日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:高杉晋作

>デアゴスティーニ日本の100人 第68号 大村益次郎

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1866年6月、徳川幕府の大軍勢が西へ・・・
目的は、幕府に反抗するたった一つの藩を叩き潰すため・・・!!
その数十数万・・・。
迎え討つのは長州藩、その数およそ5000!!
この絶望的な兵力差にもかかわらず、長州を劇的な勝利に導き、幕府崩壊のきっかけを作った男・・・
その名は、大村益次郎です。
勝海舟は・・・「長州軍に大村益次郎が出て来ては、とてもかなわぬと思った。」と言っています。

元々は村医者・・・しかし、兵学者へ成長。
長州藩の命運は、大村益次郎に託されたのです。

山口県山口市・・・当時は鋳銭司村と呼ばれていました。
明治維新からさかのぼる事40年前、1825年5月3日、大村益次郎はこの地に村医者の子として生まれました。
1846年、22歳の時、大坂に出ます。
その目的は当時日本で指折りの適塾に入る事・・・。
塾生には、福沢諭吉、大鳥圭介、佐野常民などがいました。
大村は、一心不乱に医学を学ぶ塾生として、注目されていました。

そして3年後には25歳で塾頭に上り詰めました。
当時、適塾の塾頭には、好待遇で仕官を求めてくる藩がいくつもありましたが・・・
翌年の1850年、26歳で故郷に帰りました。
家業の村医者を継がなければならなかったからと言われています。
このままいけば、ただの村医者として一生が終わる・・・。

ところが29歳の時・・・宇和島藩で。
江戸時代、10万石の城下町として栄えた宇和島市。
時の藩主は伊達宗城。数ある大名の中で格別の蘭学好きでした。
大村は、持っている洋学の知識、蘭学の知識、語学の知識を時代に生かそうと思っていたようです。
この宇和島行きが大きな転機となります。
宇和島藩が大村に求めたのは、本業の医学ではなく、兵学でした。
得意の蘭学を生かして、西洋の軍事書物の翻訳を命じられたのです。
こうして、大村の専門は、医学から兵学へ・・・!!

そんな西洋兵学の知識を深めていった大村に目を付けたのが・・・時の政権・徳川幕府でした。
3年前の黒船来航・・・圧倒的武力で開国を迫ってきたペリーになすすべなしの幕府・・・。
開国をきっかけに、老中・阿部正弘を中心とした首脳部は、優秀な西洋兵学者を集め始めました。
大村は、その目に留まったのです。

1856年11月、32歳で、蕃書調所の教授手伝に就任。
翌年には、講武所の教授に就任。
大村益次郎、33歳・・・長州の村医者が、兵学者に歩みを変え、幕府に仕えるまでに上り詰めたのです。
そんな大村に更なる誘いが・・・
それは、故郷・長州藩でした。
依頼内容は、江戸で兵書の翻訳や、藩士相手の蘭学の先生をして欲しいというもの・・・。
大村が適塾で優秀な成績を収め、故郷で村医者をやっていた時には見向きもしなかった長州藩。
どうして態度を変えたのでしょうか??
当時、長州藩は、諸外国を排除する攘夷を主張していました。
外国と渡り合うためにも、大村の西洋兵学の知識が必要だったのです。
大村は、兵学を通じて桂と親しくなり、故郷でも有名になっていきます。

それから5年・・・幕府にも長州にも頼られ、順風満帆な生活を送っていた大村。
しかし、その人生を大きく揺るがす大事件が・・・!!
1863年5月10日、長州藩、関門海峡を通る外国船を攻撃!!
しかし、翌月手痛い反撃に!!
外国の軍事力の前に、長州は手も足も出なかったのです。
このままだと外国に飲み込まれてしまう・・・。
長州藩は、大村に救いの手を求めます。
「外国の軍事力に対抗するため、幕府の役職を辞め、長州に戻ってきてほしい。」と。

幕府に残るか??長州に戻るか??
この時点で安泰なのは、幕府に残る事・・・。
ところが選んだのは長州藩でした。
そこには、大村の幕府に対する不信感があったのです。
大村が友人にあてた手紙には・・・
「大名に砲術などを研究する講武所をみせた。
 大神宮様(阿部正弘)はご自慢だ。
 にもかかわらず、自分の藩の軍隊には今も弓矢を持たせている。
 何のことやら、一切訳の分からない事だ。」と書いています。
大村は、研究はするが、武士そのものの戦い方を変える気などさらさらない阿部を見限っていたのです。
一方の長州藩には、新しい改革が・・・奇兵隊です!!
長州は、これまで武士にしか認めなかった武器を庶民にももたせ、軍事改革をしている長州に、大村は可能性を感じていたのです。
1863年10月、39歳の時に、長州に帰ります。
そして幕府には辞表を・・・!!
兵学者・大村益次郎の一大決心でした。

西洋兵学を学ぶ意義を・・・海軍従卒練習規範に書いています。
「私は、自分が浅はかであることを顧みず、今この本を訳し出版する
 皇国の確固たる独立のための武力をあげ、国家に利益があることを願うのみである。」
自分の能力を認めてくれる場所を求めて・・・行きついた場所は、日本を守りたいという自分の信念の生かせる長州でした。

