どうも、お久しブリーフです。

もう3ヶ月くらい更新してませんでしたね、、久々にやります。


最近、割と俺の人生を揺るがす程の著書に出会った。

そのタイトルは、皆様が大好きな福沢諭吉のベストセラー「学問のすすめ」だ。

スロット屋のメダル貸機に消えていく諭吉を見て、何となくこう思ったのが本を読んだきっかけ

「そういえば、なんで諭吉って日本のお札の最高金額の人&二期連続の覇者なのだろう」と。


あの本ってタイトルは知ってても、いまいち内容は知らない人がほとんどだと思う。

簡単に要約すると「日本人はもっと学問に励むべきだ、なぜなら○○だからだ」みたいな感じで、

様々な角度から学問をする必要性を説いた本なんだよね。


いやー、衝撃だったよね、これはマジで日本国民全員読んだほうがいいって。


学問をするって、例えば名門大学出というステータスを手に入れるでも無く、

パパやママに褒められるでもなく、就職活動に有利だからでもなく、

アメリカを筆頭とした海外の大国に、日本が負けない為に学問をする必要があるんだ。


俺は正直、今の会社を立ち上げて、そこそこ仕事も回るようになって、

何ていうか大まか人生の目標はクリアしたような気がしていたんだ、正直。

元々、ミュージシャンだの何だの、色々考えた挙句、最後の目的地となったのが起業だったから、

それが達成されたとなれば、まあ今後継続して会社を回していくという課題はあるものの、何だか一旦はクリア感があったよね。


がしかし、この本を読んでガラッと考えは変わったよね。

自分が何て浅はかで、無知で、無力で、堕落しているのかと。



特に起業する前後なんかは、勝手に俺は俺自身に「お前、結構頑張ってるよ」と賞賛していた。

が、今思い返してみれば、そのスピード感こそがやっと普通、それ以下は堕落だと思う。

自分が働いて稼いだお金で生活をするなんて、極々当たり前の事で何も褒められたような事でも何でも無いんだと思う。



俺は今まで自分が生きてきた道や、選択してきた事、全てにおいて後から見直しても後悔する事はひとつも無かったんだよね。

けど、学問のすすめを読んだ後で自分の人生を振り返ってみると、判断の誤りの連続で、努力も足りず、学も足りず、

そのくせ妙に自信満々に生きてきた事がひどく滑稽に思えて、悲しくなった。



はっきり言って今のところの俺は、ほぼ何もやってない、何一つとして達成出来た事は無いに等しいと思う。

結局、すごく狭い世界の、すごく狭い視野の、すごく浅はかな考え方の中で、自分がやりたい事を我侭にやり通してきただけの事だと思う。



だからつまんねーんだと思う、つまらない考え方の元、つまらない生き方をしてきたんだから、当然つまらない人生になった。

ただそれだけの事に、今になって気づいたんだよね。



批判覚悟ですごくストレートに言うと、少なくとも俺の身の回りには、若干の大小はあれども、ほぼ同レベルのつまらない人生を送っている人が大半だと思う。

そういった輪の中で過ごしていると、普通に就職して、普通に結婚して、子供を産んでみたいな人生が、あたかも人生の最高峰というように思ってしまう。

もちろん、悪いことでは無いんだけども、誇ることでも無いって言うか、つまりそれは「普通」なんだと思う。

「普通が一番幸せ」だとか、その類の言葉が世の中には色々あるけど、まあ確かに本人は幸せなのかもしれないけど、何も誇らしげに語るような言葉では無いよなと思う。

みんなが汗水垂らして仕事をしている脇で、ゆっくり温泉につかって「ここが一番幸せ」と言っているようなもんだ。

その温泉につかりながら「このあ熱さに耐えるのも結構大変なんだ(限界が来たら一休みするけど)」と言っているようなイメージだと思う。



この国は、いわゆるエリート達が束になって回しているんだと思う。もちろん、我々庶民もその歯車のひとつではあるんだけど、本当に小さな小さな歯車のひとつで、

ぶっちゃけひとつぐらい無くなっても誰も気づかないレベルの小さな小さな歯車だ。

「ひとつとてこの世に無駄なものなんてない」だとか「ナンバーワンにならなくてもいい」だとか、そういう小さな歯車を援護するような言葉もたくさんあるが、

はっきり言って甘々なだけのスイートワード、実際は全然違うと思う。



学問のすすめ冒頭で「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という一節があるが、あれは人類みな平等という話では無い。

