日々徒然~歴史とニュース?社会科な時間~

大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:黒田官兵衛

信長・秀吉・家康 天下人の夢

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1582年・・・6月2日早朝・・・
京都で戦国の歴史を大きく変えた本能寺の変が起こります。
天下取りを目前にしていた織田信長が、明智光秀の謀反に会い自害したのです。
そんな主君の敵を討ったのは、ご存じ、豊臣秀吉です。

織田信長の死を一番最初に知ったのは、京都に近い大坂で四国攻めの準備中だった信長の三男・信孝と丹羽長秀でした。
信孝と丹羽長秀が信長の死を知ったのは、本能寺の変の当日6月2日でした。
どうして京都に向かえなかったのか??
彼等はかん口令を敷かなかったので、兵士たちがパニックを起こし、逃げ出してしまったので、仇討どころか守りを固めることで精いっぱいだったのです。

柴田勝家は京都から300キロのところにある越後で上杉攻めをしていました。
勝家が信長の死を知ったのは、数日たった6月5日~7日の間のことでした。
勝家はすぐに越前の北ノ庄城に戻り、明智光秀等夏の準備をしますが、出かけられません・・・
京都に戻る際に、上杉軍に追撃される恐れがあったからです。
明智光秀は、上杉景勝に、本能寺の変の計画を事前に伝えていたともいわれています。
信長が死ねば、勝家は戦どころでなくなる・・・と、追撃態勢を整えていたので、勝家は動くに動けなくなっていたのです。

滝川一益は、北条の治めていた関東をほぼ制圧しつつありましたが・・・変を知ったのは、6月7日~9日の間と言われています。
しかし、時を同じくして北条氏政も、信長死亡を知り、反撃してきたのです。
そのため、一益は、京都に行くことができませんでした。

羽柴秀吉の場合・・・
中国地方を制圧する為に、備中高松城を攻めていた秀吉は・・・。
信長の死を知ったのは、変の翌日、6月3日の夜でした。
京都から200キロ離れた土地で、どうしてそんなに早く知ることができたのでしょうか?
明智光秀は、この時、「信長を討ったので、和平交渉に応じるな」と、毛利に密書を送っていました。
その使いが、秀吉の陣営に迷い込み、捕らえられてしまったのです。
この時、秀吉は、毛利方清水宗治の居城・備中松山城を水攻めにし、落城寸前まで追い込んでいました。
城の周りを全長3キロ、高さ7メートルの堤で囲んで、近くの川を引き入れ、水滅させようとしていました。
警備も厳重・・・そこへ、光秀の密使が捕まってしまったのです。
城攻めの奇策のおかげで、信長の死をいち早く知ることができた秀吉ですが、草履取りから自分を取り立ててくれた信長を父のように慕っていた秀吉は、泣き崩れるばかり・・・。

そんな秀吉の目を覚まさせたのは・・・軍師・黒田官兵衛の・・・

「これは天のご加護 天下取りの好機でございます。」

の一言でした。

その言葉で冷静さを取り戻した秀吉は、主君の敵を討ち、天下とるという野望をたぎらせるのです。
そして、かん口令を敷きました。
当然、」毛利方にも、漏れないように、密使を斬ったうえで備前から備中への道を封鎖しました。
そして、交渉が始まっていた毛利との和睦を急ぎます。
信長の死を知ったその夜、毛利方の交渉人・安国寺恵瓊を呼び出し、それまでの条件を緩めます。
備中・美作・伯耆を割譲するように求めていたのを、美作だけで備中・伯耆は折半にします。
さらに、備中高松城主が切腹すれば、城に残っている5000人の兵士たちの命は保証するとしたのです。

こうして、毛利とのスピード講和が実現します。
秀吉が信長の死を知ってから数時間のことでした。
その日のうちに、清水宗治は備中高松城に浮かぶ船の上で自刃・・・
その見事な最期に「武士の鑑」と言ってほめたたえました。
その直後・・・毛利が信長の死を知ってしまいました。
毛利の追撃は・・・??
この時、毛利方の吉川元春と小早川隆景が、1万5000の兵を引き連れて援軍に駆け付けていました。
どうなる??

吉川は・・・「信長が死んだ以上、講和など破棄して秀吉を討つべきだ。」
小早川は・・・「誓いの書の墨が乾かぬうちに、講和を破棄するわけにはいかぬ。」

結局、小早川の主張が通り、毛利方が追撃することはありませんでした。
そして・・・和睦の1か月前・・・毛利輝元が家臣に宛てた手紙には・・・??

「こちらは、鉄砲は言うに及ばず、弾薬も底をついている。」

武器弾薬を使い果たしていたのなら、追撃どころではありません。
しかし、これもまた秀吉の策によるもので・・・瀬戸内海を支配する村上水軍を調略していたので、毛利伸樹の補給路をあらかじめ絶っていたのです。
もともと村上水軍は、因島村上家・村上吉充、来島村上家・来島通総、能島村上家・能島武吉・・・毛利方の水軍でした。
そのうちの来島村上家は毛利を裏切り信長についていましたが、秀吉はこの時、能島村上家を調略し手中に治めていました。

6月5日、吉川と小早川の軍勢は撤退を開始・・・  
それを見届けた秀吉は、翌日・・・京都への怒涛の行軍を始めるのでした。
秀吉は2万の軍勢を率い、備中高松城から京都を目指し、200キロの大移動を開始しました。
神業ともいわれる秀吉の中国大返しが始まりました。

