日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:持統天皇

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今からおよそ2000年前、中国の皇帝から与えられたと言われている金印・・・
刻まれているのは、”漢委奴国王”の印・・・委は、当時のこの国の呼び名・・・この名を日本に改めたきっかけとなった戦いがりました。
672年、大海人皇子と大友皇子が皇位継承争いをした古代最大の内乱・・・壬申の乱です。
その50年後に成立した日本書紀には・・・
大海人皇子は、権力に野心がないことを示すために出家・・・吉野に隠棲していました。
ところが都にいる大友皇子は兵を集め始めました。
そのため止む無く大海人も挙兵!!
結果、僅か1か月で、大海人軍が大勝利を収めたのです。

しかし・・・近年日本書紀の記述は、正当防衛を主張する大海人・・・天武天皇の創作ではないか?と言われています。
壬申の乱勃発の本当の理由とは・・・??


壬申の乱から遡ること5年の667年・・・
日本書紀には、都が近江に移されたとされています。
都の西岸に位置する大津宮です。
飛鳥からこの地に遷都したのは中大兄皇子(天智天皇)です。
その片腕として活躍していたのが、弟・大海人皇子です。
天智が大和政権下で権力を握って以降、兄を支えてきた大海人は、自他ともに認める後継者でした。
しかし・・・天智天皇が最高位の太政大臣に任命したのは息子・大友皇子を任命・・・僅か24歳での大抜擢でした。
これをきっかけに王位継承は、新しい局面を迎えました。
太政大臣は新しくできたポストで、その役割は一つに政策的なトップ、もう一つは有力な皇位継承者という意味を含んでいました。
大海人にとって、天智への不信感が出てきたのです。
天智のブレーンだった中臣鎌足の伝記には・・・天智不満を持った大海人が、宮中での宴会に乱入し、長槍で敷板を刺し貫いたというエピソードが書かれています。
その後、大海人は出家し、政治の実権は大友が握ることに・・・!!

奈良県にある吉野・・・万葉集にも詠まれた風光明媚なこの土地に、大海人が隠棲する吉野宮がありました。
天智の崩御の半年後の672年5月・・・大海人の元に知らせが・・・
出家した大海人を危険視した大友が、攻撃の準備に取り掛かっているというのです。

「今、避けることのできない禍が、私に降りかかろうとしている。
 どうしてこのまま黙っていられようか・・・!!」by大海人皇子

1か月後・・・兵を集め始めました。
つまり、正当防衛のために、やむをえず挙兵したというのです。


6月24日、大海人皇子は吉野宮を出立!!
同行するのは大海人の妃・鵜野讃良皇女をはじめ側近たち30人ばかり・・・。
しかし、3日後の26日に美濃兵3000、尾張兵20,000が合流・・・出発からわずか4日で、3万の軍勢を手に入れました。
一方、6月26日、大友も大海人の挙兵を知って、人を集め始めます。
しかし、東北へと向かった使者は、不破で捕獲されてしまいました。
不破は、近江と東国を結ぶ交通の要所・・・
大海人は、吉野を立つ二日前に、東国に向かう使者に伝えていました。

「軍勢を発し、速やかに不破の道を塞げ!!」

この為に、大海人軍に封鎖されていたのです。
さらに大海人は、もう一つの交通の要所・・・大津宮と東北を結ぶ鈴鹿山道も押さえていました。
なので、大友は、東北の兵を集めることができませんでした。
一方、吉備や筑紫など西国に向かった使者も、目的を果たすことができませんでした。

そしてついに始まった直接対決!!
しかし、十分の兵を集めることのできなかった大友の軍は、一方的な敗北を喫することに・・・
7月22日大津宮陥落!!
翌日、大友皇子自害!!

