日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:上杉景勝

豊臣秀頼 (歴史文化ライブラリー) [ 福田千鶴 ]

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天下人豊臣秀吉の居城・大坂城!!
三国無双と称えられたこの城で、400年前悲劇のプリンスが自害し果てました。
秀吉の息子で後継者の秀頼です。
追いつめたのは、江戸幕府を開いた徳川家康。
どうして家康は豊臣家を潰さなければならなかったのか・・・??

太閤豊臣秀吉には、心配事がありました。
秀頼のことです。
溺愛する息子はまだ6歳。。。
秀頼のために遺書を書きます。

「返々 秀よりこと たのみ申候 
 五人のしゆ たのみ申候

 此ほか にわおもひのこす事なく候」

ここで秀吉の補佐を頼んだ5人とは・・・
徳川家康・前田利家・毛利輝元・上杉景勝・宇喜多秀家・・・
豊臣政権を支えていた五大老です。
彼らに遺言を託した秀吉は、1598年8月18日にこの世を去ります。
その後、前田利家は秀吉の言う通り補佐につき、家康は伏見城に於いて豊臣政権の政務を行います。
しかし、最古参の前田利家が亡くなると状況が一変しました。
家康が天下取りに動き出したのです。
当時、大名同士の婚姻は、秀吉によって法律で禁止されていました。
しかし、家康は、自らの勢力を強めるために・・・蜂須賀家、福島家、伊達家・・・婚姻を結びます。
反家康派の家臣たちは激怒し、関ケ原の戦いが起こるのです。
徳川家の東軍と、豊臣家家臣の石田三成の西軍との戦いで、およそ20万が・・・!!
家康側には反石田派の豊臣恩顧の大名も加わり、豊臣家家臣団の内部分裂の側面でもありました。
しかし、秀頼をはじめとする豊臣家は参戦せずに中立の立場を取ります。
戦は半日で決着!!
徳川家の勝利により、家康の天下が近づきました。

徳川家康は大坂城へやってきました。
秀頼に対面してから西の丸に入ります。
これに先立って、家康は、秀頼と淀殿に・・・
「豊臣家は今回の戦には全く関係ないから安心してください。」と伝えていました。
しかし、豊臣家に気付かぬように・・・戦後処理として豊臣家の所領を勝手に分配・・・
秀頼の領地は、摂津・河内・和泉の三か国・・・65万7400石あまりとなってしまいました。
秀吉時代の1/3でした。
その家康が、秀頼の何を恐れていたのでしょうか??

①豊臣ブランド
関ケ原の戦いから4か月後の1601年1月29日、大坂城は賑わっていました。
9歳になった秀頼のもとに、公家や僧侶の中でも地位の高い豪華なメンバーが新年のあいさつに来ていました。
徳川の力が強まっても、彼らは変わらず豊臣家に敬意を払っていました。
庶民たちはもっと豊臣贔屓・・・。
家康が将軍のなる際には・・・
「内府様、将軍になれせられ
 秀頼様 関白に御成之由候
 目出度御事にて候」
と、家康が将軍になるのなら、秀頼はもちろん関白になると考えていたのです。

上方の豊臣人気の理由は・・・。
秀吉が天下人となってから、豪華になり、京都は再び活気を取り戻します。
秀吉が死んだ後も、秀吉に贈り物などして関係を築いていました。
当時日本に来ていたオランダ人も・・・
「大坂の城にいる秀頼さまは、前皇帝の子であり、日本の正当な皇帝である。」
そして、経済都市大坂を領地としている秀頼には豊かな経済力がり、諸大名や庶民から絶大な信頼を得ていました。
秀吉が作った城下町は、商人たちにとっては住みやすい町でした。
再び豊臣の世が戻ってくることを誰もが期待していました。
いまだに人気の豊臣ブランドなのです。
それを、家康は恐れていました。
豊臣家の象徴である秀頼をどう扱うのか・・・??
細心の注意を払う家康です。
なので、年始の挨拶も忘れず、素直に代わらぬ振る舞いをしていました。

その一方で暗躍します。
1600年に公家の九条兼孝が関白になります。
家康が、秀頼を関白にさせないために、仕組んだのです。
関白を武家から返すはじめということ・・・
これは秀吉の意志であったと・・・!!
関白を摂関家に返して、新しい武家関白の誕生を阻止したのです。
征夷大将軍は官位五位相当の役職で、関白は官位一位相当の太政大臣の上位に置かれる役職です。
家康は関白になれるのか・・・??
関白は摂関家でなければなれません。
秀吉は、摂関家になっているので、秀頼には関白になれるチャンスがあるからです。

家康が征夷大将軍になった年、秀頼は関白には慣れませんでしたが、正二位内大臣となりました。
一説には豊臣方をなだめるために家康の計らいだったとか・・・。
そして、この年、秀頼は結婚。相手は、家康の孫であり、淀殿の妹・お江の娘・千姫でした。
この婚姻は、もともと秀吉の遺言でした。
しかし、家康はこの婚姻に協力的ではありませんでした。
薩摩の島津家には、結婚祝いの上洛は無用と伝え、細川家には使者は無用としています。
それでも秀頼の元には多くの祝いの品が届きました。
太閤殿下の御威光はまだ残っている!!
衰えない豊臣人気!!


②豊臣家の財産
豊臣家の居城・大坂城には莫大な金銀が蓄えられていました。
金の量は、国全体の2/3もあったと言われています。
この莫大な財産こそ、家康が恐れていました。
打倒徳川の軍資金となるからです。
そこで家康は豊臣家の財産を減らす策に出ます。
寺社造営です。
家康は秀吉の菩提を弔うと称して自社の造営や修復を勧めます。
秀頼と淀の方は、秀吉が寺社造営を進めていたこともあって、家康の言葉を素直に受け入れます。
積極的に出雲大社をはじめ、名だたる神社仏閣の修復や造営を始めます。
その数およそ100!!
かなりの財産をつぎ込んでいきます。
その一方で、それは、改めて豊臣家の権威を見せつけることとなったのです。

この頃から家康の態度が変わってきます。
毎年行っていた年始の挨拶を止めます。
秀頼に来るように・・・と。
1605年、将軍職を秀忠に譲ります。
これは、将軍家は徳川家が世襲することを示していました。
政権を戻すつもりはない!!と言っているようなもの。
そして、秀忠の将軍就任に際して、秀頼に上洛するようにと言ってきました。
淀殿は、上洛せよというなら秀頼を殺して自分も死ぬと断固拒否!!
我が子秀頼を命がけで守ろうとしました。

まだ13歳の秀頼はどう思っていたのでしょうか??
幼いころから武芸、和歌、漢詩、兵学、儒学・・・あらゆる学問を当第一の学者に学んでいた秀頼は、14歳の時に明王朝の帝王学の教科書「定鑑図説」の和睦本を出版します。
優秀なブレーンアが要ることを示しています。
ひ弱でマザコンと言われる秀頼ですが、聡明で、強い自我と行動力を持っていました。

「自分こそが秀吉の後継者である!!」という強い思いが・・・!!

