日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:長州

会津藩士の慟哭を超えて: 未来を教育に託す

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会津VS長州 ~ニッポンを創った二つの魂~・・・
そうなると、薩摩が怒ってくるでしょう??

福島県にある若松城・・・今から150年ほど前、ここで日本の未来のかかった戦いが繰り広げられました。
守るのは東の雄藩・会津藩・・・攻めるのは西の雄藩・長州藩。
幕末の悲劇として描かれる会津戦争。。。
どうして両藩は戦わなくてはならなかったのでしょうか?
そこには互いに譲れない精神がありました。
両者の信念は、一朝一夕に作られたのではなく・・・250年という江戸時代の選択の継承によって作られたものでした。

あ・・・この回は、”花燃ゆ”のテコ入れみたいですね。
朗読では”八重の桜”と”花燃ゆ”のお父さん対決にもなりそうです。
が・・・何をどうしたのか??選択してもらいましょう。

・会津藩(親藩)・・・23万石
・藩祖・・・保科正之
・最後の藩主・・・松平容保


・長州藩(外様)・・・37万石
・藩祖・・・毛利輝元
・最後の藩主・・・毛利元徳

親藩と外様・・・忠と志・・・二つの違ったスピリットがありました。

福島県会津若松市の小学校では、毎朝「あいづっこ宣言」を暗唱しています。

aiduこの言葉を考案したのは宗像精さんです。
11年前に策定しました。
会津藩の什の掟を参考にしています。

jyuuこの実直な考え方は、藩祖・保科正之によるものです。
徳川二代将軍・秀忠と側室の間に生まれました。


しかし、家光がいたので、保科家の養子となったのでした。
表舞台に出ることのなかった正之に目をかけたのは兄・家光でした。
家光と四代将軍・家綱を補佐する人間として徳川の安泰に務めまます。
それで戴いたのが会津23万石でした。
正之は・・・この時重大な選択をしました。
子孫に掟を・・・15条にわたる家訓を残したのです。

その第1条こそが・・・
”大君の儀 一審大切に忠勤を存ずべく・・・
 もし二心を懐かば 即ち我が子孫にあらず
 面々決して従うべからず”
幕府への忠誠心・・・それが会津の精神でした。


長州と徳川の因縁は、関ヶ原の戦いに遡ります。
東軍の総大将は徳川家康、西軍の総大将は毛利輝元でした。
西軍は敗れ・・・降伏した輝元に厳しい措置がとられます。
120万石の領土を2/3以上を没収し、周防・長門の37万石に封じ込め・・・それが長州藩となりました。
山口県萩市に輝元は城を築きます。
敢えて交通の不便な場所を選んだのは、家康を恐れたためとも言われています。
萩城には輝元の志しが・・・三方を海に囲まれ、急な山の上に作られたであろうお城。。。
それはまさに山城・・・要塞でした。
貯水池も残っています。
平和な時代の城に、危機意識の高い城となっていたのです。
幕府は長州にたくさんの普請をさせ、体力を削いでいきます。
膨大な借金・・・家臣たちをどのようにすればいいのか??
大リストラを敢行。。。3万人の侍を1万人に減らします。
これが長州藩の精神を作ったと言われています。
大部分は帰農しますが、一定の学力がそのわっていました。
明治の調査によると・・・私塾は106校、寺子屋は1204校あったと言われています。
帰農によって身分を超える教育がなされ、それが人材発掘になっていくのです。
外様の危機感とリストラが、徳川時代を生き抜く外様のしたたかさだったのです。

戦争を知らない保科正之の”平和な時代の精神”と、毛利元就を継承した”戦国時代の何でもアリの精神”・・・
軸にある考え方が違ったのです。
これが幕末の動乱の布石となっていきます。

