日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:北条氏政

天を衝く〈上〉―秀吉に喧嘩を売った男・九戸政実

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日本各地の山々に残された不思議な建造物・・・それは、戦国時代の山城です。
その数およそ5万!!
山城は、戦国武将たちにとって、生き残りをかけた知恵の結晶でした。
戦国最後の戦い・・・奥州・九戸政実の乱!!

1590年7月、関東の覇者・北条氏が滅亡!!
しかし、秀吉は、これで天下統一を成し遂げたわけではありませんでした。
天下の覇権を目指す秀吉の飽くなき野望はとどまることを知りません。
出羽、奥州、東北の果てまで攻略し、仕置きをせよ!!
奥州仕置・・・それは、秀吉の天下統一最後の総仕上げです。
しかし、東北各地では、反乱の火の手が拡大!!
これに対し秀吉は、苛烈な命令を下します。

「百姓以下に至るまでなで切りにせよ!!」by秀吉

戦いの最後の場所となったのは、岩手と青森の県境にある九戸城・・・戦国武将・九戸政実の居城です。
秀吉軍総勢14万VS九戸軍5000!!
圧倒的な兵力差の中、政実はどうやって戦ったのでしょうか?

群雄割拠の戦国時代の東北・・・北奥羽では、九戸氏と南部氏が台頭。
この九戸氏の当主が九戸政実です。
残された資料も少なく、その素性も定かではありません。
ところが・・・室町幕府の有力大名を列挙した記録に織田信長、北条氏政・・・全国の名だたる大名が居並ぶ中、九戸政実の名が・・・!!
政実の実力が、室町幕府に認められていた証です。
北奥羽で勢力拡大を図る政実の運命を大きく変えたのが・・・
小田原の陣の後に行われた、豊臣秀吉による”奥州仕置”です。
仕置きとは・・・大名の領土の確定を行う国分、検地、刀狩りを実施する事です。
国分により多くの大名が領地を没収、転封を余儀なくされました。
奥州の雄・伊達政宗は大きく減封、周りに豊臣政権(蒲生氏郷・最上義光・木村吉清)の支配地が置かれ、東北の勢力図は一夜にして書き換えられました。
秀吉の命令は苛烈を極め、もし命令に背く者があれば、城主であればその城に追い入れて断じ、一人残らずなで斬りにせよ・・・!!
百姓以下に至るまでことごとくなで斬りにせよ!!
後世、”撫で斬り令”とされる欧州仕置きの基本です。
東北各地で反乱が起き始めたのは、仕置きを終えた秀吉軍が帰国してすぐの事です。
出羽国で始まった仙北一揆を皮切りに、庄内・葛西・大崎・和賀・稗貫でも一揆が立て続けに起きます。
どうしてこれだけ拡大したのでしょうか?
秀吉が東北地方に進軍を始める7月・・・北条を攻め落としてから間がありません。
秀吉配下の武将たちは、本州北端まで土足で行って検地・刀狩りをする・・・秀吉体制を強制していっていました。
大きな歴史的変化をたった2か月でやろうとしたのです。
秀吉政権の検地の目的は、全国統一の基準で田畑の広さを図り、土地の耕す権利の明確化にありました。
その結果、年貢の徴収権を持っていた地侍や寺社勢力など、村々の有力者権利は剥奪されていきました。
それが一揆となって爆発しました。
この頃の一揆は、一種の内乱で、葛西・大崎一揆、和賀一揆などは、城に籠って籠城戦を展開していました。
兵対兵の戦いだったのです。
こうした一揆鎮圧のために、あらゆる手段を使う秀吉軍・・・村々から人質を取っていました。
その人質のリストが残っています。
人質の殆どが、老人や子供でした。
東北の一揆の人々が頼りにしたのが、九戸政実でした。
政実の宿敵・南部信直は、北条降伏の翌日・・・1590年7月6日に秀吉に謁見。
その傘下に入りました。
信直に続いて、東北の武将が、つぎつぎと秀吉の軍門に下っていきます。
南部信直の安堵状には、
「南部の七郡はすべて信直に任せる。
 家中の者共の城をことごとく破却し、その妻子はことごとく人質にせよ。
 以上、背けば豊臣政権が成敗する・・・」
一枚の書状によって、九戸政実は、宿敵・南部の配下に入らざるを得なくなります。
政実にとって到底受け入れられるものではありませんでした。

1591年1月、九戸政実蜂起!!
すぐに豊臣政権の知るところとなります。
3月、九戸軍は、南部氏の居城を襲撃!!勝利を得ています。
政実の元には、秀吉に不満を持つ東北各地の武士が集結!!
その数5,000!!
6月20日、秀吉は諸大名に仕置きを命じます。
奥州再仕置です。
この、政実討伐こそ、奥州再仕置の目的でした。

これは、豊臣秀吉よる新しい国家建設の仕上げでした。
目指していたのは古代の律令制にあるような公地公民制・・・
すべての土地は天皇家のものであって、その下の官僚たちが治め、天皇家の代わりに秀吉が関白となって全部差配する・・・という体制です。
これに対して、東北は、非常に古い体質で、厳しい土地柄をみんなで協力して生活していました。
つまり、上下関係や従属関係が厳しくなかったのです。
みんな一緒に暮らし、みんな一緒に生きていくという思想が強かったのです。

九戸政実は、どのようにして秀吉の大軍と戦ったのでしょうか?
九戸城・・・圧倒的な土壁です。
防御の特徴は、その独特の土壌にありました。
火山灰に由来する土壌で、垂直の断面です。
石垣よりもスゴく、守るには理想的でした。
城の総面積は、36ha・・・東京ドーム7個分の広さです。
九戸城は、城の外郭を川で防御した河岸段丘に築かれた強大な城郭でした。
東北の中でも、屈指の大きさのお城でした。
武士だけの城ではなく、いざという時には地域の人たちも一緒に逃げて来て一緒に戦う・・・地域の人の安全保障をする施設・・・それが、東北の城でした。
戦場では、放火、略奪、乱暴狼藉・・・ありとあらゆる暴力が行われていました。
城は、領民にとっての安全な避難場所でした。

1591年8月6日、九戸征討軍の総大将・豊臣秀次、徳川家康が日二本松に到着。
蒲生氏郷をはじめ、名だたる武将が参陣しました。
その数14万!!
対する政実軍・・・5,000!!
1591年8月、秀吉軍14万は、二本松で軍を分け、蒲生氏郷軍を主力(浅井長政・井伊直政)に北上を開始。
時を同じくして出羽方面から秋田実季が、青森や北海道の武将たち・・・津軽為信・松前慶広・・・総勢6万5000の大軍勢!!
戦いの激戦地となったのは、九戸政実の宿敵南部信直が布陣した城の北東部でした。
城内の一見平たんに見える台地上には、大きな堀を巡らせることで、それぞれ独立した曲輪が築かれていました。
敵が場内に進入した場合、四方にある曲輪の上から堀の中の敵を狙い撃ちにすることができました。

9月2日、九戸城に対し、秀吉軍の一斉攻撃が始まりました。
しかし・・・大軍勢で九戸勢を侮り、城の堀に力づくで登ろうとし、城内の手練れに弓矢鉄砲で倒され手数を負うこととなります。
戦線は膠着状態に・・・!!
圧倒的な兵数で勝る秀吉軍なのに、九戸城を前になすすべなし!!
そこで・・・政実の菩提寺・長興寺の住職を城内に向かわせて、降伏を勧告します。

「早く降伏し、天下に対し逆心無きことを都に上り申し開きすべし。
 そうすれば、一族郎党の命は助かり、また、九戸の武勇が関白のお耳に入れば功名となり、領地が与えられるはずである。」

しかし、政実の家臣たちは、降伏勧告に対して強硬に反対します。
果たして降伏を受け入れるのか?否か??

