ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男【Blu-ray】 [ ゲイリー・オールドマン ]

価格:3,585円
(2019/1/5 10:18時点)
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世界の経営者が尊敬するリーダーは・・・??
ある会社の調査の1位は、第61代イギリス首相ウィンストン・チャーチルです。
ナチスドイツに勝った不屈の精神、イギリス国民を鼓舞するスピーチ力、そのチャーチルの人生は、失敗と挫折、敗北と失望の連続でした。
イギリス屈指の政治家とされるチャーチルは、政治家以外にも様々な顔がありました。
権威あるロイヤルアカデミーで展覧会を開いた画家の顔、生涯で30冊以上の本を書きノーベル賞を受賞したノーベル賞作家、レンガ職人の組合に加入し、自らの家の壁を作ったレンガ職人の顔・・・。
失敗と挫折を繰り返し、それでも首相を目指したチャーチル!!

イギリス国民にウィニーという愛称で親しまれたチャーチル・・・
半世紀以上が過ぎた今でも、そのドラマや映画が作られています。
第二次世界大戦でイギリスの首相として国の命運を握ったチャーチル。
ヒトラー率いるナチスと和平交渉をするか?それとも徹底抗戦するか??決断を迫られます。

「我々は野原や市街で戦い丘で戦う
 断じて降伏はしない・・・!!」

チャーチルのこの一言で、ドイツが優勢だった戦いを変えることとなります。
この時、チャーチル65歳、初めて首相になった遅咲きの政治家でした。
若い頃のチャーチルは、親も見放すほどの・・・親も見放すほどの不良の落ちこぼれでした。

イギリス、オックスフォード郊外にあるブレナム宮殿・・・チャーチル家の屋敷です。
チャーチル家は、150年続いた貴族の家柄でした。
1874年、チャーチルはこの宮殿で生まれました。
父・ランドルフは後に財務大臣を務めた政界の貴公子。
母・ジャネットは、ロンドンの社交界でも有名な美人でした。

1881年7歳で名門貴族の通う寄宿学校に入れられたチャーチル。
通信簿には遅刻20回・・・恥ずべきこと
常にトラブルの元凶で、喧嘩が絶えない・・・
無ず子の通信簿を見た父は・・・
「お前は負け犬のひとりとなり、みすぼらしく不幸で不毛な存在に堕落するだろう」と言ったといいます。
しかし、どんなに冷たくされてもチャーチルは父を尊敬し、憧れていました。
演説原稿を読んだり、父ののった新聞を集めたり・・・どうしたら父のようになれるのか考えました。
父親から突き放された息子・・・しかし、優しく接してくれるはずの母も冷淡でした。

チャーチルが寄宿舎から母に書いた手紙が残っています。

「どうぞ、ぜったいぜったいぜったいぼくに会いに来てください
 ぜったいです」byチャーチル

そんなチャーチルの心の孤独を癒したのが、おもちゃの兵隊でした。
チャーチルは人形の兵士を動かしている時だけは夢中になれました。
その姿を見た父・ランドルフは、軍人よりも向いているのでは??と、軍人を勧めます。
なんとか、士官学校に入学することのできたチャーチルは、19歳になったある日・・・
父・ランドルフが演説の途中で言葉に詰まります。
原因は、脳に至る重い病気でした。
1895年、ランドルフ、45歳で死去。
目標とする偉大な父が、突然消え去りました。

「私はいまや己自身が運命の主人となった」

士官学校を卒業したチャーチル・・・初めて自らの意思で選んだのは、戦争でした。
イギリスは、大英帝国として栄華を極めていましたが・・・19世紀末から植民地の独立運動が勃発!!
武力反乱もしばしば起きていました。
チャーチルはその反乱を抑えるべく、インド・スーダンなど戦地を転々とします。
最前線で、敵の弾丸をよけない命知らずな行動で、頭角を現していきます。
チャーチルを突き動かしていたものは、亡き父に自分の実力を証明したいという願望でした。
そしてチャーチルは、リスクを冒すことを恐れない人物でした。
彼は、地震の名をあげることに強い意志を持っていて、それが一番大事で、身の安全、経済的な安定は二の次でした。
戦線を転々としながら夢中で読んだ本は父も愛読していた「ローマ帝国衰亡史」でした。
大英帝国の行く末に危機を抱くチャーチルにとって、ローマ帝国の衰退は他人事ではありませんでした。

「我が人種の力と活気は衰えることなく、先祖から引き継いだ帝国を保持していくことを我々は決意ぢている」byチャーチル

大英帝国を保持する為に自分はどうすればいいのか??
戦場から帰ってきたチャーチルは軍陣をやめ、父と同じ政治家を志します。
24歳で下院議員に立候補!!
しかし、実績も知名度もないチャーチルは落選!!
とにかく知名度をあげなくては・・・!!

