日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:阿部正弘

幕末維新と松平春嶽

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今からおよそ150年前、大改革が行われていました。
参勤交代は、全国の大名が二年に一度江戸へ赴き、軍役奉仕を行う江戸時代の基本制度です。
その費用は莫大で、藩財政を圧迫・・・幕末には多くの藩の財政を圧迫し、破たん寸前となっていました。
当時は異国船の来航・・・防衛力の強化と財政の立て直しが叫ばれていました。

「最早参勤交代をしている場合ではない!!」

そういったのは、越前福井藩主・松平春嶽です。
春嶽は、大胆な緩和を幕府に提案し、大名の負担軽減と防衛力の強化を叫びます。
しかし、参勤交代は主従関係を確認する幕藩体制の根幹・・・周囲は難色を示します。
国家存亡の危機を前にしても帰られないその制度とは・・・??!!

松平春嶽が、参勤交代の帰り道を書いた日記によると・・・
江戸を出て間もなく、農民たちの姿を目の当たりにして・・・

”裕福なら牛や今を使えるが、貧しいとそうはいかぬ
 もし百姓の苦労や実情を知らぬ大名がいたら、嘆かわしきこと”

一国の主たるもの、領民を慈しむ政治をしなくてはならない!!
その政治信条を培ったのが、幕末の財政難でした。
90万両もの借財があったと言われていて、自分の藩を見つめ直し、領民に対する見方を戒めたのです。
つもりに積もった福井藩の借金・・・90万両=450億円・・・。
そのしわ寄せが領民の年貢に・・・打ちこわしや一揆が頻発していました。
危機的な懐事情で・・・春嶽ですら一汁一菜でした。
粗食で耐え凌ぐ有様でした。
他の藩も同様の状況で苦しめられていました。

その最大の原因が、莫大な経費を必要とする参勤交代でした。
その旅路は宿代だけでもバカにならず、2000人のお供を連れていた加賀藩の場合、1泊で1000万以上・・・
江戸までの片道の宿泊費は総額2億円にもなりました。
少しでも宿泊日数を減らそうと、速足で駆け抜けるという涙ぐましい努力をする藩もありました。
さらに、江戸へ人質として置いていた妻や子の住む江戸藩邸の維持費も大きなものでした。
5000人もの藩士がいた加賀藩では、年間予算の半分・・・50億円を江戸で費やしていました。

それなら参勤交代の規模を縮小すれば・・・??
御用商人たちの武鑑には、各大名の名前、石高、武器の種類や数まで事細かく書かれていて・・・それが大名の格となっていました。
江戸に暮らす庶民は、この武鑑を大名行列のガイドブックとしていたので、大名たちは、お家の威信にかけて格を下げるようなことはできませんでした。
しかも、この行列は、幕府にとっても大名にとってもメリットがあり・・・
江戸に大名が来るというのは、幕府の権威を非常に高め政権が安定します。
大名同士の序列の中で、自分の家が他藩より高いか努力します。
参勤交代の道具を増やすことを幕府に嘆願し、幕府が許可する・・・
それは、幕府の恩恵を感じ、大名は同等だった大名たちに一歩先んじる努力をしたのです。

将軍との謁見でも、格に応じて畳の何枚目に座るかが決まっており、大名の努力次第で位置を変えることができ・・・参勤交代は、大名同士の格式をめぐるせめぎあいでもありました。
しかし、その制度の改革を迫る未曽有の危機が日本を襲います。

1853年ペリーが浦賀に来航。
どう対応するのか??幕閣は連日議論していました。
しかし、結論を出すことができません。
時の老中・阿部正弘は、全国の大名に意見を募ります。
幕府としては異例の試みでした。
そして、1通の建白書が幕府に届きます。
その差出人こそ、26歳の福井藩主・松平春嶽で、その内容は、幕府にとって衝撃的なものでした。

全国の大名は参勤交代で疲弊しきっております。
この国難に対峙するためには、江戸に散布する大名を帰国させ、挙国一致で軍備を整えるべきかと存じます。

春嶽は、異国に立ち向かうためには、財政をひっ迫させている参勤交代を緩和する必要があると幕府に訴えたのです。
しかし、将軍の忠誠を誓う証である参勤交代の改革を主張すれば、幕府から反逆を疑われ、処罰されてもおかしくありませんでした。
どうして春嶽は危険を省みず主張したのでしょうか??
春嶽は、本来は田安徳川家の出身で、将軍になったかもしれない立場でした。
なので、福井藩のことだけを考えてはいなかったのです。
春嶽が生まれた田安徳川家は、八代将軍吉宗に始まる家柄で、春嶽は11代将軍家斉の甥に当たり、12代将軍家慶のいとこにあたるサラブレッドだったのです。
これは譜代からは言えず・・・親藩大名の将軍に近い自分だからこそ言える!!自信と使命感に溢れていました。
しかし、幕府はこれを却下。

「幕府を人体に例えれば、大名の参勤は、骨の最大なるもの。
 骨を砕いてしまえば、取り返しがつかない。」by阿部正弘

納得がいかない春嶽は、当時最も英明と言われていた薩摩藩主・島津斉彬に自分の意見を解き、幕府説得の協力を求めます。
しかし、斉彬は春嶽に同意するものの・・・外様の自分に言えるわけがないと答え、幕府の前で突飛な言動は控えるようにとくぎを刺されてしまいます。
しかし、建白書を出し続ける春嶽。