会津藩の中興の祖と言われるのが、家老・田中玄宰。
1781年に家老となった玄宰ですが、1783年には天明の大飢饉が・・・会津だけでも餓死者は2000人を越えました。
藩存続の危機に・・・藩財政の改革に臨みます。
地場産業の立て直しをします
会津漆器・酒・朝鮮人参・養蚕・・・経済復興の足掛かりとしました。
しかし、経済以上に危惧したのが・・・士風の乱れです。
貧しさの中で、藩士としてあるまじき行為をするようになってきていました。
そこで・・・1803年藩校・日新館の設立!!
10歳になったら文武両道の厳しい教えを受けるようになります。
優秀な学生は、幕府の昌平坂学問所にも遊学させます。
忠義と礼節を重んじる会津藩士たちの名は全国に轟きました。
経済ではなく人の心を・・・!!
緊縮財政を精神で耐え抜いていく会津藩がそこにはありました。


長州藩は・・・??
中興の祖は、第七代藩主・毛利重就です。
重就は・・・新しい税収を得るために、開墾し4万石を得ます。
根本的な財政立て直しのために・・・4万石を特別会計にします。
そしてその4万石を元手に、撫育方を作り資産運用が始まりました。
三田尻の塩田の開発・・・36万石の塩が作られるようになります。
この塩に、蝋・紙を加えて三白と呼ばれる専売を作るのです。

越荷方を作り、港の倉庫業、貸金業・・・莫大な利益を上げていきます。
江戸時代の総合商社となった長州藩は、圧倒的な力を蓄えていくのでした。

この資金をいつ使うべきか・・・??
「撫育の経理を本勘定から分けたのは、藩を安らかにする一助とするためである。
 子孫の者は、このことを考え、重要なことがあった時にこそ、撫育金を使うように。」
幕末の長州の隠し財産は数百万両に膨れ上がっていました。
これが、維新の原動力となっていったのです。


1853年6月3日、黒船来航。
日本に開国を迫ってきました。
列強に対して、開国の道を進んでいく幕府・・・幕府の弱体化の始まりでした。
ときの帝・孝明天皇は、攘夷を強く望みます。
開国か?攘夷か??日本の未来はどうなるのか・・・??
会津と長州は、全く別の道を進んでいきます。
吉田松陰の松下村塾では・・・
「日本の独立を守るためには、幕府や藩に任せていてはいけない
 一人一人が行動するべきなのだ」
若者たちの胸を打ちます。
久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋・・・たくさんの若者が行動に出ます。
「奉勅攘夷」の道へ・・・!!

会津藩九代藩主・松平容保・・・幕府から京都守護職に就任要請が来ました。
公武合体も期待されていました。
京都では攘夷な過激派浪士が治安を悪くしていて、攘夷派の恨みを一身にうける可能性がありました。
「今はこれを引きうける知己ではありませぬ
 それはさながら、薪を負うて火を救うようなもの
 おそらくは労多くしてその功はないでありましょう。」by西郷頼母
しかし、容保の決め手となったのは・・・家訓でした。
家訓が下りることを許さなかったのです。
幕府に忠義を尽くすために・・・!!

1862年会津から1000人の兵を連れて京にのぼります。
長州と対立していく中心には、孝明天皇がいました。
まず、長州藩は信頼を得、幕府に攘夷の約束を取り付けます。
幕府はその攘夷を行わず・・・単独で攘夷を決行した長州藩。
1863年長州藩は、下関で外国商船を次々と砲撃!!
天皇に認められた長州藩は、勢いを強めていきます。

徳川の権威は失墜し・・・苦悩する容保
薩摩藩から情報が入ります。
「近年、孝明天皇の意志として出された攘夷の命令は、周囲の過激派公家たちによって偽造されたもの
 天皇はお嘆きになっている。。。」と。

天皇の真意はどこに・・・??

孝明天皇に攘夷派公家と長州藩の追放を伺います。
返事は・・・
「兵力をもって、国家の害を除くべし。」
天皇の心は、攘夷派公家と長州藩から離れていたのです。

攘夷派の追放を・・・!!
八月十八日の政変で、七卿落ち・・・。
御宸翰を与えられる容保。。。
「朝廷の堂上公家たちが乱暴な意見を連ね、不正の行いも増え、心の痛みに堪えがたい思いだった。
 内々の命を下したところ、速やかにわかってくれ、憂いを払い、私の思いを貫いてくれた。
 全くその方の忠義に深く感悦し、右一箱を遣わすものなり。」

