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タグ:竹中半兵衛

歴史REAL戦国最強の軍師黒田官兵衛と竹中半兵衛 (洋泉社MOOK 歴史REAL)

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羨望術数渦巻く戦国時代、大きな野望を抱き、下剋上という荒波を乗り越え、遂には天下統一を成し遂げた男・豊臣秀吉。
そんな秀吉には二人の軍師がいました。
一人は、若き日の秀吉を支えた竹中半兵衛。
織田信長が認め、家臣にしたがったほどの逸材!!
もう一人は、その半兵衛の後を継ぎ、秀吉を天下人へと導いた黒田官兵衛です。
天下無双の戦術と巧みな交渉術で次々と敵を落としていきます。
清算帽として名を馳せた半兵衛と官兵衛。
二人の天才軍師・・・最強なのはどちらでしょうか?

美濃国・斎藤家に仕えた竹中半兵衛は、1544年に生まれ、細身で色白女性のような面立ちでした。
性格も温和で女性のようでした。
しかし、軍師・半兵衛は、「敵を制すること神の如し」と、軍師・諸葛孔明に例えられ、”今孔明”と呼ばれていました。
黒田官兵衛は・・・半兵衛よりも年下の1546年生まれ、姫路出身です。
軍師としては、戦国一の切れ者と言われました。

①戦術
竹中半兵衛は、豊臣秀吉に仕える前は、美濃国・斎藤龍興の家臣でした。
龍興に対し、クーデターを起こします。
難攻不落の稲葉山城をわずか17人で、1日で落としてしまいました。
1564年稲葉山城占拠事件です。
半兵衛はどうやって難攻不落の城を落としたのでしょうか?
まず、稲葉山城に詰めていた弟・久作に仮病をさせ、その見舞いの為と見せかけて城に向かいます。
酒と御馳走と偽って、長持ちの中にびっしりと武具を詰め込んで!!
一行は、武具を身に着けるや否や、一気に奇襲!!
龍興の側近ら6人を殺害します。
半兵衛の奇襲に龍興は動揺し、家臣らと共に城から飛び出していきました。
どうして半兵衛はクーデターを起こしたのでしょうか?
斎藤龍興は、政務に関心を示さなかった上に、遊興に溺れていました。
この悪政を見かねてのクーデターだったのです。
電光石火のクーデター・・・半兵衛21歳でした。
これに織田信長が驚きます。
自分が長年攻めあぐねていた稲葉山城をわずか17人で・・・しかも1日で落としてしまった・・・。

「稲葉山城を明け渡すならば、美濃国を半分与えよう」by信長

しかし、半兵衛はこれを拒絶し、半年後、反省した主君・龍興に城を返すのです。

この一件で、半兵衛に惚れこんだ信長は、木下藤吉郎をつかって落とそうとします。
渋る半兵衛のもとに足しげく通う藤吉郎。
どうやって口説き落としたのでしょうか?
と、これは、三国志演義を元にしたお話。。。
信長が美濃・斎藤家を滅ぼした後、斎藤家の家臣を自らの家臣団に迎えています。
この中に一緒に家臣となって、秀吉の与力となっています。
与力とは・・・身分は信長の家臣で、軍事行動の際には、秀吉の一員として戦ったのです。

信長が、天下統一を目指す中、同盟を結んでいた北近江の戦国大名・浅井久政、長政親子が反旗を翻します。
起こった信長は、小谷城を攻撃!!
半兵衛は、秀吉と共に小谷城近くの横山城へ!!
浅井は横山城攻略のために・・・
あたかも別の場所に向かうふりをして横山城を通過、これにつられて出てきたところを迎え討とうというのです。
秀吉は、この策にまんまと引っかかり出撃命令を出してしまいますが・・・
半兵衛はこれを見ぬいていました。
出撃を思いとどまらせ、近くの山中に速やかに兵を配置!!
なかなか兵を出さない秀吉軍に業を煮やした浅井軍は、横山城に接近!!
半兵衛はこれを不意打ちして撃退したのです。
半兵衛のするどい洞察力と起点に救われた秀吉でした。

浅井攻めも大詰め・・・小谷城に・・・!!

「城内にいる御位置を救出せよ!!」by信長

信長の妹であり、浅井長政の正室・お市とその子供たちを救出せよという難題でした。
小谷城は、急峻な山城で、攻め落とすだけでも困難・・・その上、救出とは!!
仮に攻め落とすことができたとしても、お市も自害してしまうかもしれない!!
半兵衛は、情報収集に走ります。
反信長は、父・浅井久政で、長政は仕方がなかったという。
長政とお市は織田に城本丸に、父・久政は小丸に・・・と、離れていました。

そこで半兵衛は、本丸と小丸の間にある京極丸を占拠!!
父・久政を攻撃し、長政のもとへ使いをだしお市を説得!!
追い込まれた浅井親子は自害するものの・・・お市と三人の娘は助け出されました。
情勢を把握し、知略を尽くした半兵衛の見事な戦略でした。


