
昔、実家でゼナと言うオス猫を飼っていた。
産まれた頃からひときわ目立った大きな泣き声、ぱっちりと張った腹、旺盛な食欲。健康ドリンクのCMのイメージから、母がゼナと名付けた。ゼナで元気、ゼナで元気。
世代交代はすぐだった。きじ猫のレオが君臨していた一家十数匹のボス的役割はすぐにゼナに奪われた。レオはゼナを嫌うように戸外に頻繁に出て行くようになり事故にあった。もともとの体質がそうさせるのか、レオの後ろ脚にできた傷は少し良くなったかと思えばまた膿んでを繰り返し、その度嫌なにおいがした。傷を舐めて黴菌が入ってしまわぬよう、それからレオは死ぬまでのほとんどを水色のエリザベスカラーをつけられて過ごすはめになった。
ゼナは白と黒のミックスでその白黒の具合、きっぱり分かれた様が素晴らしかった。黒い部分は限りなく黒く、白い部分は肌の薄桃色がうっすら透けて、外回りが日課の身であってもいつも丁寧に毛づくろいがされていてどこにも汚れや乱れがなかった。あんたもゼナを見習って髪の毛ちゃんと梳きなさいと母によく言われた。
澄んだ黄色い目に漆黒の瞳孔がひとすじ、真っ黒のアイライン。ぴんと固く張った黒いひげ。鼻と肉球は処女のような薄桃色。身はやはりパッチリ張って、抱くとずっしり重く、歩く後姿は歩くのに使う筋肉が見た目にわかるほどの筋肉質。まるで猫という生き物の皮をかぶった違う動物のようで、人も犬も猫もゼナが通り過ぎると一瞬見送ってしまうのだった。誰が見ても、ゼナは男前だと言った。母もわたしもそれは認めていた。父もそうだったはずだ。弟がどう思っていたかは知らない。異性のことについて話すのがお互い気恥ずかしい時期であったから、猫のことと言えども話しを避けたのかもしれない。
しばらくゼナを見かけないと思っていたら、ひょっこり毛を汚して少し痩せて帰ってきた。右耳は5ミリほど切れて、すでに傷は癒えて固まった跡。母が、ゼナは阿蘇の猫岳に行って帰ってきたのだと言った。そこには猫がすむ楽園、年老いた猫の終の棲家がある。まだ若いオス猫は度胸試しとして一度は猫岳を目指す。九州に住む若い血気盛んなオス猫が出くわす道中では常にファイティングの連続なのだろう。猫岳から無事帰って来れたオス猫だけが男の中の男。ファイティングのたびに増えるむこう傷や欠けた耳はむしろ勲章なのだと言う。ゼナが勇者だと思うと誇らしかった。漢と書いてゼナと読む、と弟とふざけて話したことを覚えている。その頃はすでに思春期を過ぎてそういう話も少しできるようになっていたし、ゼナで元気、と言うCMは前ほど見なくなっていた。
その後しばらくして、またゼナを見かけなくなった。母に、ゼナはまた猫岳に行ったのかな、と聞いてみると、さぁ恋女房でも追いかけて帰れなくなったんじゃないのと。結局ゼナとはそれっきり。
かたや国のビジネスを背負って立つジャイアントパンダのチュアンチュアンと、かたや半野良猫のゼナ、生まれも育ちも性格も、多分死に方も、全然違う二頭だけど、白と黒、特に黒い部分の艶々感がそっくりだ。不遜なところも。そして二頭ともその雄っぷりがとても似ている。だからなのか、チュアンチュアンを見るたび、ゼナを思い出す。
母が、ゼナは恋女房でも追いかけて帰れなくなったんじゃないのと言ったとき、わたしは自分の母ながら存外ドライなところがあるものだと驚いていた。しかし今となってはあれは母の希望であったのではないかとも思うようになった。冒険を終えて傷を作って帰ったオスがメスと出会い骨抜きにされ、どこか遠くの街まで追いかける。男は時々思い出して自分の武勇伝を語り出す、ほらまた始まったよと目配せしながらもにこにこ耳を傾ける妻と子。なんと暢気で幸せに満ちた生であろうか。
母は願わくばそうであって欲しいと望んだのであろうか、真意はわからないながらも母を少し見直しながらのむ酒は居心地悪くもうまい。しかし、レオのエリザベスカラーの少しくすんだ水色はパステルな黄色い毛にちっとも似合っていなかった。あれをもう少しどうにかしてやっても良かったのではないかともまた思ったりもする。
ゼナのお話、阿蘇の猫岳のお話
とても良かったです。男らしかったね、ゼナ。
私、ネコは苦手なんですよ。
でもゼナのように男を感じるネコだったら飼えたかもと思いました。
猫岳のボスになったから帰れなくなったのかも。