日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:新選組

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1867年11月15日、京・近江屋にて・・・
事件は午後8時から9時の間に起こったと考えられます。
幕末の風雲児・坂本龍馬が刺客に襲撃され絶命・・・。
盟友・中岡慎太郎も負傷し、二日後に絶命・・・。
世に言う龍馬暗殺事件です。

龍馬を暗殺したのは誰なのか??
薩摩藩?紀州藩?土佐藩?幕府?会津藩?新選組?京都見廻組??

今回は・・・なぜ龍馬は「近江屋」に潜伏したのか??という謎です。

幕末、ペリー来航以来、幕府の権威は失墜していました。
一方、経済力や軍事力を背景に台頭してきたのが西国の雄・薩摩藩、長州藩でした。
1866年1月21日、それまで無名だった龍馬の名が歴史に刻まれることとなります。
「薩長同盟」締結です。
全国に吹き荒れた尊王攘夷運動・・・西国の雄藩・長州藩は、幕府を力で倒し、朝廷を主体とする政権交代を画策します。
一方、弱体化する幕府を支え、朝廷との結びつき・・・公武合体運動を推進していたのが薩摩藩でした。

1864年7月19日禁門の変
幕府に組した薩摩は、京都で薩摩と武力衝突!!
長州の敗北に終わります。
以降、二大雄藩は犬猿の仲となります。
しかし、薩摩と長州が結びつけば、幕府に対抗し得る一大討幕勢力となり、朝廷を中心とした新政府を樹立することも期待できる!!
こうした中、土佐の坂本龍馬と中岡慎太郎は、薩長同盟締結に向けて奔走!!
龍馬は、その仲介者として同盟成立の瞬間に立ち会うことになります。
これまで会津と同盟関係にあった薩摩が長州と密約し、武力討幕派に・・・。
同盟締結後・・・1866年1月23日寺田屋遭難事件!!
定宿・寺田屋に戻った龍馬を伏見奉行所の取り方20人が襲います。
幕府にとって要注意人物となっていた龍馬・・・。
脱し・・・急死に一生を得た龍馬は、この時の乱闘で、奉行所の役人を射殺、ほか数人に重傷を負わせます。
さらに・・・この時重大なミスを犯してしまいます。
龍馬は、薩長同盟の重要な書類を現場に残してしまっていました。
この事件によって、凶悪犯罪者として幕府に負われることとなった龍馬・・・

以降、寺田屋に潜伏することは不可能となってしまいました。
薩長同盟締結から1年後・・・大政奉還!!
幕府の権威が失墜する中、将軍・慶喜にとって大政奉還は起死回生の一手でした。
政権を朝廷に返上すれば・・・反幕府勢力の大義名分が無くなってしまう・・・!!
この大政奉還を幕府に進言したのが、土佐藩の重役・後藤象二郎です。
その背後にいたものこそ、海援隊隊長の坂本龍馬でした。
内戦を避け、平和的な政権交代が見込まれる大政奉還・・・
龍馬と土佐藩は、薩摩藩を説き伏せ、その実現に奔走しました。
とはいえ・・・この時龍馬は武力行使も止む無しと思っていたようです。

薩長だけではまだまだ足りない・・・土佐藩を討幕勢力に引き込まなければ・・・!!

龍馬の書状には、武器を用意していることも書かれています。
龍馬は、大政奉還実現に向けて、平和的解決だけではなく武力を背景にした現実的な構想を描いていたのです。
1867年10月13日、慶喜は二条城において「大政奉還」を在京諸藩重臣に諮問・・・
14日、大政奉還を朝廷に上表・・・
大政奉還は、260年続いた江戸幕府の終焉を意味していました。
大政奉還という大仕事を成し遂げた龍馬の立場は危うくなっていきます。
大政奉還に激しく反発したのが、幕府側の一大勢力・京都守護職の会津藩でした。
大政奉還奏上の2日後、薩摩藩の大久保利通に宛てた討幕派の公家・岩倉具視の書状には・・・
「会津藩は狂気のごとく激怒している
 すべての元凶は、西郷、小松、大久保の三人であるため、必ず薩摩藩邸を襲撃するなどと言っている」
この時、会津は大政奉還を推進した中心人物を西郷たちと特定、藩邸の襲撃計画を目論んでいました。
翌日・・・危険を察知した龍馬は、京を離れます。
大政奉還を企画した龍馬にも危機が迫っていました。
西郷が京を後にした日・・・薩摩藩士から手紙を受け取った龍馬・・・
「二本松の薩摩藩邸にすぐ入ってください。」
「薩摩屋敷に身を潜めたならば、土佐藩に対し、実に嫌味な事です。」by龍馬
この時龍馬は、脱藩の罪を許され、土佐藩士に復帰していました。
入るなら土佐藩邸・・・もし、薩摩藩邸に入ったならば、土佐藩邸にも要らぬ疑いをかけられかねない・・・。

寺田屋にも、薩摩藩邸にも入れない・・・京の町のどこに潜伏すればいいのか・・・??