大海人皇子は、吉野出立からわずか1か月足らずで、完全勝利を収めたのです。

しかし・・・日本書紀には不審な点が・・・
特に、大友からの危険を知り、僅かの供と吉野を出た大海人に、4日間で3万の兵が扱ったことは、事前の準備がなければ考えられません。

大海人側は、かなり用意周到に計画をして立ち上がったのでは・・・??
日本書紀に書かれている記述が全てではない・・・。


壬申の乱の直前、委国は未曽有の外交的危機に直面していました。
きっかけは、663年の白村江の戦いです。
倭国初めての本格的対外戦争でした。
中大兄皇子の軍は、唐・新羅連合軍によって滅ぼされた百済の復興を助けるために、朝鮮半島に大軍を派遣!!
しかし、唐の大艦隊を前に、1万の援軍は僅か2日で壊滅・・・大敗北を喫しました。
その後、倭国は、唐、新羅がいつ攻めて来るかわからない中、対外的脅威にさらされることに・・・
そこで中大兄は、倭国防衛のために、九州、瀬戸内にたくさんの山城を・・・
667年には、近江へ遷都し、海岸線から遠くに都をおきます。

日本初となる戸籍「庚午年籍」を作成し、全国の土地や民を速やかに把握し、税や兵を集める仕組みを作ろうとしました。
白村江の時は、兵士の動員には要請から2年ほどかかっています。
その教訓から、定量的な帳簿を作り、それに基づく兵士や労役の動員が可能になるシステムを作り出したのです。

即位して中大兄は天智天皇となります。
対外的な危機感を利用し、中央集権・・・国内改革を一気に推し進めようとしていました。

一方で、東アジア情勢は、益々緊張・・・
壬申の乱の4年前には、唐・新羅連合軍が、朝鮮半島の高句麗を攻め滅ぼします。
翌年、標的を倭国と定め、軍船の修理に取り掛かりました。
次は倭国が・・・??
と思われていましたが、新羅が朝鮮半島統一を目指して唐と対立!!
これによって唐は、戦いの矛先を新羅に変えます。
倭国の危機は一旦去ることに・・・。

新羅は本格的に、倭に遣いを送り、倭との友好を求めてきました。
新羅も高句麗と同じように、唐に滅ぼされる危機から逃れ、新羅の地位を維持しようとしていました。
この新羅からの使者に対して倭国は船を送るなど手厚く歓待・・・以後毎年、両国の間で使者が行きかう関係を築くことに・・・

669年遣唐使を派遣・・・
こうして、唐と新羅、敵対する二つの国と、友好関係を築くという両面外交をすることで、一定の距離を置こうとしていました。
しかし、壬申の乱の前年・・・この方針の変換を迫られる事件が・・・
671年1月・・・唐からの使者が来訪。
朝鮮半島における、唐の立場は不安定で、倭に武器・武具を求めたり、軍糧・食料を要求したかったのですが・・・唐の味方になる事を迫られます。

この月、天智は大友皇子を太政大臣に任命。
同時に、鬼室集斯を重用・・・鬼室集斯は、唐と新羅に滅ぼされた百済からの難民のひとりで、数千の難民が近江に居住していました。
先進的な文化や技術を持つ彼らを、天智は招き入れていたのです。

これらの百済からの難民たちは・・・
基本的に、新羅に立敷いて伝統的に敵国意識があります。
唐は、旧百済領に熊津都督府を置き、百済の地元民たちの政治・自治を尊重してくれていました。
どちらかを選べと言われれば・・・唐!!

唐と新羅のどちらに味方するのか??
それとも、不介入を決め込むのか・・・??外交方針の決定を迫られていたのです。

危機感があるから天智に協力したのに、実は危機は日本には来ていないという事実・・・。
豪族たちは、天智に対する反発が強くなってきていました。

671年倭国が外交的機に直面していた頃、天智が突然病に・・・
先が長くないと悟った天智は、大海人を呼び・・・

「私の病気が重いので、あとのことをそなたに託したい。。。」by天智天皇

大友の太政大臣抜擢で立場が揺らいでいた大海人にとっては皇位に着く最大の機会・・・!!
しかし、倭国は今、朝鮮半島に介入するかで岐路に立たされている・・・

王位を継承する??
しかし、天智の急進的な改革に、豪族たちは不満を抱いていました。
豪族たちは、これまで自分たちの本拠地に住み、不定期で大王の宮に奉仕するという体制をとっていました。
大津遷都によって、遠く離れたところに暮らさなければならない。。。
おまけに、中間搾取、既得権益が、国家がメインになって徴収することで、収奪、編制、自分たちの旨みが無くなってしまった。
反対の人か・・・飛鳥から大津に遷都した際には、不審火が多発したと言われています。
さらに、朝鮮半島情勢に加われば、豪族たちの不満は噴出する可能性が・・・!!

