3.祭り内容

 祭りがいつ頃から始まったかについて『赤玉誌』は何も触れてない。杉池入り口にある看板には、「杉池は水神の主竜神を鎮り杉池大明神として崇め奉り、毎年六月十五日を例祭として数百年間続けられており、・・・」(赤玉観光協会)と書いてあるらしい。しかし、「数百年」というのは疑わしい。だが、昭和5年(1930)にあったことは、「杉池明神」の幟で判る。

 さらには、用水池である「ひょうたん池」造成について『赤玉誌』の「現況のようになったのは、天保13年の工事以降ではないかとする者もある」との記述から、杉池祭は天保13年(1842)の工事完成を契機として始まったと読んで理に適う。勿論、今の芸能が当時既にあり披露されたとは想定してない。が、連年の不作、奉行所の年貢の不当・不正取立に抗し江戸本社への直訴で多くの義民を出した「天保佐渡一国騒動」の天保9年と時期的に連なっていることから、推察の有力性は増す。五穀豊穣・集落安泰の祈願と関連しているからだ。

 当日プログラム 

 神事芸能(大鬼、小鹿、花笠踊)  奥の院  10:00〜

 アトラクション 売店有り     まなびの森  12:00〜

 実際のところ神事芸能が始まったのは10:45で、それまでは10:05頃から杉池大明神の宮の前で例祭神事が執り行われた。

  ドン ドン ドドーン ドン ドットドットドン という太鼓の音(表現に聞き間違いは有る)が遠くから聞こえ、やがて神事参列者の一行が現れ、石段を上がって行った。境内は無いに等しいため関係者(芸の奉納者を含む)の殆んどは石段、さらに幟の所まで並んでいた。

 行進の順序は、行列の終わりの方に花笠の踊り子たちがきて、最後尾の殿(しんがり)は大獅子であったことから 赤玉神社祭と同じであろう。『赤玉誌』に次の文面がある。

 「(赤玉神社祭の)儀式と奉納される神事芸は午後から始まるが、出演者はあらかじめ氏子総代の家に勢揃いして、その後笛、太鼓の鳴りもの入りで参道の石段を登る。これを「宮坂登り」という。宮坂登りの順序は、

 〇泳函↓大太鼓(正太鼓と副太鼓にそれぞれ一人ずつ)、C亙、さ粥↓ヅ吹、獅子(雄、雌、雄の順)、Р岾泙陵戮蟷辧米取りを含む)、大獅子

 である」) 

(1)大鬼舞

仝に担いだ太鼓を裏打ち師が叩く。当日の長老による説明では、裏打ち師の背中に鬼の面があるが、昔は鬼面をつけて叩いたのではないかとされるとのこと(前掲写真に見える)。また、以前は地元でも「オンデコ」と言っていたが、ある識者が見て、「これはオンデコでなく、『鬼の舞』である」と言ったことから、「鬼舞」と言うようになったという。

⊆卅阿派颪Φ瓦蓮一匹。白毛、白面(口をあけている)で、腹部に白黒でまぜ綯(な)った太綱を二重にまわしているのが特徴。

 1)鬼の舞いは、重厚で厳か。踊らないで舞うのみ。

 2)鬼の持つ撥は、尺2寸の長撥で先端が太くなっている。

 3)鬼は太鼓を叩かない。最後に撥で太鼓に触れるのみ。

L声から大正期にかけ、太鼓打ちも大鬼舞の鬼役も世襲制であった。

 1)名人といわれる人の言い伝えが残っている。松川太郎は、4月9日の例祭に北組の行場でこの人が打つ音が松ヶ崎の鴻の瀬浜まで聞こえたという。この時の鬼は、本間太郎であった。

 2)明治〜大正の配役一覧を見ると、「太郎」の名で占めている。

 時代別  : 太鼓打ち          獅子             大鬼舞

                 追い役    中 役    逃げ役          

明治〜大正:松川太郎 市橋富士太郎 宇京真太郎 坂野太郎  本間太郎

大正〜昭和:山田辰蔵  銅 与次郎  川本清七   東 伝次  古間松太郎 

昭和(一例);        中浜真一   岩崎弥作   坂野武治  山本彦夫

昭和〜平成:木嶋 寛   山本三蔵   木嶋博巳   増野敏弘  坂野浩司 

 『赤玉誌』は 太郎は長男を示し「役配(やくはい)は芸が他地へ流出しないよう長男がつとめることになっていたのである」とあるが、より正しくは「次男三男では他所へ行ってしまい村にその芸のできる人がいなくなるから長男に務めさせた」ということだろう。昔は長男であればどこの家の者でもよいというわけにいかず、やれる家柄が決まっていた(舞い方も太鼓・笛などの地方も九人衆が世襲的に負っていた)。

