日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:織田信長

歴史REAL戦国最強の軍師黒田官兵衛と竹中半兵衛 (洋泉社MOOK 歴史REAL)

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羨望術数渦巻く戦国時代、大きな野望を抱き、下剋上という荒波を乗り越え、遂には天下統一を成し遂げた男・豊臣秀吉。
そんな秀吉には二人の軍師がいました。
一人は、若き日の秀吉を支えた竹中半兵衛。
織田信長が認め、家臣にしたがったほどの逸材!!
もう一人は、その半兵衛の後を継ぎ、秀吉を天下人へと導いた黒田官兵衛です。
天下無双の戦術と巧みな交渉術で次々と敵を落としていきます。
清算帽として名を馳せた半兵衛と官兵衛。
二人の天才軍師・・・最強なのはどちらでしょうか?

美濃国・斎藤家に仕えた竹中半兵衛は、1544年に生まれ、細身で色白女性のような面立ちでした。
性格も温和で女性のようでした。
しかし、軍師・半兵衛は、「敵を制すること神の如し」と、軍師・諸葛孔明に例えられ、”今孔明”と呼ばれていました。
黒田官兵衛は・・・半兵衛よりも年下の1546年生まれ、姫路出身です。
軍師としては、戦国一の切れ者と言われました。

①戦術
竹中半兵衛は、豊臣秀吉に仕える前は、美濃国・斎藤龍興の家臣でした。
龍興に対し、クーデターを起こします。
難攻不落の稲葉山城をわずか17人で、1日で落としてしまいました。
1564年稲葉山城占拠事件です。
半兵衛はどうやって難攻不落の城を落としたのでしょうか?
まず、稲葉山城に詰めていた弟・久作に仮病をさせ、その見舞いの為と見せかけて城に向かいます。
酒と御馳走と偽って、長持ちの中にびっしりと武具を詰め込んで!!
一行は、武具を身に着けるや否や、一気に奇襲!!
龍興の側近ら6人を殺害します。
半兵衛の奇襲に龍興は動揺し、家臣らと共に城から飛び出していきました。
どうして半兵衛はクーデターを起こしたのでしょうか?
斎藤龍興は、政務に関心を示さなかった上に、遊興に溺れていました。
この悪政を見かねてのクーデターだったのです。
電光石火のクーデター・・・半兵衛21歳でした。
これに織田信長が驚きます。
自分が長年攻めあぐねていた稲葉山城をわずか17人で・・・しかも1日で落としてしまった・・・。

「稲葉山城を明け渡すならば、美濃国を半分与えよう」by信長

しかし、半兵衛はこれを拒絶し、半年後、反省した主君・龍興に城を返すのです。

この一件で、半兵衛に惚れこんだ信長は、木下藤吉郎をつかって落とそうとします。
渋る半兵衛のもとに足しげく通う藤吉郎。
どうやって口説き落としたのでしょうか?
と、これは、三国志演義を元にしたお話。。。
信長が美濃・斎藤家を滅ぼした後、斎藤家の家臣を自らの家臣団に迎えています。
この中に一緒に家臣となって、秀吉の与力となっています。
与力とは・・・身分は信長の家臣で、軍事行動の際には、秀吉の一員として戦ったのです。

信長が、天下統一を目指す中、同盟を結んでいた北近江の戦国大名・浅井久政、長政親子が反旗を翻します。
起こった信長は、小谷城を攻撃!!
半兵衛は、秀吉と共に小谷城近くの横山城へ!!
浅井は横山城攻略のために・・・
あたかも別の場所に向かうふりをして横山城を通過、これにつられて出てきたところを迎え討とうというのです。
秀吉は、この策にまんまと引っかかり出撃命令を出してしまいますが・・・
半兵衛はこれを見ぬいていました。
出撃を思いとどまらせ、近くの山中に速やかに兵を配置!!
なかなか兵を出さない秀吉軍に業を煮やした浅井軍は、横山城に接近!!
半兵衛はこれを不意打ちして撃退したのです。
半兵衛のするどい洞察力と起点に救われた秀吉でした。

浅井攻めも大詰め・・・小谷城に・・・!!

「城内にいる御位置を救出せよ!!」by信長

信長の妹であり、浅井長政の正室・お市とその子供たちを救出せよという難題でした。
小谷城は、急峻な山城で、攻め落とすだけでも困難・・・その上、救出とは!!
仮に攻め落とすことができたとしても、お市も自害してしまうかもしれない!!
半兵衛は、情報収集に走ります。
反信長は、父・浅井久政で、長政は仕方がなかったという。
長政とお市は織田に城本丸に、父・久政は小丸に・・・と、離れていました。

そこで半兵衛は、本丸と小丸の間にある京極丸を占拠!!
父・久政を攻撃し、長政のもとへ使いをだしお市を説得!!
追い込まれた浅井親子は自害するものの・・・お市と三人の娘は助け出されました。
情勢を把握し、知略を尽くした半兵衛の見事な戦略でした。


黒田官兵衛は、播磨の小寺政職の家臣でした。
1575年、着々と勢力を伸ばしている織田に付くか、西の大勢力毛利輝元に着くべきか??判断に迫られていました。
割れる意見・・・
小寺家の重臣は、今までのことを考えて毛利に付こうという考えの者が多かった中、官兵衛は・・・
「輝元は凡庸な男、一方信長は向かうところ敵なしで、武名を天下にとどろかせている!!」と、重臣たちを説き伏せました。
播磨が信長に味方することを使者として伝えに行く官兵衛。
秀吉に信長へのとりなしを頼みます。
これが二人の初対面でした。
そして、二人は、毛利の中国地方に攻め入ることになります。