あの言葉には続きがあって、「なのになぜ人は、こんなにも優劣の差が激しいのか、それは学問をしたかしなかったのかの差である」みたいな内容だ。



赤ん坊の頃は同じスタートラインであった人間も、そこから先の人生で正しい選択、正しい努力が出来たかによって、何千倍、何万倍も優劣の差がつくと思う。

例えそれが両親や環境のせいだったとしても、現実、優劣の差はつくのだ。

世界を驚かせるような大発見をした学者と、生活保護を受けて人生を全うした人間の価値が、同じであるわけが無い。

もちろん、だからと言って基本的人権などに不平等が出るとかそういう話では無い、あくまで権利が平等なだけで、価値は雲泥の差があると思う。



価値の無い人生は、悪では無いが、退屈だと思う。

毒にも薬にもならないような日々の中で、特に情熱も無い仕事をこなし、ただ淡々と時間を浪費するだけという人生だ。

こんな事を露骨に言ってしまうと色々と問題があるから皆言わないだけであって、事実はそうだと思う。



人生のミッションは子孫を残すことだという説があるけど、それは動物としての自然の摂理であって、人類のミッションではない。

今私たちが、石槍で獣を追い回すことも、洞窟に住まう事も無いのは、先人たちが文明を切り開いてきたからだ。

何が人類の使命なのか、その真意は分かる訳が無いけれど、この文明を切り開いていくというのは、少なくとも大きなミッションのひとつだと思う。



これも福沢諭吉の言葉だが、お坊さんが言う「悟り」とは、ただ単に何も働かず何も欲さないという毒にも薬にもならない考えなだけだ。

結局人生なんて何の意味も無い、というような説もあるが、そんな事をブツブツ言っている間にも、他国はどんどん技術や知識を高めている。

その調子で何もせず、仮に敵国が侵略してきて、家族が奴隷だとかになって、自分の自由も奪われたとして、

そんな状況になっても、まだ「結局人生なんて何の意味も無い」などと言っていられるだろうか。

はっきり言って、暇人が考えた暇人の為の説だと思う。はっきりいって、今、そんな暇は無いのだ。



日本で暮らしていると、何となく日本人は優れているような気がしてくる。

けど、実際は全然ダメダメだ、大きな産業はほとんど海外に負けて、石油が出るわけでも小麦がたくさん採れるでも無く、

自国の防衛も他国に頼りっきりで、アホな話を真に受けるアホが国内にはわんさか居て、

何をのん気に我々はノホホンと暮らしているのか、と、まさにそのアホの筆頭である自分に自分で問いただした。



志を高く持ち、高い理想を追い求めて、そしてそういった同士に囲まれて、

紛れも無くてっぺんを目指すという人生は、とても大変ではあるが、退屈などする暇が無いほど充実したものだろうなと思う。



アホな考えのもと、アホな目標を追いかけて、同じようなアホに囲まれて、

アホな生活に身を委ねるというのは、とても楽チンではあるが、実に無気力で、退屈で、不毛な日々だと思う。



俺は自分自身を、それなりに優れた人間だと思っていた。けど、アホだ。無茶苦茶アホだと思う。

喧嘩しか知らないアホが「俺の拳は世界一やでぇ~」と、友達に自慢してるやつぐらいアホだ。



もし俺が今、高校一年生くらいだったら、まだ全然挽回出来たと思う。

けど、はっきり言ってもうそれなりに歳をとってしまった。

政治家や官僚、日本経済を大きく揺るがすような大企業、そういった第一線には恐らくもう加われないだろう。時間は冷酷なのだ。



とは言え、まだそれなりに時間がある事も事実。

意外と諦めなければ、そこそこ頑張れる道もまだまだ残されているようにも思う。



かなりリアルに考えている事は、福沢諭吉先生が作った慶應義塾大学の通信に入学しようかなという事。

あとは、政治経済を軸に、もっと色々な事を勉強しなくてはいけないね。

何かひとつ専門的な事を極めたいのであれば、これまでの時間によるハンデキャップを埋めるほど、必死に勉強しなくてはいけない。



そういった事が出来ないと判断したのなら、もう俺は自分自身に自信を抱く事もなく、

国民として最低限の義務を果たしながら、賢者様達にはペコペコと頭を下げ、だらだらと不毛な日々を無駄に過ごしていくだろう。



とにかく、やろうと思えばやる事が死ぬほどあるのだ。

とにかく今は、気になった分野の本を買い漁って、とにかく視野を広くする事に専念している。



これからの事を考えると、未来は明るいような暗いような、楽しみなようなダルいような、