暗殺の1か月前・・・命を狙われる龍馬はどこに潜伏すればいいのか??
寺田屋は不可能、薩摩藩邸は難しい・・・
他にあった龍馬の定宿は・・・酢屋。。。
酢屋は龍馬が隊長を勤める海援隊の本部が置かれていた場所です。
龍馬にとって信頼の厚い隊士が出入りし、安心して滞在できる宿です。
しかし、酢屋は幕府に目をつけられている可能性があり・・・龍馬は新しい潜伏先を探す必要がありました。
この頃の龍馬の潜伏先候補は2つあったと言います。

一つ目は土佐藩邸・・・
セキュリティーが良く、藩邸は、幕府の役人が入ることのできない聖域・・・。
身の安全は保障される!!
1867年2月、中岡慎太郎と共に脱藩の罪を許され、藩邸に居住する権利があったのです。
しかし、デメリットが・・・門限があり、外交をやるためには他藩の人自由に会いたい。。。それができなくなってしまう。
もう一つは近江屋・・・
醤油を商う近江屋は、土佐藩邸からわずか4、5m・・・
刺客に襲撃された場合、藩邸が近くにあれば、命は助かる!!
身の安全が保障される土佐藩邸か、それとも行動を束縛されない民間の近江屋か・・・??

龍馬暗殺の10日前・・・
1867年11月5日・・・旅先から帰京した龍馬は、近江屋にわらじを脱ぎました。
しかし、周囲は、近江屋に潜伏する龍馬を心配していました。
藩邸に移った方がいいと・・・
しかし、この時すでに龍馬は、龍馬を追う、会津藩主・松平容保と、幕府の要職・永井尚志と面会していました。
松平容保は京都守護職・・・配下には新選組や見廻組などがおり、大政奉還反対派の急先鋒です。
一方永井は、大政奉還推進派。開明的思想の持ち主でした。
記録によると、龍馬は暗殺の先日まで永井の屋敷に通っていました。
龍馬は、新しい政府に旧幕府勢力も参加する体制を作るために、永井と話し合っていたのです。
永井からお墨付きをもらっていたようですが、容保に話が通っていたかどうかはわかりません。
しかし、この永井と会う事は、討幕派からは背信行為とみなされる可能性があり、決して公にはできないこと・・・。
龍馬が近江屋に移ったのは、隠密裏に仕事をする必要があったからです。
しかし・・・1867年11月15日・・・龍馬暗殺!!
刺客たちの襲撃によって暗殺・・・遺体には、大小34カ所の刀傷があったといいます。
33歳・・・短い生涯でした。

事件は、龍馬を取り巻く人々に衝撃を与えました。
一体誰が龍馬を殺害したのか・・・??
勝海舟は、下手人の名を記しています。
佐々木只三郎・・・を頭とする輩
京都見廻組の組頭で、れっきとした幕臣で形成されていました。
さらに佐々木の実兄・会津藩公用方手代木直右衛門の記録にも・・・
坂本を殺したものは実弟・只三郎なり・・・
最近は佐々木率いる見廻組の仕業が有力と言われていますが・・・
それでも疑問が・・・
佐々木たちは、どうして龍馬の居場所を特定することができたのでしょうか?

高知県高知市・・・近年発見された龍馬の新書状が展示されています。
日付は11月10日・・・福井藩重臣に宛てて書かれたものです。
その書状には「新国家の御家計」と書かれています。
新しい国の財政問題を意識し、国家の体制と財政問題に重きを置いて活動していたのです。
この書状の封筒には・・・
「坂本先生遭難直前の書状にて、他見を憚るものなり」極秘扱いにされていました。
暗殺の黒幕を示唆している???
この書状は、龍馬暗殺を指示した者の名が書かれているがゆえに封印された??
残された名は、永井尚志!!
暗殺直前まで龍馬が面会に行き、新国家の構想を談じ合っていたと考えられる人物です。
暗殺の直後にも、土佐藩重臣の日記に永井が登場します。

しかし、大政奉還の後、新政府に徳川家が参加するためには、太いパイプを持つ龍馬は必要不可欠!!
永井が暗殺を命じる可能性は低い・・・。
では・・・龍馬暗殺の黒幕は誰か??
なぜ龍馬の居場所を知り得たのか・・・??
永井がいたのは大和郡山藩邸・・・。
永井の屋敷から歩いてすぐのところに・・・なんと、佐々木只三郎の下宿先・・・潜伏先・・・松林寺がありました。

危険なエリアに毎日のように通ってきていた龍馬・・・
暗殺直前の3日間のうち11日には午前、午後の二回にわたって訪問しています。
この時永井は龍馬にこう諭しました。

「頻繁な来訪は嫌疑をかけられるので、夜中に訪問せよ。」by永井

この場所に龍馬がくるということは、旗本、会津藩にとってはらわたが煮えくり返るようなことでした。
このまま龍馬が細かい新政府構想を作り上げると、政権を維持できると思っている人たちにとっては最大の危険人物として映ったのです。
手代木直右衛門の記述には・・・
「坂本龍馬を殺したのは実弟・只三郎であり、それは某諸侯の名によるもの」とあります。
某諸侯とは・・・??会津藩藩主・松平容保と、亡くなる直前に語っています。
そして実行された龍馬暗殺・・・
安全な土佐藩邸ではなく、近江屋を選んだ龍馬。
自分の安全よりも、日本のこれからの姿を優先した結果でした。

見廻組は公務だったのか?それとも私怨による暗殺だったのか・・・??
龍馬が暗殺されたことによって得をした人物はいない・・・しかし、慶喜たちが大損をしたことだけは確かです。

龍馬が暗殺されたこと・・・生きていれば・・・という思いが、それが龍馬暗殺の謎を深めている・・・
今なお英雄である坂本龍馬なのです。



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「龍馬、北辰一刀流 免許皆伝!!」
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2015年10月14日、剣の達人と言われてきた坂本龍馬が本当に北辰一刀流の免許皆伝を極めていた新資料が発見されたという記事が新聞に載りました。
今でも英雄とされている龍馬、真実はどうだったのでしょうか?

