コンドルズ小説・まわり道
其の六 『三月、立つ』
桜の花びらが散り流れる川面のうちに、色とりどりの鯉たちがたゆたっていた。そんな神田川を横目に、面影橋の駅から都電に乗り込んだ。
きづくと、あれから一年が経っていた。
僕はまた、都電に乗っている。
開け放たれた窓から、春の暖かい風が顔をなで抜ける。何だが暖かくて、ゆったりした心地になる。
僕は夢の中にいた。
懐かしい、小学校低学年くらいの頃だろうか。かつての実家。昔飼っていた犬がまだ生きている、しかも若い。何やら明るく、白っぽい光景。まるで死ぬ直前みたいだな、そんな風に思う。死んだことないけど……。
その当時の僕は、ヒーローに憧れていた。子供らしく、仮面ライダーとか、そんな類だ。まわりの友だちも皆ヒーローに憧れる、そんな時代だった。誕生日のプレゼントやサンタクロースからの贈り物として、ライダーベルトなる玩具を欲しがる友だちもいた。中には、本物のライダーベルトを手に入れれば、ライダーのようになれるはずだと、もっともらしく言う輩もいた。僕はさかしい少年だったので、何を知ったようなことを言っているのかと、心の中で思っていた。けれども僕は、まだまだ幼い子供であったので、きっとライダースーツを手に入れれば、仮面ライダーのようなジャンプやキックが出来るのだろうと思っていた。
もし僕がヒーローであったら。困っている人を助けたり、交通事故なんかを食い止めたり、悪の手先もないけれど、銀行強盗くらいはやっつける。そんな淡い想像をしていた。何やら懐かしい、昔、昔の、子供の頃の話だ。
ゆるやかに目が覚める。
けれども、僕はヒーローではない。
穏やかな車内の光景。
漫然と大人になってしまった。
僕は、何やらいたたまれない心地がして、開いたドアから飛び出した。
ここは、どこなのだろう。東池袋四丁目駅。高架の下に、昔から有名だったつけ麺屋が移転してきており、今日も賑わっている。並びにある居酒屋は、かつて仲間たちと呑みに来たことがある。街道に見覚えのある信号がある。
この一年、僕は懊悩の中にいた。出口もあるのか、ないのか、ここはどこなのか。
面影にいざなわれて、僕はここいた。漫然とたゆたう、失われた時に寄せられて、僕はここに来た。
このビルの二階に『あうるすぽっと』という劇場がある。
僕はヒーローになれないまま、ただの大人になった。けれど、生きてきた時間の力で、前に進もう。
チャイロイプリン・おどる小説『桜の森の満開の下』の舞台が、行われる。
さあ、立ち上がって、前に進もう。
もうすぐ舞台の、幕が上がる。
おしまい