黒田官兵衛は、播磨の小寺政職の家臣でした。
1575年、着々と勢力を伸ばしている織田に付くか、西の大勢力毛利輝元に着くべきか??判断に迫られていました。
割れる意見・・・
小寺家の重臣は、今までのことを考えて毛利に付こうという考えの者が多かった中、官兵衛は・・・
「輝元は凡庸な男、一方信長は向かうところ敵なしで、武名を天下にとどろかせている!!」と、重臣たちを説き伏せました。
播磨が信長に味方することを使者として伝えに行く官兵衛。
秀吉に信長へのとりなしを頼みます。
これが二人の初対面でした。
そして、二人は、毛利の中国地方に攻め入ることになります。

城攻めを得意とした官兵衛。
❶1577年福原城攻め・・・囲師必闕
この時福原城には、毛利方1000の兵が!!
これを知った半兵衛は、三方に兵を置き、一方を空けておきました。
どうして一辺を空けておいたのでしょうか?
「孫氏」の戦術・囲師必闕で、四方を囲むと置き込まれた敵が、予期せぬ力を発揮することがある・・・
死に物狂いでかかってくることを生じさせないために、逃げ道を作っておいたのです。
その逃げ道に密かに兵を置いた官兵衛は、城から逃げてくる敵を一網打尽にしました。
リスクを避けて効率よく相手にダメージを負わせる・・・。
合理的な戦術です。

❷1581年鳥取城攻め・・・渇え殺し
毛利に組した山名豊国の重臣と、毛利からの援軍・吉川経家合わせて2000の兵が鳥取城に籠城!!
経家は兵糧の確保に走りますが、一向に手に入らず苦境に・・・
事前に官兵衛は手を打っていました。
1年前の秋口に、官兵衛が派遣した商人が通常の倍の値段でコメを買い占めていたのです。
農民たちは、鳥取城に治めるはずの備蓄米まで売り払ってしまい・・・城下の米の殆どを手にした官兵衛。。。
そして・・・①城下の村々を焼き払い
      ②領民を鳥取城に逃げ込ませます。
      ③2000人ほどだった城内は倍に!!食料は瞬く間になくなり、多くの人が餓死していきました。
非情な渇え殺し!!
たまらず吉川経家は、鳥取城を明け渡したのでした。

❸1582年備中高松城攻め・・・水攻め
この時、秀吉軍は攻めあぐねていました。
高松城は、湿地帯の中にあり、容易に近づけなかったからです。
大軍では近づけない・・・。
官兵衛が選んだのは水攻めでした。
湿地帯の南側に3キロ(高さ8m・奥行24m)に及ぶ堤防を築きます。
土嚢一つを100文(5000円)で買い取ると農民たちに呼びかけて・・・
数百万個の土嚢が集まって、2週間ほどで完成!!
次に官兵衛は、西にある足守川を堰き止めます。その方法は・・・大量に石を積んだ船を空きなく並べ、一気に船底に穴をあけて沈めました。
梅雨の時期だったこともあって、湿地帯の水位は瞬く間に上昇!!
城主・清水宗治は観念して自害!!
毛利と秀吉との間で講和が結ばれることに・・・!!
官兵衛の場合、極力味方にダメージを与えないような合理的な戦術です。


②交渉術

戦は、必ずしも力のある者が勝つとは限りません。
天候、運、不運・・・も関係している??
戦国時代前期までは、占い、呪術を使う軍師が活躍していました。
戦いによい日時を占ったり、勝利を願う儀式を執り行いました。
しかし、後期になると、兵法に長け、策略や外交交渉もこなせる策士タイプが求められるように!!
豊臣秀吉を支えた竹中半兵衛と黒田官兵衛もこのタイプでした。

半兵衛がその力を発揮したのは、浅井の小谷城攻め!!
信長と秀吉は半兵衛を使って浅井家家臣の寝返り工作を進めさせます。
半兵衛の場合、浅井家にも仕えていたのでは??と言われています。
浅井の家臣・堀秀村、宮部継潤など浅井の家臣を寝返らせています。
戦わずして勝つことを理想とした半兵衛は、事前に敵との交渉し、できるだけ戦を避ける戦術をとったと言われています。
外交交渉だけでなく・・・半兵衛のことを快く思わない秀吉の家臣たちとも交渉を・・・
相手を褒めちぎり、褒めた後にアドバイス!!
秀吉の名前を上手く使いました。


官兵衛の交渉術は・・・
1590年小田原城攻めでは・・・
長期に渡り籠城していた北条氏政、氏直親子を、説得し無血開城していますが・・・。
その交渉術は大胆なものでした。
秀吉軍は小田原城を完全に包囲したものの、なかなか落とせずにいました。
そこで、交渉役として官兵衛を遣わします。
城の中の北条方に、酒・二樽、魚・十尾を差し入れます。
北条家はプライドも高いので、礼を尽くし懐柔しようとしました。
その返礼として鉛玉と火薬が出されました。
この意味は・・・北条の降参ととり、交渉に臨んでいます。
礼装に身を包むと、台頭せずに丸腰で、単身で小田原城に乗り込む官兵衛。
礼を尽くし、説得に当たった官兵衛に対し、北条親子は城を明け渡すことを承諾します。
この官兵衛の働きによって天下人となった秀吉です。


③人間力
二人が秀吉の下で一緒に働いたのは4年間ほどでした。
その頃の二人のエピソードから人間力を推察すると・・・??

