日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:徳川慶喜

和宮様御留新装版 (講談社文庫) [ 有吉佐和子 ]

価格:864円
(2018/10/26 08:19時点)
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世紀のロイヤルウエディング・・・それは、今から156年前の幕末・・・孝明天皇の妹・和宮と14代将軍徳川家茂の結婚でした。
華麗な花嫁行列は、注目の的となりました。

1861年10月20日、花嫁行列が、京から江戸へと出発!!
16歳で降嫁した和宮でした。
総勢2万5000、長さは50キロに及ぶ史上まれにみる豪華な花嫁行列で、江戸に入るまで25日かかりました。
幕府予算の2年分と言われる莫大な費用を投じた世紀のロイヤルウエディングでした。
しかし、花嫁・和宮の心は晴れやかではありませんでした。

住みなれし 都路出でて けふいくひ
           いそぐもつらき 東路のたび

見知らぬ江戸の大奥での暮らしは、苦難の連続でした。
14代将軍家茂の愛に包まれて頑なだった和宮は人を愛することに目覚め大人へと成長していきます。
が、突然の夫の死、幕府存続の危機・・・次々と歴史の荒波が襲い掛かります。
朝廷と徳川の板挟みに苦しむ和宮は、自らの手で運命を切り開いていきます。

「私も、徳川家の滅亡を見ながら生き残るわけにはいかないので、きっと覚悟を決めましょう。」

悲劇の皇女・和宮・・・その姿は、自らの運命に立ち向かった勇敢な女性でした。
気高くたくましく成長するプリンセス・和宮!!

1862年2月、江戸城内で和宮と徳川家茂の婚礼が行われました。
朝廷と幕府の期待を背負って江戸にやってきた和宮、行った先は大奥でした。
大奥では1000人以上の女性が働き、200年の伝統と細かいしきたりがありました。
そこに君臨していたのは、前将軍の正室・天璋院篤姫でした。
薩摩藩から嫁ぎ、夫亡き後も大奥に留まっていました。
和宮より11歳年上の姑でした。

和宮と篤姫は、共に朝廷と徳川のプライドをかけてたいりつすることになってしまいます。
どうして対立してしまったのでしょうか?

1846年孝明天皇の妹として生まれた和宮。
幼いころから皇族としての教育を受け、和歌を学ぶなど何不自由ない生活を送っていました。
損な和宮に家茂との結婚の要請が来たのは、1860年、和宮が15歳の時でした。
幕府と朝廷の政略結婚でした。
きっかけは、ペリー来航でした。外国嫌いの孝明天皇が反対しているにもかかわらず、幕府は圧力に屈し開国に同意してしまいます。
そのため、幕府への批判が日本中でおこります。
そこで、幕府が目をつけたのが、朝廷の権威でした。
天皇の妹・和宮と将軍。家茂を結婚させることで、政権の安定を図ろうとしたのです。
しかし、和宮にとっては受け入れがたい話でした。
それは・・・和宮が6歳の時に11歳年上の有栖川宮熾仁親王と婚約していたからです。
さらに、忌まれてから1回も京を出たことのなかった和宮に、江戸へ行くことは恐怖そのものでした。

”夷人が大勢おる関東へ参るなど、とても恐ろしくてできませぬ”

しかし、兄・孝明天皇は、幕府に外国船を打ち払わせるために、和宮に婚姻を勧めます。
それでも首を縦に振らない和宮・・・孝明天皇は、
「関東との縁談を断って、もし有栖川宮と婚姻しても、私が拒むから尼になるがよい。」by孝明天皇
和宮は、止む無く家茂との結婚を受け入れます。

「天下泰平のため まことにいやいやながら 仕方なくお受けするのでございます。」by和宮

1861年16歳の時、和宮江戸へ・・・!!
嫁ぐにあたって、条件を出していました。

”江戸城に入った後も、身の回りはすべて御所風を守ること”
江戸城に入った後も、和宮が慣れ親しんだ御所の習慣を通すと要求したのです。
大奥に入った後、女官は日記に書いています。
”御風違”と書いています。
そしてこのことが、和宮と篤姫が対立する原因となっていきます。

対立は些細なことから始まりました。
嫁入りの際、篤姫の元へ和宮から来た目録・・・そのあて名は”天璋院”・・・呼び捨てで書かれていました。
和宮からすれば、自分より身分の低い篤姫を呼び捨てにするのは当然です。
しかし、篤姫も大奥のしきたりに従わせようとします。
二人が初めて対面した時・・・和宮が座敷に来た時、篤姫は上座に座り敷物に座っていました。
それに対し、和宮は下座で畳の上に直に座らされたのです。
これを見た女官は、朝廷に訴えの手紙を送っています。

”和宮さまは、無念の思いに耐えられないご様子で、私共もお慰めする言葉も見つかりませんでした。”

二人の対立は、和宮の女官280人VS篤姫の女中260人を巻き込み、大奥を二分する戦いに発展します。
そのすさまじさは、大奥のみならず、江戸城内でも噂になります。
幕臣だった勝海舟は、後に語っています。

「和宮と天璋院は、はじめは大層仲が悪かった
 お付きのせいだよ
 あっちでもすればこっちでもするというふうに、競ってそれはひどかった」by海舟

結局、和宮と篤姫との交流は無くなってしまうのでした。
しかし、和宮も逃げ出すつもりはありません。

惜しましな 君(天皇)と民とのためならは 
               身は武蔵野(関東)の 露と消ゆとも

自らの命を惜しまず、天皇と民の為ならば、武蔵野の露と消えても構わない・・・と!!

不慣れな江戸で姑との交流もなく、孤独な生活を送る和宮・・・
そんな毎日に潤いを与えてくれたのは、不本意ながら結婚相手の家茂でした。
和宮と同じ年の若き将軍は、家臣に

「私は和宮を本当に大切に思いたい。
 そうすれば、幕府と朝廷も自然と上手くいくはず。
 表だけ飾るのではなく、心から親しい間柄でいたいのだ。」by家茂

家茂は、自分が将軍であるにもかかわらず、和宮を宮様と呼び、皇女として扱いました。
そんな家茂の気遣いや気さくな人柄は、次第に和宮の心を開いていきます。
結婚から2か月後・・・家茂の乗馬を見学し、そのまま一夜を共にします。
その翌日も、家茂は突然大奥に訪れます。
それは、金魚を和宮に見せるためでした。

和宮が和歌を送ると・・・自ら鼈甲のかんざしを持ってくる家茂。
こうしたやり取りが、二人の間で自然に繰り返されるようになって・・・。
そして、天璋院篤姫との関係も変わってきました。
浜離宮恩賜庭園で語られているのは・・・
和宮、篤姫、家茂が庭に降りようとすると、なぜか家茂の履物だけ踏み石の下に置かれていました。
それを見た和宮は、ぽんとおり、自分の履物を下ろして家茂の履物を石の上に起きました。
かつての和宮では考えられないことでした。
これ以降、篤姫と和宮のいざこざはピタリとやんだといいます。
大奥での暮らしになれ、周囲の人間とも交流し、大人の対応ができるようになってきた和宮・・・