城攻めを得意とした官兵衛。
❶1577年福原城攻め・・・囲師必闕
この時福原城には、毛利方1000の兵が!!
これを知った半兵衛は、三方に兵を置き、一方を空けておきました。
どうして一辺を空けておいたのでしょうか?
「孫氏」の戦術・囲師必闕で、四方を囲むと置き込まれた敵が、予期せぬ力を発揮することがある・・・
死に物狂いでかかってくることを生じさせないために、逃げ道を作っておいたのです。
その逃げ道に密かに兵を置いた官兵衛は、城から逃げてくる敵を一網打尽にしました。
リスクを避けて効率よく相手にダメージを負わせる・・・。
合理的な戦術です。

❷1581年鳥取城攻め・・・渇え殺し
毛利に組した山名豊国の重臣と、毛利からの援軍・吉川経家合わせて2000の兵が鳥取城に籠城!!
経家は兵糧の確保に走りますが、一向に手に入らず苦境に・・・
事前に官兵衛は手を打っていました。
1年前の秋口に、官兵衛が派遣した商人が通常の倍の値段でコメを買い占めていたのです。
農民たちは、鳥取城に治めるはずの備蓄米まで売り払ってしまい・・・城下の米の殆どを手にした官兵衛。。。
そして・・・①城下の村々を焼き払い
      ②領民を鳥取城に逃げ込ませます。
      ③2000人ほどだった城内は倍に!!食料は瞬く間になくなり、多くの人が餓死していきました。
非情な渇え殺し!!
たまらず吉川経家は、鳥取城を明け渡したのでした。

❸1582年備中高松城攻め・・・水攻め
この時、秀吉軍は攻めあぐねていました。
高松城は、湿地帯の中にあり、容易に近づけなかったからです。
大軍では近づけない・・・。
官兵衛が選んだのは水攻めでした。
湿地帯の南側に3キロ(高さ8m・奥行24m)に及ぶ堤防を築きます。
土嚢一つを100文(5000円)で買い取ると農民たちに呼びかけて・・・
数百万個の土嚢が集まって、2週間ほどで完成!!
次に官兵衛は、西にある足守川を堰き止めます。その方法は・・・大量に石を積んだ船を空きなく並べ、一気に船底に穴をあけて沈めました。
梅雨の時期だったこともあって、湿地帯の水位は瞬く間に上昇!!
城主・清水宗治は観念して自害!!
毛利と秀吉との間で講和が結ばれることに・・・!!
官兵衛の場合、極力味方にダメージを与えないような合理的な戦術です。


②交渉術

戦は、必ずしも力のある者が勝つとは限りません。
天候、運、不運・・・も関係している??
戦国時代前期までは、占い、呪術を使う軍師が活躍していました。
戦いによい日時を占ったり、勝利を願う儀式を執り行いました。
しかし、後期になると、兵法に長け、策略や外交交渉もこなせる策士タイプが求められるように!!
豊臣秀吉を支えた竹中半兵衛と黒田官兵衛もこのタイプでした。

半兵衛がその力を発揮したのは、浅井の小谷城攻め!!
信長と秀吉は半兵衛を使って浅井家家臣の寝返り工作を進めさせます。
半兵衛の場合、浅井家にも仕えていたのでは??と言われています。
浅井の家臣・堀秀村、宮部継潤など浅井の家臣を寝返らせています。
戦わずして勝つことを理想とした半兵衛は、事前に敵との交渉し、できるだけ戦を避ける戦術をとったと言われています。
外交交渉だけでなく・・・半兵衛のことを快く思わない秀吉の家臣たちとも交渉を・・・
相手を褒めちぎり、褒めた後にアドバイス!!
秀吉の名前を上手く使いました。


官兵衛の交渉術は・・・
1590年小田原城攻めでは・・・
長期に渡り籠城していた北条氏政、氏直親子を、説得し無血開城していますが・・・。
その交渉術は大胆なものでした。
秀吉軍は小田原城を完全に包囲したものの、なかなか落とせずにいました。
そこで、交渉役として官兵衛を遣わします。
城の中の北条方に、酒・二樽、魚・十尾を差し入れます。
北条家はプライドも高いので、礼を尽くし懐柔しようとしました。
その返礼として鉛玉と火薬が出されました。
この意味は・・・北条の降参ととり、交渉に臨んでいます。
礼装に身を包むと、台頭せずに丸腰で、単身で小田原城に乗り込む官兵衛。
礼を尽くし、説得に当たった官兵衛に対し、北条親子は城を明け渡すことを承諾します。
この官兵衛の働きによって天下人となった秀吉です。


③人間力
二人が秀吉の下で一緒に働いたのは4年間ほどでした。
その頃の二人のエピソードから人間力を推察すると・・・??

官兵衛が秀吉について間もない頃、毛利方の大名を次々と織田方に寝返らせたことで、秀吉から感謝状を受け取り有頂天に!!
得意げに半兵衛に見せると・・・その書状を破り捨てた半兵衛は・・・
「こんなものを残しておいても、そなたの物にはならぬ!!」過去の栄光に縋りつくことを戒めた半兵衛は、手柄をひけらかすことを良しとしない愚直な男でした。

1578年織田信長に仕えていた荒木村重が裏切って毛利についたとき・・・
官兵衛は信長から村重を説得してくるように命じられ、意気揚々と有岡城に入りますが・・・
そこで囚われの身となってしまいます。
いつまでたっても戻ってこない官兵衛に、「村重に続き、官兵衛も裏切ったか!!」と思い込んだ信長は、人質に取っていた息子・松寿丸を殺すように秀吉に命じます。
これに断固反対したのが半兵衛でした。