官兵衛が秀吉について間もない頃、毛利方の大名を次々と織田方に寝返らせたことで、秀吉から感謝状を受け取り有頂天に!!
得意げに半兵衛に見せると・・・その書状を破り捨てた半兵衛は・・・
「こんなものを残しておいても、そなたの物にはならぬ!!」過去の栄光に縋りつくことを戒めた半兵衛は、手柄をひけらかすことを良しとしない愚直な男でした。

1578年織田信長に仕えていた荒木村重が裏切って毛利についたとき・・・
官兵衛は信長から村重を説得してくるように命じられ、意気揚々と有岡城に入りますが・・・
そこで囚われの身となってしまいます。
いつまでたっても戻ってこない官兵衛に、「村重に続き、官兵衛も裏切ったか!!」と思い込んだ信長は、人質に取っていた息子・松寿丸を殺すように秀吉に命じます。
これに断固反対したのが半兵衛でした。

「人質を殺せば、官兵衛は深く恨み、敵となるでしょう。
 そうなれば、大きな損失となります。」by半兵衛

しかし、この信長の直談判は聞き入れられません。
そこで半兵衛は松寿丸を、美濃国にあった自分の屋敷に匿ったのです。
バレれば自分の命も危ういというのに・・・。
しかし、半兵衛は、官兵衛を信じていました。
出会って数年のふたり・・・半兵衛は、軍師としての官兵衛を高く評価しており、自分が死んだ後、秀吉を支えるのは官兵衛だと思っていました。

1年後、救出された官兵衛は、家臣から半兵衛が息子を匿ってくれていたことを聞くと、半兵衛の懐の大きさに改めて感服し、自分を信じてくれたことに深く感謝しました。


④危機管理能力

乱世の世、危険だらけ??
半兵衛は、高価な馬には乗りませんでした。
それは、いつでも捨てて逃げられるように!!

官兵衛は、??
1582年毛利方の備中高松城を落とした秀吉は、毛利との講和条約を結ぼうとしていました。
が・・・衝撃の知らせが!!
本能寺で信長が光秀に討たれたのです。
焦る官兵衛!!
そもそも、毛利が交渉に応じるのは、急速に勢力を拡大している信長に脅威を感じていたから・・・。
しかも、秀吉軍は、信長軍に加勢すべく集まっていた播磨・備中の諸大名の混成部隊!!
信長が死んだと聞けば、秀吉軍は瓦解する可能性があり、毛利から反撃を受けた場合どうなるか・・・大ピンチでした。
おまけに秀吉は、主君・信長の死で冷静な判断ができない状況でした。
官兵衛はどうしたのか??
秀吉の耳元で・・・
「今こそ、貴殿が天下人となる好機ですぞ!!」by官兵衛

この言葉で我に返った秀吉は、官兵衛にすぐさま毛利との講和条約を結ばせ、明智光秀を討つべく、岡山から猛スピードで200キロを進軍!!
光秀がいた京都・山崎に僅か1週間で到着します。
中国大返しです。
この中国大返しを成し得た裏で、官兵衛が動いていました。

「本能寺で無念の死を迎えた信長公の仇を、秀吉さまが討てば、秀吉さまが天下人となる。
 此度手柄を立てた足軽は侍大将に、侍大将は大名になれるであろう。」by官兵衛

出世欲を刺激された兵たちは走りに走ります。
こうして、空前絶後の大移動が完成したのです。
本能寺の変の時点で、信長の部下がどこにいるのか?それを官兵衛は把握していました。
なので、一早く、秀吉に光秀を撃たせるために!!
信長の死を、秀吉のチャンスに変えたのです。
これがなければ、秀吉は天下をとれなかったかもしれません。


⑤秀吉からの信頼度
軍師・竹中半兵衛最後の戦いは、1578年播磨三木城主・別所長治の三木城攻めでした。
兵糧攻めに出るも、粘る別所軍に思わぬ持久戦に・・・。
長く陣を張り、待つ中で、半兵衛は病に倒れてしまいました。
京都に戻って養生するも、一向に回復せず・・・。
死を悟った半兵衛は・・・
「どうせ死ぬのであれば、戦場で死にたい・・・」
望み通り、戦場に戻ると36歳の若さで亡くなりました。
秀吉はその亡骸に縋りついて泣き崩れたといいます。
病弱だった半兵衛は、私利私欲のない男でした。
いかに敵を攻略するかだけを求めた、生粋の軍師でした。
なので、野心のない半兵衛は、秀吉にとって信頼できる数少ない家臣でした。


中国大返しの後、官兵衛は四国征伐、九州征伐で武功をあげ、秀吉の天下統一に大きく貢献していきます。
しかし、秀吉から与えられたのは・・・豊前12万石の小国でした。
どうして官兵衛の印象は少なかったのでしょうか?

