【置物・美術品】オーギュスト・ロダン『考える人』ブロンズ像■新品★

価格:47,520円
(2017/11/16 05:27時点)
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没後100年を迎えるオーギュスト・ロダン。
近代彫刻の父とよばれ、日本の彫刻家にも多大な影響を与えたロダン。
彫刻に生命を吹き込み、人間の内面までも表現したと評されます。

「もっとも偉大な美は、命の奥底から生まれてくる」

しかし、成功を手に入れるまでの人生は、苦難の連続でした。
受検に三度失敗、美術展での酷評、他の彫刻家の下での下働き生活・・・。

「私は、貧乏がもたらすありとあらゆる苦労を味わった。」

どうすれば認められるのか??
ロダンは常識外れの作品に挑み、その作品が物議を醸したことで、知名度をあげます。
名声を勝ち得たロダンは、24歳年下の弟子、カミーユ・クローデルを恋人にし、官能的な作品を生み出していきます。

「女は男の命、活力、そして王冠である。」

ロダンの代名詞「考える人」。
最高傑作ともよばれる「カレーの市民」。
ロダンが生涯挑み続けた大作「地獄の門」。
いずれも、その後の美術界に大きな影響を与えました。
ロダンは、若い頃から腕前は確かでした。
しかし、世に出ることができず、貧乏生活を強いられます。
その理由は・・・
1840年、ロダンはパリで誕生!!
父親は警察で働く事務員で、生活は厳しかった。
勉強が苦手で、読み書きすら満足にできなかったロダンの楽しみは、絵を描くことでした。
図書館に入り浸っては、本の挿絵を模写し、いつしか芸術家を目指すようになります。
1854年、14歳で美術専門学校に入学。
デッサンで学年一の成績を修めるまでに・・・!!
しかし、極度の近視のために、ちょっと離れると対象がはっきりと見えないのです。
たまたま入った部屋は、彫刻を学ぶ部屋でした。
目が悪くても、自分の作りたいものを作れる喜びを知ります。
彫刻家こそが、自分の進む道だと感じました。

「私は初めて粘土に触れた。
 天にも昇るような心地でした。」

1857年、17歳でフランス国立美術学校を受験!!
しかし、不合格!!
結局3年連続で落ちてしまいました。
美術学校が基準としていたものに入らなかったのです。
美術学校の基準は、ギリシャ・ローマの彫刻の模倣でした。
求められていたのは、伝統や品位が感じられる優美な彫刻でした。
ロダンのそれは、そうではなかったのです。
周りも期待していたし、自分もそう感じていたので、その絶望は大きいものでした。
不運は続きます。
父親が退職し、家計を支えることとなります。
そして、当時、人気を博していた彫刻家の助手として働き始めます。
しかし、与えられたのは、建物を飾る彫刻など、物まねにすぎませんでした。

「当時、私が作ったものは、一つも私の興味をひかなかった。」

ロダンは、自分ならではの物を・・・と、なけなしの金でアトリエを借り、時間を見つけては政策に没頭します。
ボロボロの馬小屋で・・・凍った彫刻が割れてしまうこともありました。
ある日ロダンは仕事先で出会った女性にモデルを頼みます。
ローズ・ブ―レ・・・生涯を共にする農村出身の娘でした。

「都会的な女性の優美さはなかったが、農家の娘特有の屈強な肉体をしている。
 そこが美しい。」

二人の間には子供が産まれます。
ロダンは、貧乏から脱出する為に、必死に製作します。
そして、25歳の時、政府が主催する美術展・サロンに応募しました。
その作品は意外なものでした。
当時、彫刻の題材は、神々や英雄・・・しかし、ロダンの作品は、「鼻のつぶれた男」
アトリエで清掃係として働く年老いた男をモデルにしました。

「彼の頭部は美しかった。
 形という点では、彼は美しい人間だった。
 芸術においては、個性的なものだけが美しい。」

しかし、ロダンが感じた美が認められることはありませんでした。
貧しい生活を送るロダンに新たな試練が・・・
1870年、30歳の時に普仏戦争が勃発!!
ロダンは仕事を失い、妻と幼い子を残し単身ベルギーへ出稼ぎに・・・!!
下請けの仕事にありついたものの、仕送りもできないでいました。
止む無く雇い主に内緒で胸像を造り売り出そうとしました。
しかし、これが発覚!!解雇されてしまいました。
30歳を越えていたロダン・・・異国の地で途方に暮れてしまいました。

ロダンは30代後半から40代前半で自らのスタイルを確立します。
こだわったのは、”男の裸”!!