「人質を殺せば、官兵衛は深く恨み、敵となるでしょう。
 そうなれば、大きな損失となります。」by半兵衛

しかし、この信長の直談判は聞き入れられません。
そこで半兵衛は松寿丸を、美濃国にあった自分の屋敷に匿ったのです。
バレれば自分の命も危ういというのに・・・。
しかし、半兵衛は、官兵衛を信じていました。
出会って数年のふたり・・・半兵衛は、軍師としての官兵衛を高く評価しており、自分が死んだ後、秀吉を支えるのは官兵衛だと思っていました。

1年後、救出された官兵衛は、家臣から半兵衛が息子を匿ってくれていたことを聞くと、半兵衛の懐の大きさに改めて感服し、自分を信じてくれたことに深く感謝しました。


④危機管理能力

乱世の世、危険だらけ??
半兵衛は、高価な馬には乗りませんでした。
それは、いつでも捨てて逃げられるように!!

官兵衛は、??
1582年毛利方の備中高松城を落とした秀吉は、毛利との講和条約を結ぼうとしていました。
が・・・衝撃の知らせが!!
本能寺で信長が光秀に討たれたのです。
焦る官兵衛!!
そもそも、毛利が交渉に応じるのは、急速に勢力を拡大している信長に脅威を感じていたから・・・。
しかも、秀吉軍は、信長軍に加勢すべく集まっていた播磨・備中の諸大名の混成部隊!!
信長が死んだと聞けば、秀吉軍は瓦解する可能性があり、毛利から反撃を受けた場合どうなるか・・・大ピンチでした。
おまけに秀吉は、主君・信長の死で冷静な判断ができない状況でした。
官兵衛はどうしたのか??
秀吉の耳元で・・・
「今こそ、貴殿が天下人となる好機ですぞ!!」by官兵衛

この言葉で我に返った秀吉は、官兵衛にすぐさま毛利との講和条約を結ばせ、明智光秀を討つべく、岡山から猛スピードで200キロを進軍!!
光秀がいた京都・山崎に僅か1週間で到着します。
中国大返しです。
この中国大返しを成し得た裏で、官兵衛が動いていました。

「本能寺で無念の死を迎えた信長公の仇を、秀吉さまが討てば、秀吉さまが天下人となる。
 此度手柄を立てた足軽は侍大将に、侍大将は大名になれるであろう。」by官兵衛

出世欲を刺激された兵たちは走りに走ります。
こうして、空前絶後の大移動が完成したのです。
本能寺の変の時点で、信長の部下がどこにいるのか?それを官兵衛は把握していました。
なので、一早く、秀吉に光秀を撃たせるために!!
信長の死を、秀吉のチャンスに変えたのです。
これがなければ、秀吉は天下をとれなかったかもしれません。


⑤秀吉からの信頼度
軍師・竹中半兵衛最後の戦いは、1578年播磨三木城主・別所長治の三木城攻めでした。
兵糧攻めに出るも、粘る別所軍に思わぬ持久戦に・・・。
長く陣を張り、待つ中で、半兵衛は病に倒れてしまいました。
京都に戻って養生するも、一向に回復せず・・・。
死を悟った半兵衛は・・・
「どうせ死ぬのであれば、戦場で死にたい・・・」
望み通り、戦場に戻ると36歳の若さで亡くなりました。
秀吉はその亡骸に縋りついて泣き崩れたといいます。
病弱だった半兵衛は、私利私欲のない男でした。
いかに敵を攻略するかだけを求めた、生粋の軍師でした。
なので、野心のない半兵衛は、秀吉にとって信頼できる数少ない家臣でした。


中国大返しの後、官兵衛は四国征伐、九州征伐で武功をあげ、秀吉の天下統一に大きく貢献していきます。
しかし、秀吉から与えられたのは・・・豊前12万石の小国でした。
どうして官兵衛の印象は少なかったのでしょうか?

酒の席で・・・
「わしが死んだなら、誰が天下をとると思うか?」by秀吉
家臣らは、徳川家康や前田利家など、有名武将の名をあげたといいます。
すると秀吉は・・・
「官兵衛こそが、天下を取るであろう!!」と言ったと言います。

数々の戦で絶妙の判断・・・多くの信頼を寄せていたものの、あまりの切れ者ぶりにいつしか恐れを抱くようになったのではないか??
天下人の座を官兵衛に奪われるのではないか??
これを伝え聞いた官兵衛は・・・
「某は、恐ろしい者と目されているようだ。」
自分がいると秀吉にお家を潰されてしまうかもしれない・・・と、44歳で隠居。
切れ者過ぎたことで、秀吉に疑念を抱かせてしまった官兵衛でした。

秀吉の軍師、竹中半兵衛と黒田官兵衛・・・どちらが最強でしょうか?
どちらか一人ではなく、二人いたからこそ、秀吉は天下をとれたのです。
 


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<戦国時代の天才軍師>秀吉を支えた二人 竹中半兵衛と黒田官兵衛 (歴史群像デジタルアーカイブス)

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去年は盛り上がったなあ・・・真田丸!!
一応、見るだけは見ている直虎です。
直虎も、花燃ゆも・・・私が文句を言うと、旦那さんは「仕方ないやんか・・・それが史実なんやから・・・」って言います。
ああ・・・大河なんだから、というか、何も資料の残っていない直虎なんだから、いいお話を盛り込んでほしかったんですけどね

強大な武田相手に戦おうとする近藤殿に対し、兵である民を逃散させることで戦うことをやめさせようとした直虎。

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それに同意した近藤殿は城を焼いちゃったよ・・・。
戦わずに城を焼く・・・武士として嫌だったろうなあ・・・。
怒って、村ごと焼きはらった信玄!!
すべて直虎・・・あんたのせいだよ。。。

隠れ里に来たみんな、これからどうする??