ただし、何一つとして決定している事は無く、全て自分の意思でどうにでも出来る事ばかり。


目に付いた事をこなしながらも、また暫く考え込むとします。。




また一ヶ月が過ぎてしまった、、本当に恐ろしいスピードでときが進んでいるぜ、、、



と言う事で、チャコです。



最近、俺的に大発見だった事、それは「愛情は、人間が一人居れば成立する」という事だ。

例えばお人形に愛情を抱いていたりだとか、アニメキャラに恋心を抱いていたりだとか、要するに愛情の矛先が、自分自身に対して何ら愛情や関心を抱いていない場合、人はそれを「バカ」だの「アホ」だの呼ぶと思う。

逆に、人間同士が愛し合っているストーリーを人は美しいと感じ、前者の愛情とは完全に違うものとして考えているはず。


でもこれって、実はどちらも全く一緒なのではと、最近の俺は思う。



要は人間は、仕組みがより複雑なものに対して愛情を抱きやすいのだと思う。

仕組みが複雑とはつまり、いかに自分の脳に、それが複雑に絡みついてくるかがポイントのように思う。

そしてその愛情は、常に一人の人間による一方通行の感覚なのだと思う。



例えば、ティッシュに対して愛情を抱く人は極めて少数だが、自分のバイクやギターなんかに愛情を抱いている人は少なくないだろう。

どちらも命をもたないものだけど、バイクやギターなんかは、その日の条件等によって微妙に表情や調子が違ったり、複雑なパーツの組み合わせ方だとかで印象が変わったりと、何か人を飽きさせない奥深しさがあるのだと思う。


人間同士の愛情はその極みのようなもので、複雑な脳同士が複雑なコミュニケーションを繰り返し、その時間を重ねれば重ねるほどに記憶や経験が複雑に絡み合い、何か絶対的なように思える存在になっていくのだろう。



それ以外には、超大量生産品で個体差が無いティッシュよりも、経年変化等による個性をもったギターやバイクの方が愛されるように、オリジナル性というのも、愛情を抱くに値する説得力になる要素だろう。



愛情と聞くと、どこか神聖というか、何か神がかった特別な何かのように思えるけど、ただ単純に人間の脳がそういう仕組みになっているだけなのだと思う。


人間がこういった希望を抱く最大の原因は、人間は、地球上で人間だけが、何か特別で選ばれし生命体だと信じて疑わないからだと思う。


例えば、もしライオンが犬や猫を見て「俺はあいつらとは違う、ワンランク上の生命体なんだ」と信じて疑っていなかったら、はっきり言って失笑だろう。

確かに筋力だとかの力の差はあるかもしれないけど、基本的に対して差は無いというのが事実だろう。


人間もそれと全く一緒だと思う。他の動物よりも脳が高性能で知力が高いという特徴があるだけで、根本を辿れば犬も猫も人間も、全く同じ地球上の、いち生命体なだけだと思う。



こないだ、嫁さんや子供など、自分が深い愛情を抱く人達に囲まれてベッドの上で死ぬという夢を見た。

死にゆく時に俺はとても幸せで、自分はなんて恵まれた人間で、恵まれた人生を辿れたのだろう!と幸せを感じながら死んでいくんだけど、

ハっと気づくと、自分は真っ暗闇の自分一人の世界に居て、誰の声も聞こえず、その瞬間俺は「あっ」と気づいた。

自分は生まれてから今日まで、ずっとこの真っ暗な世界で一人ぼっちで暮らしてきた事に気づいたのだ。



人間は、何か神話のようなものがとても大好きだ。

自分は選ばれし人間、そして神に与えられた運命、その運命の中で出会った愛すべき人達、などなど、

当たり前だけど、そんなのある訳無いし、人間が自分に都合が良いように考えた大嘘だ。

空を舞う小蝿も人間も、ザックリとカテゴリ分けをすれば全く同じフォルダに格納されるという事は、極めて当たり前の事実だと思う。



けど、複雑で高性能な人間の脳は、そういった事実を受け入れられないのだと思う。

だからこそ神を信じたり、何かに夢中になったり、極めてボンヤリと暮らしたりしないと、生きていく事が困難になる不思議な動物だ。



一般的に「幸せな人生」と呼ばれるルートは、基本的に全て「幻を幻では無いと信じて疑わずに済んだルート」なのではないかなと思う。

温かな家庭や、夢だとか理想だとか、その全ては常に、真っ暗な自分一人の世界の中に映っている幻のような映像だと思うが、それを何か運命のような、絶対的な何かで繋がっているように感じる「オカルト理論」に浸れるかどうかが、幸せになれるかどうかの分かれ目だろう。



