040・川下り

183・欧州子会社上期決算予想・ハイデルベルク滞在記(HD1992年8月その1)

HD滞在記183・ラインの野に

  我が住まいは…ハイデルベルク、クレーマーガッセ(小売屋横町)、フィア・ウント・ツヴァンツィッヒ(24番地)・・・
  旧市街の中心のコーンマルクトから、バックパッカー達が零(こぼ)れ落ちてくる、ガッセ(小路)の端に位置している。

  8月になった。

  アテネから帰ったハイデルベルクの工場は、ウアラプの真っ最中。
  経理担当のMO氏が家族と共に日本に引き上げ、又、工場は寂しくなった。


  7月1日、日本に出張していた欧州総支配人が帰国し、久しぶりに工場に顔を出した。
  早速、スタッフミーティングが行われた。

  欧州にある我社の子会社の赤字は、日経に掲載されるまでに膨張していた。
  本年度(1992年度)の赤字は18億円以下に、来年度は6億円以下に収めるように…との話であった。
  どうやら、対策案として、そのような内容の話を、記者発表したらしいのである。

  不要不急のKR御殿は、すでに完成してしまった…現在の我社には不似合いの大枚を投じて…当初の予算をはるかにオーバーしながら…
  この不景気で、減らさなければならないはずの人員を、大幅に雇用してしまった…なんの成算もなく…ただドイツ人マネージャーの言うがままに…

  さて…すでに膨れ上がってしまった必要経費を、どのようにすれば減らせるのか?
  本来であれば、仕事を合理化することにより人員を減らし、不必要な建屋は他社に貸すなり、売却するなりして、必要経費を減らすのが経営の常識である。
  ところが…この会社は総てに置いて、逆のことをやり続けてきたのである。

  えつ!…「お前も、開発責任者だろう! 無責任なことを言うな!」…って?
  そう、私も開発をまかされた責任者の一人である。
  新機種が開発されても、それによって会社が儲からなければ何の意味もない。
  だからこそ、なんとかしたかったのだ!

  旧機種の在庫を生産するにあたって、在庫は最小限におさえるべきだと私は主張した。
  だが、在庫は営業部と製造部の問題であり、設計はできるだけ早く新機種を開発するように…と言われただけであった。
  私の予想通り、旧機種の在庫は、そのときから、ほとんど減ってはいない。
  日々、その金利を払い続けなければならないのである。

  設計人員を増やせ…とのドイツ人マネージャーの申し入れを、私は徹底的に断わり続けた。
  毎日、激論を交わして、日本人の設計者が、心配して私に忠告したくらいである。
  だが、KR社長は、私に一言の相談もなく、総ての設計人員の雇用契約書に、サインをしてしまったのである。
  私は、開発責任者ではあるが、量産はドイツ人マネージャーの責任であるから…ということらしい。

  KR御殿の建設にいたっては、話さえもなかったのである。
  ある時のスタッフミーティングで、KR御殿を発注したから…と事後報告があっただけであった。

  えつ!…「KR御殿って何だ?」…って?
  「097・穴の開いた水袋・ハイデルベルク滞在記(HD1990年12月その1)」を参照してもらえばわかる。
  工場には空き部屋がいくらでもあるのに、新しく建てた部品庫兼事務所である。
  噂によると、120万ドイツマルク(約8400万円)近くの予算で着工して、予算をはるかに超えて、1億円をはるかに越えた価格で完成したものであった。

  このような状況になる前であれば、なんとかなったかもしれぬ。
  だが、人員も建屋も膨れ上がってしまった現状では、打つ手はない。
  膨れ上がった必要経費の金利だけでも、無視できない額なのである。
  ましてや、毎月の増加する赤字によって、銀行からの借り入れ金利は上がる一方なのだ。

  大型機種の開発は、止めた方が良いのではないか?
  この大型機種の開発には、3億円近くの開発費がかかるであろう。
  この開発は、ますます、欧州の会社の足を引っ張る結果にならないだろうか?

  工場のドイツ人はすべて…現在敵対し始めた組合員を含めて…この大型機の開発に期待している。
  このハイデルベルクの工場は、大型機主体のユーザーが多いからであった。
  だが…この7月8日、大型機を主体に販売していたスペインの代理店が販売不振で破綻した。
  この会社の今年度における販売予測は大型機が大きな割合を占めていたのである。

  そう、ここは女神アテネが見守るハイデルベルクの工場…
  知恵、信仰、正義、農商業、天文、建築、美術工芸、音楽、そして城と街の守り神…アテネが守る工場である。

  えつ!…「機械工業はその守る域の中に入っていない」…って?

  そういえば…この工場は…初期の貨車の工場以来、3社の機械工業の会社が撤退し、我社は4社目の機械工業の会社である…けれど…

     ラインの野に 陽は未だ落ちず 古都を歩く(いく)       昶
  

信濃川下り記第12日目(7月29日・月曜・晴れたり曇ったり)

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川下り に参加中!
旅終わる


































 目を覚ます。
 まだ、午前五時である。
 神社の境内は、音も無く、おだやかである。
 青空に黒い雲が流れてはいるが、この空模様では、川下りは大丈夫であろう。

 台風はどうなったのだろうか?
 ・・・風を背にして立つ。
 ・・・北半球では、低気圧の中心は左手やや前方にある・・・有名なコリオリの力である。
 左手やや前方というと、北東の方角になる。
 すでに、低気圧の中心は、通り過ぎてしまったようだ。

