日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:荒木村重

へうげもの 古田織部伝―数寄の天下を獲った武将

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日本の文化に革命を起こしたのは古田織部。
”へうげもの”と呼ばれ、一世を風靡しました。
天下を目指す信長、秀吉、家康に仕えます。

織部が人生最大の選択をしたのは・・・大坂の陣の直前でした。

古田織部は、岐阜県美濃国山口城主の子として生まれました。
濃尾平野の広がる・・・戦国時代には、天下をめざし武将たちが闘っていた場所で、代々織田家に仕えていました。
織部は、桶狭間の戦いで勢いに乗る信長の直属の家臣団に加えられました。
信長が天下統一をめざし、中国を攻略しようとしていた頃・・・腹心・荒木村重が謀反を起こします。
ここで信長は、荒木の右腕・中川清秀のもとに織部を送り込みます。
調略のために・・・!!
織部は見事、中川を説得・・・信長の危機を救います。

武将としての能力としては、刀で手柄を立てるような記録はなく、説得工作・・・調略、事前の裏工作に長けていたようです。
そんな彼を表舞台に・・・!!
数寄と呼ばれた茶の湯です。
死と隣り合わせの生活をしている武将たちには、現実を忘れることのできる唯一の世界でした。
その流行と共に、中国伝来の貴重な茶道具は、一国に匹敵るる価値を持って行きます。
それにいち早く注目したのは信長。。。
名物狩りと呼ばれ、高価な唐物を買い集め、褒章として家臣たちに与えていきます。
家臣たちを統制し、士気を鼓舞するために、茶の湯を利用し始めたのです。=茶の湯御政道。

この茶道として頭角を現していたのが千利休。
織部の数寄の師匠となって、多大な影響を与えました。
利休は信長亡き後、秀吉のブレーンとなり、一大イベントを仕掛けていきます。
黄金の茶室を作って後押しする傍ら・・・もう一つの美・・・侘びの世界を追求し始めます。

利休に傾倒していた織部は、ここで数寄の才能を発揮していきます。
侘びとは全く違うもの・・・

yaburebukuro
織部愛用の茶道具・・・「水差し・破袋」
ここに、強く反映されています。
”大きなひび割れも、一種の趣・・・”
傷のない茶碗も、一旦割ってつなぎ合わせる・・・「十文字」。。。
ゆがんだ茶碗・・・
ひょうきんな織部の美意識は、新しい流行となっていきます。
完全な茶碗は物足りないと嫌い、新しい美を追求していきます。

1591年・・・天下人となった秀吉が、独自の美を追求する利休と対立し・・・利休切腹。
命乞いをすることもなく死への旅路に向かう利休・・・

織部は、細川忠行と共に利休を見送りました。
織部は利休の死後、秀吉に取り立てられていきます。
秀吉のお伽衆に抜擢、”数寄の和尚”に任命され、才能を発揮していきます。

織部焼き・・・今までとはまったっく違う斬新なデザインと絵付け・・・
日常的な食器まで流行っていたようです。
傾奇者が出てきていたこの時代、今までの概念をぶち破ろうよいう意識が高まってきていました。
織部の数寄はその時代に合っていたようです。
慶長時代に生きた織部は、慶長の息吹がエネルギーの原点となっていたようです。
常に面白くなければ・・・!!これまでにない画期的なものを・・・!!