1863年、京では反幕府勢力が台頭!!
家茂はそれを抑え込むため自ら京に向かいます。
和宮18歳の時でした。
以後も緊迫した事態が続いたので、家茂は頻繁に江戸と京を往復します。
無理を重ね、脚気を患ってしまいました。
和宮は家茂の無事を願ってお百度参りをします。
1865年、再び西に向かう前に、家茂は和宮にどんな京土産がいいか尋ねています。

「西陣の織物が欲しゅうございます」

和宮は家茂を送り出します。
しかし・・・1866年7月、和宮にもたらされたのは、家茂の訃報でした。
享年21歳。
夫の亡骸と共に届いたのは、土産に欲しいと頼んでいた西陣織でした。

空蝉の唐織ころも なにかせん
         綾も錦も 君ありてこそ

結婚して4年・・・そのうち夫婦が一緒に暮らすことができたのは、僅か2年余りでした。

最愛の夫を亡くした和宮・・・この時、21歳でした。
朝廷と幕府の結びつきを強めるためのこの結婚・・・いまやその意味を失い、和宮が江戸に留まる理由が無くなりました。

それからわずか1年後・・・大政奉還により幕府は消滅!!
朝敵となった徳川家は滅亡の危機にさらされます。
生まれ育った天皇家と嫁ぎ先の将軍家・・・両家の板挟みにあう和宮。
この時、江戸を離れて京に戻ることもできました。
しかし、和宮は江戸に残り、徳川家存続のために必死の奔走を始めたのです。
どうして徳川家のために命をかけたのでしょうか?

亡き家茂の跡を継いで将軍となったのは慶喜でした。
1867年京の二条城・・・ここで、慶喜は大政奉還を表明しました。
夫・家茂が命がけで守ろうとした徳川家は、あっけなくその幕を閉じたのです。
1868年、和宮23の時に、鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍を西郷率いる新政府軍が撃破!!
さらに錦の御旗を掲げて徳川を朝敵とし、江戸城へ進軍を始めました。
江戸へ逃げかえった慶喜は、新政府軍に恭順の意を示し、和宮を通じて和平を模索します。
しかし、何の相談もなしに幕府を終わらせ泣きついてきた慶喜に、和宮は憤慨し、面会を拒否します。
この時、和宮と慶喜を仲介したのが天璋院篤姫でした。

同じ大奥にいながら交流のなかった和宮と篤姫・・・。
しかし、家茂亡き後、二人の間は深まっていました。
篤姫もまた、結婚してすぐに夫を亡くすという経験をしていたからです。
和宮を保護しようという気持ちが高くなっていたのです。
和宮も、その気持ちが解るので、天璋院を頼るという心境になったのです。

江戸城にいた旧幕府上層部は、徹底抗戦と時代の流れを読めない者ばかり・・・。
慶喜から事態の解決を頼まれた和宮と篤姫・・・徳川の命運は、土壇場でこの二人に託されました。

この頃の和宮の日記には・・・
朝廷の味方をすれば徳川家から不義となり、徳川家のために義を通せば兄に対して不貞になる
本当にどうすればいいのか
それでも、後世まで清き名を残したい
と書かれています。

そこには、かつて江戸に嫌々嫁いできたか弱い皇女の姿はありませんでした。
自分の家族ともいうべき徳川家を守る母の姿でした。
和宮は新政府軍に謝罪し、寛大な処置を求めます。

何卒 私へのお慈悲とおぼし召され どうか徳川家をおとり潰しにならぬようお願い申し上げます。
徳川家が滅ぶようなことがあれば、私も生きていくわけには参りません。

しかし、新政府軍の進撃は止まらない・・・
江戸城総攻撃は3月15日に決まります。
100万人が暮らす江戸に、戦火の危機が迫りました。
すでに慶喜は江戸城を去り、ほとんどのものはなすすべなく・・・かろうじて勝海舟らが動いていました。
主なき城に取り残されたのは、数百人の大奥の女性たち・・・
城中に不安な空気が・・・そんな中、和宮は訴えます。

「朝廷から寛大な処置がもらえるよう謹んで行動するように
 万一、心得違いの者がいれば、徳川家もこれ限りになります」by和宮

3月11日、江戸城総攻撃まであと4日・・・
既に江戸は、新政府軍によって包囲されていました。
ここで、和宮と篤姫は最後の手に打って出ます。
篤姫は同じ薩摩出身の西郷隆盛に手紙を・・・和宮は新政府軍総督に直接手紙を書きます。

「どうか・・・私の心中をお察しください。
 江戸へ軍勢を進めるのは今しばらくご猶予くださるようお願い申し上げます。」by和宮

1868年4月11日、和宮の願いは届きます。
新政府軍との和平が成立・・・江戸は一切戦火に見舞われることなく新政府に明け渡されました。
そして、徳川宗家の存続も約束されたのです。

和宮の懸命の嘆願に寄って平和の訪れた江戸・・・一方徳川宗家は、静岡に移されました。
隠居した慶喜の跡を継いだのは、かつて家茂が跡継ぎに指名していた徳川家達6歳でした。
和宮は家達が静岡に引っ越すまで東京と言う名を変えた江戸で暮らし見守りました。
この時期の和宮の日記には、家達の名が頻繁に出てきています。
我が子同然だったようです。
24歳の和宮は、8年ぶりに京に戻ります。
京では聖護院に住み、泉涌寺や孝明天皇や光格天皇の墓所に・・・お墓参りをなさっていたようです。
祇園祭を見物し、嵐山で紅葉狩りをし、気ままに過ごします。
しかし、いつも気にかけていたのは家茂のことでした。

「京に住むことになれば安心ですが、来春の家茂さまの年季には、江戸に戻りたいと思っています。」by和宮

1874年29歳の時に再び東京へ・
そして、家茂のいる増上寺の見える場所を住まいとします。
この頃、和宮が読んだ歌が残っています。

玉敷の みやこもひなも へたてなき
         年を迎うる 御代のゆたけさ

都も田舎も隔てなく、年を迎えられる この時代の豊かさよ

1877年9月2日、和宮は療養中の箱根でその生涯を閉じます。
享年32歳でした。
亡骸は、和宮の遺言により、増上寺に眠る最愛の夫・家茂の隣に葬られました。
和宮の市からおよそ80年後の1958年、墓地の改装が行われることとなり、和宮の墓が掘り起こされました。
棺を開けると、和宮は一枚のガラス版を抱きかかえていました。
それは、生前の家茂を映した写真でした。
幕末の動乱の中、世紀のロイヤルウエディングをあげて波乱の生涯を閉じた和宮・・・
あれから150年余り・・・和宮と家茂は今も仲睦まじく、寄り添うように眠っています。

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いよいよドキドキの江戸無血開城です!!

