日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:一橋慶喜

幕末維新と松平春嶽

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今からおよそ150年前、大改革が行われていました。
参勤交代は、全国の大名が二年に一度江戸へ赴き、軍役奉仕を行う江戸時代の基本制度です。
その費用は莫大で、藩財政を圧迫・・・幕末には多くの藩の財政を圧迫し、破たん寸前となっていました。
当時は異国船の来航・・・防衛力の強化と財政の立て直しが叫ばれていました。

「最早参勤交代をしている場合ではない!!」

そういったのは、越前福井藩主・松平春嶽です。
春嶽は、大胆な緩和を幕府に提案し、大名の負担軽減と防衛力の強化を叫びます。
しかし、参勤交代は主従関係を確認する幕藩体制の根幹・・・周囲は難色を示します。
国家存亡の危機を前にしても帰られないその制度とは・・・??!!

松平春嶽が、参勤交代の帰り道を書いた日記によると・・・
江戸を出て間もなく、農民たちの姿を目の当たりにして・・・

”裕福なら牛や今を使えるが、貧しいとそうはいかぬ
 もし百姓の苦労や実情を知らぬ大名がいたら、嘆かわしきこと”

一国の主たるもの、領民を慈しむ政治をしなくてはならない!!
その政治信条を培ったのが、幕末の財政難でした。
90万両もの借財があったと言われていて、自分の藩を見つめ直し、領民に対する見方を戒めたのです。
つもりに積もった福井藩の借金・・・90万両=450億円・・・。
そのしわ寄せが領民の年貢に・・・打ちこわしや一揆が頻発していました。
危機的な懐事情で・・・春嶽ですら一汁一菜でした。
粗食で耐え凌ぐ有様でした。
他の藩も同様の状況で苦しめられていました。

その最大の原因が、莫大な経費を必要とする参勤交代でした。
その旅路は宿代だけでもバカにならず、2000人のお供を連れていた加賀藩の場合、1泊で1000万以上・・・
江戸までの片道の宿泊費は総額2億円にもなりました。
少しでも宿泊日数を減らそうと、速足で駆け抜けるという涙ぐましい努力をする藩もありました。
さらに、江戸へ人質として置いていた妻や子の住む江戸藩邸の維持費も大きなものでした。
5000人もの藩士がいた加賀藩では、年間予算の半分・・・50億円を江戸で費やしていました。

それなら参勤交代の規模を縮小すれば・・・??
御用商人たちの武鑑には、各大名の名前、石高、武器の種類や数まで事細かく書かれていて・・・それが大名の格となっていました。
江戸に暮らす庶民は、この武鑑を大名行列のガイドブックとしていたので、大名たちは、お家の威信にかけて格を下げるようなことはできませんでした。
しかも、この行列は、幕府にとっても大名にとってもメリットがあり・・・
江戸に大名が来るというのは、幕府の権威を非常に高め政権が安定します。
大名同士の序列の中で、自分の家が他藩より高いか努力します。
参勤交代の道具を増やすことを幕府に嘆願し、幕府が許可する・・・
それは、幕府の恩恵を感じ、大名は同等だった大名たちに一歩先んじる努力をしたのです。

将軍との謁見でも、格に応じて畳の何枚目に座るかが決まっており、大名の努力次第で位置を変えることができ・・・参勤交代は、大名同士の格式をめぐるせめぎあいでもありました。
しかし、その制度の改革を迫る未曽有の危機が日本を襲います。

1853年ペリーが浦賀に来航。
どう対応するのか??幕閣は連日議論していました。
しかし、結論を出すことができません。
時の老中・阿部正弘は、全国の大名に意見を募ります。
幕府としては異例の試みでした。
そして、1通の建白書が幕府に届きます。
その差出人こそ、26歳の福井藩主・松平春嶽で、その内容は、幕府にとって衝撃的なものでした。

全国の大名は参勤交代で疲弊しきっております。
この国難に対峙するためには、江戸に散布する大名を帰国させ、挙国一致で軍備を整えるべきかと存じます。

春嶽は、異国に立ち向かうためには、財政をひっ迫させている参勤交代を緩和する必要があると幕府に訴えたのです。
しかし、将軍の忠誠を誓う証である参勤交代の改革を主張すれば、幕府から反逆を疑われ、処罰されてもおかしくありませんでした。
どうして春嶽は危険を省みず主張したのでしょうか??
春嶽は、本来は田安徳川家の出身で、将軍になったかもしれない立場でした。
なので、福井藩のことだけを考えてはいなかったのです。
春嶽が生まれた田安徳川家は、八代将軍吉宗に始まる家柄で、春嶽は11代将軍家斉の甥に当たり、12代将軍家慶のいとこにあたるサラブレッドだったのです。
これは譜代からは言えず・・・親藩大名の将軍に近い自分だからこそ言える!!自信と使命感に溢れていました。
しかし、幕府はこれを却下。

「幕府を人体に例えれば、大名の参勤は、骨の最大なるもの。
 骨を砕いてしまえば、取り返しがつかない。」by阿部正弘

納得がいかない春嶽は、当時最も英明と言われていた薩摩藩主・島津斉彬に自分の意見を解き、幕府説得の協力を求めます。
しかし、斉彬は春嶽に同意するものの・・・外様の自分に言えるわけがないと答え、幕府の前で突飛な言動は控えるようにとくぎを刺されてしまいます。
しかし、建白書を出し続ける春嶽。

諸大名の忠誠と服従を繋ぎ止めてきた参勤交代を緩和すれば、幕府の権威は一気に崩れ去るかもしれない・・・
そんな危機感が幕閣にはあったのです。
このまま何も変えなくていいのか・・・??
春嶽の前に大きな壁が立ちはだかっていました。