ひょうげを武器に新しい価値観をもたらした織部は、数寄の天下人となっていきます。
織部による美の革新・・・
東北の雄・伊達政宗、豊臣家重臣・浅野長政、信長の実弟・織田有楽、豊臣秀頼、毛利秀元、黒田如水・・・茶会を通じて、全国の武将たちとのネットワークが広がっていきます。

そのネットワークに目をつけたのが天下を狙う徳川家康です。
関ヶ原の戦いを前に、根回しをしていたのでした。

常陸の佐竹義宣は、石田三成と親しくその動向に注意を払う必要がありました。
織部を佐竹のもとに送り込み・・・茶の湯で織部と師弟関係にあった佐竹は、師の説得を受け入れて家康に人質を差し出すのです。
こうして家康は、織部を使って説得に成功し・・・関ヶ原に勝利していきます。
家康自身が数寄にのめり込むことはありませんでしたが、その力を十分に知っていたのです。

豊臣から徳川へ・・・時代が大きく動きます。
江戸幕府をひらいた家康は、その基礎を盤石なものにしていくために、織部を利用していきます。
織部は、秀忠の茶の湯の指南役となり、秀忠と諸大名との茶会を仕切って。。。
徳川政権の内部へと入り込んでいく織部・・・確固たる地位を築き上げていきます。
数寄の道に生きたい・・・しかし、あまりに忙しく・・・それもできなくなってきました。

1611年、家康は秀忠を江戸に置いたまま、京都・二条城を拠点に豊臣家弱体に進んでいきます。
二条城に諸大名を集め・・・誓詞を書かせたのです。
”反逆の企てあるべからず”と、幕府の命令に背かないように・・・!!
豊臣家と徳川家の衝突は、もう避けられなくなっていました。

織部はこの頃、息子・九郎八を豊臣秀頼の小姓として仕えさせていました。
身の安定のために徳川につくか?豊臣に尽くすのか?
織部は70歳となっていました。

①徳川方につくか??
生き残れるものの、自分のやりたい数寄は出来ない・・・!!

②豊臣方につくか??
もともと抜擢してくれたのは秀吉。。。
おまけに秀頼の小姓は息子。。。
大恩に報いる道ではないのか・・・??

aooribe織部の屋敷から発掘された「青織部角皿」。
これには、豊臣への思い・・・丁寧な筆使いで桐の文様が書かれていました。

織部はこの皿に、豊臣家の繁栄を願っていたのでしょうか??

③和平交渉策
当時大坂城には、織田有楽、片桐且元ら数寄を通じて交流を深める重臣たちがいました。

そして、秀頼の妻は秀忠の娘。。。
人間関係を生かすという策です。

両家による天下・・・新しい世界を作る・・・??


1612年8月、織部は江戸城に赴きます。
二代将軍・秀忠との接見に臨みます。
そこに伴ったのは、数寄の盟友・片桐且元でした。

片桐は、秀頼の守役のひとりで、豊臣家の重臣。徳川とのパイプ役を担っていました。
第三の道・和平交渉をしようとしていたようです。
7か月に及び江戸に滞在し、秀忠や幕閣達と茶会を行います。
推測されるのは、和平のための根回し。。。
しかし、織部の和平交渉は挫折。
秀吉が建立した方広寺の鐘に刻まれた文字が問題・・・「国家安康」に、家康がケチをつけたのです。
方広寺鐘銘事件・・・鐘銘を起草した清韓禅師は蟄居謹慎を命じられました。

言いがかりとも取れる家康の行動に・・・
なんと、織部は、清韓禅師を茶会に招いてもてなしたのです。
茶の湯に権威や権力は関係ない・・・家康の怒りを恐れることなく、茶人としての信念を貫いたのだろうか・・・??

豊臣家は大坂城内に浪人を集め・・・徳川と対決の姿勢を見せていました。
方広寺鐘銘事件から4か月後・・・大坂の陣が勃発!!
1615年、大坂城落城!!豊臣家は滅亡します。


時を同じくして、織部は幽閉されていました。
処罰の内容は、大坂方との内通です。
大坂城落城からひと月後・・・織部は息子と共に切腹を命じられます。
事件の真相は明らかではありませんが、一切の弁明をしなかったと伝えられています。
破調の美を世に刻みつけた古田織部。
6月11日・・・その生涯を閉じたのです。


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明智光秀を討ち、秀吉は信長の後継者の位置に躍り出ました。
1582年6月27日・・・柴田勝家が清州会議を開きますが。。。
時すでに遅し。。。

清州会議を中座してきた秀吉。。。
あ~、ここがポイントだったと思うのに。。。
三法師の説明とで終わっちゃいました。
なんで???