諸大名の忠誠と服従を繋ぎ止めてきた参勤交代を緩和すれば、幕府の権威は一気に崩れ去るかもしれない・・・
そんな危機感が幕閣にはあったのです。
このまま何も変えなくていいのか・・・??
春嶽の前に大きな壁が立ちはだかっていました。

最早自分一人の力だけではどうすることもできない・・・春嶽は、行動に移します。
同じ志を抱く大名と党派を組んで幕府の政治を変えようというものでした。
春嶽は、水戸・徳川斉昭、薩摩・島津斉彬と共に、栄明と評判の高い一橋慶喜を次期将軍に推薦します。
さらに、1857年8月、江戸の藩邸に徳川家に近しい大名達と会談し、協力を要請します。
春嶽の意見を聞いた徳島藩主・蜂須賀斉裕は、神君家康公以来の法に触れるのは幕府に不審を抱かせると難色を示しました。
それでも春嶽は引き下がらない!!改革の意義を力説します。
その熱い想いにじっと耳を傾けていたのが鳥取藩主・池田慶徳です。
慶徳はその後も春嶽と会談を進め、大名の声が天下変革の響になるという春嶽の想いに共感し、幕府に建白書を提出します。
やがて春嶽達に同調するかのように幕府内からも参勤交代を見直すことが挙げられます。
特に海防を担当する海防掛大目付は改革の必要性を痛感。
「参勤交代の緩和が諸藩の出費を減らし、海防強化の一助になる」と、建白書を出しています。

春嶽が参勤交代の緩和を主張してから4年・・・改革の機運は高まりつつありました。
ところが・・・一人の男が立ちはだかります。
譜代最大の大名・井伊直弼です。
次期将軍に紀州の徳川慶福(のちの家茂)を推した直弼は、次期将軍をめぐっての主導権争いに勝利!!
そして・・・一橋派の一掃に乗り出しました。
世に言う安政の大獄です。
1858年7月、春嶽は隠居謹慎処分に・・・江戸藩邸で逼塞生活を送ることとなりました。
井伊直弼の強硬な姿勢に耐え忍ぶようにと、家臣たちを戒めます。
2年後、春嶽を謹慎に追い込んだ井伊直弼が桜田門外で暗殺されます。
幕府の権威は急速に傾き始めました。
しかし、春嶽の近親が解かれることはなく、4年にも及びました。
春嶽はどのような政治構想を持っていたのでしょうか。
虎豹変革備考・・・春嶽がイギリスの政治体制をもとに自らの政治構想を記しています。
上院と下院に分かれた議会で、幕府には行政のみを委ねる議会制度を構想していました。
上院には大名を、下院には武士や百姓町人を参加させるべきだと説いています。
春嶽は参勤交代の改革を突破口に、近代的な政治の導入を模索していたのです。

井伊直弼の暗殺から2年後・・・時代は大きく動きます。
1862年3月、島津久光が藩兵1000人を率いて上洛。
朝廷を後ろ盾にして、幕府に政治改革させようとしました。
それは、春嶽を大老に、慶喜を将軍後見役に就任させ、幕政の助けにするという要求でした。
これに慌てたのが老中たちです。
朝廷や外様大名の要求を受け入れ幕政改革が行われるような事態になれば、幕府の権威は地に落ちたも同然!!
1862年5月、春嶽は謹慎を解かれ江戸城へ登城!!
将軍家茂の元へ・・・!!
欧米列強の対応で亀裂の入っていた朝廷との関係を修復、公武合体の実現に向けての交渉役を依頼されます。
春嶽にとって、それは将軍の以来と引き換えに参勤交代の緩和の絶好のチャンス!!
しかし、幕府の権威が落ちた今、それを行うのは大きなリスクをはらんでいました。
どうする・・・??

参勤交代の緩和を今切り出すのか?それとも時期を見るのか・・・??

将軍を目の前にどう応えたのでしょうか?
春嶽は将軍自らが不退転の覚悟で幕政改革をすると約束しないならば、従うつもりはないと言い放ちました。
その上で、老中らに速やかに徳川優先の政治をやめ、大名を苦しめる参勤交代の緩和をはじめとする幕政改革を迫ったのです。

改革の時はいまを置いて他になし!!

1862年7月、将軍後見職に一橋慶喜、政事総裁職に松平春嶽を任命。

その一月後・・・幕府はついに参勤交代の緩和を布告しました。
この改正によって参勤は2年→3年となり、江戸の滞在日数を1年→100日としました。
江戸にいる間は幕府に積極的に政治的意見を具申するようにさせます。
大名妻子は帰国は自由とし、大名たちを最も苦しめていた江戸での経費削減を実施していきます。
効果は覿面!!
全国で藩政改革が進んで行きます。

大名達はこぞって軍艦や大砲を購入。
それまでできなかった軍事力の強化と産業の育成に励みます。

しかし・・・その先には、春嶽も予測できなかった時代のうねりが・・・。
それは、急速に発言力を持ちだした朝廷でした。
春嶽たちが幕政改革をし出した2か月後・・・大名に対し、帝のいる京都の治安を守るように京都警護を発令!!
幕府を通さず、天皇が直接大名たちに軍役奉仕を求めたのです。
強硬な公家・三条実美は将軍後見職の慶喜に対し、諸大名の参勤は江戸と京都で折半しようと持ちかけさえしました。
1863年2月、上洛のために家茂が江戸を出発。
開国を容認してもらうために・・・。
その交渉役を任された春嶽は、将軍上洛の数か月前から朝廷と開国容認の交渉を続けていました。
しかし、孝明天皇は認めず、攘夷実行尾を春嶽に迫ります。
交渉は暗礁に乗り上げていました。
幕府と朝廷との板挟みになる春嶽・・・

