日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:城下町

日本の城 ―透視&断面イラスト

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岐阜県岐阜市・・・難攻不落の岐阜城の城下町です。
織田信長が天下統一を掲げた城下町。。。
四方を山に囲まれて・・・長良川の流れる城下町。
天空にそびえる白亜の城です。

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美濃を代表する戦国武将は斎藤道三、そして織田信長。
岐阜城のある金華山は、戦国時代には稲葉山城と呼ばれ、斎藤道三の居城・稲葉山城がありました。
この道三によって、城下町の基礎がきずかれましたが、1567年・・・斎藤龍興の時代に・・・
難攻不落の稲葉山城は信長の手によって攻略。
この地を平定した信長は・・・井口という地名を・・・中国の故事に習って岐阜と改めました。
斎藤道三・織田信長・・・ふたりの偉大な戦国武将の地です。

標高329mの金華山山頂にそびえる岐阜城・・・
天守閣からは、眼下に濃尾平野の絶景を望むことが出来ます。
信長は、この岐阜から天下布武を掲げ・・・野望実現に向かったのです。

今は昭和31年に再建された岐阜城ですが。。。
信長の建てた岐阜城とはどんなものだったのでしょうか?

信長の屋敷跡は、今も発掘調査が行われています。
今からおよそ440年前に、信長が築いた岐阜城・・・
金華山の麓には、信長の居城があったと言われ。。。
昭和59年から、居館発掘調査が行われています。

2013年に、この居城から発掘された瓦・・・
牡丹と菊花紋は、金箔がはられていました。
従来の定説からは、金箔は安土城が最初・・・と言われていましたが、その始まりは岐阜城からだったのです。

時は戦国時代・・・防衛よりも・・・
守りに徹する武骨な城よりも、敵方にも存在を誇示するような”見せる城”で・・・。
迎賓館としての役割・・・外交の拠点もあったようです。
楽市楽座も発祥の地で・・・信長統治下の岐阜を訪れたルイス・フロイスは・・・
「まるでバビロンの町のよう。。。」
と言い、当時は京に次ぐ繁栄を極めていました。
信長が、天下統一を果たすために築いた新感覚の城下町だったのです。

長良川沿いには・・・古い町家が残っていて・・・道三の時代から水上運送による市場があり、商業が発展していました。
岐阜団扇は室町時代から生産され、その材料は、地元の竹、美濃和紙が長良川によって運ばれてき。。。
提灯や和傘づくりも盛んに行われてきました。

金鳳山正法寺には大仏があります。

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この大仏は・・・真鍮を通して・・・主に木材や和紙で作られた日本一の乾漆像です。
奈良大仏・・・14.98m
岐阜大仏・・・13.63m
鎌倉大仏・・・11.31m
と、引けを取りません。
竹や和紙で作られた岐阜大仏は、岐阜産業の集大成とも言えます。
岐阜の城下町ならではの大仏様なのです。

1300年前から行われている古の漁法・・・
夏の風物詩は、長良川の鵜飼い・・・古事記にも描かれている伝統の漁法です。
江戸時代は、尾張藩の保護によって娯楽へと発展していきます。
松尾芭蕉は・・・
「おもしろうて
 やがてかなしき
       鵜船かな」
と、詠んでいます。

この句は、当時の鵜飼の姿を伝えています。

戦国の梟雄達が自らの野望を実現する為に争った岐阜・・・
しかし、それは、長い歴史の中の一コマなのです。

人々は、いつまでも変わらない長良川と金華山に誇りを持っている・・・
そんな城下町でした。

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滋賀県近江八幡市は・・・近江商人発祥の地。
水郷と古き商家が立ち並ぶ・・・日本経済を築いた近江商人の城下町。
琵琶湖の東岸に位置し、江戸時代全国各地で商売を行った近江商人の城下町です。
商人たちの生活が垣間見ることが出来ます。

八幡山山頂にある近江八幡城。
今ではロープウェーで行きますが、標高285mの八幡山の頂に建てられたお城です。
現在天守は存在しておらず、石垣をみることが出来ます。

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この城を作ったのは、豊臣秀次・・・幻の天下人です。

秀次は、秀吉の甥で・・・
秀吉は、ゆくゆくは跡取りとして養子にしていました。
後継者として帝王学を学んでいきます。
18歳で近江の国の城主となり、24歳で関白宣下され・・・天下人となったはずでした。

秀吉の後継者として秀次しかいない!!と、誰もが思っていたのに・・・
秀頼が生まれてしまいました。
秀次は、関白を剥奪され、追放され・・・高野山へ幽閉されてしまうのでした。
切腹を命じられ・・・享年28歳でした。

しかも、一族は、女性から子供まで・・・すべて処刑され・・・
居城であった八幡山城まで廃城とされてしまうのでした。
秀吉は・・・秀次の存在をすべて消し去ろうとしたのです。