1868年4月、西郷吉之助率いる新政府軍は、鳥羽伏見の戦いで徳川慶喜を大将とする旧幕府軍を打ち破りました。
吉之助は家臣たちを残して逃げ出した慶喜を追い、5万の大軍と共に江戸へと向かいます。
江戸総攻撃の日は、3月15日と決まりました。

ということで、前回、幾島と再会した吉之助は、なんと篤姫に会いに大奥へ!!
これじゃあ、山岡鉄舟の説得も、勝海舟との会談も、必要なしよね??

don4















吉之助が懐かしいだとか、篤姫が「頭を下げねばならぬのは私の方じゃ・・・
 西郷、頼みを聞いてくれ。」
その頼みとは・・・??慶喜の助命嘆願ではなく・・・
「慶喜殿の首ひとつで、この戦を終わらせてくれ・・・!!」でした。

思考回路停止だよ・・・全く・・・。
長州征討に当たっては、当主に責任を負わせたら家臣が黙っていない!!ということで、家老の首3つで勘弁してもらったんです。
そして、白旗を揚げて当主の助命嘆願をした会津は許してもらえず、吉之助たちが松平容保の首を!!と言ったもんだから、あそこまで戦争になったわけです。
だって、松平容保は、会津戦争の頃はもう当主ではなかったし、戦争をしたくなかったのに・・・
つまり、殿の首ひとつで勘弁してほしいなんて、当時の人は言わないんです!!
慶喜の命は、家臣の命すべてよりきっと重かったはず・・・。
そんな赤穂浪士的な感じだったんですよ・・・それなのに・・・
徳川家存続をあんなに望んでいた篤姫の口からこんな事を言わせるなんて・・・最低だよ・・・。

実際の篤姫&和宮は、吉之助や新政府軍に手紙を書いて江戸を守るために頑張ります。
そこんところ、お忘れなく!!
実際に会うなんて、恐れ多い・・・!!
そして、この手紙に西郷は涙したとも・・・

自分も自害する覚悟だと頭を下げる篤姫。
嘘かくなよな・・・
「どうか・・・徳川家だけは救ってほしい・・・」by篤姫
って、その慶喜の首が徳川家なんだよ!!

don4














・・・それなのに、慶喜の首案件はあっさり却下!!
完膚なきまでに叩くんだそうだ!!

嘘ばっかりの内容に、もう・・・見たくなくなっちゃった・・・。

そんな聞き入れてくれない西郷に、「私も命をかけて戦うのみです!!」という篤姫ですが、どんなにして戦うのか??そんなこんなは全くしてくれません。
幾島のゲホゲホ血を吐くのも、必要ないわい!!
憐れみを誘ってんのか??と思っちゃう。
血を吐いても頑張るって”言うこと”が頑張るんじゃなくって、頑張っているところ・・・例えば、〇〇に文を書いたとかそういうのを見たいんだと!!

「よ・・・西郷どん!!」by海舟
なんの緊張感もなく会談が始まったの・・・??

don















西郷どんに江戸を戦で火の海にするのは止めてほしいとサラっという勝さん。
いや・・・勝さんも火の海にしても慶喜を守ろうとしたんじゃん・・・。
条件も、山岡鉄舟で根回し済みなんじゃないの??
スラスラと降伏条件を話し出す勝さん・・・
それって交渉じゃないよね・・・??
話の分かる勝さんで、慶喜の心も、吉之助の心も汲んだ話し方だわ・・・
この時点で勝海舟は緊張な感じで吉之助と対峙すると思っていたのに、どうしてこう負け犬な感じに仕上がっちゃったんだろ・・・??
もっと、交渉バトルしてほしいのに~~!!

「西郷どんが背負う新しい日本って何だい・・・??」by勝

なんて、フラットに聞く勝さんですが・・・
この時点で、西郷どんにはそんな新しい日本の構想なんてのはありませんよ・・・きっと。

「民を見捨てることは、おいはできもはん!!」by吉之助

と、前半、くどいほど民を思っていたことを、今頃思い出した西郷どんなのでした。
いや・・・民を救うためなら戦争しないからね・・・??

「わかりもした・・・明日の総攻撃は取りやめじゃ・・・!!」by吉之助

「ほんとにいいのかい・・・??」by勝

と、涙ぐむ勝海舟・・・。
西郷どんびいきの男・・・と、自ら西郷好き好き光線を発する勝海舟。
慶喜に会いに行けばいい・・・と、慶喜の首を狙っている男に言うという・・・最低の幕臣だ・・・。
今、自分が幕臣だから慶喜の命だけは・・・みたいなことを言ったのに、その舌の根も乾かないうちにそんなこと言う??
自分達のケンカは自分たちでけりをつけろと、サシで勝負しろって言い出しました。
まさに8933かヤンキーの様です。
泣くなよ~~~!!!
「江戸が焼けないで良かった。
 おかげで今年も上野の桜が見られる・・・。
 西郷どん、ありがとよ。
 こうなったら、上野におめえさんの銅像とやらでも建ててもらわねえと・・・!!」by勝

don3















はああ???なんじゃこの展開・・・!!??
銅像の未来予知・・・ありえへんわ・・・。
この一言、要る??蛇足ってもんでしょ??
で・・・これで終わり??無血開城!!??

こんな勝さん見たくない・・・。
本当に見たい勝さんはこちら

で・・・勝海舟の通り、慶喜に会う吉之助。
護衛もないのか??慶喜・・・??

don2
















この姿・・・もう心は決まっている格好ですが・・・。
「俺を殺しに来たんだろう・・・」と言い出します。
それ・・・死に装束ですよね??慶喜さん・・・??
で・・・早く殺せとか、なんだとか、おバカな話です。

どうして逃げたのか?と聞く吉之助に・・・「おれは・・・ロッシュ殿から逃げたのだ・・・」by慶喜

は??

フランス軍12万軍と、銃5万丁を援助するって言われたんだって・・・。
その代わり、勝利した暁には薩摩をよこせと言われたらしい。。。
薩摩からはイギリス軍も参戦し、日本の中でフランスとイギリスが戦って勝った方が乗っ取るから、乗っ取られないように逃げたのだと言い出しました。

あ~、さいですか・・・。

史実は、勝さんが手配して、イギリスに亡命でもする??って話でしたけど・・・??

吉之助は、慶喜が恐ろしかったらしい・・・
「ようやくわかりもした・・・徳川慶喜様ではなく、ヒー様こそがあなたなのでございもすな?」by吉之助

あ??何言っとんじゃ・・・言いたいことが全く理解できません。
おまけに、徳川に生まれたことが不幸だなんて恐れ多い事を言う始末・・・。
??ヒー様が本当の慶喜ってことは、品川宿で飲んで遊んでいるバカだってことを言いたいのか・・・??

「もう・・・よかでごわす
 徳川将軍としてのお覚悟、この牛男、しかと見せていただきもした。
 ヒー様、よくぞ逃げて日本をお守りいただきもした。」by吉之助

だから・・・何のこと??
”徳川将軍としての覚悟”って、どの部分??なんなの??全く解らないわ・・・
っていうか、脚本家先生の言いたいことが、こっちに全く伝わってこないのよ・・・。
ま、フランス精鋭部隊12万軍って言われた時点で「ウソこけ・・・」って思っちゃうから真実味全くなし!!