西洋列強という巨大な敵と戦う決意をした長州藩・・・
しかし、そのためには戦い方の根本を考え直さなけれな・・・!!
大村は、藩の存亡をかけた大改革を託されます。
散兵戦術・・・
「アメリカ独立戦争以来、散兵戦術を用いることが盛んになった。」
西洋で主流となっていた散兵戦術とは・・・??
通常武士は、己の手柄をあげるため、個人個人で敵を目指して突っ込んでいきます。
一方、散兵戦術は、数人単位で行動・・・広く散会しながらも、全員共通の作戦目標の元、敵に向かっていきます。
この時兵は、決められた目標に向かって隠れながら進んでいきます。
兵を統率する指揮官が把握したうえで命令を出します。
そのため、散兵戦術は、兵も指揮官も、徹底的な訓練が必要となりました。
この戦術がみにつけば、敵が多くても少ない兵力で勝つことができる・・・!!
しかし、この大村の改革が実行される前に、長州には次から次へと難が降りかかります。 

1864年8月、英仏蘭米四国連合艦隊が下関を攻撃!!
長州に対して猛攻撃を開始!!
近代兵力の前に、長州藩はなすすべなし!!
さらに1月前には禁門の変が起こっていました。
長州藩は、幕府に完膚なきまでに叩きのめされ朝敵に・・・!!
幕府は15万の軍勢で長州藩を包囲・・・長州藩には降伏するほかありませんでした。
そして藩内は、幕府恭順の一派が牛耳ることに・・・。
その結果、大村は、藩の軍事担当から外されてしまいました。

大村の軍事改革は消え去ったかに見えましたが・・・
一人の藩士が立ち上がります。
高杉晋作です。
1865年1勝月、高杉晋作が、幕府の正規軍を破ります。
結果、長州藩は、再び幕府と対立の道を進みます。
これに対し幕府は、30藩以上から十数万人を動員し、長州を討つべく・・・
迎え討つ長州藩は5000!!
この絶望的劣勢を覆すには・・・この難題を任されたのが大村益次郎でした。

近代兵器の導入
躍起になって集めた武器がミニエー銃。
幕府に対抗する為に、4300丁購入しました。
その特徴は銃身の中・・・らせん状に溝が刻まれています。
銃弾は回転し、射程距離が格段に伸びるのです。
その射程距離はこれまでが100mに対し、500m!!
さらにミニエー銃から照準がつけられていて、これによって命中精度が5倍増します。
しかし、数で勝る幕府軍と対等に戦うためには、見合った近代的な戦術が必要です。

散兵戦術は、当時の兵には実現不可能と思われました。
関ケ原では・・・武士の周りにいる槍や旗を持った人々は奉公人で、その役目は自ら戦う事ではなく、主人を飾り立て手助けすること・・・。
武士は自らを手助けさせるために、無駄な戦力を共にしていたのです。
大村は主従関係で結ばれている武士と奉公人の関係を断ち切ろうと考えます。
武士から切り離した奉公人たちを藩が直接管理し、藩が任命した指揮官の元、兵とする。
そうすると、奉公人たちが兵力となるのです。
さらに奉公人から引き離された武士を銃を持つ兵に・・・
武士集団の解体に挑もうとしたのです。
しかし、それは、800年続いた武士の主従関係を根底から覆すことになってしまう。。。
武士の否定・・・軍制改革・・・??
それは、武士の反発を招き、最悪の場合、分裂を招く恐れが・・・

迫りくる幕府軍に対し、どこまで改革をするべきか??
1865年5月28日、毛利敬親は、重大な方針を家臣に告げました。
「平成は西洋陣法を採用!!」
長州藩はしがらみをすべて捨て、西洋式の軍事改革に突き進むことに・・・!!
大村たちは、前代未聞の改革をするために、絶対的存在の藩主の命令と言う切り札を使ったのです。
藩士たちに信じがたい命令をします。
それは、甲冑の売却!!
先祖代々の甲冑を売却し、そのお金でミニエー銃を買う・・・!!
さらに非情な命令は続きます。
「御一門などの家老職は、戦の時は総奉行としていたが、これからは一部隊とする。」
「主人は一人単騎で働く心得を持って、無用の従卒を連れて来てはならない。」
無用となった従卒は、藩士の禄高によって決められた人数を藩に差し出すように命じました。
これによって長州藩には主従による武士集団は消滅。
代わりに判を頂点として近代軍隊が誕生しました。
奇兵隊などの諸隊以外の・・・家臣団の隊も、西洋式となっていたのです。

1年後の1866年6月、第二次長州征伐
遂に幕府軍が長州に押し寄せてきました。
幕府軍は、芸州口・大島口・小倉口・石州口の4カ所から・・・総勢十数万の大軍勢・・・!!
大村が直接指揮を執ったのが石州口でした。
島根県益田市・・・敵の領地であるここに、打って出る作戦を立てます。
幕府軍があったのが萬福寺。
大村は最新式の銃と、散兵戦術で攻め立てます。
この散兵戦術に翻弄する幕府軍・・・。

「敵は、卑しい黒い装束で、ミニエー銃を持ってあちこち5~6人が隠れて撃ってくる。
 賊徒同様の振る舞いだ!!」

従来の戦術からは、正々堂々と姿を現し戦う・・・西洋戦術では、身体を保護しながら銃撃するのは非常に基本的な事でした。
これまでの武士とは全く違う方法で戦った大村。。。

民衆を味方につけ、武器、戦術ともに勝った長州藩は、幕府軍を圧倒!!
3か月に及んだ戦いは、幕府軍の撤退をもって終わったのです。
僅か長州一藩に敗れた幕府軍・・・その権威は完全に失墜したのです。
翌年・・・260年の長きにわたって日本を支配した徳川幕府は崩壊・・・
明治という新しい時代を迎えるのです。

長州だけでなく、日本全体を近代化へと導くこと・・・大村の役割はここからがスタート・・・!!
ところが、1869年9月4日、京都で襲撃されます。
襲った中には、大村と同じ長州藩の人間もいました。
彼らは大村を許せなかったのです。