6月6日(1日目)午後2時
備中高松城を後にした秀吉軍は、西国街道を通り、22キロ離れた備前・沼城へ・・・。
西国街道は、援軍として信長が来ることになっていたので、秀吉によって整備されていました。
向う沼上は、秀吉の家臣・宇喜多直家の居城でした。
待ち受ける宇喜多もぬかりありません。
秀吉たちが夜でも動きやすいようにとたいまつを焚き、城についたときに食事が出来るようにしていました。
順調なスタートを切りましたが・・・

6月7日早朝
沼城で仮眠をとった一行は、翌朝早くに出発し、70キロ先に姫路城を目指します。
その途中には、西国街道最大の難関・船坂峠がありました。
谷が深く、道幅が4メートルに満たないところもあり、2万の軍勢が重装備で多くの武器弾薬を運びながら進むのは困難を極めます。
姫路城までの行軍では、暴風雨にも見舞われていました。
道筋の河川が増水し・・・農民を雇って、人間の柵を作らせ、その方にすがって川を渡らせたといいます。

当時の甲冑などの装備は30kg~50kg・・・。
秀吉は大軍を率いてどうやって早く移動したのでしょうか?
秀吉は兵士の負担を減らすために・・・
海路を利用したのではないか?という説があります。
騎馬隊や足軽隊は走ったでしょうが、物資を運ぶ輜重部隊は海路を行ったと言われています。
言い伝えによると、牛窓から佐古志、片上津から赤穂岬・・・と言われています。
兵士たちを身軽にし、大軍勢の移動のスピードをあげた秀吉・・・

もう一つの説は・・・??
秀吉の書いた一通の手紙に秘密がありました。
本能寺の変を知った中川清秀の手紙に対する秀吉の返書です。
その文面の日付と内容・・・
6月5日に「今、野殿まできている」と書いています。
野殿は備中高松城から7キロのところです。
この書状が正しければ、出発日の定説が覆ることに・・・??
6日出発という説は小瀬甫庵の「太閤記」によるものです。
太閤記は、秀吉の活躍を書いたものなので、誇張表現なのではないのか?とも言われています。
中川清秀宛ての書状の6月5日に野殿にいるが注目され、6月5日の時点で備中高松城から野殿に向かって・・・という策が注目されています。
5日と言えば、毛利が撤退した日です。
この日に追撃の余裕がないと知って・・・しかし、追撃の可能性がゼロということではなく・・・この秀吉の判断はあっぱれでした。
この6月5日出発説・・・本体は微衷高松城に残り、秀吉と何人かは野殿へ向かったのではないか??
今後さらに検討が加えられることでしょう。

1582年6月2日本能寺の変・・・主君・織田信長の敵を討つために、備中高松城から京都まで200キロの道程を8日間で走破した羽柴秀吉の中国大返し、その成功のうらには秀吉の知略が・・・。

人心掌握術・・・
備中高松城を出発し姫路城まで2日で92キロを走ってきましたが、まだ道半ば・・・
京都まで100キロ以上残っていました。
疲弊している・・・逃げ出す者も出て来るのでは・・・??
そこで、姫路城につくと皆に信長の死を教えます。
この行軍は、信長の仇・明智光秀を討ち取るためであると皆の士気を上げます。
城にあった兵糧米・8万5000石と金・800枚、銀750貫文・・・現在の価値にして66億円相当を兵士たちに分け与えたのです。
そして、仲間・小者たちにも5斗・・・半年分の米を与えたのです。
翌日からの行軍に備え、一日ゆっくり休ませます。
そこへ一人の僧侶がやってきて・・・
「明日は、二度と帰ることができない悪日にございます。
 それゆえ、出陣は延期された方がよろしいかと・・・」
それを聞いた秀吉は、
「二度と帰ることができないには、むしろ吉日じゃ!!」
そう言って取り合わなかったといいます。
秀吉は、光秀を見事討ち取ることができれば、その先には天下人の道がある・・・
そうすれば、姫路城に戻ってくる必要はない!!
城などどこにでも作れる!!
だから、帰って来れないのはむしろ吉日!!
自分が勝って天下をっとるということだ!!と。

中国大返し成功のため、他にも策を講じていました。
姫路を出た秀吉軍は、100キロ先の富田を目指します。
しかし、その途中には摂津国が・・・!!
そこに居るのは茨木城主・中川清秀と高槻城主・高山右近でした。
かつて・・・織田信長に謀反した荒木村重の重臣たちでした。
秀吉は、「奴らが信長様の死を知ったら、反旗を翻すかもしれない・・・」と、書状を送っています。

「上様は難を逃れ・・・」

信長派生きているという嘘を伝えることで、中川清秀らが光秀に加勢するのを防ごうとしたのです。
この時光秀は、信長の遺体を見つけることが出来ずにいました。
もし、首を晒すことができていれば・・・でも、出来なかったので、その嘘を信じてしまったのです。
情報を操作することで、裏切りの目を摘んだ秀吉は、安心して行軍することができたのです。
秀吉は家臣たちにも恵まれていました。
事務管理能力に優れていた石田三成は、この時、後方支援を担当!!
食糧や武器、人出の手配・・・迅速かつ的確に行いました。
これによってスムーズな移動が可能に・・・!!
黒田官兵衛は、軍師としての才能を発揮!!
隊列の先頭に毛利家の旗を持たせ、毛利方が秀吉軍に加わったと思わせます。
この旗は、備中高松城で和議が成立し、秀吉軍が撤退する際に、小早川隆景の元を訪ね、毛利軍の旗を20本ほど借りています。
隆景はある程度察しがついていて・・・秀吉に協力しておいた方が、毛利家のためになると考えたのです。
旗を見て、毛利が味方に付いたと勘違いした武将たちが次々と秀吉軍に加わります。

6月11日、秀吉軍は尼崎に到着!!
秀吉は大坂城にいた織田信孝と丹羽長秀に尼崎まで来たことを伝えますが・・・信孝を光秀討伐の総大将とすることはありませんでした。
本来ならば信孝でしょうか・・・信孝にすれば、自分は駒になってしまう・・・おまけに信孝には当時、兵が4000人しかおらず、父・兄を殺されてしまっていました。
の舞台兄は、光秀を討つ気迫がなかったので、秀吉の上には立てなかったのです。
6月12日、富田に到着した秀吉は、池田恒興、中川清秀、高山右近らと共に、軍議を開きます。
明智光秀を討ち、天下人となるために・・・!!