”武士(もののふ)と  心あはして
   巌をも 貫きてまし 世々の思い出”by孝明天皇

忠義を重んじてきた会津にとって最高の喜びでした。


天皇の信任を受けていたのは長州のはず・・・
なのにどうして追放されなければならないのか・・・??
1864年7月19日、久坂ら長州藩士たちは、3000人の兵を引き連れ名誉回復の嘆願ために御所を目指します。
そして・・・会津藩と激突!!
血で血を洗う肉弾戦・・・禁門の変が・・・!!
この戦いで長州藩は敗北し、朝敵となったのでした。

対立軸は攘夷か開国かではなく、正当性や大義となっていったのです。

1866年6月、第二次長州征討に乗り出す幕府。。。諸藩と共に15万人。
対する長州藩はわずか3万人!!
自分達が闘うのは冤罪を晴らすためだ!!と、「長防臣民合議書」を36万部作成し、武士だけでなく、農民たち市民にまで配布!!ここから志願兵が出てきました。
最新兵器をイギリスから購入!!そのお金は、撫育方によってためられた特別会計からでした。
長州軍は、250年かけた用意周到さで戦っていきます。
政局は・・・??
幕府の権威は地に落ち、薩摩・長州を中心とした武力討伐へと傾いていきます。

そんな中・・・1867年10月、将軍・慶喜による大政奉還が行われました。
驚愕、茫然する会津藩士たち・・・。

長州藩の目標であった幕府打倒が・・・すんなりとなされてしまいました。
新政府をどうする・・・??
合議制を導入する??そこに徳川を入れる??
木戸孝允は・・・
「膏薬の治療で、表面の形を整えただけでは、のちのち再び問題が起こることでしょう。
 中途半端に終わらせては、日本の瓦解は明らか
 どんどん打ち滅ぼし、国の大本を締めることが急務だと思います。」
 
徳川家を排除する選択をします。

そして・・・1867年12月9日・・・王政復古の大号令!!
1968年1月3日の鳥羽伏見の戦いでは、旧幕府軍が惨敗!!
形勢逆転によって、朝敵は長州藩から徳川・・・会津へとすり替わっていったのでした。
4月11日江戸城無血開城!!
しかし、その中にあって戦い続けることを選んだ会津藩。
将軍が恭順をしているのにどうして戦いを辞さなかったのでしょうか・・・??
このまま自分達の非を認めるわけにはいけない!!そこには、譲れない信念がありました。

若松城での籠城戦が始まりました。
忠義の精神が・・・教えが籠城戦の原因の一つとなったことに違いはありません。
1日・・・多い時は2000発から2500発の砲弾が撃ち込まれ・・・
1か月の籠城の末、1868年9月22日会津藩降伏。

共に・・・日本の良き未来を目指していた二つの藩・・・
戦いを避けることは出来なかったのでしょうか??
勝者の憎しみが全て会津藩へ向いたことで、結果的に徳川家を守ることになりましたが。。。

戊辰戦争は、内戦としては死者が少なかったと言われています。
長州も会津も、傍観者ではなかった・・・。
幕末の動乱を、日本を背負って立とうとした人たちでした。

会津戦争の確執は、今も消えたとは言えません。
が、会津にある東明寺は、西軍墓地と言われています。会津戦争で亡くなった長州・薩摩・土佐の兵が眠っています。
今も会津の人が守っています。
子供たちも・・・”あいづっこ宣言””松陰先生のお言葉”・・・それぞれを大切にしています。
幕末、日本の未来のために立ち上がった会津と長州・・・その精神を受け継いでいるのです。

最後まで見た感想ですが・・・
このまま大河にしてほしいくらいでした。
会津藩の方には、「八重の桜」の山本むつみさんが出ていて・・・「八重の桜」は”什の掟”をもとに、魂の高潔さをもとに作っていたといっていました。

そうなんですよ・・・で、「花燃ゆ」のコンセプトは何・・・??
信念はどこだ~~~!!
英雄たちの選択では、長州はつねに「志」だ・・・みたいなことを言ってたんです。
どちらが正しくてどちらが間違っていたのか??
どっちも間違っていないと思いますが・・・同じNHKなんだから・・・解っているなら8か月間「志!!志!!」といいながら、どんな志か全く解らない長州藩の志を花燃ゆで演出してほしいものです。

ほんと・・・解りやすく解説してくれていて・・・
もう一度言います。これをそのまま大河にしてほしかった。。。

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前回で、吉田松陰がこの世を去りました。
今回の副題は「残された者たちが新しい扉ひらく」です。
”花燃ゆ”は、もちろん、杉文さんの一生ですが、これから幕末維新の有名どころがドンドン出てきます。
ドラマとしても、新しく人気が出るといいですね。

まずは初めに・・・というか、いよいよ幕末の風雲児・坂本龍馬の登場です!!