1867年11月15日、この日は龍馬の誕生日であり、33歳という命を散らした日でした。
龍馬が暗殺されたのは京都。。。
1866年、討幕を画策していた龍馬の動きが幕府に察知され、命を狙われるようになっていた龍馬。
そして・・・1月22日、龍馬が潜伏していた寺田屋を、幕府の取り方50人余りが襲撃します。
龍馬はピストルで対抗するも、両手を負傷!!
それでも必死で逃げ、材木小屋で隠れているところを仲間に発見されました。
なんとか命拾いをした龍馬・・・取り方を射殺してしまったことで、京都見廻組と新選組の二つの組織から狙われることとなります。

寺田屋以降、薩摩で静養し、長崎で活動していた龍馬が6月・・・京都に帰ってきました。
このときに隠れ家は、材木問屋の酢屋でした。10月半ばには、土佐藩邸の近くの近江屋に移り・・・ここでは、土蔵に身を隠し、その情報は限られたものしか知りませんでした。

11月14日、風邪をひいた龍馬は、土蔵から母屋の二階に移ります。
11月15日・・・龍馬のもとへ土佐・中岡慎太郎がやってきました。
腹が減った龍馬は、しゃも鍋が食べたい・・・と、使いのものを買いにやります。
このとき、二階には龍馬と中岡、一階には龍馬の世話をしていた藤吉、主人・新助家族がいました。
午後8時過ぎ・・・十津川郷士を名乗るものがやってきました。
十津川郷士の中には、龍馬の知り合いがいたので、藤吉が気を緩め取り次ごうとすると・・・斬りつけられた藤吉!!
二階に駆け上がる刺客!!
刺される中岡!!斬りつけられた龍馬!!
刺客が去ったのち、一時的に息を吹き返した龍馬は中岡に・・・
「わしは脳をやられた・・・もういかん・・・」
これが龍馬の最後の言葉・・・33歳の若すぎる死でした。

龍馬を暗殺したのはいったい誰だったのでしょうか??

手掛かりは3つ・・・
①誰のものかわからない下駄
瓢亭のものだったため、新選組??
②刀の鞘
新選組・原田左之助のもの??
③犯人は「こなくそ!!」といった。
こなくそは、伊予の方言で、原田左之助は伊予出身でした。

証拠はすべて、新選組を示していました。

しかし・・・
尾張藩などが捜査に当たったところ・・・
下駄は瓢亭ではなく、鞘も原田のものではなく・・・
こなくそも、全国に似たような言葉があり、どれも証拠不十分なものでした。

さらに・・・大目付から事情徴収を受けた近藤勇は、龍馬暗殺を否定します。
もともと新選組は、不逞労使の捕縛が仕事で、殺害することはあまりなく・・・
たとえ殺したとしても、正義にために殺すので隠す必要はありません。
これらにより、新選組の犯行ではないとされました。

3年後・・・1870年に、京都見廻組だった今井信郎が龍馬暗殺は見回組の犯行だったと自供します。
襲ったのは7人・・・佐々木只三郎、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂早之助、今井信郎、土肥仲蔵、桜井大三郎で遊撃したと告白しました。
後の3人が見張りで、先の4人で殺害!!残された鞘は、隊士の一人が忘れたこと。。。
今井以外の6人は、鳥羽伏見の戦いで戦死したことなどを供述しました。
さらに、物的証拠が見つかります。
龍馬を斬った脇差・・・持ち主は、桂早之助でした。
実行犯は、京都見廻組だということが有力視されています。

では、どうして龍馬を襲ったのでしょうか??
今井は・・・
寺田屋事件で幕府の取り方を射殺したことへの罪の追求だ・・・??
しかし、見廻組には疑問が多くあります。
見廻組も、公務で行ったのであれば、隠す必要がないということ・・・
近江屋でいることは、限られたものしか知らなかったということ・・・
見廻組は利用されていただけで、黒幕がいるのでは・・・??

時代の先を行き過ぎていた龍馬・・・
その積極性、先見性は、色々なところで恨まれていました。
龍馬はどのようにして政治の表舞台に立ったのでしょうか??

高知県高知市・・・
坂本龍馬は、1835年11月15日、土佐藩下士の次男として生まれました。
身分差の厳しい土佐では、下級武士である龍馬が出世できる見込みはなく、龍馬自身の性格も泣き虫で気弱な少年でした。
そんな龍馬の支えとなったのは、3歳年上の姉・乙女でした。
男らしく剣術道場に通わせます。
道場で頭角を表すと・・・1853年剣術修行のために、江戸へ遊学・・・!!
入門したのは、北辰一刀流の千葉定吉道場でした。

その2か月後、黒船が来航!!