 ゴムボートと荷物を振り分けて、川原まで運ぶ。
 ゴムボートに空気を入れ、荷物を積み込み、朝靄の川に漕ぎ出す。

 三条市に入ると、川の水が急に黒っぽくなった。
 従来の茶灰色の水と、黒っぽい水とが、お互いに交じり合うことなく平行して流れている。
 恐らく、三条市で合流した五十嵐川の水が黒っぽいのであろう。
 産業廃棄物からでてきた排水のようで、気持ちが悪い。

 三条市を過ぎると、信濃川は信濃平野の水田地帯の中を通る。
 水量は、海の如く多くなったが、流れはほとんどないように思われる。
 満潮時は、ここらでも、水は逆流するのではなかろうか? 
 川下から風が吹くと、ゴムボートは風上に押し戻される。

 こうなれば、ただ、漕ぐしかない。
 進行方向に背を向けて座り、オールで左右の水を交互に叩くのである。
 野球バットを振る要領で、オールを振る。
 ゴムボートは、マリリン・モンローのごとく、尻を振りながら前進する。

 今日中に、新潟市まで下るつもりである。
 加茂市から白根市まで、必死でボートを漕ぎ続ける。
 信濃川下り最後の日だというのに、景色を楽しむ余裕は無い。

 夕方になって、太陽が傾きかけた頃、ゴムボートは新潟の市街に入った。
 風が強くなって、三角波が立ち始めた。
 越後線の鉄橋をくぐり、昭和橋を過ぎた。
 コンクリートの岸壁がそそり立ち、ボートを着ける場所が見当たらない。
 八千代橋を過ぎると、残るは万代橋だけで、その後は日本海に出てしまうことになる。
 必死で、ボートを着けられるところを探す。

 万代橋の手前で、やっと岸壁に設けられた階段を見つけた。
 ゴムボートを階段の下に着ける。
 ゴムボートと荷物を岸の上に引き摺り上げる。
 総て、一人でやらなければならないから大変だ。
 川岸を通る人々が、皆立ち止まって眺めている。

 その場で、ゴムボートから空気を抜き、頭陀袋にボートとオールを入れる。
 他の頭陀袋に衣類等の荷物を入れて、振り分け荷物にして、担ぐ。
 背にテントを背負う。
 このスタイルで、万代橋から新潟駅まで歩く。
 濡れたままの荷物は、優に三十キログラムを超えるだろう。

 新潟駅で、鹿児島本駅までの乗車券を買う。
 乗車券だけである。
 乗車券を買ったら、財布には、五十円玉一個、十円玉四個、一円玉二個だけが残った。

 汽車の待合所で、各駅停車の汽車を待っているとき、旅行中の学生と出会った。
 その時、彼が撮ってくれた二枚の写真が、今回の旅行の唯一の証になった。
 私が撮影したフィルムは、カメラ共々、水に濡れて、すべて駄目になってしまったからである。

 三日間の信濃川源流を求める山旅と、十二日間に渡る信濃川を下る川旅は、今日で無事終了となった。
 しかし・・・
 これから、更に困難な旅が控えている。
 総額九十二円入りの財布をポケットに、ここ新潟駅から鹿児島駅まで、各駅停車の乗り継ぎ旅が待っている。

     旅終わる 日焼けの鼻の 皮剥けて       昶

 信濃川下りは今日で終わった。
 

信濃川下り記第11日目(7月28日・日曜・晴れ)

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川下り に参加中!
フランス・リヨン・ソーヌ河






















 (注・・・上記写真は川下りとは何の関係も無い、フランスリヨンのソーヌ河。)

 午前五時、まだ暑くならないうちに出発する。
 信濃川も、ここまで下ってくると、川幅は広くなり水量も多くなる。
 川下りには絶好の環境であるが、それと共に、水も、茶色と灰色の混ざった色に変わってくる。

 長岡市に入ると、川岸に、大勢の人々が釣竿を並べて座り込んでいる光景が多くなった。
 そういえば、今日は日曜日である。
 日曜日は、どこを下っていても、釣り人が多い。

 釣りも、場所によって、方法が異なる。
 上流の浅瀬では、岩の上から毛鉤を流して釣っていた。
 中流の水量の多い流れでは、長い竿に囮鮎をつけて、友釣りをしていた。
 下流のここでは、川幅が広く、水量が多いため、リールで投げ釣りをしている。

 川幅が広いので、釣り人の邪魔をすることなく、通り過ぎることができた。

 エンジンを備えた大きなボートが、往来するようになってきた。
 大きな波をたてながら、エンジン音を響かせて、ボートが走りすぎる。
 私の小さなゴムボートは、木の葉のように揺れる。
 次々と押し寄せる波が、ボートの中に流れ込んでくる。
 急流の波より、始末が悪い。
 
 エンジンを備えた大きなボートに接近されたら、私のボートはひとたまりもなく転覆するであろう。
 川岸に沿って、ひっそりと漕ぎ下る。

 信濃川は大川津で、新信濃川と分流する。
 新信濃川は、そのまま真っ直ぐ日本海に流れ込む。
 海までの距離は、十キロメートル弱である。
 私は、従来の信濃川本流を下り、三条市を目指す。

 この大川津の分岐点で、信濃川は、大きな堰堤で仕切られていた。
 堰提の下流に行くための水路が設けられている。
 その水路を利用するには、事務所に備えてあるノートに、所定の事項を記入するように・・・と注意書きが貼ってあった。