秀吉軍にとっての大問題は兵糧でした。
豊臣家の重臣・浅野長政の書状にも・・・
「九戸城へ上方軍の大軍が殺到すれば、兵糧の手配は各々で準備させなければならない。」とあります。
戦国時代、武士の兵糧至急は、1日5合。
現地に派遣された豊臣兵・・・6万5000となると、1日325石が必要・・・米俵にして812俵、運搬するのに400頭以上の馬が必要でした。

あとひと月すれば雪が降る・・・上方の兵は、とてもこの寒さには耐えられない・・・。
日本国中を敵に回して戦い・・・後詰もない中、どう終わらせるのか・・・??

1591年9月4日、政実は降伏を決断します。
頭を丸め、秀吉軍の前に出頭します。
しかし、秀吉軍の大将・蒲生氏郷はこう命じます。
「城から落ちるものがあれば、女子供と言えども、一人残らず切り捨てよ!!」by氏郷
約束を反故にされ、捕らえられた政実は後に斬首・・・享年56と伝わっています。
城内になだれ込んだ秀吉軍は、乱暴狼藉の限りを尽くし、籠城した九戸勢は城の二の丸に押し込められます。
四方より火が離され、そこから逃れようとした者はすべて斬殺されたと伝わっています。

九戸城落城の後、豊臣政権は城の名を「福岡城」と改めさせますが・・・
昔から地元の人は、愛着を込めて「九戸城」と呼んでいます。
お城があって、武士がいて・・・一緒に地域のことを考えて、みんなで決めていく。
しかし、強力な豊臣政権による地域での個々の争いを無くすことの平和。
秀吉の天下統一は、「九戸の乱」「北条氏の戦い」の犠牲の上に成り立っていることを忘れてはいけません。

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日本各地の山々に、のこさえ不思議な建造物が残されています。
戦国時代に築かれた山城・・・
その数は、全国で5万にも及ぶと言われています。
この山城こそ、戦国乱世の象徴であり、天下統一を目指す秀吉を最後まで苦しめたものでした。

秀吉が関東の巨大国家に攻め込んだ小田原の陣とは・・・??
激戦の地となったのは、関東の雄・北条氏政が築いた山中城です。
戦国最強の山城と言われました。
城を守る北条軍、およそ4000。攻める豊臣軍6万8000!!
圧倒的な大兵力が山中城に攻め入りました。
しかし、戦いの記録には・・・
5、60も鉄砲手負負傷の者有之候・・・屍の山を築いたのは、なんと豊臣軍でした。
広い関東地方を戦国時代に治めるのは、相当な技術が必要でした。
後世語られるよりも、北条は秀吉にとって脅威だったのです。

山城を語らずして戦国、日本を語ることはできません。
日本にある城の数は5万!!2、300人に一つでした。
至る所に城があり、その8割が山城でした。
山城をめぐる競争の中で、日本社会の形が決まっていったのです。

神奈川県西部にある小田原城・・・五代、100年にわたって関東一円を治めた北条氏の本拠地です。
小田原城の本丸は、今の小田原城より北の山の上にありました。
戦国時代は、小田原城の本体は山城だったのです。
当時の小田原城は・・・??
山の傾斜を利用した巨大な堀・・・当時は、現代の見た目よりも高い20m級でした。
さらに、堀の傾斜は45度以上で、関東ローム層の粘土質の土でした。
関東ローム層は、10度の勾配でも、つるつるで登ることはできません。
石垣にも勝る土の城・・・土の城侮ることなかれ!!です。
当時は堀も水堀で、小田原城に入ることは出来そうにありません。
総構・・・城を待ち事囲んだ堀と土塁・・・全長およそ9㎞で、当時最大級の規模でした。
総構の中には、武士だけでなく、町人や農民の生活する場所が設けられていました。
城内では、農民が城の防衛に当たることがありました。
小田原城では、侍と民衆がともに国を守る・・・助け合うシステムが作られていたのです。
総構が完成したのは、4代当主北条氏政の頃で、息子に家督を譲り、後見人として政務を取り仕切っていました。
戦国時代の小田原の様子は・・・
小田原は、守護政道に私欲がなく、民を大切にしたので、津々浦々の町人や職人たちはその恩恵を感じ、西国や北国からも移住してくるほどであった。
民の生活も豊かで、生業は繁盛していました。
更に北条は、領国支配を確かなものにするため、領内に多くの山城を配置。
小田原城を中心とする城郭ネットワークを構築していました。
そのうちの一つが津久井城でした。
かつて、いろいろな仕掛けが施された山城でした。
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古い絵図には、本丸などの曲輪や斜面の堀の様子が描かれています。
曲輪通しが橋で繫がれている部分・・・
堀切に引橋という部分が残っており、味方が渡り終えたら橋を引いてしまう・・・。そんな形になっていました。
巨大な山城、小田原城との城郭ネットワーク・・・その数は、最盛期で90以上に上りました。
しかし、同じころ、さらなる巨大勢力が誕生していました。
信長の次に天下人となった、関白・豊臣秀吉です。

秀吉は、四国、九州を立て続けに平定・・・そして、次なる強敵・北条氏に豊臣家に対する従属を要求してきました。
しかし、氏政は、この要求に応えようとはしませんでした。
秀吉による天下統一というものを、北条は疑問視していました。
「自分たちの国が立派に機能しているのに・・・??
 領民たちも不満なく暮らしているのに・・・??
 どうして秀吉の天下に納まらなければいけないのか・・・??」
業を煮やした秀吉は、ついに北条討伐を決定!!
北条に宣戦布告城をたたきつけ、関東の狼藉者を討つと宣言します。

1590年3月、豊臣秀吉、関東へ出兵!!
兵数およそ22万!!小田原へ!!史上空前の大軍勢でした。

北条では、城のメンテナンスをする場所を、村ごとに割り当てていました。
直すことで、いざ、敵が攻め込んできたときに、その城に逃げ込む権利を有しているのです。
村人の安全保障をしてくれる城・・・他とは全然違う城郭ネットワークだったのです。

秀吉の襲来に備え、北条氏は各地の山城の整備を急ぎます。
鍬や簀子をもって、城の普請に努めよ・・・工事の主体となったのは、地元の民衆でした。
中でも力を入れたのは山中城・・・小田原城を防衛する最前線の城でした。
箱根の西に当時の東海道を遮る形で作られていました。
山中城は本丸を中心に作られた防御陣地や、曲輪によって豊臣軍の侵入を物理的に封鎖しています。
海道を通ってくる敵には岱先出丸で、山からの敵には西の丸で迎撃できるようになっていました。
敵がどこから来ようと守り切る形が出来上がっていたのです。

1590年3月29日、豊臣軍山中城に到着
その数およそ6万8000!!秀吉の直轄部隊を含む、主力部隊です。
対する北条方は僅か4000。兵力には圧倒的な差がありました。
当時の戦況を記した資料(豊臣方に従軍した侍)には・・・
城内から鉄砲がつるべ撃ちにされ、鬨の声がどっと上がりました。
岱崎出丸から北条の鉄砲隊が構えていたのです。
山中城は、空堀や土塁、やぐら台で接近を防ぎました。
城跡からはたくさんの鉄砲玉が発掘されています。
北条軍は、善戦した戦いで・・・強行突破をしようとする秀吉軍!!
秀吉の指揮所からほら貝が・・・!!
全軍に総攻撃の命令が!!
しかし、それを待っていたのは、北条の一斉射撃でした。
豊臣方先鋒・・・一柳隊の大将・一柳直末は、この戦いで討ち死にしています。
城攻めで大将格が討たれることは、戦国の世でも稀でした。
射撃から身を隠した隊は、2時間も足止めを喰らいます。
そして目にしたのは・・・突入した豊臣兵たちの屍でした。

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豊臣勢を恐怖させたのは・・・障子堀という独特の作りです。


空堀を障子のように区切る畝が、敵の動きを封じると言います。
城内の殆どの曲輪にこの堀がありました。
その効果は絶大!!


