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大好きな歴史やニュースを紹介できたらいいなあ。 って、思っています。

タグ:黒田長政

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戦国の世を生き抜き、齢62にして天下人となった徳川家康。
それからおよそ10年・・・天下統一の総仕上げとする最後の戦いに挑みます。
大坂の陣です。
難攻不落の大坂城を2度にわたる合戦で攻略・・・豊臣家を滅亡へと追い込むのです。
しかし・・・炎に包まれたその城には、家康最愛の孫・千姫がいました。
その生涯は悲劇に満ちていました。

徳川家康の孫娘・千姫は1597年4月11日に京都伏見で生まれます。
父・秀忠、母はお江です。
誕生の地・御香宮神社には、貴重な品が・・・贅を尽くした神輿が残っています。
これは、千姫の初節句に寄進したものです。
その重さは2トン・・・江戸時代から昭和35年まで、祭りで実際に担がれ、人々に親しまれてきました。
そこに込めた父・秀忠の思い通り、健やかに育った千姫・・・。
しかし、千姫の行く先には数々の悲劇が待ち受けていました。

①政略結婚
千姫が生まれた頃、天下を治めていたのは豊臣秀吉でした。
祖父・家康は五大老のひとりとして豊臣政権を支える一大名にすぎませんでした。
そんなある日・・・病に伏していた秀吉に、家康はこう言われます。

「徳川殿の孫娘を秀頼の正室に迎えたい。」

秀吉は、秀頼との婚姻を持ちかけたのです。
そこにはある思惑がありました。
秀吉は、秀頼と千姫を結婚させることで、自分が死んだ後も家康を豊臣家に従わせようとしたのです。

二人の婚礼を待たずに・・・
1598年8月18日、秀吉死去。。。
その後を狙って天下取りに動いたのが徳川家康でした。
豊臣家に忠義を尽くす石田三成と激しく対立!!
そして・・・秀吉の死から2年後・・・関ケ原の戦いが起こります。
戦いに見事勝利した家康は・・・3年後に・・・1603年に征夷大将軍となります。
これによって、豊臣家の五大老から天下人へ・・・!!
徳川の世が訪れたのでした。
そんな中、家康は秀吉との約束を果たすのです。

孫娘・千姫と、豊臣秀頼との縁組です。
この時、秀頼11歳、千姫は7歳になっていました。
どうしてここに来て千姫を豊臣家に嫁がせたのでしょうか?
家康は、秀吉との約束を守ることで、豊臣家を尊重しているとアピールしたかったのです。
淀の方・・・豊臣家に忠誠を誓っていた大名たちの多くが、徳川家はまだ豊臣の一家臣だと思っていました。
彼等は、秀頼さまが成人すれば、家康は政権を返すと思っていたのです。
そんな豊臣恩顧の大名達を納得させるためにも、
豊臣家と良好な関係を保っていると見せたかったのです。

1603年7月28日、千姫、伏見から大坂城に向かいます。

この時、千姫にお供した船は、1000艘以上・・・
前田利長、細川忠興、黒田長政が警護を務めるなど、盛大な輿入れでした。

祖父・家康の思惑で、僅か7歳で豊臣家に嫁いだ千姫。
嫁ぎ先の大坂城の暮らしは・・・??
姑となった淀の方が教育しました。
豊臣家にふさわしい最高の教養を身に着けるために・・・!!
我が子のように幼い千姫を養育しました。

しかし・・・千姫の幸せは長くは続きませんでした。
祖父・家康の思惑は・・・??
家康は・・・上洛した際に、秀頼に二条城にまで来るように要求・・・
秀頼が求めに応じて対面します。
久し振りの秀頼に驚きます。
19歳になった秀頼は、身長190㎝以上の聡明な男に成長していたのです。
この時、家康70歳。。。!!
徳川家安泰のために、豊臣家を潰しにかかります。

1614年11月大坂冬の陣!!
この戦いが千姫の運命を大きく変えるのです。

②夫・秀頼との死別
秀頼を総大将とする豊臣方は、全国から寄せ集められた浪人を含め15万!!
対する徳川方は20万で大坂城を包囲!!
兵の数では劣りながらも善戦する豊臣軍!!
徳川方は、巨大な堀を前に攻めあぐねていました。
そこで・・・和睦に持ち込もうとしますが、豊臣方がこれを拒否!!
徳川方が放った砲弾が淀の方のいた御殿を直撃!!
お付きの者が死傷したことで、淀の方がおびえだし、一転して和睦を受け入れるのです。
和睦の条件は、秀頼の領地を安堵する代わりに、大坂城の堀の一部を埋めるというものでした。
しかし、家康の策略により、堀の殆どを埋められてしまいました。

すると家康は、防御力が落ちた大坂城を一気に攻め落とそうとします。
1615年5月大坂夏の陣!!
総勢5万5000の豊臣方。
それを15万という兵力で大坂城を包囲!!
数の上で一方的に勝る徳川軍が、豊臣方の武将を次々と討ち取っていきます。
そして豊臣方の立て籠もっていた城が炎上!!
中の千姫たちに危険が・・・!!
落城寸前!!
千姫は、火の手を避けるために、秀頼や淀の方、お付きの者たちと糒櫓に避難します。
侍女たちは、この時、櫓から千姫を逃がそうとしていました。
それを察してか、淀の方は千姫の振袖を膝で押さえていたといいます。

が・・・大野治長が、秀頼と淀の方の助命嘆願の為、千姫を家康の元へ向かわせたといいます。
豊臣家のために城を出たのです。

夫秀頼らの助命嘆願のために、大坂城を出て茶臼山に向かった千姫・・・。
豊臣家の命運は、千姫に託されていました。
千姫は、徳川方から攻撃されないように葵の御門入りに衣を身にまとっていました。
そして、二の丸を出たところで・・・徳川方の坂崎直盛に出会います。
この坂崎の護衛によって家康のいる本陣に・・・!!