そして、その意志は住吉大社の造替工事にも見受けられます。
ここはかつて秀吉の母の大政所の病気平癒と延命祈願をした場所です。
住吉大社を建て替えることで、秀頼は豊臣家再興を願ったのです。
そんな秀頼に、牙を剥き出す家康・・・
駿府城三の丸の工事を始め、他の外様大名と同じように、秀頼にも労働力を差し出すように命じてきます。
しかし、秀頼は冷静で・・・年始や七夕には人を遣わして挨拶をします。
人々はそんな秀頼を”年長ずるに従い知勇加わる”と言いました。
豊臣家当主として年々頼もしくなっていく秀頼・・・!!

ある日・・・京の町に落首が・・・
”御所柿は 一人熟して 落ちにけり
          木の下にいて 拾ふ 秀頼”
御所柿とは、駿府城に隠居し大御所となった家康の事。
老いていく家康が自然と地に落ち、その政権を秀頼が拾うと・・・
二人の年齢差を皮肉り、豊臣家の復活を望んでいるのです。


③秀頼の若さ
1611年、家康は後陽成天皇の譲位の儀式のために、今日に上ります。
そして、秀頼を二条城に呼び出すのです。
秀頼は、それに応じ3月28日午前8時、二条城に到着。
一説には庭まで出迎えたという家康。
最後にあったのは11歳の時でしたが・・・19歳の秀頼は、身長197センチの大男に成長していました。
家康に続いて城内に入った秀頼に対し・・・
「ささ・・・お先に。」家康は秀頼を先に会見の場所に通し、対等の立場で話そうというのですが・・・。
秀頼はそれを頑なに断り、家康に上席を譲りました。

家康の二条城に秀頼が赴くということは、既に秀頼は家康より下の立場から・・・なのに、家康も対等に・・・と思うのですが、この時点では、家康の方が位が上でした。
秀頼の方が下に座るべきであろうと秀頼は家康に正しい礼を取ったと言えます。
先に秀頼を家に通そうとした家康の罠で・・・先に秀頼が入っていれば、礼節をわきまえない無礼な男として非難されるところでした。
そんな家康の策にはまらず、冷静に、自分の立場をわきまえて対応します。
2時間に及んだ会見で、合間には食事も・・・。
家康は、豪華なものでは遠慮がちになると吸い物だけを振る舞います。
ここでも秀頼に気を遣っているようで・・・会見の最後に家康は言い放ちます。

「太閤殿下の遺言では、秀頼殿が15歳になったら天下を治めていただく約束だったが、先の関ケ原の戦いで我を退治せんとし、起請を破ったのは秀頼殿であるから、約束を反古にされても仕方が無かろう」by家康

関ケ原の原因は秀頼側にあると難癖をつけ、成人した秀頼に天下を渡さないことを宣言。
自らの行為を正当化したのです。
改憲の後、家康は秀頼のことを・・・

「大変かしこい人なり。
 他人の臣下となって、その命令に従う人物にあらず。」by家康

19歳の賢く頼もしい男・・・それに引き換え自分は70歳・・・。

二条城会見の数日後・・・大阪の秀頼の元へ、家康の子供たちが進物を携えてやってきました。
二人に対し秀頼は心のこもった返礼をし、家康にお礼の手紙を送ります。
この手紙は・・・家康に宛てた秀頼の挑戦状・・・??

「次にお会いしたときにお礼をします」と書いています。
その品を直接会って・・・つまり、返礼品が欲しければ、家康が直接会いに来るように・・・との事なのです。

二条城会見を外から見れば、家康に対して礼節を尽くした・・・ですが、家康に対して自分の方が上位であるという手紙の書き方をしているのです。
それは、秀頼と家康の間にしかわからない失礼な手紙でした。
秀頼はかしこい人だ・・・そう思う家康でした。

再建中だった方広寺の鐘・・・。
「国家安康」・・・家康という名が分断され、呪っていると難癖をつける家康。
これが、戦のきっかけになってしまいます。
徳川と豊臣の対立・・・もはや戦は避けられない・・・と、戦の準備が始まりました。
1614年10月、秀頼は莫大な資金を投じ、大坂周辺の米を購入。
武具などを城内に配備するだけではなく、大坂周辺にも壁を築き、籠城の準備をします。
さらに、秀頼は豊臣方について戦ってくれるように早い時点で諸大名に手紙を送っています。
それは、秀吉恩顧・・・毛利、島津、伊達にまで及んでいました。
結局誰一人、秀頼の求めには応じませんでしたが・・・どうして大名は、秀頼方につかなかったのでしょうか?
 
熊野権現の起請文・・・
家康は方広寺の事件以前に起請文を諸大名から取っていました。
徳川家に忠誠を誓う・・・なので、大坂の陣で豊臣方に協力しなかったのです。
結局、秀頼に着いたのは、関ケ原で戦って敗れた浪人たちだけ。
その中には、真田信繁、長宗我部盛親、後藤又兵衛、木村重成、毛利勝永・・・といった名高る武将もいました。
11月19日、戦いの火ぶたが切られます。
徳川方20万に対し、豊臣方10万!!22歳にして初陣の秀頼!!
しかし、それは荒々しい面構えで、総大将として堂々たる立た住まいずまいでした。
かつての秀頼の姿を見て涙する者も・・・。
秀頼は広大な城の各陣を馬で回って兵士たちを激励!!
また戦果を挙げた者には即座に褒美を与え、士気を上げます。
豊臣方は、兵の数では劣りながら善戦!!
巨大な大坂城を前に攻めあぐねる家康。
真田丸らの戦いで、甚大な被害が!!
しかし、徳川方が放った砲弾が大坂城の天守に命中。
その被害を目の当たりにした淀の方が、弱気になり・・・
12月19日和睦成立。
この時、家康が出した条件は、大坂城にいる浪人たちの追放のほか、城の堀の埋め立てでした。
和睦の際の取り決めでは、三の丸の堀と外堀は徳川が埋め、二の丸は豊臣が埋めることになっていました。
しかし、家康はその取り決めを破り、全ての堀を埋めてしまったのです。
本丸だけを残し丸裸となってしまった大坂城!!
徳川軍が退去した後、秀頼はすぐに堀の復旧と戦の準備を始めますが・・・
家康はそれを理由にまたもや出陣!!
行く当てのなかった農民たちが大坂城にいました。
まだ戦うのか・・・??
今度は、秀頼の到着を待ちます。
秀頼は、兵糧や材木を大阪城内に集めます。
火薬を作る準備も!!
豊臣対徳川・・・最後の暑い夏が始まります。