本来は、滑りやすい赤土で、狭い畝・・・
その上を通ることは不可能でした。
普通、空堀に降りた兵あっちは、堀底を通路のように歩き、守備の弱い場所から突破していきます。が・・・この障子堀ではそうはいきません。
袋のネズミです。
堀底からの移動は困難でした。
とにかく、北条の銃撃を耐えに耐えて隙を見て登っていく・・・その方法しかありませんでした。
多くの犠牲を払った山城攻め!!
北条軍は、豊臣軍を多大いに苦しめました。
甚大な被害を被った豊臣軍は、しかし、兵を投入し続けます。
豊臣方の侍は、三の丸に侵入・・・見方が銃弾に倒されていく中、どん欲に本丸を目指していました。
時間が経つうちに、鉄砲の煙も薄くなってきました。
あとからあとから出てくる豊臣軍に、鉄砲の弾が尽きたのか、北条の動きに衰えが・・・!!
この僅かの隙に付け入って・・・怯む北条方を追いかける体で、二の丸へ強行突入!!
そして、日も暮れようとする頃・・・
敵味方の兵たちが。重なり合いもみ合い、堀に落ち・・・ついに本丸陥落!!
序盤で善戦した山中城は、結果的には僅か半日で落城してしまいました。
この戦いで、北条4000人のうち死者1000人。
豊臣方は、その数倍の犠牲者を出したと言われています。
撃っても撃っても屍を堀越える形でやってくる豊臣軍・・・
そんな戦いの中で山中城は落城しました。
中性的世界と近世的世界・・・非人道的、非人格的な世界、近代に繋がる戦いでした。
山中城を突破した3日後、4月3日に秀吉はついに小田原に到着。
豊臣方の軍勢には、各地からそうそうたるメンバーが!!
小田原城を陸と海から完全に包囲!!
さらに秀吉は、自らの陣に城を築き始めました。
石垣山一夜城・・・北条に先端技術を見せつけるような、総石垣づくりの城でした。
秀吉はそこで、茶会や能を催す余裕でした。
一方では、北条領内の山城群にも攻撃をかけます。
絶体絶命の北条・・・応戦か降伏か・・・決断をするのは、四代当主氏政!!

小田原城は、これまで上杉謙信も、武田信玄も跳ね返して来た・・・
籠城戦を貫いて応戦する??
1561年には上杉謙信が11万3000の兵で小田原城を包囲、1569年には武田信玄が小田原攻めを企てていました。
北条はこれらの侵攻に籠城で応戦し、敵を兵糧不足にしたと言われています。
豊臣軍に囲まれた今回も、それを狙っていました。
籠城戦ならば、あとは後詰さえいれば勝てる!!
我が方には奥州の雄・伊達政宗がいるではないか!!
小田原城に秀吉軍を引き付けて、その隙に背後をつかせれば、勝敗の行方はまだわからない・・・。
伊達政宗は、北条とは良好な関係にありました。
石田三成の書状には・・・
「北条を討伐の後、直ちに黒川に乱入し、政宗の首を刎ねる!!」とあります。
秀吉が滅ぼそうとしていた政宗が北条と結託していても、なんら不思議はありません。
援軍の可能性も・・・!!
しかし、一筋縄ではいかない伊達・・・信じられるのか・・・??

それとも降伏・・・??
九州の島津や、四国の長宗我部は降伏しても、本領安堵されている・・・
我等にも交渉の余地があるのでは・・・??
戦になれば、秀吉は総力戦を仕掛けてくるかもしれない!!
北条にとって想定外だったのは、山中城の戦いで秀吉が見せた犠牲をいとわない人海戦術です。
戦いになれば、小田原城内の民衆たちにも甚大な被害が及ぶかも・・・??

籠城か、降伏か・・・??
北条の存亡をかけた決断が・・・!!

小田原城包囲から2か月・・・
ついに戦況が動きます。
6月9日、奥州の雄・伊達政宗が秀吉の軍門に下ります。
北条に援軍の可能性は無くなりました。
小田原城中では重臣たちによる大評定が行われていましたが、明確な答えの出ないまま・・・
そのうちに、重要拠点だった鉢形城、八王子城などが落城し、忍城を除く全ての拠点が攻略されました。
そして、7月5日、ついに小田原城はついに門を開き降伏・・・北条氏は降伏するのです。
主戦派と見なされた四代当主氏政は、数人の家臣と共に切腹。
息子・氏直は高野山に追放され領土はすべて没収となりました。
関東を新しく統治したのは、後の天下人徳川家康でした。
領国の中心は、小田原から江戸へ移され、山城は次々と廃城。
名残は消えていきました。

2015年小田原市内の発掘調査で興味深い遺構が発見されました。
総構の内側から障子堀跡が見つかったのです。
そこは古くから百姓曲輪と珍しい名前で呼ばれていた一角で、研究者の間では、北条の時代民衆のための避難場所だと推測されていました。
総構の中で大切にされていた百姓曲輪・・・秀吉とは違う民との向き合い方が見て取れます。
民を慈しんだ北条氏・・・もし、小田原城が落とされなければ、日本の歴史は北条氏が目指していた身分の・・・
身分を厳しく分けてゆく社会ではなく、みんなで共同して世の中を作っていったのでは・・・??
五代100年もの間、山城によって守られてきた北条王国・・・その滅亡は、日本の歩む道を大きく変えたのかもしれません。

一人の命令で何千、何万人が死んでしまうような戦い方・・・を平気でする秀吉のような戦い方は、近世にならないとできないものでした。
その近世への決定的な転換点が、小田原の陣だったのです。

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ああ・・・ついに「滅亡」です・・・。

小田原城を、豊臣の大軍が取り囲んだ。
北条軍は、なおも徹底抗戦の構えを見せる。
北条氏説得のため、信繁は小田原城に潜入した。

そうそう、説得したのは黒田官兵衛かもしれませんが、色々あって、信繁も裏でやっていたのかもしれません。
ま、名胡桃城を巡っての当事者ですしね・・・。

「真田源次郎信繁、お久しゅうござる!!」と言ったのは、義兄・小山田茂誠。

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信繁を助けてくれたのは義兄・小山田茂誠でした。


義兄・小山田茂誠は、松が行方不明になった後、所縁のある北条に仕官していました。

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いろいろと話したいことはあるんだけれども、もっと早急のやっつけ仕事が信繁にはありました。

江雪斎がやってきました。
信繁は、氏政の説得に・・・!!