南渓和尚が信玄に会っています。
武田が来ると聞いて、逃散させたのは我等井伊で、近藤に敵対しているためにやったみたいなことを言って・・・
いよいよ近藤殿との関係がややこしさMax。。。民百姓も、誰も近藤殿が治めることを心良しとせず・・・われらがとってかわりたい・・・と言い出しました。

大体からして井伊谷三人衆なんだから、助けてくれるんじゃないの??
政次をいい者にしたから、話しがごっちゃになって、理解不能状態になってきたような気がする・・・。
すべては政次をいい者にしたからかも

近藤と井伊が反目しているように見せかけて、武田には井伊が治めているように見せかけて、徳川には井伊を追い払ったと言えという直虎。
了解した近藤殿ですが・・・それでいいのか??
おかしくね??

やっぱり、政次は悪者で良かったんだよ・・・。
そうすれば、みんなで取り返しためでたし、めでたしだったのに・・・。
何のための井伊谷三人衆なんだか、みんないつの間にか・・・粗雑な扱いじゃん。

高瀬がまたもや近藤殿に薬を盛ろうとし・・・武田の間者であることがバレちゃいましたが・・・。
間者だったのに、直親の子であるのは本当で、借金のためにそうせざるを得なかったという。
近藤殿を殺せば、武田にいいだけではなく、井伊の物になるのでは??という高瀬。。。
怒ってひっぱたく直虎ですが・・・。
井伊を再興しようとは思わん・・・ただの娘として生きよ・・・って
??これで終わり??
高瀬・・・暗殺しなきゃ、殺されるんじゃないの??

どちらにしても、なんだかんだとあやふやで・・・。
そう思うと、直親も、政次も立ち位置がグレイというか、何もかもあやふやというか・・・
白黒決めなくても、この時は味方、この時は敵!!と、はっきりと書いてくれればモヤモヤしないのにね・・・。

でもって、里に戻れるとなった民百姓たち。。。

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残念ながら焼かれてしもうたがの・・・

何で帰れるのかも、今一つわからん。

おまけに、焼き払われたから焼き畑農業出来るって喜んでる始末。。。

村を作りはじめ、勇んで村を造り始める直虎ですが・・・
そう、もうこの地は井伊の物ではない・・・!!

一生懸命村を作り直そうとしている直虎・・・龍雲丸と一緒に堺に行くことは忘れてしまっていたらしい。。。
復興を見ずして、行っていいのか??悩む直虎ですが・・・

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結局、堺行は龍雲丸に振られた形で、終わるのでした。
ああ・・・よくあるパターンです。しらける・・・。
女主人公の場合、男の方が忖度してくれて身を引いてくれるっていうご都合主義的な感じ。。。

ちなみにいつも言ってますが、私は「タイタニック」で泣けなかった女なんですが、女主人公が彼(ディカプリオ)が自分の命を捧げて助けてくれたから力強く生きなければ!!って都合よく取り過ぎているから。。。
それは、この副題のもとになる「風と共に去りぬ」も・・・。
「風と共に去りぬ」という題名は、南北戦争という「風」と共に、当時絶頂にあったアメリカ南部白人たちの貴族文化社会が消え「去った」事を意味しているんですが・・・。
我儘放題に生き抜くスカーレットに、私の大好きなレットが疲れ果てて去っていくという・・・。
男を踏み台にしてタラの地で強く生き抜くスカーレットなんですが。。。
嫌われてもそれぐらい・・・やるならそれぐらい悪者でやってくれてもいいんですよ??直虎!!
やっぱり日本的というか、主人公は善で、そのためにみんな忖度しあうという・・・。
そう、それが日本なのね。

信玄の死によって、井伊谷は再び徳川領に・・・で・・・直政登場!!
何でこっちに来たんだか・・・よくわからないのに元気に登場!!

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そこには直親の面影が・・・!!

本当の主人公のやっとこさの登場ですか・・・??
井伊直政は、三河武士・譜代でもないのに徳川四天王となった有能な男です。
知れば知るほどこの男が主役ではダメだったのか??

あ・・・男、女、男、女・・・と、主役が交互でないとダメだからか!!
そう思うと、勿体ない・・・どうやってのし上がったのか??魅力的な直政です。


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なんと・・・井伊家最後の日って・・・ま、今回は元ネタすらわかりにくいので、本当に・・・
縁起でもないわ・・・この副題・・・日本は言霊の国なのにっ!!

気賀は壊滅的!!龍雲丸も大怪我!!

家康に掛川城を明け渡した氏真は、春の実家・北条に身を寄せることに・・・。

三河・岡崎城では、家康が井伊を見捨てたことを問う瀬名が。。。

井伊では・・・近藤康用がケガから回復し、立てるように・・・。
「殿・・・殿!!よくぞここまで!!」
クララか・・・

そんなところへやってきたのは常慶。
井伊家が無くなってしまったことを詫びるとともに・・・
虎松に松下(しのの嫁ぎ先)の家をくれるという。

どうする・・・??