1860年2月・・・
萩にいる人々は、ようやく新しい生活を楽しみだしたようです。
高杉晋作もようやく妻を娶り・・・これで落ち着いて欲しいと思っている父・小忠太。
放蕩息子なイメージの強い晋作ですが、実は・・・殿やこの父にはなかなか刃向えなかったようです・・・
でも、立ち上がりますよ。

文が家に入ろうとすると・・・叔父が空っぽになっていました。。。
そう、立ち直ろうとしている人々にとって、寅次郎のいなくなった・・・ぽっかり空いた穴は埋まりそうにありませんでした。

松下村塾を任かされた伊之助・・・
しかし、井伊の目もあって藩からの許可は下りません。
藩命で、越氏塾に行くことになってしまいました。

江戸では・・・季節はずれの雪が・・・って、何だか嫌な予感・・・
一発の銃声とともに・・・
予感的中!!いきなり桜田門外の変!!
んな馬鹿な・・・!!
っていうか、何じゃこりゃ・・・!!

長州が井伊に目をつけられている・・・って話したところなのに、なんの前触れもなくもう死んじゃうの・・・
せめて、誰が(って、水戸藩士+薩摩藩士)駕籠を襲って、お供と斬り合って、雪の上に血とか、椿・・・とか、やってほしかったんですけど。。。
杉家に来た手紙で終わっちゃいました。。。
なんてこった・・・松陰最大の敵だったのに。。。
講義をするほど歴史が大好きな高橋英樹さんも無念だったに違いない。。。


獄に繋がれていた入江九一・野村靖も釈放され・・・
前原一誠も、塾に帰ってきました。
そう・・・みんないろいろあって、お役御免です。
呑気に笑っていますが、多分、おぼっちゃんの高杉晋作以外は食べるにも困っていたはずです。
そんなに困っているのに、寅次郎のことを褒めちぎる・・・!!

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「君の志はなんですか??」

追悼だというけれど・・・きっとこんなにほんわかした雰囲気ではなかったはず・・・
だって、暗殺計画してたのよ・・・??
そこらへんが嘘っぽく感じちゃうのかなあ・・・??


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長州藩でも、いろいろ話し合っています。
伊之助、ちょっと頑張ってますけど。。。
まだ、危険思想と思われている松下村塾。。。
伊之助の意見は聞き入れてもらえそうにありません。

伊之助&重臣たちが無礼講で話している時にやってきたのは玄瑞・・・
長井雅樂の航海遠略策に対して反対・・・
寅次郎のことに話が及んで喧嘩になっちゃいました。
長井を懐柔しようとしていた伊之助の計画が水泡に帰してしまいました。

玄瑞の想いは届かず、航海遠略策は長州藩藩是となりました。
やるせない塾生たち。。。

??突っ走りだしました。久坂玄瑞・・・。
長井雅樂を怒らせてしまったことは言わずに・・・??もう、藩に望みは持たない!!
今なら、先生の気持ちがよく判る!!草莽崛起で頑張る!!みたいなことを言いだしました。

塾生たちが帰ってきたことで、杉家には久しぶりに明るい声が帰ってきました。

が・・・塾生たちは、寅二郎の書いた本の写本を熱心にしていました。
先生の言葉を広め・・・そのお金を軍資金とし、戦って・・・もし、志半ばで斃れた時にはそのお金で墓を建てる!!というものでした。
それを聞いて怒る文!!