酒の席で・・・
「わしが死んだなら、誰が天下をとると思うか?」by秀吉
家臣らは、徳川家康や前田利家など、有名武将の名をあげたといいます。
すると秀吉は・・・
「官兵衛こそが、天下を取るであろう!!」と言ったと言います。

数々の戦で絶妙の判断・・・多くの信頼を寄せていたものの、あまりの切れ者ぶりにいつしか恐れを抱くようになったのではないか??
天下人の座を官兵衛に奪われるのではないか??
これを伝え聞いた官兵衛は・・・
「某は、恐ろしい者と目されているようだ。」
自分がいると秀吉にお家を潰されてしまうかもしれない・・・と、44歳で隠居。
切れ者過ぎたことで、秀吉に疑念を抱かせてしまった官兵衛でした。

秀吉の軍師、竹中半兵衛と黒田官兵衛・・・どちらが最強でしょうか?
どちらか一人ではなく、二人いたからこそ、秀吉は天下をとれたのです。
 


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<戦国時代の天才軍師>秀吉を支えた二人 竹中半兵衛と黒田官兵衛 (歴史群像デジタルアーカイブス)

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感想(8件)



あ~~~、天下統一最後の敵・後北条もなんだかんだと小田原城を開城させられ・・・
戦乱の世が終わりを告げました。
こんなに早く終わったのは・・・これも官兵衛マジック??

北条氏政は、切腹を言い渡され・・・
その地へ先祖伝来の地・三河を守ってきた徳川が移封されることになるのでした。

そんな三河へやって来た官兵衛。。。

「このたびの関東への移封・・・徳川様には迷惑な話でございましょう。」

「殿下は今、お世継ぎのため、豊臣家の天下を盤石にせんとわき目もふらぬ有様・・・。」

「それが、天下のためになるのであればよろしいのですが。。。
 天下を私する為となれば、お諫めするのが某の役目。。。
 徳川様・・・このたびの国替え、天下のためになるかどうかは徳川様次第。。。」

「天下のため、関東で力を養っておくとしよう。。。
 黒田殿・・・殿下の手綱を頼みますぞ!!」

軍師とタヌキおやじの化かし合いを演じていました。


や~~~、こんなこと、言いに来てたのかどうか怪しいものです。
だいたい新幹線もなければ車もない・・・
徒歩と馬・・・そんな時代にこんなにあっちにこっちに殿が出張っていくのも不思議な感じがしますが。。。
とりあえずは、今後の伏線となっていると思っときます。

天下を統一し、明を征服するという野望を抱くようになった秀吉。。。
たぶんそこには、もう、日本には分け与える領地がない!!ということもあったと思います。
もしかすると、北条を切腹させ、領地を取り上げさせたものその考えがあったからかもしれませんね。

京・聚楽第では・・・
おねと官兵衛と一献・・・って、耳の痛いことを言われるみたい・・・

「天下統一・・・祝着至極に存じまする。。。」by官兵衛。

で・・・やんわりと明に出ていくのを止めようとしております。

「あまりに無謀!!」と。。。
淀殿にご執心のこと、鶴松のこと・・・いろいろ耳の痛いことを言うのも軍師の役目!!と。。。

kan1












そうかもしれないけれど、天下統一を果たしいい気分になっているときに、この言い方。。。
気持ちを逆なでさせるのは目に見えてますよ。。。

おまけに秀長の病状は悪化の一途を辿っているようで・・・利休と官兵衛に後を頼んでいます。
そうなんですよね。。。
何度も言うようですが、秀長がもっと長生きしてくれればね。。。

1590年11月・・・秀吉と朝鮮の使者との謁見が行われました。
取り計ったのは小西行長。
秀吉は、明征服に向けての第一歩のつもりでした。

あ・・・鶴松連れてきました。
この時点で朝鮮の使者は
おまけに鶴松はおもらしし・・・使者たちにはとっても失礼な秀吉・・・まさに、井の中の蛙。。。

しかし・・・朝鮮国は服属の意を表しにきたのではなく、”天下統一の祝いを述べるため”に来てもらえるように行長がお願いしたものでした。
って、これは本当なんだろうか??