 時代が下るにつれ長男の名前は太郎ばかりとは限らず、名前だけでは長男かどうかの見分けはつかなくなっている。太郎(一郎)・次郎・三郎の名は昔は大きな意味があったが、法的に相続は子の間では平等で、少子化の流れの中で次郎・三郎・四郎・五郎の名は今どき珍しくなっている。

 なお、相続問題は人類共通。6年前ヨーロッパ旅行をした時フランス・パリで現地ガイドから聞いた話だが、昔は資産家の次男・三男は大きくなれば家を出て、全寮制の神学校へ入らせられた。一緒に住まわせておれば長男がひょっとして毒殺される恐れもあることが理由らしい。こうしてソルボンヌに各地から富裕層の子弟が集まり、自立心・探求欲・創造力のある人材が育成され、今日の世界的名門大学・パリ大学(前身:ソルボンヌ大学)が形成された。

(2)小鹿舞

(資料:『小獅子舞』。『赤玉誌』の「小鹿舞」は前者が元になっている)

仝鴇痢Ъ(しし)踊り。「実際には、花笠踊りと合流しているので、シシ踊の呼称も余り聞くことはなく、普通には「花笠踊」の中に含めて呼んでいる」

 1)古い人は今でも「鹿踊り(しか・おどり、しし・おどり)」と呼んでいる。

 2)「小獅子」という言い方は比較的若年層から時たま出るにすぎない。

  「そもそも「小獅子舞」の呼称は、杉野浦や小木の木崎神社の舞が、昭和30年頃始まった河原田総合グラウンドにおける新潟交通主催の「民俗民舞踊大会」で、初めて全島に披露された時以来言われだしたもので、これを契機に、新聞その他報道機関が用いるようになったもののようである」

⊂絮藥期(「刊行時」と「今」と、必ずしも一致しないことに留意。他も同様)

 1)「赤玉神社祭礼 4月15日(いっせい祭礼以前には9月9日と4月9日が祭日で、本祭りは秋祭りのほう)」

 2)「杉池大明神の祭礼(俗に杉池祭りという) 6月15日

E曽機\峩漫峅岾淪戮蝓廖ゝ擇咫崋踊り」の由来に関し、いずれも定説はなく、古老たちの中にもそのいわれを語る人はいない。ただ、次の由来譚がいくつかある。

 1)京都から習ってきて伝えた。

 2)[出身を京都とする]宇京家が伝えた。

  [先の長老の説明でば、宇京家は赤玉にいるが 同家では先祖の京都との係わりを示すものはないとしている]

 3)室町時代からあった。

 4)久知八幡の城腰地区から習った。

ぜ‖茵 里海海傍されているのは、杉池祭りでなく赤玉神社祭のこと]

 1)ならし(稽古・練習)は1週間前から始めて、場所は以前は宮守の納屋(不幸があった場合他家)を使っていたが、今は保育園を利用。

  なお、ならしは1週間が短縮され今は3、4日くらいになっている。「これは手を抜いているのではなく、この村では「花笠踊り」を門外不出の芸としていたため、特定の者にだけ世襲的に伝承されるようになってきたから、さほど練習を要しなかったということである」

 2)戦後の新法に移るまでは、祭礼に関する事柄は九人衆という人たちにすべて依存していた。

  a.九人衆は合祀以前の3社にそれぞれ3人の重立がいたものが合体したもの。

  b.重立衆はオヤサン株を持った家を言い、昔は祭事ばかりでなく行政も一切重立の三役が取り仕切っていた。そして、「鹿踊り」、花笠の「地唄」、「鬼太鼓」とも神事芸能に携わる者は、この九人衆の中で役付けされた。