さらに盟友であった一橋慶喜との間で政治方針を巡って対立し始めました。
3月、春嶽は政事総裁職を辞任。
政治改革の道から離脱してしまうのです。
その後、日本は本格的な激動を迎えます。

1864年第一次長州征討
幕府は諸大名に出兵を命じます。
その1か月後、幕府は参勤交代の復旧を発令!!
幕府への統制力を強めようというのが狙いでした。
ところが大名たちは、国家の大事件だと困惑・・・。
春嶽にも問い合わせが来ます。

「幕命には従わなければならないが、そのまま様子を伺い、幕府から催促が来た場合には病気を口実に断ればよい」と。

春嶽から見ても、衰退は止めようがありませんでした。

1867年10月14日、大政奉還
仕える将軍がいなくなったことで、参勤交代制度は終焉を迎えます。

明治に入っていからの春嶽は、執筆活動に専念。
数々の著作を残しています。
井伊直弼のことは・・・
”徳川家の威光を盛んにせんとの志にて、決して私欲のためにやったことではない。
 彦根公の英断が今に至りては感すへし”
と書いています。

直弼の一連の決断は、幕府と徳川を思っての英断だったと振り返っています。

春嶽は、自分が行った改革を失敗だったと思っていたのでしょうか?
その真意が明かされることはなく、1890年6月、春嶽死去・・・63歳でした。

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斉彬に消された男―調所笑左衛門広郷

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地中海に面したフランスの都市トゥーロン。
ここに、興味深い絵が残されています。
水彩で描かれた南国の島・・・そこには琉球王国の大臣が・・・。
これらの絵が描かれたのは、1846年。
フランス海軍中尉によるものです。

この年、フランスは琉球に3隻の艦隊を派遣していました。
目的は、開国通商・・・。
アヘン戦争をきっかけに激化する東アジアの勢力争い・・・
その矛先が、終に日本に向かったのです。
この問題に真っ向から当たったのが、当時琉球を支配していた薩摩藩の家老・調所広郷でした。
圧倒的な武力で開国を迫るフランスの脅威。
頑なに鎖国を掲げる幕府・・・。
そんな中、調所は一世一代の賭けに出るのでした。
調所の命をかけた秘策とは・・・??

1776年鹿児島城下で下級武士の次男として誕生。
13歳で調所家の養子となりました。
調所家は祖父の代から茶道坊主を務めており、広郷も剃髪し、その道を選びました。
23歳で江戸に出府・・・奥茶道に・・・。
藩主を凌ぐ権力を持つ重豪の目に留まったとこは、広郷にとって大きな転機となりました。
1828年、武士に戻り、藩全体の財政改革を任されます。

その頃、薩摩藩は破産の危機に瀕していました。
幕府から命じられる治水工事などの莫大な負担。
島津家の姫君を将軍家に嫁がせる婚礼費用。
借金は膨らみ、500万両・・・今のお金にして2500億円を超える膨大なものとなっていました。

調所が財政改革の柱の一つにしたのが奄美大島の黒砂糖でした。
それまで島民に許されていた砂糖の売買を禁じ、生産量すべてを薩摩藩に納入させ、大坂商人を使って売りさばきます。
黒砂糖の利権を与える一方、大坂商人たちに債務返済に大幅な譲歩を迫ります。
元金千両に付き年4両返済、250年割賦という強引な条件を飲ませたのです。
そしてもう一つの切り札が・・・
北海道近海の昆布を富山を介して入手し、琉球を通じて清国に輸出していました。
この貿易を発展させようとしたのです。
薩摩藩は漢方薬の原料である薬種を輸入販売していました。
富山の売薬商から入手した昆布を琉球の交易船に積み、清国で販売し、薬種を仕入れ、日本の市場で売りさばいたのです。
当時、貴重な薬種の殆どは幕府でしたが、薩摩藩は琉球を通じて一部の薬種の輸入販売が許可されていました。
調所はこれに目をつけ、規制を越えた量、薬種を売買し、膨大な利益を生んだのです。

誰もがなしえなかった財政再建を実現し、50万両もの備蓄金を蓄えるに至った調所。
そんな調所の前に思いもよらないことが・・・。
1844年3月11日、一隻の軍艦が琉球に・・・フランス船アルクメール号です。
琉球王府に対して、開国通商を要求しました。

アヘン戦争で清国に圧勝したイギリスは、香港を割譲させ、東アジア貿易の拠点を手に入れていました。
中国市場で後れを取ったフランスは、琉球に狙いを定めたのです。
この要求は、琉球王府を動揺させます。
当時の琉球王府は薩摩の実効支配だけでなく、名目上は清国の柵封を受けた属国でした。
独自の通商など許される立場ではなかったのです。