ちなみにこの窓口となったのは、対馬の大名、宗義調・義智親子。
秀吉に、「李氏朝鮮の国王を上洛させろ。上洛が遅れた場合は直ちに討伐を開始する」
と脅しのようなことを言われてしまってアタフタ・・・
この親子がどちらにもいい顔をしようとしたためだと言われています。

これから先、小西行長、朝鮮出兵でいいとこなしになっていくのに・・・
このドラマではどうして取り立てられたのかも分かんないほど、武功のひとつもありません。。。

そんなこんなを利休と官兵衛に相談する行長。。。
「お助け下され・・・!!」と言われてもなぁ・・・
な、ふたりですが。。。どうする??官兵衛。。。

官兵衛の小言に飽き飽きしている秀吉。。。
お・・・利休もいるわ。

利休の出した茶碗に文句をいう秀吉。。。
その茶碗は、小田原攻めの際に、秀吉の怒りを買ってなぶり殺しにされた弟子・山上宗二のもの。。。
そして・・・その意図は・・・”殿下をお諫めするため”でした。

「明の征服など。。。無謀にござりまする。
 殿下、ご存知か?
 挑戦は殿下に従う気など毛頭ございませぬ。

 先だっての使者は、天下統一の祝いを述べに参っただけで、明への道案内などするはずがございませぬ。
 朝鮮に兵を送れば、その場で戦になるだけでございます。
 何卒、お考え直し下さい。。。
 戦乱の世は、100年余りも続き、皆、平穏を望んでおります。」by利休

そこまで言うか・・・利休。。。
これって、軍師・利休??

あ・・・三成・・・また、秀吉にいろいろ吹き込んでます。
今回は利休のこと。。。

そして遂に、「大徳寺山門の利休像」の話に。。。

1591年1月22日・・・
秀吉を支え続けて来ていた豊臣秀長がこの世を去りました。
秀吉を諌めることのできる人物だったのに・・・
そして、ここから歯車が崩れ始めます。

蟄居を言い渡される利休・・・。

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「今までの傲慢さを改め、殿下に詫びるというのであれば、某が取り次ぎます」by三成。
この時利休は70歳??30歳そこそこの・・・若造にこんなことを言われて、どんな気分だったのでしょう??

この利休は、官兵衛は軍師なので、朝鮮出兵に必要な人物・・・なので、自分が命を懸けて諌める役を引き受けた・・・みたいになっていますが。。。

秀吉も百姓から成り上がったように、堺の商家(魚屋)に生まれた利休も、ある意味天下を取ったお人なので、傲慢になってもしかるべきって感じもします。
秀吉は、自分と同じにおいを感じていたのかもしれませんね。

そんな商家に生まれた利休が、見事に切腹をしたのもスゴイというか・・・ある意味武士道??いえいえ、茶道を貫いたってことになるんでしょうね。。。kan2













政所、官兵衛・・・ふたりの想いも虚しく・・・利休切腹。。。

2月28日・・・切腹を命じられた利休。。。
「茶の支度ができております。。。」

使者に茶を振る舞っての見事な切腹でした。

そんな利休をも晒し首にしようとは・・・やっぱり殿下は変わってしまったのでしょう。
賜死の一因ともされる大徳寺三門上の木像に踏ませる形でさらされたといいます。

利休の願いも虚しく・・・届きませんでした。

そんな横暴に災いか??
鶴松が病気に・・・。しかし、秀吉の願いも虚しく、鶴松は3歳でこの世を去ったのです。
あ~、この三成、何考えてんのか全く分らん。。。

で・・・秀吉崩壊・・・!!
そうですよね・・・わが子を亡くした気持ち・・・光は解るって言ってるけど、そんなの偽善者だと思う。。。
だって子供を亡くしたことがないんだから。。。
私はひねくれているのか、自分の経験していない辛いことを・・・そんなことを簡単に”わかる”と言ったり、台詞にするのは嫌い。。。

う~ん。。。秀吉が変わってしまったのは、鶴松が生まれたせい・・・で、一本化してしまってますが・・・
やっぱり傲慢になってもいいんじゃないかと思うんです。
誰もやったことのない天下統一を果たしたんだから。。。
やっぱりブレーンがしっかりしていなかったということが最大の弱点だったんですよね。
そう、秀長の死から利休の死まで1か月半・・・
まさに両腕をもがれてしまった秀吉なのです。。。

で・・・その目を朝鮮出兵へと移すのでした。。。
朝鮮をはじめ、家臣みんながとばっちり。
でも、信長も、天下統一を果たせば、海外へ進出していたと思われます。
このあと、伊達政宗も慶長遣欧使節をスペインに送っているしね。

会議にて・・・
官兵衛は肥前に城を作れと命令されます。
朝鮮出兵の用意が始まったのです。
ま・・・朝鮮出兵の準備は、九州遠征のときに始まっていますから、そんなに驚くことないんじゃないかと思います。