 3)役配は地区総会で決めるが 役付きの者に何かの事由で欠員があった時だけに必要で ほぼ世襲が守られている。「特に最も大切な鬼役と獅子役は、滅多に動くことはない」

 a.役配  傘鉾:1名、太鼓かつぎ:1名、鬼(裏と表):2名、地方(じがた:地祭り方とも):4名、獅子(雄2、雌1):3名、笛吹:2名、踊り子 村内の学童が総動員される、同 頭取(男子):1名、大獅子:村内の若衆組全員

 b.鬼・獅子など特別な芸を身につける役柄には、地元に住む長男がなるという不文律がある。「これはもちろん、地区外に芸が流出しないための措置であったと村人は語っている」

 3)祭礼当日

 a.昔は早朝に集まった。今は学校や勤め人の都合を考えて時間を遅らせ、午前11時に氏子総代の家に勢揃いして、笛・太鼓の鳴りもの入りで宮坂登りをする。宮坂とは、文殊院裏の参道の石段道。

 b.その順序は既述。「大獅子は行列とは別行動で、時間をかけて登るほどよいなどと言われている」

セ盪匳

 1)戦前は氏子総代を兼ねた宮守がいて(永代宮守の小玉家。赤玉神社の宮司を務めた人も輩出)、そこが宿を務めていた。

 2)戦後は他所から神官を迎えるようになり、以前のような宿は解消し、収蔵庫と保育所がそれに代った。

Ρ虧

 1)鹿踊りの演目は、a練り込み、bささら踊り、c獅子狂い の3つだけで、aとbの間に頭取が述べる「口上」「田植踊り」「花笠踊り」がはいる(『小獅子舞』)。

  a.『小獅子舞』は、「練り込み」を挙げているが「練り込み」の説明がない。「口上」〜「花笠踊り」=「練り込み」なら、話はわかるが・・・。

  b.一方その後に刊行の『赤玉誌』は、「花笠踊りとシシ踊(鹿踊を仮名書きにしたもの)の関係を、歌詞の上から見ると、『始』、『田植歌』、『花笠の歌』、『ささらの歌』までは花笠の踊用の農作歌の歌詞で、『獅子狂い』だけがシシ踊の内容をうたう歌詞となっていて、花笠主体の神事のように見える」「踊りの動きの上からみると、ささら踊りは雌、雄ともに同じ動作で、『練り込み」』の動作と余り変らない。ささら擦りのしぐさはあるにはあるが、ささら踊と呼ぶに相応しい内容ではない」とある。依然肝心な「練り込み」の説明がなく、用語だけが先行。

 2)『小獅子舞』は花笠踊を小獅子舞に含めているのに対し、『赤玉誌』は花笠踊とシシ踊を区分。区分は非常によいが説明がブレ、かえってわからなくしている。

 3)ここは長老の概説あるいはミニ・リーフにあるように、赤玉杉池祭は大きくは大鬼舞と小鹿舞と花笠踊の芸から成るでよく、それでわかりやすい。

Р了

  上段(  )は城腰の歌詞・下段は赤玉の歌詞。対比によってそれぞれの共通点と相違点が明確になることと平仮名歌詞の意味がわかってくるからである。上段がない節があるが、その部分は城腰に歌詞がないことを示す(資料:『赤玉誌』)

 1)始

  (今日は最上吉日にて候間) (御田植を始めをづるにて候) (町に、万束)

  「今日天気(ひより)も能く候程に、田植を始めばやと思候。まちに、まんぞく、

(瀬町に、千束)  (水口を 納めをずるにも候)  (苗ごしらえを御沙汰あり)

世町に、せんばん、みなくちに、納めおき、みなみな、苗ごしだい、に仕[つかまつ]って候」

  (かしこまって候)

  「かしこまって候」  (注 この口上は頭取が述べる)

 2)田植歌

  (田植え) (植え植え) (五月女) (お田植に生り立ち) (五月女笠買うて)

 あーうー江、江ーゆー江、そうとめ、田を植えにおりたち、おんかーさ{笠}買うて、

 (着しやうや) (笠買うて給うならば)    (直に田も)  (植えや)

 着しようやー、おん笠買うてたむるなら、あーなをに田を、植えーよやー、

  (如何に五月女) (如何に五月女) (早苗とろうとて)

