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タグ:ロシア

人生を二度生きるーー小説 榎本武揚【電子書籍】[ 童門冬二 ]

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北海道宗谷岬から見えるのは、サハリン・・・樺太です。
1869年、ここで日本とロシアが緊張関係になりました。
ロシア軍が、樺太南部に上陸!!
日本人たちの目の前で、軍事基地を築き上げ、それに抗議する役人たちを連行したのです。
当時、樺太は、日本とロシアの雑居地・・・つまり国境がありませんでした。
主に北部でロシアが、南部で日本が活動していました。
そこに、ロシア軍が南部まで進出!!
ロシアは樺太全域を支配すべく行動を起こしたのです。
この問題を解決すべく、日本を代表してロシアと交渉したのが榎本武揚です。
当時、日本で数少ない外交のプロフェッショナルでした。


明治初期の千島列島・・・
ウルップ島に日本人は僅か30人ほど・・・。
千島列島の寒さは厳しく、島々にクラスのは、先住民と限られたロシア人のみでした。
農作物にも適さない島々・・・狩猟や漁業、産物の交易が主な産業でした。
1874年より1年間、その千島列島をロシアから譲り受ける外交交渉を行ったのが、特命全権公使・榎本武揚です。

榎本は、明治政府の中でも異色の男・・・。
1863年・・・榎本28歳・・・
幕末の激動が高まる中、日本を離れて世界的な海洋国家オランダに留学していました。
徳川家の家臣だった榎本は、海軍の幹部候補に選ばれ、軍事技術を学んでくるように命じられました。
この留学中、榎本は学問・・・海に関わる国際法の研究所「海律全書」に出会います。
ヨーロッパの海洋国家が積み上げてきた国際ルールの解説書です。
外国との接触の多い港や船で、国際問題になるようなことがあった場合に、どのような権利、義務が発生するのか?平和時と、戦争時に分けて解説したものです。

榎本は、この海の国際法によって、西洋列強の強さの土台には、軍事力だけでなく法律に基づく力があることを学びます。
これが榎本の大きな武器となるのです。

1867年、榎本32歳・・・
およそ5年間の留学を経て、日本の大転換期に・・・!!
徳川幕府が消え去り、後の明治新政府が樹立。。。
しかし、榎本は時代の流れに抵抗し、日本最強の軍艦・開陽丸での艦長となると、新政府の支配下にはいることを拒絶し、旧幕府艦隊を率いて江戸を離れ北へ・・・!!

当時、蝦夷地と言われた北海道の国際貿易港・箱館。。。
榎本は西洋式の城・五稜郭を拠点に、海軍と旧幕府勢力を結集、明治政府に対抗する政権を打ち立てようとしました。
箱館の政権を守るために榎本が用いたのは、軍事力だけでなく、国際法を最大限に駆使!!

諸外国に対し・・・「我らを交戦団体として認めよ!!」
交戦団体とは、政府と同じ政治や外交能力、国家に準ずる地位を国際的に認めさせようとしました。
これを認めれば、外国勢力は中立をしなければならず、明治政府に肩入れすることはできない・・・。

しかし、外国勢力・・・イギリス公使・パークスは、既に明治政府を後押ししているので、榎本の要求をはねのけます。
ここで榎本は・・・国際法の隙をつきます。
榎本は、箱館にいるイギリスやフランスの軍艦の艦長に通告します。
「我等には、外国の商船に対して、臨検が認められる。
 そのために、船に乗り込ませよ。」
臨検・・・函館を訪れる外国船に対し、積荷の検査ができるというものです。
密貿易の取締のため、イギリス・フランスの艦長は、その一部を認めます。
しかし、、、榎本の真の狙いは臨検ではなく・・・臨検は「交戦団体」に与えられる権利でした。
つまり、箱館政権は、臨検の権利を得たことで、
「交戦団体」と主張することができるようになるのです。

国際法を熟知しした、榎本の交渉が・・・巧みな外交手腕が、西洋列強を相手に発揮されたのです。
しかし・・・
1869年5月、榎本34歳の時・・・夢は、軍事力によって潰されます。
開陽丸を事故によって失った箱館政府に対し、明治政府軍は総攻撃をかけ、五稜郭の軍勢は降伏・・・
榎本は、反乱の首謀者として捕らえられてしまいました。

国のため、人々のために、自分が学んできたことは、本来尽くさなくてはいけない・・・

胸に秘めた新国家建設・・・それがかなわない現実・・・榎本は、国家への反逆者として明治の代を過ごすはずでした。
1872年、37歳の時、榎本は反乱の罪を許され出獄!!
豊富な国際知識を惜しまれてのことでした。
まもなく政府首脳の呼び出しで中央政界に・・・!!
招いたのは、明治政府を率いる内務卿・大久保利通でした。
背景には、この時幕府が抱えていた外交危機がありました。

それは・・・北方の島をめぐるロシアとの問題でした。
宗谷岬から海を挟んで僅か40キロ・・・そこに北海道に匹敵する島・サハリン・・・樺太が・・・!!
この樺太は、江戸時代後期には、主に北部はロシア人が、南部では日本人が先住民と交易や漁業を行っていました。
特定の領土にはなっておらず、日露両国がともに治めあう雑居地に位置付けられていたのです。
国境もないままでした。
ところが明治初期・・・状況が急変。
樺太の南端・・・宗谷海峡に面した函泊は日本の影響下でしたが・・・
そこに大砲の収蔵庫、火薬庫・・・ロシアが突然築いた軍事基地が・・・!!
数百人の兵士が駐屯し、海上交通の要衝・宗谷海峡を監視しました。
ロシアは、樺太に国境がないことを口実に、軍を南部に進め、志摩すべてを手に入れようとしたのです。
この緊急事態に、明治政府は外交交渉を行い、樺太の領有について明確にする必要がありました。
そこで、ロシアとの大切な交渉を、大久保は榎本に任せたのです。
日本の命運が、榎本の外交手腕に任されたのです。