大村は全身6カ所に大傷を負いながら、自らの不運を嘆くよりも軍の改革に生かそうとします。
「自分は兵士同様の傷を受けて、軍事病院が不可欠だということを知った。
 至急、軍事病院の基礎を作らないといけない・・・」
深い傷を負いながらも、軍事病院の建設を訴えた大村は、徹頭徹尾合理主義を通して来た男らしい言葉・・・
この書状を送った半月余りのち・・・
1869年11月5日 大村益次郎死去・享年45歳でした。

大村の遺体は山口に運ばれ眠っています。
大村益次郎・・・彼の決断は、800年続いた武士の世さえも終わらせ、日本の近代の礎を築くことに繋がっていったのです。



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幕末を呑み込んだ男 小説・五代友厚

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「あさが来た」で大フィーバーを巻き起こした五代友厚。
ドラマには描かれなかった苦悩がありました。
明治元年、五代は政府の役人として、大阪の近代化に尽力しました。
新しい貨幣制度、大阪港の整備・・・貿易によって国を豊かに・・・!!
しかし、明治2年、人生の岐路に立たされます。
横浜への異動を命じられたのです。
中央政府の官僚か?民間の事業家か?五代に選択が迫られました。

ペリー来航から9年後・・・1862年二人の日本人の姿が、上海を目指す船上にありました。
長州の高杉晋作と薩摩藩の五代才助(友厚)です。
アヘン戦争の結果の開かれた上海を目にした高杉は・・・
”清国人はことごとく外国人の使役”と表現しています。
わがもの顔に振る舞う列強・・・日本の独立のために攘夷を決意した高杉、一方五代は上海で交易し、ロシア、イギリス、アメリカでも交易したいと言っています。
その力を自らの物にすることを考えていました。

1836年2月、五代は薩摩藩の学者・五代秀堯の次男として生まれました。
秀才だった五代は12歳の時に、秀堯は開明派の藩主・島津斉彬から世界地図の模写を命じられました。
父に代わって地図を模写した五代は、もう一つ写し、自らの部屋に貼って眺めていたといいます。
中でも注目したのはイギリス・・・日本と同じ小さな島国でありながら、世界に冠たる帝国を築き上げられたのはなぜか??五代を海の向こうへ突き動かしました。

1857年長崎海軍伝習所に留学。
ここで蒸気船の動かし方を学び、1862年御船奉行副役に抜擢されます。
1865年、藩に願い出てついにヨーロッパ視察!!
髷を切り、洋装に身を包んだ五代・・・その使命は、小銃300挺、同じく500挺・・・西洋の近代兵器の調達でした。
しかし五代の興味は・・・木綿機械・・・??紡績工場や製鉄工場、ガラス工場・・・30近い工場に足を運びます。
”ヨーロッパにおいて国家の基本なるもの二あり
 インヂストレード(工場)・コンメンシアール(貿易)という”
経済が国の基盤を作る!!そのことに気付いたのです。

その頃・・・日本の政治は激変!!
1867年新政府樹立、旧幕府軍打倒へ・・・!!
1868年1月戊辰戦争開戦!!
新政府軍が旧幕府軍を圧倒・・・!!
五代が調達した武器が討幕の大きな力に・・・!!
その20日後・・・徴士参与の辞令が・・・!!
新政府の役人に抜擢され大阪へ!!
当時大阪は疲弊の極みにありました。
新政府は、戦争の莫大な戦費を商人から調達・・・多くの商人が没落していきました。
五代に与えられたのは大阪経済の再生でした。

大阪造幣局に・・・圧印機があります。
貨幣制度の安定のために、質の良い円の制定に向けて!!
港の整備も始めます。大型の蒸気船でも入れるようにします。
生糸や銅を中心に、大阪からの輸出は増え・・・明治元年に6万両だったものが2年に倍の12万両にまでなりました。
五代が考えた大阪再生・・・貿易という新しい道でした。

故郷鹿児島では、武勲派が五代を批判し始めました。
火種は5年前・・・1863年の薩英戦争でした。
指揮官として蒸気船を指揮していた五代は、3隻の蒸気船を拿捕された上にイギリスの捕虜に・・・!!
そんな卑怯な男が、実際に血を流した自分たちを差し置いて、金勘定の才だけで出世するなど言語道断!!

1869年5月、五代に突然事例が・・・会計官としての横浜勤務でした。
大阪での権限を奪う人事異動・・・背後には、薩摩の武勲派の策動があったと言われています。
五代はこれを受け入れて赴任します。
が・・・大阪では、かつての部下や商人たちによって五代の復帰を願う嘆願運動が起こったのです。

しかし一旦決まったことは覆るはずもなく・・・大阪に帰るには、役人を辞めるほかありません。
このまま官にとどまり横浜に??それとも民に下って大阪へ・・・??
1869年版籍奉還
強力な中央集権国家への道を進んでいました。
このまま会計官からキャリアを積めば、一国の経済を運営する地位すら望める!!

勝てば官軍・・・
政府の中には国家建設のビジョンもないのに、権力に固執する奴らが少なからずいました。
一緒に産業を興し、国を富ませることが出来るだろうか??
なら、役人を辞めて大阪に戻る??

ヨーロッパ滞在中に、金や銅などの鉱山を開発し、工場や鉄道を建設する・・・
その担い手として総合商社を考えていた五代。
自分が旗振り役となって大阪の商人たちを結束させカンパニーを作ることが出来れば・・・??
しかし、大阪の商人たちは保守的・・・賛同してくれるだろうか・・・??
官か??民か・・・??どうする・・・!!

