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ヒルシュホルン

















  我家はハイデルベルク、クレーマーガッセ(小売屋横町)、フィア・ウント・ツヴァンツィッヒ(24番地)・・・
  マルクトプラッツが我家の庭みたいなものだ。
  実に豪奢な庭で、毎日が観光気分・・・のようなものである。

  だが、ドイツでは、ウアラプとは遠地に旅することであって・・・いかに豪奢とは言え、自分家の庭で過しても、ウアラプとは言えない。
  子供達は夏休みになった。
  ドイツでは、夏休みは家族で旅行にでかけるのが常である。
  だが、世の中は常ならず・・・親が忙しかったりして旅行できない子供達のために、色々なイベントが行われている。
  ここハイデルベルクでは、ネッカー川にヨットを浮かべ、一日子供達にヨットの操縦法を教えたりするのである。
  我が子供達も、嬉々として、ネッカー川にヨット乗りに行ったのである。
  なにしろ、ネッカー川のヨットポートは我家の庭の延長みたいなものだから・・・

  私は、「今」が開発の最盛期で忙しく、ドイツ人のように1ヶ月のウアラプどころか、土日さえも出勤が続いている。
  ・・・と言っても、来欧以来ずっと「今」が続いているのだけれど・・・
  だが、できるだけ、日曜日は休むように努力したのである。
  家族揃って、できるだけあちこちを、見て回りたかったからである。
  また、日曜日にカバンを提げて歩いていると、奇異の目で見られるのである。
  法律で、労働が禁じられている聖なる日曜日に、この日本人は何をしているのか?・・・と。

  だから、日曜日は随分と、あちこちを見て回った。
  車が混雑せず、美しい景色を堪能するには、ネッカー川を遡るコースが良い。
  船で行くと、ヒルシュホルンまで一日がかりになる。
  クルージングは、一回やれば十分である。

  それよりも、ネッカー川に沿って自動車で走る。
  ハイデルベルク城が見えなくなってしばらく行くと、右手の円錐形状の丘の上にディルスベルクの山塞が見える。
  右手といっても、ネッカー川に関して言えば、左岸である。
  エツ・・・「川の右岸・左岸はどうして決めるのか?」・・・って?
  川の流れる方向に向かって、右側が右岸、左側が左岸である。
  誰が決めたのか私は知らないが・・・講談社学術文庫新版国語辞典にそう書いてある。

  更に進むと、エルゼンツ川がネッカー川に流れ込むところに、旧帝国自由都市のネッカーゲミュントがある。
  フリーデンス橋を渡って更に進む。
  左手・・・ネッカー川右岸に次々と、城塞が現れる。
  「四城塞の街」として知られるネッカーシュタイナハの街である。

  ネッカー渓谷の斜面に4つの城が建っている。
  上流から、フォアデアブルク、ミッテルブルク、ヒンターブルク、シャーデックである。
  これらの城は12世紀初頭から13世紀にかけて、一部はヴォルムス・シュパイアー司教領として、一部は自由所領のシュタイナハ家によって建設されたものである。
  昔これらの城を居城として、盗賊の首領が鎖を川面に張り渡したため、その子孫は「ラントシャーデン」(国難)とあだ名されたそうである。
  最初に現れるシャーデック城はシャーデンエック・・・即ち、ラントシャーデンのエック(隅)の城である。
  岩壁に寄り添うツバメの巣に見立てて、現在では「シュヴァルベン・ネスト」(ツバメの巣)城と呼ばれている。
  望楼の石垣はしっかりと残っているが、廃城となって、一般の観光客が出入りしている。

  ヒンターブルク城も廃城として観光客に解放されているが、シャーデック城ほどの人気はない。
  ミッテルブルクは16世紀半ばにルネサンス様式の城館に改築され、さらに19世紀にゴシック様式に改装された。
  現在は、自由所領の相続人であるヴァルスベルク・ドルトの一族が住んでおり、フォアデアブルクはヴァルスベルク家の森林管理事務所となっている・・・そうである。

  更に、ネッカー川に沿って遡ると、ネッカー川が大きく向きを変えている場所がある。
  そこに、ヘッセン州南部の小都市、ヒルシュホルンがある。  
  小高い丘に築かれたヒルシュホルン城から、城壁がネッカー川河畔の町まで続いている。
  13世紀に建てられた古い城だが、16世紀に本館は建て直され、現在は古城ホテルとして営業している。
  宿泊するつもりはなくても、城のテラスのレストランで、昼食を摂ることができる。
  テラスから望むネッカー川とヒルシュホルンの街並みは素晴らしい。

  この城に来るとまず聞かされる、ヒルシュホルン家と、ハントシュースハイム家の、跡継ぎ同士の決闘の血生臭い話は止めにしよう。
  おだやかな、7月の青空には似合わない。

  そう、ここはヒルシュホルン・・・
  6,000年前にはすでに人が住み付いており、773年に作成されたロルシュ文書に言及されている街・・・
  「ネッカー渓谷の真珠」の異名を持つ、小さいけれど落ち着いた保養地である。

     鳥鳴きて 魔女笑いおる 城下町       昶