琉球王府は、フランスの要求を必死に拒絶!!
我国は、金銀銅などの資源が乏しく、貿易には耐えられない・・・と。
しかし、船長はこれに応じず、再交渉の為大艦隊が来ると通告し立ち去りました。
薩摩へ急報・・・そのことは、幕府に伝えられました。
6月・・・調所はフランス船への対処を幕府と協議。
鎖国を掲げる幕府としては、フランスの要求を放置するわけにはいかない・・・
対応に当たったのは阿部正弘。
調所に、琉球への警備兵派遣を命じます。
調所も従い、100人ほどの兵を渡海させました。
一旦は鎖国に従った調所・・・しかし、この後、調所は薩摩を意外な方向へ導いていくのです。

1846年5月、3隻のフランス艦隊が琉球に来航。
フランス海軍提督ジャン・バティスト・ヤシーユ・・・自ら琉球に出向き、開国を迫ります。
ヤシーユは今後国も極秘にある計画を進めていました。
「琉球諸島は、日本とヨーロッパの中継地点になり得る
 那覇の仲買人を使って、我々が必要な商品を日本から輸入し、引き換えに日本の裕福な貴族が欲している品を輸出する」

セシーユの目的は、最終的に日本の開国通商でした。
琉球が拒否するので、一向に進展せず・・・。

セシーユ同様、通商への道を模索し始めていたのが、調所広郷でした。
背景には、財政再建の前途に兆し始めた暗い影が・・・
国内各地で砂糖生産が盛んになったことで、黒糖価格が下落。
もう一つの柱・・・唐物貿易も、密貿易の疑いを強める幕閣によって免許停止に・・・。
そんなタイミングで直面したフランスの通称要求・・・
拒絶策・・・和親通商策・・・どうする??

1846年5月25日江戸城・・・
調所は、老中・阿部正弘と対峙しています。
調所の選択は・・・

「琉球は、外藩である
 琉球に限定して、交易を許していただきたい。」by調所

調所が選んだのは、和親通商策でした。

「要求を拒絶すれば、フランスは清国と交渉して、勝手に交易を始める
 幕府としても、捨て置けず戦になる」と・・・。

調所の巧みな主張を、阿部は受け入れるほかありませんでした。
幕府は琉球を「異国」として薩摩に対策を一任。

まさに、調所の目論見通りの展開でした。
許しが出た4日後・・・6月12日、密命を言い含め、使者を国元に送ります。
その内容は・・・
琉球北部の運天港に商館を建て、薩摩が1,2万両の資金を準備し、日本の反物とフランス製品の交易をおこなうというものでした。
上手くいけば、御禁制の5種の唐物を紛れ込ませる・・・。
調所は、閉ざされられた唐物貿易をフランスとの貿易で打開しようと考えていたのです。
ところが、これに難色を示したのが、琉球でした。
日本の反物や金銀を貿易すれば、琉球には物産がないとしてフランスの要求を断ったことと食い違う・・・と主張したのです。
砂糖などは貢納として薩摩藩に吸収されていました。
貿易そのものを維持するだけの商品がない・・・それは、経済的な植民地になる可能性があったのです。
原料を収奪され、インドのように市場として編成をされる・・・。
貿易は無理だったのです。
さらに、フランスとの貿易が露見すれば、清国との貿易にも影響が出ると調所に脅しをかけます。
完全に調所の案は、暗礁に乗り上げてしまいました。
そして・・・調所の足元を揺るがしたのは・・・

1847年5月、阿部は島津斉彬とあっていました。
40を目前にした斉彬が、藩主の座を手に入れるために、藩の内情を幕府に漏らした可能性が出てきました。
調所が考えていた10万両規模の琉球を舞台にした中国との密貿易。
この実態を幕府に知られては困ります。
そして、琉球に派兵した軍隊の数を虚偽申告していました。

阿部との会見の直後、斉彬が薩摩に書簡を送っています。

”調所一派のありとあらゆる行動・・・とりわけ琉球の事情を 逐一探り出すように”
そして、事態は思わぬ結末に・・・
1848年12月19日、参勤交代で江戸に赴いた調所が藩邸で死去しました。
享年73歳でした。
吐血が見られたことから、死因は服毒自殺だと推定されています。
調所の死の背後に何があったのか・・・??
しかし、調所の突然の死によって、薩摩の秘密は闇へと葬られたのです。

調所の戦略構想は・・・
①財政立て直し
②農政改革 貿易で増収
③軍制改革
でした。

琉球は軍事力はないが外交力がありました。
琉球が清国を使って上手く立ち回ったのです。
幕府としても、大々的にフランスと開国通商すれば、他の国も・・・開国政策全面展開せざるを得なかったのでしょう。
ヨーロッパと直接貿易できる藩ができたら・・・
ナポレオン戦争のあとに開発された最新型の銃が薩摩に渡ることになります。
そこまで見据えて・・・調所は貿易を考えていたのかもしれません。

薩摩藩別邸・仙厳園・・・今も、島津斉彬が作らせた工場や反射炉跡が残っています。
藩主の座に就いた斉彬は、薩摩の近代化を強力に進めます。
その後、斉彬の薫陶を受けた西郷隆盛や大久保利通らが明治維新を成し遂げる中、調所は不当に貶められてきました。
調所家は家格を下げられ、家禄や屋敷も召し上げられました。
鹿児島に有志によって調所広郷の像が建立されたのは、僅か20年前のことです。

島津家の墓所・福昌寺跡・・・調所広郷は現在歴代藩主と共にここに祀られています。
遺骨は一時、東京に移されていましたが、平成13年、子孫の尽力によって、ここに分骨埋葬されるようになりました。

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もうね・・・「幕末。日本外交は弱腰にあらず。」こちらを読んでください。
幕府も諸外国を勉強し、一生懸命対応しようとしていましたよ

斉彬からの密命を受けた篤姫は将軍・家定に輿入れしました。
しかし、阿部正弘が急死・・・。
一体、阿部が何のために頑張っていたのか?全くわからないままでの退出でした

吉之助は、正助と熊本を訪れたあと、単身江戸へ!!