王位を辞退する・・・??
不満はすべて大友に・・・しかし、大友に政を任せていいのか??
百済からの難民にささえられている大友は、唐との関係が深まれば、出兵を乞われるかもしれない・・・。
白村江の戦いの二の舞になるのではないか・・・??
誰が田畑を耕すのか・・・??

671年10月、王位を継いでほしいという兄・天智天皇に対し、大海人は・・・
「私は不幸にも病気がちで、国を保つことができません。
 どうか天下を皇后に・・・そして、大友皇子を皇太子になさいませ。」
大海人は、王位の辞退を申し入れます。

しかし、672年大海人が吉野から挙兵し、壬申の乱勃発!!
1か月で完全勝利を収めるのです。
実は、大海人が挙兵を決断したのは、自己防衛ではなく、大友の外交方針だったともいわれています。
日本書紀に・・・
大友が唐の使者に鎧や兜、弓矢を送ったと記載されています。
唐からの使者に、直接兵は出さなかったものの、武器や軍需物資を与えていたのです。
これは、それまでの倭国の外交方針からすると、かなり踏み込んだものだったのです。
大海人は、大友が唐よりに外交方針を変えたことを見届けて、挙兵したのです。

壬申の乱に勝利した翌年の673年、飛鳥浄御原宮に遷都。
そして、天武天皇として即位すると、外交問題に新しい方針を打ち出します。
唐と新羅どちらの味方にもならず、遣唐使の派遣を取りやめたのです。
その後、半島での戦いは、新羅の勝利に終わり、そのため、恐れていた唐からの報復を受けることもありませんでした。

これまで、倭国は高句麗や百済を防波堤にして、中国からの直接侵攻を妨げてきていました。
次は、新羅を防波堤にしたのです。
外交問題の難局を乗り越えた天武天皇は、新しい国家づくりに邁進します。
新城に都を・・・!!
幻の都・新城・・・後に持統天皇が完成させた藤原京の発掘現場の下の層から、新城の遺構が発見されました。
そこでは、東西と南北に沿った道路が直角に交わっていました。
これがのちに、藤原京で初めて完成する碁盤の目の都市計画なのです。

さらに681年、天武は国にとって大切な、律令と国史の編纂に取り掛かります。
それは・・・”大宝律令””日本書紀”として結実します。
飛鳥池工房遺跡には、最古の貨幣・富本銭が見つかりました。
この遺跡からは、さらに”天皇”と書かれた最古の木簡が発見されました。
それまでの大王から天皇へと改めたのもまた、天武だったと考えられます。

新たな国造りをした天武天皇は、686年に崩御。
しかし、天武の事業は、跡を継いだ持統天皇らによって受け継がれていくこととなります。
そして、この国始まって以来の律令が完成した翌年の702年、33年ぶりとなる遣唐使が大陸に渡るのです。
使者は、唐の皇帝に対し、新たなる国名を・・・それが、「日本国」でした。



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久しぶりに「歴史秘話ヒストリア」観ました。
いつもはあんまり見ないのですが・・・今回は持統天皇&里中満智子さんだったからです。

持統天皇・・・幼名・鸕野讃良皇女・・・
その波乱に満ちた生涯は・・・645年大化の改新から始まりました。
実行者・中大兄皇子・・・この年に讃良は中大兄の娘として生を受けます。
13歳で中大兄の弟・大海人皇子との結婚を命じられます。
叔父との政略結婚でした。

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明るくおおらかな大海人を深く愛するようになった讃良。。。

兄・中大兄と外交問題を巡って対立しますが、讃良は夫を支持!!




と、番組は続いていたのですが・・・。
NHKさん、今回は手抜きですか・・・??
タイアップですか??と、思ってしまった・・・

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今回は、1983年に連載を開始して、先日完結した里中満智子さんの「天上の虹」に沿っての50分でした。

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里中満智子さんは漫画家としてだけではなく、本当に古代日本史研究の第一人者と言ってもいい方だと思っています。
すごく研究していらっしゃるし、尊敬しています。
それは間違いないのです。

が・・・私が「歴史秘話ヒストリア」をあまり好きになれない理由のひとつ(深掘りしない)かもしれませんが・・・。
今回は、里中満智子さんが書いた”持統天皇の紹介!!”に見えたんです。。。

もちろん人間なので愛憎も必要で・・・
なんですが、やっぱり「天上の虹」は作品だから。。。
って・・・こんなこと書いたら、里中満智子さんが嫌いみたいじゃないの・・・
そうではないのです。
里中満智子さんの知識力がハンパないから、そこをもっと出してほしかったんです。。。
その上で「天上の虹」を紹介してほしかった。。。

