Mexico

2006年07月30日

アラン・ガルシア、ペルー大統領就任

4f0fc983.bmpアラン・ガルシア、ペルー大統領就任

28日、アラン・ガルシアがペルー大統領に就任した。前回(1985−1990)ガルシアが大統領だったときには、ペルーを経済的に破綻に導いた張本人として酷評された。貧困層の要求に応えた積極的な財政出動も、行政改革を伴わなかったため、景気サイクルを補完するものでなく逆に景気の山と谷の幅を大きくするものとなってしまった。しかも、無秩序な貨幣政策とあわせ、インフレは最大で8,000%となってしまった。更に、債務不履行。今回は、その反省を踏まえ、元財務次官で元BBVA役員のルイス・カランサを財務大臣に任命するなど、国際金融市場の反応にも配慮している。

5年間のトレド政権時代に、ペルーは平均成長率5%と経済が好調であった。特に2006年度の輸出は、3倍の220億ドルに伸びるものと予想されている。12ヶ月のインフレも1.8%に抑えられ、財政赤字も2001年のGDP比2.5%から1.8%に下がっている。

ガルシア大統領は、こうした経済成長から1300万人にのぼるペルーの貧困層が、恩恵を受けていないとして零細農向けクレジットの他、病院、道路、灌漑システムの整備を公約している。また鉱山事業及び漁業への増税を発表している。世界第4位の銅産出国であり、第5位の金産出国であること、そしてハント・オイル・カンパニーを中心とする外資との天然ガス契約見直しに活路を求めようと言うことである。また、積極的に米国との自由貿易協定を支持し、国内の680億ドル経済に外資を誘致することで成長を継続させる路線である。

ガルシア政権の舵取りの難しさは、大統領決選投票で47%もの票を集めた左翼かつ国家主義者のオジャンタ・ウマラ及び国会120議席中45議席を占めるウマラの政党に対抗して他の政党と同盟を組まねばならない点である。ガルシアの所属するアメリカ人民革命同盟党の議席数は、36議席であり、連立政権を組まざるを得ない。なお、ウマラは、チャべス及びカストロに心酔し、いわゆる南米の「資源ナショナリズムによる反米左翼主義」の急先鋒であるので、ガルシアの「穏当な外資を梃子にした経済成長持続と持続可能な所得分配路線」とは相容れない。




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2006年06月13日

メキシコ大統領選挙予測

c31e29c2.bmpメキシコ大統領選挙予測

7月2日は、何の日でしょうか。フランスの革命記念日には、まだ早いし、七夕でもない。それは、6年に一度のメキシコの大統領選挙日です。今回、僕がこの選挙で興味を持っている点をいくつか、ご紹介しながら、主要候補者の横顔をご紹介したいと思います。

今年は、中南米の選挙の当たり年です。既にコスタリカや、ペルー、ボリビア、コロンビアなどで大統領選挙及び国会議員選挙が行われました。米州自由貿易地域構想はおろか、南米にはコロンビアのウリベ大統領を除いて続々と左派政権が誕生しています。その多くは、資源ナショナリズムをあおっています。自国にある天然資源の国有化や、それらの資源をバーゲニング・パワーに使おうとするこれらの国々は、近年の原油高やインド・中国といった新興国のエネルギー需要により、交渉力を増しているかに見えます。更に、こうした国々をベネズエラのチャべス大統領が支援して反米勢力に傾けようとしています。

一方、中米やメキシコは基本的に親米政権が続いています。左派政権であっても、それは穏当なものです。中米は自国資源も少なく小国で、米国への依存度も南米に比べてはるかに高いことから、80年代を除き、反米政権は、ほとんど見られませんでした。しかし、今回のメキシコ選挙では、状況がやや変わりそうです。

現在、メキシコの大統領選挙に立候補しているうち、実質的に「候補」と呼べるのは、三人に絞られています。前回の選挙では、71年ぶりに与党の制度的革命党(PRI)が大統領選挙を落とし、国民行動党(PAN)の2メートル近い長躯と口ひげがトレードマークのビセンテ・フォックス大統領が就任しました。ちなみに、メキシコのPRIは、当時、世界規模で比較して、北朝鮮に次いで、一党が政権を独占する期間が長い政党でした。