「無謀・・・無謀・・・!!無謀!!」by官兵衛

三成に船を作ることを命じる秀吉。。。
船と兵糧を用意させるのでした。
ま、これはとってもベストな選択です。
三成の物資調達能力は、ずば抜けたものがありました。
そう、朝鮮出兵後のみんなの褒美もろもろの時に、加藤清正や福島正則は戦っているので、武断派は武功を武器に文句を言いますが、その時の三成の物資調達にはすんごい苦労があったらしく・・・
清正、正則が戦えたのは、三成の物資があったからなので・・・
ここに豊臣政権のもう一つ大きなヒビが配流原因となってしまうのです。

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怒りを何処に持っていっていいのか解らないほど怒り心頭・官兵衛です。


kan4










そんな朝鮮出兵に選んだ城・・・その場所は名護屋・・・!!
名護屋からは壱岐が見え・・・対馬・朝鮮へと繋がっていました。

「我らが支えねば・・・!!
 黒田が支えねば・・・!!この国が滅びてしまう・・・!!」

???

黒田の立ち位置って???

とも思えちゃうほどのこっちもある意味傲慢??

いよいよ朝鮮出兵に入ってきました。
軍師・官兵衛と言いながら、戦のシーンをことごとく避けてきた今回の大河ドラマ・・・。
なら、朝鮮出兵はどないすんねん??

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秀吉の軍師として有名な竹中半兵衛。
はじめは美濃国の斉藤家に仕えていました。
1564年、半兵衛は突然、斎藤龍興の稲葉山城を占拠してしまいました。
理由は藩主が不甲斐なかったから???とも言われています。
目を覚ましてくれた藩主に、半年後城を返します。
その後、近江の浅井長政に仕えます。

1567年に信長が美濃を平定。
半兵衛は、信長の与力として羽柴秀吉に仕えるようになります。
秀吉の智将として各地を転戦し・・・しかし、播磨国・・・三木城攻囲の陣中で、病死してしまうのでした。

そんな半兵衛の晩年・・・
敵方の有岡城の牢に幽閉されてしまった黒田官兵衛。。。

信長は、官兵衛が寝返ったと疑い、官兵衛の嫡男で人質となっていた松寿丸を殺すように秀吉に命じました。
半兵衛はこの時、「官兵衛に二心なき」と、信じて密かに松寿丸を匿ったのでした。

後に官兵衛の疑いが晴れて釈放された時、信長は半兵衛の計らいによって問い違いを犯さずに済んだと深く感謝したそうです。

半兵衛が病没した時、息子の重門はわずか7歳。。。
重門は元服後、秀吉に仕えます。
1588年4月の聚楽行幸の際は、従五位下丹後守に叙任され、諸太夫に列せられました。

翌年美濃不破郡で5000石、さらに1594年には河内の大方郡・安宿郡で1000石加増され、6000石を知行しました。

文禄・慶長の役は、幼少のため参加が許されませんでしたが、関ヶ原の合戦でははじめ西軍に属していました。
しかし、岐阜城落城後、東軍に加わるように説得したのが黒田長政・・・かつて半兵衛に助けられた松寿丸だったのです。

重門は、合戦で西軍が敗北後、小西行長を捕え、その身柄を家康に引き渡した功により、竹中家は領地を安堵されました。

その後、子孫たちも徳川家の旗本として、明治維新まで存続しました。
そして、両家の信仰も、末永く続いたといいます。

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え~??
「半兵衛の遺言」なの???
「過酷・・・荒木一族の運命」とかじゃなくって???
半兵衛とだし・・・キーマンなふたりなのに、何も同じ回で死ななくってもいいのになあ・・・
そう言えば、前にもこんなつめこみがあったような気がする~

天正7年11月・・・
有岡城落城・・・官兵衛は、家臣たちの手で救出されました。

髪も髭もキリスト状態の官兵衛・・・
助け出されたものの、まさに虫の息。。。

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その頃有岡城では・・・
織田に捕えられ・・・荒木の者は、京へと連行されるのでした。

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そして官兵衛が生きているとの知らせは、秀吉にも・・・
一刻も早く信長にも伝えなければ・・・。

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「黒田官兵衛、決して裏切ってはおりませぬ!!
 何とぞ官兵衛のことをお許し願いたい・・・」by秀吉

って何を許すの・・・??

kan4












そして、なんと粋な計らい・・・松寿丸との再会。。。

官兵衛が生きていたことに”あっちゃー”と思っていた信長。。。
そう、あの信長様が・・・
『信長公記』によると、官兵衛の生還を知った信長は、思わず嘆息
「官兵衛にあわせる顔がない・・・」と呟いたといわれています

ホント、人たらし、上手いわ・・・秀吉。

「半兵衛め・・・わしを謀ったな。。。
 さすが稀代の軍師、死してなおこの信長を手玉にとったか・・・
 官兵衛・・・許せ・・・」

と、労うために有馬温泉で治療に励むように指示したのでした。
さすが、後ろめたさMax・・・。
療養してもなおPTSDに悩まされる官兵衛・・・
殿の体が元に戻らない場合は、手と足となって戦う覚悟をする家臣たち。。。
やっぱり命を賭ける男同士は信頼が一番よね。