持統天皇に関しては・・・
私が習った歴史な感じは、夫(天武)⇒孫(文武)のつなぎみたいでしたが・・・
そんなことは全くなく、女性でありながら国内外の政治をてきぱきとやったすんごい人です。
白村江の戦い以降、中国や朝鮮と対等に付き合うために粉骨砕身頑張った女帝なんです。

例えば・・・
古代日本のハイウェー~1300年前の列島改造~はこちら
謎の都 飛鳥京発掘~蘇る水の都~はこちら
こんなことに関わっていたことは間違いありませんし・・・

壬申の乱 古代史最大の内乱が日本を築いた!はこちら
古事記~国家統一の物語~はこちら

こんなすごい時代だったんです。

ま、天皇みずから剣をとって戦っていた時代があったなんて・・・
この後の天皇やおじゃるをみているとびっくりですよね。
後白河天皇や後醍醐天皇が刀をとって魔王のように言われていますが、この時代はそれよりもスゴイ、まさに天皇・・・って言うか、皇子か・・・。
皇子自らが刀をとって、国造りのために戦った時代だったのです。

だからこそ、里中満智子さんはこの作品を32年という長い年月をかけて仕上げたんだと思うんですよね。。。

ほんと、もっと中身のある時間にしてほしかったです。
里中満智子ファンにとっても歴史ファンにとっても、中途半端に終わってしまったと思っちゃったんです。

そう思うと・・・大河ドラマにしてはどうかしら??
って、やっぱり天皇家に、メスを入れるのは駄目・・・??


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シリーズ 古代史ミステリーです。

今から1300年前に作られた歴史書・古事記・・・
国の成り立ちから天皇による統一まで書かれています。

この神話の背景には、日本が直面した対外危機がありました。
侵略の恐怖・・・古代の近代化が行われたのです。
国家神話に込められた意味とはどういうものなのでしょうか???
誰が・・・何のために作ったのでしょうか?
「古事記」上巻に秘められた日本国家誕生の裏側です。

上巻は、神々の物語
中巻は、神と人との関わり
下巻は、人の歴史

に分かれています。

どの民族にもある神々の物語・・・それが古事記に色濃く書かれています。
上巻だけで、文学作品としても一つの作品として確立されていて、日本のアイデンティティ、独自性が見受けられます。

古事記という歴史書を作るために神話が必要である・・・
創作性が入ってきています。が、そこには歴史的背景がある・・・そして、人為的なものも含まれている???

古代の近代化・・・当時の世界最高の大帝国・唐を見倣って、天皇中心の統一国家にしよう・・・ということだったのかも。。。
唐を中心とする統一国家になるためにグローバル化が必要だったのかもしれません。

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日本最古の歴史書・古事記・・・
681年に天武天皇が国史編纂の詔を出します。
そして・・・持統天皇⇒文武天皇⇒元明天皇を経て、712年に「古事記」が完成します。




古事記の序文には、天武天皇の詔が書かれています。
「そもそも帝紀(天皇家の系譜)とは、本辞(神話・物語など)は国家組織の原理を示すものであり、天皇政治の基本となるものである。
正しいものを定めて、更生に伝えようと思う。」

国家組織の原理と天皇政治の基本を示すこと・・・
そこには、日本国の未曽有の国難があったのです。

それが、663年朝鮮半島で起こった白村江の戦です。
倭国は国家の形成途上で・・・唐と新羅の軍に大敗します。
この敗戦を機に、変革が求められたのです。
初めての対外戦争で・・・いともたやすく負けてしまった・・・。
国家の権力を集中させて対応しないといけない・・・。
そこで、税と兵を一転に集中させる体制が必要だったのです。

国史編纂は、中央集権化のため・・・大国に肩を並べるためには、国家神話が必要だったのです。
皇祖神が登場します。
その皇祖神は天照大神です。

天照誕生は・・・???
高天原には天照はいません・・・
17、18番目に登場するのがイザナギノ命・イザナミノ命。
彼らは愛の化身として国生みを行います。
続いて生まれたのが・・・海・風・霧・土・山・木・の神など・・・35にも及ぶ神生みです。

しかし・・・天照はまだ・・・。
どうして古事記にはこのようにたくさんの神が出てくるのでしょうか???