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熊本ではいろいろ勉強してきた二人・・・そんな二人をちゃんと書いてくれたらいいんですけど・・・
なんでそこんところを書かないで、遊郭で遊んでんだか・・・家畜まで売ってさ!!

安政4年10月21日、江戸城で・・・ハリスが通商条約締結の足掛かりのために家定との謁見に・・・!!

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「遠国よりの書簡を嬉しく思う。
 幾久しく、友好を保ちたいと大統領に申し述べるべし。」by家定

と、一生懸命覚えて対応しました。

don5















篤姫と一緒に練習しました。
「御台が笑うと余も嬉しく思う。
 御台とも幾久しく友好を保ちたいものだ。
 幾久しく友好を・・・幾久しく友好を保ちたいものだ。」by家定

と、「不幸になる!!」と、斉彬が宣言しましたが、仲睦まじい様子です。

でもって、松平春嶽の元へやってきた西郷吉之助・・・斉彬は「思う存分使ってくれて結構だ」と、春嶽に手紙を送っていますが・・・思う存分使うほどの価値のある男かどうか、このドラマでは全くわからず!!

異国との通商などもってのほか!!という井伊直弼、弱腰の老中首座・堀田正睦・・・
だから、弱腰じゃないんだって!!
もう一度言います。
もうね・・・「幕末。日本外交は弱腰にあらず。」こちらを読んでください。

左内と力を合わせて、一橋様の将軍擁立に大名に働きかけるように・・・一橋様にその気になってもらうように・・・と。。。

でた~、品川宿・・・もうええって・・・
ヒー様も暇よのう・・・

一橋様がどれだけ偉いかをかき集めた記録を左内か書いていて・・・それを、諸藩に読んでもらおうと品川宿で密談中・・・に、ヒー様登場で、その書を破り捨ててしまいました。
でもって、ヒー様を説得・・・。
なんで品川宿でやるかね・・・
でもって、破り捨てられても、コピーを作ってるよ~~!!と、大喜びの吉之助&左内です。
あ~、二人とも低いわ・・・レベルが・・・

薩摩にいる斉彬から建白書が幕府に提出されました。

国難を乗り切るために、将軍継嗣問題について早急に解決すべきだと・・・!!

そして、バチバチな水戸斉昭と井伊直弼、ビクビクな堀田正睦・・・
なんか史実と全く違うイメージなのはいいのか・・・??

吉之助と左内は一生懸命画策してましたが、やっぱりそこは磯田屋でした。
ほんと、誰が聞いてるかわかんないわよ・・・遊郭なんて・・・


その遊郭で出くわしたのは、あのお面の男・・・
と、西郷が連れて行かれました。
何とそこには井伊殿が・・・

なんで吉之助に言うんやろ??
下々の者に・・・
そんな重要メンバーでもないよ、何にも教えてもらってないから・・・
大体、西郷を取り入れたいなら、それ相応の仕事をしていないとダメですよ・・・吉之助くん!!

井伊の誘いを断る吉之助ですが・・・そこがカッコいいと思わせたいんでしょうが、きっと、井伊に誘われるほどでも、誘いを断るほどのものでもないわよ・・・。

建白書のコピーは、大奥にも・・・!!
怒り狂う本寿院・・・篤姫の立場が・・・!!

ま、本寿院がなんだか斉彬が企んでいたとか、御台所に圧力・・・とか、それを知らなかった幾島とか・・・。
なんだか全くわかりません。

なんで本寿院が水戸斉昭を嫌いなのかっていうのはすっ飛ばすのね。。。

で、やってきた家定に、いきなり一橋慶喜を養子にするように勧める御台所・篤姫。
「一橋は好かん!!」と言いつつも、一橋様ならば、「姫もずっと息災でいられるということか?」と、息災のために・・・

「一橋にする・・・余の次は一橋じゃ!!」by家定

地団駄踏む本寿院
あっぱれと、喜ぶ幾島と篤姫。

??なんじゃこりゃ・・・。
もっと、画策してくれよ~~~!!
全然面白くないわ・・・。

おまけに、ヒー様は、またもや品川宿で遊んでいました。
そんなところで遊んでいるから刺客がっ・・・!!

「人殺しだ~~~!」と逃げるヒー様。
う~ん・・・品が無いわ、ヒー様。

助けに向かった吉之助、刀はもう振るえないじゃなかったのか??と思う活躍で・・・

don7















あの・・・殿さまにもらった懐刀でやっちゃいました

人を斬ったことに・・・殺してしまったことにビビった吉之助・・・
薩摩隼人じゃないのか・・・??
イメージダダ崩れ・・・。

「死骸の始末をつけなきゃな・・・」byヒー様

って、ヒー様、坊ちゃんじゃないでしょ??
こちらもイメージダダ崩れ・・・。
それとも、麻生太郎かっ??