ここ、すっごいポイントですよ・・・
なのに・・・もっと軍師らしく描いてほしいの。。。

信長の仇を討った羽柴秀吉、信長の重臣の柴田勝家、同じく丹羽長秀、信長の乳兄弟の池田恒興の4名です。
官兵衛がこの清州会議に案を出したという説もあり、秀吉が頑張ったという説もあり・・・はたまたすでに三法師に決まっていたという説もあり・・・。

わかりませんが、どうせフィクションも入った物語なんだから、ここで官兵衛をカッコよく書かずしてどうする???
この大河では、どうやって攻略したか??みたいなことは書いてくれないのね。。。

信孝に・・・”お市”との結婚を願ったと思われる節がありましたが、個人的には柴田勝家は信長の忠実な家臣と思うので、秀吉を快く思わない信孝から勝家に頼んだと思う方がしっくりいきます・・・どうでしょう??

「秀吉の好きにはさせん!!」by信孝。

も、秀吉は10月15日には、養子としていた信長の4男・羽柴秀勝を喪主に大々的に葬儀を強行します。

その頃・・・山崎宝寺城にある茶室で・・・
そう・・・この頃すでに・・・
「表向きの事は秀長に、内々の事は利休に相談する 様にせよ」
となっていたのかも知れませんね・・・。
それも早い・・・ 

あ~~
伊武官兵衛と岡田官兵衛が廊下ですれ違って話してる

kan1












そんな官兵衛が利休によって引き会わされたのが・・・
道糞・・・利休の弟子となった荒木村重でした。
怒りのあまりに席を立ってしまった官兵衛でした。


kan2












1583年新年を姫路で迎えた秀吉。
長政とお糸の婚儀が持ち上がり・・・。
なんと、糸が秀吉の養女になっての婚儀となりました。
なんとも秀吉のサプライズ、粋な計らいです。
豊臣体制を作る上で、とっても良いお話。
家臣が少なく、苦労をしていた秀吉が伺えますね。

そして官兵衛は・・・道糞と右近と会するのです。
そこで秀吉に天下を取らせ、乱世を終わらせることを心に決める官兵衛ですが、天下人には魔力あがるという
道糞。
そう、秀吉が変わっていくのを暗示しているかのようです。

「信長様は変わっていかれた・・・
 秀吉は織田家を乗っ取ろうとしているではないか・・・!!」by道糞。

「また・・・戦が始まる。。。
 秀吉さまが天下を取るためには、避けては通れぬ道だ。
 また・・・大勢の者が死ぬ。。。」by官兵衛

そんな1583年2月。
滝川一益討伐に向かう秀吉。
盟友・一益を救うために、兵を挙げた越前・北ノ庄の柴田勝家。。。
って、そう言えばこの時、前田利家は親代わりだった勝家につくか?秀吉につくか???
関ケ原の時の小早川秀秋よろしくそんなことをしたはずなのに、名前すら出てこないってどういうこと???
秀吉の親友なんですけど。。。

いえいえ、そんなこんなで始まった賤ヶ岳の戦い。

あっという間に落城・・・。
浅井三姉妹もすんなり回収~~~

もっと書きようあったでしょうに。。。

「官兵衛・・・すべてお主の言うようになった。。。」

kan3












って、何言ったのよ・・・!!
もっと戦略戦略!!
残念でならないわ~。
今回の大河は、本当に戦略のシーンがないの・・・。

こんなにあっさりと済んでいいものなの???
命を賭けた男たちの戦いを・・・

あ・・・先日観た「命ある限り戦え、そして生き抜くんだ」を思い出しました。
これは第2次世界大戦時、パラオにあるペリリュー島の戦いのお話ですが、このドラマも、悲惨な殺し合いの映画なのに、ラブストーリー織り込んで。。。
女性の票を獲得したいの???みたいな感じでした。
このペリリュー島の戦いでアメリカ軍の戦い方がガラッと変わります。
バンザイ突撃しない日本兵に対し、火炎放射器とナパーム弾で皆殺しにかかるのです。
これが硫黄島⇒沖縄⇒本土の焼夷弾⇒原爆投下と繋がるのですが、そんなところもすっとばし、かなり興ざめでした。