これが転機となって、尊王攘夷論に目覚めていきます。
さらに尊王攘夷を傾倒させたのが、同郷の武市半平太。
6歳年上の半平太は、文武両道で、若い下級武士たちのリーダー的存在でした。
土佐勤王党を成した半平太。
その誘いを受け、龍馬もメンバーとなり、勤王の志士の道を歩むこととなるのです。
1862年1月・・・龍馬は半平太の使いとして長州に赴き、尊王攘夷運動の先頭に立つ久坂玄瑞と出会います。

「尊王上の大義のためであれば、尊藩と弊藩が滅んでも構あ示し、海軍を作り、西欧列強に対抗しようと話します。
国のために・・・!!
スケールの大きな海舟にほれ込んだ龍馬は、弟子入りするのでした。
自分の意識の中に、土佐人→日本人へと変化した瞬間でした。

龍馬は、海舟が土佐藩第15代藩主・山内容堂に掛け合ったことで、脱藩の罪を解かれ、海舟が1863年に創設した神戸海軍操練所の補佐役として参加します。
航海術や英語を学び、見識を広めていった龍馬、訓練生たちを束ねてリーダー的存在になっていきます。
勝海舟との交流で、見識や人脈を広げたことが龍馬の財産となっていきます。
表舞台の道が開けていきます。

自由の身となった龍馬・・・
龍馬の人脈の中には、明治維新の立役者となった者もたくさんいました。
長州藩士・桂小五郎とは剣術修行時代に出会っていたといわれています。
また、海舟の紹介で、西郷と知り合います。

龍馬は人を引き付ける魅力がありました。
もちろん、話上手であったのでしょう。しかし、龍馬が脱藩しているという自由な立場・・・藩の利害や役職と関わらない・・・ということが人脈を作っていくことになるのです。

外様大名の雄であった長州藩と薩摩藩が、1864年の禁門の変で尊王か公武合体かで対立します。
犬猿の仲となってしまった長州藩と薩摩藩・・・
その桂と西郷の仲を取り持ちます。
1866年の薩長同盟・・・時代の流れは、討幕へと傾いていきます。

さらに龍馬は・・・
幕府に代わる国家構想を作ります。
土佐藩の蒸気船・夕顔の中で、後藤象二郎に熱く語り、仕上がったのが、「船中八策」です。
大政奉還をはじめ、身分を問わず優れたものを登用すること、議会政治をすること、憲法制定、軍の強化、金銀の交換率を定めること・・・どれもみな、斬新なものでした。

これをもとに、大政奉還の建白書を作成した後藤・・・
1867年10月3日、山内容堂を通して幕府に提出!!
15代将軍・慶喜は、徳川家が生き残る道はこれしかない!!
と、10月14日、大政奉還が行われました。
江戸という時代の終焉でした。

しかし・・・その1か月後の11月15日、功労者・坂本龍馬は京都見廻組によって命を奪われてしまいました。
そして、その背後には黒幕がいた可能性が高いのです。
その黒幕の正体とは・・・??

①土佐藩黒幕説
後藤には、暗殺の実行者・今井との接点がありました。
二人は円山会のメンバーとされたからです。
暗殺の動機は・・・大政奉還の実績を後藤が独り占めしたかったため
自分が船中八策の発案者となるために邪魔な龍馬を暗殺したというものです。
しかし西郷たちも周りの人も、「船中八策」は龍馬の発案だということは知っていました。
後藤が龍馬を殺すメリットがないと思われます。

②紀州藩黒幕説
龍馬が暗殺されたとき、仲間たちが真っ先に疑ったのが紀州藩でした。
一番の動機があったからです。
発端は・・・
海援隊を組織した龍馬は、海運業に乗り出しました。
1867年4月23日、龍馬たちを乗せたいろは丸は、大量の兵器を乗せて瀬戸内海を長崎から大阪に向かっていました。
天候もよくなく・・・目の前に現れた紀州藩の明光丸!!
衝突してしまったのです。
龍馬たちは明光丸に飛び移って無事でしたが、1/6の大きさの明光丸は大破、沈んでしまったのです。
紀州藩と海援隊は、長崎で話し合います。
紀州藩は御三家の威光でかわせると思っていました。
紀州藩交渉役・三浦休太郎も余裕で出席・・・龍馬は死を覚悟して毅然とした態度で挑みます。
紀州藩側の主張は、長崎奉行の採決にゆだねるべきというものでしたが、龍馬は・・・
「蒸気船同士の事故の前例は日本にはないので、国際法にのっとってするべきだ!!」
とし、明光丸の航海日誌を持ち出し、明光丸側の過失を追求していきます。

想定外のことに紀州藩は、薩摩藩に仲介を求めます。
最終的に、海援隊に賠償金7万両(70億円)を支払うことになりました。
面目をつぶされた紀州藩は、龍馬を恨み、交渉役だった三浦が紀州藩の意を汲んで暗殺を命じたとされていますが・・・
海援隊は、三浦を首謀者とし、12月7日天満屋事件を起こします。
当時も三浦が怪しいと考えられていたようですが・・・
三浦は、海援隊に狙われるのではないか??と思い、新選組に身辺警護をさせていたようです。
そうなると、暗殺依頼も新選組にするのが普通だと思われます。