それは松下村塾ではないと・・・兄・寅次郎の意志ではないと・・・。

???そうなんじゃないの???
方向性をつけたのは寅兄で・・・寅兄の育てた生徒たちなんですけど・・・。
やっぱりかなり少女漫画的になってるような気がします。
自分と恋人が助かりさえすればOKみたいなご都合主義変換・・・。
もちろん、文におんなの幸せを望むなというのはおかしいでしょうが、寅次郎のために人生が狂ってしまった人が・・・塾生が・・・あんなにたくさんいるのに・・・。

桂小五郎、伊藤博文・・・維新を生き抜く人はたくさんいますが、寅次郎の思想に共鳴した若い命が沢山散ってしまったという現実を考えると・・・。
いくら色眼鏡で、やさしい兄を一番にしたっている文だったとしても。。。
例えば・・・幼馴染のすみやふさに申しわけないと思うことはあっても、塾生たちは兄の言うとおりに進んでいるのだから・・・なんて思えてしまうのです。


落胆する文の前に現れたのは・・・あやしい。。。

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「土佐藩郷士・・・久坂玄瑞様に文を・・・
坂本龍馬・・・いいます。」
いよいよ龍馬登場!!
武市半平太からの手紙を持ってきました。

ここでも文ですね。

家の中を冒険する龍馬・・・ちょっとワイルド・・・そんな感じのする・・・伊原龍馬です。

「どういうお人じゃった??吉田松陰先生は・・・」

「優しい人でした。
 熱い人でした。
 講義に熱中しすぎて握り飯を頬張りながら、気付いたら朝なんでことも。。。

 ・・・でも、寂しかったと思います。
 こんまい時から叔父に厳しく育てられて・・・。
 神童・天才って言われて・・・ずっと独りで。。。
 
 やから、せめて私達家族だけはただの寅兄って・・・。
 朝起きて食べて寝て・・・そういう普通の暮らしに戻そう戻そうとして・・・
 でも、逝ってしまいました。
 消えて・・・おらんくなった。。。」

どうやったら生きていてくれたのか??
松陰なんて知らん・・・私たちにはただの寅兄だ・・・って言いたいの??
まるで”江”のような、ご飯食べて、子供産んで、お菓子食べて、子供産んで・・・って私が言ってるように言ってるみたいです。

そんな愚痴を龍馬に言うかい??
そんなこと、聞きたくないよね・・・??

hana4














男が男に惚れた・・・そんな男の話を聞きたかったんじゃないの??
それとも文を助けに来たのかな・・・??龍馬。。。

この頃の龍馬は、まだあんまり目標がないです。
が・・・武市半平太と玄瑞はかなり密な交流があったから・・・??
人と人をつなぐのは文ではなく、やっぱり龍馬さんなんじゃないの・・・??


草莽崛起・・・この言葉に感動して帰ったという龍馬・・・
だ・か・ら・・・!!
激論を交わしてほしいんだって・・・!!
玄瑞と文のラブラブシーンは要らないわ!!


う~ん・・・やっぱり命を懸けるからには、草莽崛起、草莽崛起、言ってるだけじゃあ駄目だと思うの。。。
そこに行きつくまでには寅次郎の小難しいお話があったと思うんですよね。
男が男に動かされ・・・命を懸ける・・・松陰信者は、そこに人々は心を動かされ・・・私も惹かれたいのですが・・・。
このドラマを見る限り・・・全く感じられないのがねえ・・・。

日本の歴史上、明治維新は大化の改新と同じく・・・外圧によって日本が変わった政治です。
そう・・・今まで2000年ある中で、根底から覆ったのはその二つしかないのに・・・
もっと政治が見たい。。。
だいたい龍馬も大事ですが、宿敵井伊直弼をナレーションだけで殺しちゃうなんて・・・オカシイデス。。。
政治的なことをナレーションで終わらせるのなら、朝ドラでやってください。。。

もともと女性脚本家二人体勢だったのが、5月から女性三人になったって知ってました・・・??
一話完結のアニメじゃあるまいし・・・と思ってしまったのは私だけでしょうか