その頃光秀は・・・
6月2日から4日までの間に坂本城に戻り、近江を平定。
6月5日には安土城と秀吉の長浜城を占拠、丹羽長秀の佐和山城も押さえていました。
娘のガラシャを嫁がせていた丹後宮津城主細川忠興や、大和郡山城の筒井順慶に参戦を呼び掛けています。
その一方で、朝廷工作を行って・・・
朝廷から京都の経営を任せると言われ、信長の後継者は自分であると思っていたようですが・・・??
8日、大返しの知らせを受けました。
しかし・・・光秀は、京都に献金するなどの朝廷工作に勤しんでいました。

秀吉軍は4万のふくらみ・・・しかし、明智光秀は、織田信長の謀反に成功するも、味方に付けようとしてた武将たちが味方に付かないという誤算に・・・。
細川忠興は、光秀のために動かなかっただけでなく正室に迎えていた娘・ガラシャを謀反人の娘として丹後の山中に幽閉してしまいました。
筒井順慶は一度は参戦に応じるも、秀吉側に寝返り、居城に籠ってしまいました。
結果、光秀の軍勢は1万5000!!秀吉の半分にも及びません。
決戦の地は、京都に近い天王山の麓・山崎でした。

6月13日・・・
劣勢で迎え撃つことになった光秀には策がありました。
天王山の地の利を生かします。
当時、川が迫る天王山には、馬がやっとすれ違えるだけの細い道しかなく、そこで秀吉の大軍をおびき寄せ、天王山に配置した兵に吸収させて撃破しようと考えていました。
しかし、この作戦は、もし秀吉に天王山を取られるようなことがあれば成功しません。

「先に天王山を押さえねば!!」by光秀

しかし、秀吉もそこのところはよくわかっていて・・・
そこで、地の利に明るい中川清秀に天王山の奪取を命じます。
中川は、敵に気付かれぬよう、松明なしに前日夜に天王山に分け入り、光秀軍より先に天王山を占拠したのです。
これで光秀軍は、勝機を失います。
そして遂に両軍が激突!!
僅か数時間で秀吉軍の圧勝に終わりました。
光秀は命からがら逃げだすも、落武者狩りの竹やりで重傷を負い・・・6月13日、明智光秀自害!!

三日天下と揶揄されることとなった光秀、一方、主君の敵討ちを見事に成し遂げた秀吉は、天下取りにぐっと近づきました。
中国大返し・・・その成功の秘訣は、情報操作など、優れた知略、巧みな人心掌握術、有能な家臣の存在、そして、大胆な行動力と決断力・・・そのスピードの速さでした。

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羨望術数渦巻く戦国時代、大きな野望を抱き、下剋上という荒波を乗り越え、遂には天下統一を成し遂げた男・豊臣秀吉。
そんな秀吉には二人の軍師がいました。
一人は、若き日の秀吉を支えた竹中半兵衛。
織田信長が認め、家臣にしたがったほどの逸材!!
もう一人は、その半兵衛の後を継ぎ、秀吉を天下人へと導いた黒田官兵衛です。
天下無双の戦術と巧みな交渉術で次々と敵を落としていきます。
清算帽として名を馳せた半兵衛と官兵衛。
二人の天才軍師・・・最強なのはどちらでしょうか?

美濃国・斎藤家に仕えた竹中半兵衛は、1544年に生まれ、細身で色白女性のような面立ちでした。
性格も温和で女性のようでした。
しかし、軍師・半兵衛は、「敵を制すること神の如し」と、軍師・諸葛孔明に例えられ、”今孔明”と呼ばれていました。
黒田官兵衛は・・・半兵衛よりも年下の1546年生まれ、姫路出身です。
軍師としては、戦国一の切れ者と言われました。

①戦術
竹中半兵衛は、豊臣秀吉に仕える前は、美濃国・斎藤龍興の家臣でした。
龍興に対し、クーデターを起こします。
難攻不落の稲葉山城をわずか17人で、1日で落としてしまいました。
1564年稲葉山城占拠事件です。
半兵衛はどうやって難攻不落の城を落としたのでしょうか?
まず、稲葉山城に詰めていた弟・久作に仮病をさせ、その見舞いの為と見せかけて城に向かいます。
酒と御馳走と偽って、長持ちの中にびっしりと武具を詰め込んで!!
一行は、武具を身に着けるや否や、一気に奇襲!!
龍興の側近ら6人を殺害します。
半兵衛の奇襲に龍興は動揺し、家臣らと共に城から飛び出していきました。
どうして半兵衛はクーデターを起こしたのでしょうか?
斎藤龍興は、政務に関心を示さなかった上に、遊興に溺れていました。
この悪政を見かねてのクーデターだったのです。
電光石火のクーデター・・・半兵衛21歳でした。
これに織田信長が驚きます。
自分が長年攻めあぐねていた稲葉山城をわずか17人で・・・しかも1日で落としてしまった・・・。