1874年3月5日、榎本に下された政府の命令書には・・・
ロシアとの交渉方針が明確に描かれていました。
①樺太の雑居を排し、境界を定ること。
②樺太で境界が定められず、島すべてをロシアが有する時、樺太と同等の釣り合う地を日本に譲らせること。
③その釣り合うべき地とは・・・「ウルップ島」よりカムチャッカ」に連なる「キュリル」諸島である。

まず、樺太の中で日本とロシアとの国境画定を目指す!!
次に国境画定が失敗し、ロシア領となり日本が手放さなくてはならなくなると、日本が樺太から失う権益の代償として、ロシアから千島列島すべてを譲らせるということです。

ここに、明治政府が国内で抱える深刻な問題がありました。
それが、不平士族の存在でした。
新しい国づくりが進む明治の世・・・士族は特権を次々と失っていっていました。
明治政府に不満を抱く氏族たちは・・・政府がロシアとの間で弱腰外交を行えば、怒りを爆発させて大きな反乱が予想されていました。
一方、樺太と千島列島を交換し、ロシアと対等な条約を結んだとすれば、明治政府の権威は守られる!!
しかし、この要求をロシアが飲むかどうかは未知数でした。
極めて実現困難な外交交渉・・・

1874年6月、榎本は、ロシアの都サンクトペテルブルクへ・・・
11月14日・・・外務省の一室で、日露国境交渉が始まりました。
榎本は、樺太の権利について・・・
「我が国は、樺太島の上で、両国、公平な教会を定めることを望んでいる。」
ロシアの代表は、ロシア外務省アジア局長のストレモウーホフ。
「全島を所望!!」
ロシアは、樺太で国境をひくのではなく、樺太すべてを主張しました。
そして・・・
「日本には、代償を用意する。」
好かざす榎本はかみつきます。
「帰国がいう代償とは、ウルップ島と1,2の小島だけであろう。
 これでは樺太ととても釣り合いませんぞ!!」by榎本

幕末、江戸幕府が国境交渉を行った際に、ロシア側が樺太の代償としてウルップ島案を提示していました。
幕府は拒絶していたのです。
榎本は、このことを思い、先手を打って、ウルップ島の名前がロシア側から出るのを拒否!!
ストレモウーホフは、思わず黙り込む・・・
榎本は、あくまで樺太で国境を!!
「私は、樺太で国境をひくこと以外、本国の命令を受けておりません。」

相手から妥協案を引き出そうとします。
国交交渉の初日、榎本は終始議論をリード・・・
樺太で国境をひく案を、ロシア側に持ち帰らせることに成功!!

ロシアが樺太国境案を受け入れるかどうか・・・
皇帝アレクサンドル2世にかかっていました。

1875年1月2日、第2回国交交渉。
ロシア側は、榎本が求めていた樺太で国境をひくということに対する皇帝の答えを・・・
「皇帝陛下は、海峡をもって両国の境とせよとの仰せであった。」
海峡とは・・・宗谷海峡のこと・・・樺太全島をロシアが領有するということです。
ここに・・・ロシアの野望、世界戦略が秘められていました。
ロシアは、不凍港の獲得と、勢力拡大を目指すため、南下してきていました。
これに反発したのが、世界各地に植民地を持つイギリスでした。

1853年ロシアはイギリスとクリミア戦争で激突!!
この戦いで、ロシアはイギリス軍に敗北・・・
10万以上の犠牲者を出し、南下政策を挫折していました。
この時のイギリスに対する苦手意識が、ロシアの東アジア政策にも影響していました。

イギリスは中国に植民地を持ち、東アジアに強大な影響力を持っていました。
明治政府の後ろ盾にもなっていました。
イギリスへの恐れが、樺太全土を・・・ということになったのです。

ロシアは、分割案を断固拒否!!
そこで・・・日本が雑居状態の樺太で得ていた権益を失うとなるとロシアは何をしてくれるのか・・・??
榎本の要求は・・・
「千島のうち、ウルップ島と近隣の3つの小島を日本のものとしたい。」
前回断っていたウルップ島と近隣の島を要求・・・。
この案ならば、ロシアとしても妥結可能・・・。
しかし、榎本が付けた言葉は想定外でした。

「加えて帰国の軍艦も樺太の価値に見合うだけ頂きたい。」by榎本

ロシア側にとってまさかの要求でした。
ロシアの海軍力を削減して、日本に軍艦を与えれば、南下政策に大きな影響が・・・しかも、樺太の価値に見合う軍艦の数は見当もつかない・・・
榎本の要求を受け入れるわけにはいかない・・・!!
ストレモウーホフは・・・樺太の代償となる領土としてロシア側の考えを伝えます。

「ウルップ島から500キロ北にある温ネコタン島までを譲る」というものでした。
樺太の価値を重大にアピールし続けた榎本の戦術に、千島列島のほとんどを手放すことに・・・!!

この機を見逃さず・・・

「樺太の代償として、カムチャッカまでの諸島をお譲りいただく。」by榎本

残りあと二つの島の譲渡を認めさせれば、樺太と千島列島を対等に交換という国内向けにもgood!!
しかし、「これは、軍が承知しない!!」
ロシアは、軍事的な理由で、榎本の追加要求を拒否!!
ロシア海軍は、オンネコタン島とパラムシル島の海峡を、太平洋への航路に利用していました。
これを日本に渡せば、海軍の航行の自由が奪われ、死活問題に・・・!!

「オンネコタン島までの案で妥結せよ!!」byストレモウーホフ

ここに榎本も策が尽き・・・あと一歩及ばず・・・。
オンネコタン島までで妥結するのか・・・??

領土問題を解決しなければ、日本とロシアはいずれ衝突する・・・
領土で妥協し、条約をまとめる・・・??
千島列島すべての獲得は断念する・・・??
国境が画定すれば、日露関係は安定する。
しかし、対等な領土交換だと国内にアピールできない・・・
政府に不満を持つ不平士族たちは、条約の破棄を訴えて反乱を起こすかも・・・??
別の妥結・・・??