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ああ・・・まさに異形・・・
私の中での異形と言えば・・・

「平清盛」の鳥羽上皇か

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崇徳天皇か・・・

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一応、人間の崇徳にしてみました。
その中に、割って入るほどの形相です。

「殺せ・・・!!」by氏政

真田の息子として殺したいようですが・・・今回は、豊臣の使者として着たことを告げるのでした。
徳川の書状を持ってきたというと・・・殺すのはちょっと待ってくれたようです。

徳川家康が、氏政の命を助けるために奔走していることを告げる信繁。
しかし、絶対に降伏はしないという・・・。

「関東の大名や国衆で、北条に従うものは誰もおりませぬ。
 頼みの伊達政宗も、豊臣に下りました。」by信繁。

伊達政宗に・・・ガーン!!ショック!!な、氏政!!

味方のほとんどの城が落ちたと聞かされた氏政・・・呆然・・・あの因縁の沼田も・・・!!

「引き際をどうか、お考えください。」by信繁

「ついに東国の覇者にはなれなんだ・・・
 返す返すも心残りは・・・

 どうせ秀吉と一戦交えるなら、伊達や徳川と組んで、日の本を分ける大戦をやってみたかったわ・・・!!
 華々しく・・・戦国の世に幕を引きたかった・・・。
 
 秀吉が恨めしいぞ・・・」by氏政

そうね・・・日本人特有の滅びの美学ってとこかしら・・・??
そんな風に思っている男がもう一人・・・真田昌幸って男もいるんだけどね。。。
 
秀吉に頭を下げれば、氏政と氏直の命は助けてくれるという信繁に・・・

「命など、おしゅうない。。。」

と、あくまでも戦いたかった・・・未練な・・・しかし、潔い氏政なのです。


再び義兄・小山田茂誠の元へ・・・
松が生きていたことを知らせます。
上田城にいるとの事・・・大喜びの義兄です。

その蔵で信繁の見たものは・・・

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鉛・・・そこには魚の印が・・・!!


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忍城を任された石田三成!!
殿下のご期待に副ういい仕事ができるんでしょうか・・・??
昌幸・信幸たちは、鉢形城を落とし、八王子城へ・・・!!

しかし、八王子は上杉に任せ、忍城に戻れと殿下のお達しが・・・。
忍城はまだ落ちていなかったのです。

小田原城が落ちていないと聞くと、昌幸は・・・

「氏政も粘るのう・・・
 アヤツは己のための戦をしておる・・・。」by昌幸

と、ちょっと羨ましそうなのです。
そう、こちらもまた戦国時代の古い男なのです。


1590年7月5日・・・ついに氏直が城を出て、秀吉に降伏しました。

が・・・
「氏政は死んでもらおうか。」by秀吉
と、簡単に約束を違える秀吉!!
諫める家康・吉継の話に耳も傾けない秀吉です。

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「五月蠅い!!
 城の明け渡しが済んだら、氏政は切腹!!
 それを見届けて、われらも京へ帰る!!」by秀吉

7月10日髷を落とした氏政は、秀吉の軍門に下りました。

「お命・・・必ずお救い致す・・・」by家康
「生き恥は晒しとうない。」by氏政
「恥は一時でござる・・・生き延びることこそが肝心・・・」by家康
「これ以上関わると・・・貴殿に災難が降りかかる。。。」by氏政
 
ここに・・・戦国最後にして滅びるものと、生き残るもの・・・その考え方の違いがはっきりと見て取れます。

家康以外にも、説得に、景勝、昌幸もやってきました。
説得するにあたり、氏政同様、髻を切り落とすという景勝!!その決意が伺えますが・・・
説得するも、反対に問いかけられてしまいました。

「上杉殿・・・
 むしろあなたに伺いたい。
 秀吉のために生きるのでござるか?
 それでよろしいのか・・・??」by氏政

そう。。。自分のために戦い、自分のために死にたい・・・それこそが自分の人生・・・。

同じことを考えている男がこう言いました。

「死にたければ死になされ。
 されど、生きておれば、まだまだ楽しいものが見られますぞ。
 このまま秀吉の天下が来るとは到底思えぬ。
 ここにいる誰もがそう思っておるはず。
 
 そうではござらんか!!
 もうひと暴れ・・・したいとは思いませんか??」by昌幸

そこにはこの後訪れる関ケ原の戦い・・・そして自分は参加できない大坂の陣・・・それもまた切ない。。。

「お主らの働きぶり・・・あの世でしかと見物させていただこう・・・」by氏政

「ここまで・・・でござるか・・・??」by家康

「ここまで・・・でござる。」by氏政

おお!!一昔前の少年漫画のようです。
まさに、”とも”!!強敵と書いて”とも”!!信頼しているお互いの尊敬を込めた強敵(とも)です。

ちょっと羨ましいと思う昌幸がそこにはいました。

maru8












待っている間の家臣たちはいろいろやきもきです。
が・・・やはり頑固な男・・・氏政でした。

走り去った江雪斎・・・その行方は・・・??
もちろん、生き延びますよ!!

maru9













翌日・・・北条氏政は切腹。
首は京に送られ、聚楽第の橋に晒されたという。。。

最後の汁かけ飯は、一気にいきましたね。
氏政の覚悟が伺えます。

息子の氏直は、出家ののち・・・
この頃の御多分に漏れず高野山へ・・・。

maru6














これによって関東に一代王国を築いた北条は滅びたのでした。
が・・・最後の最後までお家の再興を望んでいた氏直。。。
お家再興を許してもらった時には死がそこまでやってきていました。
氏直が命を救ってもらえたのは、正室が家康の娘であったことが大きい要因となっています。
そういえば、関ケ原の戦いで真田が二つに分かれたとき、昌幸と信幸の助命嘆願をしてくれたのも家康でしたね。
正信の言う通り、結構情に厚い男なのかもしれません。
でなければ、天下人にはなれないというか・・・家臣がついてこないかっ・・・!!


で・・・小田原城で見つけた例のものを吉継に!!

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しかし・・・蔵はもぬけの殻となっていました。
「あぶないところやった・・・」by利休

逃げ出したのは千利休でした。
そう・・・利休はどちらにも武器を・・・まさに、死の商人だったのです。


未だ忍城を落とせない三成!!
夜な夜な堤を崩すので、水攻めにならない・・・
そこに戻ってきたのは昌幸。
全面攻撃をしようという昌幸&三成に・・・
「速やかに開城させて御覧に入れましょう。」by昌幸
使うのは・・・三成の嫌いな卑怯な手・・・
「戦に勝つとは、人の心を制することでござる。
 忠義が邪魔ならそこに付け入るがよろしい。。。
 小田原から土産を持ち帰り申した。」by昌幸

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それは、氏政の兜でした。

城内に持ち込んで・・・血の一滴もついていない兜は、家臣たちを見捨てた証拠・・・と、噂を流します。
卑怯な・・・!!