しかし、その判断は、秀忠に任せると家康は言い出しました。
父・秀忠の岡山砦に向かう千姫。
そして、秀頼と淀の方の助命嘆願をしますが・・・。

「なぜ、秀頼と共に自害しなかったのだ??
 夫を置いて一人城を出るとはどういうことじゃ!!」

と、激怒しました。

千姫の助命嘆願が受け入れられることはなく、5月8日秀頼と淀の方は大坂城の中で自害・・・豊臣家滅亡。
燃え上がる大坂城が見えた千姫・・・二人の自害を聞いて、ただただ泣き崩れたといいます。

家康は、徳川家が権力を掌握するためには、豊臣家を滅ぼすしかないと考えていました。
豊臣家と運命を共にしようと思っていた千姫は、自分だけが生き残ってしまったことに苦しみます。
病に伏せる千姫・・・。

大坂の陣の後、江戸に戻った千姫は、江戸城北の丸にあった御殿で暮らし始めましたが・・・。
夫・秀頼を救えなかったことで心に大きな傷を負い、病に伏せるようになります。
家康は・・・再婚相手を探すことにしました。
候補に挙がったのは・・・
大坂城から千姫を連れ帰った坂崎直盛。
家康は、千姫を助けたものには、千姫を嫁にやると言っていました。
ところが・・・この約束を反古にしてしまいます。
1616年正月・・・鷹狩りに出かけた家康は突然病に・・・駿府城で床に伏せっていました。
多きの見舞客の中には、孫娘・熊姫も・・・熊姫は、息子・本多忠刻とやってきていました。
忠刻は、桑名藩主・本多忠政との間にできた嫡男で、眉目秀麗と評判でした。
そんな忠刻に・・・家康は忠刻の祖父・忠勝(徳川四天王)を思い出しました。
坂崎直盛は、豊臣家五大老・宇喜多家の出身でした。
対して本多忠刻は徳川四天王・本多忠勝の孫・・・。
坂崎よりも、長く忠義を果たしてくれている本多家に嫁ぐのが幸せだと・・・千姫と忠刻の縁談を進めることにしました。

当時は夫に離縁されない限り結婚はできませんでした。
秀頼は、九州まで遁れて生き延びたという噂まで出ていましたが・・・。
このままでは再婚できない・・・と、家康は・・・。
満徳寺・・・妻が満徳寺に弟子入りすれば、夫と離縁できる習わしとなっていました。
家康は、千姫を満徳寺に入れることで、秀頼との縁を切ろうとしたのです。
千姫の場合、特別に撃場である刑部卿局が寺に入り、千姫は江戸城で修業するという形がとられました。

家康は、4月17日75歳の生涯を閉じました。
再婚する千姫の姿を見ることはなく・・・。
5か月後、千姫は本多忠刻と再婚。
桑名藩主となった本多家が、翌年姫路藩15万石の藩主となり、千姫も姫路城へと移りました。
本多家に結婚祝いとして10万石が与えられました。
忠刻は、姫路城西の丸に二人の御殿をもうけ、それを囲むように日本一の櫓を建てるのです。
夫の心遣いに癒された千姫は、長女・勝姫、嫡男・幸千代を授かります。
ようやく訪れた心の平安・・・しかし、不幸が襲います。

③相次ぐ家族の死

幸せな暮らしをしていた千姫・・・
1621年幸千代、3歳で夭折。
千姫はもう一度子宝に恵まれるようにと、城の傍に天満宮を建て、羽子板などを奉納します。
そして、朝に夕に櫓から見える天満宮に祈りました。
しかし・・・流産を繰り返します。
そんな千姫が、藁をもすがる思いで頼ったのが、占いでした。
それによると不幸の原因は、秀頼の祟りだというのです。
驚いた千姫は、秀頼のために仏像を彫らせます。

その願いもむなしく・・・子が生まれることはありませんでした。
そんな中、1626年参勤交代で江戸から戻った夫・忠刻が病に倒れてしまいました。
介抱するも・・・この世を去ってしまいました。
またしても夫に先立たれてしまった千姫・・・。
そして・・・熊姫、お江の死・・・。
愛する人々を次々と失った千姫は、この時30歳。
娘・勝姫を連れて失意の中江戸へ・・・。
天樹院となり、仏門に入ります。
そんな千姫を気にかけていたのが弟である三代将軍家光でした。
千姫には、江戸城の竹橋御殿で暮らし、500石が与えられました。
ここで、娘・勝姫と何不自由なく暮らすことに・・・
千姫は、家光の子・綱重の養育を任されたことで、大奥にも影響力を持つようになっていきます。