大阪証券取引所に五代の銅像が建てられています。
五代の選択は、官を辞し、民に下ることでした。
「政府には人材がそろっているが、民間にはいない
 自分は大阪で商工業発展に努力する」
実業家としての再出発にあたり、中心に置いたのは鉱山でした。
紙幣を発行する元となる金銀や、輸出品である銅。。。全国の鉱山開発に臨みます。
その中の一つ・・・福島にある半田銀山は、明治7年閉山していたこの銀山を手に入れて、外国人技術者を雇い、近代化を図ります。
その結果、産出量は飛躍的に伸び、明治17年には生産量日本一を誇るようになりました。
さらに、この資金を元手に・・・事業を発展させます。
五代が建設にかかわった会社は・・・
大阪通商会社・大阪為替会社・金銀分析所・大阪活版所・鉱山管理会社弘成館・製藍会社朝陽館・大阪製銅会社・神戸桟橋会社・大阪商船会社・東京馬車鉄道会社。
五代のっ変わった会社は多岐にわたりました。
商業の基盤づくりにも手腕を発揮!!
大阪商工会議所の前身・・・1878年大阪商法会議所を設立し、為替取引などのルールを決めるだけではなく、国家財政に関しても意見書を提出します。
”これまで輸入に頼っていた商品を国産し、輸出に転じることで外貨を稼ぐべし”
興業と貿易による近代国家建設という夢を明の立場で成し遂げようとしたのです。

1874年大蔵卿・大隈重信の独断専行がほかの参議の反発を買い政府追放になりかねない・・・
当時の内務卿は大久保利通。
五代を後任に据えることを考えますが・・・中央政界への道・・・五代がこの要請を受けることはありませんでした。
大隈が政府に残れるように助言をします。
忠告をを受け入れた大隈は、政府に残れることとなりました。

中央復帰の道を絶ち、大阪で産業の発展に努める!!
それが五代の選択だったのです。

1881年5月、五代はついに、関西貿易社設立!!
住友・鴻池をはじめとする関西の豪商も名を連ねました。
背景には、開国より日本が直面している問題がありました。
その頃、日本人が商品を輸出しようとすると、居留地にいる外国人を通す・・・居留地貿易でした。
外国商人は、安く仕入れた商品を高値で売り、儲けをすべて手にしていました。
直接外国と商売をして、日本に儲けを落とす・・・直貿易をしようとしたのです。
しかし、思わぬ事態が・・・7月26日、開拓使は関西貿易商会に北海道の物産を一手に引き受けさせようとしている・・・とのスクープ記事が・・・!!
当時、政府は北海道に開拓使という役所を置き、10年計画で今の1000億円以上もの巨費を投じて、工場・港・農園などの開発にあたっていました。
それらを1/30の安値で関西貿易社に払い下げるというのです。
開拓使長官は、薩摩出身の黒田清隆!!新聞は、黒田と五代・・・薩摩の癒着によるものだ!!と、藩閥に対する抗議集会へと発展します。
明治始まって以来の疑獄事件・・・”北海道官有物払下げ事件”です。
この時、五代は・・・
「東京では相変わらず関西貿易社への攻撃がやまず、耐えがたい思いです。
 嗚呼、国家の不幸と嘆息するほかありません。」と書いています。
大混乱の中、1881年10月、払下げ中止となりました。
五代の悪名は天下に轟きます。
1883年関西貿易社解散・・・。
それから2年、五代は何も語らないまま死去したのです。
享年49歳でした。

五代は本当に甘い汁を吸おうとしたのでしょうか??
払下を受けるのは開拓使の役人たちが作った「北海社」・・・五代ではありませんでした。
五代が払い下げを受けるのは、岩内炭鉱、厚岸の山林の二つだけだったのです。
石炭や木材を輸出して外貨を獲得しようという信念に基づいたのもで、濡れ手で粟を目論んだものではありませんでした。
どうして反論しなかったのか・・・??
「政府要人の要請によって吾輩は弁明を断念した。。。」
五代が反論をすれば、薩摩閥の黒田への批判はさらに強まる・・・政治の混乱が起きないように、五代は沈黙を守ったのです。
明治の想いは、植民地にはなりたくない・・・内乱を起こしてはならない・・・国内が一枚岩にならなければ・・・!!
自分が悪者になることで全てが旨く収まる・・・。

岩内炭鉱の石炭を釜石の製鉄所に持っていく・・・
東北を開発しようとも思っていたという説もあります。
これは、大久保路線で、戊辰戦争によって東北諸藩に恨みを残したまま日本の発展はありえないという考えを継承しようとしていたのかもしれません。


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「何しに京都へ行ったっんや・・・でも、得てして歴史とは案外そういうモンや・・・」

京都に玄瑞の忘れ形見を探しに行って、すぐにUターンしてきた美和を見て、”花燃ゆ”を優しくみている”うちの旦那さん”が言いました。
優しいな・・・
ということで、意地が悪いんだろうか・・・私・・・な、感想です。

遂に・・・前回高杉晋作が死んじゃいました・・・。
久坂に子がいる・・・と、遺言を残して・・・


ああ・・・大政奉還も、出した筈の坂本龍馬の死も・・・
長州なのに、三条実美ら六卿及び毛利敬親父子の官位を復し入京を許されるっていうことも・・・
すっ飛ばし、1868年の・・・戦いの真っ只中にやってきた美和。
人々が逃げまどっているのに逆走・・・!!
決戦のときをレポートしてくれるのかしら・・・??
と、すぐに長州軍のもとへ、元徳様のお薬を持ってやってきました。
これって、早馬で走った方が早くね??と思いつつ・・・
薬を届けると、すぐに夫の忘れ形見を探しに行ってしまったらしい。。。
なんという俊敏さ・・・忍者か・・・
戦場で・・・ひとり辰路を探す美和。。。

大殿は、美和のことを心配しながらなんと倒れてしまいました。

お家のことを・・・久坂家のことを大事に思わないといけないのに、忘れ形見がいることを”全く喜ばない美和”なんですが・・・やっぱり嫉妬はあったでしょうね。。。

「あの・・・長州藩の御本陣にはどうやって行けば・・・」と、逃げ惑う人々に聞いていますが、さっき薬を届けたのが本陣ではないのか・・・??