戦国の世にあまりにも理不尽に命を奪われた秀次・・・
しかし、秀次は、ここ近江の地に、偉大な業績を残していました。

秀次が近江八幡城をつくるときに最も大事にしたのが・・・経済の発展でした。

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そこで、琵琶湖から商業船を入れるために、八幡掘を築きます。


琵琶湖から繋がって・・・琵琶湖に帰ることが出来る水路を作ったのです。


この八幡掘が、近江商人発展の基礎となるのです。




どうしてここから近江商人が発展していったのか???
それは、織田信長・豊臣秀次が亡くなったことが発展の理由です。
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信長は、安土で楽市楽座を行っていました。
当時、商人が商売をするためには、領主に税金を払い・・・
商売をするための組合”座”に入らなければいけませんでした。
そして、”市”という商売専用の場所で商売しなければならなかったのです。
一部の豪商だけが儲かる制度でした。
そこで・・・誰もが商売で利益が出るように・・・座と市の制度を撤廃したのが信長だったのです。
座と市に縛られずに自由に商売が出来るということなのです。

ところが・・・信長が死に・・・安土の町は・・・???
安土商人や民衆を引っ越させ・・・招き・・・楽市楽座をやったのが秀次だったのです。
城下町の経済が発展していきますが・・・城下町が出来て10年余りで秀次は自害。。。
城主がいなくなっても自分達で盛り上げていこう!!
と、商人たちが自立し始めるのです。
力を身に着けるために・・・他国へ出ていき大きな商売をする!!
天秤棒を担いで諸国を渡り歩くようになったのでした。
全国へ名をはせる近江商人の誕生でした。

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赤コンニャク・・・
どうしてコンニャクが赤いの???
それには、織田信長が関わっているようです。
安土城下町で”左義長まつり”があり・・・そこではすべてが赤く・・・赤づくし!!

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その赤い短冊を見て、「コンニャクも赤にしろ!!」と言ったとか。。。

安土からやってきた赤コンニャクが近江八幡に根付いたのです。

冠婚葬祭にも赤コンニャクは欠かせません。
赤コン君もいます。



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新町通りは、近江商人の店が立ち並び、国の重要伝統的建造物保存地域となっています。

一番古いのは・・・300年以上経つ旧西川家住宅です。
当時、大坂や京・江戸に店舗を持ち、蚊帳や畳表等の商売で財を成しました。
その西川家には、商売に繋がる様々なアイデアが隠されています。

現代のビジネスシステム・・・本店を近江に構え支店を全国に作るというシステムを作り上げた近江商人。
本拠地の商家は、幼い丁稚を立派な商売人にさせるエリートビジネス養成所でした。
商人の屋敷に住み込みで働きながら、礼儀作法から商売の基本まで、徹底的に教え込まれました。

親元を離れ、単身歯を食いしばりながら立派な商人になっていく若者たち。
近江商人は・・・
「先義後利栄」=義理が先、利益を後に考えれば自然に栄える
「好富施其徳」=富は好し、しかし其の徳を施しなさい
という考え方でした。

それが、莫大な富を生むことになるのです。

現代に通じる日本経済の屋台骨を作り上げた近江商人。
そんな彼らをはぐくんだ近江八幡には・・・損得勘定抜きで温かく迎えてくれる人たちが待っています。

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神話の国に栄えた松江の城下町・・・まさに水の都です。

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松江城は、現存12天守のひとつです。

1611年に築城。
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・・・三大に仕えた松江開府の祖・堀尾吉晴によって築かれました。
しかし・・・跡継ぎがなく・・・わずか3代で廃絶・・・。
その後は、家康の孫・松平直政によって、230年間治められてきました。
一度も壊されることなくここにあるのです。

もともと国宝だったのに、今は重要文化財。
今は、松江城を国宝にする活動が地元で行われています。

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「四・三・二・一」で、活動しています。
①現存する天守の中で4番目に古い築城です。
②高さも、現存する天守の中で3番目。
③延べ床面積は2位。
④鯱は、今あるものの中で一番大きいのだとか。。。
2m8㎝あります。

城下町は水の都です。
江戸時代には、水運業で発達し、御船屋がありました、
そして、松江藩お抱えの船乗りが・・・船乗り=力士が住んでいました。
松江の力士は、みんな船乗りだったのです。

おすもうさんが相撲を取っていない時は、日々重労働をしていました。
船乗りとしての生活も保障され、江戸時代中期には、松江藩の力士たちが大旋風を巻き起こします。

江戸大相撲が大人気。
それは、藩の威信をかけた平和な時代の戦でした。
力士は藩の広告塔!!
熾烈な争いを繰り広げました。

松江藩の力士たちは、雲州力士と呼ばれ最盛期には・・・
「雲州力士なくして江戸相撲は成り立たず」と、言わしめたほどでした。
圧倒的な力で全国にその名を轟かせたのです。