 ゴムボートを水路に繋ぎ、堰提に上がる。
 遠くにある事務所まで歩き、事務所に置いてあった黄ばんだ大学ノートに、住所、氏名、水路を通る目的・・・云々を記入する。
 ノートをめくってみて、ゴムボートで川下りをしている人が、案外と多いのに気付く。

 大川津の分岐点から数キロメートル下ると、燕市に流れる中口川が、三条市に流れる信濃川から分流する。
 私はそのまま信濃川本流で、三条市の方に下る。

 正午を回って、風が次第に強くなってきた。
 水量が多いため、一面に三角波が立ち始めた。
 三角波で立ち上がった水がゴムボートの中に入りこんでくる。
 水を、かいだしながら、進む。

 食料品を手に入れるため、人家近くの川岸に、ボートを着ける。
 店で、食料と水を入手する。
 「台風が近づいているようだよ・・・」
 店の主人が新聞をみせながら教えてくれた。

 川下りはこれまでにして、台風を避けられそうな場所を捜し歩く。
 川から少し離れた今井という所に、無人の神社を見つけた。
 川原に戻り、ゴムボートの空気を抜く。
 ボートと荷物を頭陀袋にいれ、振り分けに担ぎ、神社まで歩く。

 無人の神社の境内にテントを張る。
 風が強くなったら、テントをたたみ、無人の神社の本堂に篭るつもりであった。
 
 夜になって、風がひとしお強くなった。
 神社を取り囲む鎮守の森が、大きな音をたててざわめいている。

     初嵐 旅や鎮守の 森に居て       昶

 信濃川下り第十一日目が過ぎた。

信濃川下り記第10日目(7月27日・土曜・晴れ)

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川下り に参加中!
フランス・リヨン・ソーヌ河






















 (注・・・上記写真は川下りとは何の関係も無い、フランスリヨンのソーヌ河。)

 早朝、テントをたたみ、荷物を頭陀袋に詰めて、ゴムボートに積み込む。
 ボートで川を下りながら、昨日残しておいた小玉スイカの半分を、朝食代わりに食べる。

 粘板岩でできた川岸の所々に小さな穴が開いている場所があった。
 その穴から水がちょろちょろと流れ出している。
 地下水が川に流れ出しているのだろう。

 川の流れがゆるやかな所に出た。
 川面に、青い空と白い雲、木々の緑が映っている。
 まるで、湖の上を漕いでいるような気分になる。

 岩に囲まれた深い澱みで、子供達が、潜って、銛で鮎をついている。
 流れるゴムボートの下を格好の隠れ家と思ったのか、鮎の群れが、鱗を光らせて、右往左往しながらついて来る。

 魚野川が信濃川に流れ込んでいるあたりから、川の流れが急に速くなった。
 川下りを始めて、今日で丁度十日目になる。
 少しくらいの急流では、もう驚かない。
 オールをボートに引き上げて、ボートを川の流れに任す。
 川底の小石が飛ぶように後ろに動いていく。

 ボートを流れの中央に乗せる。
 ボートに寝転んで空を見上げる。
 ボートの底のゴムを介して、川の水の冷たさが心地よい。

 牛ケ島では、今日が川開きであろうか?
 大人や子供達が大勢集まって、川の浅瀬に綱を張り回し、水泳場を作っていた。

 小千谷に架かる旭橋を過ぎた頃、はるか下流に黄色のゴムボートを見つけた。
 今回の川下りで、初めて出会ったゴムボートである。
 昨年、百八日かけて日本縦断徒歩旅行をしたときは、毎日のように、徒歩旅行者や自転車旅行者に出会ったものであった。
 さすがに、川下りはまだ一般的になってはいないらしい。

 北上している川が、東に急カーブしているところで、先行していたゴムボートが、遠心力で岸に押し付けられている間に、私のゴムボートが追いこしてしまった。
 私のゴムボートと同じ大きさの三、四人乗り用のゴムボートに二人の若者が乗り込んでいる。
 流れに乗った私のボートは、瞬く間に彼等のボートを引き離した。
 技量の差というよりも、二人乗り込んだボートは重く、二人がかりで漕いでも、なかなか前に進まない・・・というのが本当のところだろう。
 一人乗り込んだ私のボートは軽く、彼等のボートを置き去りにして、どんどん進む。
 二人が乗り込んだボートは、後方に白く霞んで、波に映える太陽の輝きの中に薄れて、やがて見えなくなった。

 午後三時三十分、越路橋の袂にボートを着ける。
 真夏の太陽は、まだ、中天に輝いているが、今日は、流れが速かったせいか、四十五キロメートル以上下っているので、ゆっくり過ごすことにした。
 橋から五百メートルくらい歩いたところに店を見つけ、食料と水を手に入れる。

 川原に戻って、テントを張れそうな場所にボートから荷物を降ろしていると、先程追い抜いた、二人乗りのゴムボートが、川を下ってきた。
 二人とも、上半身裸になって、必死で漕いでいる。(皆、頑張っているんだなー)

 夕暮れ時、川原の草を刈っていた人々が、刈り草に火を放ち始めた。
 白い煙があちこちに立ち昇り、川風に吹かれて、煙が緩やかに傾いた。
 のどかな夕景色である。

 川が赤紫色の靄に包まれて・・・
 遠くの山々が、その靄の中に溶け込み・・・
 その靄が次第に青紫色に移り変わり・・・
 やがて、夕闇の中に、星がまたたき始めた。

     柴焚きの 煙り薄れて 夕霞       昶

 信濃川下り第十日目が過ぎた。
 

信濃川下り記第9日目(7月26日・金曜・晴れ)