最早自分一人の力だけではどうすることもできない・・・春嶽は、行動に移します。
同じ志を抱く大名と党派を組んで幕府の政治を変えようというものでした。
春嶽は、水戸・徳川斉昭、薩摩・島津斉彬と共に、栄明と評判の高い一橋慶喜を次期将軍に推薦します。
さらに、1857年8月、江戸の藩邸に徳川家に近しい大名達と会談し、協力を要請します。
春嶽の意見を聞いた徳島藩主・蜂須賀斉裕は、神君家康公以来の法に触れるのは幕府に不審を抱かせると難色を示しました。
それでも春嶽は引き下がらない!!改革の意義を力説します。
その熱い想いにじっと耳を傾けていたのが鳥取藩主・池田慶徳です。
慶徳はその後も春嶽と会談を進め、大名の声が天下変革の響になるという春嶽の想いに共感し、幕府に建白書を提出します。
やがて春嶽達に同調するかのように幕府内からも参勤交代を見直すことが挙げられます。
特に海防を担当する海防掛大目付は改革の必要性を痛感。
「参勤交代の緩和が諸藩の出費を減らし、海防強化の一助になる」と、建白書を出しています。

春嶽が参勤交代の緩和を主張してから4年・・・改革の機運は高まりつつありました。
ところが・・・一人の男が立ちはだかります。
譜代最大の大名・井伊直弼です。
次期将軍に紀州の徳川慶福(のちの家茂)を推した直弼は、次期将軍をめぐっての主導権争いに勝利!!
そして・・・一橋派の一掃に乗り出しました。
世に言う安政の大獄です。
1858年7月、春嶽は隠居謹慎処分に・・・江戸藩邸で逼塞生活を送ることとなりました。
井伊直弼の強硬な姿勢に耐え忍ぶようにと、家臣たちを戒めます。
2年後、春嶽を謹慎に追い込んだ井伊直弼が桜田門外で暗殺されます。
幕府の権威は急速に傾き始めました。
しかし、春嶽の近親が解かれることはなく、4年にも及びました。
春嶽はどのような政治構想を持っていたのでしょうか。
虎豹変革備考・・・春嶽がイギリスの政治体制をもとに自らの政治構想を記しています。
上院と下院に分かれた議会で、幕府には行政のみを委ねる議会制度を構想していました。
上院には大名を、下院には武士や百姓町人を参加させるべきだと説いています。
春嶽は参勤交代の改革を突破口に、近代的な政治の導入を模索していたのです。

井伊直弼の暗殺から2年後・・・時代は大きく動きます。
1862年3月、島津久光が藩兵1000人を率いて上洛。
朝廷を後ろ盾にして、幕府に政治改革させようとしました。
それは、春嶽を大老に、慶喜を将軍後見役に就任させ、幕政の助けにするという要求でした。
これに慌てたのが老中たちです。
朝廷や外様大名の要求を受け入れ幕政改革が行われるような事態になれば、幕府の権威は地に落ちたも同然!!
1862年5月、春嶽は謹慎を解かれ江戸城へ登城!!
将軍家茂の元へ・・・!!
欧米列強の対応で亀裂の入っていた朝廷との関係を修復、公武合体の実現に向けての交渉役を依頼されます。
春嶽にとって、それは将軍の以来と引き換えに参勤交代の緩和の絶好のチャンス!!
しかし、幕府の権威が落ちた今、それを行うのは大きなリスクをはらんでいました。
どうする・・・??

参勤交代の緩和を今切り出すのか?それとも時期を見るのか・・・??

将軍を目の前にどう応えたのでしょうか?
春嶽は将軍自らが不退転の覚悟で幕政改革をすると約束しないならば、従うつもりはないと言い放ちました。
その上で、老中らに速やかに徳川優先の政治をやめ、大名を苦しめる参勤交代の緩和をはじめとする幕政改革を迫ったのです。

改革の時はいまを置いて他になし!!

1862年7月、将軍後見職に一橋慶喜、政事総裁職に松平春嶽を任命。

その一月後・・・幕府はついに参勤交代の緩和を布告しました。
この改正によって参勤は2年→3年となり、江戸の滞在日数を1年→100日としました。
江戸にいる間は幕府に積極的に政治的意見を具申するようにさせます。
大名妻子は帰国は自由とし、大名たちを最も苦しめていた江戸での経費削減を実施していきます。
効果は覿面!!
全国で藩政改革が進んで行きます。

大名達はこぞって軍艦や大砲を購入。
それまでできなかった軍事力の強化と産業の育成に励みます。

しかし・・・その先には、春嶽も予測できなかった時代のうねりが・・・。
それは、急速に発言力を持ちだした朝廷でした。
春嶽たちが幕政改革をし出した2か月後・・・大名に対し、帝のいる京都の治安を守るように京都警護を発令!!
幕府を通さず、天皇が直接大名たちに軍役奉仕を求めたのです。
強硬な公家・三条実美は将軍後見職の慶喜に対し、諸大名の参勤は江戸と京都で折半しようと持ちかけさえしました。
1863年2月、上洛のために家茂が江戸を出発。
開国を容認してもらうために・・・。
その交渉役を任された春嶽は、将軍上洛の数か月前から朝廷と開国容認の交渉を続けていました。
しかし、孝明天皇は認めず、攘夷実行尾を春嶽に迫ります。
交渉は暗礁に乗り上げていました。
幕府と朝廷との板挟みになる春嶽・・・

さらに盟友であった一橋慶喜との間で政治方針を巡って対立し始めました。
3月、春嶽は政事総裁職を辞任。
政治改革の道から離脱してしまうのです。
その後、日本は本格的な激動を迎えます。

1864年第一次長州征討
幕府は諸大名に出兵を命じます。
その1か月後、幕府は参勤交代の復旧を発令!!
幕府への統制力を強めようというのが狙いでした。
ところが大名たちは、国家の大事件だと困惑・・・。
春嶽にも問い合わせが来ます。

「幕命には従わなければならないが、そのまま様子を伺い、幕府から催促が来た場合には病気を口実に断ればよい」と。

春嶽から見ても、衰退は止めようがありませんでした。

1867年10月14日、大政奉還
仕える将軍がいなくなったことで、参勤交代制度は終焉を迎えます。

明治に入っていからの春嶽は、執筆活動に専念。
数々の著作を残しています。
井伊直弼のことは・・・
”徳川家の威光を盛んにせんとの志にて、決して私欲のためにやったことではない。
 彦根公の英断が今に至りては感すへし”
と書いています。