その時、チャーチルが目をつけたのは、南アフリカでおきていたボーア戦争でした。
イギリスが新たな植民地獲得のためにオランダ系のボーア人に対して起こしたものです。
チャーチルは新聞社と契約し、従軍記者として現地へ!!
ところが、チャーチルは現地で捕らえられ捕虜となってしまいます。
3週間が過ぎた頃・・・仲間と脱獄を試みます。
しかし、看守の目を脱獄できたのはチャーチルだけ・・・
敵地でのたった一人での逃亡が始まりました。
チャーチルは密かに列車に乗り込んで・・・目指すは500キロ先のポルトガル領モザンビーク!!
脱走してすぐチャーチルには追手がかかり、懸賞金もかけられます。
このまま易に行ってはあぶない・・・列車から飛び降り・・・脱走から2日間眠れず、何も食べていない・・・
一か八か、一軒のドアをたたきました。

「私はイギリスの特派員です。
 捕虜収容所から逃げてきました。
 助けてください。」byチャーチル

「君は家に来てよかった。
 うちだけだ、子の辺りで君を敵に引き渡さない家は・・・!!」

男は現地に帰化した元イギリス人・・・この地で数少ない味方でした。
捕虜の身から脱獄し、イギリスに生還したチャーチル・・・
イギリスではこぞって英雄として取り上げられました。
図らずも抜群に知名度を上げたチャーチルは、立候補し、下院議員に初当選しました。
1900年、25歳の時でした。

亡き父の背中を追って政治家となったチャーチル・・・
しかし、65歳で首相になるまで何度も失敗を犯し、政治生命を絶たれかけます。
33歳の時、人生を変える女性が表れます。
1908年クレメンティーンと結婚
9歳年下と妻は、生涯チャーチルに安らぎを与えてくれました。
そして5人の子供に恵まれます。
チャーチルとクレメンティーンの関係は非常に重要で、妻は彼にとって岩のような存在でした。
世界が変わりゆく中で安定した存在でした。
そして彼が誤った選択をしたとき、過ちをはっきり指摘することができる数少ない人物でした。
益々仕事に打ち込んだチャーチル・・・
1911年36歳で海軍大臣に抜擢されます。
1914年第1次世界大戦勃発!!
イギリスは連合国としてドイツに宣戦布告します。
チャーチルはドイツに大打撃を与えるべくガリポリ作戦を発案します。
目標はトルコ・イスタンブールの占領。
黒海とエーゲ海を繋ぐ要所を押さえてドイツの補給路を断つ作戦でした。
ところが・・・イスタンブールを望むガリポリ半島に上陸しようと試みた英仏連合軍は、6万もの犠牲者を出して大敗・・・。
この事態を受けて作戦の立案者のチャーチルに避難が殺到します。
チャーチルは戦争にもかかわらず、海軍大臣を辞任!!
妻への手紙に、不可解な文章を書いています。

もし私の黒い犬が戻ってきたら、今のところはずいぶんと遠くに行っているようで、それにはほっとしている

チャーチルは犬を飼っていませんでした。
チャーチルは、彼にしか見えない黒い犬に怯え、悩まされます。
この黒い犬とは・・・??
1915年、彼は非常に気が動転し、落ち込みました。
彼の精神状態を言い表すなら、死別とか、喪失とか、悲観・・・
これらは、うつのような症状ですが、病気ではありません。
海軍大臣という要職を奪われたことが、彼の心を砕き、落ち込ませたのです。
大臣の座を追われたチャーチルは、妻の勧めもあって、田舎で静養します。
やがて、目に映る自然や風景を描き始めました。
無心に何枚もの絵をかきます。
後にその心境を表現しています。

「絵の女神が私を救いに訪れた」

気力を取り戻し、ロンドンに戻ったチャーチル・・・この時40歳。
大臣を辞任し、政治生命を絶たれたに同然でした。
今の自分にできることは・・・一兵士として再び戦場へ・・・!!
大臣まで務めた人物が最前線に行くのは異例のことでした。
死と隣り合わせの塹壕の中で不思議な高揚感に襲われます。