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川下り に参加中!
フランス・リヨン・ローヌ河






















 (注・・・上記写真は川下りとは何の関係も無い、フランスリヨンのローヌ河。)

 早朝、ゴムボートの空気を抜き、二十七キログラムの荷物と共に二つの頭陀袋に入れる。
 振り分け荷物にして肩に担ぎ、テントは背中に背負って、田の畦道をテクテク歩く。
 川沿いに道は無く、遠回りして行かなければ、ダムの下流に出られない。
 道行く人が訝しげな目で私を見る。

 やっとの思いで、ダムの下流にでてみると、石ころばかりで水が流れていない。
 荷物を川原に置いたまま、向こう岸まで歩いてみると、向こう岸よりに、申し訳程度の水溜りが、細々と続いていた。
 荷物を持って、水溜りの近くまで行く。
 ゴムボートに空気を入れて、出発する。

 水溜りでボートを漕いで、ボートが通れない細い急流は、ボートを担いで下流へ下ろす。
 この繰り返しで四、五キロメートルも下ると、やっと川らしい流れになった。

 太陽の熱でコンガリ焼けた体を、川に飛び込んで冷やす。
 ボートを流しながら、ボートの前を泳ぐ。
 泳ぎ疲れて、ゴムボートに這い登り、ボートは流れるにまかせ、一休みする。

 やがて、川幅の広いところへ出た。
 川の流れが、幾つもの水路に分かれて流れていく。
 中央を流れる水量の多そうな水路を行く。
 調子よく水路を漕ぎ下っていると、水路の出口に竹の囲いが見えた。
 鮎をとるためのやなであった。
 あわててボートから飛び降り、ボートを浅瀬に引き上げる。
 ウッカリ、ゴムボートでやなに突っ込めば、竹のスノコでボートは穴だらけになるであろう。
 引き上げた浅瀬の水深は、足首ほどしかなかったが、それでも、ボートは私を乗せて、川底の石に乗り上げながら進んで行った。

 午後四時近く、橋の袂にボートを着ける。
 食料と水筒の水を求めて、店を捜す。
 二キロメートル近く歩いて店をみつけた。
 一個百五十円の小玉スイカを抱えて戻る。

 ゴムボートに戻って地図を確認する。
 現在、飯山線の越後いわさわ駅の近くにいるらしいが、どうも、地形が地図と一致しない。
 太陽が傾いている方角を西とすれば、川が地図とは逆方向に流れている。
 しかし、この橋以外に、地図に橋がないのである。
 
 通りかかった人に尋ねると、この橋は、新しい国道と共に、最近になって作られたものだそうである。
 私の持っている地図には書かれていないが、二日城と木落を結ぶ橋だと言う。
 越後いわさわ駅の近くにある橋より、十キロメートルも上流であった。
 ちょっとガッカリしたが、今日はここにテントを張ることにした。

 夏の昼間は永く、太陽はまだ高い。
 だが、川下りは、日のあるうちに、テントを張るのが無難である。
 石ころを積み上げ、金網で覆った堤防の上にテントを張る。
 買ってきた小玉スイカを川の流れにつけて冷やす。

 夜になった。
 夜釣りをしているらしく、懐中電灯の光りがあちこちで動いているのが、テントの窓から見える。
 焚き火がたかれ、時折、ひそやかな談笑が風に乗って聞こえてくる。
 スイカも冷えた。
 川の水温よりも、はるかに冷たくなっているのは、スイカに被せていた濡れタオルの、蒸発熱によるものだろうか?
 今年初めてのスイカを二つに割って食べる。
 一個百五十円とは思えぬほど甘い。

 テントの屋根に、蛍が二匹とまっている。
 ぼんやりと青く光っているのが、テントの中から見える。

     草枕 蛍と眠る 信濃川       昶
     文月の 蛍便りに 記(しる)すべく       昶

 信濃川下り第九日目が過ぎた。
 

信濃川下り記第8日目(7月25日・木曜・晴れ)

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川下り に参加中!
フランス・リヨン・ローヌ河






















 (注・・・上記写真は川下りとは何の関係も無い、フランスリヨンのローヌ河。)

 くねくねと曲がりくねって流れる千曲川は、宮野原発電所のダムの下流から、信濃川とその名を変える。
 朝、その宮野原発電所のダムの下流にボートを下ろす。
 ここからは、もう、信濃川である。

 ここでは、今までのダムと異なり、発電用に常に水を流しているため、ダムの下流でも、ゴムボートで行ける程度の水は流れていた。
 橋を捜しながら、元気一杯、漕ぎ下る。
 今井と足滝を結ぶ橋の袂にボートを着ける。
 食料品と水筒の水を調達するため、橋の近辺で店を捜す。

 店で、食料品と、水筒に満杯の水を調達する。
 ここより下流に、危険な場所があるかどうか、店の親父さんに聞いてみた。
 「三十キロメートル下流にダムがあるよ、人に聞きながら行けばすぐ判るよ。」
 「それより、中津川との合流点があるが・・・あれは難所だよ。」
 「千曲川もいろいろ見てきたが、あそこほどの難所は、まず、他にはないだろうよ」
 