天武天皇は・・・
「諸家に伝わっている帝紀及び本辞には、真実と違い虚偽を加えたものが甚だ多いとのこと・・・」
とあります。

当時の有力豪族は、その出自を正当化したり、天皇とのつながりを誇示するために・・・
それぞれに都合のいい神話を書かせていたようです。

天武天皇は、乱立状態・・・バラバラだった神話を天皇国家にとって有利な神話へとまとめて行こう・・・というものだったようです。
つまり、神話の中央集権化だったのです。

イザナミが最後に産んだのが火の神・カグツチノ神。。。
その時に大やけどを負ったイザナミが黄泉の国へ・・・。
後を追ったイザナギは変わり果てたイザナミの姿を見て・・・命からがら逃げだします。
そして・・・黄泉の穢れを落とすために・・・イザナギが池の水で禊をすると・・・
”左の御目をお洗いになる時成り出た神の名は天照大御神
 右の御目からは月読命
 御鼻からは須佐之男命”
こうして禊によって皇祖神・天照大御神が誕生したのです。

日本古来の神信仰は・・・万物に神がいるというアニミズム信仰なので、たくさんの神が出てきます。

天照はどのようなキャラクターだったのでしょうか???
最も有名なのが、天石屋戸神話です。

天照は、父・イザナギから高天原の支配を任されます。
一方海を任された須佐之男命は父に背き高天原で乱暴狼藉を働きます。
そんな弟を庇う姉として書かれています。
人間的な弱さを持つ人間的な神として書かれているのです。

乱暴狼藉に拍車のかかる須佐之男命。
怖れ慄いた天照は天石戸に隠れてしまいました。
すると・・・
”あらゆる邪神の騒ぐ声は夏の蠅のように世界に満ちあらゆる禍が一斉に発生した”
暗黒に包まれ、世界は危機に瀕します。
困った神々は天石戸の前で、お祭りを始めました。
天照が見ようと戸をあけかけた時、力づくで天照を引き出して・・・

世界は光を取り戻し、秩序も回復したのでした。

天照が、天石戸から引き出される・・・
そこに、多くの者と力を合わせて君臨する神として書かれているのです。
世界の中心であることを知らしめた天照は・・・
女性であることから・・・時の国家の支配者・持統天皇をモチーフにしている???


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持統天皇は、天智天皇を父に持ち、夫は天武天皇・・・律令国家の実現に力を注いだ人物です。
はく祖運航の戦いのあと、唐の侵略に備えて・・・
667年天智天皇は、飛鳥浄御原宮から近江大津宮に遷都。
その途中で亡くなりました。

672年壬申の乱で・・・皇位継承で大海人と大友が戦います。
戦いに勝った大海人の皇子は673年大津から飛鳥へと都を戻して天武天皇となります。
そして・・・独裁政治を始めました。
大臣を廃止し、皇族による政治を始めたのです。

686年天武天皇崩御。

持統天皇は大臣制度を復活させて、官僚の力を活用して、
689年飛鳥浄御原令、694年藤原京遷都・・・夫の成しえなかった計画を成し遂げます。

持統天皇はこう評価されています。
”天皇は、広い度量のお人柄であった
 まろやかな心で国母の徳をお持ちであった”

天武天皇の時は、天皇としての厳しさがないと世の中は動かすことができなかったのですが、持統天皇が女性としての温かさで、世の中の融和を心がけた・・・
そんな持統天皇が天照大御神と合致したのです。

この後、古事記は地上世界の出雲に変わります。
所謂「国譲りの神話」です。

これに対しては、実際に出雲に強大な王朝があったという説や、地方豪族の象徴として書かれているという説・・・様々な解釈がなされてきました。

出雲信仰の神は・・・大国主命。
80人兄弟の末っ子、虐められてばかりいる気の弱い神様です。
しかし、因幡の白ウサギを助けたことから美しい神と結婚。。。
着実に領土を広げて行きます。
葦原中国という地上世界の王のステップをあがって行きます。。。
そこへ国を穣るようにとやってきたのが天照大御神。
大国主命は・・・
「この葦原中国は仰せのとおりことごとく献上しましょう」
と、抵抗することもなく国を譲ってしまうのです。

各地の豪族は各地で国を造る・・・
国譲り=中央集権化・・・各地の国が大和朝廷に服属するということを意味しています。
平和裏に交渉が成立した???

