美人画で辿る江戸・吉原の世界 人気絵師が描いた遊女たちの艶姿・日常・悲しき素顔 (別冊宝島) [ 堀江宏樹 ]

価格:1,490円
(2017/9/14 18:37時点)
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江戸幕府公認の遊郭・吉原・・・

ここでトップを張る最上級の遊女が”花魁”です。
彼女たちは、男たちだけでなく、町娘たちの憧れでした。
そのファッションや髪形を真似ました。
外から見ると華やかな世界・・・しかし、その実情は地獄でした。
そんな吉原から抜け出す方法は・・・身請け。
借金を自分で返す・・・年季明け。

江戸時代、吉原で働く遊女たちの殆どは、幼い頃家の借金で売られてきた娘でした。
幕府が人身売買禁止令を出していたので、少女たちは年季奉公という形で吉原にやってきました。
その身を売ることで、借りた金を返しました。
TOPランクの遊女になると、ご祝儀も含めて6両(60万円)ほど稼ぐことができましたが、その大半は店に持っていかれ、高い衣装や装飾品、布団などの日用品はすべて自前・・・
その費用を店から借りるしかなく、借金は減るどころか増える一方でした。

そんな中、年季奉公を終える前に遊女が遊郭を抜け出せるのは・・・身請けでした。
身請け
身請けとは、遊女が背負った借金と年季明けまでに稼ぐ見込みの売り上げを合わせた額を馴染みの客が支払って身元を引き取ることです。
しかし、その金額は莫大で・・・
松葉屋の遊女・浮雲の身請け額は3500万円で、人気のTOP瀬川は高利貸しを営んでいた烏山倹校に1億4000万円で身請けされました。
上手くいけば玉の輿・・・手練手管で手玉に取っていきます。

しかし、本当に客と恋仲になってしまった場合・・・心中
心中
叶わぬ恋に落ち心中・・・しかし、それを店主に見つかった遊女は木に括りつけられて折檻されることも・・・。
度々あった心中です。

もっとも一般的だったのが・・・
年季明け
年季奉公を務めあげることです。
吉原に売られた少女たちは、17歳くらいで客を取らされ、27歳ぐらいまで10年ほど働くと、借金を返したことになり、店から解放されました。
しかし、年季明けまでの10年間は、遊女たちに自由はなく、苦界十年と言われました。

浄閑寺
仕事柄、病気の危険と隣り合わせの遊女たち。
ところが、病気にかかっても治療は受けさせてもらえず、粗末な部屋に隔離か見捨てられることが多かったのです。
瀕死の遊女たちは、吉原の近く南千住の浄閑寺に連れていかれ、亡くなると僅かのお布施で葬られました。
その数、2万人以上・・・。

生まれては苦界 死しては浄閑寺・・・
家の借金のために、身を捧げた少女たちの悲しい末路でした。

年季明けした遊女たちの末路は・・・??
やはり、身を落とした者に行き場はなく、結局そのまま吉原に残るものが多く・・・
元いた店の下働きはまだよく・・・その多くは吉原の敷地の端にある切見世で再び遊女に・・・。
切見世は吉原で最低ランクの店で、狭い路地に並んだ棟割長屋のなかの2畳ほどの空間が、生活の場であり、仕事場でした。
遊女たちは切見世女郎と呼ばれ、線香が消える10分を100文で・・・2000円という安さで身を売りました。
その環境は悲惨で、病気持ちが当たり前、鉄砲女郎(病気を映されて死ぬ危険がある遊女)と言われていました。

しかし、そんな切見世でも吉原に残れるのはいい方で、更なる下層の遊女になる者も・・・。

私娼・・・幕府非公認の遊女のことで、ほとんどが個人営業でした。
比丘尼・・・尼さんの格好をした私娼で、幕府の目を逃れるための変装で、料金は100文~200文でした。
堤重・・・出張形式の私娼で、重箱を手に菓子などを届けるふりをして行きました。
船饅頭・・・船で饅頭を売るふりをして男たちに声をかけました。料金は僅か32文・・・630円でした。
夜鷹・・・夜になると現れる、地面に筵を敷いて商売を・・・480円でした。
改易などで夜鷹に身を落とす武士の妻や娘もあり、また、遊女を娶ることに対して、世間からの偏見はなかったようです。
湯女・・・もともと銭湯に当たる湯屋で、入浴客の垢すりや髪すきをしていました。
やがてサービスがエスカレートし、午後4時ごろに昼の営業が終わると、そこで春を売るようになります。
洗い場には金屏風が立ち、お座敷に様変わり。
三味線片手の湯女が客を待ったといいます。

吉原は後任の遊郭なので運上金も払っていました。
なので、人気の出てきた湯女を摘発。
多い時には、200件も摘発したものの、なくなりません。
1703年元禄地震がありました。
その後は、自然消滅したようです。
働く場所を失くした湯女の末路は・・・吉原に引き取られ、最低ランクの遊女として働かされました。

農家の嫁
違法に働いていた遊女が奥能登に流罪となりました。
使用人のいない貧しい農民は、流人の遊女を妻としても良い・・・
当時、農家を継ぐのは原則として長男でした。
そのため、次男以下は不遇な状況に置かれ、一生結婚できない者も多く、子が増えず地方では人手不足で困っていました。
そこで、改善策として加賀藩は、捕らえた遊女を農家の嫁として斡旋したのです。
労働力の担い手となり、読み書きを教え、子を産み過疎を防いだのです。

