チャーリーのブログ

ビートルズ、ラグビー、武蔵浦和(埼玉県さいたま市)の話題など、最近の話題、ちょっと懐かしい話などを書いていきたいと思います。

2012年01月

同志社vs慶應 1985年1月6日 大学選手権決勝  ★★その4★★

さて、その後です。

このゲームが終わってから出た「ラグビーマガジン」の読者コーナーには、「あの決勝戦を録画した方、ダビングお願いします」という投稿が沢山載りました。当時はまだビデオデッキがそれほど普及しておらず(もちろんある家にはありましたが)、私の家にもありません。私も是非もう一度観たいと思っていましたがなかなか巡り合うことができず、再会したのは1998年に文藝春秋社から出たVHSでした。

迷わず購入し、やっとあの時の感動を再現できると大いに期待をして再生してみたところ、「こんなものだったっけ?」とがっかりしました。時間が過ぎる中で自分の中で勝手に神格化し、感銘を増幅してしまい、実際に実物に接してみると期待はずれということはあり得ることですが、こんなことなら買い求めなければ。。。。。とさえ思ったものです。一つ理由はありました。このビデオは何と後半が20分もカットされていたのです。ただ、それを差し引いても感動が薄いのは何故なのか? しばらく疑問でした。

それから数年して理由が分かりました。このビデオを持っている人から借りることができたのですが、こちらは迫力が違いました。文藝春秋のVHSはテレビ神奈川のもの、対してこちらはNHKの録画だったためです(当時友人と見たのはこのNHK版)。テレビ神奈川は今でもラグビーを中継してくれている大変ありがたいテレビ局なのですが、このゲームの映像に関しては、全体を俯瞰したものが多く、NHKに比べると選手やプレーのアップや、グランドレベルからのアングルが少なかったのです。これがインパクトの違いになっていたようです。

こうして15年以上たって、感動を再体験することができました。You TubeにUPしたのはこのNHKバージョンです。

これからも、感動できるゲームに出会いたいものです。


同志社vs慶應 1985年1月6日 大学選手権決勝 ★★その1★★

同志社vs慶應 1985年1月6日 大学選手権決勝 ★★その2★★

同志社vs慶應 1985年1月6日 大学選手権決勝 ★★その3★★

同志社vs慶應 1985年1月6日 大学選手権決勝  ★★その3★★

スローフォワード















このゲームは、その後も長く語り継がれるものとなりました。その理由はいくつかありますが、プレーについては次の2点でしょう。

仝緘37分の「幻のトライ」
スローフォワードの判定が非常に微妙だった上に、「たられば」承知で言うと、もしトライが認められていれば、飛び込んだ地点もゴールポストの横だったから、ゴールキックも成功した可能性が高く、ゲーム終盤慶應が押していたことも考慮すると、勝敗が逆になっていてもおかしくありませんでした。ボールはSH生田→SO浅田→CTB松永→FB村井と渡り、松永が村井に出したパスが、村井のやや前を走っていた市瀬に対するものとレフリーが錯覚したのではないか? スローフォワードを取ったのはそもそも浅田→松永のパスだったのでは? など諸説あります。

∧振兮僚80.3kgの慶應FWが90.6kgの同志社を押しまくったこと
なぜあれだけ押すことができたのか、興味深い点です。慶應フロントローの3人は、ゲーム序盤から同志社の1列の押しが意外に弱いと感じてはいたようです。その後同志社の2番と3番が入れ替わってからはそれほど押せなくなりましたが、スクラムは最後まで慶應優勢でした。理由は慶應FWの気合と練習の賜物と説明するしかないかもしれません。現在のラグビー中継でも、平均体重差が5kg差くらいまでなら、解説者は「スクラムの強弱に体重はあまり関係なくパックが重要です」と説明するのが一種の定番ですが、10kg違ってくると流石にこの説明は聞かれません。反則数は同志社13-3慶應だったことからも、スクラムのみならず、FWがプレッシャーをかけたことが分かります。