城は二日で落ちるという・・・。
7月14日、城を明け渡すと連絡があり、最後の城・忍城も開城されました。

目から鱗の三成・・・
昌幸の策を「好かぬ」というも、
「貴殿のおかげで無駄な犠牲を払わずに済んだ。
 それがしに戦の何たるかをもっと教えていただけるか。。。」by三成

そこはさすが、合理主義者なのね、三成。。。
そうそう、きれいごとばっかりじゃ、戦いに勝ってはいけないのよ。
それは、三成を引き上げてくれた殿下を見てもわかるでしょう??
ほんと、殿下は人好きされるかもしれないけど、怖いお人なんだから。


奥州の覇者・伊達政宗は、すべての所領を差し出しました。
で・・・そこでも昌幸、なんだか一つ考えているようです。
やっぱり伊達、徳川と一緒になって大坂城を攻めたいみたい。
だって・・・あの徳川でさえ、先祖伝来の地を召し上げられ、江戸へと飛ばされたんだから・・・。

「わしは伊達に賭ける・・・!!」by昌幸


が・・・とうの政宗は・・・

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ずんだ餅を作っておりました。
あ・・・ずんだ餅を考案したのは政宗って説もあるんですよ・・・??
料理を作るのが大好きで、家臣たちにも料理を振る舞っていた伊達らしいお話と・・・
「織田がつき 羽柴がこねし天下餅 すわりしままに食うは徳川」をかけているのかしら・・・??
この場面ではついて食べてましたけどね。

そんな秀吉を持ち上げるホスト政宗に、「だめだこりゃ・・・」と、思う昌幸。。。

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で・・・みんなに振る舞うのは片倉小十郎・・・。
昌幸、伊達を取り込むのを諦めたみたいですよ。。。
って、秀吉に頭を下げて上洛するように進言したのは何を隠そうこの片倉景綱!!
なので、取り込もうとしても無駄でしたけどね。。。
ま、伊達も生き残るわけですから、それなりに秀吉に好かれる男でないとダメでしょう。。。

ちなみに私の小十郎はもちろんこちら。
西郷輝彦さんです。

kojyuurou












まさに、伊達家のNo,2・・・直江兼次ポジションね・・・でした。


江戸へと移された家康・・・
しかし、昌幸は、小県は安堵、沼田ももらえるらしいわ。。。
それは・・・それだけ家康が恐ろしかったってことなのよね。。。
小物はガタガタ騒ぐ前に安心させておこうというところでしょうかね・・・??
そして、徳川の与力を離れ・・・徳川を見張れという秀吉なのでした。


ホストな政宗と信繁・・・若い二人の話。。。

「お主の親父、わしが餅をついているのを見てぽかんと口を開けておったわ。。。」
と、ちょっと自虐的・・・
もし・・・北条が先に降参していたら・・・自分の命はなかったかも・・・。
わしの人生綱渡り・・・。
しかし・・・生き残るため!!

「わしだって、どうせ戦国の世に生まれたからには天下を賭けた大戦に望み、何万という大軍を率いて敵を蹴散らしたい・・・お主だってそう思うだろ。。。」と、話し始めました。
「もしわしが、もう20年早く生まれておれば、もうしわしが、もう少し今日の近くで生まれておれば、大広間の首座に座っているのは秀吉ではなくわしであった・・・
 真田の子倅・・・またどこかで会おう・・・!!」by政宗

そうね・・・武田信玄がもう少し後で生まれていたら・・・
伊達政宗がもう少し早く生まれていれば・・・
そうして、二人とももう少し京に近かったなら・・・
それは、歴史において誰もがいう事ですね。

まさに無念!!以外の何物でもないでしょう。


北条の滅亡によって名実ともに戦国の覇者となった秀吉・・・。
時代は、破壊から建設の時代となりました。
関ケ原の戦いまであと10年!!


領民想いの北条が、遂に敗れてしまいました。
この「滅亡」・・・本当に、深いですね。
みんな滅亡しないように、命を懸けて・・・生き残りを懸けて戦っている戦国時代・・・
「滅亡」なんてとんでもない選択のようですが、それも一つの戦国武将の生き方だと思います。
実際、「真田丸」でも北条のことをちょっと羨ましいと思っている昌幸がいるわけですし・・・

ただ、なんとかして生き残るホスト政宗・・・同じような生き残り方を前田もするわけです。
前田の場合は、利長や利常が頑張るわけで、そのおかげで伊達の場合は伊達男とか前田は加賀友禅やお菓子・・・いろいろ文化が発達するのは・・・徳川のホストとして頑張っていたからです。

しかし、時代の流れに乗れなかった・・・そんな北条の滅びの美学は、後の幕末の滅びの美学「新選組」を考えると・・・人気があってもいいのになあ・・・って思うんですけど・・・??


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秀吉はついに、北条征伐を決意する。
全国から総勢二十一万の兵が集められた。
史上空前の対戦が、始まろうとしていた。


さあ!!天下統一に向けての最後の大戦!!
一体どうなることやら・・・??

1589年12月・・・聚楽第にて・・・

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陣立てを任されたのは、石田三成・・・
20万を超える軍勢を、どのように動かすのか・・・??

秀吉としては、実戦経験の少ない三成に、ハクをつけようという親心なんでしょうね。
期待にこたえなければ・・・!!


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総大将は、近江中納言秀次。
彼もまた、実戦経験が少ないので、頑張らせなければならないですね。

家康は、秀次の後見らしいのですが・・・タヌキオヤジかしら・・・??

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今回は、軍勢を二手に分けるという三成。
秀次は東海道から・・・上杉は前田利家と一緒に東山道から・・・。
真田は、今回は、上杉の東山道側に加わるんだって!!
なんとも微妙な立場にある真田ですね・・・。

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この紙(陣立て)には、地図ではなく、どの大名が・・・誰がどれだけの兵を出すか??ということが書かれています。
なので・・・ここに書かれている人数を全部足したら21万になるわけですね。
この戦・・・すべきではないと思っている三成・・・無駄が大嫌いだって、三成。
でもね・・・一番無駄にするのは三成、あなたですよ。

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小田原城・・・秀吉嬢が包囲したのは4月のはじめ・・・18万の兵でした。
秀吉と秀次の率いる本軍は城の西と北を、徳川軍が東を、さらに南側の海は長宗我部・九鬼などの水軍が固めます。
まさに、鉄壁!!
殿下の名に恥じない戦いをしなければ!!と、意気込む三成。。。

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おお!!信繁、本来の馬廻衆の仕事してますよ。
殿下の命令で主将を集めるそうです。
戦いの場であるというのに・・・

「あの辺りは全て桜の木だ・・・
 ひと月早く来れば、満開だったはず。
 さぞ美しかったであろうな。。。」by秀次

秀次は、お公家さんたちとも仲が良くって、和歌をたしなむ風流な勉強家でした。
こんなところにも秀次のにおいを出していますね。
が・・・このドラマではナヨナヨ優しいだけですが、政治もちゃんとできたんですよ??


そして徳川の元にも・・・

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「殿下はまだ・・・このわしをお信じにならぬようだのう・・・。
わしを総大将にはなさらなんだ。」
さすが家康!!殿下というか・・・三成から信用されていないということを見抜いていました。

こんなちょっとしたこと・・・愚痴なんかを聞くのも、馬廻衆だからです。
馬廻衆でもなければ・・・本来の信繁ならば、愚痴ってもくれない関係です。

主将を集め・・・そして殿下は何を話す・・・??

「この度の戦、わしらの相手は北条だけではない。
 伊達政宗、未だ臣従を誓おうとしない陸奥出羽の大名共、奴らもこの強大な軍勢を知れば、いずれ必ず頭を垂れて参る。

 それを待つ!!
 それゆえの長い戦じゃ!!
 あっさり勝負がついてしまっては意味がない!!

 まあ、うちらが負けるわけ、にゃあでね、ゆっくりやるでよ。
 みんな、戦と思いやすな。
 骨休めじゃ。

 という訳で、わしは茶々を呼ぼうと思っておる。
 お前たちもあれだったら、身内を呼び寄せても構わんぞ。
 以上じゃ!!」by秀吉。

ということで、なんだかんだとちゃんと考えている秀吉です。
そう・・・伊達がどうするのか・・・??
それ次第では、家康も寝返るかも・・・??