龍馬暗殺は、賠償金を支払わされたうえ・・・恥の上塗りのような・・・紀州藩にはメリットのない物かと思われます。

③薩摩藩黒幕説
龍馬と西郷の間の不協和音・・・海援隊の問題です。
龍馬が亀山社中を作る際に、西郷は多額の資金援助をし、隊士たちの給金も資金援助していました。
ところが・・・侍商法で上手くいかず、海援隊が薩摩藩の経済的負担となっていたというものです。
もう一つが大政奉還・・・大政奉還を画策していた龍馬と後藤・・・それには討幕の中心にいた薩摩藩の同意が必要だと思っていましたが・・・同意していた西郷でしたが、西郷は慶喜は大政奉還を受けるはずがない!!と思っていました。
裏で、武力による討幕を進めていたのです。
が・・・思いもよらず、慶喜が大政奉還を受け入れたことで、薩摩藩の討幕理由がなくなってしまいました。
さらに、龍馬が作った「新政府綱領八策」の中には・・・
「〇〇〇自ら盟主となりこれをもって朝廷に奉り、はじめて天下万民に公布云々・・・」
これは、〇〇〇をリーダーとして新しい政府を作るというものですが・・・ここに慶喜公が入るのでは・・・??
と思う人もいました。
慶喜を排除しようとする薩摩藩・・・慶喜の復権は裏切り行為・・・??
薩摩藩が龍馬が邪魔になったから・・・??

これのもとは、今井の処遇でした。
新政府の功労者である龍馬を暗殺したにもかかわらず、極刑になることもなく、2年で特赦により自由の身となりました。
これにも西郷が裏で糸を引いていたのでは・・・??と言われています。
しかし、大政奉還後、西郷は龍馬にあっていないので、「新政府綱領八策」のことで薩摩藩が龍馬を暗殺することはない・・・と思われます。

真相はやぶの中・・・

坂本龍馬・・・日本の未来に誰よりも先のビジョンを持っていました。
龍馬の先見性と行動力がなければ日本の未来は変わっていたかもしれません。

やっぱり、幕末の英雄なのです。

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最近更新が遅いのは、忙しいのか??それともな感じですが、頑張って完走したいです。

いよいよ、待ってましたの「池田屋事件」です。
そう、あの「池田屋事件」です。

京都から追放された長州&七卿・・・
萩に戻った晋作は、脱藩の罪で野山獄に繋がれることとなりました。

「突然重役に取り立てられたと思うたら、今度は獄の罪人か・・・ まことに面白い!!」

って、野山獄に繋がれたのは、自分が脱藩したからですよ・・・。

松陰先生と同じ獄の同じ部屋に繋がれて・・・
「先生・・・」
感慨深そうにしている晋作のもとへやってきたのは妻の雅ではなく文。。。
「私に何か力になれることはございませんか?」by文。
それは奥様に言うべきだろう・・・??

文に京都の様子を報告し、玄瑞への手紙を託すのでした。

そこへ、子供ができたと報告に来た雅・・・文・・・どうしてそこに座ってる・・・??
邪魔モンです・・・。


寿・・・美鶴さまに文の新しい家を紹介してもらったとか・・・
新発派と割拠派に分かれていて・・・前回久坂に一杯食わせてやろうと企んでいる椋梨藤太に・・・反対の立場の椋梨家に、よく頼めたものだと思ってしまうのは、私だけでしょうか??
絶対におかしいと思う。。。

京に届いた晋作の手紙・・・
緊急事態に、桂さんは宮部鼎蔵と会ってくるんだって・・・。
って、京都部隊ですが、ほとんど紹介されていないので、何をやっている人なのか分かんないんじゃないかなあ・・・。
ちなみに宮部鼎蔵は、もともと肥後藩士でしたが、七卿落ちと共に一旦長州に行っています。
この頃・・・長州藩士たちと志を同じくする者たちは、脱藩せざるを得なくなり・・・
長州を頼っていたような節があります。
なので、同じような立場の真木和泉(この作品ではいなかったことになっている・・・)なんかも、宮部鼎蔵と同じような立場だったんじゃないかなあ・・・??

お・・・どぶろっくの茶番だ・・・。

池田屋という最高潮に向って話が進むのかと思いきや・・・山口に帰ってくるという玄瑞。。。

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その頃、伊之助は武器商人のグラバーと商談中。
伊之助・・・あまりの活躍ぶりに・・・本当だったのか??勘ぐる私がいます。。。
グラバーと懇意なのは龍馬なのでは・・・??
ま、長州征伐の前だから、諸外国も長州藩にまだ武器を売って良かったのかな・・・??
ちなみに、薩長同盟を締結したのはもちろん討幕で一致したのでしょうが・・・
戦争したくても武器を輸入できなかった長州が、グラバー⇒亀山社中⇒薩摩藩⇒長州藩と、手に入れるためでもあります。

山口に帰ってきた玄瑞は、兵を率いて京に上るという・・・。
ちなみに、玄瑞は戦にはしたくなかった・・・というのに間違いはないようです。
そう、来島又兵衛がひとりで悪者か・・・??
長州藩の汚名を濯ぐために頑張りますよ!!玄瑞!!


京都では・・・八月十八日の政変は、中川宮の仕業であることを稔麿がききつけてきました。
お・・・いよいよ池田屋事件ですか・・・??

宮部鼎蔵も出て来てますが、どうして偉そうにしているのか??
そこまで偉い人物なら、もっと描いて欲しい・・・。
歴史ファン、松陰先生をこよなく愛するビビる大木さんが演じているけど、どう思っているのかなあ・・・??