1628年千姫に嬉しい出来事が・・・
娘・勝姫が、鳥取藩主・池田光政と結婚。
二人の夫婦仲は良く、5人の子供に恵まれました。

千姫にはもう一人守りたい人が・・・
古都・鎌倉・・・東慶寺。
ここに千姫が守り続けた人物・東慶寺第20世住持天秀尼でした。
かつての夫・秀頼が側室との間にもうけた一人娘です。
秀頼は千姫との間に子は出来なかったものの、一男一女をもうけていました。
二人の子は、大坂の陣で大坂城から逃げだすものの、徳川に捕まってしまいました。
そして、豊臣家の血を絶やさねば・・・と考えていた家康によって、息子・国松は市中引き回しの上、京都・六条河原で斬首刑に・・・。
この時、国松は8歳でした。
娘もどうなるのか・・・千姫が家康に懇願します。
「秀頼殿の娘を、私の養女にさせてもらえぬでしょうか?」
そんな千姫の必死の嘆願に折れた家康。
娘は家康の命により、東慶寺に入れられて出家し、生きていくこととなったのです。
出家させて結婚できなくさせることで、処刑せずとも豊臣家の血を絶やすことができたのです。
千姫は終生天秀尼の事を気にかけ、何通もの手紙で強い絆で結ばれていきました。

天秀尼のいた東慶寺も縁切寺で、天秀尼はそこで夫と離縁できずに駆け込んでくる者たちの保護に努めていました。
千姫も縁切寺で救われた一人・・・。
千姫は、不幸な女性を天秀尼の寺で救いたいと思うようになります。
東慶寺の縁切り・・・二人は、東福寺の「縁切寺法」を幕府に認めてもらうため動きます。
その思いが通じ、東慶寺は幕府公認の縁切寺となり、その後200年以上、女性を守り続けました。

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家康の遺言

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1590年豊臣秀吉が天下を統一。
しかし、加藤清正と石田三成の亀裂が関ケ原の戦いを生むこととなりました。
その真実とは・・・??

1574年長浜城・・・織田信長の家臣・豊臣秀吉がこの地で初めて一国一城の主となりました。
有能な少年が付きました。
その中に・・・加藤清正と石田三成がいました。

三成は15歳で、秀吉の身の回りの世話をする近習番という役で、抜群の計算能力を持つ勉強家でした。
二つ下の清正は、剣術の才能に・・・武芸に秀でていました。
切磋琢磨して大きくなったふたり・・・
最初に名を挙げたのは清正でした。

1583年賤ヶ岳の戦い・・・秀吉と柴田勝家が戦った戦で、七本槍として功名をあげます。
その後も武断派の中心として、秀吉の領土拡大に貢献します。
遂には功績が認められ、肥後国北半分・・・25万石の大名となりました。

三成は、胃腸が弱く、戦いでは腹を壊して戦えません。
その代わりに、豊臣の家臣随一の頭を生かし、兵員・武器・兵糧・・・兵站を担当し、裏方として活躍しました。
二人は秀吉の天下取りに貢献していきます。

1590年、秀吉は小田原討伐をし、天下取りを実現させました。
それは、清正と三成の夢が達成された時でした。


平和な世の中になったことで、戦が減ってしまい・・・武断派と入れ替わるように台頭してきたのは奉行派・・・。
その中心は三成・・・。
法治国家としての刀狩、太閤検地を実施し、豊臣政権になくてはならない存在となっていきます。
そんな三成に反発するようになっていく清正。。。

秀吉もこの関係は解っていたようで・・・
奉行派の三成には19万4千石、武断派の清正には19万5千石・・・と、武断派に優越感を持たせ、対立が大きくならないように苦心していたようです。
しかし・・・最悪の事態へ・・・!!

佐賀県唐津市には、名護屋城がありました。
1591年その築城を任されたのは、城づくりのスペシャリスト・加藤清正をはじめとする九州の大名たちでした。
清正は5か月で巨大な天主、たくさんの櫓・・・大坂城に勝るとも劣らない城を造ります。
さらに周囲3キロ圏内に120もの陣屋が築かれ、今までにない大戦の始まりを告げていました。

朝鮮出兵、明の征服です。
この秀吉の海外侵攻に燃え上がったのが・・・九州の清正でした。
小西行長と共に先陣を任されます。
奉行派に主導権を握られていた清正にとってチャンス!!

「武勲を立て、朝鮮で20か国を拝領したい!!」by清正

清正にとっては、自らの領地を拡大させる大きな夢の始まりでした。

三成は・・・大きな疑問を感じていました。

「今大切なのは・・・豊臣の世を不動のものにするための国づくり。
 新たな戦は、百害あって一利なし。」by三成

秀吉に異を唱えたものの・・・聞き入れてもらえませんでした。

1592年、日本軍・15万9千が朝鮮へと渡りました。
この大軍のうち、1万を任された清正は・・・陣頭指揮に立ち、釜山に上陸北上し、朝鮮の首都・漢城を陥落させました。
そして、朝鮮国の2王子を捕らえ、明との国境まで攻め上り、破竹の勢いでした。
武断派の面目躍如!!
朝鮮の兵士からは鬼上官、幽霊将軍と呼ばれ、恐れられました。
が・・・時間がたつにつれて戦況は様変わり・・・
民衆が立ち上がったのです。
朝鮮水軍が活躍しだすと、日本の補給路が断たれ、苦境に立たされてしまいました。
さらに、朝鮮の援軍として明の大軍が参加!!
戦況は膠着状態に入りました。
膠着状態・・・多くの兵がいるために、食料や武器がたくさんいることとなります。
この危機的状況を打開するために、秀吉に変わって朝鮮に渡ることとなった三成。

「早期終戦に向けた講和しかない!!」by三成

これが、異国で戦う武将・・・清正たちの反感を買うようになるのです。

三成は戦における消耗を最小限に抑えるために、親しかった小西行長と共に講和に向かいます。
その講和交渉の切り札が、清正が捕らえた朝鮮国王子の引き渡しだったのです。
これに猛反発した清正!!