  いかにそーとめ、いかにそーとめ、さな江ー取るとて」 

  (手を取るぞ)(おかしけれ)(手を取らば)(大事か)

  手をとり、たおかしげー、おんてーとれば、大事なる、

  (若い時の習いや)  (如何に五月女)(如何に五月女) (言ふ事の) (腹立ち)

  若い時のなーらいやー、いかにそうとめ、いかにそうとめ、言うたことの、はらだちかー 

  (腹が立つならば)    (水鏡を)    (見よかせ)     (鏡は)

  はーらーがたーつならば、水ーかんがみ、みよかしー、おんみすかんがみ、

 (見たれども)  (顔は) (穢れたり)

みーたれば」 あーかおが、よごれたー。いかにそーとめ、いかにそーとめ。

 (久知の神山に)       (花の咲いたを) (見よがせ)

きーたー山[北山=金北山]に、花の咲いたを、みーよかし、

   (げに)  (きっと) (見たれば)   (黄金の花が咲いたり) 

  うんげーに、きーっと、みーたれば、あーこがねの花が咲いたやー。

(おお目出度や、げに目出度かりけり 目出度き御代には とんび笛 笛には笛蔦こっぱぴいやらのひいい)

 ことに目出たかりけり、おめでたき笛、あーとっは、に笛、あいえい、えやー

 3)花笠の歌

        (金田の) (横田の朝苗を朝苗を)      (しょんぼり)  

 顱砲い筺爾劼鵑世痢△茲海世猟の日よ、(くりかえし)いやしよんぼり、

(しょんぼり植えつけて) (今この秋に)(刈ろうずよ)        

しよんぼりと植えつけて、今来る秋に、刈るぞよの、うれしーさよ、

  (金田の踊りは) (一踊り)

いやーひんだのおどりは、おもしろーや(笛のみ)

 髻砲い筺偲靴紡臠瓩良吹かば、いや中(ちゅう)によしつのつよがふ、こーいや、地には黄金の花がさ、こいや花咲く(笛のみ) いやひんだのおどりは面白や(笛のみ)

   (釣瓶は)(九つ身は一つ)   (汲みたる清水で) (影見れば 影見れば)

 鵝砲い筺爾弔襪戮篭紊朕箸楼譴帖覆りかえし)、いや汲んだる清水で、影見れば、

  (我が身 ながらも) (好い女子しほらしや)

  わがみ、ながらも、よいとやの、うれしさや いやひんだのおどりは面白や

    (この項該当句なし))

 堯砲い笋梅に、たちばな、秋は菊(くりかえし)、いやおのれの花寺、つよがふ、こいやよ、をのれんぼう(笛のみ) いやひんだのおどりは面白や

      (八幡の社領は年まさる)      (三河) (河内一円)    

 )いや当所の社料はとーしまさり(くりかえし)、みかわ、ちんちん、

 (神は位を増す)(氏子繁昌に) (国土に平かに)  (金田の踊りは一踊り) 

(ならい出をする)

 神はいよます、氏子は繁昌に、心平かに(笛のみ) いやひんだのおどりはひとおどり

 4)ささらの歌

      (笹田をば 笹田をば)   (善き 悪しくも)  (御褒めやら)

 一、おんさーさらほーば(くりかえし)、ようくも、あしくも、おーほみやーは、

 (今年始めて 習い出をする 習い出をする)

 今年はじめ、習い出、でする、習い出、でする

    (この宮を)      (如何なる番匠がたてたやら)

 二、この宮は(くりかえし)、いかなるばんじょが立てたやら、くさぼひとつ(くりかえし)、ごうほんつとめた、ごうほんつとめた

 三、この町に(くりかえし)、駒(うま)の上手がござるやら、夜も夜中駒の足音、駒の足音

 四、町太郎が(くりかえし)、さいたる刀の根本さや、つばのひかり、町がかがやく、町がかがやく

                  (笹田の上手がござるやら)(しゅめがこぼれて)

 五、当のまちに(くりかえし)、ささらの上手がござるやら、しゅめがこぼれ

  (足に搦まる 足に搦まる) 

  足にからまる 足にからまる

  (参り来て 参り来て)  (神の御前の)        (小しだれ柳)

 六、参りきて(くりかえし)、鳥居のばんばをながむれば、こしだれ、

    (枝折りなごめて  いざやねましふや)