直弼の一連の決断は、幕府と徳川を思っての英断だったと振り返っています。

春嶽は、自分が行った改革を失敗だったと思っていたのでしょうか?
その真意が明かされることはなく、1890年6月、春嶽死去・・・63歳でした。

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慶応2年1月京都・・・
風雲急を告げる京都で、時代を大きく動かす密約が結ばれました。
薩長同盟です。

交渉に当たったのは、薩摩藩が小松帯刀・西郷隆盛、長州藩が木戸孝允、そして交渉成立に深くかかわったとされるのが坂本龍馬です。
薩長同盟により、薩摩と長州を中心に倒幕運動が加速し、明治維新へと繋がっていきます。
犬猿の仲だった薩摩と長州がどうして同盟を結ぶことになったのでしょうか?

1853年ペリー来航、開国を要求します。
これをきっかけに攘夷の機運が全国で高まります。
外様大名の雄・薩摩藩は、朝廷、幕府、諸藩が一致して富国強兵を図り、国力を整えての緩やかな攘夷を主張。
これに対し、外様で力を持っていた長州藩は、即時の攘夷決行を主張・・・一部の公家を巻き込みながら、過激になり幕府を悩ませていました。
そんな中、1863年8月18日、会津藩、薩摩藩を中心とした幕府軍が、長州藩と急進派の公家らを京都から追放します(八月十八日の政変)。

しかし、長州藩も黙っておらず、翌年、京都での復権をはかり3人の家老が軍勢を率いて上洛し、御所にせまります。
そして、蛤御門付近で会津藩・桑名藩と激突(禁門の変・蛤御門の変)。
長州藩は、一進一退の戦いを繰り広げるも、京都に常駐していた薩摩藩の西郷隆盛の舞台が幕府側につくと形勢は不利に・・・!!
長州藩は、京の町に火を放ち、逃げていきました。
その際、御所を背にした幕府軍に発砲したとして、長州藩は朝敵となってしまったのです。
そんな長州藩に対し薩摩藩に望んだのは、厳しい処分と早期の長州征討。
中でも、禁門の変の際に参戦していた西郷は、急進派の中心的人物でした。
西郷は、盟友・大久保利通にこんな手紙を送っています。
”長州藩には兵力をもって迫り。東国あたりへ国替えを命じるべきである”と。
厳しい処分を考えていました。

朝敵となってしまった長州藩は、薩摩藩や会津藩に対して敵愾心を燃やし、”薩賊会奸”と呼びました。
そして、憎しみを忘れないようにとその四文字を下駄に書いたといいます。

satuma

















禁門の変から5日・・・幕府は西国諸藩に長州を攻撃するように命じました。
第一次長州征討です。
しかし、厳しい処分を望んでいた薩摩藩が、”長州には寛大な処分を望む”と、その態度を軟化させます。
わずか数日で・・・??
それは、薩摩藩の当時の最高権力者・島津久光の意向によるものでした。
久光は、京都の参与会議に参加、新しい国づくりに参加していました。
しかし、薩摩藩の力が強くなることを警戒した一橋慶喜と対立!!
慶喜の暴言に寄って、参与会議は瓦解してしまいました。

それ以後、政治の主導権は、政治に取り入った一橋慶喜が会津と桑名による一会桑政権となっていきます。
国元に戻った久光は、薩摩藩単独での富国強兵に舵を切ります。
そうなると、藩の支出が増える長州征討などもってのほか・・・
戦を避けたいという久光の意向が、薩摩の方向転換の大きな要因でした。
さらに、久光が慶喜と対立したことで、薩摩藩が危険視されるようになっていきます。

長州藩が滅ぼされてしまったら、次のターゲットは薩摩になるのではないか??という意見が、薩摩藩内部から出て来ます。
しかし、禁門の変で長州と直接戦った西郷は、厳しい処分にこだわっていました。
これを、小松帯刀が説得!!
西郷はようやく態度を改め、久光の意向に従い、手腕を発揮していきます。

大阪城で長州征討の軍議が開かれた際には・・・
薩摩藩の代表として参謀役となった西郷は、征長総督・徳川慶勝(尾張藩主)に対してこう進言します。

「今、長州藩の中は内部分裂を起こしています。
 これを利用し、長州人をもって長州人を征するのが良いかと・・・!!」by西郷

当時、長州藩は穏健派と強硬派に分かれていました。
西郷は、穏健派に実権を握らせれば戦わずに済むのではないか?と考えたのです。
しかし、征討軍は15万の軍勢で長州藩の国境に迫っていました。

「このままでは長州藩が潰される・・・
 そうなれば、次は薩摩が危ない・・・!!
 何としても総攻撃を回避せねば・・・!!」by西郷

西郷は、長州藩と関係の深い岩国藩を通じ、至急教順の姿勢を見せるように要請。
交渉が成立するように、禁門の変で捕らえていた捕虜10人を長州藩に返しました。
そして、自ら長州に乗り込み、強硬派とも交渉します。
こうした西郷の奔走により、長州藩が禁門の変に関わった三家老の首を差し出すなど、幕府に恭順の意を示したことで、総攻撃は回避!!
西郷は間一髪のところで、薩摩藩を戦に巻き込むことなく終息に向かわせたのです。

1865年5月、幕府は再び抵抗の姿勢を見せ始めていた長州藩に圧力をかけようと、14代将軍家茂自ら軍勢を率いて江戸を出発!!
これを知った西郷は怒りをあらわにします。
そして、家老の小松帯刀に嘆きます。

「将軍の江戸出発は、自ら禍を迎えるようなもので、幕府の威厳を示すどころではありません。
 これによって、天下は動乱となり、徳川氏の衰運はまさにこの時より始まるでしょう。」by西郷

薩摩藩は、この時、西国雄藩連合を作り、幕府の2度目の長州征討を阻止しようと考えていました。
これを実現するためには、長州藩の協力が必要で・・・両藩の和解が急務でした。
そして、この和解実現の立役者となったのが、土佐脱藩浪士・坂本龍馬でした。
この時、龍馬は薩摩藩の庇護のもとにありました。
龍馬が勝海舟の元にいた神戸海軍塾が1865年に閉鎖、行き場を失くした龍馬を交流のあった薩摩藩・小松帯刀に預けたのです。
小松は、近代的な海運教育を受けていた龍馬は使えるとし、庇護下に置いていたのです。
そして、龍馬が長州藩士たちとも進行があったので、薩長和解の道を任せることにしたのです。

知人を通じて下関に入った龍馬は、長州藩の中心的人物・木戸孝允との会談に持ち込みます。
しかし、相手は薩摩への深い恨みを抱える人物・・・いかにして説得するか??

