れるべき家臣もおらず、それも災いし。。。
関ケ原の合戦からわずか2年後、秀秋は21歳という若さで病死しました。

世間からは、裏切り者のレッテルを張られた哀れな最期でした。
なお・・・小早川家は子供が居なかったために断絶となっています。

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