  こやな枝おれたおれ、枝やねまどや、枝やねまどや

   (白鷺[しらさぎ]が 白鷺が) (山を下りて里へ出て) (神の御前に)

 七、山雀(やまがら)が(くりかえし)、山を降りて里へ出て、神の御前、

   (羽を休めた 羽を休めた)

  はねを休めた はねを休めた

   (立つや白鷺)    (雲路を思えば立ちかねる)       (立つや白鷺)

 八、しらさぎよ(くりかえし)、後を思えばたちかねる、あとを思えば、たてやしらさぎ、たてやしらさぎ

 九、かーらま御所(くりかえし)、八っ棟づくりのこけらぶき、こけらの上にさいたから松 さいたから松

                (柴を敷寝に お手を枕に)

 十、こかたよ(くりかえし)、しだをしきねにつるべを枕、こけのこかげに、こけのこかげに

     (友達よ友達よ) (余り踊れば花が散る) (おいとま申していざや友達)

 十一、友達よ(くりかえし)、あまり踊れば花が散る、おいとま申す花の都へ、

    (花の都で)

   花の都へ

 5)獅子狂い

   (思いよらずの朝霧おりて) (そこで女獅子をかくしとられた かくしとられた)

 一、思いもよらぬ朝ぎりがおりてここで獅子かくしとられた、かくしとられた

   (露や霧を吹きやちらして) (そこで女獅子に逢うぞうれしや 逢うぞうれしや)

 二、きりやかすみやきりはれて、ここで雌獅子におうたうれしや、おうたうれしや

 三、雌獅子雄獅子の振身さやよつからん。ようねんないもの、ようねんないもの

┿盪卞

 1)獅子でも鹿でもなく、むしろ「龍」に近く、長くて稜線のある三角筒。

 2)島内の他所のものと違っており、城腰の頭だけが比較的似ている。

 3)毛髪は麻の緒を自然色のまま編んだもので、この点でも城腰と同じで、垂れ布は緑の蚊帳地(長さ64cm)。

採(と)り物

 1)腹部につける鞨鼓(かっこ)は、径16cm、長さ18cmの竹篭に紙を貼ったもので、撥は17.5cmの野竹に色紙を巻いてある。

   獅子は、鞨鼓を打たない。

 2)楽器

  a.笛が6孔と7孔の横笛が各1で、二人が合奏する。

  b.大太鼓は径尺2寸、欅(けやき)胴、紋なしを四脚の台に載せて叩く。

 3)装束

  a.獅子は、渦紋のついた角袖の上衣とタッツケ、脚絆、白足袋で草鞋。

  b.地方は、氏子総代は羽織袴、太鼓打・笛吹は裃(かみしも)袴をつける。

(3)花笠踊

_岾淪戮蓮花笠を被って踊る踊り、または、花笠を踊りの道具の1つとして踊る踊りのこと。「花踊り」と呼ばれる場合もある。日本各地に奉納舞踊・伝統芸能・祭礼・祭りとして数多く見られる。

              全国主な花笠踊り

  都道府県  市町村  名 称         文化財指定

   宮城県   仙台市  大正花笠踊

   山形県      多数あり

   福島県   相馬市  相馬盆踊り

   新潟県  佐渡市  花笠踊[城腰]   県無形民俗文化財

   福井県   越前市  花笠踊り           〃

   滋賀県   甲賀市  黒川花笠太鼓踊り     〃

    〃     栗東市  花笠踊り

   京都府   京都市  久多花笠踊     国重要無形民俗文化財

   広島県  北広島町  本地花笠踊     県無形民俗文化財

  山口県   周南市   八代花笠踊        〃

   宮崎県  延岡市   伊形花笠踊り    市無形民俗文化財

  (資料:ウィキペディア)

∈甘呂撚岾淪戮量召蓮∪峩未半觜と北田野浦の3ヵ所のみ。

 1)佐渡の花笠踊の特徴(北田野浦を除く)は、稚児が主体。仙台・大正花笠踊、山形・花笠踊、越前・黒川花笠太鼓踊、京都・久多花笠踊は、いずれも大人主体で子どもも入ることもあるが稚児が無いに等しい。