皮肉っぽくて、はっきり言ってこんな事ばかり考えている自分を、自分自身別に好きではないのだけれど、要するに様々な事柄を、いかに自分にとって都合が良いように解釈出来るかどうかが、幸せと感じる人生を歩む為のコツだと思う。



とは思うのだけど、やっぱり俺はあくまでも「事実」にしっかりと耳をあてて、その冷たい鼓動を常に感じながら一歩一歩生きて行きたいと思う。

うそ臭いオカルト理論なんかでは、どうにも俺は腑に落ちないし、やはり納得がいかないのだ。

前回のブログ更新から約1ヶ月、と言う事でやるかな。


どうも、チャコです。



最近、AI、いわゆる人工知能の本を読んでいる。囲碁のトップ棋士に勝ったとかで話題のアレですね。

昔から人工知能って話題はあったと思うんだけど、何故最近それがまた熱いのか。

端的に言うと、最近のAIは、人間がプログラミングをしなくても勝手に知恵をつけるようになっていて、それがスゲーっつって騒がれているのです。



例えばパックマンみたいなゲームをAIにプレイさせると、ルールを教えなくても回数を重ねる毎にどんどん上達していくんですって。

囲碁のAIも、囲碁の対局棋譜を3000万局くらいAIに流し込んで、そのサンプルからより良い手を自ら編み出し、人間にも思いつかなかったような新しい手を打ったりして世間を驚かせたそうです。



で、その本の中にあった話なんだけども、

人間の脳ってのは記憶とかのメカニズムを辿っていくと、最終的にはシナプスっていう300億くらいある細胞が、くっついてるか、くっついてないかだけで全てを管理しているらしいんだ。

それは丁度、コンピューターの二進法のように、0か1かだけで管理されているんだって。



要するに、

「01000101001」 = 「好き」
「01000101011」 = 「嫌い」

みたいなイメージね。



で、2018年くらいに出るCPUだかなんだかは、その0or1ってのを300億個くらい管理出来るらしく、要するにスペック的には人間の脳とほぼイコールになるらしいんだ。



そういうテクノロジーもすごいし、非常に関心があるんだけど、やはり1点ひっかかる事が、



人間の心って、0か1かで管理されてるの?って事ですよ。



例えば家族など、好きな人って居るじゃないですか。

俺は今までそういった感情を、何か絶対的と言うか、紛うことなき真実、得も言えぬ手ごたえを感じる感情だなと思っていたんだよね。

そういう人達の為なら命も惜しくない、身を挺して守りたい存在だなと思っていたわけさ。

でも、そういった感情も、0か1かで管理されているんだってさ。



結論を言うと、そういった得も言えぬ手ごたえっていうのは、はっきり言って全て幻なんだと思う。

この世に絶対的な感情、絶対的な存在ってのはあるわけないし、唯一あるとしたら自分自身だけだと思う。いや、それも怪しいな、、



俺は今まで、音楽だの仕事だの、そして恋人だの、常に何か絶対的な物を求めて生きてきたんだと思う。

絶対的に心から打ち震えるような音楽や、仕事に絶対的な情熱を捧げたり、何を犠牲にしても守りたい絶対的な恋人だったり、そういうのを探して生きてきた。



でも無かったよね、見つからなかった。多分、というか間違いなく、これから先も見つからないんだと思う。



心が打ち震えている音楽のような気がしたり、仕事に燃えているような気がしたり、何を犠牲にしても恋人を守りたいと言う気がしたりした事はあったけど、

もっとドライに、事実という部分で話をするなら、そんなのあるわけない、幻だよね全部。



よく、人間は色々な体験をした方が良いみたいな話を聞くけど、あれは大嘘だと思う。

もっと限られた地域の中で、限られた人や知識の中で生きて、そして死んだほうが、遥かに幸福度は高いと思う。



「この街に生まれた事も運命、君に出会えたこともそうさ、そして君の腕の中で死ねる僕は世界一の幸せ者だぁー!」

なんつって何も疑わず、俺も死んでみたいもんだ。



外の世界、外の知識、外の人間は非常に魅力的で、色々な事を考えさせられるものではあるのだけれど、特にこの平和な日本で生きていくのであれば、知らなくて良かったものばかりだと思う。