不逞浪士に絡まれているところを助けてくれたのは・・・なんと、辰路でした。

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脱藩浪士の事も知らずに京都にやってきた美和を助けてくれた辰路。。。

「せわあない・・・」と言った美和の言葉で長州人だということを知る辰路。
この子が玄瑞の忘れ形見なんですが・・・

玄瑞の子を探しに来たという美和・・・引き取れという方もいます・・・という。。。
渡したくない辰路はスルー・・・。

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なんと、この副題・・・ここで終わってしまいました。
ミッションクリア、なんて早いんだ・・・!!

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危ない京都にやってきたことを素彦に怒られる美和。
忘れ形見・秀次郎がいたことを素彦に文句を言っとりますが・・・素彦から養子にもらった子・久米次郎はどうなんねん・・・
文句言ってる場合じゃないでしょう??
おまけに素彦も・・・「俺も探してみよう・・・」と、約束してくれて・・・萩へと帰って行きました。

???もう終わり???と思っている私に旦那さんが言った・・・。
「何しに京都へ行ったっんや・・・でも、得てして歴史とは案外そういうモンや・・・」と。。。

あ~、錦の御旗もう出ちゃったよ・・・。
鳥羽伏見の戦いが終わって・・・元号は明治となったのです。

薩長を中心として明治政府が・・・楫取素彦は、参与となって政治の中心へ・・・!!
となっていますが、木戸孝允や伊藤博文よりも目立っているのは笑止千万、片腹痛い・・・。
本当の素彦は、当たり前ですがこれだけ薩長から中央へ人が出ていったので、手薄となった毛利に・・・殿に仕えて・・・なんですけどね。。。
そうした方が、ビッグネームに対抗できると思うよ・・・。

鳥羽伏見の戦いや、旧幕府軍との戦い、明治政府の基礎よりも、辰路の子の方が重大案件の様で、素彦と木戸が話してますよ・・・。
ま・・・やってくれてもいいんですが、今、世間で何が起こっているのか??
やってくれないとなあ・・・。

遂に、本格的に大殿が倒れてしまいました。
なので・・・大殿のたっての希望で、長州を支えるために帰ることになる素彦。。。

中央には楫取素彦が必要だ・・・!!と、木戸に言われながら・・・惜しまれつつの帰郷・・・
人々は「楫取が帰ってくる・・・!!」と、大喜び。

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あまりの喜びに、こんなの思いだしちゃいました・・・。


「元気が帰ってくる・・・!!」




で・・・帰ってきて病床にある大殿に版籍奉還を勧める素彦。。。

版籍奉還にみんなびっくり!!
木戸もやってきて二人で大殿に進言します。
良かった・・・素彦じゃなくって、木戸孝允がやったことになったわ。。。

これを機に隠居することとした大殿。
「そうせい・・・」の一言で、そうなったのでした。

ちなみに・・・
松下村塾生だった山縣狂介(有朋)、野村靖之助でさえも封建制維持論者で、御堀も木戸に反抗的な態度を示していました。
山縣にいたっては封建制維持の上申書まで提出。。。
木戸は日記で「友人といへども尚、解せざるものあり。心甚苦歎~」と嘆いたといいます。
そんな生みの苦しみ・・・苦悩も描いて欲しかったなあ・・・。

が、まあ・・・長州だけのちまちました支流な作品となってしまいましたね。。。
大河なんですから・・・薩長・・・というからには、大久保や西郷がもっと出てきてもいいと思うんですよね。。。
木戸孝允は、病気や軋轢でフェイドアウトしちゃいますから。。。
そう、それこそが大河・・・。

と思っていたら・・・またもや二人でこれからの明治の世を案じています。

hana3

















新しい日本国を創ることを誓う二人なのでした。

玄瑞の子さえも、育てようと思わない美和・・・
どうやったら、日本を背負う子を育てられるっていうんだ。

玄瑞の遺してくれたものを2人で考えながら・・・天命を探す美和。


「これからは・・・私が傍におる・・・
 お前を支えてやれる・・・」by素彦。

嬉しそうな美和です。。。
これはもう、寿に対する不実でないの・・・??二人とも・・・。
大河の主人公で不倫は駄目でしょう。

「奥も変われば城も変わる、女が変われば男が変わります。」by美和
「女幹事が戻ってきたな・・・」by素彦

ああ・・・何を成したというのだ・・・この2人。
成し遂げたことがあるならば、それを描いて欲しいんですよね。。。


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日本の未来をかけた幕府と長州の戦いが始まりました。
高杉晋作らが幕府軍を撃破したその頃・・・
と、そのお話は終わってしまい、美和が中臈になって興丸様の好き嫌いを治すお話が始まりました。

「幕府軍に勝てたのは、小田村様が幕府軍の足並みを乱してくれたおかげです。」by伊藤博文
・・・「高杉晋作の遺言」の回なのに、晋作のおかげではないのね・・・。
おまけに伊藤によると、興丸がすくすく育っているのは美和のおかげだそうです。
だって、先週まで赤ちゃんだったのに、もう大きくなってるからなあ・・・

あ~、何だかなぁ・・・

私の見たい奇兵隊は、すでに勝利を祝っていました。
そんな中・・・晋作・・・吐血!!