中央集権化に必要だったのが、戸籍制度の整理。
690年庚寅年籍を作成します。
これにより朝廷は、民を管理し、豪族が行っていた徴兵や税の徴収を確実に行うことができるようになります。
公地公民です。
豪族からすると、権益を国に取られてしまう・・・
そこを穏便に運ばせることが目的で・・・その穏便な・・・というのは、日本的な考え方なのかもしれません。

国譲りのあとは、天孫降臨です。
神と天皇とをつなぐクライマックスです。
天照大御神は、息子のホシホミミノ命に地上世界への降臨を命じますが・・・ホシホミミノ命は・・・
「支度をしている間に子が生まれました。
 名は、ニニギノ命と申します。
 この子を降ろすのが良いでしょう。」
ホシホミミは息子に・・・といい、結果的に、天照大御神の孫・ニニギノ命が降臨することになります。
この急遽変更となった天孫降臨・・・
当時・・・697年天智天皇は吉野の盟約で、母親の違う皇子たちに、継承争いが起きないようにちかいをたてさせます。
「我が子供たちよ
 母親は違えども
 同じ母から生まれた
 兄弟のように
 慈しもう」と・・・。


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そして、天武天皇と持統天皇の息子草壁皇子を後継者としました。
ところが・・・草壁皇子は若くして亡くなり・・・後に残ったのは、幼い軽皇子でした。
つまり、持統天皇と孫の軽皇子との関係がそのまま天照とニニギノ命の関係となるのです。
孫が継ぐことの正当性を訴えたのです。

しかし・・・
この皇位継承は簡単なものではなく・・・
これまでの皇位継承は、
①兄弟内・世代間継承
②30歳以上
③執政経験アリ
という条件でしたが・・・
軽皇子はどの条件も満たしていませんでした。
即位の必然性がない人物を皇位につかせる・・・

しかし、697年15歳で文武天皇即位。
史上最も若い天皇となりました。
天皇の皇位継承は、「実力ではなく、天にいる神様からの血縁で決まる」血統重視の皇位継承が決定した瞬間でした。
当時は、藤原京・・・
国家の政権は天皇家に、政治の実権は官僚である藤原不比等たちに・・・という構図が出来てきていたからです。

日本は権威と権力がはっきりと分かれています。
そこが中国との違いです。だから、中国の皇帝は滅ぼされますが、日本の天皇家は続いてきました。
天照大御神は最高権威でありながら、権力は誇示しません。
でも、それでOKな国民性なのです。

権威と権力の両方を手に入れたのは、天武・持統天皇の頃だけで、それは非常に珍しい時代でした。

門御天皇の時代は、唐にならって国際化を急速に進めた時代でした。
701年大宝律令制定
702年30年ぶりに遣唐使を再開・・・
持統天皇が亡くなるも・・・
中国の都・長安に習って都を造ろうと考えます。
平城京遷都を目前に文武天皇が亡くなると、その母・元明天皇が707年に即位します。
しかし、元明天皇は遷都に反対していました。
なのに・・・大臣たちが推し進め・・・
710年平城京遷都。
長安をモデルにした新しい都でした。
官僚主導の唐に習った急速な近代化・・・
元明天皇はそれに抗うような古事記の編纂。。。
アイデンティティーの最後の拠り所・・・それが古事記だったのです。

そこには”やまと言葉”を使うこと。が決められていました。
その難しさは太安万侶が記しています。
「上古においては 言葉もその内容も共に素朴で、文章に書き表すとなると漢字の用い方に困難があった。」
日本にはもともと文字のない文化・・・漢字と格闘しながら大和の音を作りだしたのです。
ここから万葉仮名が・・・日本独自の文字仮名発達していきます。

712年1月28日「古事記」完成。
その3年後元明天皇は娘・元正天皇に皇位を継承します。

古事記は天皇家の家訓・・・
その後720年にほぼ漢文体で書かれた「日本書紀」完成。
日本の正史として受け継がれていき・・・古事記は歴史の表舞台から忘れ去られていくのです。

本居宣長がいなければ、忘れ去られて現代人に読まれなかったかもしれないことを思えば、古事記を読むことのできることは奇跡なのかもしれません。

現代人が古事記から読み取ることは???
神々が自然と一体となっていること、全てに神が宿っていること。
自然観の原点・生命力の源が古事記なのかもしれません。

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