明治政府の命令通り、領土の対等交換を求め続ける・・・??
ロシアに妥協しない・・・!!
千島列島すべての島を・・・!!
しかし、こんな要求をロシアが認めるのか・・・??
交渉決裂か・・・??
国境画定に失敗すれば、樺太南部、宗谷海峡などでロシアと軍事衝突・・・??

3月4日・・・大詰めを迎えた日露国境交渉・・・そこで榎本が選んだ道は・・・??

「キュリル全島をお譲りいただきたい。」

最後の局面で、再度千島列島すべてを譲るように迫ります。
前回、ロシアが拒否した案を、強硬に要求したのです。
榎本にはどんな勝算があったのでしょうか??

内々に他人より聞き込んだ事には、ロシア政府はもはや樺太の一案を早く片付けることを望んでいるとの事。。。

ロシアは、日本との国交交渉を早く解決したいと思っていました。
そんなロシア政府の機密情報を掴んでいたのです。
榎本が掴んだ機密情報の実態とは・・・??

当時のロシア政府は・・・2月5日、外務大臣のゴルチャコフが海軍に極秘の問い合わせを行っていました。
「どうしても必要な場合、ウルップ島からカムチャッカまでのクリル諸島を日本に渡すことができるだろうか?」と。
千島列島を重要航路とする海軍に、島をすべて日本に譲ってもいいか打診していたのです。
この案を飲めば、海軍は非常時に太平洋へ出る航路を失いかねない・・・
それでもゴルチャコフには、この交渉を早く終わらせなければならない理由がありました。

「今や皇帝陛下が日本との国境問題について速やかに解決するよう、おぼし召しである。」

皇帝アレクサンドル2世自ら、日本との国交交渉をすぐに妥結するよう求めていました。
皇帝がこの指示を出した背景には、日露交渉と同じ時期、国際情勢が急速に悪化していることがありました。
ロシアが忌まわしき宿敵・イギリスと再び激突する危険がある・・・!!

ヨーロッパでは、ロシアと結ぶドイツがフランスと開戦寸前でした。
背後に控えるイギリスとこれ以上関係を悪化させないよう、ロシア皇帝は働きかけようとしていました。
このことに全力で取り組むためには、日本との国交交渉をすぐにでも終わらせたい・・・
そんなロシアの内情を、榎本は的確につかんでいたのです。
ロシアに不利に働いている国際情勢を・・・!!
そんなロシア側に現れた焦りの様子を直接的に嗅ぎ取って、全千島の獲得に乗り出したのです。

3月24日、榎本に対し、ロシアの回答が示されました。

「ロシア国皇帝陛下は、クリル全島を日本国皇帝陛下に譲る・・・」

榎本は土壇場で、樺太放棄の代償として、ロシアから千島列島全島を譲らせることに成功したのです。
5月7日、交渉は最終的に妥結し、条約調印。

サンクトペテルブルク条約・・・日本では、樺太・千島交換条約と名付けられました。
大久保利通率いる政府は、「交換」という言葉を使い、条約の対等性を強調、国内の不満を抑え込んだのです。
こうして旧幕臣の榎本武揚は、日本政府の危機を救いました。

そして榎本はこの後も外務大臣などの要職を歴任し、近代国家の建設に身を捧げていくことになるのです。


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北朝鮮の脅威!!

年の初め、北朝鮮は水爆実験をし、翌月には長距離弾道ミサイルを発射、これを皮切りに弾道ミサイルを次々と・・・24発も発射、さらにワシントンD.C.を”核攻撃”するCGを作成・・・
建国記念日には5度目の核実験をし、核弾頭の小型化に成功し、ミサイルへの搭載へも可能となったと発表しました。
すぐここにある核の危機・・・暴走する北朝鮮・・・日本はどうする・・・??

張りぼてだった北朝鮮が、どうしてこんなに発展したのでしょうか??
核を自ら開発する能力を身に着けたのです。
今までは、ロシアやパキスタンに派遣したり招待して技術を提供してもらっていました。
ロシア、パキスタンは核保有国です。
ソ連が崩壊し、ロシア経済が悲惨になって・・・失業した科学者から核兵器の技術を学んだといいます。
その蓄積で、自ら技術者を養成できるようになったのです。
北朝鮮では子供たちがなりたい職業の第一位が科学者です。


ミサイル精度の向上!!
弾道ミサイル3発が、日本の排他的経済水域に落下しました。ほぼ、奥尻島沖に落ちたので・・・正確に狙えるようになったようです。


8月には潜水艦発射弾道ミサイルが、初めて日本の防空識別圏内に落下しました。
潜水艦から発射できるということは・・・どこから狙ってくるかわからないのです。

小型化・制度・潜水艦・・・世界にとって大きな脅威となります。
潜水艦から発射できるミサイルの射程は1000㎞!!
アメリカをも攻撃できるようになったのです。
今までのように脅しではないのです。

朝鮮戦争は、1950年に北朝鮮と韓国の間で勃発し、平和条約は結ばれておらず、休戦状態にあります。
アメリカも韓国側について参戦しています。
アメリカに力を見せつけて・・・平和条約を結びたいのです。
とにかくアメリカが怖い・・・核兵器を持ち、核攻撃ができるということを示しているのです。

朝鮮戦争が起きたときに、アメリカの司令部は日本に・・・東京・横田基地にありました。
日本にある米軍基地施設は128カ所。
もし第二次省線戦争が起きれば、韓国の基地は攻撃されてしまうので、日本に司令部が置かれることとなります。
つまり・・・日本のアメリカ軍基地もターゲットなのです。
日本をつぶすのではなく、アメリカをつぶすのです。

ではそのお金はどこから・・・??核開発。ミサイルの費用は、約200億円と言われています。
しかし、北朝鮮は、過去20年で最強の対北朝鮮制裁決議「2270」・・・経済制裁を受けています。
燃料の輸出、石炭などの輸入は禁止、陸・海・空の輸出入・・・すべてに厳しいチェックがなされています。
外貨獲得が厳しいはずなのですが・・・。