あ~、話がそれてしまいましたが・・・
このところの官兵衛もそんな感じがします。
清州会議なんて、2回分ぐらい使ってくれてもいいのに・・・

賤ヶ岳の戦いも、前田利家の苦悩なんかも描いてほしかったんですけど・・・

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織田信長に仕えた大物家臣といえば・・・
柴田勝家と丹羽長秀です。
秀吉が姓を名乗るときに、この2人にあやかって、”羽柴”秀吉と名乗ったのは有名な話。

信長が、浅井長政を討ち滅ぼした時、朝廷の許可のもと部下たちに官位を与えました。
秀吉は”筑前守”、明智光秀は”日向守”、勝家は修理亮、滝川一益は”左近将監”、荒木村重が”摂津守”で・・・
長秀には越前守を与えようとしました。
すると・・・長秀は、今までどおりでいいと言い張って、さすがの信長も折れる他なかったとか・・・。
長秀は、忠実であったものの融通の利かない頑固者でした。

織田家臣のなかでの出世頭はもちろん”秀吉”。
勝家はそれを快く思わず敵意むき出しのバチバチ状態でしたが、長秀は秀吉を庇う立場をとります。
なので、信長の死後も、長秀は秀吉に味方しています。


1582年6月の本能寺の変後、秀吉は信長の敵・光秀を討つべく中国大返し!!
同じころ、四国征伐に備えて摂津・住吉の浦にいた長秀は、途中で秀吉軍と合流しています。

清州会議も、秀吉と勝家の権力争いの場になりましたが、長秀は秀吉と同じく信長の嫡孫・三法師を推しています。

でも・・・秀吉が賤ヶ岳の戦いで勝家を破ってから、丹羽家に陰りが見え始めました。
天下をとった秀吉に・・・下僚だった秀吉に臣従しなければならなくなったのです。
さらに・・・秀吉は、信長の三男・信孝を自害させ、小牧の戦いでは次男・信雄を攻撃しました。

怒った長秀は、越前府中の居城に籠もり、秀吉の招きに応じなくなります。
長秀にとっては織田家は主家。。。その主家の子供を次々と手にかけ、天下取りに突き進む秀吉に我慢ならなかったのです。

そのうち長秀は、持病が悪化し床に臥せるようになりますが。。。
1585年4月に突然病床で自害します。
勝家のように秀吉と戦うこともできず、前田利家のように従うこともできず・・・
自害は長秀の最大の抵抗だったのでしょう。

長秀は、腹を切り開き病巣を抉り出し・・・
握りこぶし大だったその病根を遺書と共に秀吉に送らせたと言われています。
秀吉も腰を抜かしたことでしょう。

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信長に反旗を翻し、籠城していた村重が逃亡・・・
有岡城に幽閉されていた官兵衛が、遂に帰ってき。。。
そして、織田軍は、三木城の兵糧攻めの総仕上げにかかろうとしていました。

兵糧も底を尽きかけたころ・・・
やってきた織田方の使者は地獄から帰ってきた官兵衛でした。

2年も戦ってきた別所長治。。。
叔父の重棟も降伏を薦めます。

「長治さまと御一族がお命を差し出せば、残る家臣は助けると、羽柴さまは仰せでございます。」by官兵衛

賀相は、毛利の援軍がやってくると・・・

しかし、その言葉を遮るように官兵衛が。。。

「毛利は動かぬ! 
 摂津の有岡城の末路は御承知のはず。

 長治さま、家臣を守るのも城主の務め。
 その務めを果たさねば、荒木一族の二の舞になりまするぞ!!」by官兵衛。

あ~、官兵衛・・・まさに地獄の使者です。。。
鬼気迫るってこの事???