今回の選挙で有力視されているのは、まず左派である民主革命党(PRD)のアンドレス・マヌアル・ロペス・オブラドール(頭文字をとってAMLOと呼ばれています。)です。元メキシコ市長のAMLOは、PRDの大統領候補として万全を期しての出馬となります。メキシコ市長として公約の実に80%を達成したとされています。選挙スローガンも「皆のための福祉、貧しい人を最初に」と、バリバリに左派の面目躍如といった感じです。

ただ、彼も左派の支持をすべて集めているわけではありません。たとえば、メキシコのゲリラ組織EZLNは、PRDを交渉相手とは認めないといい続けています。また、同じPRDの中の有力者で元大統領選挙候補者、前メキシコ市長であったカウテモック・カルデナスの支持を受けていません。

そして、もう一人の有力候補が、中道右派であるPANの元党首、元労働党大臣であるフェリップ・カルデロンです。PANの支持基盤は、カトリック保守層、富裕層、企業家などです。フェリップ・カルデロンは、候補によるスピーチで評判を高め、今年5月の選挙調査では、それまで首位であったAMLOをかわし、トップに立ちました。

また、凋落のPRIの候補者であるロベルト・マデラッソは、はるか後方の三番手につけていますが、まず彼自身の当選の目はないと見られています。そこで、彼は、PRDのAMLOなどに共闘の誘いをかけています。しかし、彼自身が政権に近づくことは、メキシコの進歩の針を悪い意味で逆回転させてしまうことになります。

まず、汚職。メキシコの中でも石油が取れるため、比較的裕福なタバスコ州の知事を務め、さまざまな手法で蓄財し、それを次の選挙に投入し、再選されるということを彼は繰り返してきました。彼の選挙キャンペーンは、派手なことで有名です。有名歌手のタリアのコンサートを開き、それを選挙キャンペーンに利用するなど、多額の金をつぎ込み、なんとクリントン大統領の選挙費用の倍の金額を毎回、選挙に投入していました。しかも、彼の知事としての給料は、小泉首相や英国のブレア首相をしのぐ約8,000万円です。そうした給料を決めるのは、州議会ですが、そこの議員の政治行動に影響を及ぼせるのも彼の資金動員力です。

そして、支持グループ。PRIの支持層は、公務員や農家を中心とした組合のメンバーです。また、地方の顔役や地主も古くからの支持層です。NAFTAによる貿易自由化や制度改革により、弱体化したものの今でも特に地方部では、根強い組織力を誇っています。まるで、どこかの国にそっくりです。

最後に、政治における今後の方向性。メキシコの成長と所得分配を高いレベルで達成する上で、国民の幅広い層に、社会参加、経済参加及び政治参加の機会を与えることが必要です。しかし、PRIやマドラッソの手法は、「透明なルールに基づいた競争」や「福祉による挑戦のための下地作り」といった理念がなく、ただ数と金にものをいわせて支配していくやり方です。

なお、国会議員選挙では、500人の下院議員(300人が小選挙区、200人が比例代表制)と128人の上院議員が選ばれます。ただ、現在も一党で絶対多数をとる政党がなく混沌としている状況は、あまり変わりそうにありません。

もし、今回の選挙で、AMLOが勝つようなことがあれば、米国としては中南米政策を大いに再考せねばならないと思います。もっとも、メキシコのホルヘ・カスタニェーダ元外務大臣も、本人が「私は左だ」と宣言するような人物だったのですが、育ちもよく教養も豊かで常識人でもあった彼は、米国の外交筋に十分受け入れられていました。おそらく、AMLOもチャべスのように拒絶されることはないと思います。


