2007年02月19日

先生の言葉

ゼミの飲み会でした。
珍しく先生も交えて。
そのとき先生がおっしゃった言葉。
飛び級入試で大学院に進学した人の話から発展したのですが、

「人は自分が選ばれた人間だと思ったとたん、成長しなくなる。
 謙虚さを忘れてはならない。」

ロースクールが医学部と同じように、選ばれた人間がいける場所だというくだらない自負心をもってやってくる学生が増えてきたというお話でした。

少し意味は違いますが、以前テレビで著名な塾の塾長が言っていた

「ハードルを乗り越えた先にパラダイスがあるとは思ってほしくない。
 ハードルを越えた先にはまた新しいハードルが待っているだけだ。
 だから、ハードルを乗り越えることそのものに喜びを見出せるようにならなくては
 人生がつまらないものになる」

という言葉とつながるような気がしました。

自分が選ばれた人間だと思った瞬間。そんな瞬間が私にあったとしたら、それはまちがいなく高校に受かったときでしょう。
あの高校に入ったからといって、それがパラダイスだったわけではなかったはずなのに。
乗り越えるべき新しいハードルがあったはずなのに。
それに気づかずに、入った先の目標を設定することのないままに
自分が選ばれた人間だというくだらない自負心を三年間持ち続けた結果、
私の成長はそこでストップしていた気がする。
だから将来の夢もやりたいこともみつけられないまま、つぶしがきくからという理由で地元の国立法学部を受けて、落ちた。
落ちてよかったのかもしれない。
あのまま受かったら、また「選ばれた人間」意識が芽生えて結局大学も無駄に過ごしたのかもしれない・・・
私の周りの人たちは、あの高校をしっかりと最終目標を定めて選んでいたり、そうでなくても高校で新しい目標をみつけて謙虚に努力していた。
それに気づかず私は高校名に酔ってた・・・自分は何もえらくないのに。

その塾長は、だからこそ、今教えている小学生たちに、中学受験を目標として勉強してほしくないと言っていた。
中学に受かってもまた新しいハードルがある。だからこそ勉強そのものに喜びを見出さなくてはと。

私の場合三年間とまった成長の遅れを取り戻すのはかなり困難で、
大学受験も結局は大学に受かることが目標になってしまった。
トップに入れば何かある、東京に行けば何かある。
そんなミーハーで不確かなことしか結局考えられなかったw
大学に行く目標も意味も考えられず、みんな行くから行きたかった。

でも浪人の間に考えたこと、感じたことはきっと今の私に大きく影響しているのだと思う。
大学に入ってからも結局いきあたりばったりだったけど、
高校の三年間よりも挫折とか劣等感とか友達とわかりあえなかったことなんかを経験できて
それらが少しずつは私を成長させてくれたのではなかろうかと思いたい。

できることなら高校時代に戻って、
慢心した自分に喝を入れたいけど、それも無理なので、
遅れた分をとりかえすべく、謙虚さを忘れず成長していきたいと思います。












とはいえ難しい。
私はやっぱりあの大学に行きたいので、そこのロースクールをいつか受けたいと思っているのだけど、
それは弁護士になりたいという目標をかなえる手段にすぎないし、
そもそも弁護士になることさえ人の役に立つとかいったことの手段にすぎないのだけど、
弁護士になることはやっぱり目標だし、
あそこにはいることも目標。
あの大学じゃなくたって弁護士になれるけど、そこに入ることが結局私の中で大きな最終目標になってしまっている。
そんな人間はそこに入っても、入ることそのものが目標だった以上は、結局その先の目的意識がなくて成長できないよ。
と先生の言葉をきいて思えるようになっただけましか。

「自分は選ばれた人間である」と思い続けたいがために
必死で努力し成長しつづけている人もいる。
そこまで発想が転換できたらそれもいいのかも。

まとまらない話でごめんなさい。


at 05:02│Comments(0)TrackBack(0)

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