でも・・・そんなことはどうでもいいらしい。。。
「高杉晋作の遺言」なのに。。。

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野菜嫌いの激しい興丸様にこんなことをさせたり・・・

他の女性たちが大変だと怒っていると・・・

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大殿がこんなことをやっていたりして。。。
「そうせい。」

銀姫もアホっぽいし口調だし・・・。
おまけに、この畝じゃあ、何も育たないわよ・・・。
どう見ても土が固い。。。畝っぽく土を乗せただけの美術に見えるのは私だけ・・・??


高杉の病状が悪化していると奥にまで来て言う伊之助。
おまけに、美和に手紙を持ってきました。

「話したいことがあるのでできれば下関まで来て欲しいと。。。」by美和
「行ってくれるか・・・??」by伊之助

宿下がりをしてまで下関に向かいますよ。。。
興丸をほったらかしていいのか・・・??
おまけに、畑の世話まで頼んでますよ。。。
こんな話でいいのか・・・??

下関の外れの庵で養生していた晋作。
かなりのやつれよう・・・。

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なんと、元徳様から世話をするようにと命じられていたようです。
「お前たちも来たとはのう・・・」と、パーンしたら、雅と梅之進でした。
??妻なんだから、来ちゃダメなのか・・・??
それは、おうのがいるからか・・・??
ちょっと出て来てた望東尼は・・・??

「本当に、おひとりでございますね!!」
と、病人にきつい嫌味な一言を言った雅、「さっ!!」と・・・

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結核なのに梅之介膝の上に乗せたらだめだろう・・・。

「家族そろって仲睦まじく。。。」と、晋作らしからぬ??いろいろ話してるんですが・・・美和・・・出て行ってあげてください。。。
それ以上に・・・「それはようございます。」って、お前が相槌打つんじゃないよ・・・。
と、邪魔者以上の何ものでもありません。

そして・・・なんと、「高杉晋作の遺言」とは、「久坂の子を引き取って育てろ」ということでした。
なんだこれは・・・。
明日の日本はどうなったの・・・??って感じ。
長州の全てを託された男のすることがこれか・・・


と、落ち込んでいたら伊之助。
「大義であった。。。」と、大殿に褒められてます。
大きなことを成し遂げた伊之助が幕府に狙われる可能性があるから、「名を改めよと」と言われます。
なんと、大殿の右腕となっていたんだって。
「有り難き幸せ。」と、楫取素彦と名を改めます。

う~ん・・・この頃の人は、みんないくつも名前を持っていました。
伊之助だけではないんですよ。。。狙われていたのは。
晋作もいくつも名前があって・・・最後は谷潜蔵です。

晋作に会いに来た伊之助・・・
まだいたのか・・・美和。
庭掃除なんか・・・妻もおうのもいるだろうに・・・。

またもやお菓子を作って・・・松下村塾を思い出すのでした。
「うまい。。。」という晋作、思い出を語る美和・・・そこには雅は入っていけない雰囲気ですよ。。。

「高杉のことを頼んだぞ」by素彦
「はい」by美和

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薬を持ってきたのはまたもや美和。
さっき・・・家族の時間を持たせてやれてよかったって言ってましたよね、美和。。。
お世話を雅にさせてあげてください。

ウフフ・・・と、いろいろ話していますが、もう、私の耳には入りません。
と、やっぱり子供を引き取れという晋作。
引き取ることは出来ないという美和。

これからの日本が心配でたまらないと、美和に託してますよ・・・
新しい世を。。。
近くにいるじゃないの・・・??あなたが振り回していた伊藤博文が・・・!!!

「新しい日本を作れ!!新しい日本人を作れ・・・!!
 おまえならできる・・・!!美和・・・それが天命じゃ・・・!!」by晋作

と、言わなければならなかったことを必死に言った晋作は、血を吐いて危篤!!
あ~、最期ぐらい家族水入らずで・・・と思っているのに、晋作の最期の手をとったのは美和でした。
何でじゃ~~~!!
なんで、雅じゃないんや~~~!!な、展開です。
いくら託されててもなぁ・・・。
しんみり・・・やっと出ていったよ・・・美和。。。

「おもしろき こともなき世を(に) おもしろく」

波乱万丈の人生を遂げた・・・って言ってるけど、そこをやって欲しかった。。。

享年29歳の早すぎる死でした。

臨終には、雅と梅之進の他、父・小忠太と母、野村望東尼、山県もいたのです。
ま、この句は、最期に詠んだのではない・・・少し前に詠んだ句なので、下の句を呼んだ望東尼は今回欠片も出てきませんでした。
そんななら、なんで前回出したんだろう・・・望東尼。。。
美和よりも随分、重要なポジションなのに・・・
なんとも寂しい最期です。


やっと奥御殿に戻ってきた美和。
なんと、大きく育った小芋!!そんなに行ってたのか・・・??
興丸様も好き嫌いが治って万々歳の美和でした。

で・・・京で戦(戊辰戦争)が始まるという。
元徳の足りない薬を運ぶのは、またもや美和。
久坂の忘れ形見を探したいんだそうだ。。。
妾がいて当然の時代に、奥では久坂に忘れ形見がいたことをブーブーサイテーみたいなことを言ってます。
それって・・・どうよ。。。
元徳様の薬を忘れたお付の者は完全に大失態!!
おまけに届けるのは私情をたっぷり挟んだ美和だなんて・・・。

「ありえね~っつうの!!」て言わしたらどうですか”つくし”に。
ま、江も、神君伊賀越えやってますから・・・いいのか・・・

亡き夫、久坂の忘れ形見を探す為京へと旅立つこととなった・・・
と、ナレーションでは言ってますが、駄目ダメ、本当は薬を持って行くことなんですよ・・・!!
吉田松陰は、私情は捨てて公に生きろって言われたんじゃないの・・・??