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2006年01月29日

メキシコからサンディエゴ、精巧かつ最長のドラッグ・トンネル発覚

c9e239ec.jpgメキシコからサンディエゴ、精巧かつ最長のドラッグ・トンネル発覚

先日(1月25日)、「ティファナの組織犯罪」でアレジャーノ=フェリックス・カルテルのことや、そこから派生した凶悪な性犯罪のことを書きました。ちょうど先週、ティファナからサンディエゴまで、最長かつ精巧なドラッグ輸送向けのトンネルが見つかりました。すでに米国とメキシコまでの間には、サンディエゴ−ティファナ間をはじめとしていくつものトンネルが、発見されています。もっとも多いのが、原始的な、ただ土を掘って、両地点をつないだものです。しかし今回、発見されたものは、コンクリートで固められるなど精巧な上に全長約730メートルの最長級で、大型なものなので、米国麻薬対策当局を中心に、特に問題視しています。
米国境警備当局は、アレジャーノ=フェリックス兄弟を中心とするカルテルまたは、同カルテルと対立する「El Chapo(でぶっちょ)」と呼ばれるホアキン=グスマン・ カルテルによるものと、見ています。米メディアによると、メキシコ側のトンネル入り口は空港近くの倉庫の中にあり、タテ穴を滑車で約15メートル下におりるようになっています。トンネルは照明や換気装置を備え、床はセメントで固めた精巧なつくりで、捜査官も驚くほどだった。内部からはマリフアナ2トンが見つかりました。
出口はサンディエゴの国境近くの産業地区にある2階建て倉庫にありました。大がかりなつくりから、警備当局はティフアナが拠点の麻薬組織が関与したとみていますが、武器なども運ばれた形跡がないか調べています。しかし、トンネルがいつ完成し、どのくらいの期間、使われていたのかは、わかっていません。2ヶ月前にテナントを借りた会社が、60ヶ月で200万ドルの破格の高額契約で、倉庫を借りたもののその会社の連絡先が、でたらめだったことから、その線で捜索を進めています。
9.11テロ以降、米・メキシコ国境は「テロリストの密入国ルートになりかねない」として米側が警戒。AP通信によると、テロ事件以降だけで22本のトンネルが見つかっています。 また、今月だけで、ティファナ−サンディエゴ間だけで4つのトンネルが、見つかっています。





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2006年01月25日

ティファナの組織的犯罪

b576f15c.jpgティファナの組織的犯罪

先日、母校で行なわれたメキシコの組織的犯罪に関するワークショップに参加しました。米国との国境沿いのティファナで、若い女性が次々に誘拐、レイプ、虐殺されている組織的犯罪の事例を追ったルポルタージュでした。

メキシコとラテンアメリカをこよなく愛する私としては、とても胸が痛む話ですが、米国とメキシコとの国境沿いが、治安が悪いというのは、隠し様のない事実です。ティファナだけでなくヌエボ・ラレドなどの国境沿いの町も治安悪化は、深刻です。偽造ビザ調査および治安悪化のため、米国総領事館が閉館してしまうほどだと言えば、その程が伝わるでしょうか。ティファナに関して言えば、アレジャーノ兄弟(写真参照)を中心といた麻薬流通をおさえているティファナ・カルテルの影響下にあります。

ところで、今回の一件が、興味深いのは、事件の輪の中に、外国人や日本企業も絡んでくるからです。犯罪の対象は、15歳から18歳の若年女性労働者です。彼女たちは、町の販売員だったり、マキラドーラ(保税加工区)と言われる輸出向け中間財・原料の輸入に優遇税制が与えられる外資誘致地区で働く女性だったりします。

マキラドーラで働く女性の場合、犯罪組織の手が、何と工場の中にまで、のびているのです。可愛くて愛嬌のある子達が、同僚または、上司から、まずポートレイトというのか、いろいろなポーズで写真を撮られます。そして、その写真が、その組織とコンタクトのある同僚を通じて、犯罪組織にまわり、獲物とされるのです。

誘拐される様子が、防犯カメラに映っているにも関わらず、警察は頼りになりません。逆に、被害者の家族が警察を呼んだら、婦人警官に母親がレイプされそうになったり、家族の父親が罪をでっち上げられて、拘留されてしまったりします。

組織的犯罪なので、怖くて誰にも手が出せません。少女の遺体を発見した男も、可哀想だとは言いながらも、それ以上の状況説明の質問に対しては、硬く口を閉ざします。

国家レベルの検察の「特別女性問題対策官」に任命された女性検察官も、無力です。テレビでは、質問に対して「これは、まったく組織的犯罪とは関係がない。変質者か、通り魔によるものでしかない。」として、まったく捜査を掘り下げようとはしません。