鹿児島にいる西郷が、上洛途中に下関に立ち寄るらしい・・・
木戸との面会を希望しているらしい・・・。
西郷を木戸との会談に連れてきてしまえば、和解できる・・・
そう考えた龍馬は、同じ土佐脱藩浪士・中岡慎太郎に西郷を下関に連れてくるように頼みます。
龍馬は木戸と共に西郷の到着を待ちます。
しかし・・・戻ってきたのは中岡だけでした。
西郷は、下関に寄ることなく、京都に向かってしまったのです。

この時点で、西郷は木戸と会う気はなかったのです。
当時の京都は、第二次長州征討でもめていたので、一刻も早く京都に戻らなくてはならない状況だったのです。
そして、島津久光に何の断りもなく木戸と会うこともできませんでした。
糠喜びをさせてしまったと、龍馬と中岡は謝りますが、木戸の怒りは収まらず・・・

「薩摩藩が信用できるというならば、長州藩のために名義を貸してくれますか?」by木戸

この頃、長州藩は、武器の輸入が禁止されていました。
なので、外国製の銃などを手に入れることができませんでした。
幕府軍との戦いに、軍備増強したい木戸は、薩摩藩に名義を借りることで武器調達しようと考えたのです。
龍馬はすぐにこれを薩摩側に連絡し、なんとか長州と和解したい小松・西郷は許可しました。
こうして、長州藩は4000丁の最新式の銃と蒸気船を手に入れたのです。

9月・・・西郷は再び龍馬を長州に向かわせています。
今度は、薩摩藩が二度目の長州征討を阻止しようとしていることを連絡し、信頼を構築し、距離を縮めようとしたのです。
この時、大いに役立ったのが、西郷が持たせた大久保の書簡でした。
そこには・・・
「義のない勅命は勅命にあらず」と書かれていました。
つまり、いかに朝廷の命令であろうとも、天下万民が認めなければ誰も支持することはないという・・・断固長州征討に反対するというものでした。

薩摩藩に対する長州藩の信頼が回復していきます。
薩長同盟の機運が高まってきていました。

徳川慶喜が権勢をふるう幕府と対立関係にあった薩摩は、長州藩が潰れれば次は自分たちに矛先が・・・!!と、警戒。
それを避けるためには、長州征討を何としても阻止しなければなりませんでした。
一方、長州藩は、軍備を増強し、幕府の二度目の長州征討に備えますが、出来れば長州単独で幕府に対抗するのは避けたいと思っていました。
そんな中、1865年12月・・・木戸孝允のもとを一人の男が訪れます。
後の総理大臣となる黒田清隆です。
まだ20代半ばの薩摩藩下級藩士でした。
黒田は木戸に対し
「京都にいる西郷が会いたがっているので、ぜひあってほしい。」と。
しかし、これは黒田の作り話でした。

彼なりの切羽詰まった思いが、こんな行動に出たのです。
薩長同盟最大の功労者は黒田だったのかもしれません。
懐疑的な木戸に対し・・・
「すでに西郷の心は、長州と一つとなっています。」
長州も味方が欲しい・・・黒田と共に京都に向かう木戸。
すべて黒田の独断であったために、小松、西郷らは木戸の上洛に戸惑います。
しかし、せっかくの機会なので・・・そのまま会談を行うことに・・・。
場所については諸説ありますが・・・
その一つは現在の同志社大学の敷地内にある薩摩藩邸。
そして、近年有力視されているのが、御花畑屋敷・・・小松帯刀が近衛家から借り受けていた屋敷です。
1800坪もあり、薩摩藩の迎賓館のような役割をしていました。

1866年1月18日、ついに薩摩と長州の会談が始まりました。
徳川家茂が、第二次長州征討に向け、大坂城に入ります。
一方幕府は、長州藩に対し、新たな処分を行おうとしていました。
そんな中の薩長同盟の交渉開始でした。
話し合いの席についたのは、薩摩藩側は西郷隆盛、小松帯刀、大久保利通、島津伊勢、桂久武、吉井友実、奈良原繁。
対して長州藩は、木戸孝允一人でした。
階段の口火を切ったのは、西郷でした。

「幕府が近く下す長州への処分案を今は忍んで受け入れてたもんせ。」by西郷

これは、長州藩主の蟄居、10万石削減などでした。
幕府内での秘密事項でしたが、西郷は手に入れていたのです。
薩摩は長州と共に幕府と戦ってくれると期待していた木戸は、幕府側についたともとれる西郷のこの言葉に驚きます。
そして・・・
「三家老の首を差し出したことで、長州藩の処分はついている。
 更なる処分など、納得できません。」by木戸

双方が押し黙ってしまい、開始早々交渉は決裂!!