kan












「わかり申した。
もはやこれまで。。。」by長治

長治・友之(長治の弟)・賀相(ベンガル)の切腹で、秀吉に堪えてもらうんだけれども、往生際の悪い賀相。
この降伏勧告を良しとせず、潔く自害するのではなく”城に火を放つ!!”って言いだしたもんだからさあ大変。
焼け死んでさらし者になるのを防ぎたかったのでしょうが・・・
そうは問屋が卸してくれません。
城に続いた自分の家を放火したことに激怒した城兵が、殺害して首は安土に届けられたらしいの。。。
結局、さらし者になっちゃったんです。
甥の別所長治の方が、坊ちゃんなりにも、よっぽど強かったですね。

そしてここに・・・2年という長きにわたる三木城の戦い”三木の干殺し”は終わりを告げるのでした。
って、籠城戦って、そんなに長いことかかるのね・・・と、思うものの。。。
そう言えば、一番長かった籠城戦は石山本願寺戦で10年間と言われています。

残るは小寺・・・!!

kan2












別所の三木城も落ちて、アタフタする職政。

次々と逃げていく家臣たち。。。もうどうすることもできません。

「殿も御覚悟を!!」

と、江田が頼むものの、覚悟の全くない小寺の殿様、腹など切らぬ!!と、ごねて・・・
江田も愛想を尽かしてお暇をしてしまいました。

「今まで・・・よくぞこのような主君に仕えてきたものよ・・・
 障害の不覚であった・・・!!」by江田


あ~、良いですね、人間らしいです、政職。
誰だって腹を切りたくはないよね・・・
こんな主君もいて当然だったんじゃないかしら???

おまけに、金目のものをかき集めて御着城を抜け出しました。
混迷を極めた播磨の争乱が、ここに終わったのでした。
って、政職らしいっていうか・・・この情けない播磨のp乱の終わり方が・・・

で・・・
太兵衛に捕まってしまった政職。
政職でないと言い張っているかと思いきや、職隆や官兵衛見るなり恩を着せにかかる殿。

「主君じゃぞ・・・!!」by政職

全部村重のせいにしております。
何にも悪いことしてないんだって。

kan3











「武士らしく・・・腹を召されよ・・・」by官兵衛。
あ~、目力の強さに、政職も泣いてしまいました。

「いやじゃ!!許してくれ~~~!!
 わしには出来ぬ・・・!!」

そこには・・・ゆるしを乞う哀れな主君がいました。
「覚なる上は、致し方ございません。。。
 城主としての務めを果たされよ・・・!!」

kan4












しかし・・・
助けてしまう官兵衛なのでした。

ま、ここでの感じは・・・別所とは違って、手を下す価値もない!!ってところでしょうか?
何処までも小物ってとこですね。。。
あ~、これで御着の殿が出てこなくなると思うと、ちょっと寂しい・・・。

正親町天皇の仲裁によって本願寺と和睦した信長。
佐久間信盛の交渉によって、10年間に及ぶ戦いに終止符が打たれたのです。
蓮如はもう戦いを続けるのもなあ~、と、朝廷に和平交渉を申し込んでいたような節があります。
でもって、紀伊の鷺の森に移ることになるのです。
が・・・この蓮如、スゴイですね。
お坊さんなのに、奥さんが5人もいて、27人の子供が居たそうで、最後の子供は84歳の時の時に生まれたんだとか・・・
なんともスケールの大きな、私たちの思うお坊さんとは一味もふた味も違うお坊さんです。


あ・・・例の人事異動事件です。
そう、最古参に入る佐久間信盛・・・信長に見放されます。。。

kan5












突如、十九箇条に及ぶ折檻状を突きつけ、一切の弁明さえも許さず、織田家より追放してしまいました。

信盛、焦るも策なし・・・!!
兵は光秀が引き取ることになりました。
みんな神経ピリピリです。。。

光秀が一番出世となりました。
それまでは、村重でしたが。。。
信長に魅入られてしまったら、狂気になるのかしら???