マスコミも、同様です。通報があったからという理由だけで、まったく違う顔の少女の写真を使って、誘拐された女の子が自宅に帰らないのは、彼氏と一緒に楽しく遊んでいるからだ、との画像を流します。

日本企業を含む外資は、どうでしょう。工場の中では、麻薬も流通していると言います。長時間労働の疲れから逃れるのに手を出すものも多いからだそうです。そして、多くの日本人スタッフは、上層部で日本からの派遣組です。こうした問題に取り組もうとするインセンティブが、彼らにわくのでしょうか。しかも、5年ほど前に、日本企業の副社長が誘拐、暗殺されている状況です。

政治家は、どうでしょう。実際に被害者の家族たちは、国会議員に訴えたそうです。しかし、逆に男を誘うような格好をしているから、そのような性犯罪にあうのだと、まったく取り合ってもらえなかったそうです。

国家レベルの政治家、検察、地元レベルの警察、マスコミ、職場の同僚、企業、発見者のうち、誰も助けてくれません。そのような状況で、被害者の家族は、まず団結して、被害を知らせることに取り組み始めました。手弁当でキャンペーンを張り、お互いの安全をお互いに助け合って。

唯一、彼らに救いの手を差し伸べてくれたのは、国際NGOでした。そして、その国際NGOからのプレッシャーで国際機関も反応し、メキシコ政府も取り組まざるを得なくなり、遺族に保証金を支払いました。ただし、メキシコの物価を考えても、被害者一人当たり、US$50と言うのは、あまりにも低い金額です。被害者の若い女性は、輪姦され、あらゆる穴を犯され、乳首を噛み千切られたうえで、虐殺されています。



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2005年05月09日

メキシコの公共機関

メキシコの公共機関

バス、地下鉄、ぺセロ(マイクロバス)そしてタクシー。メキシコシティーの公共機関は、予想以上に、発達しています。そして、何より、安い。どれも、50セントを越えることは、ありません。(タクシーの場合、初乗り料金が、50セント以下)バス、地下鉄は、メキシコ市当局によって、規制されており、料金体系は、明確です。しかし、タクシーとマイクロバスは、地元の「ボス」たちによって、運営されています。これらの「ボス」たちは、5−20台の車を所有し、貸し出した車のドライバーから、貸し賃を徴収します。ぺセロも、タクシーも、運転手は、車を使うのに、日銭を支払わねば、ならないのです。

2002年現在、タクシーの平均貸し賃は、25ドルでした。ぺセロに関しては、データが揃っていません。諸経費(ガソリン、保険、盗難、修理費)に関しては、車の所有者と運転手の力関係で、含まれるかどうか、決まります。

気になる安全性に関しては、運次第というのが、実情です。特に危険だという時間帯は、ありません。いつでも、何でも、起こりうるのです。しかし、常識があれば、トラブルに巻き込まれる確率を下げることは、できます。以下、公共機関での移動をより快適にするための秘訣をご紹介します。

(地下鉄)
メキシコ市の地下鉄は、いろいろな目的で使われています。ただの交通手段にとどまらないのです。物乞い、セミプロの歌手、零細商人が、地下鉄の車両を仕事場としています。売っている品物は、さまざまです。チューインガム10セント、メキシコ市の地図50セント、韓国製電池30セントなどが、車内を練り歩く商人によって、売られています。地下鉄に乗れば、毎日、異なる品物を極端に安い価格で売っているのを発見するでしょう。また、一般に思われているのとは、裏腹に、地下鉄は、タクシーよりも、よっぽど、安全と言えます。

(タクシー)
タクシーには、4種類が、あります。シティオ(要予約)、緑色のタクシー(環境に優しい)黄色のタクシー(環境に悪い、ただし、安い)そして、無免許の白タクです。