北朝鮮の資金源は・・・??
北朝鮮と国交がある国は、国連加盟国193か国のうち162か国。
北朝鮮は労働者派遣・・・約50か国に約6万人を派遣し、その人たちは年間2700億円を稼ぎ出しています。

直営レストランは世界に100店舗以上あり、その収入は北朝鮮の収入となります。
他にも巨大銅像を作っているのは北朝鮮国営の万寿台創作社。
高い技術と安さが魅力で、アフリカを中心に、海外からの受注がたくさんあります。
朝鮮画も人気!!
資金源は他にも、航空ショーで外国人観光客を呼び込みます。
観光業で外貨獲得を狙っています。

他にも・・・大きなお財布として中国があります。
経済制裁で航空燃料を輸出することができないのですが、それが中国です。
人道的支援ということで、石油を提供し、石炭を購入しています。経済支援を続けているのです。
経済制裁が効果がないことになっているのですが・・・北朝鮮の崩壊を中国は恐れています。

①陸続きなので、多くの難民が来ることを恐れています。
②韓国に駐留するアメリカ軍と対峙することとなってしまう。
 中国もとロシアも、北朝鮮が崩壊しない程度(緩衝地帯)でいてほしいのです。
 北朝鮮に対する効果的な経済制裁は、中国をどれだけ動かせるか??にかかっているのです。



トランプ氏が大統領となることで、北朝鮮に大きな動きが・・・??
1月大統領に就任するトランプ氏のおかげで、東アジアが不透明になりつつあります。

在日米軍が撤退??
今年の6月には金正恩について・・・北朝鮮に行くつもりはないが、来るなら会うと言っています。
北朝鮮を認めるのか・・・??

そんなこんなも注目していかなくてはなりません。


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類まれな秘法の持ち主・・・エカチェリーナ2世。
ロシア歴代皇帝で、最長在位を誇り、領土を最大限に押し広げた最強の女帝です。
わずか14歳でドイツからロシアの皇太子に嫁いだ少女・・・。
陰謀と策略が渦巻く宮廷で、生き抜くために見つけた道は・・・??

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外国人でありながら、ロシアへの愛をうったえ、自ら皇帝の地位に就き・・・
女帝の人生を彩ったのは12人の愛人でした。
その素顔とは・・・??

ロシア皇帝の中で最長の34年間在位し、最も領土を拡大したエカチェリーナ2世。。。
外国人のエカチェリーナがどうして皇帝へとなったのでしょうか?






命を救った緑の軍服

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白馬にまたがる女性・・・1762年33歳のエカチェリーナ2世です。
身にまとっていたのは緑の軍服・・・
ここに、皇帝となれた秘密がありました。



1744年ドイツからロシアに向かっている一台の馬車に乗っていたのは、ドイツ貴族の娘・ゾフィー・・・後のエカチェリーナ2世でした。



ロシア皇太子のお妃候補として宮廷にあがろうとしていました。
ゾフィーのライバルは、ポーランド国王の娘・マリアンヌ。
中流貴族の娘であるゾフィーよりはるかに上の地位でした。

しかし・・・この縁談を絶対に勝ち取りたい理由がありました。
母親との確執です。
「母は、私の事を醜いと言い続けた。
その為、私は外見ではなく、内面的な教養を身に着けることに関心を持ったのだ。」
弟ばかりを愛し、愛情を注いでくれなかった母。。。

当時、ロシアを治めていたのは、ロシア皇帝・エリザベータ。
ライバルに競り勝って妃の座を射止めるためには、この女帝の信頼を勝ち取らなければなりませんでした。
ゾフィーは、心からロシアを愛し、ロシア人になりきることを心に決めます。
ロシア語を完璧に習得しようと努力します。
この姿勢に、女帝は心を打たれ始めました。
さらに・・・父親の反対を押し切って、ロシア正教へと改宗。
ロシアを愛するこの娘こそ、皇太子妃に相応しい・・・と、エリザベータは、改宗したその日にエカチェリーナという名前を与えるのです。
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1744年6月29日、皇太子ピョートル3世と婚約。
遂に、皇太子妃の座を射止めます。
しかし・・・この夫が・・・エカチェリーナの人生を大きく狂わせるのです。

1756年、領土を巡ってドイツとの7年戦争に突入!!
14万もの死者を出しながらも勝利目前のロシア・・・
しかし、1762年ピョートル3世はロシア皇帝に即位すると・・・
突如、ドイツと講和を締結!!
占領していた土地を放棄してしまいました。
無条件で兵も引き揚げてしまったのです。
ロシア皇帝でありながら、先進国ドイツに憧れを抱いていたからです。

子供じみた性格で・・・おもちゃの兵隊で遊び、その遊びでも勝つのはドイツでした。
そいつびいきはエスカレートし、軍事顧問をドイツから招き、軍服もドイツ風の青色に変えてしまったのです。
ロシア伝統の緑の軍服は、うち捨てられてしまいました。

矛先はエカチェリーナにも・・・
公然と愛人を作り、妃にすると宣言し。。。
エカチェリーナは捕えられ・・・別荘に監禁されてしまいます。
このままでは、妃の座はもとより、命まで狙われてしまう。。。
エカチェリーナは、クーデターを起こそうと、同志を募ります。
1762年6月28日クーデター決行!!
軟禁先を脱出し兵たちと合流、心からロシアを愛し、憂いていることを訴え、国益を損なうピョートル3世の打倒を誓うのでした。
エカチェリーナがロシアへの愛を示すために録った行動は・・・ロシア伝統の緑の軍服だったのです。
失われたロシアの伝統を取り戻すために・・・!!
その姿に、多くの軍人が呼応・賛同し、圧倒的な兵力でピョートル3世を負かすのです。
捕えられたピョートル3世は、サンクトペテルブルクの別荘に幽閉されてしまいました。