「稲葉山城を明け渡すならば、美濃国を半分与えよう」by信長

しかし、半兵衛はこれを拒絶し、半年後、反省した主君・龍興に城を返すのです。

この一件で、半兵衛に惚れこんだ信長は、木下藤吉郎をつかって落とそうとします。
渋る半兵衛のもとに足しげく通う藤吉郎。
どうやって口説き落としたのでしょうか?
と、これは、三国志演義を元にしたお話。。。
信長が美濃・斎藤家を滅ぼした後、斎藤家の家臣を自らの家臣団に迎えています。
この中に一緒に家臣となって、秀吉の与力となっています。
与力とは・・・身分は信長の家臣で、軍事行動の際には、秀吉の一員として戦ったのです。

信長が、天下統一を目指す中、同盟を結んでいた北近江の戦国大名・浅井久政、長政親子が反旗を翻します。
起こった信長は、小谷城を攻撃!!
半兵衛は、秀吉と共に小谷城近くの横山城へ!!
浅井は横山城攻略のために・・・
あたかも別の場所に向かうふりをして横山城を通過、これにつられて出てきたところを迎え討とうというのです。
秀吉は、この策にまんまと引っかかり出撃命令を出してしまいますが・・・
半兵衛はこれを見ぬいていました。
出撃を思いとどまらせ、近くの山中に速やかに兵を配置!!
なかなか兵を出さない秀吉軍に業を煮やした浅井軍は、横山城に接近!!
半兵衛はこれを不意打ちして撃退したのです。
半兵衛のするどい洞察力と起点に救われた秀吉でした。

浅井攻めも大詰め・・・小谷城に・・・!!

「城内にいる御位置を救出せよ!!」by信長

信長の妹であり、浅井長政の正室・お市とその子供たちを救出せよという難題でした。
小谷城は、急峻な山城で、攻め落とすだけでも困難・・・その上、救出とは!!
仮に攻め落とすことができたとしても、お市も自害してしまうかもしれない!!
半兵衛は、情報収集に走ります。
反信長は、父・浅井久政で、長政は仕方がなかったという。
長政とお市は織田に城本丸に、父・久政は小丸に・・・と、離れていました。

そこで半兵衛は、本丸と小丸の間にある京極丸を占拠!!
父・久政を攻撃し、長政のもとへ使いをだしお市を説得!!
追い込まれた浅井親子は自害するものの・・・お市と三人の娘は助け出されました。
情勢を把握し、知略を尽くした半兵衛の見事な戦略でした。


黒田官兵衛は、播磨の小寺政職の家臣でした。
1575年、着々と勢力を伸ばしている織田に付くか、西の大勢力毛利輝元に着くべきか??判断に迫られていました。
割れる意見・・・
小寺家の重臣は、今までのことを考えて毛利に付こうという考えの者が多かった中、官兵衛は・・・
「輝元は凡庸な男、一方信長は向かうところ敵なしで、武名を天下にとどろかせている!!」と、重臣たちを説き伏せました。
播磨が信長に味方することを使者として伝えに行く官兵衛。
秀吉に信長へのとりなしを頼みます。
これが二人の初対面でした。
そして、二人は、毛利の中国地方に攻め入ることになります。

城攻めを得意とした官兵衛。
❶1577年福原城攻め・・・囲師必闕
この時福原城には、毛利方1000の兵が!!
これを知った半兵衛は、三方に兵を置き、一方を空けておきました。
どうして一辺を空けておいたのでしょうか?
「孫氏」の戦術・囲師必闕で、四方を囲むと置き込まれた敵が、予期せぬ力を発揮することがある・・・
死に物狂いでかかってくることを生じさせないために、逃げ道を作っておいたのです。
その逃げ道に密かに兵を置いた官兵衛は、城から逃げてくる敵を一網打尽にしました。
リスクを避けて効率よく相手にダメージを負わせる・・・。
合理的な戦術です。

❷1581年鳥取城攻め・・・渇え殺し
毛利に組した山名豊国の重臣と、毛利からの援軍・吉川経家合わせて2000の兵が鳥取城に籠城!!
経家は兵糧の確保に走りますが、一向に手に入らず苦境に・・・
事前に官兵衛は手を打っていました。
1年前の秋口に、官兵衛が派遣した商人が通常の倍の値段でコメを買い占めていたのです。
農民たちは、鳥取城に治めるはずの備蓄米まで売り払ってしまい・・・城下の米の殆どを手にした官兵衛。。。
そして・・・①城下の村々を焼き払い
      ②領民を鳥取城に逃げ込ませます。
      ③2000人ほどだった城内は倍に!!食料は瞬く間になくなり、多くの人が餓死していきました。
非情な渇え殺し!!
たまらず吉川経家は、鳥取城を明け渡したのでした。

❸1582年備中高松城攻め・・・水攻め
この時、秀吉軍は攻めあぐねていました。
高松城は、湿地帯の中にあり、容易に近づけなかったからです。
大軍では近づけない・・・。
官兵衛が選んだのは水攻めでした。
湿地帯の南側に3キロ(高さ8m・奥行24m)に及ぶ堤防を築きます。
土嚢一つを100文(5000円)で買い取ると農民たちに呼びかけて・・・
数百万個の土嚢が集まって、2週間ほどで完成!!
次に官兵衛は、西にある足守川を堰き止めます。その方法は・・・大量に石を積んだ船を空きなく並べ、一気に船底に穴をあけて沈めました。
梅雨の時期だったこともあって、湿地帯の水位は瞬く間に上昇!!
城主・清水宗治は観念して自害!!
毛利と秀吉との間で講和が結ばれることに・・・!!
官兵衛の場合、極力味方にダメージを与えないような合理的な戦術です。