 「ありがとうございました」
 「いやー、気をつけて行きなよ」

 地図で調べてみると、なるほど、岩だらけであることを示す記号が記入してある。
 恐る恐るボートを進めていくと、大小の岩が累々と転がっている川原に出た。
 中津川の流れが、その大小の岩の間から、ちょろちょろと、信濃川に流れ込んでいる。
 ただそれだけであった。
 恐らく、水量が多ければ、あの大小さまざまの石が、複雑な流れを作り出し、一大難所となるのであろう。
 今は水量が少ない。
 簡単に、何事も無く通り過ぎてしまった。

 中津川との合流点から数キロメートル下流に、清津川との合流点があったが、ここも同じように簡単に通り過ぎた。
 清津川との合流点を過ぎた所に、鉄橋が架かっている。
 その鉄橋の下の流れに、白波が見えた。
 響いてくる波の音から判断すると、相当の急流らしい。
 ボートを岸に着けて、白波が立っている場所まで調査に行く。

 曲がり角が、落差二メートル近い急流になっていた。
 岩にぶつかった水が白く泡立ち、下流に白く濁った波を立てている。
 曲がり角の内側は急流が渦を巻き、その下流ではもくもくと、底から砂混じりの水が吹き上がっている。

 カーブした急流では、最初から中央の流れに乗っていくと、カーブで遠心力によって外側に投げ出され、、岩にぶつかるか、岩に押し付けられて、逆流に巻き込まれる恐れがある。
 このような場合は、内側から流れに乗り、カーブのあたりで、遠心力で中央の水流に乗るようにすれば、何とか、通れそうである。
 水はかぶるだろうが、それくらいは仕方あるまい。

 ゴムボートに戻って、流れに漕ぎ出す。
 近くで水遊びしていた子供達が、全員、走り寄ってきた。
 釣りをしている大人達も全員が注視している。
 全員が見守っている中、必死でボートをコントロールする。
 計画通りの水路を通って、何とか急流を乗り切ったとき、走りよって来た子供の一人が、他の子供に大声で言った。
 「チェッ、ひっくり返らないジャー」

 川下りを始めて、今日で八日目である。
 この程度の急流を下るには、オール一本あれば十分なんだゾ・・・と心の中で見得を切る。
 もっとも、急流は、二本のオールを使うより、オール一本の方がやり易い。

 午後三時過ぎ、店の親父さんが話してくれたダムのすぐ近くにたどり着いた。
 小学生が数名泳いでいたが、ボートを見ると、全員が私の方へ泳いできた。
 彼らは、まるで河童のように泳ぐ。
 皆で、ボートに乗って遊ぶ。
 ボートを漕いだり、ボートから水に飛び込んだり・・・

 ひとしきりゴムボートで遊んだ後、ボートを岸に引き上げる。
 子供達も、遊びつかれて家路についた。
 小高くなった川原に草むらを見つけ、その上にテントを張る。

 テントの外に、グランドシートを敷き、その上に寝転んで、暗くなるまで、本を読む。
 昨日、「自分はもう、見終わったから・・・」と、大滝ダムで見送ってくれた青年が、私に贈ってくれた川端康成全集である。

 太陽が沈み、星が輝きだすまで、グランドシートの上に寝転んで過ごす。
 川風が涼しい。
 不思議に、蚊が一匹も飛んでこない。

     本を読む 川風涼しき 夏の夕       昶

 信濃川下り第八日目が過ぎた。

信濃川下り記第7日目(7月24日・水曜・晴れ後曇り)

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リヨン・ローヌ河>






















 (注・・・上記写真は川下りとは何の関係も無い、フランスリヨンのローヌ河。)

 朝、人が呼ぶ声で目を覚ます。
 昨日語り合った青年が、見送りに来てくれたのだ。
 テントをたたんで出発の準備をする。

 大滝ダムの下流まで、荷物とゴムボートを運ぶ。
 青年が手伝ってくれたので、一回で運ぶことができた。
 
 青年に見送られながら、さっそうとボートに乗り込み、千曲川を漕ぎ下る・・・
 というような具合にはいかなかった。
 大滝ダムの下流は、ダムに堰き止められて、水はまったく流れていなかったのである。
 岩だらけの川床に、水溜りが続いているだけであった。

 それでも、水溜りの端にボートを下ろし、ちょこっと漕ぐ。
 水溜りが尽きると、ボートを担ぎ、次の水溜りにボートを下ろしてちょこっと漕ぐ。
 これを繰り返しながら、数キロメートルも下った頃、やっと水量も増えて、ボートで漕ぎ下れるようになった。

 地図で見ると、千曲川に沿って走っている飯山線の横倉駅の近くに、急流を示す矢印が書かれている。
 その近辺は、急な崖の記号が記されており、難所のように見えた。
 遠くから瀬音が聞こえてくる度に、ボートを岸に付けて、高いところによじ登り、先方を偵察する。
 だが、地図に急流の記号が記された場所は、ちょっとした白波が立っていた程度で、たいした急流も無く、通り過ぎることができた。

 夕暮れちかくになって、空模様がわるくなった。
 宮野原橋の袂にボートをつけて、テントを張る場所を捜す。
 だが、近くに良い場所が見当たらず、先へ進む。

 宮野原橋の下流は岩だらけであった。
 その岩にボートがぶつかり、川に落ちそうになった荷物をあわてて支えた際に、オールを川に流してしまった。
 一本しかない虎の子のオールである。
 あわててボートから飛び降り、腰まで水につかりながら、オールを追っかけて拾い上げる。