クーデターに成功したエカチェリーナ・・・1762年7月9日33歳で、ロシア皇帝に即位!!
初めて外国人としてロシア皇帝の地位に立ちました。


決意の種痘

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しかし・・・その政権は、盤石なものではありませんでした。
皇帝の血筋でない外国人という立場は、危ういものでした。
確かな政治基盤を作って信頼を得なければ・・・!!
この頃、ロシアでは伝染病が猛威を振るっていました。
多くの人が命を落としていた天然痘・・・。
事態を打開するために・・・イギリスから最新の予防法を導入します。
患者から膿を取り病原菌を摂取して免疫を作る”種痘”です。
しかし・・・病原菌という恐ろしいものを自分の体に入れようと思うものなどだれ一人いませんでした。


そこで、自らが試験台となり、ロシア初の種痘の試験台となります。
軍人や貴族たちは、その勇気ある行動に、次々と種痘を受け始めます。
そしてそれは、ロシア全土に広がっていくのです。
彼女の夢は・・・ロシアの国力を高め、西欧列強に肩を並べることでした。

当時ヨーロッパは絶対君主制でした。
法律の整備や、中央集権的な国家体制が築き上げられ、豊かな文化や産業が花開いていました。
しかし・・・ロシアは辺境の二流国とされていました。
その理由は・・・国民の8割の農民を貴族が奴隷のように支配しているという現状でした。
法律による規制もなく、虐待や拷問が横行していたのです。
エカチェリーナは、ロシアを法治国家にしようと、農奴制の廃止を考え法案をかき始めます。

出来上がった法案は、有力貴族に意見を求めます。
しかし・・・貴族たちは猛反発!!資産を失うことになるからです。
エカチェリーナの元に法案が戻った時は・・・農奴解放に関する項目はほとんど削除されてしまっていました。
が・・・拷問の禁止・・・は残っていました。
この事は、各国の言葉に翻訳され、近代国家の第一歩を踏み出したと印象付けることができました。
そして・・・エカチェリーナは、100年かければこの問題は解決できると考えたのです。
いつか農奴制が廃止される日が来る日を夢見て。。。

しかし、農奴制が残されたことがロシアにとって大きな危機へとなっていきます。
1773年プガチョフの乱が起きます。
立ち上がったのは、貧しさに耐えかねた地方の農奴でした。

「もはや、領主のために働くことはない。
全ての農民を解放し、女帝エカチェリーナを幽閉して、貴族どもを皆殺しにするのだ!!」byプガチョフ。

20万人に膨れ上がった農民は、地方都市を次々と陥落させ、貴族や兵士を惨殺します。
ロシア史上最大の農民暴動で、プガチョフを捕え、反乱を抑えるのに2年が必要でした。
農奴制の孕む大きな危うさ・・・エカチェリーナは改革を断行します。
広大な領土を50の県に分け行政機関を設置。
中央の政策が各地にいきわたるようにします。
全国300カ所にロシア初の小学校を設立!!
さらに全国に診療所を整備し、農奴でも教育や医療を受けることができるようにしました。


手書きのラブレター

エカチェリーナには12人の愛人がいました。
しかし・・・愛人たちには政治に口出しはさせませんでした。
一人を除いては・・・。
そんな足場を固めたエカチェリーナは、広大なロシア帝国を築いていきます。

pocyo
45歳の時に書いたラブレター・・・その相手は、10歳年下の愛人グレゴリー・ポチョムキン。。。
幾多の武功で英雄となっていました。
二人の出合いは、宮廷の舞踏会・・・。
ポチョムキンに魅了されたエカチェリーナは、愛人となると様に申し込みます。
ポチョムキンは、男性として魅力があっただけではなく、並外れた政治家でした。
エカチェリーナは、あ周りにいる誰よりも、ポチョムキンが有能だと考えていたのです。
勉学にも優れ、軍隊での経験も豊富、政治的な手腕も秀でていました。
エカチェリーナは、ポチョムキンを何としても手に入れたかったのです。


しかし・・・ポチョムキンは応じようとはしませんでした。
そこで・・・一通の手紙を送っています。
題は「心からの懺悔」。
自らの男性遍歴を説明し、許しを乞おうとしたのです。
愛の確証を得たポチョムキンは、女帝に応じたのです。
ロシアでは、代々女帝の結婚は許されていません。
が・・・エカチェリーナは、秘密の結婚へと進んだのです。
これまでの愛人とは違い、プライベートでも、政治的にも深く愛していたのでした。

理想の伴侶を得たエカチェリーナ2世は、最大の野望である領土拡大へ・・・!!
ポチョムキンは助言しています。
「クリミア半島は、我が国の平和を保証するに違いありません。」
「敵に邪魔立てをする余裕を与えずに、クリミア半島を出来る限り早く占領してしまいましょう。」byエカチェリーナ2世

妻として・・・夫として愛を語ることを忘れることなく・・・。
クリミア半島セバストポリ・・・。近年クリミア紛争としてロシアとウクライナが争っていますが・・・。
ここは、長くロシア海軍の拠点でした。
それは・・・不凍港があるからです。
当時黒海沿岸は、オスマントルコの支配下となっており、ロシアは南への領土拡大をする為に、度々トルコと争っていました。
そして・・・遂にトルコに勝利し、緩衝地帯として独立させることに成功します。
おまけに君主を籠絡し、クリミア半島を戦わずして手に入れ・・・セバストポリに軍港を・・・戦艦を配備するのでした。
一方、エカチェリーナ2世は、1787年に各国の大視察団を率いて到着!!
立派な港に最新鋭の軍艦・・・その光景には誰もが目を見張りました。
同行したオーストリア皇帝は・・・
「私が目にしているものは、実際にここへきて見てみない限り、信じがたい光景だ。」
視察を終えたエカチェリーナは、ポチョムキンに手紙を書き、惜しみない賛辞を送っています。

エカチェリーナは、ポチョムキンという英雄を得て、領土を最大へと広げました。
そしてロシアを列強と肩を並べる帝国へと築き上げたのです。
ロシアのクリミア半島への進出は・・・このエカチェリーナの時代に始まったと言っても過言ではありません。