「宮部殿!!古高俊太郎が新選組に捕えられました!!」
「なにい!!」

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これだけで意味の分かるのは歴史ファンですがもっと説明してほしいの・・・。
おまけに拷問を近藤さんがやってます・・・
駄目ですよ・・・近藤さんは、いい意味でお山の大将でないと!!
そこは歳さんに任せてください。
でも・・・この際、新選組メンバー不在で良いです。。。だって、イメージが・・・


そんな私の憂慮をよそに、池田屋じゃなくって、いなくなってしまった久米次郎を探す文。。。
要らぬ心配でした。
で、なんと、道端で出会った文と玄瑞なのです。
ここで・・・トントンと話が進むわけでもなく・・・ホームドラマが入るのでした。

長州が京都炎上に乗じて天子様を長州へ連れ去る計画・・・もちろん、こちらは新選組側のデマということで話は進んでいきます。
そうか・・・だから、古高俊太郎が白状した風になってないのか・・・。
ま、それが新選組によるねつ造でも、ねつ造なように白状させてくれても良かったのにね。。。

「御用改めである!!」by近藤勇。

ここだけは、よくある新選組に描かれているわ・・・。


でも・・・なんで桂さん居んの・・・??
桂さんは早く来過ぎたから一旦戻ったんじゃ・・・。このままならまさに逃げの小五郎になっちゃいますよ・・・!!

稔麿は、先生に背を向けたから、もう二度と背を向けたくない!!と池田屋に戻っていきます。
そう、男には、死ぬと解っていても戦わない時がある!!

亥の刻の池田屋事件・・・でも・・・どうしてそこに昼間の玄瑞一家の団らんが入る???
と思ったら、九一たちから池田屋事件の結末を聞く羽目になるのです。。。
文と仲良く家族をしている時・・・

「京で一大事が起きました!!」by九一

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こんな感じ・・・と、宮部鼎蔵は自刃、稔麿は・・・と、回想の如く寂しい終わり方。。。

池田屋事件当時、稔麿がもともとどこにいて、どこで誰に殺されたのか、自刃したのか、諸説あってはっきりしていません。
それなら・・・史実が解らない=おにぎり作って頑張る文よろしく、稔麿の死ももっとカッコよく書けたんじゃないかなあと思います。
ほら・・・総ちゃんなら、黒猫を斬ろうとして斬れずに・・・というテッパンがあるでしょう?

hana












そうではなくって、自由にできるからこそ、もっとカッコよく描いて欲しかったのですが・・・。
瀬戸康史君はとっても頑張ってましたよ。


入江一家も兄弟三人で寝て・・・

文を前に語る玄瑞・・・
稔麿を語るも高ぶってきて・・・いきなり
「戦になっても構わん!!」と言い出しました。
来島又兵衛の暴走で治めるんじゃなかったの・・・??
稔麿が死んで泣きじゃくる玄瑞に、涙ひとつこぼさず冷静に判断する文・・・。
稔麿のためにも、理想の国を作ろうなんて話を始めました。

おまけに、家族の夢では、文がおにぎりを握っているのだそうだ・・・。
そんなこんなで、1500人の兵を連れて京に出発する玄瑞でした。

「久坂玄瑞様、行ってらっしゃいませ・・・!!」by文

稔麿・・・可哀想・・・
命を懸けたのに、もっと感情移入してあげたかった・・・というのが本音でした。
そう、殺陣のシーンに回想とか入るの、勢いがなくなってほんとゲンナリします。
テンポが命の殺陣・・・どうしてこうなるかなあ・・・??


そう言えば・・・梅兄も近藤先生やっていましたね。
hana4









私、原田泰造さん、結構好きなんですが・・・
そう、これですよ、これ!!
こちらは龍馬伝での”池田屋事件”!!
今回の池田屋事件を見て思ったのは・・・
大河Fanは、「奇をてらった脚本なんか好きじゃない」ってとこかな??
歴史はそこにあるもので、どうやったって変えることはできません。
だからこそ、みんなのイメージを打ち破ったような脚本はきっと嫌なんです。

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THE 歴史列伝 ~新選組スペシャル~観ました。
今回は、大好きな新選組でした

近藤勇・土方歳三・沖田総司・山南敬助・永倉新八たち・・・有名どころを2時間という短い時間で紹介してくれました。

ゲストは漫画家の黒鉄ヒロシさんと、作家の伊東潤さんでした。

内容はよくある感じのお話・・・というか、2時間でキャラの濃い5人を紹介するのは無理だと思うので、さっとうわべを通った感じがしましたが・・・

rekisi

写真について・・・
ま・・・近藤さん、歳さん、新八っあんはともかく・・・斎藤一(左端)出てました??写真も本人かどうかビミョー。。。

おまけ総ちゃんですが・・・右から2番目・・・ホントに総ちゃん??イメージ画像では??