豊臣方5万5000VS徳川方15万!!
圧倒的な兵力差がありました。
それでも秀頼は総大将として本丸正門に陣を構えます。
その姿は、大いに豊臣方の士気を高めましたが、秀頼が出陣することはありませんでした。
この時、秀頼の元へ知らせが来ていました。
戦っていた豊臣の者たちが寝返って、秀頼が出撃すればそれを討つと・・・!!
秀頼は動くに動けなくなって、出陣の機会を失ってしまいました。
しかし、これは、家康のデマで・・・家康の策略にまんまとはまってしまったのです。
豊臣方の形勢は悪化・・・。
真田信繁らの有力武将などが次々と討ち取られていきます。
もはやこれまで!!
秀頼は、出撃し、戦場で討ち死にしようとしますが、周囲に止められ城に留まります。

そして、炎に包まれる大坂城で、母・淀の方と共に自害するのです。
1615年5月8日・・・家康が恐れた男・豊臣秀頼・・・このときまだ、23歳でした。 

焼け落ちた大坂城に秀頼の首はありませんでした。
あったのは、金2万8000枚と、銀2万4000枚・・・。
豊臣の財力を削ごうと暗躍した家康でしたが、その財力は、家康の想像をはるかに超えていました。
そして、この戦の後、京や大坂でこんなわらべ歌がはやりました。

花のよふなる秀頼さまを
鬼のよふなる真田が連れて
退きも退いたよ加護嶋へ

真田信繁が、秀頼を鹿児島へ連れていったというのです。
大坂の地を経済都市として栄えさせてくれた秀吉に恩を感じていた町人たちは、彼の愛した息子にはどうか生きていてもらいたい・・・と願っていました。
豊臣人気も、家康の想像をはるかに超えていたのかもしれません。


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上杉討伐に乗り出した徳川家康。
その機に乗じて、三成は、打倒徳川家康の旗を挙げる。

風雲急を告げる中、真田昌幸が選んだ道は。。。

大坂にある真田屋敷にて・・・

maru












上杉討伐の命が徳川内府から発せられたが、真田と上杉は固い絆で結ばれているので、上杉につくという。。。

「裏切るのではない・・・表返るのだ。」by昌幸

大坂を出発し、昌幸は上田、信幸は沼田で軍備を整え会津へ向かうという。
女たちも大坂にいてはいかなる被害があるとも・・・と、大坂を出て上田に向かうようにと・・・!!

そして徳川の人間だった稲は・・・昌幸に話があるという。。。

「わが父、本多忠勝より書状が届きました。
 内府様は、真田のことをまだ心底から信じておられぬご様子。
 もし、裏切るようなそぶりを見せたらすぐに知らせよと書いてあります。
 されど・・・稲は真田伊豆守の妻でございます。
 徳川に動きを知らせる様な真似は、決して致しませぬ。」by稲

「よくぞ言うた・・・稲。
 お前は立派な真田の嫁じゃ・・・。」by昌幸

その頃大坂城では・・・上田に帰る信繁が、寧に・・・ご挨拶。。。

会津では・・・戦準備をしている景勝&兼次。
江戸城に入った徳川・・・総勢10万!!
 
上杉討伐に加わるために、美濃・垂井まで兵を進めた吉継・・・
そこへやってきたのは、三成・・・!!

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「我らに・・・同心願いたい!!」by三成

「勝てると思っておるのか・・・??」by吉継

「やらねばならぬのです。
 五奉行は、内府の策略で3人となり、利家さま亡き後の前田家はすっかり骨抜きにされました。
 上杉討伐も、明らかに徳川の言いがかり・・・
 今倒さねば、豊臣の世は終わります。
 お命、私に預けてはいただけまいか・・・??」by吉継

「今日はもう遅い・・・泊まっていかれよ・・・」by吉継


体がいうことを利かなくなってきた吉継・・・

「わしは・・・あの男が来るのを待っていたのかもしれんな・・・」by吉継

「勝てるかどうかわからぬと申したな・・・
 そのような男に命を預けるわけにはいかん!!
 ともに死ぬなどまっぴらごめん。
 そのような弱気な言葉、二度と口にするな・・・!!
 兵を挙げるからには必ず勝つ!!その気概無くしてどうする・・・??!!
 まずは、秀頼公の名のもとに、家康内府を老衆から外す!!
 さすれば、上杉討伐は徳川が起こした勝手な戦という事になる。
 次に来るまで、内府がいかに太閤殿下のご意志に背いてきたか、弾劾状に記して、先刻の大名に送りつける・・・!!
 事は急を要する。
 治部殿、泣いている暇はござらぬ!!
 わしが、お主を勝たせて見せる・・・!!」by吉継

おお!!かっこいいですね、吉継!!
今まで人徳がない、人徳がないって言っていたのは、この場面への布石だったんでしょうか??
三成の唯一の親友ですからね。
いろいろ親友エピソードはあるんですが、がしかし、関ケ原、あっという間に徳川が勝っちゃうなんて、家康も思っていなかったことでしょう。
もちろん、このセリフでも、勝つって言ってますが、もちろん、吉継としては三成と心中しようとしたんじゃなくって、三成を勝たせるために味方したんですよ。。。
それでこそ、漢!!親友なのです。


信濃・上田城では・・・
戦いに高ぶる昌幸がいました。
もちろん、甲斐・信濃を取り戻すために・・・!!

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「例の刀狩で、もう二度と戦に出ることはないと思っていたが、こんな日が来るとはのう・・・」by作兵衛

そうね・・・この人たちは、畑を耕しているから・・・
やっぱり生産性のない戦がないのが一番だと思っているんでしょうね。
この一言で、身勝手な武士を揶揄ってるのよね。

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吉継の言ったように、弾劾状を全国諸大名、徳川内府に送り付け、戦のはじめとする。
諸大名の妻子を人質として大坂城に集める・・・!!
伏見城攻めも・・・!!
江戸に押し進め・・・総大将は毛利!!

太閤殿下が築いた豊臣の世の行く末はこの一戦にかかっている・・・!!

戦をやりたくないとぼやいている小早川秀秋の傍にいるのはこの男。

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板部岡江雪斎!!
「実は・・・拙僧・・・徳川内府より間者として送り込まれた者でござる・・・!!」by江雪斎

って、そんなこと言っていいのか・・・??
これが、あれにつながるのか・・・??
なんて思いますが、ま、僧ですからね。
佐助のように、忍者ではありません。
この時代の僧は、国をまたいであっちこっちに簡単に行ける存在でした。
なので、情報をたくさん持っていて、どの大名にも一人はこんな人がいたんです。
ま、一番有名なのは安国寺恵瓊かな??
なので、お館様のために戦うんじゃなくって、情報収集的なスパイ・・・って言うか、結局誰の味方でもないんでしょうね。。。


続々と大坂城に人質がやってきました。
阿茶は混乱に乗じて大坂城を脱出!!

そんなころ・・・ガラシャの屋敷から火の手が・・・!!
人質に取られえるようなことがあれば、屋敷に火を放ち自害せよ・・・!!と、忠興命令が出てるそう。

maru8













ああ・・・自分を殺すことのできないガラシャ・・・
家来・小笠原秀清に胸を突かせて自害!!