西郷が木戸に処分受け入れを求めたのでしょうか?
この時、西郷には・・・一旦、幕府が下した処分を受けさせておいて、事態を収束させる自信がありました。
長州側が、幕府の処分を受け入れなければ戦争になる!!それを避けようとしたのです。
薩長の会談が物別れに終わった2日後の1月20日、薩摩藩の有志がによって長州に戻ることになった木戸の送別会が行われることとなりました。
するとそこに、坂本龍馬がやってきました。
話し合いの結果を知らない龍馬は木戸に・・・
「会談の方はどうなりましたかのう??」
「なんも、きまっちゃおらん・・・!!」by木戸
これを聞いた龍馬は、西郷や小松のところに行き、もう一度話し合うように説得します。
これによって、再び話し合いが持たれることとなりました。

一度は決裂した交渉・・・知恵を絞ったのは西郷でした。
木戸に沿うような条件を出します。
その内容が、唯一記録として残っているのが木戸の書簡です。
そこにはこうありました。

幕府と長州の戦いが始まれば、薩摩藩は2000ほどの兵を国元から上洛させ、幕府に圧力をかける。
戦が発生して、長州側が勝利を収めそうな勢いになった時は、薩摩藩は長州藩の復権を朝廷に働きかける。

その中身は、薩摩がいかにして長州藩の復権に尽力するかというものばかり・・・。
中でも注目すべき一文は・・・

一橋・会津・桑名の三者が今までのように朝廷を擁し、薩摩藩の周旋尽力の道を遮った際には、決戦もやむ終えない。

これらの内容に木戸も納得し、1月21日薩長同盟成立!!

この同盟は、木戸の書簡に記された”決戦”の文字から、薩長両藩が手を組み、幕府を倒そうとする軍事同盟だとされてきました。
しかし、この”決戦”は、対幕府ではない・・・??
薩長同盟の真相とは・・・??

西郷が念頭に置いていたのは、あくまで一橋・会津・桑名との戦いであって、武力討幕は全く想定していませんでした。
おまけに、実際に戦闘が想定されるのは京都で軍事力を持つ会津だけ・・・。
戦いが起きても、藩同士での戦いであって、”決戦”という言葉には、長州と共に幕府と戦うという意味はないのです。
つまり、薩長同盟は、倒幕のための軍事同盟ではありませんでした。

木戸の書簡以外に、薩摩側の記録はなく・・・
同盟というほどの物ではなく、薩摩藩幹部と長州藩・木戸との会談の覚書だったのです。
この時の西郷たちの目的は・・・
この会談はあくまでも長州を味方につなぎ止めておくための物で、薩摩側のリップサービスでした。
この時点で薩摩側は、第二次長州征討が実行される可能性は低いと想定していたため、木戸に伝えた内容は履行されないとみていました。

薩摩藩にとって記録に残すほどの物ではなくても、四面楚歌にあった長州の木戸にとっては重要なものでした。
その証拠に、薩摩藩が長州藩に有利な内容を提示してきたこの内容を「皇国之大事件」とし、木戸はその言葉を書簡の中に何度も書いています。
そして木戸は龍馬に、この書簡の裏書を書くように強く求めます。
交渉の内容を知る人を増やすために・・・長州藩にとって、龍馬は薩摩藩士のひとりのように認識されていたからです。
証明してくれる人材として適任でした。
そして裏書として朱色でこう書きました。

”表に記されているのは、私が同席した時に話し合われていた内容に相違ありません
 二月五日 坂本龍馬” と。

龍馬に裏書をしてもらうことで、木戸は交渉の成果を確かなものとして長州に持ち帰ったのです。

薩長同盟締結からわずか2日後・・・1866年1月23日寺田屋にて・・・。
坂本龍馬は会談の成功を祝い、長州藩と関わりの深い長府藩士・三吉慎蔵と祝杯を挙げていました。
するとそこへ、幕府の役人が襲撃してきました。
龍馬は持っていた銃で応戦するも、刀で切りつけられ両手を負傷!!
命からがら近くの薩摩藩邸に逃げ込みます。
世に言う寺田屋事件です。

2017年この時の様子が書かれたものが、鳥取藩の記録が発見されました。
そこには・・・

坂本龍馬というものが泊まっていた寺田屋に、薩摩と長州が密談していたことを記した手紙があった。
それによれば、長州が挙兵した際は、薩摩藩が京都の幕府軍を追い払うという密約があるらしい。

龍馬が寺田屋に置き忘れた手紙が・・・薩長同盟の内容が僅か数日のうちに、幕府に漏れていたのです。

一説によると、龍馬はわざと書簡を置き忘れ幕府にリーク、薩摩藩の方針を幕府に知らせることでこの同盟が破棄されることのないよう薩摩の退路を断ったのでは??というのです。

果たして真相は如何に・・・??

寺田屋事件の後、龍馬が家族に送った手紙には・・・
”寺田屋で襲われたことは、幕府に長州藩と薩摩藩の関係を知らせることができてかえって幸いだった”と。
龍馬は、長州と薩摩の温度差・・・この同盟についての考え方の違いについて解ってたはず・・・。
薩長同盟・・・幕府の知るところになった瞬間、歴史は大きく動き出すのです。

同盟締結から5か月後の1866年6月・・・第二次長州征討!!
幕府は10万の軍勢で迫ります。
単独で迎え撃つ長州軍は、3500の兵でしたが奮戦します。
この時、兵士たちが手にしていたのは薩摩藩の名義を借りて手に入れた最新式の銃でした。
二度目の長州征討はないという思惑が外れた薩摩藩でしたが、木戸との約束を守り、征討軍の参加を拒否!!
西郷も早期終戦に向けて尽力します。
長州藩は戦いを優位に進め追討軍を撃破!!
この後、薩長の倒幕の勢いは大きなうねりとなり、江戸幕府は終焉へと向かうこととなるのです。
薩長同盟の成立からわずか2年足らずのことでした。

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明治維新とは何だったのか: 薩長抗争史から「史実」を読み直す

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御無沙汰していました。
プライベートが忙しくなって、なかなか更新できない私ですが、やっぱり魅力的な作品は筆も進むわなあ・・・とも思ってしまいます。
今回は、あの薩長同盟です。

フランス公使ロッシュとの会談で舞うお芳・・・
この大河では、妾ではなく側室ってことになってるんだから、こういう色的な要素失くしませんか??
もっと本当の芸妓を連れてくればいいんだよ・・・。
この大河では、緊張感のある交渉であってほしいと願ってはいけないのだろうか??