秀吉から1万石を遣わされ・・・遂に大名となった官兵衛。


kan6












「藤巴紋」にしたそうですよ。
この大河では、土牢に入っていた時に見た藤の生命力の強さからヒントを得たってことになっています。
が・・・

黒田の家紋は「石餅(石持)」と「藤巴」。


「藤巴」紋は、職隆が仕えた小寺氏の家紋で、室町時代に成立した『見聞諸家紋』にも小寺氏の「藤橘巴」が収録されています。
小寺氏は播磨守護職を世襲した赤松氏の一族で、藤巴紋は赤松氏の巴紋を変化させたものと思われます。
そして、小寺氏の藤巴は橘紋と組み合わせているのが特徴で。。。
黒田氏は主家小寺政職から小寺の名字を名乗ることを許されたとき、藤巴紋も賜ったとも言われています。
こちらの説が本当だとしたら、政職を斬ることのできなかった官兵衛&義に篤い男官兵衛が表現できたように思うんですけどね。。。私はこっち押し。

で・・・もう一つの「石餅」紋は、ともに羽柴秀吉の帷幄にあった竹中半兵衛からもらったものだといわれています。

これから戦いが多くなってきそうな匂いがプンプンです。
佳境に入ってきましたね。これからがとっても楽しみ。

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え~??
「半兵衛の遺言」なの???
「過酷・・・荒木一族の運命」とかじゃなくって???
半兵衛とだし・・・キーマンなふたりなのに、何も同じ回で死ななくってもいいのになあ・・・
そう言えば、前にもこんなつめこみがあったような気がする~

天正7年11月・・・
有岡城落城・・・官兵衛は、家臣たちの手で救出されました。

髪も髭もキリスト状態の官兵衛・・・
助け出されたものの、まさに虫の息。。。

kan1












その頃有岡城では・・・
織田に捕えられ・・・荒木の者は、京へと連行されるのでした。

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そして官兵衛が生きているとの知らせは、秀吉にも・・・
一刻も早く信長にも伝えなければ・・・。

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「黒田官兵衛、決して裏切ってはおりませぬ!!
 何とぞ官兵衛のことをお許し願いたい・・・」by秀吉

って何を許すの・・・??

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そして、なんと粋な計らい・・・松寿丸との再会。。。

官兵衛が生きていたことに”あっちゃー”と思っていた信長。。。
そう、あの信長様が・・・
『信長公記』によると、官兵衛の生還を知った信長は、思わず嘆息
「官兵衛にあわせる顔がない・・・」と呟いたといわれています

ホント、人たらし、上手いわ・・・秀吉。

「半兵衛め・・・わしを謀ったな。。。
 さすが稀代の軍師、死してなおこの信長を手玉にとったか・・・
 官兵衛・・・許せ・・・」

と、労うために有馬温泉で治療に励むように指示したのでした。
さすが、後ろめたさMax・・・。
療養してもなおPTSDに悩まされる官兵衛・・・
殿の体が元に戻らない場合は、手と足となって戦う覚悟をする家臣たち。。。
やっぱり命を賭ける男同士は信頼が一番よね。

12月13日・・・信長による前代未聞の成敗が行われました。
見せしめとして・・・荒木一族とその重臣を捕え、尼崎で・・・家臣の妻ら122名を磔串刺し、銃殺刑。。。
残った500名を家4軒に押し込めて火を放ったのでした。
そう、尼崎・・・でやった・・・村重に対する怒りが・・・尋常ではない怒りが爆発した信長なのでした。

さらに16日。。。
女子供であるにもかかわらず、妻子36名を京都市中を引き回しの上、六条河原で斬首刑に処します。
そこには気高きだしの姿もありました。
一族郎党は、草の根分けてでも、根絶やしにする!!