真央ちゃん頑張ってるのになあ・・・可哀想。。。

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お~~~いきなり寅次郎が黒船に乗り込んでしまったところから始まりました。

hana













寅次郎、すんごい顔して密航していますが・・・この件は・・・もう終わり・・・??
ちなみにこの密航を企てるに当たっても・・・
下田に潜伏して密航の機会を待っていました。
ここだけでもいろんな話が作れそうですが・・・
OPが終わった瞬間にこの始末。。。

hana5











あ~、もしかすると、この作品の最大の見どころかも知れないのに・・・??
寅次郎は下田から江戸に送られ・・・伝馬町の牢に入れられてしまいました。

おお・・・怒り狂っている文之進が、佐久間象山(八重の桜)に見えてしまう。。。
ここでもプチ混乱発生。。。
最近のドラマで思うのですが・・・”人気がある”と、どこでも使うということ。。。
やっぱりその役が抜けきってからの新しい役をしてほしいの。。。

長州の家族は・・・寅次郎に翻弄され・・・色々な想いを感じていました。
まあねぇ・・・まだまだ小さい文にはどうすることもできないことなのですが・・・だからこそ、もっとガッツリ描いてほしい。。。

とりあえず、責任をとって腹を切ろうとした梅太郎に・・・
”おまえさま・・・
 お帰りになられてからずっとせわしかったんで、言いそびれちょりました。。。
 「おかえりなさいませ」
 よう・・・お戻りになられました。
 ほんに・・・ご苦労さまでございました。”

”ん・・・”

梅太郎と亀・・・このシーンが良かったですね。

これぞ、武士の妻って感じです。
言葉にしなくてもわかるってところが、控えめで・・・でも”自害するかどうか”追求しないところが優しくてとっても良いです。
日本人的ですよね。

「寅次郎は長州の宝ぞ・・・」という敬親。。。これ一辺倒で突っ走るんだろうか・・・??

お・・・
「初めから述べてみよ。。。」と、番所で寅次郎が企てた密航について話し出しました。
やってくれるんだ・・・良かった。。。

1854年・・・下田に来たペリーの船、ポーハタン号に乗り込みます。
小舟に乗って同行するのは、一番弟子の金子重輔。
目的は・・・敵を知るために・・・!!

ちなみにこの時、ペリーは熱心なこの青年たちに感激し、連れていきたいと思っていました。
が・・・条約も締結し、幕府に対して波を立てるのもどうかなあ・・・??と思ったので・・・
懇願する寅次郎と重輔を・・・
”大目に見てあげてね”と、幕府に引き渡したのでした。

で・・・やっぱりこの国の行く先を愁いでいた寅之助。。。
国禁を犯し・・・処罰されるのを覚悟で番所に名乗り出たのでした。


お・・・伝馬町の牢で・・・罪人相手に説教し、粋がっている寅次郎ですが・・・
当時は牢名主がいて・・・お金を包まないと駄目でした。
そう・・・牢名主にお金を包んだら厚待遇だったの。。。
最初、お金を持っていなかった寅次郎は・・・最下層に置かれたそうですが、江戸藩邸から金子を用意してもらってなんとか頑張れたと言われています。

ま・・・この牢でも講義したっていうから、ほんと日本の行く先ばっかり考えてたんでしょうね。

萩では・・・トラブルばっかりの杉家に冷たい人々。。。
文は・・・なんだか父・百合之助の様子がおかしいことに気付き・・・。
もうすぐ生まれてくる寿の子に駕籠を作ってくれるように頼むのでした。

hana3

















何を考えている??百合之助??

そして・・・
寿は男の子を出産・・・篤太郎の誕生でした。
お・・・まさに赤ちゃんです・・・かわいい。

そこに帰ってきたのは小田村伊之助・・・寅次郎の知らせを・・・国許での蟄居を伝えに”杉家”に帰ってきたのです。
寿も”杉家”で暮らせばいいのに・・・。
生まれた子供よりも寅次郎の心配をする伊之助・・・。
でも・・・寿に会いに行っていないことより、寅次郎が伊之助に思われて幸せだと喜ぶ母・滝っておかしくない・・・??

公儀に許されて帰ってきたとはいえ・・・
寅次郎は国禁を犯した大罪人・・・長州藩としてはどう裁く・・・??


そして父・百合之助は何を想う・・・??
って・・・父が孫に会いに行ったり、孫に書物をやると言ったり、孫にお守りをあげたり・・・
フラグはたくさん立っているのに、なんでみんな分かんないかなあ・・・。
父の本心を!!