ベルギーで失業してしまったロダンは、突破口を開こうと友人の工房を借りて自ら仕事を取るようになります。
これが評判を呼び、安定した収入を手に入れることができるようになります。
1875年、35歳の時に、憧れていたルネサンス芸術の国・イタリアを旅することに・・・。
そこで目にしたのは、ミケランジェロの力強い肉体の表現でした。
何百もの人間の裸体が書き込まれた「最後の審判」
身体を極端にひねり、盛り上がる筋肉が強調された「メディチ家礼拝堂」
ロダンは夢中でスケッチしました。

「肉体は命の鏡だ。
 もっとも偉大な美は、命の奥底から生まれてくる。」

イタリア旅行を終えたロダンは、男の裸体像に取り組みます。
何気ない一瞬に注目します。
「人の姿はこんなに美しい」ということを、「自然にあるものはすべて美しい」というところから見つけるのです。
自然派性格・個性を持っているが、人間の体が一番それをもっている。
裸こそ真実だと、だから彫刻に作品化した。

「青銅時代」という作品で、サロンに応募。

しかし、帰ってきたのは非難の嵐でした。

「これはただ、生身の人間から型を取っただけだ。
 こんなものは彫刻ではない。」by評論家

あまりにもリアルな肉体表現が、モデルから型を取ったと疑われたのです。
このスキャンダルは、ロダンの名を世に知らしめることになります。

1877年、37歳でパリに戻ったロダンは、新しい賭けに出ます。

「私にはこれまでよりも、もっと悪賢い頭脳が必要なのだ。」

この時製作した歩く男は、知人から頭がないと指摘されると・・・
「歩くのに頭はいらない。」と言ったものの、頭部と腕を付け加えます。
そして・・・誰もが知る”洗礼者ヨハネ”となるのです。
サロンに応募。
それまで衣をまとった姿で描かれてきたヨハネ。
裸で表現したのは前代未聞でした。
これが評判となり、サロンで入選します。

これにはリベンジの気持ちがあります。
青銅時代がスキャンダルになり、誤解されてしまった・・・
みんなが飛びつきやすいテーマで・・・
ロダンは、純粋に考えるだけではなく、美術界・社会に対して戦略を練っていったのです。

知名度を高めたロダンに時代の追い風が・・・
普仏戦争に敗れたフランスは、帝政から共和政に移行。
新しい政府が、国民の一体感を高めようと英雄や偉人たちの記念像の制作に力を入れ始めました。
1884年、44歳のロダンのもとに、カレー市から記念像の依頼が入りました。
14世紀英仏100年戦争の際に、イギリス軍に攻め込まれたカレーでは、6人の市民が自ら人質に名乗り出ることで街を救っていました。
注文は、そのリーダー格の人物ひとりでした。
ところがロダンは、6人全員の像を造り始めました。
英雄的に描いてほしいというのを無視して、死に直面した人間の内面の苦悩を表現しようとします。
完成したのが「カレーの市民」待ち受ける死に向き合う、6人の男たちの覚悟、諦め、絶望の感情が浮き彫りにされていました。
そして、この作品に命を吹き込むためにこだわったのが裸でした。
まずは、一人一人の裸の像を作成し、衣服をつけていきました。

「肉体ほど、感情を豊かに表すものはない。
 感情は美であり、美こそ真実なのだ。」


ロダンが作っていた彫刻は男性の物でしたが・・・
突然女性や男女の愛をテーマにした作品を作り始めました。
どうして急に作風を変えたのでしょうか??

人気彫刻家となったロダンの元には、芸術を目指す若者たちが集まるようになります。
その中に、19歳の女性が・・・。
女性の名はカミーユ・クローデル。
ブルジョア階級の出で、彫刻の才能に秀でていました。
ロダンは、彼女を助手に抜擢し、親子ほど年の離れた二人は恋に落ちます。
一方ロダンには、席こそ入れていないもののローズの存在が・・・。
友人の一人が忠告します。
「あの給仕をしている不愉快な家政婦をなぜ首にしないんだ?
 もっと若くて元気な女を雇った方がいいぞ」
ロダンは、ローズとの関係を周囲に話していませんでした。
ロダンとローズ、カミーユの奇妙な三角関係が始まりました。
アトリエでのカミーユとの愛欲の日々は、ロダンの彫刻に大きな変化をもたらします。
女性の体のなまめかしさを表した「ダイナス」。
裸の男女が抱き合う「接吻」。

「女は男の命、活力、そして王冠だ。」

作風の変化には、カミーユとの関係がありました。
女性の体は美しいというのは、形の美ですが、女性崇拝についても言葉で残しています。

「女性は素晴らしい、男がもっていない才能を持っている。」と。

ロダンは、才能ある若い人を支援しましたが、その特権的な位置にカミーユが入ることに・・・。
カミーユもロダンとの愛を彫刻に刻んでいきます。
代表作の一つが「ワルツ」
裸の二人が躍るこの作品を見て批評家は・・・

「ワルツを踊るこのカップルは、今すぐにでもベッドに行って愛し合いたいのだ」

カミーユの才能にもほれ込んでいたロダンは、事あるごとに作品への意見をカミーユに求めます。
プライドが高く、気性の激しいカミーユは、師匠のロダンに臆することなく意見しました。
そして次第にロダンを独占したいという思いを募らせていきます。
ロダンに誓約書を書かせるカミーユ