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中でも有名なのは・・・”雷電為右衛門”は、大相撲史上最強の力士です。
相撲が大好きだった7代藩主・松平不昧の元、20年にわたり江戸で大スターでした。
身長197㎝体重170㎏、254勝10敗2分、勝率9割6分2厘と、まさに驚異的・・・最強だったのです。
一撃必殺の張り手で恐怖のあまり逃げ出す力士がいたとか。。。

宍道湖の大和蜆が有名です。
それ以外には・・・鰻が。。。

鰻屋を”出雲屋・いずもや”というのはここから来たのだそうです。

江戸時代、宍道湖や中海では大量のうなぎがとれました。
松江商人たちが、大坂で商売を始めたのがきっかけです。
しかし、持って行く道中が・・・険しい山を越えて行く出雲街道・・・大変です。
鰻を生きたまま運ぶことは困難を極めました。

そこで・・・出雲街道沿いの宿場町には”鰻のお宿”が作られました。
出雲街道は、うなぎ街道と呼ばれるようになりました。

怪談話で有名な・・・小泉八雲も有名です。
明治の文豪・・・ラフカディオ・ハーン。アイルランド人です。
新聞記者として1890年に来日しました。
民話や伝説に惹かれ・・・数々の怪談を執筆しました。
近代化される東京と比べ・・・まだまだ江戸風情の残る松江が気に入ったようです。
日本の美しい風景と凛とした佇まいに心を打たれ・・・
武家の娘・小泉セツと結婚します。

名前は八雲・・・
そう、あの八雲立つ・・・です。
出雲の国で詠まれたという日本最古の和歌。。。

「八雲立つ
 出雲八重垣 
   妻籠みに

 八重垣作る 
   その八重垣を」  by須佐之男命

出雲を治めるときに詠んだ歌です。

神の国・出雲。。。
松江市のすぐ隣です。
古事記や日本書紀の舞台として、人々の信仰を集めてきました。


”出雲ぜんざい”が有名です。
というのも、ぜんざいは出雲が発祥です。
八百万の神がやってきて、神在祭・・・お祭りの際に配られたのが、神在もち・・・つまり、ぜんざいなのです。
それが京都に伝わって・・・全国にわたったのです。
ありがたくいただくものなのだそうです。

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出雲大社・・・。
旧暦の10月には、日本各地から八百万の神々が訪れ・・・神在月と呼ばれ・・・
縁を決める神議(かみはかり)が行われます。

なので、縁結びの総本山とされています。

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出雲大社は・・・大国主大神が祀られています。
縁を決めている人です。
2013年5月平成の大遷宮が行われました。

出雲大社での参拝方法は、”二拝四拍手一拝”です。
どうして???
もともと神さまや偉い人に手を叩く行為は古来からなされていました。
敬った分だけ、何回でも柏手をうっても良かったのです。
しかし、明治政府が”二拝二拍手一拝”を推奨したのです。
強制的ではなかったので、出雲大社では古来通り、二拝四拍手一拝のままにしたのだそうです。

でも、どうして四拍手?
出雲大社の本殿は、4つの空間に分かれているので、願いが届くように4回手を叩くのだとか・・・。
古の思いが、今も受け継がれているのです。

神在月の時は・・・出雲大社の西、稲佐の浜から神様はやって来ます。
古事記に書かれている大勝負・・・
建御名方神と、建御雷之男神が相撲をとった場所でもあります。
相撲発祥の起源なのです。


八百万の神が集う神話のふるさと・・・
出雲の国・松江の城下町。。。
古から伝わる伝統や風習を大切に守り続けている神様たちにも居心地のいい町でした。

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津軽富士と言われる岩木山に抱かれ、名城弘前城がそびえる・・・青森県弘前の城下町です。

弘前城は・・・江戸時代から残る現存十二天守のひとつです。

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藩祖は貯えた髭から髭殿と呼ばれた津軽為信。
戦国時代のことでした。
南部の家臣だった大浦為信が、独立したのです。
天下人・豊臣秀吉、徳川家康に仕え、明治まで栄える弘前藩の基礎を築いたのでした。

弘前城は・・・天守ではなく、天守のような櫓を持っています。
元々は5層5階建ての天守がありましたが、わずか1年後に落雷によって焼失してしまいます。
再建を幕府に申し立てますが・・・
1615年に発布された武家諸法度によって、天守を創ることは禁止されていました。
悲願の天守だったのですが・・・
1810年ロシアが南下政策によって・・・不凍港を求めてやって来ました。。。

だから・・・天守ではなく、立派な櫓を・・・実際は立派な天守を建築したのでした。
幕府にとっては櫓・弘前藩にとっては天守ができたのでした。

弘前と言えば”ねぷたまつり”。

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きらびやかな扇形の山車が練り歩きます。
発祥の町は・・・弘前。
始まりは津軽為信が、豊臣秀吉に京都で拝謁する際に・・・
津軽の心意気を見せるために、大きな燈籠をもって今日の町を練り歩いたことから始まった・・・
とされています。

津軽には昔から鬼信仰があります。
鬼を守護神として崇める神社が数多く存在します。
一般的には悪者の鬼なのに・・・???