歴史には、勝者の歴史と敗者の歴史とがあって・・・
私達は薩長の勝者の時代に生きています。
なので、新選組という敗者の歴史は歪曲されている可能性もあって・・・
何が本当で何が本当でないか??
解らない部分がたくさんあります。
で・・・もしかすると、どちらも本当かも知れませんしね。

ただ、史実はどうであれ、ゲストのみなさんの”新選組”に対する愛が感じられました。
それを思った時に、ふと、最近の歴史番組があんまりおもしろくない原因?のようなものが浮かんできました。

最近の歴史関連の番組は、ナビゲーターなる俳優さんが出てきます。
あ・・・この歴史列伝も六平さんですが・・・。
男性、女性・・・私が頭に浮かぶだけでも6人ぐらいいるんです。
でもね、本当に歴史が好きなのかしら??みたいな人もいるでしょう??
なんか興ざめしてしまいます。

もし、ナビゲーターを使うとして挙げるなら・・・
「ザ・プロファイラー」のV6の岡田准一くん・・・”官兵衛”ですね。
あとは、今回の大河ドラマで宮部鼎蔵を演じているビビる大木さんとか・・・
歴史が大好きなんですオーラを目一杯に出していて、子供のように目の輝いている人が良いなあ・・・って思うのです。

それと、ゲストの人数人と対談するのが良いですね。
いろんな方向からの意見があって、目からウロコなお話が聞ける可能性大ですから・・・。
期待を持たせるような?もったいぶったよく判らないVTR流すんだったら、討論してほしい。。。

今回のTHE歴史列伝、新選組への愛がたくさん詰まっていました。
史実を知っている人でも、愛のあるお話を聞くことができたら有意義な2時間になると思うんですよね。

そんな歴史番組、やってくれないかなあ・・・。

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新選組局長近藤勇―士道に殉じたその実像

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1864年6月5日・・・幕末の日本を揺るがす大事件が勃発します。
世にいう池田屋事件です。
新選組の目的は、過激な浪士の放火テロの阻止でした。
激しい戦闘の末に、新選組が鎮圧します。
これによって、局長・近藤勇は京都を大火から救った英雄に・・・新選組の名は天下に轟くのです。
しかし、この騒動で多くの長州人がなくなり・・・長州の恨みを買うことになります。
その後、池田屋事件の抗議に始まり長州藩は京都に兵を進め、軍事衝突が・・・!!
戊辰戦争の終結まで動乱の時代となるのでした。

近藤勇は”剣=武”のイメージが強いですが、自分の言葉をしっかりと人に伝えることのできる”政治家”でした。

そんな近藤勇が育ったのは、江戸郊外にある多摩。
裕福な農家が多く、近藤は農家の三男でした。
15歳で剣術をはじめます。
三男では家を継ぐことができないので、剣で生きていこうとしたのです。
多摩地方は治安維持のために剣術を学ぶものも多く、剣で食べていくことができました。
近藤は道場主の養子となり、28歳で道場を継ぎ、各地を回りました。
東京・町田にある小島家でも剣術を教えていました。
そこには近藤の稽古着が残っています。
背中には、妻に縫わせた髑髏が・・・。

konndou

戦いで倒れ、野に屍をさらすことになる・・・そうなっても構わないという覚悟の現れです。
その頃道場には、新選組の主なメンバーとなる沖田総司・土方歳三などが集まってきていました。
後に近藤と行動を共にした永倉新八は・・・
稽古が終わると、国事を愁い議論を交わしていたそうです。


当時江戸幕府は、欧米列強諸国の圧力に屈し、開国を約束。。。
これに対し、京都では攘夷の命令が下されました。

防衛の最前線である薩摩・長州は単独で攘夷を決行し、幕府に開国撤回を要求します。
幕府は、諸外国と攘夷派の板挟みにあい、政治は混乱を極めました。
当時の日本の若者の多くは、攘夷に傾いていたようです。
じっとしてはいられない!!という雰囲気が、下層・下級武士・郷士に広がっていきました。

自分達の力を生かせないか???と思っていたところにチャンスが回ってきました。
幕府の浪士募集の知らせです。
任務は京都に向かう14代将軍家茂を護衛するという。
将軍の京都行きは、天皇の攘夷命令を直に受けるためのものでした。
この頃京都では、天誅が流行っていました。
治安が乱れていたのです。
要人の暗殺や放火が頻繁に起こり、それを取り締まる役人にも迫ってきました。

近藤たちの心を動かしたのは・・・
「尽忠報国之志」があれば、身分は問わないというところでした。

幕府に召し抱えられるわけではなく、給与も支給されないが、将軍の先駆けとなって攘夷を実行できる!!

京都についた近藤たちは、市中の見回りをしていた会津藩・松平容保のお預かりとなります。
そこで、会津の精鋭部隊の名前である”新選組”を許されるのです。
新選組は期待に応え、不逞浪士たちを取り締まっていきます。
京都市壬生で・・・100人の隊士たちが生活していました。
休んでいる時は隊旗を振り回して遊んでいた隊士たちも、出番となれば覚悟の上で屯所から出ていきました。
無給で命がけで働く新選組・・・しかし、京都の人は決して温かくはありませんでした。
みすぼらしい恰好を、”壬ぼろ”と揶揄し、無礼、暴言もありました。
そんなことは気にしない近藤。。。

京都の老舗の茶屋で行われた幕府や各藩の代表が集まる会合で・・・
近藤は・・・
「長州や薩摩は単独で攘夷を行っているが、徳川将軍の元一つになって攘夷を行うべきである」
と、進言しています。
この主張に誰もが感心したといいます。

あるとき、幕府の閣僚に呼び出された近藤。。。
新選組の隊士全員を、幕府の臣下に取り立てたいという話・・・
しかし、近藤は断ります。
攘夷をなさないうちに給与をもらう身分となってしまったら・・・気が緩む者も出てくると考えたのです。