このお話でとっても有名になったガラシャですが・・・
自分で胸をついたというお話もあります。

しまった・・・!!
このガラシャの死で、 自分が徳川に近い人間なので、人質を殺すのでは・・・??と、思った稲は、こうと協力して沼田に逃げる算段を・・・!!

細川屋敷があんなことになって訳の分からない三成。
そうそう、このガラシャの死で、人質に不安を抱かせてしまった三成・・・
人質を強制的に大坂城に連れてきにくくなってしまいました。
もし、多くの人質が大坂城に来ていれば、西軍有利で勝てたかもしれないので・・・
このガラシャの死が関ケ原の運命をも決めたと言えば言い過ぎかしら・・・??


maru9













戦場で存分に戦うことができないという吉継・・・
魂を込めて考え、書状を書く!!・・・って、病気が苦しくって結局書くのは三成・・・
やっぱり右筆でいいんじゃね・・・??


7月19日、徳川秀忠が3万の兵を従え江戸城を出発!!
同じ日、大坂では宇喜多秀家、小早川秀秋が挙兵!!

天下分け目の大戦の火ぶたが切られました。

7月21日、徳川家康率いる3万の軍勢が江戸を発ちました。
同じ日に・・・昌幸たちは犬伏に陣を張りました。
戦が始まり、攻撃命令が出たときに上杉につく・・・!!
そんな気でいた昌幸でした。

佐助が急いで登場!!
石田三成が挙兵したという・・・

「早すぎるわっ・・・!!」by昌幸

というのも、昌幸は、徳川VS上杉となったら、横から攻め、家康の首を取ろうと思っていたからです。

いずれにしても大戦・・・!!

maru11












これから。。。
いつまで戦が続くかわからない・・・どうする・・・??


徳川とも豊臣とも距離を置き、上田に籠り、守り・・・攻めてきた者が敵!!とする父・昌幸。
まだ戦国乱世が続くことを望んでいるのです。

「果たして父上のお考え通りになりましょうか?
 今や、合戦の成り立ちは大きく変わりました。
 敵味方が巨大な力にまとまり、それがひと所で一気にぶつかり合う・・・
 そうなったら、この戦・・・案外早く決着がつくかもしれません。

 徳川と豊臣・・・勝った方が、次なる覇者となります。
 どちらにもつかぬということは、どちらも敵に回すという事・・・
 いずれかかっても、真田の居場所はなくなります。」by信繁

「その時はその時じゃ・・・!!」by昌幸

「徳川であれ豊臣であれ、戦に勝った後は、今よりはるかに大きな力になっています。
 太刀打ちなどできるはずがありません。」by信繁

「その時は、上杉と伊達と組んで・・・」by昌幸

「夢物語はもう、終わりにしてくださいっ・・・!!」by信繁

徳川か豊臣か・・・どちらかにつくしかないという信繁・・・。

maru10













「あっちへ行っておれっ・・・!!」
様子を見に行った河原綱家ブチ切れる信幸!!
徳利を投げつけられ、歯が折れちゃいました。
緊迫しているのがわかります。

結論はなかなか出ません・・・。

父・昌幸は・・・またもや鬮で決めようと・・・

「こういうことはもうやめましょう。
 私は決めました。
 私は決めました、父上。
 私は決めたっ!!

 源次郎・・・お前と父上は豊臣につけ。
 俺は徳川に残る・・・!!
 それが最善の道だ!!
 いずれが勝っても、真田は残る・・・!!」by信幸

「しかし、敵味方に分かれるというのは・・・。」by信繁

「そうではない!!源次郎!!
 われらは、決して敵味方に分かれるのではない。
 とよとみが勝ったときは、お前はあらゆる手を使って俺を助けよ。
 そしてもし、徳川が勝ったならば、俺はどんな手を使っても、お前と父上を助けてみせる・・・!!

 これは、われら親子三人が、いつの日にかまた、膝を突き合わせて語り合う日のための策じゃ!!
 たとえ徳川と豊臣に分かれても、常に真田は一つでございます!!」by信幸

カンドー!!
信幸カッコいい!!
さすが、最後まで長生きする信幸です。
初めから信幸は沈着冷静!!
父上には面白くないと言われていましたが、父上はこうも言っていました。
二人がかみ合うと最強!!みたいなことを!!
ここで兄上、長男としての責任もMaxに感じている事でしょう!!

犬伏の別れが・・・涙の別れではなく、希望の別れとなった瞬間でした。

われらはこの時のために生まれてきたのかもしれぬ・・・ババ様の言葉をかみしめる兄弟でした。

最後の夜を・・・韓信の「背水の陣」のお話で盛り上がる親子三人・・・。

「「背水の陣」という言葉があるだろう。 これは韓信の策なのだが、意味を知っているか?」by信幸

「皮を背にして、背後には逃げられないように布陣をすることですよね。
 退路を断つことで、兵は死に物狂いで敵に向かう・・・
 そこに尋常ならざる力が生まれる・・・」by信繁

「・・・と思うだろう?
 だが、大事なのはそこではないのだ。」by信幸

「川を背にするということは、敵もまた、背後に回れないという事じゃ。」by昌幸

「さすがは父上!!」by信幸

「その分、前方の敵に集中できる・・・!!」by昌幸

「なるほど、筋が通っています。」by信繁

「この話を読んだ時、俺は、韓信と父上が重なったわ。」by信幸

「戦はな・・・兵たちの心を動かすのも大事じゃが、一番肝心なのはここ(頭)じゃ!!」by信幸

「しかも、韓信がスゴイのは、それだけではないのだ。
 ある大戦のおり、川を背にして陣を張ったことで、敵は”こいつらは戦を知らぬ”と油断した。
 総攻めをかけて来た敵に対し、韓信は相手の背後に忍ばせておいた伏兵を動かし、なんと敵の城を乗っ取ってしまったのだ。

 討ち死に覚悟の戦と思わせて、実は勝つための作戦だったのだ。」by信幸

「父上のお考えに通じるものがありますね。」by信繁

「父上は、日本の韓信だと俺は思っている。
 だからこそ、父上の突拍子もない策を聞いても、いつも安心してそれに従うことができる。」by信幸

「しかし・・・わしに言わせれば、韓信はバカだな・・・
 背水の陣の真の狙いをすべて見抜かれておるではないか・・・
 そんなことまで書物に書かれては、もう誰も、背水の陣なんかできんわ・・・!!」
maru12












声高らかに笑う三人・・・時を惜しむかのように・・・
これより2月ののち、真田軍と徳川軍は上田で激突する・・・!!


ということで、犬伏の別れの・・・この大河のクライマックスの一つと言っていい場面が終わってしまいました。
兄・信幸の策が豊臣と徳川に分かれる・・・というのは、よくよく考え、最後まで生き残る信幸の策だと思います。
ま、お父さんはやっぱり鬮ですからね。
そこはやっぱり、長男な体質なのでしょう。

ホント、かっこよかったわ~~~!!大泉洋!!