  

体は私(わたくし)なり、心は公(おおやけ)なり。

私を役(えき)して公に殉(したが)う者を

大人(たいじん)と為(な)し、

公を役して私に殉う者を小人(しょうじん)と為す。


体は私で、個別的なものであり、

心は公で、普遍的なものでなければならない。

私の肉体を使って、身をかえりみずに公のために

役立てる者は、りっぱな人であり、

公である心を私の欲望のために満足させることに

使おうとする者は、

徳のないとるに足らない人である。


松陰が27歳の時、「丙辰幽室文稿」七生説の中でいった言葉です。


さすが”松陰の妹”というんだったら、松陰の妹を貫いてください。

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いよいよ第二次長州征討のお話ですが・・・
いきなり晋作が吐血
そこにいるのは伊藤と妾・おうのでした。
「誰にも言うなよ・・・伊藤」by晋作。

幕府軍は、広島に陣を進め・・・って、これものらりくらりだったのよね・・・。

長州は・・・国を挙げて・・・農民までもが闘うようです。
軍師・大村益次郎、出してくんないかなあ・・・。
広島に嘆願書を持って行くのは、伊之助。
これは、史実なので・・・まあ、その通り。

そんなこんななお話を、奥でする毛利元徳。
もちろん、美和も聞いてます。

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御前様が自らの甲冑を披露。。。

「私の甲冑である。
 この城に、攻め入られることも十分ありうるであろう。
 その時、私は戦うつもりじゃ。
 姫はどうじゃ?」by都美姫
 
「無論、私も戦います。」by銀姫

私も・・・私も・・・私も・・・と、供が言う中・・・
「恐れながら、私は逃げたいと。」by美和。

なのです。

・・・

”闘う”ということについて、真実味がないのは当たり前だったのかもしれません。
でも、キレイな着物を着て、”闘う”という非現実味たっぷりのこの状況。

ちょっと前の”八重の桜”ではこんな感じで・・・

turuga












私の好きな1986年の”白虎隊”ではこんな感じ。
1986

















元々、現実味のないところに、甲冑をもってこられても、非現実味に拍車がかかってしまって、何もかもが嘘になっていきそうです。
でも、”闘うこと”を知らない奥の人たちにとっては・・・もしかすると、こちら”花燃ゆ”の方が真実味があるのかもしれません。
興丸様を連れて逃げ、お守りし、長州が焦土となろうとも、毛利家を復興させると言い切る美和なのでした。

なんだか回りくどい美和さんは、やっぱり”何かを成し遂げたというストーリー”があんまりないので、1秒でも2秒でもの時間稼ぎのように思えて仕方ないんです。

それに、「恐れながら、私は逃げたいと。」・・・って、先に言うよりも、
「私も命を懸けてお守りします。しかし、どうしようもなくなったら連れてお逃げして、お家の再興をはかりたいと思います。」という方が、素直じゃないかしら・・・??

そうだ・・・違和感はここだったのかも??
今でも言いますよね。
自分の意見を言いたいときは・・・
「あなたの言うことも分りますが・・・」と、肯定してから否定するって・・・美和も、伊之助も、そこが全部なってないんだ・・・。
男性なら、鼻っ柱が強くってもカッコいいかもしれませんが、女性として可愛くないですよね。

自らを否定された都美姫なのに、なんと、美和に賛同したの??

「美和。
 おまえは諸隊の兵たちに見知りも多い。
 今こそ、お前の力がいる!!」
と、無礼打ちにすることなし!!なんて、心が広いんだ。

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で・・・そんなことは、長州の軍師・大村益次郎さんにしてもらってください。

ぐだぐだとおにぎりを作りながら兄から漏れ聞いた戦略を述べています。
まさに、机上の空論!!
既に、吉田家の山鹿流兵学が時代遅れになっていることを”アヘン戦争”の時代に知っていた松陰。
そう言えば、美和、第1話かなんかで山鹿流兵学はもう古いって、言ってたじゃないの・・・??

伊之助は、幕府との交渉のために広島に・・・捕まってしまいました。

で・・・晋作は、戦う!!戦う!!戦う!!
はずだったんですが、なんと、会いに来たいという雅に妾・おうのがばれてしまうと戦々恐々
そんな心配するなよ~~~
只でさえ戦況が全く理解できないこの大河、何も頭に入らなくなってしまった。。。

6月12日、高杉たちによる奇襲開始。

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ほんと、高良健吾君、孤軍奮闘とはこのことです。


さあ!!戦うか!!と、思ったところで奥に・・・
嫌な予感のまま、園山殿の報告で終わっちゃった・・・。

「まことによかったのう。」by都美姫
「はい、はい!!」園山殿

大型艦ぞろいの幕府艦隊に小型艦の丙寅丸で勝っちゃった「スゴイ感」が全く伝わらない。。。
こんな展開があっていいのか??

と思っていたら・・・雅登場!!