花笠踊には獅子踊を伴っているので その踊だけ見れば他に小木・杉野浦。赤泊新谷・北河内・南片辺の5ヶ所あるが、「歌詞は花笠踊の祖形である田植歌・花笠歌・ささらの歌などとは全く異質で、共通点は何もない」

 2)赤玉の花笠踊と城腰の歌詞は粗筋がほぼ一致に対し、北田野浦との共通句は見あたらない。

  但し城腰では、赤玉の「花笠の歌」のことを「金田の踊」と呼び、「田植歌」は「御田踊」と呼んでいるなどで相違点があり、「歌詞の記載順は赤玉のものとは違っている個所が多い」

  北田野浦との共通点は、獅子頭が双方獅子・鹿より龍に似ていることがある。

 (城腰の花笠踊:10年11月18日号「特定地区芸能4:久知八幡宮祭・花笠踊」)

赤玉の花笠踊の由来は、「宇京家による京都伝説が強いながら、久知八幡説にも強いものがあって(ただし久知住民の言い分)、対照的な感じもある」。(『赤玉誌』)

4.まとめ

|亙の祭りにおける芸能は、簡略・省略・廃止傾向にある。

  赤玉神社祭の芸能の変遷を、『赤玉誌』が伝えている。

 1)明治の頃まで伝えられた踊に「白刃踊」があった。日本刀と鎖鎌とが対決する立ち合い術で、真剣を用いて危険なため止めた。

 2)大正中期まで「槍踊」があった。祭礼の日に境内で行うもので20〜30歳の男女がみな参加した。

  a.槍踊歌があり、それを歌いながら境内いっぱいに輪になって踊った。

  b.歌の名のようにめいめいが槍棒を持って楽屋口から一列に出て来るのであるが、そのとき各人は思い思いの仮装を凝らして、大名行列のように振舞った。

  c.踊りには太鼓と鉦の伴奏がついていた。

  d.ほかにも「陣鎌」、「バチ狂言」など言葉だけが伝えられているが内容を知る者はいない。

3)近年、白刃踊を復活すようとする試みがなされ、習ったことがあったが、結局実現しなかった。

4)以上から 一般的流れがあるとして見逃してならないことは、他集落からの祭り応援。なお、赤玉集落は45世帯・人口99人(09年3月末)。

 a.稚児の花笠ファッション・スタイルがあまりにも可愛過ぎて、大人たちを感嘆させ 寄ってたかって写真が撮られ、意図してないがポーズをとって笑顔で応える稚児がいた。中には どうしたことか先程と違って急に泣き出す児も出たりして、大人たちを悦ばせた。その花笠踊りは他所からの応援で成り立っているはずだ。余りの可愛いさに どこからか、「(あの子の)親の顔が見たいわね」という声。「あそこにいる人がパパらしいわよ」との声、「やっぱりイケメンだわ」という納得・安心しきった声。 
 余談ながら、あの可愛すぎの稚児たちの花笠姿を見るのに1年も待っておれない向きには ご存知と思うが 9月15日久知八幡宮祭に花笠踊があることを念のため記しておく。但し、期待に沿うか保証するものでなく、あくまで自己責任。
   
 b.同じ前浜地区・野浦からは若い女性の舞踊、国仲平野の青木からは鬼太鼓、よさこい踊りはおそらく島内各地からの有志が 祭りに花を咲かせた。祭りを盛り上げ芸能を支えようとする互いの絆があればこそだ。                                                          

⊃池まつりの中で、新しい試みがあった。それが、「赤玉名物 おおびらセット」の販売。

 1)「おおびらセット」=おおびら汁+おにぎり1個+お茶(市販)=ワンコイン500円。

 2)「おおびら汁」は赤玉の郷土料理だそうで通常は、あご(トビウオ)出汁(だし)にささげ豆・人参・長芋・コンニャク・焼きトーフ・ちくわ・長ネギ蒲鉾・鯖缶などを入れ 片栗粉でとろみを付けていただくもの らしい。

  午前の部終了と同時に午後の会場に移動し売店で買って食したが、いける。小豆・ごぼう・椎茸・蒲鉾が入っていた。

 3)初の試みに当事者は心配もあったであろうが、計画の200食分は完売したらしい。評判は上々、今後につながる。

  地域の祭りから、ご当地名物が生れようとしている。これまた楽し。

以上