12月13日・・・信長による前代未聞の成敗が行われました。
見せしめとして・・・荒木一族とその重臣を捕え、尼崎で・・・家臣の妻ら122名を磔串刺し、銃殺刑。。。
残った500名を家4軒に押し込めて火を放ったのでした。
そう、尼崎・・・でやった・・・村重に対する怒りが・・・尋常ではない怒りが爆発した信長なのでした。

さらに16日。。。
女子供であるにもかかわらず、妻子36名を京都市中を引き回しの上、六条河原で斬首刑に処します。
そこには気高きだしの姿もありました。
一族郎党は、草の根分けてでも、根絶やしにする!!

『信長公記』にはだしのことを・・・
処刑に際し、車より降りる時には、帯を締め直し髪も高々と結い直し、
小袖の襟を押しのけて、尋常に斬られた。
見物の衆人はその立派な死に際を褒め称えた。。。とあります。

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荒木だしをはじめ一族の最期でした。

尼崎城を捨てて逃げ出した村重の行方は、ようとしてわからなかった・・・
と、ナレーションしていますが。。。

花隈城に移り、最後の抵抗を試みたようです。
が・・・既に一族を見殺しにした彼に味方する者など殆どなく・・・
結局彼は毛利を頼って落ち延びていったと思われます。

で・・・一人生き延びる村重なのです。。。
ホント、戦国武将の妻として立派な最期を遂げたのにね・・・だしは。。。

ところで・・・有馬温泉で療養しても一向に治らない官兵衛・・・。
「もうや~めた・・・!!」
と、リハビリも投げ出しがち。。。
そんな官兵衛に右近からの死者が・・・それは、だしの処刑でした。。。

で・・・官兵衛はやっぱりPTSDに悩まされていました。

そんな折、一足早く、九郎右衛門が松寿丸と姫路に帰るという。。。

その松寿丸からやる気のないパパ兵衛にプレゼントが・・・!!

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なんと、それは・・・
半兵衛の軍配だったのです。

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自分の命が長くないことを知っていた半兵衛・・・
受け継ぐ軍師は官兵衛しかいないと思っていました。
つまり、松寿丸を助けたのも、人情・・・といってはそれで終わりですが、軍略的にもmastな選択でした。

もし松寿を殺していたなら・・・
官兵衛が生きていたとして、

①信長への怒りがMax
②姫路が混乱する
③稀代の軍師・半兵衛の認めた男が敵にまわる・・・

と、いいこと全くなし

自分の命がもう長くないと思っていた半兵衛は、今までも官兵衛を軍師にするように教えてきました。
自分の後を継げる男は官兵衛しかいない!!と思っていたのに、松寿を殺すことで官兵衛を失ってしまうのです。

ということで、女の私としては”年端もいかない子供が殺されるのは可哀想・・・”・・・誰だって、殺されたら可哀想か・・・
ですが、”大仕事”という意味でも、完璧な作戦でした。
今後の官兵衛の働き・・・中国大返しも見えてきましたよ。

ホント、この軍配の件、カッコいいです。
稀代の軍師の・・・自分の命である軍配を受け継いだ官兵衛、身の引き締まる思いだったでしょう。

お仕事しよう~!!と、姫路城に戻った官兵衛・・・

「皆も知ってのとおり、わしは以前のようには動けぬ。。。」

「殿!!我らにお任せくださりませ!!」by家臣団。
あ~、ここもいいですね。。。少年漫画的で。
今まで敵を信用して策略にはまっていた官兵衛ですが・・・
当時は”どれだけ寝返らせることができるか!!”ということが、最大の軍略だったといいます。
つまり、”信用に足る男か”ということが必要なんだそうです。
なので、”信頼されていること”が第一だったみたい。


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ひとり・・・半兵衛のお墓参りをする官兵衛・・・
感慨深げに何を思う???

お???官兵衛、何だか顔が違うよ。
ひとまわり大きな男になって帰ってきましたね。
なんだか軍師の顔になってきました。
今までのあまちゃん官兵衛は、ここに来るまでに布石だったのでしょうか?
土牢に入ってからの官兵衛、鬼気迫るものがあります。

ジャニーズもびっくりです。
ホント、いい俳優さんになりましたね。

これからの官兵衛、楽しみになってきました。


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天正7年(1579年)4月。

官兵衛が有岡城に幽閉されて・・・半年が過ぎました。
九郎右衛門が殿を助け出すための諜報活動実施中・・・
ガンバレ~~~!!

kan












牢の外で殿を励ます善助・・・!!
ここにいる牢番は良い人で、知りながら大目に見てくれていた・・・とも言われています。

村重にしてみれば・・・謀反を起こしたのに毛利は助けにも来ず、半年間もほったらかし・・・

kan2












精神的にもずいぶんまいっているようです。
疑心暗鬼から、誰が敵で誰が味方なのか???