しかし・・・その幸せは長くは続きませんでした。
サンクトぺテレうブルクにあるエルミタージュ美術館は、歴代ロシア皇帝の宮殿でした。
そこに美術品を集め始めたのがエカチェリーナ2世。
その芸術品の数々は、ロシアが一流国であることを国内外に見せつけるものでした。
エカチェリーナは・・・権力の絶頂にありました。
しかし、1791年10月・・・エカチェリーナの元に届いた知らせは・・・52歳でのポチョムキンの死。。。
南方でかかった伝染病が原因でした。

最愛の男を失ってしまい・・・人生の歯車は狂い始めました。
当時のヨーロッパは、激動の・・・発端となったのはフランス革命でした。
1793年フランス国王ルイ16世処刑・・・それは、絶対王政の終わりを告げるものでした。
エカチェリーナが最も恐れていたのは、これに呼応して大規模な農奴の反乱がおこる事でした。
そんな時・・・1冊の本が目に止まります。
ラジーシチェフ作「ペテルブルクからモスクワへの旅」です。
そこには・・・
”みずからの同胞を奴隷にするという非人間的な習慣、それを手つかずのままにしているのはこの理性の時代の恥だ。”
理想に燃える若い貴族の農奴解放を訴えた書物でした。
エカチェリーナは激怒!!
「この本を書いたものは、プガチョフよりも悪しき民衆の扇動家だ!!」とし、彼を10年間のシベリア流刑としました。
若き日・・・農奴制と戦っていたエカチェリーナ・・・。
しかし、時代は、君主制の崩壊を迎えようとしていたのです。
1796年11月17日エカチェリーナ2世死去・・・享年67歳でした。
その治世は、ロシアの皇帝の誰よりも長い34年でした。

14歳でドイツからやってきて、女帝にまでなったエカチェリーナ・・・
ロシアをこよなく愛し、大国へと導いたことから、大帝と呼ばれる数少ない皇帝のひとりとなったのです。

2014年、ロシア「世論財団」による”国家指導者の歴史的役割に対する評価”は・・・
1位・・・ピョートル1世
2位・・・エカチェリーナ2世
となっています。

今のロシアの礎を築いたのはピョートル大帝ですが、大国にレベルアップさせたのは、エカチェリーナ2世だったのです。

「私は命令を発するとき 状況をよく吟味し、相談し、助言を受けます。
 そして、賛同してもらえると確信できるときにのみ、人々に命じます。
 結果、人々が従うのを見て 喜びを感じます。
 これが絶対的な権力の土台なのです。」byエカチェリーナ2世

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 日露戦争・・・大国ロシアを相手に国家の存亡をかけて戦った戦争でした。
諸外国からも無謀と思われていましたし、日本も絶体絶命の危機に陥っていました。
背景には、国家予算の7倍もの戦費がありました。
政府の借金・・・12億9300万円・・・財政は破綻状態でした。

もはや戦争を継続できなかった日本は、辛くもロシアとの講和に持ち込むことができました。
”ポーツマス講和会議”です。
komura

日本の全権を担って交渉したのが外務大臣・小村寿太郎。
この時、小村がこだわったのが賠償金でした。
断固拒否するロシア皇帝・・・これ以上戦いを続けられない日本は、賠償金を断念するのもやむおえない状況でした。

一方国民は、実情も知らずに賠償金をとらずには!!と、不満が爆発!!

賠償金獲得こそが国益!!と、会議に臨んだ小村。
小村は秘策を練っていました。
それは、一旦会議を決裂させるというものでした。


小村の執念が引き出したロシアの妥協案とは???

1905年に行われたポーツマス講和会議・・・全権代表は小村寿太郎。

日露戦争直前から戦中の電報のほとんどは・・・各国公使や領事と小村寿太郎が交わした記録でした。
戦費を調達するのは容易なことではなかったようです。

1904年2月10日・・・
ロシアに宣戦布告し、ロシア戦争勃発!!
当時の中国の混乱に応じ、ロシアは、満州へ17万の軍隊を派兵、影響力を強めていました。
朝鮮王朝にもロシア寄りの政権を樹立させようとしていました。

この動きに、安全保障上の危機を感じた日本は、ロシアを撤退させようと宣戦布告したのです。
しかし、経済力、人口共に、ロシアは日本の3倍・・・。
政府は、1年の限定戦争と位置付けていました。
それでも、国家予算の2倍、4億5000万円を予定していました。

その不足は外債・・・その指揮を執ったのが外務大臣・小村寿太郎でした。
小村は日銀副総裁の高橋是清を世界の経済の中心ロンドンに派遣。
しかし、資金調達は困難を極めました。
開戦目前になると・・・交際価格は暴落・・・新規に公債を発行しようにも買い手がつかなくなっていました。

当時交際にかかる利率・償還期間は・・・
イギリスで2.5%、50年でしたが、日本に突き付けられたのは・・・6.0%で10年でした。
この劣悪な条件でなければ発行できない・・・!!

おまけに予想を超えて膨れ上がる戦費・・・。
最終的には国家予算のおよそ7倍の約18億円・・・。
現在に直すと400兆円です。

「私債でもいいので、早急に資金調達せよ!!」by小村寿太郎

その大きな要因は・・・開戦半年後に開通したシベリア鉄道にありました。
鉄道によって大量の兵士を送り込むことができるようになったロシア。。。
それに対抗し、日本も兵士を増強しなければならず・・・最終的には94万人を送ることになりました。
大規模な戦争へ・・・!!
近代兵器の大量導入!!
戦費を押し上げますが・・・
日本軍はロシアを鴨緑江から撤退させます。

日本軍優勢の風は、高橋是清に追い風となり、資金調達に成功!!
しかし、戦費が膨れ上がるにつけ、外債も増大し、8億円!!

また、1年以上の激戦で、日本は8万人を超える戦死者・・・もはや戦いは続けられない・・・!!

そんな状況に、陸軍参謀総長・山県有朋が桂首相・小村に意見書を出します。
「我はすでに有らん限りの兵力を使い尽くしており、敵に致命傷を与えておらず、ロシアが未だにわかに和を求めるに至っていない。」

ロシアと講和に持ち込みたかった日本・・・しかし、決定的な打撃は与えておらず、講和には持ち込めずにいました。
それから2か月、絶好の機会が・・・!!
1905年5月27日、日本海海戦。
バルチック艦隊を撃破、21隻を喪失させることに成功します。
講和へ・・・!!