上の2点に加えて、ゲームの流れもあります。圧倒的有利と思われていた同志社が、確かに序盤にポンポンと点を入れたものの、意外にも慶應が大健闘を見せ始め、最後には慶應が去年に続いて奇跡を起こすのでは? という期待が高まったところでゴールポスト横に同点トライ!と思ったら、これがスローフォワード判定で無効に。

前半は、友人といろいろ話ながらTVを見ていましたが、後半は慶應の鬼気迫る戦いに気圧され、二人とも言葉を発しなくなりました。

このゲーム、大方の予想では圧倒的に同志社有利で、同志社陣営も、「15点ぐらい差をつけたい」と語っていました。慶應がやっとのことで1点差で勝った早稲田を準決勝で27-7と一蹴しています。上田監督によれば、秋シーズンの慶明戦、早慶戦については選手を信頼してグランドに送り出すことができたが、このゲームだけは選手に「信頼する」という言葉ではなく「期待する」という言葉を使わざるを得ず、戦前勝算を聞かれても「歴史に残る勝負を見せる」としか答えられなかったとコメントしています。

負けはしましたけれども、約束どおり歴史に残る勝負を見せてくれました。

ノーサイドの後、もの凄い脱力感がありました。もし慶應が勝っていれば、これでラグビーを観るのを止めてしまったかも知れません。そんな感じでした。でも、勝っても負けてもこんなゲームを観てみたいと思いました。その後もラグビーを見続ける原動力になった試合でした。

その後ヨーロッパへの卒業旅行から帰ってきて出席した卒業式で、蹴球部(ラグビー部のこと)は、小泉体育賞の表彰を受け、松永主将が壇上に上がると大喝采が沸き起こったことを覚えています。

同志社vs慶應 1985年1月6日 大学選手権決勝 ★★その1★★

同志社vs慶應 1985年1月6日 大学選手権決勝 ★★その2★★

同志社vs慶應 1985年1月6日 大学選手権決勝 ★★その4★★


同志社vs慶應 1985年1月6日 大学選手権決勝  ★★その2★★

しばらく同志社有利の時間帯が続きましたが、同志社がオフサイドの反則を犯し、慶應SO浅田がPKを決め10-3とした頃から慶應の動きが良くなり始めます。慶應FWは同志社陣内でスクラムを押しまくり、この猛攻に同志社は立て続けに反則を犯します。しかし慶應は3回あったPKをことごとく外してしまいました。

後半も慶應の猛攻は続き、浅田がPKを決め、同志社10-6慶應と射程圏内に。ゲームのほとんどは同志社陣内です。時折同志社も鋭い反撃を見せ、平尾の突進からボールを受けた赤山が慶應陣深く入り込み、あわやトライかと思われるシーンもありましたが、逆サイドから走って来たWTB若林が「首の皮1枚」タックルでタッチに押し出します(動画では39分30秒あたり)。

そして問題の後半37分(動画では48分15秒あたり)。このプレーは「痛恨のスローフォワード」とか「幻のトライ」などと言われている非常に有名なシーンです。敵陣5mスクラムからのサインプレー、ボールはSH生田→SO浅田→CTB松永へ。さらに松永からパスを受けた村井がインゴールを陥れましたがこのパスがスローフォワードと判定されトライならず。上田監督によれば、その松永に春から何千回、何万回とパスの練習をさせ、寸分の狂いもなく同じところにパスを投げられるよう練習をさせたのはまさにあの状況、あのプレーを想定してのものだったといいます。それだけにこの判定は残念だったことでしょう。 

このスローフォワードの後も、慶應の攻撃は続きます。

市瀬がゆく、村井がゆく、松永がゆく。。。。。。。

ゲーム開始直後こそ、同志社の圧倒的な力に唖然としたものの、その後の攻撃を見るにつれ、もはやこの年の慶應には何か神がかり的なものが憑いているでは? と思い始め、ついにここまで来ました。ノーサイドまでは7分間。慶明戦、早慶戦に続く3回目の奇跡を期待してTV画面を見つめていました。