「防衛区域のただ中では、土から死者の足やら服が飛び出していて、広範囲に墓が散らばっているようだし、どちらを見ても水や泥だらけだ。
 これに、湿気、寒さ、あらゆるささいな不便が加わっているが、私はこの数か月感じたことのない幸せと充足を感じている。」

1918年11月ドイツの降伏で終戦。
イギリスは勝利したものの90万人の戦死者を出し、膨れ上がる戦費が生活を圧迫し、4年後の選挙ではチャーチルの所属する自由党は大敗し、議席を失うことに・・・!!
それでもチャーチルは諦めません。
2年後の1924年恥も外聞もなく敵の保守党に鞍替えして出馬、下院議員に当選!!
そして、チャーチルが生涯最もうれしかったのが父・ランドルフと同じ財務大臣に就任します。
この時、49歳でした。

1939年第二次世界大戦勃発!!
イギリスは再び連合国としてナチスドイツと対決します。
その大戦のさ中・・・イギリスの首相となったのがチャーチルでした。
対戦当初、ドイツは破竹の勢いで各地を侵攻、フランス・パリも占領し、英仏海峡までやってきました。
イギリスが降伏すれば、ヨーロッパ全体がヒトラーの手に落ちるかもしれない・・・!!
絶体絶命の危機の中、チャーチルはどうやってイギリスを勝利に導いたのでしょうか??

第一次世界大戦で敗れたドイツは、壊滅的な打撃を受け国民の生活は困窮を極めました。
そんな中、ヒトラーのナチ党が台頭します。
1933年ヒトラーはドイツの首相に就任。
2年後、再軍備を宣言します。
この時、イギリスは一旦抗議するものの、ドイツの再軍備を追認しました。
ドイツを封じ込めるのではなく、譲歩することで取り込もうとしたのです。
しかし、チャーチルは違いました。
1932年にドイツを訪問し、ナチ党が独裁の道を着々と歩んでいることを目の当たりにしていたからです。

「私にはドイツ再軍備は冷酷で不気味さを帯びているように思われた。
 それはきらめき、そしてギラギラと光っていた。」

チャーチルはイギリスの政治家の中で、アドルフ・ヒトラーの脅威に最初に気付いた一人でした。
ヒトラーがヨーロッパのバランスを崩して、再び世界を戦争状態に戻そうとしていると早くから感じ取っていました。
1939年9月、ナチスドイツがポーランド侵攻
イギリス、フランスがドイツに宣戦布告し、チャーチルはまたもや海軍大臣に就任します。
そのわずか9か月後、ドイツはオランダ・ベルギーに侵攻。
チャーチルが指摘した脅威は本物となっていました。
1940年5月・・・ヒトラーの危険性をいち早く唱えたチャーチルが首相に任命されました。
65歳の時でした。

「ついに私は、全局面にわたって指導していく権力を握ったのだ。
 私は運命と共に歩いているかのように感じた。
 そして、過去の私の生涯は、全てただこの時、この試練のための準備に過ぎなかった。」

ナチスドイツの対抗するためには、国民の士気を高め、野党を取り込む必要がありました。
イギリスを一つにまとめ上げる!!
チャーチルは、演説の準備を周到に行います。
6月4日、下院の議場に立ち、野党の議員を前に演説をはじめました。

「我々はいかなる犠牲を払っても、英国を守り抜く
 海岸で上陸地点で戦い 野原や市街で 丘で戦う
 断じて降伏はしない!!」

議場は歓喜に包まれたといいます。
チャーチルの就任後、それまでは入閣を拒否していた議員たちも政権に参加!!
パリを占領したナチスは、遂にイギリス本土に本格的な攻撃をはじめました。
爆撃機にとるロンドンの無差別空襲!!
多くの市民が犠牲となりました。
瓦礫と化したロンドンを歩くチャーチル・・・みなを励まして回ります。
チャーチルは、どんな場所でも帽子、葉巻、ステッキを崩すことはなく、その姿に国民は「イギリスはまだ大丈夫!!」と感じたといいます。

「大英帝国と共に、我々は降伏することなく戦い続けるだろう
 ヒトラーの呪いが人々の頭上から消え去るまで!!」

チャーチルはドイツ軍の具体的な策も実行します。
最新鋭のレーダーを配備!!ドイツ軍の爆撃機を迎え討つ体制を整えます。
1か月以上の戦闘で、イギリスはドイツ軍1,400機を撃墜!!
ロンドンの空からドイツ軍を追いだすことに成功しました。
ロンドンは守ったものの、大陸ではドイツ軍が優勢を誇っていました。
そこでチャーチルは、アメリカのルーズベルト大統領と会談!!
アメリカの参戦を要請します。