京都に迫ってくる軍艦・・・
慌てる京都の人々・・・その要求は、兵庫の港を開港せよということ&長州征伐らしいんですけど・・・
開港と長州征伐は一緒ではないと思うんですけど・・・この大河ではすべてが一色たんになってしまっているし、吉之助はやっぱり戦うのが嫌なようです。
そんなに長州征討が大切なんだろうか・・・こんなに時間を割くのもなあ・・・。

そして浅はかな岩倉具視・・・。

いきなり胃痛になった一蔵・・・
お妾さんの・・・おゆうのもとへ。
またキンチョー感が消えちゃったよ・・・。
女が悪いって言ってんじゃないんだよ。
もっとかっこよく粋に書いてくれないかなあ・・・。

そこで一蔵の書き物に目を通し、感動する吉之助。
そこには、”非義の勅命は勅命にあらず”とありました。
=天子様が許しても、天下万民が納得しなければ勅命じゃないんだと!!

こんな書き方して、”倒幕の密勅”の時どうすんだよ・・・。
倒幕の密勅が全てなのに・・・!!

おまけに、外で盗み聞きして「こんな事は止めて!!」というおゆう・・・。
この展開もサゲサゲ~~!!
盗み聞きなんてはしたない真似みんなしてどうすんだよ・・・。

この写しが広まっていきます。
これは、密書なんじゃないの??
岩倉具視、「やりおったなあ~~!!」なんて言ってますが、この密書だけでなにを「やりおった」んや??
もっと、お上品にしてください。
お・・・慶喜にも知られてしまいました。
「芋侍が・・・!!」と怒っていますが、この時点で薩摩、アウトです!!
西郷切腹、薩摩おとり潰しもんだろ・・・??
どうして野放しにするんだよ・・・慶喜!!
密書にしとけよ~~!!

その密書は、桂小五郎に手にも・・・!!

吉之助から龍馬へ、商い・・・つまり武器の輸入の話になってます。

なんだかなあ・・・戦うのが大嫌いな吉之助なのに、いきなり武器の話??
おまけに桂さんと手を組みたいと言い出しています。
この時点で、長州と手を組むことが、薩摩にどれだけの利があるのか??
私の記憶が正しければ、もうにっちもさっちもいかなくなって、幕府と戦う武器も無くなった長州が、龍馬を頼って薩摩を通して武器を手に入れる・・・ここに、薩摩と長州が手を組むことになると思うんですけど・・・。
この時点で、武器を手に入れてあげる薩摩の方が上なんですけど・・・??
こんなあぶないテロな藩・長州と、平和論者の吉之助がどうして手を組みたいと思っているのか全く理解できません。

吉之助の命で、桂のもとへ向かう龍馬。
商品はミニエー銃でした。
首を縦に振らない小五郎を、写真で説得する龍馬。
もっと世界に目を向けろということなんでしょうが・・・。

年が明けて・・・京都にやってきた桂小五郎。
もちろん、会いに来たのは吉之助でした。

「長州は薩摩のために朝敵にさせられた!!」なんて小五郎が言ってますけど、御所に向けて発砲し、自ら朝敵となったのは長州の方なんじゃないの??
なんでこんなに長州藩が高飛車なんだよ・・・
この時、長州はホントに武器弾薬が欲しかったんだよ・・・??

で・・・この薩長同盟を国父・久光に聞く時間がないと悩んでいる薩摩のみんなですが・・・
小五郎も、恥を忍んで言ってるのだから・・・と、情に訴える吉之助ですが・・・情に訴えたらあかんやろ??
なんてったって、策士なんだから・・・。

毎回言ってますけど、いくら挙国一致で立ち向かうとはいってもそれは国外の相手というだけで、中にはいってしまえば彼らの国は藩なんだから・・・
藩の存続を第一に考えるのが普通でしょう。
そんな中、薩摩は泥船となった長州と手を組むわけだから、どうして手を組んだのか??ってとこをきっちりやってもらわないと何がなんだかわからんわなあ・・・。

御花畑屋敷にやってきたみんな。
??ところで、小松帯刀の屋敷って言ってますけど、こちらは近衛家の別邸です。
近衛家に別荘を借りることができるほど親密な関係だったということです。
この大河では何にもしていない小松帯刀どんですが、本当はこの人が全てを取り仕切っていたんです!!

don















頭を下げるまでは何も言ってはならん!!
時が過ぎるばかり・・・。
反対してバタバタとやってくる薩摩の仲間たちに、長州と手を組むのは日本を守るためだと言い出しました。
??
日本にテロを巻き起こしたのは長州ですよ??吉之助!!
おかしくないかい??

もめてるとこにいきなり伊藤俊輔に写真を出させる吉之助です。

don2















イギリスに行った若者は、薩摩も長州もなく仲良く頑張っているということで、こちらも仲良くしようと一件落着・・・。

もうどうでもええわ・・・な展開でした。
ほんま、緊張感ないわ~~この大河。
幕末のピリピリ肌を刺すようなそんな緊張感が~~!!

don3















で・・・西郷が頭を下げて一件落着なのでした。

薩長同盟成立!!

don4















ほんと、全てにおいて、薩摩が下手に出た薩長同盟でした。

この薩長同盟、”同盟”って言ってますけど、ただの口約束だったと言われています。
なので、正式な文書としては残っていません。
残っているのは、もう後のない長州が、”薩長同盟”がなったことに喜んで・・・
その証拠を残しておこうと”話し合った事”を小五郎か書き付け、その証人として龍馬に裏書してもらっています。

そして、薩長同盟が成ったことをどれだけ小五郎が喜んでいたか・・・それは手紙にも残っています。

薩摩としては日本で幕府を倒そう!!なんて気持ちはなく、そこまで考えずにただのリップサービスだった薩長同盟というのが最近の通説になってるんですけどね・・・。
ま、リップサービスってなってしまうと重みもなにも無くなってしまうので、重厚には書いてほしいですけどね・・・。
挙国一致・・・こんな形になってしまうとは、斉彬もビックリ!!でしょう。

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ああ・・・私の気持ちを知っているのか?いないのか?
レポートする前に、外付けハードディスクが壊れてしまいました
まだまだ見ていない作品も沢山入っていたのに・・・
昨日から頑張って直していますが、直せそうにありません。

先日は、テレビも映らなくなったことがあり、もう、寿命なのかもしれません

テレビが壊れることを想定して、外付けハードディスクは買わずに、ブルーレイレコーダーで何とかしのぎたいと思っています。

ああ・・・
やる気のなさが、テレビにも伝わったのかもしれません。。。

ということで、覚えているだけの簡単な感想を!!