鬼神社もあります。
昔、鬼は村人に製鉄技術を教え、鉄製の農具を作ったという伝説があるのです。
鬼は渡来人だったのではないか???と言われています。

青森の西洋リンゴの始まりは、明治8年のクリスマス。
アメリカ人教師/ジョン・イングがパーティーで生徒たちに西洋リンゴを振る舞ったのが始まりです。

津軽三味線は・・・
明治初期ボサマと呼ばれる盲目の三味線弾きが独自の演奏法を生み出したものと言われています。

津軽の地に栄えた弘前の城下町。
北国で逞しく生きる強さと優しさがありまあした。
一途な思い・・・津軽のじょっぱり精神のうかがえる町でした。

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日本初の世界自然遺産・白神山地に懐かれ・・・美味しい米と酒・美人な城下町です。

初代藩主・佐竹義宣がこの地を開きました。
佐竹一族には、宗家・北家・西家・南家と残っています。
佐竹一族はもともと常陸国(茨城)を治めていました。
関ヶ原の戦いで西軍にも東軍にも属さなかったので・・・
家康の逆鱗に触れて秋田へ転封となりました。
54万石は20万石の大幅ダウン・・・。
全ての家臣を連れて行くことができず・・・。
しかし、美人を連れて行ったのです。
新しい生活のために・・・国づくりのために・・・子孫繁栄のためだったのかもしれません。

現在の秋田県のPRポスターも。。。


美人の宝庫な秋田・・・
江戸時代の飢饉にあっても藩の政策で飢饉をほとんど受けなかったので、とてもふくよかで健康的でした。

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そして・・・
厳しい寒さとあまり日照時間がない・・・という気候が秋田美人を育てたのだそうです。


秋田城は・・・本来は御隅櫓。
初代・義宣が築いたころから天守はなく、天守という飾りよりも、見知らぬ土地での政治を整える方が大事だとしたのです。
この佐竹家は・・・
始祖・源氏・・・源義光から明治時代に至るまで・・・
常陸国・20代にわたり470年、出羽国・12代270年・・・つまり、740年間絶えることなく続いてきた日本武家史上最も長く続いてきた家のひとつです。
でも・・・どうしてそんなことができたのでしょうか?
どちらかというと・・・武人ではなく・・・文人でした。
なによりも一族の繁栄を願い・・・争うことなく長らえること・・・無益な戦いは避ける・・・そんな武士でした。

秋田は日本酒で有名で、多くの銘酒が作られてきました。
しかし・・・東北のお酒は昔は駄酒と呼ばれていました。
昔は、江戸では、京都・大坂・神戸で・・・上方のお酒が一番だと言われ。。。
田舎で作る・・・それだけで、駄酒と言われていました。
2000年ある日本酒の歴史の中で、100年前に・・・明治の終わりに名が轟くことになります。
明治40年第1回全国清酒品評会で秋田の日本酒が1等賞となったことから始まったのでした。


青森のねぶた、仙台の七夕と並ぶ東北三大祭りの一つが秋田の竿燈まつり。。。
夏の秋田の風物詩です。

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どうしてこれをするようになったのか?
江戸時代・・・「ねぶりながし」と呼ばれていました。
七夕の時期に・・・病などでねむることのないように、提灯に書いて町を練り歩いたのが始まりです。
竿燈まつりで使われる提灯には、町内ごとに街のシンボルが描かれています。
縁起を担いだこのシンボルは、秋田の名君・9代藩主・佐竹義和が民の幸せを願って描いたと言われています。
それは、今も受け継がれ、男性は3歳から5歳の間から竿燈を担ぎ始めます。

秋田の郷土料理は・・・冬のきりたんぽ、魚醤で作るしょっつる・・・
でも・・・夏にも鍋。。。”かやき”。貝焼きが語源だと言われています。

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昔は自分の帆立かやきを持つことが、武士の一人前の印でした。
佐竹家に伝わる純銀製の殿様用専用かやきもあります。

冬の寒さに耐え、夏を慈しみながら独自の文化を築き上げてきた秋田の城下町・・・
そこには美味い酒、美しい人、楽しい祭り、なにより優しく迎えてくれえる秋田の人々が待っていました。

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