日本ともロシアとも同盟を結ばない中立の国・アメリカに入ってもらおうとします。
セオドア・ルーズベルト大統領が、日本に好意的だと掴んでいた小村は、仲裁を依頼します。
会議は8月にアメリカで行われることになりました。

閣議決定されたのは・・・??
絶対的必要条件として「韓国の支配権」「ロシア軍の満州からの撤退」「遼東半島の租借権」「鉄道の一部譲渡」がありました。
比較的必要条件として、「軍備の賠償」があったのです。
あまりにも疲弊しきっていたので、早く戦争を終わらせることが最優先。。。
そして、植民地経営をして長期的にプラスになるのではないか?と、思っていたようです。

しかし、それを知らされていない日本国民は、勝利に酔っていました。
新聞も、賠償金30億円・・・と、国民を煽ります。

1905年7月8日、小村寿太郎は、全権代表としてポーツマス講和会議へ・・・!!
政府の目的と、国民の期待を胸に・・・!!

日本とロシアの講和交渉が始まりました。
小村寿太郎に対峙したのは、ロシアの全権代表セルゲイ・ウィッテ。
政府要職を歴任している強者でした。

日本の絶対条件を提示します。

①韓国支配権の容認
②日露両軍の満州からの撤退
③満州の清国への返還
④満州の門戸開放の保障
⑤東清鉄道南部支線に関わる権利の譲渡
⑥満州横断鉄道の利用を商用に限定
⑦旅順・大連租借権の譲渡

会議から7日後・・・おおよそは合意となりました。

これによって日本の戦争目的であった安全保障は確保されました。
その後の交渉では・・・

・日本への賠償金支払い
・日本への樺太割譲

となりました。

小村は・・・
賠償金の獲得が大切・・・財政の問題、植民地経営の問題からも賠償金をとっておきたかったのです。
しかし・・・賠償金と領土割譲の要求は拒否されます。

「ここに戦勝国などない。
 したがって敗戦国もないのだ。」byウィッテ。

このままでは交渉が進まない・・・!!
妥協案として・・・占領した樺太の北半分を諦める代わりに12億円の支払いを要求します。
皇帝ニコライ2世は・・・
「1寸の土地も1ルーブルの金も譲ってはならない」という厳しいものでした。

ロシア本国では・・・皇帝の力が揺らいでいました。
サンクトペテルブルクで行われた労働者の請願でもにたいする発砲事件・血の日曜日事件によって、政情不安定となっていたのです。

しかし、ロシアは強気で、戦争継続も辞さない勢いでした。

満州・ハルピンには、たくさんのロシア兵士が・・・戦闘態勢を整えていました。
おまけに、小村には批判が!!
”日本の強情と強欲が戦争を継続させようとしている”と、アメリカの新聞が書きたてたのです。

日本に好意的だったアメリカ世論が・・・ウィッテが新聞を誘導し、アメリカ世論をロシア寄りにしていたのです。
追い込まれていく小村寿太郎。。。

講和成立を優先??

満州軍総参謀長・児玉源太郎は、賠償金の要求に対し・・・
「桂の馬鹿が、償金を取る気になっている。
 朝鮮にのしをつけて、露に進上するようになるかもしれぬぞ。」
下手をすると、朝鮮半島での権益も失いかけない・・・。
児玉たち軍部は講和を望んでいました。

しかし、このまま妥協して、賠償金をもらわなければ、財政は破綻してしまう・・・!!

すでに、開戦前よりも税金は2倍に膨らんでいました。
これ以上の負担は・・・!!


決裂も辞さず??

賠償金は譲れない・・・!!
頼みになるのはルーズベルト大統領!!
小村は交渉を決裂させたと見せかけて、ニューヨークへ引き返し、大統領を説き、再度仲介に入ってもらおうと考えていました。

世論はロシア・・・ルーズベルトは引き受けてくれるのか??


ルーズベルトは、日本側にも妥協を求め始めていました。

「このまま賠償金を要求し続ければ、他の国々はロシアへの同情を傾け、ロシアに金銭の援助にまわるであろう。」

そうなれば戦争は継続され、多大な血が流れることとなる・・・!!
頼みのルーズベルトからの圧力!!

どうする??

膠着状態のポーツマス会議・・・
1905年8月26日、妥協しないウィッテに対し、小村は政府に打電します。
”談判を断絶するほか道はない!!”と、会議決裂を覚悟までして賠償金にこだわったのでした。

しかし、政府は・・・
”賠償金と領土の要求を放棄し、講和成立を目指せ。”と、戦争の終結を望みました。

8月29日交渉最終日・・・
思わぬ情報を日本政府から受け取ります。
ロシアは南樺太を割譲しそうだ・・・!!

ロシア皇帝は、賠償金の支払いは認めないものの、捕虜経費の支払いには応じる。
サハリンの南半分は日本の領土に・・・というものでした。
ロシアの敗北を認めたのは、小村の粘りに譲歩したからでした。

9月5日に調印・・・1年半にも及ぶ日露戦争は終結しました。

そこには、日本の譲れない絶対的必要条件、南樺太の割譲、そして7万人にも及ぶ捕虜引き渡しの経費の支払いが記されていました。

この捕虜経費は、486万440ポンド、2年後の1907年11月23日に日本側に支払われました。
およそ5000万円でした。
結局、賠償金の獲得は果たせなかったのです。

9月1日、新聞は一斉に講和条約の非難を。。。!!
国民は怒りを爆発させ、日比谷焼打ち事件が・・・!!
戦争を継続できないことを知らない民衆は、契約破棄、戦争継続を望んで暴徒と化します。
警察署、交番は焼き討ちにあい、負傷者1000人以上、死者17人を出す大惨事となりました。