なんだかんだで、

慶喜が吉之助と左内を連れて井伊にやってきました。
そして・・・
don3












「わかった!!俺が将軍になろう!!
 ならなきゃしょうがねえだろ??
 西郷、橋本、帰るぞ!!」

と、井伊に啖呵を切って帰ってきました。

なんなんだよ・・・慶喜。。。
中二病が意気った感じに代わったのかっ??

基本的に、一橋慶喜を暗殺なんて、恐れ多い事は出来ません。
当時の藩は、国のようなものです。
斉彬や慶喜、井伊直弼レベルの人が暗殺されれば、外交問題!!
それこそ大ごとで、そんなこと、出来るはずもありません。
国(藩)が滅ぶわ!!
井伊直弼が暗殺されたことで、幕府の権威が・・・終わりも決定的になったじゃん!!
そして、西郷さんレベルを暗殺する必要は全くする必要なし!!
だって、切腹させればいいんだもん!!

今回は、全く理解不能なお話しでした。
だって、結果だけ教えてくれても面白くもなんともない・・・。
そこに行くまでの過程を見たいと思うんだけど・・・みなさんどう思います??

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感想(3件)



斉彬暗殺って・・・死んでないし・・・嘘じゃん・・・
篤姫は、やっと輿入れ先が将軍様だと教えてもらって、厳しい花嫁修業中!!
斉彬は篤姫を御台所にするために、阿部正弘と共に家定公に会って・・・でも、そんなことには興味のない家定公です。

井伊直弼登場!!廊下で斉彬公と直接対決・・・??

島津斉彬と井伊直弼との対立は、次の将軍候補の対立でもありました。
井伊直弼は、血筋として最も正当な徳川慶福を・・・って、そんなバクバクお菓子をほおばるなよ・・・
そう言えば、篤姫も品がなくお菓子をほおばってたな・・・
幕政を根本から改革しようとしていた斉彬は、養女・篤姫を将軍・家定の御台所とし、次を英邁の誉れ高い・・・って、遊郭で絵しか書いてないけどね?・・・慶喜を将軍にと考えていました。

と、バチバチの二人です。

西郷は、虎寿丸と相撲中・・・

don5















なんと、その相撲中に倒れてそのまま・・・亡くなってしまいました・・・。
って、この演出どうよ・・・吉之助が殺したみたいじゃん・・・
きっと違うのに、そんなのどうでもいいんだよ・・・早く風雲急を告げる幕末に行ってほしいんだよ・・・

虎寿丸の死をかき消すように、仕事に邁進する斉彬。
ここでぐっと集成館事業について話してほしいのに・・・篤姫の虎寿丸様が死んだのに、どうして殿は悲しくないのか??と言い出します。
子供が死んで、悲しくない親なんていないだろう・・・そんな心の当たり前をやってくれてもなあ・・・

そうして、風雲急を告げたいのに、またもや薩摩藩士たちは呪いで虎寿丸様が死んだんじゃないかとそんな内輪の話ばっかり・・・。
内輪の話をするならするで、斉興・斉彬・久光の関係をちゃんとしてほしいわ全く・・・

薩摩でも、みんなお由羅の方のせいで虎寿丸様が死んでしまったと・・・そんな話に・・・。
正助は、久光さまと運命の御対面!!
やっと、日の目を見る場に出てきましたね、正助!!
と思っていたら、虎寿丸様が死んだのは誰のせいかと話になっている・・・という話から始めました。
おかしいだろ??そんなこと、殿の弟君に言えるのか??
本当の正助は、当時、大義を成すためには、藩が一体となって行うべきと考えていました。
御徒目付の正助は、久光に直接会って話すことはできないので・・・
久光が習っていた囲碁・・・吉祥院で正助も囲碁を習い、久光が読みたいといった本に久光への手紙を挟み、国事の難や建白の文章を記載したと言われています。
その書が久光の目に留まり、久光は正助を碁に事を寄せて呼び寄せ、側に上がって碁の相手をするようになったといわれています。
それが本当かどうか??わからないけれど、賢い正助ですから、やっても当然だったんではないでしょうか?
吉之助の出会いが本当でもないドラマチックなものに仕上がっていたのに・・・本当の正助の出会いは当然のドラマチックだったのに・・・ドラマ的にもこっちの方が面白いしね。
基本的に、斉彬=吉之助、久光=正助なんだから・・・もっとコントラストをきっちりと書いてほしいわ~~~!!
と、これから活躍してほしい正助にスポットライトを・・・出なければ、ただのお気楽な西郷どんになってしまう・・・

ちなみに、この大河の久光さまはマザコンのバカボンな感じでしたが、本当はとっても賢い人なんですよ~~~!!

江戸・薩摩藩邸では密談が始まろうとしていました。

don












松平慶永、水戸斉昭、一橋慶喜・・・。
そこには松平について橋本左内もいました。
篤姫の輿入れについてのお話で・・・その後、一橋慶喜が継ぐということ・・・

「何も知らないんだな!!
 公方様は大うつけ。世継ぎは作れん。」by慶喜

ならば、どうして篤姫を嫁に出すのか・・・??ということを、直接その場で斉彬に聞く吉之助・・・。
おいおい、そんな聞けんのか?
そんな吉之助に優しく答えてくれる斉彬さま。
水戸さままでいるというのに、恐れ多い・・・。
っていうか、薩摩の密偵はそんなことも知らないんだな!!と、バレバレじゃないの!!