で・・・殺す、殺すって言ってた慶喜を殺さなかった西郷・・・
木戸が怒ってますが、当たり前でしょう。
史実ではイケイケどんどんの大久保ももう、戦争反対派だしな・・・。

江戸は江戸も徳川家も助かったと、勝と山岡に礼を言う慶喜。
「苦労を掛けたな・・・」by慶喜
「いや・・・一番苦労したのは私たちじゃござんせんよ・・・西郷です!!
 あの男がやってくれやした!!」by勝

やめて~~~!!

勝さん、そんなこと言わないよ・・・
で、何やったって言うんだよ、西郷吉之助!!
敵だろ??なに敵の事褒めてんねん!!天晴なこと、いつしたんだよ!!

1868年4月11日、江戸城明け渡しの日・・・。

城明け渡しでは・・・
またもや篤姫&幾島にあって・・・慶喜の命をとらなかったことを、「西郷さん・・・相変わらず本当に人がよろしいわ・・・」と、幾島に言わす・・・この展開・・・最悪。
「そなたが勝ったのです。そなたの決めたことには逆らえません。」by篤姫
いやいや・・・そんなこと言いません。
徳川の家を守ってくれたことに感謝する篤姫。

「西郷・・・礼を言います。」だって・・・。
徳川が260年かけた書物を差し出す篤姫。
こんだけしかないんか??と言いたくなるしょぼい量です。
西郷の作る国が見たくなった・・・と、ホンワカな3人ですが・・・こんな笑って応対できひんやろ・・・??

もう・・・なんでもええわ・・・。

どこにもいない西郷を、「先生、先生」と探すみんな・・・吉之助は・・・
二宮尊徳の書を胸に寝ていました。
あ・・・キンチョー感ないわ・・・。
で・・・放っていくなよ、みんな・・・。

こうして後の世に言う江戸無血開城は終わったのです。
う~ん・・・全く違うから江戸無血開城って言わないで・・・

しかし、新たな騒乱が起きようとしていました。
上野寛永寺には、彰義隊が・・・やりたくない戦いが始まりました。
って・・・やりたかったんだろ??新政府軍!!
え~!!
会津や米沢、庄内、仙台が徹底抗戦だって。
榎本武揚も軍艦で脱走!!
って・・・会津は、さっきも書いたけど、恭順の意を示してたんだよ・・・
でも、振り上げたこぶしを慶喜に振り下ろすつもりが慶喜が隠居しちゃったから会津に振り下ろしたかったんでしょ??
やりたかったのは、新政府軍の方じゃないの・・・!!
どうしてそうなるかな・・・!!??

そして、そして、いきなり大村益次郎登場。
いきなりだよ・・・「以後お見知りおきを・・・」って、そんないきなり出てきて戦略言い出しても説得力なし!!

「そうか・・・あの大村が出てきたか」by勝

この一言で、大物感を出すという作戦かっ??
「せっかく江戸で血を流させずに済んだってのによ・・・
 お前さん、これからも戦い続ける気かい??」by勝

なんで西郷と酒酌み交わしてんねん・・・??

「死んじゃいけねえよ・・・西郷どん、西郷どん、龍馬が言った新しい国を作ってくれ」by勝

・・・

きっと、勝さんはそんな人じゃない・・・。

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なんだか恐ろしい・・・今回の副題は、「慶喜の首」です。
慶喜の首には、どれだけの家臣の首がかかってるのか?と思うと、口にするのも恐ろしいわ~~!!

よくわかんないけど、歴史的には鳥羽伏見の戦いかな??

京の守りとして天子様に仕える新政府軍・・・
都を追われた旧幕府軍は、大坂城から御所に向けて進軍開始・・・。
1868年1月3日の鳥羽伏見の戦い!!

「こいでよか・・・」by吉之助

??何がこれでいいって言うんだ・・・。

兵力で勝る旧幕府軍に劣勢の新政府軍!!

「退くな~~!!退いてはいかん!!」by吉之助

と、前回の戦の鬼が続いているようです。

おゆうが作った偽の錦の御旗・・・これは史実かも知れんことをやっているからだけど・・・今できたの??
戦って傷つく兵士たちを見てショックの信吾!!
そこへ、錦の御旗登場!!

錦の御旗で形勢逆転!!と言っても、勢いづく吉之助ばっかり!!
普通、錦の御旗が出てくると、幕府軍が焦るシーンが絶対あるんですけどね・・・。
形勢逆転もわからんわ・・・。

戦いをやめさせようとして信吾撃たれる!!
首を押さえて・・・首を撃たれてたら即死なんじゃないの・・・??と、冷静に思ってしまうほど迫力なし!!

「信吾はんやおへんか・・・!!西郷さまの弟御です。助けておくれやす!!」byお虎

お虎はもういいよ・・・ゲンナリ・・・と思う反面、このキンチョーなシーンで、西郷どんの弟だから助けてほしいって・・・どうよ??
助からんとか、大事な人の弟だとか・・・私情満載な発言の中・・・私は知っている・・・。
信吾は第1話のOPに出ていたじゃない・・・。と。
ふ~ん・・・吉之助の弟だから助けるんだ・・・なんて思うとシラケちゃうわ・・・。

西郷どんは一応軍議中ですが、あんまり何を言っているのかもわからない・・・
と思っていたら、ケガしてる信吾のところに行ってやれなんて話・・・するか??武士が・・・!!
私情を挟むな!!と、戦いに突き進む西郷!!

やっと、錦の御旗でオロオロする慶喜登場!!
味方の兵を残して、僅か4日で大坂城を抜け出す慶喜・・・。
薩摩隼人たちはまたまたエイエイオー!!です。

しつこく信吾の元へ行け!!と言われるのを断って御所に向かう吉之助。
って・・・ほんと、信吾のところに行け行けって、話しに水差さないでよね・・・
それとも、信吾のところに行かないことが戦の鬼なの??
もっと、戦で鬼になってほしいわ・・・。

船で逃げている慶喜・・・その慶喜をバカにして狂ったように笑いだすフキ・・・。
「この船は・・・きっと沈みます!!
 罰が当たったんですよ・・・。
 慶喜さまにも、この私にも。
 もうすぐ海の藻屑とやら・・・ですね。

 天下の将軍様がこんな風に死んでいくのかと思ったら、なんだか可笑しくて・・・」byフキ

この後、何とか無事に江戸にたどり着きました。

う~ん・・・その場で成敗してやれよ・・・慶喜・・・。
江戸でも・・・ウナギを食べる慶喜・・・。
って・・・ウナギ必要か??

江戸にいることを勝つに怒られる慶喜。
その言葉が・・・
「まさか江戸前のウナギを食いたくて舞い戻ったと・・・。
 ウナギなんぞ、食ってる場合かい・・・!!」by勝

はい・・・この勝も、成敗でしょう。
幕臣の勝が、こんな言葉を使うなんて・・・ほんど・・・気になって身が入らないわ・・・。

「戦に負けたのも、徳川の名を血に貶めたのも、皆あんただ・・・!!
 あんたは、徳川の恥だよ・・・」by勝

勝は、最後まで慶喜を生かそうと頑張ったんだよ・・・
最後は江戸を火の海にしてまでも守ろうとしたのに・・・なんだよ、この演出・・・!!