明治時代・・・文明開化によって、町が急速に発展!!
遊郭・吉原は・・・??
新政府は、吉原に対して幕府の政策を引き継ぎ踏襲・・・禁止するどころか、営業を許しました。
ところが、そんな新政府の考えを大きく揺るがす事件が・・・
1872年6月、マリア=ルス号事件です。

日本政府は横浜港に停泊していたマリア=ルス号に乗船していた労働者を「奴隷である」として開放を命令しました。
しかし、その裁判の中で、ペルー政府側の弁護士が・・・
「あなたたちは、ペルーの奴隷に反対しているが、日本では遊女という最も酷い女奴隷契約が認められているではないか??」と!!人身売買を痛烈に批判!!
政府は慌てて・・・1872年芸娼解放令を公布。
その内容は、遊女の年季奉公は、実質の人身売買であるから、遊女に課せられた借金はすべて棒引きに・・・と言うものでした。
これによって、遊女屋189軒が廃業。
遊女3448人が解放されました。
しかし、全てが亡くなったわけではなく、遊女屋は貸座敷として営業を続けたのです。

吉原にも近代化の波が・・・。
1881年入り口の大門が鉄製に。
レンガ造りの洋風建築が増えました。
遊女たちの意識も変わり、自由廃業を求める遊女も出てきました。

1900年娼妓取締規則を制定
ようやく自由廃業を公式に認めました。
それでも遊郭は無くなりませんでした。
1926年の時点で、貸座敷2294軒、遊女2057人。

1923年9月1日、関東大震災!!
44万戸以上が焼失し、死者行方不明者10万人以上・・・。
吉原も炎に包まれ甚大な被害が・・・!!
遊女たちだけでなく、そこで働く者たちが、火の手から逃れようと、敷地内の池に飛び込んで490人が溺死したといわれています。

吉原に一人の娘が売られてきました。
群馬県高崎市出身の森光子です。
家が貧しく、父親が残した借金のために吉原の見世「長金花」に売られてきました。
この時19歳。。。
春駒という名を与えられた光子は何もわからないまま花魁として店に出ることに・・・。
同じように店に出ているのは、光子と同じような境遇のものばかりでした。
当時の就職状況は非常に悪く、貧しい家の者は紡績工場、製紙工場で女工として働く者が多かったのです。
そして歓楽街で働く女性も多かったのです。
この頃は・・・「時間遊び」と「全夜遊び」があり、時間遊びの料金は1時間2円、4時間で5~6円でした。
全夜遊びは、午後6時から午前8時までで10円~12円でした。
当時の公務員平均給与が75円の時代・・・その代金すべてが入ることはありませんでした。
光子の日記によれば・・・
63円の日・・・一楼主の取り分・・・47円25銭
残りの15円75銭が自分の取り分となるものの、9円35銭は自分の借金に取られてしまう。。。
手元に残るのは、6円40銭。。。
働いても、自分の稼ぎの10分の1しかもらえず・・・それも生活費となりました。
朝は8時までに客を帰し、自分の部屋の掃除をして休みます。
しかし、1日おきに髪結日なので、ほとんど休む暇はない・・・。
どんなに体が辛くても、夕方4時には起こされ、食事をとり風呂に入り、支度をしました。
そして、遊女仲間とおはじきやトランプをして客を待ったといいます。         

自分の置かれている環境に疑問を抱き始めた光子・・・。
ついに限界が・・・梅毒と肺病と心臓病で、吉原の病院に入院することに・・・。
しかし、そこもまた8畳1間に8人・・・1つの布団に2人ずつ寝る酷い環境でした。
退院しても、身体は本調子ではないのに翌日から客を取らされました。

自害しようとも出来ず、日々を呪っていました。
そんな中、本に出合います。特に気に入っていたのが歌人・柳原白蓮でした。
富豪の夫に三下り半を突き付けて、年下の学生との愛を貫いた前代未聞の女性スキャンダルは世間を騒がせました。
情熱的で勇敢な白蓮にあこがれを抱き、生きる希望を見出していきます。
そのためには、ここから逃げ出さなければ・・・!!

まず、会ったこともない白蓮に手紙を書きました。
自分の身の上を書き綴り、救いを求めたのです。
人生最大で最後の賭け・・・吉原を脱出する方法は・・・??
吉原では、常に誰かに監視されていました。
この時光子には一人になれるチャンスが・・・
退院後、注射を打つために通院していたのです。
最後の注射を打つ日・・・
1926年4月26日、光子は病院に行くと見せかけて吉原を脱出!!
上野から白蓮の家がある目白へ・・・

そして、白蓮の元へ駆け込んだのです。
不安でいっぱいの光子を白蓮は受け入れてくれました。
光子を匿い、これからのことも親身になってくれました。
そのおかげで自由廃業した光子は、結婚して幸せに暮らしたといわれています。

日本で売春防止法が施行されたのは1957年でした。
そして・・・翌年の1958年吉原閉楼。。。
340年続いた不夜城の歴史に幕が下りたのです。



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