 十数メートル位続いた岩床が尽きると、テントを張れそうな川原があった。
 川原が広ければ、突然水嵩が増える危険は少ないが、ここは、山間の谷である。
 上流にちょっと雨が降っただけで、水嵩は急激に増えるであろう。
 テントを張るかどうか迷う。
 だが、大滝ダムの水量では、上流に少しぐらいの雨が降っても、放流はしないだろうと考えて、テントを張ることにした。
 万一を考えて、逃げ道に近い、できるだけ高い位置にテントを張り、川原から道路へ上がる階段まで、ゴムボートを引き上げる。
 宮野原橋を通る人々が、川原に張ったテントを、珍しげに眺めている。

 昨日、日焼けにより、手足に吹き出した無数の水膨れは、お互いにくっ付きあって、今日は直径二、三センチメートル大に成長している。
 つぶすと、皮膚が、ずるりと剥けた。
 無理も無い。
 なにしろ、半袖シャツに半ズボンで、真夏の太陽の中に終日座り込んでいるのだから。

 夜、パラパラとテントを叩く雨音に飛び起きる。
 テントの窓から外を眺めると、黒雲が急速に流れ、雲間に星がまたたいている。
 雨はすぐに止んだ。
 この分なら、大丈夫であろう。

     川下る 自信深めし 日焼けかな       昶

 信濃川下り第七日目が過ぎた。 

信濃川下り記第6日目(7月23日・火曜・晴れ)

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千曲川






















 (注)上記写真は絵葉書を使用したものですので、複写はご遠慮願います。)

 谷あいの日の出は遅い。
 周りが明るくなって目を覚ましたときには、時計の針は、すでに八時を回っていた。
 谷あいの狭い空だが、雲ひとつ無い上天気である。
 朝食のパンを食べながら、地図を調べる。
 今いる場所は、古牧の近くの城山の麓であった。
 ’中野’の地図によると、川はこの先すぐに平野に流れ込み、昨日乗りきったような急流はなさそうである。
 
 ボートを川に押し出す。
 しばらく漕いだところで、川の流れは、谷あいから平野へと代わっていった。
 丁度、川が平野に流れ出したところに、地図には書いてない橋があった。

 食料品を買うために、ボートを橋の袂に着ける。 
 店を捜して、食料品を購入し、水筒に水を入れてもらう。
 下流に、ダムや急流など、危険な場所があるかどうか、店の親父さんに聞いてみた。
 「そうだな・・・、約二十キロメートル下流に大滝ダムがあるよ」
 残念ながら、この大滝ダムが記載されているはずの'飯山’の地図も、東京の地図専門店で入手できなかったものの一枚である。
 聞くところによると、大滝ダムというのは相当大きなダムらしい。
 
 用心しながら漕ぎ下る。
 岸で釣りをしている人がいれば、その都度、大滝ダムまでの距離を尋ねながら進む。
 「近づけばすぐに判るよ・・・、堰堤が遠くから見えるし、水の色が緑色に変わるから・・・」
 
 漕げども漕げども、大滝ダムは見えてこない。
 川の水は、先程から緑色に変わっているが、ダムの堤防など、どこにも見えない。
 やっと大滝ダムの堤防が見え出したのは、午後の三時過ぎであった。
 大滝ダムの堤防は、まだはるか向こうに離れているのに、水は濃い緑色に澱み、流れはマッタク無い。
 岸に上がれる場所を捜しながら、岸沿いにユックリと漕いでいく。

 ダムに小さい川が流れ込んでいる場所があった。
 その小川沿いに、岸にボートを引き上げる。
 今日はこれまでにして、テントを張る場所を捜す。
 近くに、丁度テントを張れそうな空き地があった。
 草むらの中に、石のお地蔵さんが七体並んでいる。
 どうやら、見捨てられた、古いお墓のようであるが・・・
 ま、イイカ・・・

 夕食と水筒の水を仕入れに、店を捜す。
 店のおかみさんが、威勢良く私に話しかけてきた。

 「あんた、その格好じゃ、山かね? 川かね?」
 「ゴムボートで川下りです。」
 「つい先日も、大滝ダムの下から、三人連れがゴムボートで下って行ったけど、あんた何人連れ?」
 「一人で川下りしてます。」
 「まぁ、一人でやろうという、その心意気がいいわねぇ・・・」
 「食事はどうしてるの? 泊まる所は?」
 「テントで野営です。食料はパンと果物、水筒の水・・・」
 「ちょっと待ってて・・・」

 奥でごそごそやっていたが、すぐにお握りをもって現れた。
 「川下りはお腹がすくでしょうから・・・」
 感謝して、ありがたく頂くことにする。

 夕暮れ時、大滝ダムの堤防近くを散歩していると、一人の青年に出合った。
 彼は、ダムの修理に従事しているとのことで、あちこちのダムや山の話を聞く。
 暗くなってきたので、蚊を避けるため、テントの中に入って話す。
 夜、九時まで、コカコーラを飲みながら語り合った。
 「ビールは好きだが、明日は早くから仕事があるから・・・」と彼が持ってきてくれたコーラである。

 昨日、赤く腫上っていた手足に、今日は、火傷の火ぶくれに似た水疱がブツブツと一面に吹き出ている。
 日焼けである。
 特殊な病気などでなくてホッとする。

 夕方から曇り始めていた空に、雲が流れ、雲の合間に星が二つ三つ輝いている。

     ダム近し 緑に澱む 夏の川     昶

 信濃川下り第六日目が過ぎた。

 