現実的には攘夷ではなくなっていきます。
薩摩藩が開国に・・・
そして近藤の希望が打ち砕かれた日・・・それは、天皇に呼び出されていた家茂が、攘夷の気概を見せることもなく、近藤たちを残して江戸に帰ってしまったのです。
近藤は、京都に居ても攘夷は出来ないと悟ってしまいました。。。
隊士を結束させていた攘夷という目的を失ってしまったのです。

1864年、近藤は新選組の解散を決意し、上申書を提出します。
京都には攘夷のために来たのであり、果たせないならば解散させてほしい・・・。
池田屋事件の1か月前のことでした。

つまり・・・池田屋事件までは、攘夷をやるために市中警備をやっていたようです。
近藤の攘夷も、長州の攘夷も全く一緒で・・・
違うのは攘夷を行う主体者・・・つまり征夷大将軍である徳川家茂と天皇の違いなのです。
どうして家茂なのか???
近藤勇の出身地・・・多摩が幕府の領地だったことに大きく関係しているでしょう。
天領は税金が安く、農民が豊かでした。
農民でも剣術ができる・・・そして天領の百姓としての自負もあったのです。

京都についたときは1963年2月・・・
この時、天皇に働きかけていたのは長州藩でした。
町の中では、脱藩した過激派浪士が暗殺・放火を行ってる状態でした。
新選組の最初の任務は、この過激派浪士を取り締まることだったのです。
ところが・・・8月18日・・・八・一八の政変によって、長州藩が京都を追放されてしまいました。
長州藩の人間は、京都への立ち入りを禁止されてしまいます。
そこで、長州藩は非合法に藩士を潜伏させ・・・潜伏浪士に暗殺や放火を命じたのです。
新選組の対象は、潜伏志士だったのです。
より過激に・・・より過激に・・・

池田屋事件・・・事件の発端は、この池田屋で放火テロの密談が行われている・・・という疑惑でした。
1964年6月・・・京都に長州藩士が集まってきているという情報が・・・!!
この時期、長州藩士は京都に入ることを許されていませんでした。
手引きをしたのは???
6月5日早朝・・・古高俊太郎を捕縛。
古高の家を捜索すると、武器弾薬がずらり!!
追及するため拷問にかけられる古高。。。
これによって放火を白状します。

”御所に火を放ち、混乱に乗じて天皇を拉致し長州へ”と。。。
300人もの長州藩士が潜伏している???
緊急事態に会津藩に応援を依頼します。
午後7時会津藩が来る前に、単独で出発!!
鴨川を挟んで右と左・・・近藤と土方に分かれての捜索となりました。
午後10時・・・池田屋にたどり着いた近藤。。。
周りに見張りの隊士を置くと、切り込めるのはわずか4人。。。

翌日から祇園祭が・・・近藤の選択肢は???
援軍を待つ?それとも4人ですぐ突入??

腕に覚えのある近藤たち・・・負けるとは思っていなかったようです。

・・・突入します!!

2階には10人以上の浪士たちがいました。
ちゃんちゃんばらばら・・・乱戦になります。
そして、沖田総司が結核による吐血で戦線離脱・・・。
藤堂平助も頭を負傷。
近藤と永倉だけになってしまいました。

と・・・その時、土方隊登場!!
残った浪士たちは観念して降伏したのでした・
翌日まで残党狩りが行われ・・・新選組は朝廷から感謝状が贈られ、近藤勇は英雄となり、新選組の名は天下に轟いたのでした。

まさに命がけの選択だったのです。

しかし・・・攘夷とは違う目的で勝利してしまった近藤・・・違う方向へ流れて行ってしまう??
近藤勇の本心は何処にあったのでしょう。。。

ここで、新選組の方向性が変わってしまいました。
後戻りできない・・・幕府側について、長州と戦う位置に固定されてしまったのです。
近藤勇は、池田屋事件の後は、”攘夷”という言葉を使わなくなります。
もっぱら長州征伐を推すようになるのです。
しかし、これは近藤だけではなく、世の中が攘夷を語れなくなってしまったのです。
天皇自身が諸外国を許してしまったのがこの頃で、そこで攘夷を叫び続けることは、政治家・近藤勇としては非現実的な事だったのです。

その後の日本にはどのような影響を与えたのでしょうか?
池田屋事件の抗議を名目に、長州藩は、京都に兵を進めます。
遂に武力衝突・・・禁門の変が起こります。
新選組は会津藩の精鋭部隊として活躍!!
しかし、3年後・・・薩摩が長州と手を組んだことで形勢は逆転・・・。
王政復古のクーデターで薩長が実権を握ると、幕府を討伐するように命を出します。
これによって幕府は・・・新選組は朝敵・逆賊となったのです。

天皇を味方につけ、最新式の兵器で戦う新政府軍は、次第に幕府軍を追い詰めていきます。
新選組は敗走を続け・・・
池田屋事件が発端となった戦いは、全国各地に飛び火し、事件から5年間続きました。
恨みが重なっていくうえで、池田屋事件が大きなファクターだったことは否めません。

徳川が降伏を決めたあとも、闘い続けます。
しかし・・・千葉県流山市で新政府軍に囲まれてしまいました。
切腹を決意するも、代表として名乗り出ます。

1868年4月26日・・・新政府軍は近藤を斬首・・・。
近藤の首は、京都の三条河原に晒されたのでした。
忠義をつくし、国に報いようとして闘った近藤の罪は天皇に逆らった・・・逆賊の汚名でした。


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