タクシーをもっとも安全に利用する方法は、「シティオ」と呼ばれるハイヤーを呼ぶことです。しかし、通常のタクシーより、はるかに高くつくのが、難点です。概して通常の3倍の料金を要求してきます。路上では、緑色と黄色のタクシーを捕まえられます。緑色のタクシーは、黄色のタクシーより、環境に優しいのですが、20%ほど、高い料金設定になっています。それは、緑色のタクシーが、より高価な無鉛ガソリンを使用しているためです。

多くのタクシーが、タクシーメーターを設置していますが、必ずしも、信頼に足りません。ドライバーによっては、規制された回転数よりも、早く回るようにして、より、多くの料金を請求することが、あります。こうしたことを防ぐためには、距離によって、大体の料金を把握して、乗車前に料金確認をして、運転手に、釘を刺しておく必要が、あります。

最後に、無免許の白タクと認可されたタクシーの見分け方をご紹介します。これは、プレートナンバーで、チェックできます。認可された安全なシティオのプレートは、必ず、「S」で、始まります。そして、どのプレートも、数字だけでアルファベットが、含まれていないものは、皆、不法タクシー(白タク)です。気をつけましょう。

(バス)
都市部のバスは、比較的安全ですが、中心部から、郊外へ向かうバスは、注意が、必要です。バスは、安い公共交通機関全体の中でも、とりわけ、安いです。しかし、バスの路線網は、十分に張り巡らされていません。小回りが利き、細かい路地もカバーするぺセロの方が、街を巡るのには、より一般的です。

(ぺセロ)
ぺセロ(マイクロバス)は、メキシコ人にとって、もっとも、なじみのある便利な移動手段です。距離によって、30セントから70セントの価格帯で料金を支払います。それぞれの車で、ユニークな内装と音楽を楽しめます。単に運転手の好みで、何千というのは、誇張だとしても、何百ものスタイルが、あります。おじいさんが、連れあいと一緒に、慎重に運転している車あり、若者が、街の女の子を冷やかしながら、がんがんに、流行のメキシコ音楽を鳴らしている車があり、といった状況です。また、あるものは、ばりばりの「ヘビメタ」といった趣であり、他には、「未来派」といった雰囲気のものも、あります。
 


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ドイツ人のルームメイト

ドイツ人のルームメイト

メキシコでの生活について語るとき、ドイツ人のルームメイトのことについて書かずには、いられない。皆、それぞれ、異なったキャラを持っていたけれども、誰もがもつようなステレオタイプなドイツ人のイメージをそのまま、代表していた。例えば、秩序志向、システィマティックなコントロール、そして論理的に整合性のある議論などである。僕たちは、日々の小さなことから、家のルールに至るまで、議論した。こうしたルールは、ときどき、行き過ぎた感は否めないものの、概してスムーズに守られた。こうした多文化の中での共同生活が、どう作用したのか、いくつかのエピソードをご紹介しようと思う。

僕のルームメイトは、皆、ドイツ人だった。僕らは、メキシコ国立自治大学に付属した外国人向けスペイン語語学学校で知り合った。この学校は、米州で、ペルーのリマ大学や、米国のハーバード大学と並ぶもっとも、古い歴史を持つ大学である。

僕らは、偶然、メキシコの伝統舞踊のクラスを一緒にとった。授業が、終わったときに、彼らは、僕をコロニアル風の一軒家を一緒にシェアしないかと、誘ってきた。僕は、最初は、それを断わった。というのも、僕は、メキシコに着いたときから世話をみてくれていた僕のホストファミリーに、とても満足していたからだ。安い家賃と、ロケーションのよさも、ホストファミリーと並び、僕が、気持ちよくすごせていた理由である。1995年時点で、1ヶ月の家賃が150ドルで、しかも、立地は、街の中心部であった。だから、彼らの誘いには、のれなかった。

彼らの家は、僕のところから、2−3ブロックのところにあった。家賃は、月一人当たり、225ドルに加え、家具なしの家だったので、家具購入費が、必要だった。ドイツ人の彼らは、クラシックな格好いい家具を買おうとしていたので、家具代のコストは、3500ドルにも上るとのことだった。それで、もう、とても話しに乗る気には、ならなかった。