信濃川下り記第5日目(7月22日・月曜・晴れ)

ブログネタ
川下り に参加中!
千曲川






















 (上記写真は絵葉書を使用しましたので、複写はご遠慮願います。)

 午前四時過ぎ、目を覚ます。
 テントをたたんで出発の準備をする。
 隣の自動車旅行者のテントは静まり返り、まだ寝ているらしい。
 挨拶抜きで、黙って出発することにした。

 川岸から川を見る景色と、川のボートの中から川岸を見る景色とでは、その景色は、驚くほど異なる。
 川を流れていくボートから見る、朝霧に霞む岸辺の景色は、ひときわ、美しい。
 
 コンクリートの橋桁の下を、ボートから見上げると、ツバメの巣が隙間無く並んでいる。
 無数のツバメが、忙しそうに飛び交っている。
 大きく育っている雛が頭をそろえて、巣から、私のボートを見守っている・・・ように思われる。

 石ころだらけだった川原が、下流に下るにつれて、草が繁る土手に変わってきた。
 その生い茂る草むらから、突然、水鳥の群れがいっせいに飛び立った。
 水音さえ遠慮がちの朝霧の中で、水鳥の群れが飛び立つ羽音は、破壊的な音響で・・・
 ビックリして、呆然と水鳥の群れが飛び立つさまを眺める。
 水鳥の群れも、朝霧の中からこっそり忍び寄ってきた黄色いゴムボートに、ビックリしたのであろうが・・・

 長野市に近づくと、川幅は更に広くなり、いたる所に採砂場がみられるようになってきた。
 千曲川と犀川との合流点が近い。
 二つの流れが合流する所では、水流が複雑にからみ合い、強烈な波が発生する。
 小さな分流が、本流に流れ込んでいる場所でさえ、今まで、何度も水をかぶってきた。
 ましてや、大河の千曲川と犀川が合流するのである。
 その合流波の破壊力は推して知るべし・・・
 気を引き締めて、用心しながら漕ぎ下る。
 
 山で地図を読むのはそれほど難しいことではない。
 山、川、谷、道路等、地図を構成する要素は、すべて手に取るように見えるからである。
 だが、ゴムボートに座り込んで川を下る場合は、そうは行かない。
 ゴムボートから見えるものと言えば、岸の土手と空ばかりである。
 地図の要素は、橋と高圧電線・・・あるとすればだが・・・くらいである。
 しかも、私が所持している五万分の一の地図は、国土地理院の、’昭和二十三年空中撮影による’ものであった。
 もちろん、川下りに出発する直前に、地図の専門店で購入したものである。

 地図が読み難い上に、なにしろ、肝心の地図が古いのである。
 地図にない橋や高圧線が、実際にはいくらも追加されているのであろう。
 地図ではそろそろ犀川と千曲川との合流点にかかるはずであるが・・・
 いくら漕げども、犀川と千曲川との合流地点に行き着かない。 
 とうとう、自分が今いる場所がすっかり判らなくなってしまった。

 橋があったので、橋の袂にボートを着ける。
 店を捜して、食料を買い、水筒に水を入れてもらう。
 店の親父さんに地図を見せて聞いてみると、もうとっくに合流点を通り過ぎてしまっていた。
 水量が少なくなっていたため、広々とした川原で、本流に流れ込んできた細々とした犀川の流れを、分流と勘違いしてしまったものらしい。

 ’長野’の地図をしまう。
 次は’須坂’の地図であるが、東京の地図専門店でも、在庫無しで、入手できなかった数枚の地図の一つである。
 仕方なく、一つ先の’中野’の地図を準備する。

 快調に漕ぎ続けて午後になった。
 オールを置いて、ボートを流す・・・一休みである。
 昼食のパンを齧りながら、のんびり景色を眺めていると・・・
 岸が徐々に草地から岩山に変わっていった。
 その岩が切り立った崖に変わり、その崖が急に狭くなった。
 あわてて地図を確認する。
 立ケ花から古牧まで、およそ十キロメートル近くも、崖が続いている。

 今まで、広い川幅を流れていた多量の水が、両岸を高い崖で囲まれた峡谷に流れ込むと・・・
 川下り始まって以来の難所ではあるまいか?
 地図をしまい、覚悟を決めて、急流にボートを乗り入れる。
 流れの弱い岸辺沿いに行こうものなら、岸の岩に押し付けられて身動きとれなくなるか、岩に叩きつけられて転覆するか・・・
 このようなときは、川の中央を流れる本流に乗っていくのが安全である。

 急流であるが、白波が立っていない。
 普通であれば、川底の岩に当たって砕け散る白波が、ここでは、水量が多いため水上に出てこないのだ。
 そのかわり、ものすごいうねりとなってボートを揺する。
 普通であれば、「ザザザザ・・・」と聞こえる水の音が、ここでは「ドボボボ・・・」と聞こえる。

 急流を抜けると、澱みにでた。
 水深は、相当深いようだ・・・
 急流から澱みに流れ込んだ大量の水が、澱みの底に潜り込む。
 底流となって澱みの底を流れ、澱みのはるか下流で、モクモクと水面に上昇する。
 まるで海坊主(存在するとすればだが・・・)の如く、あちこちに、水の小山がモクモク湧きあがるのである。
 この海坊主の如き水の小山の上にボートが載ると、、オールの抵抗がスッとなくなる。
 思わず、体のバランスが崩れそうになる。