坂本龍馬が主な回でした。
小栗旬さんの坂本龍馬、カッコいいので、ほんと、この脚本が勿体なく感じました。

don















まずは・・・
龍馬は、海軍操練所にいて、そこが閉鎖されたので、勝海舟→小松帯刀ということで薩摩藩に来ました。
なので、西郷さんと自分で交渉したのではありません。
きちっと人間関係を書いてくれないと、ほんと、何を頼りにやってきたのか??と思います。
大体、当時は藩と藩の間を行き来するのは大変で、龍馬のやった脱藩なんてのは命がけのことでした。
なので、堂々と名乗れるのももってのほかのような気もします。

中岡慎太郎も郵便屋さんよろしく・・・
何の思想があるのやら・・・??

don4















おまけに天下の西郷隆盛の家は、今もぼろ屋で、そのぼろ屋を天下の西郷と龍馬が直すという・・・。

don2















もっと他にやることないんかい??
とにかく、どちらも下級武士であったり郷士であったり・・・
ま、龍馬さんは商人的な側面が多々ありますが・・・
彼等には、後がないのです。
民のための戦いだと、この大河では言っていますが、下級武士の分際で、こんな事をしていれば後がない・・・!!
その命を張った危機感が、最終的に倒幕の原動力になっているんです。

結局、明治維新になったって、身分制度がなくなったわけでもなければ、それまで武士だった者たちがあぶれ・・・
彼等が内紛を起こすんです。
祀り上げられらかも知れないけれど、その御大将が西郷隆盛なんですよね・・・。

don5















とにかく、現時点では、小松帯刀を中心として、西郷、大久保たちが暗躍するわけです。
幕府につくのか??見限るのか??天皇は・・・??長州は・・・??
こんなバカな西郷と大久保であったら、事はならなかったでしょう。

ああ・・・みんな叫んでばっかりで意味わからん・・・。


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西郷どん・・・なんだか見ていて全く理解できず、虚しくなってしまいました。
そんな第28回「勝と龍馬」でした。
小栗旬さん大好きなのに・・・その大好きな小栗旬さんをもってしても、私の興味は薄れてしまったの・・・??
銀さんの方が、一本筋が通ってたりして・・・??

で・・・お話は・・・??

禁門の変の時に右足を負傷した吉之助、幕府軍の圧勝に終わったんですが、しかし戦火は京全体に・・・!!
薩摩軍は、長州の残した兵糧米を炊き出し、負傷した長州兵も治療しました。
ということで、とってもいい人な吉之助です。

焼け野原になった京の都を見て呆然とする吉之助・・・。
死んでいった人を思いやる吉之助。
瓦礫の中から犬を助け出す吉之助。
「お!!この犬があの犬か??」byわが家のパパ。
あの犬・・・??そうそう上野の西郷さんが連れている犬です。
緊張感も全くないし、笑っちゃったわ・・・。

そこにたたずむフキどん・・・
慶喜の側室なんだったら、もうフキどんって言っちゃだめでしょ?
それに、そんな綺麗なベベ着て・・・不釣り合いなんだよ~~~!!
と、地底の果てまでゲンナリ・・・。
とと思っていたら、どうしてこんなことになってしまったのか?誰が悪かったのか??と、フキに追及されます。
う~ん・・・そういう問題じゃないんだよ・・・。
と思っていたら、「みんなじゃ・・・」と言い出す吉之助。
おもんないんだよ・・・。
みんなそれぞれの正義のために戦ってんじゃないの??
だから、誰のせいでもなくって、生みの苦しみって思いたいのよね・・・

長州征伐にイケイケどんどんな慶喜・・・
「長州許すまじ!!天子様の勅命じゃ!!」と言い出しています。

吉之助と小松帯刀の話を襖越しに盗み聞きするお虎・・・
これが密偵なら緊張感があるし、花燃ゆの文なら女主人公だからな・・・盗み聞きしないと話が進まないのか??って思うけど、こちらは男性主人公の西郷吉之助であり、明治維新になってもその中心にいる人物なんですけど・・・??「なんで盗み聞きやねん・・・はしたない・・・」って思っていら、ケガやのに動いたらあかんとか言い出して・・・なのに、拒否されると「わかりました。すぐに駕籠を呼びますさかい・・・」なんて言い出しコントする・・・。止めるなら、命をかけて止めてみたら・・・??
こんな間延びした雰囲気もNo thank youです。



慶喜にべらんめえ調ではなす勝さんもNo thank youです。
ここに出てくる人は、節度ってもんがないんでしょうか??
ほんと、折り目正しい日本人が・・・困ったもんです。

そこへ吉之助が来て勝さんと初めての出会いでした。
呼び出されていた吉之助は慶喜とお話し中・・・
そんなところへフキが乗り込んできて、
また戦をするのか?とか言い出しました。
目の前で町が焼け、民が苦しんでいるのが見えぬのですか?と、ウザい限りです。
戦などやめてください、西郷さまからも言ってください!!
と言われた吉之助は・・・
「口を慎みなされ、ここは、女子の来るとこじゃなか・・・!!」と、言いました。
う~ん・・・吉之助が変わったと表現したいのでしょうか?
それにしても、みんなの味方の優しい西郷さんで突き通すんじゃなかったのか・・・??
ブレブレな西郷さんな気がします。
女性を無碍にしただけで、人格が変わったことを表現したいのでしょうか??
違う気がする・・・。

”勝海舟を説得しろ”と吉之助に命令する慶喜。
う~ん・・・慶喜・・・勝海舟は幕臣なんだから、どうして吉之助に頼むの・・・??