嬉しそうな水戸斉昭ですが・・・

「俺は将軍になどなりたくない!!
 そう申したはずだぞ!!西郷!!

 私はそなたらが思うておるような人物ではない!!
 メリケンやエゲレス・・・そんな異国と互角に渡り合うなど、考えただけでも逃げ出したくなる!!」by慶喜

それでいい・・・そうでなければ、将軍になってこの危機を乗り越えることはできない・・・
日本国のために、将軍についてほしい・・・とみんなに言われて、ここにいる人たちはみんなおかしいと言い出す慶喜。。。
虎寿丸の死も、篤姫の不幸の結婚もあったのに、祝の杯をしている・・・という慶喜ですが・・・。
そんな細かいことを知ってるんでしょうかね??っていうか、こんな普通の人の神経を一橋様ともあろう人が持っていたんだろうかしら??
もっと帝王学を学んでいたんじゃないかなあ・・・??
で・・・プイっと飛び出て、遊郭で飲み直し??英邁の誉れが高いんだろ??慶喜はっ!!

吉之助は、しつこく公方様に世継ぎができないのは本当か??と、斉彬に聞きます。
すると・・・急に倒れてしまいましたっ!!
って・・・また吉之助の近くで人が倒れたの・・・??

吉之助が滝に打たれて平癒祈願したというのは本当ともいわれてます
でもって治ったって・・・。
薩摩の仲間は、お由羅の仕業だと蜘蛛の巣にまみれながらお屋敷を捜索中・・・
薩摩の仲間はバカなのか・・・??
吉之助も、虎寿丸様や殿が倒れたのは毒のせい??と思ったのか、台所を怪しみます。
おい、失礼だろ・・・??

それでも働く斉彬・・・
毒でも入っているのでは??と、不確か情報を殿の耳に入れる吉之助・・・。
間違ってたら、切腹もんだろ??もっと調べたら??って、お毒見は何してんねん!!
と、食事を持ってまたも、遊郭ね・・・
なんで遊郭行くねん・・・。
橋本左内は女郎を見てくれてるらしいよ・・・
「また今度、ゆっくり見ますから・・・」って、医者じゃなくって、もっと大事な仕事あるだろ・・・!!
で・・・食事を見てもらいます。
「聞き捨てならぬ!!俺も危うく毒を食う所だったのか!!」by慶喜
って、みんな遊郭で何やってんねん・・・!!

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調べてもらうと・・・ヒ素でした。
ほんまかいな・・・お毒見、切腹決定やな・・・。

そこへ、お面をつけた輩が・・・
その輩をお由羅の方の手先だと思い込んだ吉之助・・・どうする??
斉興&お由羅に会いに行って、真相を確かめます。
なんと、こんな下級武士に会ってくれることに・・・!!

菓子を出されるも毒が入っていると思って食べない吉之助。
ほんと、失礼な奴!!
毒が入っていたのは誰の仕業か??なんて、元藩主に向かって行っていい言葉かっ??
証拠があるんだろうな??と、お由羅に言われ、無いという吉之助・・・だめだろ??
つくづく失礼な奴に成り下がってしまった・・・

「証拠などあるはずがない・・・
 我等は毒など持っておらぬ故な!!」byお由羅

斉彬が憎くてたまらないが、自分だけではない・・・
賤しき身の分際で、何の証拠もなくこいつを、わしらを疑うならば、こちらとて容赦はせん!!
斉彬とて無事では済みますまい!!
二度とその顔を見せるな!!

って言われてしまいました。
当たり前だ・・・というか、手打ちにされないだけでも優しいな・・・斉興さま・・・

高輪の父の元へ行っておったそうじゃの・・・

don4















と、けりを入れられる吉之助!!
「この大バカ者!!
 この大事な時に、お前は何をしておるのじゃ!?
 わしは命など惜しゅうはない。
 命に代えてもやらねばならぬことがあるのだ!!

 この国を変える!!
 この国を強うする!!

 わしがなぜおまえをそばに置くかわかるか??
 わしもお前と同じ大バカ者だからだ。
 民のために命を捨てられる・・・そうだろう!!

 民のための国を・・・そんな国を作りたい・・・
 のう・・・のう、西郷!!」by斉彬

??
そんなこと、言ってましたっけ??斉彬さまっ!!
命は惜しいだろ??命がなければ、挙国一致もできませんよ??殿??

でもって・・・犯人捜しはもうええんかい??
それならするなよなあ・・・創作だろうに・・・。
本当の斉彬は、心労というか疲労のために倒れたと言われてますからね・・・

そして・・・遊郭にいたお面をつけた男は・・・井伊の密偵だったようです。
って・・・お面は目立つから、頭巾にして・・・!!
それが当時の当たり前だよ・・・

なんだか馬鹿らしい遊郭の話と、馬鹿らしい密会と、馬鹿らしい毒殺の創作話で貴重な1時間が終わってしまいました。
ほんと、どうすんだよ・・・もっと思想を語ってくれよ・・・
早く、風雲急を告げてくれっ!!


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ヒー様って誰??それは後のお楽しみ!!

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とにかく、吉之助は斉彬のお供として江戸へと向かうことになりました。
嬉しくって、嬉しくってたまらないようです。
一行は江戸へ到着しましたが・・・!!

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待っていたのは、鬼軍曹のような迫田でした。
吉之助は38番だそうです。
名前ではなく、囚人のように番号で呼ばれるようですよ!!