②交渉術

戦は、必ずしも力のある者が勝つとは限りません。
天候、運、不運・・・も関係している??
戦国時代前期までは、占い、呪術を使う軍師が活躍していました。
戦いによい日時を占ったり、勝利を願う儀式を執り行いました。
しかし、後期になると、兵法に長け、策略や外交交渉もこなせる策士タイプが求められるように!!
豊臣秀吉を支えた竹中半兵衛と黒田官兵衛もこのタイプでした。

半兵衛がその力を発揮したのは、浅井の小谷城攻め!!
信長と秀吉は半兵衛を使って浅井家家臣の寝返り工作を進めさせます。
半兵衛の場合、浅井家にも仕えていたのでは??と言われています。
浅井の家臣・堀秀村、宮部継潤など浅井の家臣を寝返らせています。
戦わずして勝つことを理想とした半兵衛は、事前に敵との交渉し、できるだけ戦を避ける戦術をとったと言われています。
外交交渉だけでなく・・・半兵衛のことを快く思わない秀吉の家臣たちとも交渉を・・・
相手を褒めちぎり、褒めた後にアドバイス!!
秀吉の名前を上手く使いました。


官兵衛の交渉術は・・・
1590年小田原城攻めでは・・・
長期に渡り籠城していた北条氏政、氏直親子を、説得し無血開城していますが・・・。
その交渉術は大胆なものでした。
秀吉軍は小田原城を完全に包囲したものの、なかなか落とせずにいました。
そこで、交渉役として官兵衛を遣わします。
城の中の北条方に、酒・二樽、魚・十尾を差し入れます。
北条家はプライドも高いので、礼を尽くし懐柔しようとしました。
その返礼として鉛玉と火薬が出されました。
この意味は・・・北条の降参ととり、交渉に臨んでいます。
礼装に身を包むと、台頭せずに丸腰で、単身で小田原城に乗り込む官兵衛。
礼を尽くし、説得に当たった官兵衛に対し、北条親子は城を明け渡すことを承諾します。
この官兵衛の働きによって天下人となった秀吉です。


③人間力
二人が秀吉の下で一緒に働いたのは4年間ほどでした。
その頃の二人のエピソードから人間力を推察すると・・・??

官兵衛が秀吉について間もない頃、毛利方の大名を次々と織田方に寝返らせたことで、秀吉から感謝状を受け取り有頂天に!!
得意げに半兵衛に見せると・・・その書状を破り捨てた半兵衛は・・・
「こんなものを残しておいても、そなたの物にはならぬ!!」過去の栄光に縋りつくことを戒めた半兵衛は、手柄をひけらかすことを良しとしない愚直な男でした。

1578年織田信長に仕えていた荒木村重が裏切って毛利についたとき・・・
官兵衛は信長から村重を説得してくるように命じられ、意気揚々と有岡城に入りますが・・・
そこで囚われの身となってしまいます。
いつまでたっても戻ってこない官兵衛に、「村重に続き、官兵衛も裏切ったか!!」と思い込んだ信長は、人質に取っていた息子・松寿丸を殺すように秀吉に命じます。
これに断固反対したのが半兵衛でした。

「人質を殺せば、官兵衛は深く恨み、敵となるでしょう。
 そうなれば、大きな損失となります。」by半兵衛

しかし、この信長の直談判は聞き入れられません。
そこで半兵衛は松寿丸を、美濃国にあった自分の屋敷に匿ったのです。
バレれば自分の命も危ういというのに・・・。
しかし、半兵衛は、官兵衛を信じていました。
出会って数年のふたり・・・半兵衛は、軍師としての官兵衛を高く評価しており、自分が死んだ後、秀吉を支えるのは官兵衛だと思っていました。

1年後、救出された官兵衛は、家臣から半兵衛が息子を匿ってくれていたことを聞くと、半兵衛の懐の大きさに改めて感服し、自分を信じてくれたことに深く感謝しました。


④危機管理能力

乱世の世、危険だらけ??
半兵衛は、高価な馬には乗りませんでした。
それは、いつでも捨てて逃げられるように!!

官兵衛は、??
1582年毛利方の備中高松城を落とした秀吉は、毛利との講和条約を結ぼうとしていました。
が・・・衝撃の知らせが!!
本能寺で信長が光秀に討たれたのです。
焦る官兵衛!!
そもそも、毛利が交渉に応じるのは、急速に勢力を拡大している信長に脅威を感じていたから・・・。
しかも、秀吉軍は、信長軍に加勢すべく集まっていた播磨・備中の諸大名の混成部隊!!
信長が死んだと聞けば、秀吉軍は瓦解する可能性があり、毛利から反撃を受けた場合どうなるか・・・大ピンチでした。
おまけに秀吉は、主君・信長の死で冷静な判断ができない状況でした。
官兵衛はどうしたのか??
秀吉の耳元で・・・
「今こそ、貴殿が天下人となる好機ですぞ!!」by官兵衛

この言葉で我に返った秀吉は、官兵衛にすぐさま毛利との講和条約を結ばせ、明智光秀を討つべく、岡山から猛スピードで200キロを進軍!!
光秀がいた京都・山崎に僅か1週間で到着します。
中国大返しです。
この中国大返しを成し得た裏で、官兵衛が動いていました。