「あなたは、西郷さまから逃げただけです。
 言っていたではありませんか。
 どこまで追ってくるんだって・・・。
 あなたは、西郷さまが恐ろしいから逃げたんです。
 謝ればいいではありませんか。
 あの方は、心根のお優しい方です。

 あなたが心から悔い改め謝れば、必ず許してくださいます!!」byフキ

??身の程知らずが~~~!!
慶喜、手打ちにしてください!!
普通はカッコいい言葉だから書き起こすんだけど・・・あまりにも開いた口が塞がらないアホな台詞に書き起こしちゃいました。
こんなこと、誰が言うか~~~!!
何で、下級武士に天下の将軍様が謝らんといかんねん!!
助けてくれた慶喜になんてこと言うねん・・・!!

だから・・・最初っからフキ・・・っていうか、お芳は新門辰五郎の娘のままで良かったんだよ・・・。
それなら、勝海舟と協力して逃げる算段のドラマができたのに~~~!!

「俺の前から失せやがれ!!」と、慶喜に言われ、
「いいんですね。私、本当に行っちゃいますよ!!」って・・・どれだけ自信過剰やねん!!
どこでも行けや~~~!!
と、その高飛車具合に、こっちが反吐が出るわ~~!!
おっと・・・下品で失礼・・・。
余りのひどさに我を忘れてしまいました。

やっぱり、当時の女性のリアルを書いてくれないとな・・・
こんな女いないわ・・・
と思っていたら、
「哀れだね・・・あんた・・・」by勝
??哀れって・・・フキに捨てられたことが??何が・・・??
取り乱してるところが・・・??
海舟・・・あんたも幕臣なら、敬語使いなさいよ~~~!!

信吾のいる治療場に、外国人がやってきました。
なんと医者だといいます。
「助けておくれやす!!お願いします!!」
と、優先的に信吾を手術。
この西洋の手術によって、多くの新政府軍の人々の命が救われたそうですが・・・
そんなこんな・・・本当はキンチョー感半端ないこの状況で必要か・・・??

なんと・・・京に医師を招き入れたのは、吉之助が信吾のために天子様に頼んだらしい・・・。
??なんだ・・・鬼になったんじゃなかったの??
公私混同も甚だしいな・・・。
こんな西郷・・・見たくないわ・・・。

多くの命を救いたい!!とか戦争始めたの自分じゃん・・・。
鬼が弟のためにそこまでしたとか・・・そんな話・・・ダメだろ・・・。
弟のためだからやっちゃダメなんじゃないの??って思う私は古いんだろうか??

関東を征伐する為に京を出発する西郷・・・って、征伐だって・・・悪モンなんだな・・・。
「西郷はん~~!!」と、信吾と一緒に来るお虎。
??歩けんの??信吾・・・そんな重症じゃないやんか・・・天子様にお願いするほどの・・・!!
って思っちゃったわ・・・。

でも・・・関東に行ったら、もう、所かまわず叫んだり、抱き着いたりするお虎は見なくって済むのね・・・良かった。

don2
















慶喜は寛永寺で謹慎中。
そこへ一人でやってきた勝海舟・・・
「奴らはあんたのお首が欲しいんです!!」by勝
あちゃー・・・そんなこと、口にしていいんかい??

戦うべきだという勝に、このままでは日本は異国の物になってしまう!!と、戦うことを断念する慶喜。
ま、徳川を世界の笑いものにしたくないとかそれがなんだかはわからないけど、戦うべきだと言った勝に、もう戦わないと慶喜が言ったのは本当です。

「どんな沙汰でも甘んじて受けよう。」by慶喜

最後はカッコいいですね。慶喜!!
でも・・・よく考えたら、慶喜がフランスに薩摩を売り渡そうとしていたから戊辰戦争が始まったってことになってたんじゃないの??
それなら精神崩壊したフキのあやふや情報で、吉之助が兵を挙げたってことになるじゃないの??
こんなの・・・たくさんの人が死んでいるし・・・これからも死ぬのに本末転倒だ・・・。

慶喜にいきなり山岡鉄舟を引き合わせる勝・・・。
どこにいたんだよ・・・控えてるにせよ・・・。やっぱり「西郷どん」は、セキュリティーZEROなのですね・・・。
でも、私の大好きな藤本隆宏さんなので許す~~!!

一人で駿府に行く山岡・・・
ここら辺も、藤本さんの熱演も残念ながら一人で行けちゃうところがリアリティーなし!!
どうやって、どの信念で行ったのか・・・そこは書いてくれないのね・・・。

don3















交渉のために切腹しようとする山岡ですが・・・
「いまこの国で・・・酷い殺し合いをしている場合でしょうか?
 この命と引き換えに、我等が願い・・・天子様へお伝え願いとう存じます。」by山岡

「何故・・・あの慶喜公のためにそこまで・・・??」by吉之助って・・・馬鹿か??吉之助はバカなの??
将軍様だからだよ!!幕臣だったら守るだろ??
情に訴えて、情に絆され勝と会うことになった吉之助でした。

本当の交渉はこんなもんではありません。
もっと、現実的なものとなっています。
本当の交渉がどんなものだったのか??それはこちら「江戸城無血開城 勝海舟の知略」

お食事処でご飯を食べている嫌われ者の西郷たち・・・
磯田屋で女子たちと遊びたかったとか訳の分からんことをまた・・・と思っていたら・・・聞き覚えのある女性の声が・・・。
幾島でした。
Σ( ̄ロ ̄lll)ガーンお虎がいなくなったのに、新しい強敵登場!!
それにしても、この期に及んで女遊びをしたいんか??と、腹立たしい限りです。
女遊びは歴史には残せないけど、そこここでやってるじゃんよ~~~!!

幾島に導かれ・・・なんと、大奥に入ってしまう西郷どん。。

don4















そこには懐かしい天璋院がいました。

もう・・・江戸城無血開城されてるじゃん・・・!!

先日、「ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年」という映画を見ました。

内容は・・・花輪君家に何人かの子供たちがホームステイに来て、おじいちゃんと同じマルコという名前からまるちゃんに興味を持った少年がまる子の家に泊まるというお話しで・・・
おじいちゃんのマルコは亡くなったので、その思い出を探しに日本に来た・・・みたいな内容でした。
ちびまる子ちゃんということで、子供にもわかりやすい起承転結な作品となっていました。
お話しはすべて回収し、最後はどうなるか、わかりきっているのにクライマックスで泣いてしまいました。
よくできた作品でした。

歴史のお話も、見る側はどうなるか解っていてそれでも作品にする・・・それが、脚本家さんの腕の見せ所だと思います。
たくさんの人が死んできている「西郷どん」ですが、あまりにも内容が浅く・・・涙も出ません。

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副題は、「戦の鬼」なんですが・・・遂に、人の良い西郷どん、戦の鬼になるんでしょうか?

大政奉還をしてしまった慶喜・・・その予定外の行動に、焦る西郷。
武を以て徳川を潰そうと・・・そして、新しい国を作ろうと考えます。
が、なんか、龍馬と考え方が合わなくなってきたようです。
袂を分かつ・・・??