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戦国乱世に終止符を打ち、英雄・徳川家康が創設した江戸幕府・・・

幕府をいかに存続させるのか・・・??

家康からその難題を突き付けられたのが、二代将軍秀忠です。

しかし、秀忠は、凡庸という有り難くないレッテルを張られた人物でした。


きっかけは真田昌幸との戦い・・・第二次上田合戦にあります。

秀忠率いる3万8000に対し、真田軍2500!!

圧倒的な兵力差で勝って当然のところ・・・秀忠は敗北!!

この合戦に手間取ったことで、関ケ原に間に合わないという前代未聞の大失態を犯してしまうのです。

しかし、関ケ原は流動で、家康も何もわかっていませんでした。


1598年8月18日、天下人・豊臣秀吉がこの世を去りました。

この時、秀吉の後継者・秀頼はわずか6歳・・・。

豊臣政権は、有力大名の合議制により支えられることとなります。

しかし、大老・徳川家康と奉行・石田三成との対立が・・・!!

治まりかけていた天下が再び乱れ始めます。


秀吉の死から2年・・・

1600年6月、上杉征伐。。。

有力大名・上杉景勝が城を修築、多数の浪人を集めるなど、豊臣政権への謀反の疑いが生じました。

家康は豊臣の名代として会津へ・・・!!

しかし、家康が会津に向かった隙に、三成が挙兵!!

家康に反旗を翻したのです。

この三成挙兵によって・・・東軍と西軍に分かれての戦いが日本全国に広がりました!!


家康は、「上杉征伐」参陣の武将たちの味方にすることに成功!!

さらに家康は江戸にもどって全国の武将に書状を送ります。

家康は時間をかけて東軍勢力拡大を目論んでいました。


そんな中、家康が危惧していたのが真田昌幸でした。

昌幸は、かつて徳川軍を破ったことのある稀代の戦上手!!

さらに昌幸の領国は、東軍と西軍の勢力の中間にあり、両者が連携を図るうえで重要!!

家康にとっては目の上のたんこぶとなっていました。



真田攻め総大将に抜擢されたのが、家康の三男・徳川秀忠でした。

秀忠22歳・・・これが初陣でした。

当時、家康の息子には三人の成人男子がいました。

後継者と目されていたのは秀忠・・・

「秀忠はあまりに律儀である。」by家康


この時家康は江戸の残っていました。

9月6日・・・総大将・秀忠は高台に布陣!!

徳川軍3万8000が2500の真田に迫る・・・!!

これで落ちない城はない・・・!!

秀忠にとって勝利が約束された戦いが始まろうとしていました。


徳川軍3万8000、対する真田軍僅か2500!!

初陣にして圧倒的に有利な戦いに秀忠は、上田城背後の砥石城を攻略!!

秀忠の戦術は堅実でした。


圧倒的に上田勢を包囲した秀忠軍・・・。

秀忠の勝利は誰の目にも明らかでしたが・・・両軍が場外で応戦!!

敗走する真田軍を追い徳川軍が上田城に殺到・・・

しかし、待っていたのは真田の伏兵!!大混乱の徳川軍・・・に、追い打ちをかける!!砥石城周辺に隠れていた別動隊が秀忠軍本体に襲い掛かります。

結果、秀忠軍は小諸まで撤退・・・軍の立て直しを余儀なくされました。


一方中央は、風雲急を告げる!!

家康が派遣した福島正則率いる東軍の先鋒隊が、美濃に進軍!!

8月23日勢いのままに岐阜城を陥落してしまいました。

東西両軍が濃尾平野に続々と集まってきました。

東軍の総大将不在のまま戦いが始まると、その後の発言力が弱まってしまう・・・!!

8月29日家康は秀忠に使者を・・・早馬を・・・!!

9月1日家康は急遽江戸を出陣!!

東軍の先鋒隊長・福島正則への手紙には、秀忠はおよそ9月10日にはその地に参るであろうと記されていました。

しかし、家康には2つの大きな誤算がありました。

①秀忠が真田との緒戦に敗れていたこと

②悪天候の影響で、死者の到着が遅れたこと


9月9日、ようやく秀忠のもとに使者が到着!!

緒戦に敗れた秀忠が戦略を練り直しをしている最中でした。

使者がもたらした書状には・・・

「急ぎ西上(上洛)せよ。」

作戦の変更命令です。

しかし、真田との戦いは始まったばかり・・・真田を放っておくわけにはいかない・・・どうする・・・??


徳川家にとって、秀忠軍は最も重要な軍勢でした。

秀忠軍は徳川四天王の一人・榊原康政や本多正信・・・徳川軍の精鋭部隊が主力となっていました。

一方家康軍は・・・豊臣恩顧の大名・・・福島正則・黒田長政などのいつ西軍に寝返ってもおかしくない者たちが群を構成していました。

東西決戦が行われる場合、家康の頼みの綱は、秀忠率いる徳川軍!!

すぐに西上し、家康と合流しなければ、決戦に敗れる可能性が・・・!!

初戦で敗れた上に西上する・・・??
それとも戦を継続・・・??
緒戦で敗北を喫したとはいえ徳川の兵力は真田を圧倒している・・・徳川方の勝利は揺るがない・・・??

1600年9月9日・・・秀忠の本陣で軍議が行われました。
どうする・・・??
秀忠は、真田との戦を継続することを主張したと言います。
しかし、重臣からの助言に考えを改めます。
三成さえ、滅亡させれば・・・!!

9月11日、家康は西軍勢力に対峙する清須城に・・・!!
秀忠軍の到着を待ったものの・・・秀忠が小諸を出発したのは同じ11日でした。
険しい中山道を大軍を引き連れて行軍する秀忠。。。
先を急ぐ秀忠を悩ませたのは天候でした。
雨が多く、川が氾濫・・・難所ばかりで思うように進めません。
秀忠軍が妻籠に到着したのは9月17日の事でした。
妻籠城に入城した秀忠・・・関ケ原まで130㎞!!
順調にいけば2日の距離でした。

しかし・・・秀忠はここで知らせを受け取ります。
東西決戦が2日前に終わっていたことを・・・!!
秀忠はその知らせに大いにいどろ板と言います。

どうして家康は、秀忠軍の到着を待たずに戦を始めてしまったのでしょうか・・・??
秀忠が中山道を西上していた9月15日、戦況が大きく変わりました。
それまで西軍は、大垣城を拠点に立てこもり、東軍と対峙していました。
突然西軍が大垣城を出て、関ケ原へ・・・!!
それを追って、東軍も関ケ原へ・・・!!
東西合わせて15万!!引くに引けない戦いの舞台が整ってしまったのです。
1600年9月15日関ケ原の戦い・・・
一進一退の攻防も、はじめは西軍が有利でしたが・・・小早川秀秋の裏切りに戦況は一変!!
東軍が勝利を収めることとなるのです。
家康の調略が功を奏しました。
誤算の連続だった関ケ原の戦いは、家康の大勝利に幕を下ろしました。