「もうやめじゃ・・・次郎。
 井伊はここで終わらせよう。
 そなたはもう、疲れ切っておろう。
 さよう・・・疲れた心持では、お家の再興など土台無理じゃ。。。
 そなたを次郎にしたのはわしじゃ・・・
 ならば、次郎から下ろすのもわしじゃ・・・。
 これはわしが決めたことじゃ。

 政次にも、直親にも、のうなった皆にはわしから謝っておく故・・・
 もう十分じゃ。そなたはようやった・・・。」by南渓和尚

期待に沿えず、申し訳なかったと泣き崩れる直虎。。。

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「我はもう・・・井伊を再興するつもりはない。
 もう無理じゃと思う。」by直虎
ついに、みんなに告白しちゃいました。
そして、みんなそれぞれの行先を考えてやる直虎。

「なれど、それでは伯父は何のために死んだのですか!?」
「そうです!!先代も、川名のご隠居様も、わが父も!!」
という若者たちに。。。

「家があったからこそ、井伊があったからこそ、皆して守らねば、守らねば、と散っていったという見方もあろう。
 もう、我はさような悲しみを繰り返したくないのじゃ・・・。
 そなたらが、井伊の家のためにと散っていくの等みとうないし、井伊家再興のために大事な若い時を尽くせとも言いとうない。

 正直に言えば、尽くされてもそれに応える自信もない・・・」by直虎

って・・・戦国時代っていうか、武士には家が全てなんじゃないの??
そのための側室だし、そのための戦国時代なんじゃないの??
何と目から鱗な斬新なお言葉です。

「自信がのうても、石にかじりついても成し遂げる!!
 それが殿というものではないのか!?
 所詮女子じゃな・・・
 俺は・・・その女子に、一生ついて行くつもりだったんだ!!」by直之

不甲斐ないと謝る直虎。。。

そしてそんなこんなを虎松に伝えに来ました。

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迎えに来てくれたことを、井伊の再興がなったと思う虎松。

「一言でいえば、我の見通しが甘くての・・・
 しくじってしもうたのじゃ・・・」by直虎

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皆のことを心配する虎松。。。
虎松も、隠し里に戻って井伊の再興を・・・と言うものの、井伊の再興はしないと直虎に言われてしまいました。
松下の・・・母上のもとで暮らすか、このまま寺で・・・??と。
どちらも嫌だともう、虎松!!
井伊家を再興する為に・・・!!

諦めたら終わりだって言ってた殿が、あきらめるのか!!と、詰問する虎松!!
って、もう、虎松が家督をついだらいいんじゃないの・・・??

「諦めてこそ、得られるものもある。」by直虎
って何??答えてあげないと、理解できないわよ・・・。


まだ納得のいかない直之に・・・

「中野のおじ様!!
 家や潰れてしまったといわれても、もし、私がどの家の者かといわれたら、私は井伊の者だと答えましょう。
 私にとって、井伊のお家というのは、母上やババ様や、皆さまのおるところで・・・
 城や、お屋敷はのうなっても、ここにこうしてあるわけで・・・

 それに、家名がなくなった今、これからは一人一人がしっかりと生きていくことこそ、井伊を繋いでいくことになるのではないかと・・・」by高瀬

って・・・本当か??
城や屋敷がなくなったら、みんなバラバラじゃないか・・・!!
ユダヤ人見てみてよ!!
国が欲しいって、2000年も放浪して、ずっと戦争してるじゃないの!!
そんなきれいごとじゃ駄目っていうか、それじゃあ、何のために、戦国を生きてんのよ~~~!!

ほらほら・・・家がなくなったから、みんなチリヂリになってんじゃないの・・・。

結局、南渓和尚の説得で、松下に行くという虎松&六左。

「身勝手なものですな・・・いざとなると。。。」by直虎

って殊勝な感じを演出も、こんな感じ

「俺ぁ・・・一緒になりてえ女がいるんですが・・・ 

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と、大きな勘違いのラブシーン・・・。

「俺ぁ・・・あんたの傍にいてえんですから、いいって言ってくれりゃあ、それでいいんですよ。。。」by龍雲丸



個人的には、龍雲丸は大好きです。
少年漫画によく出てくるキャラだし、とってもかっこいい!!
それこそ、直親よりも、政次よりも・・・
でもなあ・・・これはないだろう・・・この展開は・・・!!
 
もう・・・興ざめ以外の何物でもない・・・!!

その後、直虎は還俗し、一農婦となり土と生きる道を選んだという・・・。

naotora4












??還俗??
今更還俗できるなら、どうしてあの時還俗しなかったのか!?
っていう場面がごろごろしてるよねえ??
直親とは添い遂げられなかったとしても、政次となら添い遂げられたんじゃないの??
殿になった時点で還俗してたんじゃ・・・

それに・・・この展開ならば、尼僧になるだろう・・・ほんとならっ!!


北条氏康が死に・・・武田信玄は喜び、家康は・・・居城を岡崎から浜松城に移していました。

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氏康がなくなったことで、北条を追い出された氏真・・・。
「頼む、徳川様・・・この通りじゃ!!」by氏真
と、かつての家臣・家康に頭を下げる氏真!!
このことを、織田に伺いを立てることに・・・。

西への進撃を始めた武田信玄!!
その時、高瀬は・・・??

と、ちょっと策謀が??みたいな雰囲気な感じになっていますが・・・
どうなんでしょうね・・・
それにしても、農婦になっているとは・・・

とにかく、氏真がとってもかっこいい!!男前だわ!!
これだから、明治の世まで生き残るのね!!


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1600年9月15日、日本を東西に二分した関ケ原の戦い・・・

勝者となったのは、東軍総大将・徳川家康です。
しかし、家康には大きな誤算がありました。
徳川の主力を率いる家康の三男・秀忠が決戦に間に合わないという前代未聞の大失態を犯したのです。
この時、家康はつぶやいたといいます。

「倅がいたらば、こんな事にはなっていないはずだ。」と。

家康が口にした倅とは、家康の長男・松平信康のことです。
その名は、徳川の歴史においてタブーでした。
1579年9月15日、奇しくも関ケ原の合戦と同じ日に、事件は起こりました。
21歳の信康が、織田信長の命により自害させられたのです。
世に言う”信康事件”です。
どうして信長は、家康に長男を殺害するように命じたのか?
どうして家康はそれを受け入れたのか??
それは謎です。
カギを握るのが”逆臣”!!