杉家の母さまから父の形見だと、作物の種を美和に持ってきてくれたのです。
??
結構いいご身分ですよ、高杉家・・・

「女子が居りました・・・」by雅
う~ん・・・仏頂面の雅、そんなんだから、お妾さん作られるんだよ・・・。
と、女ながらに思ってもみる。
おまけに、久坂さんもそんなことがあったんでは・・・と聞かれて、
「あれは何もなかった」と嘘をつく美和。
空気が全く読めていないですよね。
っていうか、ヒロインはこういう気の強さは要らないんじゃないかなあ・・・??
頼ってきた友達に、カッコつけて嘘をつくなんて・・・。
気の強さだけが目だっていやな女・・・ますます女として幻滅しちゃいます。
雅が可哀想。。。
何のためのヒロインやねん

戦意があがってきた中で、晋作遂に吐血!!

そんな知らせは、元徳&銀姫⇒美和へ!!

「どうも、肺をやられているらしい・・・」by元徳
全部、美和が知っている必要って無くないですか・・・??

戦況が芳しくない中・・・
「世話あない・・・そういうてわが家では働きました。」
なんて、そんな状況じゃないのにねえ・・・
と思っていたら、父上からの形見の種をまきだすのでした。。。

人に働かせて、自分は雅とガールズトークかい??と、早い展開。
萩に戻って、塾を手伝えと言い出す美和。
でも、沈む雅に・・・

「私も・・・ようわかります。
 ホントはおったんです。
 打ち明けられました・・・京にええ人がおったと・・・。」

それを先に言ってやれよ!!
ほんと、今更!!って思っちゃう。

「でも・・・思ったんです。
 あの人は、命を散らしていたんやと・・・」
いやいや、晋作まだ死んでないし・・・。

「きっと高杉さんも・・・今頃命を散らすように戦っているんでは・・・。」
いやいや、晋作まだ死んでないし・・・。

「兄に託され、久坂たちに託され、もうずっと重い荷物背負って・・・。」
いやいや、晋作まだ死んでないし・・・。

「結局・・・一人なんやないかって・・・誰とおってもひとり・・・」
いやいや、晋作まだ死んでないし・・・。

「やから、せめて信じてあげてつかあさい・・・
 あなただけは帰りを待っていてあげてつかあさい。」
=自分に言ってくださいよ・・・。

「きっと、無事にお戻りになります。
 褒めてあげてつかあさい。」
=自分に言ってくださいよ・・・。

「あのお方のことやから・・・」と、お前も高杉の女かい??と言いたくなるような言い回しもね・・・。

「あなたはやり遂げた・・・英雄やと・・・」
あなたも久坂に言ってあげてください。

「みんな・・・語り継ぐ・・・
 その名は輝いて・・・後の人をも照らす・・・
 長州一の英雄やと・・・」
あなたも久坂に言ってあげてください。
 
そう、言っていることに一貫性がないので、全く心に響きません。
最初に雅が相談に来た時に話せばよかったし、殊勝な女な話をするためにはウソをついてはいけません。
心からそう思っているようには見えないから。

この最後に・・・「私は素直になれなくて・・・久坂にしてあげることは出来なかったけれど、あなたはしてあげて・・・」と、悔いてくれれば、心に響いたんだと思うんですけどね。
そうなれば、平成的な感性を持ってきた”花燃ゆ”の人たちが駄目になっちゃうのかしら・・・??
でも、雅には耐え忍ぶことを要求するんだね。。。

歴史的には、将軍家茂が死去。

何か知らないけど、幕長戦争??そんなこと言ってたっけ・・・??
なんで第二次長州征討や四境戦争じゃ駄目なんだ・・・
長州征討だと正当性が無くなるから・・・??
そんな聞いたこともない言い方したところでと思っていたら、晋作・・・もう、死にそうです。
晋作さえも、死んでしまったら・・・どうなるんだ・・・”花燃ゆ”

なんと、伊之助、何でか知らないけど釈放されて帰ってきました。
何をしたのかもわからないのに、キレイなべべ着て講釈たれて・・・
大殿に「この長州を助けてくれ」と、頼まれるのでした。
そして・・・美和も・・・どんな活躍があったのか知らないけれど・・・
いろいろ絶賛され
「中臈に任ずることにいたす!!」by都美姫

久坂家再興が許されたのでした。
ちなみに・・・
実際は「久坂家再興⇒養子・米次郎が継ぐ⇒興丸の教育係にあがる」というのが史実です。

別に、史実と同じにしろなんて言わないけど、何だかなあ・・・。
って感じが否めないのは、すべてが嘘のように思えるからでしょうね。

ちなみに・・・先日、「日本のいちばん長い日」を、観てきました。

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半藤一利さんが監修なので、ま、まんま日本って感じです。
ちなみに感想は・・・もっくんの昭和天皇最高でした。

本当にそうだったのか??
そんな人だったのか??そんなことは解りませんが、俳優陣がぴか一ということもあって、面白く・・・
戦争映画だというのにアメリカとの戦いのシーンは全くなく、官邸・陸軍・宮内庁・首相家・陸軍大臣家くらいしか映りません。

でも・・・みんな逼迫してピリピリして・・・とっても良かったと思います。



そう言えば・・・男の人ばかりでしたが・・・。
でも、女達も、首相の妻として、陸軍大臣の妻として・・・カッコいい女性もたくさんいました。

これって昭和の映画ですよ
天皇として、首相として、陸軍大臣として・・・自分の責任をどう果たすのか??
何が一番大切なのか??
ぶれていないのが良かったんでしょう。
幕末維新は、これぐらいのカッコいい人たちが・・・大義名分を持っている忠義な人が沢山いたと思うんですけどね・・・。

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