「本能寺で無念の死を迎えた信長公の仇を、秀吉さまが討てば、秀吉さまが天下人となる。
 此度手柄を立てた足軽は侍大将に、侍大将は大名になれるであろう。」by官兵衛

出世欲を刺激された兵たちは走りに走ります。
こうして、空前絶後の大移動が完成したのです。
本能寺の変の時点で、信長の部下がどこにいるのか?それを官兵衛は把握していました。
なので、一早く、秀吉に光秀を撃たせるために!!
信長の死を、秀吉のチャンスに変えたのです。
これがなければ、秀吉は天下をとれなかったかもしれません。


⑤秀吉からの信頼度
軍師・竹中半兵衛最後の戦いは、1578年播磨三木城主・別所長治の三木城攻めでした。
兵糧攻めに出るも、粘る別所軍に思わぬ持久戦に・・・。
長く陣を張り、待つ中で、半兵衛は病に倒れてしまいました。
京都に戻って養生するも、一向に回復せず・・・。
死を悟った半兵衛は・・・
「どうせ死ぬのであれば、戦場で死にたい・・・」
望み通り、戦場に戻ると36歳の若さで亡くなりました。
秀吉はその亡骸に縋りついて泣き崩れたといいます。
病弱だった半兵衛は、私利私欲のない男でした。
いかに敵を攻略するかだけを求めた、生粋の軍師でした。
なので、野心のない半兵衛は、秀吉にとって信頼できる数少ない家臣でした。


中国大返しの後、官兵衛は四国征伐、九州征伐で武功をあげ、秀吉の天下統一に大きく貢献していきます。
しかし、秀吉から与えられたのは・・・豊前12万石の小国でした。
どうして官兵衛の印象は少なかったのでしょうか?

酒の席で・・・
「わしが死んだなら、誰が天下をとると思うか?」by秀吉
家臣らは、徳川家康や前田利家など、有名武将の名をあげたといいます。
すると秀吉は・・・
「官兵衛こそが、天下を取るであろう!!」と言ったと言います。

数々の戦で絶妙の判断・・・多くの信頼を寄せていたものの、あまりの切れ者ぶりにいつしか恐れを抱くようになったのではないか??
天下人の座を官兵衛に奪われるのではないか??
これを伝え聞いた官兵衛は・・・
「某は、恐ろしい者と目されているようだ。」
自分がいると秀吉にお家を潰されてしまうかもしれない・・・と、44歳で隠居。
切れ者過ぎたことで、秀吉に疑念を抱かせてしまった官兵衛でした。

秀吉の軍師、竹中半兵衛と黒田官兵衛・・・どちらが最強でしょうか?
どちらか一人ではなく、二人いたからこそ、秀吉は天下をとれたのです。
 


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<戦国時代の天才軍師>秀吉を支えた二人 竹中半兵衛と黒田官兵衛 (歴史群像デジタルアーカイブス)

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1600年5月・・・如水率いる9000の黒田軍は、豊後で次々と西軍を打ち負かしていきます。
九州は大いに揺れ・・・赤合子と呼ばれる如水の兜を見ただけで、恐れをなしました。
如水の快進撃の一方・・・関ケ原では・・・天下分け目の戦いが幕を開けようとしていました。

ここが命の捨て所・・・!!
黒田軍も一気に戦いに・・・!!

九州から天下を狙う如水は・・・関ヶ原の戦いに応じて勢力を拡大・・・
って、このナレーション、ちょっとおかしくない??
だって、関ヶ原の戦いに乗じて・・・って、戦いはほんの6時間だったのに・・・
乗じるも何も、あっという間ですよ・・・。

「九州はすべて黒田のものに・・・!!」by官兵衛


関ケ原では・・・史実どおり・・・日和見な小早川・・・
善戦する三成・・・だって、三成家臣はほとんど討ち死にだもん。

「鳴かぬなら・・・鳴くまで待とうホトトギス」
・・・とどっこい、多分3人の中で一番短気な家康さんは、小早川に向けて砲弾を撃ち込みます。

浅利さんの演技・・・とってもいいですね。
小早川秀秋の気の小ささが手に取るようにわかるわ・・・。
ビビった小早川勢は、三成を裏切って・・・もちろん東軍の巻き返しが始まりました。

ま・・・これに関しては、裏切るかも?感は三成は持っていました。
なので、色々な陣は小早川を牽制しながらの布陣だったんですけどね・・・。
歴史を見ると失敗でしたね。。。


九州・豊後でも戦いが・・・!!
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殿のために、みんな戦ってますよ。
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殿を男にする為に・・・!!
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よく考えると、みんな相当な歳なのになあ・・・。
そんな中・・・
大坂より知らせが届きました。
善助から如水に渡された書状には・・・

「全て・・・終わりました。。。」by善助。

わずか1日で終わってしまっていた関ケ原・・・。
西軍についてしまった恵瓊同様・・・その眼は曇ってしまったのか・・・??官兵衛!?

大坂城では・・・
逆賊・三成を討ち果たしたことを秀頼&淀殿に報告する家康。。。

う~ん・・・こういうところがとっても日本的。
神輿は変わんないってとこがね。。。
こうやって、天皇も万世一系続いてきたんだなあ・・・って、つくづく思うわ。

10月1日・・・三成、恵瓊、行長は捕えられ・・・洛中引き回しの上・・・三条河原にて処刑・・・晒されたのでした。

長政は、この働きで筑前52万石をもらえることになりました。
いよいよ大大名の仲間入りです。

「如水殿は九州で十分と骨を折ってくれたようじゃが・・・
 もう十分じゃとお伝え下さらんか・・・」by家康。

如水は・・・7か国を手に入れるもすべて放棄し・・・豊前・中津へと帰るのでした。

そう・・・武功一番と讃えられた長政・・・。

kan4















しかし・・・この52万石には、これで父を黙らせろ・・・的な含みがあったのです。

「長政・・・内府殿がお前の手を取ったと言うが・・・それはどちらの手じゃ・・・」

「右手にございますが。。。」

「その時お前の左手は何をしておった・・・??」

「左手・・・??」

余った手で家康を討てば・・・黒田の天下だったかも知れない・・・。
そう、もしかすると、家康は長政が家臣たるかどうか見極めようとしたのかもしれません。
前田利家親子然り・・・黒田官兵衛親子然り・・・やはり、二代目はお坊ちゃん育ちなのでしょう。