特に恋人に関して、俺が考える「絶対的な恋愛感情」の定義は、二人が運命みたいな何かで実際に繋がっている事が条件だと思う。

運命でつながっている気がするんじゃなくて、リアルに赤い糸で結ばれていたりだとか、寿命がコンマ一秒ずれずに同じとかね。



但し、「素晴らしい恋愛」は、そんな条件は必要無いと思う。例え道半ばで離れ離れになってしまったとしても、それが素晴らしい恋愛だという事に変わりは無いはず。



で、俺はつまりは今までその「絶対的な方の恋愛感情」みたいなのを探していたような気がする。




何か話がまたまとまらなくなってきたけど、、今俺の脳内には非常にネガティブな心とポジティブな心が同居している。

「この世に確かな物など何も無い」と絶望している心と、

「素晴らしい夢に素晴らしい恋人、それらに感動しながら素晴らしい人生を過ごそう!」みたいな心ですね。




絶望派の心は、確かに言っている事には筋が通っていて、妙に説得力があるんだけども、実は基本的にこいつも間違いだと思う。

例えその感動が0と1の羅列で表現されたものだとしても、心が震えて涙が出た事は事実であり、少なくともその瞬間に頭の中で「これは0100101101・・・・の配列だ!意味なし!」なんて考えてないし、もし考えているやつが居たとしたら相当アホだと思う。




俺が今まで間違っていた事は、絶対的なものを探そうとしていた事だと思う。

そういった不動の何かを追い求めるのではなく、もっと流動的で、今日しか味わえないような時間や感動を、今日その瞬間に味わうという事を、繰り返していく事が最も重要で、素晴らしい人生を過ごすためのコツだと思う。



だから、今まで感じてきた心震えるような音楽や、仕事の情熱や、愛情を捧げた恋人だったりというのは、ひとつとして幻では無く、確かにあの瞬間は俺の心に存在していて、俺の心を震わせて感動させた素晴らしいものだったのだと思う。

それらはもう二度と返っては来ないけれど、きっとこれからまた訪れるであろう何かに感動し、その心の震えを楽しみながら生きていけば良いのではなかろうか。



これからは絶対的な何かを探すのではなく、感動や関心にアンテナを向けて生きていく、それが豊かで幸せな人生を歩んでいく為のコツではないでしょうか?


おわり

こんばんは、チャコです。



いやー、お久しぶりですね。約2ヶ月ぶりです。

前回の日記を見返していましたが、さっそくですが彼女とは既に別れました( ☌ω☌)

あのブログを書いた数週間後に別れてしまったので、約1ヶ月半前くらいなのですが、何だか遥か昔の事のようです。

俺が切り出したには切り出したけど、振った振られたという感じでもなく、早い段階で正しい選択をしたって感じだと思う。たぶん。

後悔は無く、楽しかった思い出と、ちょっとの寂しさを残し、それらも既に記憶の底へと沈んでいってしまいました。



で、最近ですが、はっきり言ってゴミのような暮らしをしています、、、

いや、彼女と別れた寂しさからとかではなく、何だかなー、相変わらず燃えないんだよなー、



ブログ更新しなくなったのも、漠然と主張したい事が何も無いからなんですよね。

はっきり言って、何もかもが平和すぎる、、



今は仕事は順調だし、バンドも楽しくやってるし、それ以外にもバイク買ったりだの、かなり悠々自適に暮らしていると思う。

確かに数年前まで、そんな感じの生活を目指して起業とか頑張ってきたのだけれど、正直、達成する前の方が色々と充実してた気がする。



最近は要するに、コレって言う目標が無さ過ぎるんですよね。

家族を持って家を建てて~だとか、プロ野球選手になるだとか、人それぞれ「こうなっていたら幸せだな」って言うビジョンみたいなのがあると思うんだけど、とにかくそれが全然思いつかない。

いや、むしろ今の暮らしが既に理想のビジョンそのものなんだよな。



基本的に人間は、飯を食って糞をして、交尾をして子供を産んで、そんな暮らしの先にある死を目指すだけって言う、クソつまらんループが人生の基本システムだと思う。

それだけでは退屈だからっつって、例えばスーパースターしか立てないデカいステージだったりとか、クソでかい車や家だとか、そういうサブクエスト的なイベントを人間が自分達の手で用意したんだと思う。