そんな話をしている二人が、何にもキンチョー感がありません。
腹が減ったのか??と、カステラを差し出す龍馬って・・・。
なんだかなあ・・・食べもん出さんと気が済まんのか・・・??

一人になっても討つとかいいだした西郷どん・・・そこまでのいきさつが全くわかりません。
物思いにふけって話しているのかもしれないけど、眠そうな西郷どんです。
「国のかたち」について語りあかそうと思っていたのに・・・と席を立つ龍馬。
この国のかたちは、司馬遼太郎さんに語らせてあげて!!

don















世の中は、ええじゃないかでした。
京都はもっと殺伐としてるんじゃないの??
これ以降、龍馬は吉之助と会うことはありませんでした。

倒幕のために、兵を上洛させるように・・・と、薩摩にいったん戻る吉之助。
なんだか、久光もやる気のようです。
実際の久光は違うと思うけどね・・・いや、絶対に違う!!。

で・・・西郷家では赤ちゃんが生まれていました。
・・・こういう家族パート、もう要らないでしょ??
しら~~~!!って目で見ちゃうわ。

その頃、近江屋では・・・中岡慎太郎と坂本龍馬!!
風邪か?くしゃみをする龍馬・・・って、こんなところは細かくやるんだ・・・シラケちゃうわ・・・。
軍鶏を買ってくるところも史実通り・・・。
いきなり斬りつけられて龍馬、絶命!!

なんだか・・・あっさり死んでしまった・・・。
なんの志があったのか?
この国をどうしたかったのか??
全く解らずの龍馬でした。

どうしてここまで盛り上がらない龍馬暗殺なんでしょう??
クサいまでの演出があってもいいぐらいの見せ場なんですけどね??
この人が描けば、池田屋事件の沖田総司もドラマチックに吐血しないんだろうか??

3000の兵と共に京に来た吉之助は、初めて龍馬の死を知るのでした。
というナレの途中で、耳障りな女性の声が・・・。
お龍だ・・・。

don2















「あんたがうちの人を殺したんやろ!!」byお龍
じたばた、ヒステリックに叫ぶお龍・・・
もうやめてくれ・・・こんな展開・・・!!

私は幕末のカッコいい女性を3人挙げろというなら・・・
桂小五郎の幾松、山本八重子(八重の桜)、そして坂本龍馬の妻・お龍です。
山本八重子は八重の桜であったように、男勝りに鉄砲担いで戦ったカッコいい女性ですが・・・
幾松とお龍は、あげまんというか・・・
国家を背負って戦う男に惚れてしまった女性として、支えて、支えて、そして、見苦しい真似は絶対にしない・・・
肝の据わったカッコいい女性と思ってきました。

なんだよ・・・このお龍・・・龍馬を好きになる資格なんてないわ・・・
頭おかしくなったんか・・・??
ええじゃないか踊るお龍を鼻で笑ってしまった・・・どうでもええわ・・・。

大政奉還によって村を出ることを許された岩倉は、京都に戻ってきました。
呑気な岩倉具視にももう嫌だ・・・。
西郷&大久保は、そんな岩倉具視を使って慶喜を丸裸にするそうです。

なんだかいきなりな展開!!

何かわからない方はこちらを!!

いきなり鬼になる吉之助・・・これまた意味が解らない・・・。

岩倉具視も正装してどこか??へやってきてますが、何をしているのかがさっぱりわからない。

don3















あ・・・天子様の前か・・・何かわからないことは「王政復古の大号令」でした。
なんか・・・なんでこうなったんか、全く説明してくれないので、わかんないわよ・・・。
ただでさえ難しい時代背景なのに、教えてくれなければ全くわかりません。
解らんでもええってことか・・・

だから、わからない方はこちら

「西郷が御所門前に立っているから殺るなら今しかない!!」と言い出す容保・・・。
そんなの一々、慶喜の許可いんのかい??
でもって、「西郷に銃を向けるのがどういうことか解っているのか??」と言う慶喜・・・。
向けたらどうなるんだよ??
う~ん・・・朝敵となるらしいわ・・・。
錦の御旗は・・・??
錦の御旗で朝敵となったんじゃないの??
御所に銃を向けることは出来ぬと・・・朝敵だけにはなりたくないと慶喜・・・あ・・・ここだけあってる。

で・・・「短刀一本あれば事足りる・・・」も、あってるわ・・・。

don4















こんな、嘘っぱちの話の中に少しのホントを入れられても、なんだか真実味がなくって困っちゃうわ・・・。

小御所会議もなんだかわからないうちに終わっちゃったわ・・・。
もっと、いろいろ策していただろうになあ・・・。

いきなり気がおかしくなった慶喜登場!!
なんと、そこには西郷がいました。
刺される慶喜・・・なんと、夢落ちでした。
なんだよ・・・この三文芝居は・・・。

しゃべらなくなった西郷は、重い人間を表現したいんかな・・・そうそう、戦の鬼を表現したいんかな・・・??
変な笑みを浮かべたり、ウオー!!とか、エイエイオー!!とかで誤魔化して、小御所会議終了。

慶喜が京都から大坂に逃げたことが判明!!
すぐに戦を始める手はずはもう、整えている西郷だそうですが・・・。
その手はずを細かくやれよなあ・・・。
全く解らんわ。

薩摩の挑発に業を煮やした庄内藩が薩摩藩邸に火を放ったと・・・そこだけナレ!!
なんだよ・・・庄内藩、悪モンじゃん・・・。

年が明け・・・
戦の鬼になっている吉之助が気に入らない信吾です。
う~ん・・・これまでもイケイケの信吾だったし、これからも史実ではイケイケどんどんの信吾なのにね・・・。

「必ず勝つ!!」by慶喜

いきなり言われてもなあ・・・何の脈絡もなし!!

「慶喜さま・・・本当は西郷さまが怖いのではありませんか・・・??」とフキに言われて、逆切れする慶喜ですが・・・。
ま、逆切れするわな・・・そんな無礼な女に・・・!!??

う~ん・・・本当に、どうして戦っているのか??何をしているのか??全く解りません。

信吾・・・薩摩隼人だろ・・・!!
どんな手段を使ってでも慶喜を追いつめるという吉之助。
お・・・薩摩御用盗を認める吉之助。

「戦の鬼になってしもた・・・西郷どん・・・」byナレ

今回も、何が何だかわからない回でした。

そういえば・・・先日、娘とこんな話をしました。
「ママ、光源氏って、そんなにカッコよかったんかなあ・・・??」by娘
「??そうやなあ・・・大沢樹生でママと同級生やし、年下ばっかりやし、興味なかったなあ・・・」by私
「??違うで!!源氏物語やで??」by娘
あ・・・娘は、古典のテスト勉強中でした
「あんたがジャニオタやから・・・ゴメンゴメン・・・
 でも、めっちゃ、イケメンやったん違う??
 モデルはたくさんいて、いいところをとったみたいよ。
 そのうちの一人が「この世をば~」の藤原道長ともいわれてて、道長はこの源氏物語を政治に利用したんやで~~!!
 あ・・・ごめんごめん、テストやからな・・・これ以上は言わんとくわ。
 勉強し~~!!」by私
「でも、小さな女の子を自分の理想に育てるって気持ち悪いな~~!!」by娘
「??そんなことないよ。
 この時代は、親子や親族で結婚したり、めっちゃ年の離れた人にお嫁に行ったり、恋文が人生のすべてだったり、フラれて食べ物が喉を通らなくなって死んじゃったり・・・今とは違うんよ、常識が!!
 だから・・・この時はこれが常識で真実なんよ。
 ほら、宮崎駿も言ってたわ。
 『何か一つ嘘を入れようと思う(この時はポニョ)と、全てを真実に書かないと、全てがウソになってしまうって!!』
 特にトトロなんか、いてると思うやろ~~??」by私