「ただの38番じゃ!!」だそうです。

近所の品川宿では薩摩藩士の噂が・・・
「飯盛りを 夜っぴき寝かせぬくつわ虫 そのくせに 花は紅 ものはぶし」
女郎を一晩中寝かさない割に金の払いは悪いというものです。
酒癖、女癖が悪いと悪名が・・・!!
門限もきっちり!!規律は厳しいものでした。

って・・・ホントかなあ・・・??

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一足先に江戸に行っていた大山と有村と再会です。
って・・・皆さん、この二人の名前、覚えてます??
結構重要人物なんですけどね・・・。
早く紹介してほしいものです

そして・・・極悪人??になっている井伊直弼登場!!
井伊直弼のせいで開国になってしまったと作戦を練っている阿部正弘と斉彬ですが・・・。
別に二人も開国派なんですけどね・・・??

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江戸で元気に暮らしている篤姫ですが・・・。
やっぱり西郷吉之助に興味があるようです

「あんな明るくて真っ直ぐな薩摩娘に・・・徳川の御台所がつとまるのかの・・・」by斉彬

なんだか含みのある言い方ですが、篤姫は聡明だからこそ養女となったんです。
明るくて真っ直ぐな・・・つまり、朝ドラ的な何も考えずにちょっと突っ走っちゃうような女性ではなかったんじゃないかと思います。
家定とも仲がいいんですよ!!
伏魔殿に行かせて可哀想的な、そんな表現ではなく、ちゃんとどうして嫁ぐのか、そのお務めを書いてほしいわ・・・。
かしこい篤姫なら、すぐにわかるはず!!

有村と大山に品川宿に誘われます。
嫌々ながら行く吉之助・・・。
しかし・・・そこに居たのは・・・

don4
















ふきどんでした。
流れ流れて江戸までやってきていたのでした。
って・・・無理があるだろ・・・。
飯盛り女・・・って、いわゆる遊女です。
飯盛りよりもその後が本業でした。
まるで座敷牢のような生活の遊女です。
流れ流れてくるんだろうか・・・??

借金にまみれて、その店の自分の部屋がお城な遊女です。
こんな呑気な生活で苦労と思わないなんて・・・おかしいんじゃないの??と、思っちゃうのでした。

そして・・・身請けしてくれるかもしれないひとがいるとか。。。
フキ・・・源氏名はお芳はヒー様のもとへ。
お芳の頼みで吉之助の絵を描くのでした。

don













門限破りを見つかってしまった吉之助は、罰としてお掃除です。
あ~、30両も借金して、何をしに江戸へ来たのやら・・・??

突然、上司の山田為久がやってきました。
そして・・・いきなり”お庭方”に抜擢されるのでした。
どうしてなったのかしら・・・??ってところはやらないのね

ああ・・・黒船はどうなっているのか??なんて手紙を書きながら、自分の不甲斐なさに嫌気がさす正助・・・。
このまま薩摩で埋もれてしまうのか・・・??
って、みんなより正助が行った方が良かったんじゃないの・・・??

庭掃除をしていると、いきなりやってきた斉彬さま。
いきなり小石川にある水戸屋敷に書状を届けに行けという・・・。
って、この時点で、自分が・・・お庭方がどんなお役目か理解できてないといけないんじゃないの・・・??
身分こそ低いけど、直接斉彬さまと接することのできるいいポジションなんですけどね。

「あの時の小僧か・・・大きくなったな!!」by斉彬
肩を壊して・・・という西郷をわかってたからの贔屓じゃなかったんだ・・・。
肩を壊しているから刀では守れないという吉之助に懐刀を・・・。
「雨の日、雪の日、いつでもここにおること。
 そして、わしの手となり足となること。
 それが・・・お前のお庭方の役目じゃ。
 そして わしに代わって用談をし、人知れぬ秘密を知る事もある。

 もし その秘密を守れぬ時は、これを使え!!

 どうじゃ 受けるか?」by斉彬

「命に代えて お引き受け致しもす!」by吉之助

と、カッコいい事この上ない渡辺斉彬でした

「なんでもかんでも命を懸けるな!!
 命は一つじゃ!!」by斉彬

ということで、迷子になりながら小石川の水戸藩邸へ・・・。
って、隠密だろ??
人に聞きながら、大きな声でしゃべって・・・ダメだろ・・・??
トンマな吉之助ですが、ほんとはとっても軍人な西郷さんなんですけどね・・・

水戸屋敷には、もちろん徳川斉昭がいました。
隠居してもなお、その発言力は幕府内でも絶大でした。

あっさり会えるんだなあ・・・

色々しゃべって最後に入ってきたのはヒー様でした。
鈍感にも、「ヒー様!!」なんて言い出す吉之助に、須賀どんの気持ちが解るんか??って思っちゃうわ・・・
そう・・・ヒー様は一橋慶喜だったのです。
ヒー様じゃないと言う慶喜に、絶対にヒー様だ!!と、空気を読まずに行ってしまうんですけどね

慶喜・・・結構厳しく育てられたんですけど・・・あんな品川宿なんかで遊んでたんかなあ・・・??
おまけにふきどんがお芳って・・・新門辰五郎の娘で慶喜の愛妾・お芳から取ってるのかしら・・・??


ということで、吉之助と慶喜の最初の出会いでした。
なんだか慶喜がなあ・・・あんな暴れん坊将軍でいいのか・・・??

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