「我々は何のために、この過酷な戦いをやってきたのか・・・!!」by清正

最前線で戦ってきた清正にとって明との講和は耐え難いものでした。

そこへ・・・秀吉からの帰国命令が・・・!!
最も活躍し、武功をあげた清正に、帰国命令とは・・・!?
そのまま謹慎処分となってしまいました。
清正の謹慎は、三成の謀略だったのでしょうか??
清正は、告げ口と思ったかもしれませんが、三成としては見てきたそのままを秀吉に報告したというのが正しいのかもしれません。
それが三成のいいところでもあり、悪い所でもあったのです。
三成は裏方、清正は表・・・と、住む場所の違った二人、もともとは憎みあったわけではありません。
誤解にせよ、三成のせいで謹慎となったと思った清正は、益々三成を忌み嫌うようになっていきます。

1585年秀吉が関白に就任、諸大名が直接謁見したり献上品を手渡すことが出来なくなります。
その窓口となったのが側近の三成でした。
秀吉に好かれるかどうかは三成次第・・・。
古参の武将たちも、かつての近習番・三成にひれ伏せざるを得ませんでした。
三成には諸大名からのわいろが殺到!!
ところが三成は私腹を肥やすことなくはねつけます。
よく言えば清廉潔白、悪く言えば融通が利かない・・・。
主君秀吉のために働けば働くほど敵が多くなっていく三成。

しかし三成は秀吉のせいで悪者になろうとも傍を離れませんでした。
秀吉から大名を打診されたときも・・・断っています。
自分が九州に行くと豊臣政権を支える人間がいなくなってしまう・・・!!と。

秀吉の忠誠心なら加藤清正も負けていません。
朝鮮出兵時の虎退治の逸話は・・・秀吉への忠誠心と思われます。
世継ぎが出来なかったため・・・当時朝鮮に生息していた虎の肉を秀吉に献上しようとしたのです。
清正の虎退治は、清正の勇敢さを示すとともに、秀吉への忠誠心からだったのです。

朝鮮出兵の処罰で、弁明の余地も与えられず、伏見の屋敷に謹慎となった清正・・・
ひたすら法華経を唱える日々・・・。
そこへ・・・1596年慶長伏見地震が・・・!!
秀吉のいる伏見城に、甲冑をつけて一番に駆け付けたのが清正でした。
地震に乗じた反乱を防ぐために、戦支度を整えて参上したのです。
清正の忠誠心に感激した秀吉は、その場で謹慎を解きました。

三成、行長がしようとしていた講和が破談となり、朝鮮への再出兵を命じることとなった秀吉。
秀吉の命を受けた清正は、再び一万の兵を引き連れて朝鮮へと渡ります。
1597年慶長の役です。
その戦いは、前回にもまして過酷なものでした。
明・朝鮮軍の猛攻撃を受ける清正。
食料が尽きた日本軍は、苦しい戦いを続けます。
この危機的状況に三成は、援軍、食料、武器を送ろうと試みますが、朝鮮軍に海を抑えられてしまい、十分な輸送が出来ませんでした。
しかし、最前線の清正にはそんなことは解りません。
三成に対する不満が募る一方!!
1597年12月・・・明・朝鮮軍が日本軍の蔚山城を奇襲!!
劣勢に立たされたこの戦いで500人が討ち死に・・・!!
その後、包囲されてしまいます。
城内の日本軍は4500、対する明・朝鮮軍は5万7000!!
この時、10キロ離れた西生浦城にいた清正は、周囲の制止を振り切り救出に向かいます。
僅か500の兵で敵陣を突破!!
その日のうちに入城!!
しかし、ここからが地獄でした。
大量の死者を出した日本軍は、壊滅寸前。。。籠城するにも食料や武器は2,3日分・・・
しかも骨まで凍ってしまいそうな寒さで・・・凍死者が続出!!
それでも清正は弱音を吐かず励まします。
食料の尽きた城内では、紙をむさぼり、壁土を食べ・・・もはやこれまでか・・・!!
死を覚悟した清正でしたが、援軍が到着。敵を撃退してくれました。
この10日余りの籠城戦は、清正の戦いの中で最も過酷なものとなりました。
九死に一生を得た清正ですが、そこには援助をしてくれなかった清正への激しい怒りが残りました。
三成と清正の関係は、修復不可能となっていました。

天下人亡きあと、豊臣政権の後を継いだのは秀吉の忘れ形見・秀頼でした。
反目していても三成と清正の思いは同じ!!
幼い秀頼を盛り立てて豊臣政権を守り抜くことでした。
そんな二人の前に立ちはだかったのが・・・五大老筆頭の徳川家康でした。