そんな家康を・・・つれションに呼び出す秀吉。

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「徳川殿・・・
 この戦が終わったら、お主に北条の領地全てを任せようと思っておる。
 ここから見えるところ全てお主のものじゃ!!」by秀吉

「ありがたき事でございます。」by家康

「今後もわしのために働いてくれ。
 江戸はわかるかな・・・??」by秀吉

ということで、関八州をやる代わりに江戸に移ってもらうから・・・!!と言われてしまいました。

「駿河や美川はもう要らんだろ。
 江戸も良い所らしいぞ。」by秀吉

ああ・・・やられてしまいました。

これって、信長の・・・出雲、石見に国替えされそうになった明智光秀みたいですね。。。
結局、みんな同じようなことをやっているのに・・・
例えば光秀の国替えと家康の国替え・・・前田利家の裏切りと小早川隆景の裏切り・・・
他にも、神をも恐れぬ寺の焼きうちなんかは織田信長、松永久秀、伊達政宗・・・いろいろ同じようなことをやっている人が多いんですが、どうしてそれがいろんな風に卑怯者呼ばわりされ後世に残るのか・・・??
そこはやっぱり歴史は商社の歴史ってところが関係しているのかもしれませんね。

その頃小田原城の北条氏政は・・・
maru12













戦が長引けば・・・自分たちについてくる人も出てくるんじゃないか・・・??と、思っていました。
希望の星は伊達政宗!!

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しかし、江雪斎は、ご隠居様が秀吉を甘く見ていると氏直に進言!!
軍議を開くこととなりました。

上杉率いる東山道軍は・・・松井田城・鉢形城・忍城攻略!!突き進んでいました。

あとは忍城・・・!!
忍城攻めを信幸に任す昌幸・・・
ここでも世代交代が起こっていました。

5月に入った小田原城では、毎日のように軍議がなされていました。
籠城か・・・撤退か・・・??
まさにこれがホントの小田原評定です。

そんな中・・・蹴鞠に興じる氏政・・・そんな父が分からなくなってきていた氏直・・・。

「ご隠居様・・・
 板部岡江雪斎を侮られては困り申す。
 戦を忘れ、蹴鞠に興じるは誰より戦のことを気にされておられるから。
 薄化粧は、やつれたお顔を隠すため。
 お部屋に立ち込める香は、体のにおいを隠す役目。
 この季節、ひと月も湯浴みもされぬというのは尋常ではございませぬ。」by江雪斎

ああ・・・ここに、氏政のことを誰よりもわかってくれている人がいるじゃないの・・・??

「もしも、湯につかっている間に敵が攻めてきたらと思うとな・・・
 わしが誰よりもおびえていたら、家臣たちの指揮に障るでな。。。
 上に立つものの辛さよ・・・。

 降伏はせぬ。。。」by氏政

「この戦、負けを先延ばしにできても、もはや勝つことはできませぬ。」by江雪斎

「いずれ伊達が来る
 伊達さえ来てくれれば・・・!!」by氏政

最後まで誇り高き北条!!
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そんなことはお構いなしの秀吉。
茶々がやってきましたよ。
阿国まで・・・戦を楽しんでいる秀吉。

茶々は・・・
退屈だからと千利休の元へやってきました。
流石、豪商!!
ここでもせっせと働いているのかしら??
珍しい唐物がいっぱい!!

「戦はいつ始まるの??」と、信繁に聞く茶々。
「これが戦??浮かれ騒いでいるだけに見えるけど。
 折角来たからには、城が焼け落ちるところまで見ておきたいわね!!」by茶々
 
この”これが戦??”には、どんな意味があるんでしょう??
父が・・・兄が・・・義父が・・・母が・・・命を懸けて戦った戦とは全然違う!!
ふざけているのか・・・??と、怒っているように聞こえたのは私だけでしょうか・・・??

6月に入り・・・
一向に落ちない忍城・・・イラつく三成。。。
「戦は机の上の軍略通りには運ばんものじゃ!!」by吉継
そうね・・・無駄の嫌いな三成には、わかんない事ばかりの戦場です。

6月9日・・・ついに東北の雄、伊達政宗が秀吉の陣を訪れる

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おお!!白装束で伊達政宗劇場の始まりです。

パフォーマンス好きの秀吉のツボに、はまったみたいで、今回は許してもらえそうですよ。

伊達さえも秀吉に膝まづく・・・
茶々は、世の移り変わりを感じずにはいられませんでした。
滅びゆく北条の小田原城・・・それは、かつての小谷城・・・北ノ庄城ではなかったか・・・??

衝撃的な知らせは氏政の元にも・・・!!
ゆっくりとする意味も無くなった秀吉は、遂に小田原城を攻めるか!!

「北条方でほかに残っている城は、忍城、鉢形城などあとわずかでございます。
 そちらを先に落とすのはいかがかと。。。
 さすれば、北条は進退窮まり小田原城も開場と相成りましょう。」

と、吉継が北条を想って進言し・・・家康もこれに賛同!!
しかし、忍城はまだ落ちず・・・三成が戦場で采配を振るったことがないので、忍城を落とさせようと考えます。

「降伏するぐらいなら・・・城に火を放ち、わしは腹を切る。
 愚かであっても誇り高き死をわしは選ぶ。
 今更、秀吉に頭を垂れるつもりはないわ!!」by氏政

「ご隠居様は、かの早雲公以来代々の名家・北条を滅ぼされるおつもりか・・・・・!!」by江雪斎

「従いはしよう・・・ だが、今後北条は、上杉と同等の扱いとされるべし。
 本領は安堵、以後も豊臣家の重臣として丁重に扱うように。
 それならば、頭を下げよう。」by氏政

そうでなければ、城を枕に討ち死にを・・・!!
まさに、孤高の戦国大名な北条です。

この条件をもちろん飲まない秀吉です。
なんとか北条を守ろうとする家康や吉継たち・・・
「お前らは北条びいきか・・・!!」by秀吉
と、茶々と箱根の温泉に行ってしまいました。


真田昌幸、信幸、上杉景勝、直江兼次・・・彼らは未だ忍城近くにいました。
どうして先に進まないのか・・・??という三成。
既に、三成の計算から15日も遅れていました。
一日遅れことがどれだけの無駄になるのか・・・??
20万の兵の兵糧を取り上げて説教しますが・・・

小ばかにしたような昌幸、無表情の信幸、絶対だめだこりゃと思った兼次!!
「もうわかった!!」と、怒り出した景勝。。。

鉢形に向かうように言われます。
そして忍城は自分に任せろという。
忍城を、殿下の望み通りに水攻めにしようという三成。
どれだけの時間がかかるか・・・??本能的に感じている昌幸。
意見も聞かず、4日で落ちるという三成に・・・お手上げ状態の4人です。

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小田原の大谷吉継の陣にやってきた信繁。

家康の使者が、小田原城に入ったようです。
氏直は降伏に乗り気ですが、ご隠居は頑な・・・。
吉継に、小田原城に入り、氏政を説き伏せてくるように言われる信繁・・・。

??この人も、行ってましたけど・・・??

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ま、どちらにせよ、この秀吉を語るうえで、北条攻めがキーポイントであることに違いない事を語ってくれています。

氏政の心を動かさねばっ!!
吉継&家康の想いの手紙を胸に、小田原城へ!!

江雪斎と共にまずは氏直に・・・
降参したい氏直。。。
城と最期を共にしたい氏政。。。
信繁に頭を下げる氏直と江雪斎・・・最後の説得に向かう信繁。
しかし、反対派に襲われてしまいましたっ!!
信繁、大ピンチ!!

そこへ佐助登場!!
逃げる信繁!!

そんなドタバタで出会ったのは・・・??