家康の後継者として期待された信康。
家康と正室・築山殿との間に生まれた初めての男子です。
当時、家康は、駿河・遠江・三河を有する今川家の配下にあったため、駿府に生まれました。
信康2歳・・・この年(1560年)、今川家の当主・義元は桶狭間の戦いに討ち死に、これによって家康は独立することに!!

しかし、この時大きな問題が・・・。
駿府にいる築山殿と信康が人質に取られていたのです。
人質奪還のために、家康は今川義元の妹婿の城を攻め、当主の子を生け捕り、人質の交換に成功!!
これによって一命をとりとめた信康は、駿府から岡崎に移ることになりました。
1567年信康9歳の時、信長の娘・徳姫と結婚。
信長から信の一字、家康から康の一字を与えられています。
信康は、徳川と織田の同盟関係を象徴する存在でした。

1573年12月、家康は絶体絶命の窮地に立たされます。
甲斐の武田信玄が、遠江に侵攻。
戦国最強と謳われた武田の大軍勢が襲来したのです。
徳川軍は、三方が原で武田軍と激突し大敗北(三方ヶ原の戦い)!!

しかし、翌年の1573年4月、武田信玄死去。
武田軍は撤退し、家康は九死に一生を得ます。
とはいえ、信玄亡き後も、武田の勢力が弱まることはなく、家康は信長との同盟を維持しながら、対武田の拠点となる浜松城に身を置き、背後の要・西三河の岡崎城に信康を置き、領国の防衛強化に努めています。
信康が岡崎城主となったのは12歳(1570年)の時。
幼い領主を支えるために、新たに家臣団を作り・・・
徳川は、浜松家臣団と岡崎家臣団に分かれることとなったのです。

1575年5月長篠の戦いで、家康・信長連合軍が武田に圧勝!!
この時、17歳の信康も、一軍を率いて参戦!!
局地戦で殿を務め、功名をあげます。

1579年4月、武田軍が徳川領に侵攻。
徳川と武田の国境では、緊張が高まっていました。
そのさなか、家康のもとに、信長から信じられない命令が・・・!!

「信康に切腹させるよう家康に伝えよ。」by信長

そのきっかけとなったのが、信康の妻・徳姫が、父・信長に、夫の悪行を訴えたことでした。
信康の悪行とは・・・??
史料には、鷹狩りで意に沿わない僧侶を殺したことや、下手な踊り子に腹を立てて射殺したことが書かれています。
信康の行動は傍若無人で、慈悲の心がなく、そのため夫婦の仲は悪くなったとありますが・・・
しかし、信康と家臣との間が上手くいっていないわけではなく、揉めたこともなく・・・
粗暴な君主だったという形跡は、同時代の資料には見られません。

そして、信康のことは家康に一任していた???
信長が家康に殺せという命令を出していないのでは??
家康が、このままではいけない・・・と、忖度で殺したのでは??

当時の徳川は、武田と織田の二大大国の狭間にありました。
家康は信長と結び、武田と対峙していました。
この時、家康と対峙したのは武田勝頼。
信玄亡き後、武田の家督をついだ勝頼は、後世評価の低い武将であるが・・・
信長の評価は・・・
「勝頼は若年ながら、信玄の教えを守り、表も裏もある油断のならない相手である」と。
事実、勝頼は、父・信玄ですら攻略できなかった徳川方の高天神城を僅か1か月で落としています(1574年6月)。

徳川と武田の熾烈な奪い合いの舞台となった高天神城。
難攻不落だった高天神城・・・。
奪還を目指す徳川の猛攻を7年もはねのけた勝頼。
武田が施した数々の備え・・・横堀・・・武田の城兵は、土塁を盾にして、見下ろす形で横堀に迫ってきた徳川の軍勢に対して、鉄砲や弓、つぶてを投げて守ることができたのです。

城は、水陸交通の要所・・・家康の浜松城まで直線で僅か30キロ。。。
派は松上の喉元に刃を突き付けられるような、大きな危機を感じる場所だったのです。

家康にとって、生命線ともいえる高天神城・・・。
なんとか奪還しようとする家康ですが・・・信長からの援軍は無し・・・
10数年続いてきた徳川と織田の軍事同盟。。。
家康は、姉川の戦い、信長上洛戦、越前遠征・・・に参陣を果たしたにもかかわらず、織田からの見返りは多くありませんでした。
織田と徳川の関係は、実質的な主従関係だったのです。

そんな関係に対し、徳川家臣団の不満が一つの事件を起こします。
1575年4月、信康の家臣・大岡弥四郎事件です。
大岡弥四郎を中心とする反逆です。
密かに武田に通じていた岡崎町奉行・大岡弥四郎が、城を乗っ取り、武田に合流しようとしたのです。
事件は未遂に終わり、首謀者たちの処刑で幕を閉じました。
信康の守役も武田に内通し、岡崎奉行の三人のうち大岡を含めて2人も武田に加担していました。
さらに、正室・築山殿も加わっていたといわれています。
岡崎衆をあげて、武田家に鞍替えしようとしたものです。

武田との抗争が激化して以来、家康の浜松、信康の岡崎と家臣団は二分していました。
そこに微妙な内部対立がありました。
家康の周りには、主要メンバーで最前線で戦う。。。
しかし、信康側は、最前線で戦うことはあまりなし。。。
いつでも功績をあげられて、恩賞の利益にあずかれる可能性の高い浜松衆と、チャンスに乏しい岡崎衆との確執が、背景にあったと思われます。

この4年後・・・再び徳川家に大事件が・・・それが信康事件です。

事件の顛末を記した資料は少ない・・・
「三河の信康殿逆臣!!」
当時、岡崎にいた信康としては、先の見えない武田軍との戦い・・・いつ進軍してくるのかもわからない・・・
信康が父・家康追放、もしくは暗殺というクーデターを実行に移した場合、頼れるのは武田しかいない。。。
突如として出た信康謀反の噂・・・。
家康は、我が子・信康をどうする???