毎日の執務時間17時間、睡眠は3時間!!
自宅に帰っても外交文書の口述を続けました。
それでも、昼からシャンパンを欠かさず、日に10本の高級葉巻をくゆらし、夜にはウイスキーやブランデーを・・・
心臓発作で倒れても、生活は変えませんでした。

1941年12月アメリカが参戦し、ドイツに宣戦布告!!
形勢を一気に逆転させるためには・・・??
ノルマンディー上陸作戦!!

連合軍が英仏海峡のフランス・ノルマンディーに上陸し、ドイツの防御網を突破しようというものです。
この勝負に負ければ、イギリスは二度と立ち上がることはできないかもしれない・・・!!
チャーチルは、作戦実行前夜、イギリスの拠点・ポーツマスまで見送りに行ったといいます。
1944年6月6日、ノルマンディー上陸作戦・・・4000隻を超える大艦隊、史上最大の上陸作戦が実行されます。
ドイツ軍との激しい戦闘の末、連合軍は上陸に成功!!
ここから反撃が始まりました。
連合軍はドイツ軍を次々と撃破!!そして、1945年5月、ベルリンが陥落し、ドイツは無条件降伏!!
チャーチルの戦争はようやく終わりました。

チャーチルはイギリスが勝利することで、戦う以前の大英帝国の状態に戻ることを期待していました。
ところが、戦勝国の会議で主導権を握ったのは、アメリカのルーズベルトとソ連のスターリンでした。

「私の左側には手足を思い切り伸ばしたロシアの大熊、右側にはアメリカの大きな象がいた
 二頭に挟まれ、哀れな英国の小さなロバはただ一人、正しい道を知っていた」

イギリスの領土要求は不調に終わったばかりか、かつての大英帝国の植民地も独立の道を歩み始めます。
チャーチルの目指した栄光は幻となってしまったのです。
更に選挙でも保守党は敗退・・・首相の座を追われたとき、70歳になっていました。
引退を考えてもおかしくないのに・・・野党の党首として働き続けます。

「いま、政界を引退したら、2度と戻ってくることは出来ない」

チャーチルは、地震の影響力で冷戦の緊張緩和が得られると信じていました。
東西冷戦の中で、イギリスの影響力を保持する為に、自分にできることがあると信じました。
第二次世界大戦後の世界は、ソ連を中心とする社会主義陣営とアメリカを中心とする資本主義陣営の冷戦状態にありました。

チャーチルは、東西の冷戦を「鉄のカーテン」と表現し、その西側にいる我々は団結するべきだ!!と、主張します。
現在のEU構想をいち早く唱えたと言われています。
活動を続けること6年・・・チャーチルに幸運が・・・政権与党への不満が爆発し、野党が政権をとり1951年、76歳にして再び首相に返り咲きます!!
しかし議会では、老害、引退すべき・・・との発言が・・・
新聞記者にいつ引退するのか聞かれたチャーチルは、
「私の健康が本当に衰えて、大英帝国が本当に元気を取り戻したらね。」と、答えました。

そんな中、思いもよらない出来事が・・・ノーベル文学賞の受賞!!
自らの著書、「第2次世界大戦」が戦争当事者の貴重な証言として高く評価されたのです。
チャーチルは序文に書いています。

「過去に深い考慮を払うことが来るべき日の手引きとなり、未来の恐るべき光景を抑制できることを私は心から願っている」

ノーベル賞の受賞で、まだまだ元気と思われていたチャーチルでしたが・・・耳が遠くなり、閣議の答弁も失敗するように・・・
1955年、80歳になったチャーチルは、周りに促され遂に引退を受け入れます。
首相官邸を去る前日・・・妻・クレメンティーンと共にエリザベス女王から直々に労いを受けたのです。
それから10年後の1965年1月24日、ウィンストン・チャーチルは90歳で激動の人生にピリオドを打ちました。 

奇しくも父親が死んだ人同じ日でした。
1月30日の国葬にはチャーチルを慕う30万人の国民が参加。
チャーチルは人生を振り返ってこうつぶやいています。

「いい旅だった
 旅に出た価値はあった・・・1度だけなら」byチャーチル

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