そう・・・気付いたのは文のみ・・・
って、滝さんお気楽すぎないかい・・・??

そのくせ、父は文に・・・寅次郎を支えて守れという・・・
そうか・・・滝さんが当てにならないからか・・・??

寅次郎は・・・野山獄につなぐというお達しが出ました。
そして・・・父・百合之助には、育役を続けよというお達しが。。。
父上の切腹願いは差し戻されたのです。

「生きてつかあさい」は長兄と・・・父だったのよね。。。
だって、寅次郎は自業自得・・・。

帰ってきた寅次郎は野山獄に・・・身分の低い金子は岩倉獄へと収監されました。
hana2













あんなに旅に出るのが好きな子だったのに・・・みたいなことを滝さんが言って・・・
そんな兄のために書物を運ぶという文。。。
ほんと、助かっただけでもありがたいのに、やっぱちょっとずれてますよね。。。

gokuこの野山獄と岩倉獄・・・

どうしてできたのか・・・??
昔・・・岩倉さんが酒に酔っぱらって野山家に斬り込んでしまいました。

で・・・長州藩は野山家に岩倉孫兵衛を幽閉・・・斬首の刑にしました。
が、喧嘩両成敗ということで、両家はお取り潰し、屋敷は没収され・・・
牢獄として活用したのでした。

ちなみに、斬り込んだ岩倉側に非があるので、士分の者を収容する場合に上牢・野山獄、庶民を収容する場合に岩倉獄となったのです。


寿が・・・
野山獄からは帰ってこれない・・・みたいなことを言っていましたが・・・。
実はこの野山獄、寅之助が入った時は全部で11人・・・士分は2人だけで、他の9人は家族の申し出によって借牢されたものでした。

そして寅之助の場合も・・・
渋々百合之助が借牢届をだして・・・それを藩が受ける形になっていました。

”入ったがさいご出ることのできない牢”は、家族から申し出て無期限に入牢させられる・・・そこに”出られない”があって・・・

拷問は無く、囚人同士の交流有、親族も出入り自由、差し入れ自由・・・ただ・・・刑期の終わりのない希望のない生活をしていたのです。

ただ・・・岩倉獄の環境は劣悪で・・・着物や食べ物も満足に支給されていませんでした。
もともと江戸から搬送されてくる間に体調を壊していた金子・・・この岩倉獄で無念の死を遂げています。

とりあえず・・・ガンガン行く寅次郎に怒ることなく、責任をとってやろうという・・・本当に甘い人たちの集まりですね。
怒り狂っていますが、文之進おじさんの方が正しいよ・・・きっと。。。
怒っても、怒っても足りないことをやっているのだから・・・松陰先生は。。。

なんか、突っ走って・・・突っ走って・・・
あと5年・・・ほんともうすぐ死んじゃいますよ・・・。
松陰先生。。。
でも・・・文さんはなんと大正10年まで生きるそうなので・・・
これぐらいのペースでないと駄目なのだろうか・・・??

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幕末・・・長州藩が攘夷から開国に替えるきっけけとなったのが・・・馬関戦争です。

時は1863年4月、攘夷を促す勅書に窮した幕府が、「攘夷の期限は5月10日」と宣言したので・・・
長州藩は5月10日、藩兵を下関に終結させます。
以降、関門海峡を通りかかった外国船をかたっぱしから砲撃しました。

だから・・・64年8月5日イギリス・フランス・オランダ・アメリカの4か国連合艦隊が下関を襲撃しました。
これに対して長州藩の大砲は、連合艦隊に全く役に立たず・・・
たった二日で砲台はすべて制圧されてしまいます。
高杉晋作が講和使節となって8日には集結しました。

この時あった長州藩の大砲は、117門とも150門とも言われています。
しかし・・・現在も残っているのは木製砲一門を例外として、青銅器製の大砲はすべて戦利品として連合艦隊に持ち去られてしまいました。

奪い取った大砲は、70門とも109門とも言われています。
その後は定かではないものの・・・フランスに渡った大砲のひとつは、1984年、ミッテラン大統領の決断で日仏友好の印として里帰りしています。

鋳つぶされたものも多いようですが、アメリカ・ワシントンの海軍記念博物館にも展示されています。

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