1579年8月3日、家康は岡崎城に向かいます。
信康の真意を。。。!!翌日二人は対面。
信康は家康に対し、織田を見限り武田に着くと言ったと考えられます。
一方家康は・・・厳しく問い詰めます。
苦悩する家康。。。

信康を捨て織田をとる??
このまま信長に着けば徳川は安泰。。。
この頃の信長の版図拡大は凄まじく、北陸の上杉、西の毛利に対し、織田軍が出兵し領地は膨張の一途にありました。
安土城も完成し、信長の天下は盤石になりつつあったのです。
しかし、謀反の噂が信長さまに入った以上信康に罰を・・・!!
処置を誤れば、家中が二つに割れてしまう!!


信康をとり武田と結ぶ??
家中が二つに分かれる最悪の事態は避けられるのでは??
武田はこの頃、最大の版図を獲得していました。
勝頼は、北条と対決をし、領土を拡大!!
糸魚川にまでも領土は拡大し、武田の領国は日本海にまでも達していました。
「信康事件」の前後は、武田の領土が再び拡大している時期なのです。

織田家臣団にも綻びが・・・
信長に反旗を翻す武将が続出!!
松永久秀の謀反・・・荒木村重の反乱はまだ続いていました。
が、畿内の制圧を目前の信長・・・。
信康の意見を通せば、家長としての自分の立場は・・・??


1579年8月4日、信康と対面したその日、家康は信康を岡崎から20キロ離れた大浜に幽閉。
家康は、信康を処断し、信長との同盟を維持することを決断したのです。
翌日には弓・鉄砲衆を連れて、大浜に近い西尾城へ入るように家臣団に命じます。
信康と謀反を画策した重臣たちへのあからさまな威圧です。
さらに家康は、岡崎城に家臣や三河の国衆を集め、信康と連絡を取り合わないなどの起請文を提出させます。
家康は同盟相手・信長にも事の顛末の説明をするため書状を送っています。

「信康は士道不覚悟により、岡崎城から追い出しました。」

処断されたのは信康だけではなく、信康と同じく武田との内通を疑われていた正室・築山殿が家康の家臣の手で殺害されたのです。
信康は大浜から堀江、二俣城へ・・・
家康としては信長との手前、信康を処断しなければ・・・しかし、やはり親子。。。
家康と信康の関係が意思疎通を上手くすれば、自害に及ばなくても廃嫡??と考えていたのかも??

家康は、信康幽閉の一月後、武田と敵対関係にあった北条と同盟を締結。
織田・北条・徳川による武田包囲網が完成します。
武田と全面対決の姿勢を・・・!!

1579年9月15日、信康自刃!!

21歳、若すぎる死でした。

信康自害の報告をうけた家康は、黙ったままうなだれました。
信康自決後、信康を支えた岡崎重臣たちも粛正されます。

三重県桑名市・・・ここに妖刀・村正が残っています。
信康の介錯にも村正が使われたと言われています。
家康の父・広忠、家康自身、信康・・・徳川家にまつわる人が村正に関わっているので、妖刀といわれるようになりました。
信康が自害したとき、家康は語ったといいます。

「村正は、徳川家に仇成す刀である。
 今後、刀の中に村正があれば、みな取り捨てよ。」

家康が恐れた妖刀・村正・・・。

村正の妖刀伝説が長く流布されたのは、家康の信康を自害させた後悔の想いを生涯持ち続けていたからかもしれません。
そののち、家康は信康に対して固く口を閉ざして語ることはありませんでした。

30年後・・・秀忠の妻・江に対する訓戒に信康に対する家康の想いが記されています。

「信康が生れたときは、親も若く、子が珍しく、その上発育が悪く、丈夫に育ちさえすればいいと心得、気づまりになるようなことはさせず、気ままにさせておいた。
 成人になってから、急にいろいろ教育してみたが、後に親子の言い争いのようになってしまった・・・」と。

このことで、民衆や家臣の家康に対する尊敬心は増した・・・??
家康の言葉の重みが増したのです。
徳川が15代も続いたのは・・・この信康事件の後悔からの家康の子育てにあったのかもしれません。

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「和尚様!!
 気賀が・・・気賀が、徳川に襲われました!!」by方久