上座につく家康に・・・まさに拝謁するかのような官兵衛。。。
ここにも既に序列が完成・・・。

でも・・・建前抜きのお話が・・・

「この後・・・徳川殿は・・・どのような世をお作りなさるのか・・・お聞かせ願いたい・・・。」

如水の踏み込んだ質問に・・・家康は

①天下はそれを相応しい者が治めるべきである

②但し天下は一人の天下にあらず

③天下は天下のための天下なり

「わしが死んでも争いの起こらぬ太平の世を創る。。。それがわしの望みじゃ・・・」by家康

「それがし・・・生涯戦で負けたことはござらん・・・。
 此度は内府様に負けました。
 負けて悔いなし。そう思うておりまする。」by如水。

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歩みの違う二人が目指したものは・・・まさに、戦のない平和な世の中でした。
完敗の官兵衛なのです。

筑前に移った黒田家は・・・福岡城を築きます。
黒田家待望の跡継ぎも生まれ・・・黒田の家も安泰です。

家康は征夷大将軍となり・・・江戸に幕府を築きます。

如水は。。。長政を一人前と認め・・・
家臣や民に耳を傾け・・・信じることを諭すのでした。
自分のように・・・”善助のような存在”を探すことを。。。

そして、善助にはあの兜を譲るという。。。
「わしの魂をお主に託す・・・。」

1604年3月20日・・・如水永眠。。。

1615年4月・・・あれから11年が経ち・・・大坂夏の陣・・・乱世最後の戦いでした。
この戦いの豊臣方の牢人に紛れて・・・長政と袂を分かった又兵衛の姿がありました。

そんな又兵衛も・・・討ち死に。。。

「父上・・・某が至らぬばかりに・・・又兵衛を死なせてしまいました。。。」by長政。

そう、又兵衛は、大殿のことが大好きだったのよね。
”父”と慕っていたのです。
なので、本当の子である長政とは、やっぱり確執があったのです。
あんなこと、そんなこと、こんなことを端折って・・・この件だけでわかったんだろうか・・・??
という感じです。

で・・・ああっというまの5月8日・・・大坂城は最後の日を迎えていました。

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大坂城は落城し・・・戦無き世の始まりを如水に語る家康。。。
そう、官兵衛の願った戦無き世が。。。


1年間を通して観て・・・
戦いのシーンが少なかったことがちょっとでしたが、なかなか良かったと思います。
岡田くん、カッコ良かったしね。
俳優陣の気迫もガンガン伝わってきましたしね。
最終回って、いつも回想が殆どでおわるような気もしますが、今回の官兵衛の良かったところは、そんな回想シーンが殆どなかったところかな?

こんな大河は珍しいんじゃないかしら??

そう言えば、去年の今頃、ガンガン官兵衛を宣伝していたNHKさん、「軍師 官兵衛」に心躍らせている自分がいましたが、それが1年も前だなんてね。

山本八重子は好きでしたが、大河はやっぱり男の人でないと・・・と、男尊女卑な私なので??ほんと、ウキウキだったのです。
でも、期待を全く裏切らない作品になっていたんじゃないでしょうか?
偉そうでしたか・・・私??

そう思うと、残念でなりません。。。
なんせ、前回も書きましたが、こんなにオタクな私でも、”杉文”なんて全く知らないのよ。。。
おっと、これは官兵衛でした。

あ~、終わってしまって本当に残念・・・。
でも、みなさま、本当にお疲れさまでした。
まさに、堪能な1年でした。


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1600年7月。。。
佐和山城で蟄居していた三成が、家康を討つために大坂城に入りました。
一方・・・上杉討伐に向かう家康は、江戸城に戻っていました。

三成が動いた・・・それは、家康の思惑通りの展開でした。
二人が味方を募る中・・・如水は九州で来たるべき戦いに備えていたのです。

兵は長政が連れて行っているので、武具をもたないような民兵を集めての戦いです。

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「励め・・・!!」
ここぞの時に金を使うケチな如水・・・農民を士分にも取り立て士気を高める如水です。
如水が勝ったの噂も流し。。。戦いの準備は着々と進んでいました。


徳川を成敗し、大殿の大恩に報いると淀殿に誓う三成。
味方は・・・毛利・宇喜多・小早川・島津・・・10万は下らないと予想し、戦いに備えます。

「大義は我らにあり・・・!!」
う~ん、私もそう思う。

如水の兵は・・・長政の兵を上回る勢いでした。

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石田三成からの書状を見て・・・
味方に着けば恩賞は望みに任せるとの内容に・・・
何をたくらむ・・・??