朝鮮出兵に参加していなかったことで兵力を温存していた家康は、虎視眈々と天下を狙っていました。
1599年3月、前田利家死去・・・まさにその日に事件が勃発!!
武断派の七将(黒田長政、加藤清正、福島正則、加藤嘉明、池田照正、細川忠興、浅野長政)が三成の首をとるために挙兵・・・石田三成襲撃事件です。
直前に襲撃の知らせを受けた三成は、間一髪で難を逃れ・・・この時、仲をとりもったのが家康でした。
三成は奉行職を解かれ佐和山城に蟄居を余儀なくされました。

どうして清正たちは三成を襲撃したのでしょうか?
家康の謀略に引っかかった・・・??
秀頼を大切に思っていた清正、正則たちは、三成に丸抱えにされるよりも、家康に後押ししてもらうことを、描いていたようです。
家康にしてやられた清正!!
本当の家康をわかっていた三成と、わかっていなかった清正。。。

やがて天下分け目の関ケ原へ・・・
1600年6月、兵を東へ動かす家康・・・会津征伐へ・・・!!
三成は家康が上方を離れたのを知ると挙兵を決意します。
豊臣家を守るために、打倒家康を決意した三成・・・その心のうちを無二の親友・大谷吉継に打ち明けます。
しかし・・・
「諸大名に恨みを買っている三成殿が、決して総大将になってはならない・・・!!」と、忠告されます。
三成には人望がない・・・。
そこで三成は家安と並ぶ五大老の毛利輝元を総大将とし、西軍の陣を整えていきます。
そんな中、加藤清正にも西軍に入るように要請がありましたが・・・九州を動こうとしません。
どうして豊臣寄りの政権につかなかったのでしょうか??
三成への反発心から、九州において東軍に賛同する清正。

それがやがて豊臣家を滅亡へと向かわせます。
1600年9月15日、関ケ原の戦い!!
東軍7万4000VS西軍8万4000!!
軍勢では西軍有利も、徳川の裏工作によっての寝返り・・・結局は東軍の圧勝!!
三成は敗軍の将となりました。
密かに陣を抜け出し佐和山城を目指した三成・・・東軍の追手に捕まり京で引き回しの上、斬首となりました。
東軍についていた加藤清正は、西軍の小西行長の弟が守る宇土城に攻め入り、九州で東軍の勝利に貢献します。
1611年・・・清正は徳川の元、豊臣家を存続させるために二条城にいました。
徳川家康と豊臣秀頼の面会を実現させます。
これで秀頼さまも安泰・・・ほどなくして倒れ、50年の波乱の人生を終えることとなります。
天下をわがものにした家康は、大坂の陣で豊臣家を滅亡させてしまいました。
清正が死んで4年後の事でした。

関ケ原の戦いの3日前・・・三成が西軍の武将に送った書状には・・・

「人の心計りがたし・・・」とありました。

三成と清正・・・二人の心が通じ合い、力を合わせていれば・・・豊臣家の滅亡も、徳河の繁栄もなかったのかもしれません。




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<石田三成と関ヶ原合戦>反三成の急先鋒! 加藤清正と福島正則 (歴史群像デジタルアーカイブス)

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関ヶ原の戦い・・・
今から400年前に行われた天下分け目の戦いの、大きな謎。。。
主戦場では東軍・徳川家康と西軍・石田三成が死力を尽くして戦っていました。
しかし・・・南宮山に陣取って静観を決め込んでいたのは西国の雄・毛利家。。。
しかも毛利輝元は西軍の総大将を務めていました。


terumoto

どうして毛利家は動かなかったのでしょうか??
家康が本陣は桃配山・・・南宮山とは峰続きの場所・・・どうして敵の毛利を背にした場所に本陣を置いたのでしょうか?

そこにはそれぞれの選択の連続がありました。

1553年1月輝元は郡山城で誕生!!
その頃、毛利家の実権を握っていたのは、祖父・毛利元就。
戦国時代きっての武将でした。
父の死によってわずか11歳で毛利家を継いだ輝元。
しかし、その実権は、元就が握り続けていました。
おまけに、頭の上がらない叔父がふたり・・・吉川元春・小早川隆景です。
祖父・元就に説教されるうえに、隆景・元春が様々に意見をしてくるので、このままでは身が持たない・・・とも言っています。
実績も経験もない輝元は、指導のもとに動くような存在だったのです。
おまけに家臣も・・・
もともと大きな家ではなかった毛利家・・・異を唱える家臣も多かったのです。
そんな輝元の支えとなったのは、豊臣秀吉でした。

秀吉は、石高に応じて様々な要求をしてきました。
そんな中、家臣の意見を聞くこともできなくなった輝元。。。
輝元は秀吉の命令を自分の権威とすることで、家臣たちを支配していきます。
豊臣政権の意向を理由に、家臣の統制や領国の統治体制を確立させていったのです。
豊臣政権の存続は、輝元の願いだったのです。

40を過ぎて・・・ようやく毛利家のTOPとなった矢先・・・
1598年8月18日・・・秀吉死去。。。
秀吉のカリスマ性で成り立っていた政権が揺らぎ始めました。
家康と三成の対立が始まったのです。

秀吉に、家康と共に秀頼に奉公すると誓っていた輝元・・・。
その一方で・・・三成や奉行たちに対して・・・三成と意を異にする者たちがいれば、三成と話し合う・・・と、約束していました。

ところが・・・毛利家の中にいた吉川広家は、輝元を補佐する立場でありながら、黒田長政と親しい関係にありました。
広家は、徳川と行動を共にするのが良作と考えていたのです。
異なる考えの輝元と広家。。。
秀吉の死去によって風雲急を告げる豊臣政権・・・!!