と言ったんですが・・・それを言っている途中で腹が立ってきて、テスト勉強中の時間の惜しがっている娘に言ってしまいました。
「だから、西郷どん嫌いやねん!!
 大体、あの当時の女の人、あんなしゃべり方やったなんて・・・すべてが興ざめなんよ~~~!!
 ムキ~~!!」by私

娘は「またなんか言ってるよ・・・」と、あきれていましたが、そうなんですよね。
殆どウソの「西郷どん」の中に、今回もいくつかのホントがありました。
でも、そのホントも嘘くさくなってしまっています。
そして、ホントにしてほしいウソ(ポニョ)は、西郷どんの豪傑さ、清濁併せ呑むところ、大久保の頭の良さ、お龍の粋な感じ、慶喜の冷静な感じ・・・
そこは嘘でもいいから全部カッコいい感じに仕上げて欲しかった・・・。

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幕末動乱の京都・・・1867年12月9日、事件が起きました。
薩摩藩や土佐藩の兵士が、京都御所を制圧!!
天皇を中心とした新政府の樹立を宣言しました。
王政復古のクーデターです。
それから25日後の1868年1月3日、鳥羽伏見の戦いで新政府軍は、旧幕府軍に勝利し、明治維新への扉を開きました。
その中心にいたのが、薩摩藩の倒幕派、西郷隆盛と大久保利通でした。
彼等のシナリオ通りに倒幕は実現したかに見えがちですが、果たして真相は・・・??

手掛かりとなる絵が去年発見されました。
bosin小波魚青画「戊辰之役之図」です。

京都御所の鳥羽伏見の戦いの戦端が開かれた日の夕方の光景です。
舞台は、格式高い公家門です。

洋式の軍服に身を包み、門を警固する数えきれないほどの兵士たち・・・竹に雀の紋は宇和島藩です。
当時、宇和島藩は、徳川慶喜を支持していました。
戦いがが始まった時は、慶喜側の勢力が御所の要を押さえ、政局の主導権を握っていたのです。
西郷と大久保はどのようにして倒幕を成し遂げたのでしょうか?

黒船来航で幕を開けた幕末動乱の時代・・・政治の中心は京都でした。
二条城は、将軍上洛の時の宿所として徳川家康が築きました。
大広間にある四方を囲むように書かれた常緑の松は、徳川家の不滅の権力を表しています。
上段の間は最高の格式を表す”折上げ格天井”・・・太平の江戸時代を含めて、この部屋が歴史の表舞台に登場することはありませんでした。
しかし、長い時を経て、徳川慶喜がこの場所に現れたとき、時代は大きく動きました。

1867年10月14日・・・慶喜は、徳川幕府始まって以来の決断をしました。
”大政奉還”です。260年間、徳川が担ってきた政権を朝廷に返上したのです。
ところが・・・これを忸怩たる思いで見ていたのが、慶喜と対立していた薩摩と長州でした。
この時、薩摩の西郷隆盛と大久保利通はすでに、長州と共に武力討伐に動いていました。
大政奉還当日、朝廷から薩長両藩に下された「討幕の密勅」・・・
”逆臣・慶喜を”殄戮(殺し尽す)”せよ”と!!
しかし、慶喜は自ら政権を返上することで、密勅を無効にしました。
そこには、新しい政権でも主導権を維持しようという思惑が隠されていました。
西郷と大久保にとっては、どうしても食い止めなければならない事態でした。

一番大事なのは、徳川家の体制に打撃を与えること!!
残しておけば、今までと変わらない・・・
天皇の下、徳川慶喜が新たな政権の首班になる・・・。
そこには大きな大名も招集し、公議を尽くし新しい政権を運営する。
重要なことは会議で決めなければならない・・・。
そうなると、大久保や西郷が考えている大改革は発現しにくくなるのです。
二人は、志を同じくする公家・岩倉具視とともに、挽回の策を練ります。
たどり着いた結論が、大制復古のクーデターでした。

徳川慶喜の官位一等を降し、領地返上させる。

慶喜が持つ内大臣という官位を降格させることで、今後の政治活動を制限する。
全国400万石ともいわれる幕府直轄領をすべて新政府に返上、新政府のものとする。
徳川家への懲罰を天下に示すのが、大久保と岩倉の狙いでした。
具体的なクーデターの方法とは・・・??

当時の京都における幕府の警備体制は・・・
慶喜のいる二条城・・・周囲には、京都所司代を務める桑名藩の下、約400の兵が駐屯していました。
今の京都駅付近には新選組の屯所、兵士は約200人。
さらに御所の東にある金戒光明寺には幕府側最大の京都守護職・会津藩本陣が1000人!!
幕府の兵力は侮れませんでした。
そんな中でのクーデター・・・御所の迅速な制圧が重要でした。
御所の門は、外郭、内郭併せて15!!
諸藩の兵士がそれぞれの門につき、数十人単位で警護いていました。
難関は幕府側の桑名の公家門、会津の蛤門!!
しかし、不意を突いて門を押さえてしまえば、相手が御所に向けて発砲しない限りは奪い返されることはない・・・。
勝算は十分にありました。
クーデター側は、薩摩を中心に尾張、芸州、越前、土佐・・・山内容堂、松平春嶽などの慶喜と気脈を通じている
大名も参加していました。
彼等は、岩倉から次の政権にも慶喜を参加させるという条件のもとに、クーデターに同意していたのです。

そして決行の日・・・12月9日午前10時・・・。
武装した兵士たちが、御所への侵入を開始しました。
難関の一つ公家門の桑名兵は数十人・・・不穏な形勢に薩摩藩の到着前に退去。
蛤門を守っていたのは数十人の会津兵・・・。
不意を突かれた彼らは、土佐藩兵に門を明け渡し退去。
クーデター側は、完全に御所を制圧!!
王政復古の大号令が発布されました。

朝廷の最高官職である摂政、関白、そして将軍職を廃止する!!
天皇に直属する中央政府を創設し、総裁・議定・参与を政権を担う。
皇族や公家、クーデターに参加した大名だけでなく、大久保や西郷たち藩士も参与として登用されました。
大久保は、この日のことを興奮をもって日記に書いています。

我が兵を以て 禁闕警衛の様 未曽有の壮観 見る者肝を失う

クーデターは成功しました。
しかし、大久保は、この日が25日間に及ぶ熾烈な権力闘争の始まりだとは知る由もありませんでした。
どうして、大久保、西郷は執拗なまでに、慶喜を排除しようとしたのでしょうか?
①慶喜の能力、行動力への恐怖感
②下級藩士の大久保、西郷は新政府での主導権を握りたいという野心