勝を訪ねて行った大坂には坂本龍馬がいました。
あ~~~この呑気な音楽、なんなんだ・・・恥ずかしい・・・。
やめてくれよ~~~!!

don















これ見よがしにピストル見せんのもおかしいんじゃないの・・・??
刀然り、ピストル然り・・・抜くときは殺すときだよ・・・??
そんなこと、したのかなあ・・・龍馬。
そこへ、めっちゃフレンドリーな勝海舟登場!!
なんか・・・この場面の音楽・・・ほんと・・・なんじゃ・・・。

don2













色々話してますが、内容が薄すぎて頭に入ってきません。
現在勝海舟がどんな立場の人間なのか??
今現在、政治がどうなっているのかわからないからです。
でも、ここだけはわかりましたよ・・・

「なるほどな・・・あの島津斉彬さまが見込んだだけのことはある!!」by勝海舟
どの斉彬だよ・・・??
「俺が斉彬さまならこう言うね・・・もう、幕府なんざ、見限るこった!!」
と、慶喜の書状を火鉢にくべてしまいました。

「俺の書状を燃やしやがっただと・・・??!!」

と、相変らず品のない慶喜です。
勝には軍艦がある、万が一江戸城に向けられたら・・・??と、いきなりな話をし出す吉之助。
どうして軍艦でやられると思うんだよ・・・。
勝が嫌がるから、長州征伐を言い渡された吉之助。

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戦をするのが嫌だというかと思ったという慶喜に、
「たった今、勝ち目が見え申したで・・・
 おいにお任せくださいませ」と言い出す吉之助。
だ・か・ら!!どんな勝ち目なの??
何が何だか理解できないのは、私が阿呆だからか・・・??

ってことで??
総大将は、前尾張藩主徳川義勝です。
この人も、いろいろ考えがあって行動しているはずなのに、なんとも阿呆に表現されています。
なんでこんなにバカな感じにするかなあ・・・??と思っていたけど、旦那が言いました。

「まあ・・・300年近く、戦ってないんだからこんな感じかもなあ・・・」と。
う~ん・・・そうかもしれないけど、それをドラマ化はして欲しくないよなあ・・・。

密偵を放つも、もう帰ってきています。
見せ場になるあんなこんなを全部カットするから緊張感が全くなくなるんだよ・・・。

おバカな義勝のもとへやってきて、長州に行きたいと言い出す吉之助。
みんな戦を望んでいないとか言い出し、一人長州に出向いて、戦わずして終わらせてみせると言い出しました。

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岩国に、単身で乗り込む吉之助。
返すものがあると、先の戦で傷つけた兵を養生させておいたと連れてきました。
ここはある程度事実です。
やっぱり、結局いいひと設定なんだ・・・吉之助。

ということで、西郷さん一人で申し状に従うと、決めてきました。
吉之助一人で長州を倒したそうだ・・・。
それでも、手助けをしただけだという吉之助。

戦争をすると思っていたのにしてこなかったことに「失望した」という慶喜・・・。

そうなんだよね・・・
この長州征伐は御所に向けて発砲した長州に対して、孝明天皇が怒り遊ばしたことが発端で・・・
慶喜はそんなに戦いたくはなかったと思っています。
でもね・・・この時に長州をたたいておけば・・・!!と、幕府側が後に思うのも事実です。

慶喜に楯突いた吉之助は「腹を切れ!!」と言われ・・・

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決別します。
ああ・・・この演出も興ざめです。
高倉健がしてそうですよ・・・
あ・・・誤解のないように、高倉健さんは私の一番の俳優さんです。
命のやり取りをするヤクザが多かった健さんです。
背筋がピンと伸びて、着流しがとっても似合うギラギラとしたいい男・・・
それを思うと、ギラギラしていない吉之助は命のやり取りをしてないからだろうなあ・・・

で・・・腰を抜かし、「くっそお~~!!」と悔しがる慶喜。
みんな、ホントに品がないんだよなあ・・・

吉之助は徳川だけが残るのではなく民のために・・・と言っとりますが、この時点では、そんなに幕府を見限っているわけでもなく、長州と仲良しなわけではありません。
禁門の変後・・・長州の人たちは、こんな思いでした。

satuma

















「薩賊会奸」と、下駄に書き、それを踏みつけて・・・憎んで再起を図るわけです。
当時の藩は=国で、みんな自分の国のために戦っているわけで、「民のため」に戦っているわけではありません。
吉之助も、薩摩藩の利になるように働いているわけです。
この幕末明治にかけて、薩摩藩が一番うまく立ち回ったと思います。
日和見というか・・・。
元々倒幕だった長州、佐幕だった会津・・・そして、佐幕だったのに倒幕に寝返った薩摩!!なんです。
私は小さい頃からやっぱり佐幕が好きで、でも、一貫している長州も好きで・・・寝返った薩摩は嫌いでした。
でも、国を守るために清濁を併せ飲んだ結果、国を守るために佐幕から討幕に寝返ったわけで、そこには西郷隆盛という男の才があったと思います。

ドラマとして・・・この時点で長州を思いやっている時点でアウト!!
なんでもいがみ合っている両者が手を組むからこそドラマがあると思います。
もちろん、薩摩も幕府も確固たる信念をもって動いていました。
そこらへんも書いてほしいのは山々ですが、そこら辺を目をつぶったとしても、薩摩と長州がいがみ合っていないと話は全く面白くないのが現状で・・・龍馬が頑張る必要は1000%要らないわけです。

ドラマとしても面白くない、間延びした・・・
「西郷どんは凄い!!」と言いながら、その凄さを何に求めているのか・・・??
全くすごくない西郷どんが仕上がってしまいました。
西郷隆盛は策士であって、軍人です。
これから戊辰戦争、明治維新、下野、西南戦争・・・どうやって表現するのか??
「民のため」とか、「戦いはしたくない」と連呼すればするほど、担ぎ上げられてなんの能力もない・・・つまり、凄くない西郷どんが仕上がっていっていますよね

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