家康と三成の対立が深まってきます。
1599年前田利家死去!!
ここで大きく時代が動きます。
三成を討とうと細川忠興・藤堂高虎・黒田長政・福島正則らが兵を起こします。七将襲撃事件です。
この事件を利用したのが家康。
長政たちを退かせる代わりに、三成を奉行職を解任し、居城・佐和山城で蟄居に追い込みます。

この時の輝元は・・・??
涙を流し、三成の失脚を悲しんでいました。
そして、家康に対しては・・・「父や兄のように思う」と、起請文を送っています。
家康か??三成か・・・??どうする??輝元!!

家康はさらに・・・同じ大老職だった上杉景勝に謀反の疑いがあると、1600年6月16日、討伐に乗り出します。
関ヶ原の戦いの3か月前の事でした。
上杉が討伐されると、次に家康に狙われるのは自分でなないのか・・・??

輝元の選択は、”三成に味方する”でした。
毛利の外交僧・安国寺恵瓊・・・三成と密会し、輝元を西軍の総大将に担ぎ上げることを決めました。
輝元は、二日で大坂に入ると大坂城にいた家康の家臣を追い出し、西の丸に入りました。
名実ともに西軍の総大将となった瞬間でした。
そして、それを待っていたかのように、奉行は、家康を糾弾する書状を諸大名に発します。
”内府ちがいの条々”です。
家康のこれまでの行動には大義名分がないと、弾劾したのです。
豊臣秀頼に対する反逆者となってしまった家康。。。
上杉討伐を中断して江戸城に戻ります。

輝元・・・家康とどこで戦う・・・??
この時、輝元と三成の間で作戦がたてられていました。
輝元が浜松まで出陣し、進軍してくる家康を3万の兵で迎え撃つ!!
しかし、この作戦には障害がありました。
東海道の大名は、全て家康の味方・・・兵の消耗は避けたい・・・大坂城に止まる??
輝元は・・・家康について出陣している四国の大名の領地を奪おうとしていました。
大坂城に止まり、西国をしっかり押さえることが確かだと判断したのです。

しかし、家康は、西に兵を進める準備をしていました。

大坂城にとどまったまま・・・家康に加担した伊勢国の城攻めに吉川広家を向かわせます。
しかし、ここで広家は手痛い反撃に会ってしまいました。
たった1日で300名以上の死傷者が・・・!!全体の1/10の兵でした。
もともと家康につくべきだと考えていた広家。。。
このタイミングで黒田如水から一通の手紙が・・・??
「家康が大坂に向ってくるでしょう。
 みな、家康に味方するでしょう。
 あなたの考えが第一です。」と・・・。
事実、家康方は岐阜城を落城させ、勢いを増していました。

1600年9月1日、家康・江戸城を出陣!!

吉川広家どうする??

1600年9月7日・・・毛利軍・南宮山に陣を張ります。
その数1万5000!!指揮官は養子の毛利秀元!!
家康は、9月14日・・・3万の軍勢で美濃赤坂に突如現れます。
そこは・・・南宮山からほど近い場所でした。

広家・・・毛利家を守るために、家康に従います。
そして広家は、本田忠勝、井伊直政と和議を結びます。
家康は・・・いささかもおろそかにしない・・・と、毛利の領土はそのままに・・・
それは、関ヶ原の前日の事でした。
通説では、これは広家の独断であるといわれています。
が・・・15日深夜、家康は美濃赤坂から桃配山に本陣を移します。
この桃配山は、南宮山と峰続きで繋がっていました。
つまり・・・毛利軍は徳川軍の背後にあるということになってしまうのです。

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直線距離にしてわずか3km・・・家康は毛利に対して軍事的防御もなされていないことから、あまり毛利に対して警戒心がなかったのかもしれません。
そう・・・広家の密約は・・・輝元も承知のことだったのかもしれないのです。

関ヶ原の戦い!!天下分け目の戦いが繰り広げられます。
毛利は「動かない!!」という決断をし、家康の天下は決定的なものとなったのです。
しかし・・・この動かない行動が問題となって・・・10月10日、輝元は、中国8か国から2か国への減封となったのでした。


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1600年5月・・・如水率いる9000の黒田軍は、豊後で次々と西軍を打ち負かしていきます。
九州は大いに揺れ・・・赤合子と呼ばれる如水の兜を見ただけで、恐れをなしました。
如水の快進撃の一方・・・関ケ原では・・・天下分け目の戦いが幕を開けようとしていました。

ここが命の捨て所・・・!!
黒田軍も一気に戦いに・・・!!