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義兄上でした。

この回の新キャラは・・・伊達政宗でしたね。
政宗・・・三日月の前立て、黒づくめでカッコいい!!奇天烈なパフォーマーな政宗ですが(それは、渡辺謙政宗・・・??)、本当は、とっても細やかな気遣いのできる男でした。

おまけに秀吉とは親子ほども年齢も違うので、あんな感じ・・・つまり、ちょっとひよっこ感があっても当然だと思います。
若さあふれる暴れん坊だった政宗も、この白装束で、生き延びる道を選びました。

それと対照的なのが、氏政ですね。
年齢的なものがそうさせるのか・・・今まで生きてきた歴史がそうさせるのか・・・
頑なな氏政。。。誰もが秀吉にひれ伏する中、孤高を貫くのでした。

そんな氏政、もっとかっこよく描いてくれている文献があってもいいのになあ・・・。




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北条氏がついに上洛を承諾。
しかし、沼田城を真田から取り戻すという条件付きであった。
沼田の真の主を定める 「沼田裁定」が始まる。

ということで、いよいよ北条攻めに入ってきましたよ!!

そのもめ事の種はもちろん”沼田”でした。

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北条:板部岡江雪斎
真田:真田信繁
徳川:本多正信
各大名家の名代が集まって、いかに沼田が大事な土地か!!
自分のものであるのか!!を、主張しあいます。
「裁定」・・・まさに裁判ですよ!!
時代もちょっと戦国から抜け出してきましたね。

「そもそも沼田城は、上杉のものであったところを、天正6年御館の乱の際に、我が北条が奪い取った城でござる。
よって沼田は北条の城であることは明々白々。以上!!」by江雪斎

「それにつき真田の言い分はいかに?」by三成

「確かにかつては北条のものでありましたが、天正8年、城は武田の手に渡っております。
 以後、織田に引き渡すまでの2年間、沼田城は真田の支配でございました。
 何故北条殿が、おのが城と言い張るのか、全く解せませぬ!」by信繁


「面白い!!」by秀吉

でも、わかんない秀吉のために、片桐且元のプレゼンが始まりました。

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「沼田城を築いたのは上野の国衆・沼田顕泰にございます。
顕泰は上杉に近く、しかし、ココが面白いところですが、家中に騒動が起こりまして、なんと家臣が上杉方と北条方、真っ二つに分かれ、その時騒動を鎮めたのが・・・」by且元

「長いっ!!」by秀吉

「はっ!!
 上杉謙信ということでございます。以上!!」by且元

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「で・・・何故皆、この城にこだわる・・・??」by秀吉

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またもや新しい地図登場!!
「沼田城は、上野と越後の国境にございまして、関東の最北に位置します。
 利根川と片品川に挟まれた絶壁上にあり、天然の要害とも申せます。
守るにやすく、攻めるに・・・」by且元

「沼田がいかに大事な城化はよう分かった。
 続けよ!!」by秀吉

つまり、沼田は交通の要所であり、天然の要害の城ってことで、みんな欲しがるんですよね。
ああ・・・常に中間管理職な且元です。
胃に穴が開いちゃうんじゃないかしら・・・??

ということで、プレゼンは打ち切りとなって、裁定が再開しました。

もともと上杉、北条、真田が三つ巴で争っていた沼田、織田が奪い取った・・・
その織田から誰が奪い取ったのか・・・??
織田を追い払ったものか?

いろいろ言っても言ったもん勝ち??
水掛け論ですが・・・??

「おっしゃる通り!!だまし取り、かすめ取り、勝ち取りました!!」by信繁

暫し休廷となりましたが・・・
ここまで何も言っていない正信、気になりますね!!
ああ・・・家康も、彼を見習ってタヌキオヤジ化したのかしら・・・??

「これは、戦だとわしは思うておる。」by江雪斎
「私もそう存じます。」by信繁
「戦は勝たなくては意味がない。
 容赦はせんぞ・・・!!」by江雪斎
「望むところ・・・」by信繁
「こうしてわれらがやりあうことで、真の戦をせずに済む・・・」by江雪斎

そう・・・江雪斎も、氏政との板挟みで、ここ何回も苦労してきたんですよね。
やっとこの場所に立てた・・・氏政に立たせてもらったからには、ぜひ、勝って帰りたいものでしょう。
その言葉を聞いて、目から鱗な信繁・・・江雪斎からも何かを・・・新しい戦わない戦を学ばせてもらったようです。

おお・・・徳川の二重の約束登場!!
ほんと、だれの二枚舌なんでしょう??
江雪斎は、徳川と密約を結んだときに、沼田を真田から北条に引き渡すと書かれた起請文を渡された・・・と、現物を証拠提出します。


「佐渡守殿、それに間違いはないか・・・」by三成

「おおむねは・・・」by正信
っと、とぼけております。

「真田側の言い分はいかに・・・??」by三成

「天正10年、つまり同じ年に、我が真田も徳川と盟約を結んでおります。
 この時徳川は、真田に対し、沼田の安堵を約束しております。
 未来永劫、沼田は真田のものだと徳川様がおっしゃったのです。
 その時の起請文です。」by信繁

と、信繁も証拠を提出しました。

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お捨てを抱きながら・・・やっと理解理解の秀吉です。

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ま、秀吉にとっては、沼田の重要性などどうでもよく、本当はこの裁定事体にしか興味がなかったのかもしれませんね。
そう・・・このもめ事を・・・紛争をどう利用するかを・・・!!

そこでぐずったお捨・・・退出しちゃいます。
この場を任されたのは、秀次でした。

真田と北条・・・条約の重さ・・・格を持ち出す江雪斎と、日にちを持ち出す信繁・・・

「徳川殿は、居並ぶ双方の家臣たちの目の前で、はっきりと沼田を北条に譲り渡すと申された。
 貴殿は徳川殿を、嘘つき呼ばわりされるか・・・!!
 二枚舌の卑劣漢と罵るか・・・!!」by江雪斎

ああ・・・江雪斎の罠にかかってしまいました。
卑劣漢なんて言ってないんですけどね・・・。
大ピンチ!!信繁!!

「はてさて・・・合点がいきませんなあ・・・。
 我が主、三河守がそのようなことを申すはずはござらん。」by正信

おお!!ドキドキするわ・・・なんて〆る・・・??

「そもそも我が主には、沼田を譲り渡す気はござらなんだ。
 北条に伝えたのは、”奪い取るなら好きにせよ”という事。
 ”奪い取るなら好きにせよ”でございます。
 起請文にも、そう書かれているはず。
 そこに”手柄次第”とありませぬか??
 おのが手で、沼田城を奪い取るなら徳川は邪魔はせぬ、という意味でございます。」by正信。

おお!!江雪斎のぎゃふんという声が聞こえてきますよ!!
二枚舌どころじゃないんですよ、徳川は!!
これでこそ、最後に天下を手にする男の参謀・・・ブレーンです!!

そこで秀次・・・どうする・・・??

maru7













「江雪斎・・・
ずっと気になっていたのだが、”譲り渡す”にせよ”奪い返す”にせよ、それは沼田が真田の城である事を、暗に認めていることにはならないか。
もともと北条のものであるなら”取り返す””奪い返す”というべきである。

これは何より、北条は沼田を真田のものと思っている証拠じゃ。
”語るに落ちる”とはこのこと。違うか?江雪斎」by秀次

おお!!見事な大岡裁き!!な秀次です。

江雪斎、ピンチ!!