『信長公記』にはだしのことを・・・
処刑に際し、車より降りる時には、帯を締め直し髪も高々と結い直し、
小袖の襟を押しのけて、尋常に斬られた。
見物の衆人はその立派な死に際を褒め称えた。。。とあります。

kan6












荒木だしをはじめ一族の最期でした。

尼崎城を捨てて逃げ出した村重の行方は、ようとしてわからなかった・・・
と、ナレーションしていますが。。。

花隈城に移り、最後の抵抗を試みたようです。
が・・・既に一族を見殺しにした彼に味方する者など殆どなく・・・
結局彼は毛利を頼って落ち延びていったと思われます。

で・・・一人生き延びる村重なのです。。。
ホント、戦国武将の妻として立派な最期を遂げたのにね・・・だしは。。。

ところで・・・有馬温泉で療養しても一向に治らない官兵衛・・・。
「もうや~めた・・・!!」
と、リハビリも投げ出しがち。。。
そんな官兵衛に右近からの死者が・・・それは、だしの処刑でした。。。

で・・・官兵衛はやっぱりPTSDに悩まされていました。

そんな折、一足早く、九郎右衛門が松寿丸と姫路に帰るという。。。

その松寿丸からやる気のないパパ兵衛にプレゼントが・・・!!

kan7












なんと、それは・・・
半兵衛の軍配だったのです。

kan8












自分の命が長くないことを知っていた半兵衛・・・
受け継ぐ軍師は官兵衛しかいないと思っていました。
つまり、松寿丸を助けたのも、人情・・・といってはそれで終わりですが、軍略的にもmastな選択でした。

もし松寿を殺していたなら・・・
官兵衛が生きていたとして、

①信長への怒りがMax
②姫路が混乱する
③稀代の軍師・半兵衛の認めた男が敵にまわる・・・

と、いいこと全くなし

自分の命がもう長くないと思っていた半兵衛は、今までも官兵衛を軍師にするように教えてきました。
自分の後を継げる男は官兵衛しかいない!!と思っていたのに、松寿を殺すことで官兵衛を失ってしまうのです。

ということで、女の私としては”年端もいかない子供が殺されるのは可哀想・・・”・・・誰だって、殺されたら可哀想か・・・
ですが、”大仕事”という意味でも、完璧な作戦でした。
今後の官兵衛の働き・・・中国大返しも見えてきましたよ。

ホント、この軍配の件、カッコいいです。
稀代の軍師の・・・自分の命である軍配を受け継いだ官兵衛、身の引き締まる思いだったでしょう。

お仕事しよう~!!と、姫路城に戻った官兵衛・・・

「皆も知ってのとおり、わしは以前のようには動けぬ。。。」

「殿!!我らにお任せくださりませ!!」by家臣団。
あ~、ここもいいですね。。。少年漫画的で。
今まで敵を信用して策略にはまっていた官兵衛ですが・・・
当時は”どれだけ寝返らせることができるか!!”ということが、最大の軍略だったといいます。
つまり、”信用に足る男か”ということが必要なんだそうです。
なので、”信頼されていること”が第一だったみたい。


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ひとり・・・半兵衛のお墓参りをする官兵衛・・・
感慨深げに何を思う???

お???官兵衛、何だか顔が違うよ。
ひとまわり大きな男になって帰ってきましたね。
なんだか軍師の顔になってきました。
今までのあまちゃん官兵衛は、ここに来るまでに布石だったのでしょうか?
土牢に入ってからの官兵衛、鬼気迫るものがあります。

ジャニーズもびっくりです。
ホント、いい俳優さんになりましたね。

これからの官兵衛、楽しみになってきました。


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