九州から天下を狙う如水は・・・関ヶ原の戦いに応じて勢力を拡大・・・
って、このナレーション、ちょっとおかしくない??
だって、関ヶ原の戦いに乗じて・・・って、戦いはほんの6時間だったのに・・・
乗じるも何も、あっという間ですよ・・・。

「九州はすべて黒田のものに・・・!!」by官兵衛


関ケ原では・・・史実どおり・・・日和見な小早川・・・
善戦する三成・・・だって、三成家臣はほとんど討ち死にだもん。

「鳴かぬなら・・・鳴くまで待とうホトトギス」
・・・とどっこい、多分3人の中で一番短気な家康さんは、小早川に向けて砲弾を撃ち込みます。

浅利さんの演技・・・とってもいいですね。
小早川秀秋の気の小ささが手に取るようにわかるわ・・・。
ビビった小早川勢は、三成を裏切って・・・もちろん東軍の巻き返しが始まりました。

ま・・・これに関しては、裏切るかも?感は三成は持っていました。
なので、色々な陣は小早川を牽制しながらの布陣だったんですけどね・・・。
歴史を見ると失敗でしたね。。。


九州・豊後でも戦いが・・・!!
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殿のために、みんな戦ってますよ。
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殿を男にする為に・・・!!
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よく考えると、みんな相当な歳なのになあ・・・。
そんな中・・・
大坂より知らせが届きました。
善助から如水に渡された書状には・・・

「全て・・・終わりました。。。」by善助。

わずか1日で終わってしまっていた関ケ原・・・。
西軍についてしまった恵瓊同様・・・その眼は曇ってしまったのか・・・??官兵衛!?

大坂城では・・・
逆賊・三成を討ち果たしたことを秀頼&淀殿に報告する家康。。。

う~ん・・・こういうところがとっても日本的。
神輿は変わんないってとこがね。。。
こうやって、天皇も万世一系続いてきたんだなあ・・・って、つくづく思うわ。

10月1日・・・三成、恵瓊、行長は捕えられ・・・洛中引き回しの上・・・三条河原にて処刑・・・晒されたのでした。

長政は、この働きで筑前52万石をもらえることになりました。
いよいよ大大名の仲間入りです。

「如水殿は九州で十分と骨を折ってくれたようじゃが・・・
 もう十分じゃとお伝え下さらんか・・・」by家康。

如水は・・・7か国を手に入れるもすべて放棄し・・・豊前・中津へと帰るのでした。

そう・・・武功一番と讃えられた長政・・・。

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しかし・・・この52万石には、これで父を黙らせろ・・・的な含みがあったのです。

「長政・・・内府殿がお前の手を取ったと言うが・・・それはどちらの手じゃ・・・」

「右手にございますが。。。」

「その時お前の左手は何をしておった・・・??」

「左手・・・??」

余った手で家康を討てば・・・黒田の天下だったかも知れない・・・。
そう、もしかすると、家康は長政が家臣たるかどうか見極めようとしたのかもしれません。
前田利家親子然り・・・黒田官兵衛親子然り・・・やはり、二代目はお坊ちゃん育ちなのでしょう。


上座につく家康に・・・まさに拝謁するかのような官兵衛。。。
ここにも既に序列が完成・・・。

でも・・・建前抜きのお話が・・・

「この後・・・徳川殿は・・・どのような世をお作りなさるのか・・・お聞かせ願いたい・・・。」

如水の踏み込んだ質問に・・・家康は

①天下はそれを相応しい者が治めるべきである

②但し天下は一人の天下にあらず

③天下は天下のための天下なり

「わしが死んでも争いの起こらぬ太平の世を創る。。。それがわしの望みじゃ・・・」by家康

「それがし・・・生涯戦で負けたことはござらん・・・。
 此度は内府様に負けました。
 負けて悔いなし。そう思うておりまする。」by如水。

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歩みの違う二人が目指したものは・・・まさに、戦のない平和な世の中でした。
完敗の官兵衛なのです。

筑前に移った黒田家は・・・福岡城を築きます。
黒田家待望の跡継ぎも生まれ・・・黒田の家も安泰です。

家康は征夷大将軍となり・・・江戸に幕府を築きます。

如水は。。。長政を一人前と認め・・・
家臣や民に耳を傾け・・・信じることを諭すのでした。
自分のように・・・”善助のような存在”を探すことを。。。

そして、善助にはあの兜を譲るという。。。
「わしの魂をお主に託す・・・。」

1604年3月20日・・・如水永眠。。。

1615年4月・・・あれから11年が経ち・・・大坂夏の陣・・・乱世最後の戦いでした。
この戦いの豊臣方の牢人に紛れて・・・長政と袂を分かった又兵衛の姿がありました。

そんな又兵衛も・・・討ち死に。。。

「父上・・・某が至らぬばかりに・・・又兵衛を死なせてしまいました。。。」by長政。

そう、又兵衛は、大殿のことが大好きだったのよね。
”父”と慕っていたのです。
なので、本当の子である長政とは、やっぱり確執があったのです。
あんなこと、そんなこと、こんなことを端折って・・・この件だけでわかったんだろうか・・・??
という感じです。

で・・・ああっというまの5月8日・・・大坂城は最後の日を迎えていました。

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大坂城は落城し・・・戦無き世の始まりを如水に語る家康。。。
そう、官兵衛の願った戦無き世が。。。


1年間を通して観て・・・
戦いのシーンが少なかったことがちょっとでしたが、なかなか良かったと思います。
岡田くん、カッコ良かったしね。
俳優陣の気迫もガンガン伝わってきましたしね。
最終回って、いつも回想が殆どでおわるような気もしますが、今回の官兵衛の良かったところは、そんな回想シーンが殆どなかったところかな?

こんな大河は珍しいんじゃないかしら??