小村は絶対条件を果たしたにもかかわらず、戦犯扱いされたのです。
賠償金を得られなかったことで、日本は財政難となります。
政府が内外に実施した借金は・・・12億9300万円・・・。

政府は毎年、一般会計の歳出の30%を国債費に充てなければならなくなっていました。
自転車操業で・・・多重債務者となってしまいました。
講和会議で手に入れた満州の鉄道・・・。
政府はアメリカの鉄道王エドワード・ハリマンの資本を導入し共同経営を画策していましたが、小村はこれを反対し、南満州鉄道の経営を独占を推し進めます。
しかし、大陸政策は軌道に乗ることはありませんでした。

30年後の資料によると・・・あれだけの損失を出しておいて、経済的には全くお話にならない損をしている、国家にもっと利益をもたらすべきだと苦言を呈しています。

小村が心血を注いだ講和条約・・・その後の大陸経営には、禍根を残す結果となりました。

陸奥宗光・・・第2次伊藤博文内閣に於いて外務大臣を務め、日英通商航海条約を結び、条約改正に成功し、日清戦争と三国干渉の処理に当たった男。。。
恩氏である陸奥宗光を越えたい!!
という気持ちが、それが恩返しであると考えていたのかもしれません。

失敗した??
しかし、小村は一等国としての確固たる日本の地位をきっちりと手に入れました。

賠償金なしの講和条約が日本に与えた影響は??
一等国としてのレールを敷いた小村。

外交の本質、多面性、複雑性、現実的な妥協点・・・
私たちはその外交の複雑さを理解しているのでしょうか??
もっと理解する必要が、安全に繋がるのです。

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世界ではたくさんの戦争・紛争が起きています。
ウクライナ・シリア・イラク・パレスチナ・中央アフリカ・ソマリア・南スーダン・・・

2014年7月17日・・・マレーシア航空機が撃墜され、298人全員が犠牲となりました。
ドネツク州は、ウクライナ軍と親ロシア勢力が戦っています。

ウクライナのポロシェンコ大統領は、親ロシア派によるテロ行為とし、ロシアのプーチン大統領はロシア側の関与を否定し、ウクライナに責任があるとしています。
ブラックボックスによると、地対空ミサイルによって撃ち落されたということが解っています。
この地対空ミサイルBUK(ブーク)は、旧ソ連時代に開発されたものです。

ウクライナ問題とは???
1991年ソ連の崩壊によって独立したウクライナ。
今回の発端は、ウクライナがEUに入るのかどうか??というところから始まりました。
前大統領のヤヌコビッチは、EUに入ろうと進めていましたが・・・凍結します。
そこにはロシア側の思惑がありました。

「旧ソ連の国がEU側に入るのは許せない!!」

おまけにウクライナ東部には軍需工場があり、ロシアの兵器を造って輸出していました。
アメリカにロシアの軍事機密が筒抜けになってしまう・・・!!

しかし、EUに入れると思っていたウクライナの人たちにとっては・・・
首都キエフなどで国民の不満が爆発したのです。
反政府デモが起き、流血の惨事となります。
そして、前大統領は愛人と共に、ロシアに事実上の亡命となってしまったのです。

亡命後、ヤヌコビッチの邸宅が公開されます。
東京ドーム30個分の邸宅は、腐敗の象徴とされました。
これもまた、反政府デモを盛り上げたのです。

そして、親欧米派のポロシェンコ大統領となります。
チョコレートメーカー「ロシェン」のオーナーで、総資産は1327億円。

しかしロシア系の東部に親ロシア派の武装勢力が誕生します。
かつてウクライナの東部は、帝政ロシアの領土でした。
西側はポーランドに支配されていたこともあります。

東部・・・ロシア語・ロシア正教
西部・・・ウクライナ語・カトリック系

文化・言葉・宗教・・・全部違うのです。
そこで対立しているのです。

ウクライナ騒乱・・・市民と警察との武力衝突で90人が犠牲となり、1000人の負傷者が出たと言われています。
キエフでは、犠牲者の写真が・・・訪れる人は後を絶ちません。

ロシアに抗議する人たちもいて・・・
プーチラー・・・プーチン+ヒトラーという造語まで出てきています。
ウクライナ騒乱は、ロシア寄りの政策をとった前政権への抗議行動から始まりました。
しかし、現在の政府にも抗議をしていて・・・小競り合いが絶えません。

とにかく戦いを止めて欲しい・・・

そんな時期に・・・マレーシア航空機がウクライナ東部で撃墜されたのです。
しかし、はっきりとした証拠は出てきていません。

ウクライナが内戦状態となったきっかけは・・・クリミアです。
もともとはウクライナの一部ですが、高度な自治を認められている共和国です。
そこが3月に住民投票を行い、ロシアが併合したのです。
ロシア軍がやとった傭兵部隊が後ろにはいたようです。
EU・アメリカが抗議し、新しい冷戦状態が始まったのです。

クリミアの住民投票では、95%以上がロシア併合を支持しています。
併合された今は??
プーチン大統領の写真があちらこちらにあり・・・
学校では新しい教科書が届きました。
歴史の授業はロシアの歴史に変わります。

しかし・・・マクドナルドは立ち入り禁止。
ショッピングモールでは、欧米資本の店はなくなっています。
観光地は人影もまばらです。

先住民・・・クリミアに住んでいるタタール人たちの多くはイスラム教スンニ派です。
彼等はロシアによるクリミア併合を認めていません。
というのも、ソ連によって故郷クリミアを追われた歴史があるからです。
この歴史は、独裁者スターリンから始まりました。
クリミアを追われた人は40万人以上・・・
ゴルバチョフによるペレストロイカまで、祖国に戻れませんでした。
二度と失いたくない祖国なのです。

クリミア半島は歴史上軍事的要衝です。
黒海に面したセバストポリ。
そこにはプーチンがどうしてもほしい不凍港がありました。
不凍港を手にしたロシア。。。
ロシアにとっては軍事戦略上欠くことのできない黒海艦隊。。。
ここから大きな海に出て行けるのです。

人々の想いに反して・・・戦いは続いています。


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