そうでした。

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まさに・・・地獄絵図とはこのことです。

「我が・・・気賀に城など建てるから・・・」by直虎

生きているものを探す龍潭寺のみんな・・・。

見なれた・・・直虎が龍雲丸にあげた水筒が・・・
そこには見慣れた顔・・・瀕死の重傷を負った龍雲丸でした。

「頭、しっかりしろ!!頭!!」by直虎

龍雲丸を寺に連れて帰る直虎たち。。。

直虎の手厚い看病の結果・・・

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生き返る龍雲丸。

「徳川様は、まずは船で気賀の民を逃がしてから、大沢の兵を攻め落とすと言うておられたのですが、さようなことはなさらず、城に乗り込み・・・。
 
 大沢を下らせるには、見せしめがいると言うておられました。」by方久

徳川の苛烈なやり口は、ただならぬ恐怖を与え、浜名の雄・大沢元胤はとうとう徳川の軍門に下ったのじゃった・・・と、梅雀さんのナレーションでした。

徳川の悪者を一身に背負っている酒井忠次ですが・・・
どうでもいいお話を挟むことよりも、ほんと資料のない直虎なんだから、そこら辺のことをもっと細かく書いてほしかったような気もします。
それとも、あくまでも家康をいい者に作り上げるために、汚い、悪い部分はあえてドラマ化しないのかしら??
って思ってしまいます。
実際、例えば、大坂の石山本願寺や堺の商人、紀州の雑賀衆・根来衆etc.・・・
大名の領地であって領地でないないところはたくさんありました。
気賀も商人の町、武士に刃向かって当然だったと思うし、戦ったかもしれません。
この時代の人は、民であっても黙ってやられるような輩はいないんじゃないかな??って思います。
きっと、気賀も自立心の強い商人の町だったからこそ、見せしめにしなければならなかったと思うんですが・・・
どうでしょう??
そうなると、家康がどうしても凄惨なまでの仕打ちをしなければならなかったという大義名分が出来ると思うんですけどね??
信長なら比叡山焼き討ちも、石山本願寺攻めも、凄惨なほど伝えているのにね??

あくまでもいい者なのね、家康!!??

そして意識の戻った龍雲丸。
どうも、直虎の流れるような教であの世から戻ってきたらしい・・・。

その頃掛川城下では常慶が徳川からの和睦の話を持ってきていました。


近藤の屋敷に負傷者の治療に向かう直虎はじめ龍潭寺のお坊さんたち。。。

「近藤の者など、一人残らずのたれ死ねば良いのじゃ!!」と、坊さんにあるまじきことを言っていた直虎も向かうことに・・・。

鈴木重時といい、近藤康用といい、本来ならば井伊谷三人衆なんでしょう??
なんだこの扱い・・・
小野政次をいい者にしたからこの三人を悪者に仕立て上げないといけないかったのかしらねえ??
井伊谷三人衆という割には、井伊のために何もしてくれていない人たちとして書かれています。
もっと、一致団結しないのかなあ??
ここら辺も、史実を検索しないでドラマだけ見ている旦那は全く理解できていない・・・。
戦国時代が大好きな旦那ですが、「何が近藤殿??」みたいな感じで見ています。
そうなんですよね??全く人間関係がわかりません。


戦に嫌気がさしたと氏真に告白する家康。
戦好きではなく、せねばならないように追い込まれるという家康。。。
ああ・・・やっぱりこのドラマの家康はいい者なのね??

「・・・大名は・・・蹴鞠で雌雄を決すればいいと思うのじゃ。
 よいと思わぬか?
 もめ事があれば、戦の代わりに蹴鞠で勝負を決するのじゃ。
 さすれば、人も死なぬ、馬も死なぬ、兵糧も要らぬ・・・人も銭もかからん・・・
 
naotora3












 ところが・・・それでも戦になる。
 蹴鞠の上手いものをめぐり、奪い合いが起こり、それが引き金となり、また同じことが起こる・・・
 和睦は有難いぞ!!
 三河守殿!!」by氏真

と、頭を下げる氏真がそこにはいました。

おお・・・やっぱり、カッコいいですね、氏真!!
この蹴鞠のくだりはほんと、その通りだなあ・・・って思います。
きっと平和な時代に蹴鞠や和歌を楽しんでたかったんだろうなあ・・・無理をしていたんだろうなあ・・・と、バカではない、哲学的な氏真は、この戦国時代を本当に悩み、悔やんだ事でしょう。

ちなみに・・・井伊の隠れ里では政次のマネなんかをして遊んでいるらしい・・・
「なんと・・・但馬は生きておったのか・・・」by直虎
ということで、「蘇りし者たち」に行きつくのでしょうが・・・なんとも直虎の涙が浅い・・・

坊主となった方久・・・
戦道具を売るのではなく、薬を売って儲けるのだそうです。
ああ・・・気賀の城主代理をしていたのに、何の反省もなく、巨万の富に突っ走る方久です。
なら。。。頭を丸める必要はなかったんじゃないの??って思うんですよね。
頭を丸めるなら、自分の城代としての器のなさで亡くなった気賀の人たちの事を思ってほしいし、ただ儲けるなら頭を丸める必要はなかったんじゃないか??って思う私です。

龍雲丸は、仲間のことを想い・・・生き残ってしまったことを悔い・・・
それは私も同じだと慰める直虎・・・。

と・・・なんだかな~な、シーンの後、

「北条へ戻るのですか?」by春

「ん・・・徳川様がそれが良いと・・・ん??」by氏真

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「何やら、妙に晴れ晴れとしたお顔をしておられるので・・・」by春

「叱られるかもしれぬが、肩が軽うなった・・・。
 桶狭間から十年、わしは身の丈に合わぬ鎧をつけられておったような気がするのじゃ。
 これからは、わしのやり方でも舵が取れるような気がするのじゃ。
 ハハハ・・・!!」by氏真


そして、家康が掛川城に入り、遠江全域は徳川の支配するところとなったのです。

「入れたのう・・・入れてしまったのう・・・」by家康

そして・・・遠江をとられたことに怒り狂う信玄!!

ということで、なんだかかっこよくなってきているなあ・・・って思っていたら、すんごく良かった氏真です。
言葉の一言が凄く重い。。。
だからこそ、戦国の世を、武士を捨てることで、しぶとく生き残ることができたんでしょうね



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