我が住まいは…ハイデルベルク、クレーマーガッセ(小売屋横町)、フィア・ウント・ツヴァンツィッヒ(24番地)・・・
旧市街の中心のコーンマルクトから、バックパッカー達が零(こぼ)れ落ちてくる、ガッセ(小路)の端に位置している。
8月になった。
アテネから帰ったハイデルベルクの工場は、ウアラプの真っ最中。
経理担当のMO氏が家族と共に日本に引き上げ、又、工場は寂しくなった。
7月1日、日本に出張していた欧州総支配人が帰国し、久しぶりに工場に顔を出した。
早速、スタッフミーティングが行われた。
欧州にある我社の子会社の赤字は、日経に掲載されるまでに膨張していた。
本年度(1992年度)の赤字は18億円以下に、来年度は6億円以下に収めるように…との話であった。
どうやら、対策案として、そのような内容の話を、記者発表したらしいのである。
不要不急のKR御殿は、すでに完成してしまった…現在の我社には不似合いの大枚を投じて…当初の予算をはるかにオーバーしながら…
この不景気で、減らさなければならないはずの人員を、大幅に雇用してしまった…なんの成算もなく…ただドイツ人マネージャーの言うがままに…
さて…すでに膨れ上がってしまった必要経費を、どのようにすれば減らせるのか?
本来であれば、仕事を合理化することにより人員を減らし、不必要な建屋は他社に貸すなり、売却するなりして、必要経費を減らすのが経営の常識である。
ところが…この会社は総てに置いて、逆のことをやり続けてきたのである。
えつ!…「お前も、開発責任者だろう! 無責任なことを言うな!」…って?
そう、私も開発をまかされた責任者の一人である。
新機種が開発されても、それによって会社が儲からなければ何の意味もない。
だからこそ、なんとかしたかったのだ!
旧機種の在庫を生産するにあたって、在庫は最小限におさえるべきだと私は主張した。
だが、在庫は営業部と製造部の問題であり、設計はできるだけ早く新機種を開発するように…と言われただけであった。
私の予想通り、旧機種の在庫は、そのときから、ほとんど減ってはいない。
日々、その金利を払い続けなければならないのである。
設計人員を増やせ…とのドイツ人マネージャーの申し入れを、私は徹底的に断わり続けた。
毎日、激論を交わして、日本人の設計者が、心配して私に忠告したくらいである。
だが、KR社長は、私に一言の相談もなく、総ての設計人員の雇用契約書に、サインをしてしまったのである。
私は、開発責任者ではあるが、量産はドイツ人マネージャーの責任であるから…ということらしい。
KR御殿の建設にいたっては、話さえもなかったのである。
ある時のスタッフミーティングで、KR御殿を発注したから…と事後報告があっただけであった。
えつ!…「KR御殿って何だ?」…って?
「097・穴の開いた水袋・ハイデルベルク滞在記(HD1990年12月その1)」を参照してもらえばわかる。
工場には空き部屋がいくらでもあるのに、新しく建てた部品庫兼事務所である。
噂によると、120万ドイツマルク(約8400万円)近くの予算で着工して、予算をはるかに超えて、1億円をはるかに越えた価格で完成したものであった。
このような状況になる前であれば、なんとかなったかもしれぬ。
だが、人員も建屋も膨れ上がってしまった現状では、打つ手はない。
膨れ上がった必要経費の金利だけでも、無視できない額なのである。
ましてや、毎月の増加する赤字によって、銀行からの借り入れ金利は上がる一方なのだ。
大型機種の開発は、止めた方が良いのではないか?
この大型機種の開発には、3億円近くの開発費がかかるであろう。
この開発は、ますます、欧州の会社の足を引っ張る結果にならないだろうか?
工場のドイツ人はすべて…現在敵対し始めた組合員を含めて…この大型機の開発に期待している。
このハイデルベルクの工場は、大型機主体のユーザーが多いからであった。
だが…この7月8日、大型機を主体に販売していたスペインの代理店が販売不振で破綻した。
この会社の今年度における販売予測は大型機が大きな割合を占めていたのである。
そう、ここは女神アテネが見守るハイデルベルクの工場…
知恵、信仰、正義、農商業、天文、建築、美術工芸、音楽、そして城と街の守り神…アテネが守る工場である。
えつ!…「機械工業はその守る域の中に入っていない」…って?
そういえば…この工場は…初期の貨車の工場以来、3社の機械工業の会社が撤退し、我社は4社目の機械工業の会社である…けれど…
ラインの野に 陽は未だ落ちず 古都を歩く(いく) 昶