人質として大坂城にあがらなければならなくなった光と栄・・・。
米俵に隠れて・・・太兵衛が天秤棒で担いで逃げ出しました。

無理~~??って感じもしますが、黒田節の太兵衛。。。
太兵衛ならできるのでしょう。


隠れている光のもとへやって来た善助・・・
細川邸から火の手が上がったことを伝えに来ました。
そう、あの有名なガラシャが大坂城にあがるのを拒否し、自害・・・っていうか、キリスト教徒なので自害は出来ないので、留守を預かっていた家老・小笠原少斎に胸を突かせて、最期を遂げたのです。

この時・・・各屋敷を見張っていた兵が玉造方面に向かったので手薄となり・・・
光と栄は荷車に積まれた長押に紛れ込んで港に停泊していた迎えの船に乗船し、逃げおおせたのでした。


上杉討伐のため、東軍が下野国まで兵を進めていた頃・・・
大坂では東軍への攻撃が始まっていました。

7月25日・・・小山評定が・・・

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婿殿が先回りして福島正則を説得し、家康も大満足・・・!!
大坂で石田三成が挙兵し、毛利・宇喜多が味方に付いているという・・・。
この陰謀に・・・三成に組するものは・・・陣を離れろと言う家康。

「何を仰せられるか・・・!!
 今更三成に味方するなどありえぬ・・・!!」by福島正則。

そう、どちらに着こうか迷っていた人々を東軍に向かせたのは、秀吉子飼いの正則のこの一言でした。

「ならば・・・このまま西へとって返し、逆賊・石田三成を討ち果たす・・・!!」

う~ん、逆賊は家康だって・・・。

西方では・・・黒田如水の動きも気になるようです。
って、挟まれてるじゃん・・・!!!西軍

黒田軍は長政と一緒だけれど・・・
如水軍は・・・如水を慕って農民・商人・・・1万の兵と化しているという。。。


三成は・・・大友吉統を呼び出します。
如水を倒すために・・・!!


兵も集まり・・・天下取りに出るという官兵衛!!
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まずは九州を平定し・・・東軍と戦っている毛利は領地はがら空き・・・

そして思い出の播磨へ・・・!!
京・大坂は目の前・・・!!
この時、手勢は膨れ上がって10万になっていると思われ。。。

最後の大勝負!!
家康・三成・・・勝ち残り疲弊しきっている方へ決戦を挑む・・・!!

兵糧は買い集め、長陣となっても尽きることはなく・・・
物見を各地に潜ませ、地侍の動向もすべて把握している・・・

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如水が説明するまでもなく、30年来の家臣。。。
大殿の考えが解らないはずもなく、準備は万端でした。

「わしは・・・良き宝に恵まれた。
 善助・九郎右衛門・太兵衛・・・。
 得がたき宝が3つもじゃ・・・。

 おぬしたちのおかげでここまで生きながらえ、軍師として重用されることができた。
 わしはな、お主たちと共に・・・天下を狙う・・・!!
 黒田の礎となったお主たちが・・・天下の礎となり得るかどうか・・・
 見て見たい・・・!!
 そして・・・天下という器が、儂に相応しいのかどうか・・・試してみたい・・・!!」by官兵衛。


「我ら黒田武士、大殿の天下、見とうございます。」by善助

「やりましょうぞ!! 大殿の天下取り・・・!!」by太兵衛

「して・・・黒田勢は徳川についておりますが、いかがなさるおつもりで・・・??」by九郎右衛門

「わしらは老兵じゃ・・・。
 したたかに動くまで。。。」by官兵衛。

ああ・・・なんか、みんな性格よく出ていますね。
九郎右衛門なんか、如水の頭脳って感じがよく分ります。

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徳川について出陣する長政も信じて・・・

で・・・関ケ原の影の主人公・小早川秀秋です。
どっちに着くか・・・煮え切らないので、おねにも怒られてます。。。

「勝つ方に着きたい」のだそうだ。
あ~、この人も、可哀想ですね。
世が世なら・・・天下人だったかも知れないのにね。。。

で・・・三者三様・・・戦いの準備は着々と進んでいるのでした。

日本史上最大の合戦が今、始まろうとしていたのです。

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観てたんですけどね、「如水謀る」
家族にビデオを消されてしまいました。

ということで、今回は簡単に・・・。

前回、我が道を行くと決めた官兵衛・・・。
天下取りに向かったのか??
それは誰にも解りません。
官兵衛と、忠臣のみぞ知るというところ。

家康は着々と天下取りの道へと突き進んでいました。
そのまま大坂城へと入り・・・おねは京都新城へ・・・。

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糸はやっぱり男の子を産めなかったことが・・・
熊之助を止められなかったことが・・・
黒田の家を後にするのでした。

あ~、ホント、どこまで仲が良かったかなんてわかんないんだけど、あんまり仲良くしすぎていると離縁の時どうするんだろう?という不安がありました。
そうか・・・こうやってフェイドアウトしていくんだ・・・糸。。。

ちなみに・・・家康の異父妹を母とする栄姫を新しく正室として迎えます。
この正室の交代は、1600年の5月~6月ごろだと思われています。
なので、関ケ原は9月・・・
長政としても、着々と家康との協力体制を築いていたように思います。

が・・・お父さんと違う風に策略張り巡らせて良いんだろうか・・・。

kan3















こちらも何か考えが・・・

kan1












みなさん、色んなことを張り巡らせて・・・


おまけにとんとん拍子で婚姻がなされます。

kan4















まるで・・・もともといてたかのような正室ぶりです。
個人的にそこがショックだった・・・。

そして・・・
6月16日・・・
家康率いる上杉討伐軍5万6000が・・・東へ向けて出陣しました。
ちなみに、長政は、福島正則・細川忠興と共に出陣!!

その背後には三成が・・・!!
と、その三成の蜂起が家康の目的だったのです・・・!!

いよいよ官兵衛自身が一世一代の大勝負に出ますよ!!
あ~、もう少しで終わると思うと、残念でなりません。


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