武力衝突をしないで、大政奉還という安全策をとった慶喜・・・
大政奉還は、損を確定させる安全策でした。
しかし、それは経済的には合理的な方法で、この期に及んでこの方法をとれる慶喜が、恐怖の対象だったのです。

西郷、大久保は、自分が日本のすべてだと、自分で代表できません。
天皇というフィルターを通すことが必要でした。
大政奉還によって、慶喜もその方法をとってしまったので、より分かりやすく排除する必要がありました。

どうして簡単にできたのでしょうか?
それは、この王政復古の大号令が、事前公開クーデターだったからです。
松平春嶽達には、「慶喜は議定という役職で参加させる」と、うそを伝えます。
これが慶喜の耳にも入り、恭順の道をとるのですが・・・強硬派である会津・桑名藩にはこの情報は漏らしませんでした。
考えたのは、岩倉、大久保たちだったのです。

クーデター当日の午後4時・・・
武装した兵士たちが取り囲む中、紫宸殿の北東にある小御所で、慶喜の処遇をめぐる会議が開かれました。
小御所会議です。
三部屋続きの広間で、公家や大名たちが議論します。
ここには岩倉は入っていますが、大久保たちは下の部屋・・・。
身分の差から、基本的に発言は許されていませんでした。

会議は紛糾します。
慶喜の失政を責め、新政府入りを阻もうとする岩倉達倒幕派。
話が違うと、土佐・山内容堂が真っ向から反論します。
「大政奉還という大英断を行った慶喜公を、この場に参加させなくては公議の意味が失われる!!」
越前の松平春嶽も続きます。
「徳川氏が数百年にわたって朝廷を助け、政治を行った功績は、今日の罪を覆う」と。
徳川擁護の理路整然とした主張が会議を支配しようとしていました。
その時・・・大久保が!!
「幕府の失政は重税に値す!!
 慶喜の官位を貶し、所領を収め、それに不平を言わず応じることがなければ、新政府入りは認められぬ」

大久保や岩倉は、厳しい条件を突き付けて、丸裸に資、一旦は新政府に完全服従すると意思表示させる・・・
耳目を一新する!!
世の中が変わったんだということを、日本中に知らせて、改革を覚悟させようとしたのです。
外で警護を担っていら西郷は・・・
「短刀一本あれば片が付く」と、岩倉達に伝えて鼓舞しました。
そんな岩倉は、慶喜の参内を拒否!!
徳川擁護派も頑強に抵抗!!
春嶽は、国元への書簡にこう書いています。
”死しても我魂は 守護天幕する”・・・と!!
激しい議論の末、慶喜の辞官納地については、春嶽らが交渉したうえで慶喜から返上を申し出るという穏便な形でおさめられました。
大久保や西郷にとってクーデターの結果は、苦い勝利と終わりました。
さらに・・・12月12日、思わぬ事態が・・・
春嶽との交渉も始まらないうちに、慶喜が会津、桑名の大軍と共に大坂へ・・・!!
このままでは辞官納地は棚上げされかねない・・・大久保と西郷の危惧は深まります。
おまけに、大名達が新政権に背いてしまったら、完全に薩摩は孤立してしまう・・・!!
12月24日、西郷と大久保は、更に大きな後退が・・・!!
”先刻の大名は話し合いのうえ、新政府の財政のため領地を提供する”事が決まりました。
徳川以外の大名も領地を提供することになれば、徳川だけ領地を召し上げ懲罰を天下に示すという目論見は吹き飛んでしまう・・・!!
12月28日、慶喜、新政府の決定を受け入れる!!
官位は返上するものの、徳川の権威は維持したまま新政府に入るという道が開けたのです。
風向きの変化に動揺したのか岩倉は・・・
「自分は最初、討幕論だったが、大政奉還で慶喜公を見直した。
 新政府には不可欠な人物である。」と漏らしています。
徳川擁護派にすり寄るかの岩倉の態度・・・
西郷と大久保は次第に窮地に立たされていきます。

薩摩藩上屋敷・・・この地で政局を揺るがす事件が起こります。
1867年12月25日、薩摩藩邸焼き打ち事件!!
旧幕府の治安部隊が、薩摩藩邸を焼き打ちしたのです。
発端は一月前・・・
江戸市中の豪商が、浪士団に襲撃される事態が横行!!
治安部隊は、浪士たちが薩摩藩邸に匿われていることを突き止め、引き渡しを要求!!
しかし、これを薩摩藩が拒んだことで、焼き打ちとなったのです。
従来、この件は、武力討幕のきっかけを作るために、西郷が浪士を使い旧幕府軍を挑発した謀略だとされてきました。
ところが・・・近年異なる説が・・・。
根拠となるのが、このことを聞いた西郷の書簡に・・・
「大いに驚愕している
 残念旋盤の次第」と書いているからです。
西郷は、この件には関与していない・・・??
薩摩にとっては、予想もしなかった事態に・・・!!

大久保の武力倒幕か・・・??
西郷の薩摩に帰って時期を待つのか・・・??

1868年1月2日、旧幕府軍、京へ向けて進発!!

目的は、敵対する薩摩藩士を新政府から排除すること・・・!!
巨大は軍事力を擁した慶喜のデモンストレーション!!
西郷、大久保、どうする・・・??

決断が下されたのは、クーデターから24日目・・・1月2日でした。
大久保の日記には・・・
慶喜は上京して薩摩の罪を問うつもりだろうが、その機先を制して戦に決する!!・・・と!!
旧幕府軍の上洛を阻止せよと朝命を受けた大久保に西郷も同意!!
ここに、武力倒幕が決まりました。
御所から10キロ・・・伏見区小枝橋・・・薩摩・長州両軍は、藩兵を布陣させます。
そして・・・1月3日夕刻・・・進軍してきた旧幕府軍に薩摩の大砲が火を噴き、鳥羽伏見の戦いが始まりました。
周到に陣地構築していた薩摩兵の前に、旧幕府軍は不意をつかれ、次々とうち倒されていきます。
初戦の勝利によって戦局は大きく動きました。
日和見をしていた公家たちは、鳥羽で維新派が勝ったと知り、岩倉や討幕派の公家たちに面会を求めます。
1月4日・・・戦場に錦の御旗が・・・慶喜追討が発せられます。
諸藩は雪崩を打ったように新政府軍に・・・!!

土佐・山内容堂も・・・「この上は、朝廷の御沙汰次第に・・・」と、答える以外にありませんでした。
武力倒幕という危険な賭けにまで出て、西郷、大久保が手に入れたいものとは何だったのか・・・??

全国の藩主が版籍奉還・・・
この精神があったようです。
”一君万民”の体制を作ること・・・天皇の下に、日本の全人民を結集できる体制を作ること。。。
挙国一致体制を作れれば、西欧からの圧迫も跳ね返せるのでは・・・??

明治維新へと至る25日間の戦い・・・
勝敗を分けたのは、この国の形を根底から覆そうという西郷と大久保の固い志でした。



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