そう言えば、去年の今頃、ガンガン官兵衛を宣伝していたNHKさん、「軍師 官兵衛」に心躍らせている自分がいましたが、それが1年も前だなんてね。

山本八重子は好きでしたが、大河はやっぱり男の人でないと・・・と、男尊女卑な私なので??ほんと、ウキウキだったのです。
でも、期待を全く裏切らない作品になっていたんじゃないでしょうか?
偉そうでしたか・・・私??

そう思うと、残念でなりません。。。
なんせ、前回も書きましたが、こんなにオタクな私でも、”杉文”なんて全く知らないのよ。。。
おっと、これは官兵衛でした。

あ~、終わってしまって本当に残念・・・。
でも、みなさま、本当にお疲れさまでした。
まさに、堪能な1年でした。


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天下を狙うと宣言した如水。。。

1600年9月・・・
日本は天下を二分する・・・天下分け目の関ヶ原を迎えていました。

三成は、関ヶ原の戦いに備えながら、如水の動きも封じるために大友吉統を九州へと向かわせました。

豊前中津城でも・・・運命の日が迫っていました。

三成は・・・淀殿に秀頼の出陣を断られています。
あ~、母としてはもちろんNGですが、これがあったら三成は勝てていたかもしれない状況だったので・・・かなり残念だったでしょう。

そう・・・今一つ詰めの甘い三成。。。
だからこそ、この官兵衛でのBlack三成の押しの強さはどうよ・・・??って思いますが。。。
やっぱりそこは演出ってことで。。。実際の三成は、根っからの官僚です。

長政の陣には・・・
小早川秀秋の家老が密かに来ていました。
そう・・・小早川は徳川につくという。。。

そして三成には・・・豊臣につくという。。。

浅利陽介さん、とってもgoodです。
なんかこういうおどおどした役をさせればとっても似合っていますね。
あ・・・ちなみに善助も・・・。

その頃如水は・・・兵が兵を呼び・・・大所帯となってきていました。

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そして・・・九州を統一するという・・・!!

「百に一つも負けることはない・・・!!」by如水

9月9日・・・如水は遂に出陣します。
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九州統一へ・・・!!
まずは豊後高田城!!
圧倒的な如水に・・・陣を訪れたのは高田城の竹中重義と不破三太夫。

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脅して、自分につくことを求める如水。。。

「三成につくとは・・・竹中殿もしくじったのう。。。
 亡き半兵衛殿のいとことは思えぬ浅はかさじゃ・・・!!
 だが・・・今からでも遅くはない。
 このわしにつけば本領は安堵してしんぜよう。。。」by如水。


豊後の大友吉統の元へも家臣たちが集まってきていました。
宗像鎮続・・・そして吉弘統幸。。。
吉弘統幸は、黒田との戦いを避け、徳川につくように説得しますが・・・??

大友家再興を夢見て・・・如水と戦うのでした。

吉弘統幸は黒田の食客だったこともあり・・・今回は一筋縄ではいかないようです。

そして・・・如水が兵を挙げたことは徳川の耳にも・・・
何をしでかす如水??天下を狙う??by家康。


如水は次々と敵を打ち破っていきます。
そんな中・・・木付城へ・・・。
石垣原(いしがきばる)の戦いが始まりました。

で・・・吉弘統幸と九郎右衛門との一騎打ちが・・・!!
う~ん、旧知の仲なんです。が・・・吉弘統幸は的場浩司さんです。
食客だったのなら、もっと出てくれていても良かったのにね。
私、的場さんが”花燃ゆ”に出るからの友情出演かと思っちゃいましたよ。。。
だって・・・的場浩司さんですよ。
大河で・・・1話で終わりなんて・・・どゆこと??

吉弘統幸は・・・九郎右衛門が涙ながらに仕留めたのでした。

大友吉統は降伏・・・三成の策は水泡に帰し。。。
如水恐るべし!!西軍一色の九州が・・・如水色に変わっていったのです。


そして・・・いよいよ・・・天下分け目の関ヶ原が始まるのでした。

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野戦を考え、佐和山を攻めようとする家康。
三成方は・・・みな、様子を伺っているようで・・・バラバラ。。。
恵瓊も打つ手がありません。

そう、三成は信望が無いんですよ。。。
官僚ですからね・・・と、思いがちですが、三成の家臣たちの討ち死に率はほとんど100%に近いものがあるそうで・・・。
当時の人は、討ち死にする前に、散り散りになってしまうのが常。。。
ってことは、信望がなかったとも思えないんですがね・・・。
やっぱりすべてにおいて、中途半端だったことが敗因なのでしょう。

9月15日・・・20万の軍勢が、関ヶ原に集結し始めました。

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10万と思われた三成の兵は・・・石田・宇喜多・小西・大谷・・・多くて3万!!と、長政からの情報が・・・!!ほくそ笑む家康!!
う~ん。。。大谷吉継、ほとんど出してもらえません。。。
ま、悪者として書かれている三成に友情は不要ということでしょうか・・・??


霧が晴れた時・・・戦いは始まったのでした。

そして・・・如水も九州で・・・破竹の勢いを見せるのでした。
さあ・・・いよいよ次の回が最終回となってしまいました。

今度の「花燃ゆ」ですが、こんなにオタクな私でさえも、ほとんど知らない彼女です。
なので、どこまで面白いのか・・・
この面白さがもうすぐ終わってしまうのかと思うと、かなり寂しいものがあります。

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