秀忠が到着したのは、5日後の9月20日。
家康は、面会を拒絶したと言われています。
家康は、重臣一同を集め、問いかけます。

「いずれの子に徳川の家督を譲るべきか??」

この時秀忠以外には、次男・秀康、四男・忠吉。
次男・結城秀康は、他家に養子に入っているとはいえ上杉征伐で抑えを任された武勇な武将、四男・忠吉は、関ケ原に参戦、先陣を切る活躍を見せています。
誰を後継者に指名するべきか・・・??議論は紛糾!!
しかし、家康が指名したのは、関ケ原に遅参した秀忠でした。

「乱世ならば武勇を優先させねばならぬが、天下を治めるには文徳が必要である。

 そうでなければ創業の志を守り保つことはできない。
 秀忠こそ、後継者に最適である。」

翌日、秀忠は家康に面会を許されます。
秀忠は家康に謝罪するものの、言い訳は一切しませんでした。
しかし、この大失態によって汚点を残し、凡庸と言われるようになるのです。

1603年、関ケ原の戦いで勝利した徳川家康は征夷大将軍となり、江戸に幕府を開府!!
その2年後、家康は秀忠に征夷大将軍を譲り・・・2代将軍・秀忠が誕生します。

が、家康の影響力が強く、秀忠が権力のすべてを掌握できたわけではありません。
未だ大坂には豊臣家が存続・・・江戸幕府の権力基盤も盤石ではありませんでした。

秀忠が将軍としての地位を確固たるものとしたのは、天下取りの総仕上げ・・・1614年大坂の陣です。
この時の軍議で家康は豊臣家との講和を図ろうとしていました。
ところが秀忠が総攻めをかけ、落城すべしと三度も強硬策を主張したと言われています。

さらに落城間際、秀忠は秀頼の正室である娘・千姫の命乞いを退け、秀頼を自害へと追い込んでいます。
豊臣家を滅ぼした汚れ仕事・・・家康がやりたくなかった部分を秀忠がやって・・・それを家康は評価したのでしょう。

当時、日本に滞在していた外国人の日記にこう記されています。

「秀忠は武人ではなく 大政治家である。」と。

1616年4月17日、徳川家康死去。

父亡きあと、秀忠の政治家としての能力が開花!!
謀反のうわさが絶えない腹違いの弟・松平忠輝を改易、兄・秀康の子・忠直を改易。
危険分子を排除していきます。
また武家諸法度を発布。有力大名の取り潰しを実行・・・その中には、関ケ原の戦いで東軍の先鋒を担った福島正則を筆頭に、蒲生忠郷・田中忠政・最上吉俊・堀尾忠晴・本多正純・・・41家を改易。

取り潰した大名の多くは、家康にとって天下取りを手助けしてくれた恩義のある大名たち・・・
しかし、感情に流されることなく幕藩体制を強化していきます。

禁中並びに公家諸法度も発布・・・朝廷をも幕府の管理下に置いたのです。
朝廷が権威を取り戻すのは、明治維新となります。
1632年1月24日徳川秀忠死去・・・享年54歳。

死の間際・・・神の称号を受けたいか?と問いかけられた秀忠は・・・

「家康公は数百年続いた争乱を打平げ、古今未曽有の大仕事を成し遂げたが、私はただ先代の仕事を守るだけで、何の功績もない。
 神号を受けるなど、思いもよらない事である。」

家康の創業した江戸幕府は、秀忠により礎が築かれ、260年の平和政権へと反映していくのです。


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前回、大坂編の人物紹介、かなり面白かったですね。
そんな今回は「表裏」、それって、真田昌幸の言われた”表裏比興の者”なんでしょうか??
でも、前回の”真田丸”では、本当の表裏比興は”秀吉”でしょう・・・??

関白秀吉に、従おうとしない真田。
しかし、上杉も秀吉に降った。
上杉の人質として大阪にいる信繁は、苦境に立たされた。


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悪い知らせ・・・上杉が越後に帰ったことを知らされる信繁。
殿下に忠誠を誓われ、越後も生まれ変わると・・・信繁はどうなる・・・??
嬉しそうに信繁をからかう??いえいえ、眼は笑ってませんよ。。。

信繁は、殿下の馬廻衆に決定していました。
なんとも、話がスピーディーに進んで、殿下の家来といえば聞こえはいいですが、ほとんど人質ですね・・・。

馬廻衆は本来、戦場において大将を守る直属の護衛隊である。
秀吉に仕える馬廻衆は、戦がない時も、常に彼に付き添い、危険から守った。
 
ということで・・・
馬廻衆のお部屋に案内されます。
何でも人員が一人少なくなったという・・・。

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黄母衣衆なのだそうだ。
そして、いなくなった者の名は、立花権三。。。
思い出せばあの人・・・。

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酒に酔って井戸に落ちて死んでしまったのだという・・・
下手人は、加藤清正・・・??
どうして・・・??
それは茶々に気に入られていたから・・・??

なんだか信繁も茶々に気に入られてそうですが・・・
あぶないよ・・・こんなとこと、いくら命があっても足りないわ・・・!!

利休が持ってきたのは珍しいし品・・・。

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立派な帯は寧に・・・

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選んだのは秀吉だという秀次に、旦那様にこの色は選べない・・・あなたが選んだのでしょう??と、すべて御見通しの寧。。。
そうですね、秀次は、京の和歌や文化に詳しかったですから、そんなところも粋だったんでしょう。

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秀次はきりのことが気に入ったらしく、寧の鏡を見立てに連れて行ってしまいました。
なんでも、女性に手が早いらしいですよ・・・秀吉に似た・・・??血は争えません。

九州征伐が始まろうとしていました。
征伐に発つのは毛利と長曾我部・・・そして最後は止めの秀長!!

そうして寧には、九州からどんどん来るであろう人質の世話を頼むのでした。

maru8













やっぱりこの二人、なんだかんだいっても相思相愛なのでした。

そして・・・茶々にも帯が・・・

「ねえ?ご権三って死んでしまったの??」by茶々
子供のように無邪気な茶々に焦る信繁。。。
「それで権三の代わりに新しく源次郎が加わったというわけだ」by秀吉
「そういう事なんですね、源次郎殿、これからよろしく頼みますよっ!!」
笑顔の怖い茶々様です。

長生きしたければ、茶々様には近づくな!!
権三が初めてじゃないから・・・
と、上司である平野長泰にくぎを刺される信繁!!

さらっと人の死を語れるところが怖いというか・・・
そんな死と隣り合わせの人生を送ってきたのでしょう。。。
その中でも茶々の壮絶なる人生!!
これからまだまだですっ!!