愛だの恋だのも、俺はそういう感情はロマンチストなので大好きだけど、やっぱり基本的には幻だと思う。

一人の人を一生愛すとか、恋愛に関して色々と「こうだったらいいな」という理想や美談はこの世に溢れているけど、人って言うか動物は、そんな風な機能は基本的に無いと思う。

一夫多妻みたいな感じで、一部の優れたオスだけが生殖活動をして、残りは童貞っていう形が最も自然だと思うし、だからこそ生きていくという事は、オスメス共に爆裂孤独だと思う。

現代は、法律によって強引にオスメスをワンペアにして、なるべくあぶれる個体が出ないようにしてるんだと思う。

で、もっともらしいラブソングやラブストーリーを世の中に氾濫させて、あたかも一人の人と一生一緒に居る事が最高の人生、というように、人々を洗脳してるようにすら思う。

金もそう。本来は強烈なカースト制度みたいなのが最も自然な形だけど、税金やら何やらの法律で、強引に全員に平等に富が行き渡るようにしつつ、かつ競争する気力が湧くくらいの差もつけつつ、絶妙な感じでバランスをとっているんだと思う。



現代の日本では餓死みたいな結末はほとんどなく、人生の下限はかなり高くなったと思うけれど、その反動で逆に上限は凄まじく下がったのだと思う。

最近は、自分がそういう高い下限、低い上限という狭い世界で生かされているのだなと痛感してしまう。

今まで目指してきた夢だとかも、実は「低い上限」を煙に巻く為の幻だったんだなとすら思う。

今は自分の会社を経営しているけど、「安全の保証が無い高野を走っている風」の状況を、国が用意してくれているだけのように思う。結局はどう転んでも、俺は死ぬことは無い。



ってな感じで、最近は要するに「くっそーーーつまんねーーーー何か面白い事無いのかよーーーマジで!!!」ってな感じで、ジタバタしてます。


でも、これ以上楽しいことってなると、たぶん他人の命や人生を巻き込んだ何かになるんだと思う。

例えばそれは戦争だとか、奴隷だとか、妾だとか、何かそういう類になるんだと思う。

だから法律はこの辺りを上限に定め、戦争やらなんやらは悪っていう「偽の常識」を蔓延させているのかなとも思うし、俺もそれはとても正しい判断だと思う。




様々なリミッターを外して、俺が本当にやりたい事は何かと聞かれたら、、、、


、、うーん、さすがに引かれるから文章にはしないでおこう。。。

どうも、お久しぶりです。チャコです。


いやーー、放置したなーー、

前回らへんの記事を見直したら、何か更新頻度を上げるだの何だの言ってましたが、一体あれは何だったのか。。



と言うことで、たまには更新しようと思う。



実は最近、突然彼女が出来た。いやー、良い人だと思う、本当に。

今まで、パパとママと息子と娘に猫一匹みたいな、テンプレ通りの幸せ家族など微塵も憧れが無かったけれど、ママが彼女だとしたら、それはかなり幸せだなあと思う。


ていうか、一応「結婚を前提に、、」的な、まさかあのドイヒーなチャコさんが口にするとは思えない言葉でお申し込みをしてるので、突然俺が振られない限り、本当に結婚しちゃうと思う。


マジで急展開だよなー、まあ、まだ付き合ったばっかだし何が起こるか分からないけれど、俺は得も言えぬ手応えを感じているよ。




そんなメシマズな話以外なら、パチンコ&スロットに激ハマりして、そして飽きました。

約1ヶ月ちょっとのブームでしたが、当時は仕事帰り毎日ホールに通い、休日も朝から並ぶ始末、、なんかすげー楽しかったんだよなー、凱旋、ハーデス、まどマギ辺りがね。でも飽きました。



あとは、スロットきっかけで、まどかマギカというアニメに激ハマりしましたね。漫画も色々買ったし、ゲームも買いました。




結論を言うと、最近はマジで何一つ頑張っていません、、、まあ、普通に仕事はしてるし、バンドとかもやったりしてるけど、はっきり言って圧倒的堕落です。

2年前のブログを読み返すと、何か仕事に音楽に、情熱を持って日々頑張っていたようですが、今は本当に燃えかす状態です。



はーーー、まあいいや、逆に別にいいや。

頑張る気力が無い時期に無理に頑張っても、どうせ大した成果は得られないだろうし、こうなったらとことんだらけます。

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