 川幅が少し広がり、逆巻く白い波頭が、危険な岩が水中に隠れていることを教えてくれるような場所に出た。
 谷あいの日暮れは早い。
 太陽が岸の崖上に沈もうとして、空が一際赤く染まる時刻・・・
 風が強く吹き始めた。
 この流れの中で、軽いゴムボートが流れに反して、上流に押し戻されるほどの風であった。

 テントを張れそうな場所を捜しながら漕ぎ下る。
 少し川幅が広くなったとは言え、なにしろ、両岸は切り立った崖である。
 テントを張れそうな、開けた場所は見当たらない。

 やっと、川岸に、岩でできた空き地を見つけた。
 川岸の崖の中断を国道が通っており、その国道に、岩の空き地から階段が設けられていた。
 このような谷あいでは、川の上流に少しでも雨が降れば、またたくまに水嵩が増すであろう。
 すぐ退避できるように、高い階段のすぐ傍にテントを張る。

 両岸が崖で風が通りにくい場所である。
 むせかえるような暑熱と、蚊の大群が襲い掛かってきた。
 暑さをこらえて、テントに入る。
 テントの中に入れば、少なくとも、蚊の大群から逃げることはできる。

 日は沈んでしまったが、蝉はいつまでも鳴き続けている。
 谷川の近くなのに、いつまでも温度は下がらない。
 昨晩から調子が悪かった手足が、赤く腫上ってきた。

 明日も快晴であろう・・・テントの窓から星が見える。

     汗流る 千曲も澱む 蝉時雨       昶

 信濃川下り第五日目が過ぎた。
 

信濃川下り記第4日目(7月21日・日曜・晴れ)

ブログネタ
川下り に参加中!
千曲川






















 (注・・・上記写真は絵葉書を利用したものにつき、複写はご遠慮願います。) 
 
 朝、テントをたたみ、荷物を纏めて、ゴムボートに載せる。
 昨日に較べ、川の水位が著しく下がっている。
 テントを張っていた場所から流れまで、一メートル程度も陸地が増えていた。
 昨日、本流から分かれて流れていた分流が、今日は枯れ川になっている。
 梅雨があけ、本格的な夏が訪れたのだ。

 結局のところ、昨日までの川の流れは、梅雨による増水の結果であった。
 今日の川の流れが、普通の千曲川の状態であろう。
 漕ぎ下って行くと、川底は岩から小石に代わり、急に水が落ちる堰もなくなった。
 川が山間から平野に流れ込んだ結果である。

 本格的な鮎釣りの季節になった。
 今日は日曜日のせいか、特に釣り人が多い。
 川岸には、延々と自動車が駐車している。
 川幅が広くなったとはいえ、流れに入って、川の両岸から、長い竿を差し出しているのである。
 釣り糸にかからぬよう、必死でボートを操る。
 ゴムボートにウッカリ釣針でもかけようものなら、ゴムボートはパンクしてしまうだろう。

 釣り人が少ないときは・・・
 「すみませーん、通して下さーい」と呼びかけて、竿を上げてもらえるが・・・
 今日のように多いと、ボートを岸に上げて、荷物と共に担いで、下流まで歩いて運ばなければならない。

 釣り人の態度で、町が近いか遠いかが判る。
 人里離れたところでは、釣り人は快く手を振りながら、竿を上げてくれた。
 町が近づくと、「馬鹿やろう!」と怒鳴られることが多くなる。

 午後三時、篠ノ井橋のたもとで、岸にボートを引き上げた。
 橋の上に上がり、店屋を捜して、食料品を買い込み、水筒に水をつめてもらう。
 ゴムボートを引き上げた所に戻ってみると、数人の子供達がゴムボートの上で、飛んだり跳ねたりして遊んでいる。

 「このボート、おじさんの?」(おにいさんダロ!)
 「ああ、そうだよ」
 「どこから来たの?」
 「小諸からさ、ずっと上流の・・・」
 「どこまで行くの?」
 「新潟まで、川が海に流れ込むところまで行くんだよ」
 「どうやって帰ってくるの?」
 「もう帰ってこないよ、私の家は鹿児島だから・・・」
 「いいなア、こんなの欲しいなア・・・」

 手を振って見送ってくれる子供達を後にボートを出す。
 一時間ほど下ったところで、テントに適した川原を見つけ、ゴムボートを岸に引き上げた。
 いつものように、テントを張り、濡れた荷物を乾かす。
 このところ、流れが良くなったせいか、殆ど荷物を濡らさなくなった。

 夕暮れ時、近くで釣りをしていた人が、大きな鮒を二匹立て続けに釣り上げた。

 暗くなって、自動車が一台、川原に入ってきた。
 自動車から降りた人々が、川原にテントを張った。
 学生らしい三人連れが挨拶にきたので、色々旅の話をする。
 彼らは、自動車旅行の最中で、日本海沿いに青森まで旅行しているとのことであった。

 夜、寝袋に入ろうとして、なんとなく、手足が腫上っているような感じがした。
 それに、手足が熱を持っているようで、気持ちが良くない。
 ま、暑い毎日が続いているので、そのせいであろう・・・
 昨日の蚊の群れが、日本脳炎などにかかっていない健康な蚊であることを願いつつ、眠りにつく。

     子らと遊ぶ 千曲の川の 水涼し       昶

 信濃川下り第四日目が過ぎた。

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