秀吉の留守中に・・・茶々に呼び出されてしまった信繁・・・秀吉の嫉妬が・・・??危ない・・・??
そこで大蔵卿局の重い一言が・・・
「あのお方は・・・悲しむのを止めたのです。。。」
なんと、重い一言でしょうか??
実の父と兄を失い、養父と実の母を失い・・・きっと、この大蔵卿局を母と慕い今まで過ごしてきたのでしょう。。。
きっと、心を許せるのはこの大蔵卿局だけ・・・。

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姫様はこの帯を締めたところを信繁に見せたかったのだという・・・。
しかし、なんとも・・・拒否る信繁・・・
次は殿下のいるときに・・・と、お願いします。
お留守の間にお目通りしたことも秘密にしてほしいと、茶々に願うのでした。


井戸を見ていた信繁を心よしと思わなかった清正が突っかかってきました。
殿下の命令ではない!!自分が考えてしたことだ!!と。

「虎!!やめないか!!
 お主も今や、三千石の領主なのだ!!
 わきまえろ!!」by秀長。

流石、豊臣家唯一の人望あるブレーンです。
彼さえ早くに死ななければなあ・・・

秀長は、「心がついてきていない」と言った。。。
我々は所詮百姓・・・切なくも的確な表現。
幸せなように見えてどこかに歪が出て来ている大坂城なのです。

そして・・・徳川では本多忠勝の娘・稲(小松姫)登場!!

maru10













おお!!流石、藤岡弘、の娘って感じですが・・・。

本当の小松姫もこんな感じ。

komatuhime






流石・・・藤岡弘、・・・でなかった。。。
流石、徳川四天王・本多忠勝の娘です!!


そして。。。
いよいよ真田討伐へ・・・!!



徳川家康が大軍勢を集めているという噂が真田にも届いていました。

おまけに・・・上杉が援軍を断ってきました。
そこに介入しているのはもちろん秀吉。。。

北条に徳川に上杉・・・周囲はすべて敵となってしまいました。
家康は・・・惣無事令のこともあるし、秀吉の許しを待っている・・・??と、考える信幸!!
家康さえも秀吉の下についたのか・・・??
最後まで生き残るだけのことはあるわ、お兄ちゃん!!
やっぱり賢いのね。

そして用心深い秀吉は・・・
今回の家康の”真田攻めの許し”を乞う書状の是非を・・・最近会ったことのある信繁に聞くのでした。

「本心ではないと思います。
 家康を信じてはなりませぬ!!
 家康は用心深い男です。
 もし断りなく真田を攻めれば、殿下は必ずお怒りになられる。
 真田にお味方なさるやも知れぬ。

 家康はそれを恐れたのではないでしょうか。
 全ては真田に勝つための算段・・・。
 家康の本心ではありませぬ。」by信繁

「家康に一杯食わされるところだったわい・・・。」by秀吉。

と、秀吉の結構お気に入りな信繁なんでしょうか??
偉くなられた殿下なのに、自分の話にも耳を傾けてくれている・・・と、秀吉の低姿勢に尊敬の眼差しの信繁?
そう・・・信繁の思うように事が運んでいる??
と思いきや、しかし、本当は・・・
片桐且元が・・・浜松へ使者として行くことが判明しました。

「お主には辛いこととなってしまったが・・・
 これも戦国の定め・・・辛抱して・・・」と言い出す且元!!

どういうこと??
なんと、秀吉が、家康の真田攻めを・・・真田討伐を認めたらしいんです
話が違う!!

「今・・・徳川全軍に攻められたら・・・真田はひとたまりもありません!!」

真田が・・・真田が滅びてしまう・・・!!

焦る信繁の目の前に登場したのは・・・笑みを称えた茶々でした。


本当に小日向秀吉黒いわ~~~!!
うすら寒いというか・・・なんというか・・・
でも、この秀吉&三成・・・なんだかんだと信頼している感があっていいですね。
せっかちな秀吉と、めちゃめちゃ合理的な三成。
秀吉の質問が終わる前にもう答えを出しているという・・・
まさにこの二人が出会った時のお茶の件を思い出してしまいます。

人たらしな秀吉・・・
もう・・・世の中は小日向秀吉の世ですよ。。。

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感想(1件)



いよいよ大坂編突入です。
いえいえ、もっと早く突入してるんですが、私が遅いんです。

家太上において、真田勢は徳川の大軍に圧勝した。
世に言う第一次上田合戦である。
しかし、その戦の中、源次郎信繁は、最愛の妻、梅を亡くす。

ということで、徳川との戦いが終わり、ちょっと一息な回かしら??
時代は天正13年(1585年)秋・・・

上杉に・・・越後・春日山城に戻った信繁・・・。
景勝&兼次は、梅を亡くしてしまったとこ・・・戦いが見事であったこと・・・信繁の労をねぎらいます。
7000の兵を2000で追い返したのだから・・・!!

その頃・・・
「真田ごときに何をしておるのじゃ!!」by家康
鳥居本忠が家康に、こっぴどく怒られているのでした。
次は代わりに忠勝が戦う気満々です!!
そうそう・・・”追い返したというだけで真田の窮地は”全く変わってない”もんなあ・・・。

「今度こそ、真田を根絶やしにするのじゃっ!!」by家康

ということで、駿府城を作り直しているという家康に、戦の長期化を危ぶむ信幸・・・
しかし、昌幸は、徳川に囚われの身である信尹がなんとかしてくれるという・・・。
囚われの信尹が・・・??
「それでも何とかしてしまうのが、あのお方のすごいところでございます。」by内記

何とか・・・??

maru













でた~~~!!
石川教正です。

徳川に衝撃が・・・!!
長年仕えていた石川教正が出奔!!羽柴秀吉のもとへ寝返ったのです!!

お膳をひっくり返して怒り狂う家康!!

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それもそのはず、徳川の機密を知り尽くした男・・・石川教正が出奔したのです。
不安のどん底に落とされた家康は・・・それどころではなくなって・・・信濃から撤退するのでした。
徳川大打撃・・・!!

ちなみに、この出奔、未だに謎です。
裏切り・・・というか、出奔・・・。
例えば、本能寺の変の光秀の家臣たちは、当たり前ですが、信長様についているわけではなくて光秀についています。
なので、光秀が「信長討つんだよ!!」っていえば、信長を討つんです。
つまり、直属の上司がいて、家臣がいる・・・。
そして寝返る場合は、一族郎党で領地ごと寝返るんですが・・・。
この教正・・・出奔・・・身一つで・・・家臣も領地もほったらかしで秀吉に寝返ったのです。
家臣(兵隊)もなく、領地もなく・・・秀吉は本当に教正の頭脳だけ欲しかったんでしょうかね・・・??
寝返ろうとしていたのがばれて、命からがら逃げたのかもしれません。。。
そして、秀吉にすると・・・もしかすると厄介者だったかもしれません。

maru4












そんな教正でも、家康は秀吉が攻めてくるのでは・・・??
と、気が気ではありません。

そこへ・・・マグニチュード7の天正大地震が!!