そのままスコアは動くことなくロスタイムに突入。

この時代のロスタイムというのはスリルがありました。特に僅差の場合、リードしている方は早く終わることを願い、負けている方はあと1プレイだけでもと祈るような気持ちになるものです。昨日の決勝:帝京vs天理はタイムキーパー制でしたが、ホーンが鳴ったら迷うことなく真横に蹴り出す、というのは少し味気ない気がします。

結局残念ながら3度目の奇跡は起こりませんでした。

その後の表彰式、同志社が史上初の3連覇を達成した歴史的瞬間です。トラックに横1列に並んだ両校選手、平尾主将代行が賞状を受け取ると大きな拍手が沸き起こります。慶應側では多くの選手が下を向いている中、松永主将が真っ先に拍手をして同志社を称えます。次に松永主将が賞状を受け取る番となりますが、胸中に去来したのはどのような想いだったのでしょう.........(つづく)

同志社vs慶應 1985年1月6日 大学選手権決勝 ★★その1★★

同志社vs慶應 1985年1月6日 大学選手権決勝 ★★その3★★

同志社vs慶應 1985年1月6日 大学選手権決勝 ★★その4★★


同志社vs慶應 1985年1月6日 大学選手権決勝  ★★その1★★



今シーズンも早いもので、大学ラグビーは決勝を残すのみとなりました。今年は早慶明が1校として年を越すことができず、長いことラグビーを見ている者としては少々寂しい正月です。

そんな寂しさも手伝い、暇に任せて昔のビデオを引っ張り出してきてYouTubeにUPしてみたりと、TV、レコーダーをガチャガチャ操作しながら、しばし80年代の空気に浸ってみました。録画を見てみるとやはり時代を感じます。秩父宮のスタンドの女の子の髪型やファッションが明らかに今と違う、とか番組の合間の懐かしいCMとか、ラグビーの映像が終わった後に出てくる四半世紀前の「消し忘れたサザエさん」などなど。。。。

その中に、今でも名勝負として語り継がれている27年前のゲームがありました。
1985年1月6日の決勝、同志社vs慶應 です。

当時私は大学4年。4年間所属していた運動部をようやく引退し、大学生活の中での非常に短い「自由な時間」を過ごしていた時期でした。

その日は朝から中学時代からの友人宅で、あーでもないこーでもないと、寝転がりながら多分いろいろなことを話していたのだと思います。友人宅とはいっても、彼の部屋だけは玄関を通らずに外から入れる構造になっており、昼夜を問わずよく転がり込んでいました。彼はサッカー部の所属でスポーツに詳しく、同じシーズンの慶明戦にも一緒に見に行きました。

決勝は、同志社vs慶應であることは知っていたものの、下馬評は圧倒的に同志社有利。時間になったから、まあ観て見ようかとTVのチャンネルを合わせました。逆転の慶應といわれた秋シーズンの快進撃(慶明戦は8-7、早慶戦では12-11で勝利での全勝優勝)には大いに胸を熱くしたものの、そうは言っても同志社には敵わないだろうと、慶應が勝利できるイメージは全く湧かず、国立競技場に足を運ぶこともなく要はあまり期待していなかった訳です。その後も含めて、決勝の下馬評がこれだけ一方に偏った年は無かったのではないでしょうか。

と、こうしてTV放送見始めました。案の定と言うべきか、開始早々に慶應は同志社SH児玉、CTB平尾らBK陣に簡単にディフェンス網を切り裂かれ、あっという間に10-0とリードされます。もともとFW優勢の上にカミソリのようなBKを持つ同志社に対し雑草集団慶應は一体何点取られてしまうのか? 勝負にならないのではないか?と暗澹たる気持ちだったことを覚えています.........(つづく)

同志社vs慶應 1985年1月6日 大学選手権決勝 ★★その2★★

同志社vs慶應 1985年1月6日 大学選手権決勝 ★★その3★★

同志社vs慶應 1985年1月6日 大学選手権決勝 ★★その4★★



正月

新年になったと思ったら、親戚周りやら初詣やらしている間に三が日が終わってしまいました。

今年は良い年になりますように。

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