おまけにだしは、官兵衛に食料を運んでいます。。。

だから疑心暗鬼なの???


自分の命を悟った半兵衛は・・・最後の戦いに出陣します。
その前に・・・松寿丸に軍配を渡します。。。

kan3












「この軍配を、官兵衛に・・・」

あ~、良いですね
少年マンガ的です。

が・・・こんなにサラッといいのか???
ま、半兵衛自身が、熱い・・・動というよりも、静って感じがするので、これでいいのか???
個人的には、もっとグッとくるものにしてほしかったんですけどね。。。

中川清秀、高山右近を寝返らせた信長・・・次の相手は宇喜多直家・・・
一筋縄ではいかない男です。
この男を寝返らせることができたなら・・・!!
と、野望を話す半兵衛でしたが・・・

36歳という若さで亡くなってしまいました。

「これからは・・・何事も官兵衛に御頼り下さい・・・
 面白うございました。。。天下を。。。」by半兵衛。

稀代の軍師・竹中半兵衛。。。あとを官兵衛に任せて。


あ~、感動してたんですけどね。。。
言っちゃって良かったんですか???
”天下を”って!!
それは官兵衛が言うからドラマとして成り立つのでは・・・??
半兵衛が言ったら、二番煎じになっちゃうじゃないの
ま、今まで官兵衛<半兵衛的な要素がたっぷりでしたが、これ言っちゃうと駄目でしょう・・・。


で・・・
宇喜多直家も、酒も女も進まないよう・・・

「八郎の元服まで持たんかもしれん。。。」

kan4












死期を悟り、子供のために信長に下るらしいですよ。。。
大魔王っぷりが良かったのですが、やはり人の子の親だったんですね。
本領安堵もしてほしいみたいよ。
って、血も流さずに、一番美味しいじゃん・・・!!


で・・・村重は、毛利輝元の”土産”を選んでいました。
土産は・・・茶器。
囲まれているのに船で尼崎城へ行くという。。。
あ・・・なんか思い出しました。
そう、慶喜もやってましたよ。同じようなこと。

ま、この人の場合、毛利と手を結んだので、直後に謀反を起こさなければいけなかったし・・・
つまり、振り上げたこぶしを何処に下ろしたらいいのかわからないまま、ここまで来たような感じがします。

そう、高山右近はキリスト教徒を人質にとられただけでも寝返る理由になるし・・・
そういう意味では村重に、悪い要素ばかりがへばりついてます。
ま、最後は人、急に成り上がってしまったので、譜代がいなかったことなんでしょうね。
あとは、一向宗かな?
だしは、池田勝正の娘や本願寺坊官の娘とも言われています。
このドラマでは、だしはキリスト教徒キリスト教徒していますが、やはり、家臣もだしの周りの人間も、石山本願寺の色が濃かったのでしょう。
ってことは、信長に負けたのではなくって、やっぱり本願寺が最強だったのかしら???

9月2日夜。。。
遂に、密かに城を抜け出して尼崎城へ・・・!!

「速やかに降伏を承知すれば城の者の命は助ける」という信長。

荒木久左衛門が殿(村重)の説得に向かいます。

「降伏はせぬ!!」

と、会いもせずに追い返してしまいました。

信長に負けない手立てを考えたとか・・・

「何があろうとも、生きて生きて生き抜いてやる・・・!!」

おまけに、久左衛門以下家臣たちは、殿が応じてくれないのでトンズラし始めました。

いよいよ有岡城に・・・織田の総攻めが始まります。

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赤子を預けて・・・
決心するだし。。。
そう、ここから有岡城・荒木一族の悲劇が・・・!!

混乱に乗じて助けに入る善助たち。

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「殿、殿・・・!!」

あ~、やっぱり人ね。
人が人を動かすのね。


村重のフォローになりますが・・・
村重の治めていた摂津では、一向宗を信じるものも少なくなく・・・高山右近を使って、キリシタンに改宗させることが、一向宗の一枚岩を砕く手立てと思っていたかもしれません。

家臣の中にも一向宗の者も少なくなく・・・
石山本願寺との戦いは、敵味方に分かれて一族や兄弟が戦う悲劇となっていたようです。

信長の敵は石山本願寺、信長の敵となった村重。
敵の敵は友。。。ということで・・・この時点で石山本願寺とも一緒に戦っていた可能性もあり。。。
村重一人の意見で、降伏は望めなかったのかもしれません


毛利にも見放され・・・毛利の説得に向かうために尼崎城に行ったものの・・・
毛利にたどり着くまでには播磨を通らなければなりません。
しかし、官兵衛にあんな仕打ちをしているので、先にも進めない。。。

にっちもさっちも行かなくなった哀れな村重が伺えます。

石山本願寺最強~


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