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最も被害が大きかったのが近畿・・・。
秀吉は復興に力を入れなければならなくなって、それこそ家康を討つどころではなくなってしまったのです。
くぁあ・・・こんなの見ると、やっぱり天は家康に味方したのかなあ・・・??

そして・・・このドラマでは石川教正を後ろで糸ひいているのは真田信尹ですから・・・
信尹の才覚にほれ込んだ家康が自分の家臣にしようとします。
自分と同じ匂いがするのかしらね・・・??

「牢に居りながら、教正を調略し、わしを窮地に陥れるとは見上げた物じゃ・・・
 おぬしの才覚、是非ともわしのために使ってくれ。」by家康

「お断りすれば・・・?」by信尹

「むろん。」
首を掻っ切るようなしぐさをする正信

「拙者は真田安房守の弟でございます。」by信尹

「承知しておる」by家康

「殿にお仕えするふりをして、これから先も安房守と裏で通じあうやもしれませぬ。」by信尹

「それも承知」by家康

「では、お断りする理由はございませぬな。」by信尹

ということで、叔父上、徳川に召し抱えられることとなるのでした。

ああ・・・良いですね、策士!!策士!!
秀吉が言った「表裏比興の者」・・・これってやっぱり、この弟・信尹もまとめてのことだと思うんですよね。
ああ・・・なんてカッコいいんでしょう!!


そして大坂・・・羽柴秀吉です!!

賤ヶ岳の戦いで柴田勝家を破り、小牧長久手の戦いで家康と和睦・・・大坂に巨大な城を築き、関白となった秀吉。。。豊臣を名乗るようになります。
天下統一・・・各地の大名に上洛を求め、忠誠を誓わせます。

その書状は北条にも・・・真田にも届いていました。
「大名でもない父に・・・」どうして・・・??

しかし・・・信長の跡を継ぐのは本当に秀吉なのか・・・??

そして・・・その手紙は上杉にも届いていたのでした。
秀吉に会ってくるという景勝・・・しかし、上洛はするものの屈するわけではないという。。
そして、その上洛についていくことになった信繁・・・!!

しかし・・・上洛しなければ・・・屈しなければ・・・上杉のすべてが失われる・・・!!苦渋の決断だという兼次。。。
上杉家を守るための上洛なのでした。

「源次郎が大阪に行くらしいぞ!!」by昌幸
運が向いてきたと大喜びです。
秀吉の真意を探り、これから真田はどうすればいいのか・・・??
上杉に気に入られたと・・・役に立つ男と嬉しそうな父です。
が・・・兄・信幸は蚊帳の外だと・・・ちょっと嫉妬っ!!
ま、これは、長男と次男の違いだなあ・・・。
だって、長男を人質に出すわけにはいかないしね・・・。

そして・・・梅の忘れ形見・すえを育てようとしていたきりですが・・・やっぱり子育ては無理だったので・・・
父上・内記のたくらみによって上杉へ・・・!!

ビックリする信繁ですが・・・

大坂へ向かう景勝一行は、日本海にそって進み、加賀・倶利伽羅峠近くで・・・石田三成の迎えを受けます。
一応、信繁も紹介してもらいますが・・・三成に無視されちゃいました。
多分、今回に全く関係ない人物だと三成の脳が判断したのでしょう。

三成によると、京に泊まってから大阪に入るという。
景勝はまだ迷って結論が出ていないのか・・・食事を中座して信繁に話すことで結論を導き出そうとしています。
秀吉に会った方がいいのかどうか・・・??

秀吉に逆らえば大戦になる・・・戦えば上杉は滅びる・・・。
謙信公が築かれた土地、人を守らねばならない・・・。

「自分が嫌になるわ・・・。
 口では”義のために生きる”と言っておきながら、やってる事はどうだ。
 長いものに巻かれているだけではないか・・・。
 これほど世の中は、思い通りに生きられないものなのか・・・。

 源次郎・・・!!
 おぬしはわしのようにはなるな
 この世に義があることを己自身の生き方で示して見せよ
 わしが果たせなかったことを、お主が成し遂げるのだ。。。
 さすればわしは、安心して秀吉に頭を下げられる。。。」

おお!!いいですね。
上杉景勝からも生きる道を教えてもらっています。
本来、人質とはそういうもの・・・っていうか、人質=客分みたいなもんだからね。
大切に扱ってくれて、それが子供であればもちろん、お勉強も教えてもらいます。
秀吉の妻・おねは沢山の人質の子たちを育てましたし、家康も今川家重臣・太原雪斎に教育されてますしね。

そんなこんなでやっと京都まで来ました。
兼次が信繁に会いたがっている男がいる・・・と、紹介されたのは、裏切り者の石川教正!!
殿(家康)と関白殿下の仲を取り持っていた教正、しかし、殿が殿下と手を切り戦を始めた・・・。
その居場所がなくなった教正をそそのかしたのは、叔父上・信尹だったというのですが・・・??

「殿を裏切ってしまった・・・・・・」by教正
「とりあえず、前に進みましょう!!」と言った源次郎の目には涙が・・・
それは、梅を想ってのことだったのかもしれません。

いざ!!大坂へ!!

maru6












カチコチの景勝です。
が・・・殿下は忙しくて都合が合わないという・・・。
そして、景勝・兼次は大阪城内に泊まれることとなりましたが、信繁は、石田三成の屋敷・・・きりは物置で。。。

夜・・・信繁が書を読んでいると外から聞こえてきた声は・・・。
加藤清正&石田三成でした。

殿には偉くなってほしくないという清正。。。
殿にはいつまでも自分たちと一緒に野山を駆け回ってほしいというのに、自分の官位加藤主計清正は、気に入っていて返したくないらしい・・・。

酔っ払って廊下で寝てしまう清正に・・・
「ここで寝るな!!」と、怒る清正・・・こんなことはしょっちゅうらしい。。。
ああ・・・こんな楽しい幼馴染フレンドリーな関係が、あんなふうになるなんてね・・・。
ただ、近しい関係だったからこそ、生じた亀裂が修復できなかったのかもしれません。。。

そして、またもや殿下を待つ景勝&兼次・・・

控えに留め置かれる信繁・・・。
つくづく散々な大坂ですが・・・

maru8












茶々が会いに来てくれましたよ!!
「割と好きな顔・・・!!」by茶々

茶々の去ったあと、やってきたのは片桐且元がやってきました。
なんと・・・関白殿下が会ってくれるという・・・。
そこで見たのは、モンスター城・大坂。
それだけでもびっくりな信繁でしたが。。。
待つように・・・と言われた部屋にやってきたのは・・・??

maru9








 



ということで、この週も、あっという間に終わってしまいました。

今回は人物紹介的な回でしたが、それでもみんなキャラだっているのがすごい!!って思いました。
山本耕史さんも副長のイメージが強いし、秀吉なんて・・・ほら、「心・配・ご・無・用」な人じゃないと、許せなかったのにね。。。

本当に、いい俳優さんがたくさん出ていてくれて、本当に楽しいですね。


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