「ここまでだな・・・治部。」by秀次

「双方の言い分は聞き尽した。
 後ほど殿下のお裁きを申し渡す。」by三成

正信にお礼を言いに行く信繁。。。

「必死で戦うておる若者を見たら、手を差し伸べてやるのが年寄りというもの。。。」by正信

??本当に??二枚舌な徳川が・・・??

隠れている父・正信に報告しに行く信繁、喜ぶ二人の前に・・・

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三成登場!!
怒ってますよ!!
「余計なことをしてくれたな!!
 お主のおかげで算段が狂った。
 気持ちはわかるが、安房守殿。これでは困るのだ。

 殿下にとって何より大事なのは、北条を上洛させること。
 そのためなら、沼田はくれてやってもいいと思っておられた。
 
 すんなり北条に沼田を渡しても良かったが、それでは真田の立場がないと思い、それゆえの今日であった。
 安房守殿、ここは折れてくれぬか・・・??」by三成

沼田を諦めないという昌幸・・・

「真田と北条の戦だけでは済まなくなる!!
 日の本中を巻き込む大戦になるは必定!!
 その沼田が火種となるのだ!!
 理不尽なのは承知の上・・・この通りだ。」by三成

頭を下げる三成・・・
信繁言っちゃいました。

「石田様、お手をお上げください。
 沼田は引き渡しましょう。

 一つだけ望みがございます。
 沼田の外れにある名胡桃には、我が真田家の代々の墓がござる。
 あそこだけは渡すことはできません。」by昌幸

「ならば名胡桃城は、そのまま真田に残そう。」by三成

「あとは殿下のご上意に従うのみでございます。」by昌幸

転んでもただでは起きない昌幸、本当に名胡桃に墓はあるの・・・??

そう・・・名胡桃はひときわ高い場所にある・・・
沼田は丸見え・・・なのだ!!

ということで、沼田領のうち、沼田城を含む、石高2/3が北条の・・・名胡桃城を含む1/3が真田のものとなりました。


こうして・・・沼田裁判は目出度く終了・・・??

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「名胡桃なんぞに真田が居座ったらどうなる・・・??
戦になった時、われらの動きが全て悟られてしまうではないかっ・・・!!」

と、こちらも沼田にこだわる氏政も名胡桃の重要性をわかっていたのです。

「ご隠居様・・・京へ参りましょう。
 関白殿下はご隠居様の上洛と引き換えに、沼田をくださったのです。
 今はとにかく京へ・・・!!」by江雪斎

「うぬは誰の家来だ・・・!?」

と・・・氏直に、沼田に1万の兵を置き、裁定に不服があると示すように命令するのでした。

「秀吉公は、城の受け渡しの際は、千人以上の兵を動かしてはならぬと仰せられました!!」by江雪斎

うぬは誰の家来だ!!と、すでに起こっている氏政は・・・これ見よがしに
「2万にしよう。」と、氏直に命じるのでした。

秀吉の思惑通りに事が運ぶのかしら・・・??
その頃、上野・沼田城では・・・
信幸が、叔父・矢沢頼綱の説得をしていました。
沼田を明け渡すように・・・と。
今までこの城のために、どれだけの血が流されたというのだ・・・。
その無念を考えると、やすやすと沼田を明け渡す気にはなれないのです。


が・・・裁定通りに一安心・・・??

1589年11月・・・
名胡桃城が、沼田城に入った北条家家臣・猪俣邦憲に攻め込まれ・・・奪い取られたのです。

これでは・・・秀吉の裁定が・・・!?

城を取り戻す・・・??

「今すぐ兵を!!」というたまたまいた本多忠勝!!
先陣をとるという忠勝。

しかし、信幸は・・・??
「舅殿は、口を挟まないでいただきたい!!」
あんなに怖がっていたのに・・・一喝!!です。

たまたま稲のところに来た舅・・・

「ならば、稲のところへお戻りください。
 ここは真田の軍議の場でござる!!
 あなた様は徳川のご家来。
 速やかにお戻り願いたい!!」

と、びしっと言ってしまいました。

「婿殿・・・よう言うた!!」by忠勝

「佐助、このこと、すぐに京の父上に知らせろ!!
 京へは何日で行ける?」by信幸

「5日あれば・・・」by佐助

「4日で頼む!!」by信幸

「はっ!!」by佐助

「悔しいのう・・・俺も同じだ!!」by信幸

おお!!覚醒しましたね、信幸!!
流石最後まで生き残る真田ですよ!!

maru10













猪俣邦憲の行為を、愚かな・・・と表現する江雪斎・・・
このことが、北条攻めの口実になるのでは・・・と、危惧していますが・・・それは事実!!

しかし、この北条と真田のいざこざに、どうして秀吉が出てくるのか・・・??
それが理解できない氏政なのです。
時はもう・・・戦いで決着する時代では無くなったのでは・・・??
やはり、都から遠かった・・・時の流れに乗れなかったのが悪かったのかもしれません。
でも・・・都に近かったら、すでに滅ぼされてるかもしれないしなあ・・・。

しかし、ここにも時代の波に乗れない男・昌幸です。

意趣返しをしようという昌幸に・・・
「時代が変わったのです。」と、殿下にお伺いを立てるべきだという信繁。

そして・・・名胡桃城奪回の許しを得るために、殿下に会うのでした。
しかし・・・預けてくれという殿下・・・。


戦えない父・・・戦国を生き抜いてきた男が・・・!!

が、今回は、城を奪われても手をこまねいてみていなければならない・・・
何のために、秀吉に従った・・・??
自問自答する昌幸なのです。

無念・・・その言葉に尽きる・・・時代が変わろうとしていました。

で・・・いよいよ北条攻め!!
討伐の口実が出来てしまったのです。

止める三成&信繁・・・しかし、やはり秀吉も古い男なのです。

「さんざんわしは救いの手を差し伸べてきた!!
 それを、氏政は拒んだのだ。
 あとは戦しかない!!

 大名共に触れを出せ。
 見たこともない大軍で北条の度肝を抜いてやる・・・!!」by秀吉

誰も止めることはできない・・・しかし、そうやって天下を統一してきたのも事実!!

「秀吉が攻めてくる・・・
 子の小田原城がある限り負けはせぬ。。。」by氏政

「上杉、徳川、真田に加え、中国四国、九州の大名たちまで・・・。
 見たこともない大軍勢でございます。」by氏直

「望むところだ!!
 こちらと手、奥羽の伊達との盟約がる!!
 
 江雪斎!駿府へ行け!!徳川だけは押さえておこう」by氏政

「今から徳川を味方につけるのでございますか?」by江雪斎

「まだ時はある。
 説き伏せよ・・・!!」by氏政

時すでに遅し・・・もう・・・流石の家康も、助け舟を出せる状況ではなくなっていました。

maru11














この時から・・・関東の名門北条家は滅亡に向かって突き進んでいく・・・!!

私たちは、あとの歴史を知っています。
だから、氏政のしたことは無謀だとか、時代が読めないとか思われがちです。
でも、日本地図・・・もし、徳川と伊達が味方に付いてくれていたとしたら・・・??
ハーフ&ハーフな戦いが出来たと思います。

戦いに行き、戦いに死ぬ・・・戦国大名・北条氏政の死は、そこまでも愚かなものではなく、あの時代・・・戦国大名の誰も彼もがたどった道です。

今、私たちの時代と価値観なんて全然違う・・・
だいたい、切腹なんて誰もできないもの・・・
そんな時代の人の何を語ることが出来るのでしょう??
誇り高く生き抜く北条氏政・・・次の回でもその誇り・・・見せてくれるでしょう。



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