「私はもう、カミーユ以外に弟子はとりません。
 そして、カミーユを私の妻とします。」

それでもロダンは、ローズと別れようとしませんでした。
ローズが献身的に尽くしてくれるからです。
ローズは、石膏像や粘土像が乾燥してひび割れたりしないように、注意深く管理しました。
夜は、いつ帰るかもわからないロダンを待ち続けます。
そして、毎朝のローズとの散歩は、ロダンにとって心穏やかに過ごせる大切なひとときだったのです。

いつまでもローズと別れようとしないロダン。
苛立ちを募らせたカミーユは衝撃的な彫刻を!!
「分別盛り」です。

若い女から男を連れ去る見にくい老女・・・そこにはローズに対する憎しみが・・・そして、ロダンに対する恨みが刻まれていました。
カミーユは身を引くことを決断・・・ロダン54歳、カミーユ30歳でした。
出会ってから11年が経っていました。

ロダンは別れた後も、カミーユを支援し続けます。
金銭的な支援はもとより、彫刻家としての名声を得られるように国や批評家に働き続けます。

「私が深く愛するこの天才的な女性彫刻家のために、どうか、何かをしてあげて欲しいのです。」

しかし、ロダンと別れたカミーユは心を病んでしまいます。
その後、精神病院に入れられ、亡くなるまでの30年間、そこで過ごすことになるのです。

ロダンが生涯をかけて挑み続けたのに未完の作品が、「地獄の門」です。
この作品は、もともとロダンが40歳の時にフランス政府から依頼されたものです。
パリに建設される美術館の正門にされる予定でした。
依頼を受けたロダンがテーマに選んだのが、ダンテの「神曲」です。
その中の、地獄編の光景を門に刻もうというのです。
飢餓に耐え切れず、自分の息子たちを食べる男。
地獄の底に落ちまいと、必死にしがみつく男。
そして、地獄の光景を眺めているのは、神曲の作者ダンテ。
この像は、後に「考える人」となります。
貧しく、挫折を繰り返し・・・辛く、苦しくてもやり抜くんだという自分の人生観に重なった世界でした。

しかし、依頼を受けて8年・・・
1888年、48歳の時に美術館の建設が中止となります。
門の発注が取り消されてしまいました。
しかし、ロダンは、自分の作品として制作を続けます。
丁度この頃、カミーユとの恋愛に夢中になっていました。
すると・・・地獄の門にも男女が描かれることに・・・
裸の男女・・・逃げる女を必死につかもうとする男・・・
「地獄の門」には、ロダンの人生が大きく反映していきます。
地獄の門に取り組む一方で、ある記念像にも取り掛かります。

文豪”バルザック”の像です。
ロダンはいつものように、裸で作るのですが・・・1989年、出来上がったのは全く違ったものでした。
デフォルメされた顔は、いびつな顔をしていました。
そして命を表現されるはずの肉体は、全て布で覆われ、隠されていました。
この像は、酷評されます。
発注元の文芸家協会は、受け取りを拒否。
しかし、ロダンは・・・
「バルザックこそ彫刻の理想形だ。
 人々はその評価をめぐり、大いに議論すればよい」

20世紀の彫刻を切り開いた作品で、抽象的で立体的な造形の先行例だったのです。
1900年、60歳の時にパリで万博が開催。
ロダンはその会場の近くで、過去の作品を集めた個展を開きました。
すると、世界各国からの批評家たちが賞賛の声を上げたのです。

「ロダンの彫刻からは、欲望の叫びが聞こえてくる」
「ロダンの表現力の力強さは、極限まで到達している」

ロダンの名声は世界に・・・ヨーロッパ、アメリカ、日本でも個展を開くこととなります。
ところが・・・地獄の門は、パリ万博の古典の際に、人物像が全て取り払われていました。
背景には、カミーユとの破局があったと考えられています。
その後、ロダンの元には、名声につられた女性が次々と現れます。
中でもロダンを苦しめたのが、ショワズール侯爵夫人です。
夫がいる身でありながら、恋人となり、ロダンの全ての作品を管理するようになります。

ロダンは8年にわたって彼女に振り回されます。

「私はひどく疲れ、途方に暮れた。
 彫刻ほど、上手く人生を形作ることができない。」

1916年、76歳で脳卒中で倒れます。

この年、ロダンは未完成だった地獄の門をはじめ、全ての彫刻をフランス政府に寄贈。
最早、地獄の門を完成させる体力も、気力もなかったのです。
1917年77歳でローズと正式に結婚。
ロダン77歳、ローズ73歳。
しかし、僅か2週間後にローズが死去。
1917年11月17日、9か月後にロダンも波乱の生涯を終えたのです。

ロダンが亡くなった1917年、友人だった学芸員のレオンス・ベネディットが、ロダンの遺志を継いで地獄の門を完成させます。
そして、死後20年ほどたった1939年・・・酷評されたバルザック像が、パリ市内に設置されます。
今では、20世紀彫刻の幕開けを告げた傑作として高く評価されています。
自分の追い求めた理想を求め続けたロダン・・・

「世の中の考えと対立していたとしても、強く感じたことは、臆せず表現せよ。
 1人にとって深く真実であることは、万人にとっても真実なのだ。」byロダン

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