しかし、2週間、断わり続けてきたにも関わらず、彼らは、執拗に、僕を誘った。あまりの誘いに、僕も彼らの家を一目見てみる気になった。間違いなくこの行動が、僕の人生を変えた、と言い切れる。即座に僕は、家に、ほれた。まさに、一目ぼれだった。素敵でシックで、おしゃれで、ひろびろとして。美しい庭は、ミカンの木に、鳥を集めていた。紫の「ハカランダ」の花は、日本の桜のように春を知らせる。屋内のライト、シンプルな樫の木のドア、アンティークな雰囲気のバスルームは、元の持ち主の良い趣味を反映していた。階段上のドーム型の大きいトップルーフからは、陽射しが、さんさんと差込み、家中を文字通り、明るくした。そして僕は、即座にこの家に住むことを決めていた。

(エピソード)
1. ルームメイト候補の選抜プロセス
引越しを決めた翌日に、彼らは、最後のお互いの合意のための面接をおこなった。彼らは、メキシコでどのような生活をしたいのかを語った。また、どうやって、家を管理したいのか、といくつかのルールも説明した。これらは、後で後述しようと思う。考え方は、筋が通っていたので、異論は、なかった。

話し合いが、うまくいった後、彼らは、写真とメモが添えられた、候補者リストなるものを見せてくれた。彼らは、面接までの過程を効率的にするために、リストを作成していた。もう、僕と住むことを決めた安心からか、彼らは、一緒に住む相手が、どんな人物を望ましいと思っていたか、また、どうやって、面接の準備をしたかを教えてくれた。リストは、とても、良くまとまっていてドイツのシステマティックな生産システムを思い起こさせた。候補者の写真は、学校で撮られ、それをリストに添付していた。身長、体重といった身体的特徴、性格、勉強の出来具合までそこには、記されていた。社交性も、見られていて、同一仕様のフォーマットにそれが、まとめられていた。10人の候補者が、リストには、載っていた。

ドイツ人の友人は、どうやって、候補者を選抜したかを教えてくれた。彼らは、どうしても、一人は、外国人の学生と住みたいと思っていたそうだ。なぜなら、ルームメイトが皆、ドイツ人であると、家でドイツ語を話してしまい、外国語の練習にならないからだ。なるほどと、思った。また、もし、ルームメイト一人一人が、それぞれの友人を週末に、家に連れてきたら、楽しそうだな、とも思った。

性別というのも、大事な話だった。もし、住人の性別が一緒だったら、風呂を浴びた後、自由に家中をパンツ一丁で、歩きまわれる。また、それぞれのルームメートに必要以上にかかわりこんでしまう面倒が起きる可能性も、より少ないであろう。僕は、このことを後に、新しいルームメイトを迎えたときに思い知ることになる。ひとりの女性と三人の男では、生活は、より、感情面で不安定なものに、なった。我々の魅力的な女の子は、何人かのルームメートをめろめろにし、彼女の彼氏は、そうした連中を嫉妬の鬼と化した。それは、とても、気持ちよいものでは、なかった。

他にも、大事な点は、いくつかあった。お金の出入り、基本的な頭のよさ、雰囲気などだ。ドイツ人の連中は、こうした要素を5段階評価していた。正直、僕は彼らが、こうしたリストを見せてくれたときに驚いた。でも、彼らは、決して、変なやつらだったわけではない。いいやつらだったし、皆、違った個性を持っていた。ウベは、大人で信用できるやつだった。彼は、リーダーシップをとって、家のことをうまく調整していた。ミハエルは、機械のように、きっちりした男だった。ドイツの生産システムでは、さぞかし、立派な設計者に、なることだろうと思っていたら、本当にそうなった。フォルカーは、典型的なプレイボーイだった。彼の甘い顔と、とろけるような甘い言葉は、メキシコの女の子を狂わせた。もっとも、こうした甘い言葉は、まったく責任感のかけらも感じさせないものでは、あったのだが。

2. ルール
ルームメート審査がえらく手が込んだものだった割に、ルールは、以下のように、とても、シンプルなものだった。
1) ドラッグ禁止
2) (家の前の)路上でアルコール禁止
3) ガールフレンドを家に呼ぶのは、まったく問題なし。(むしろ、いつでも大歓迎)
4) ルームメートのルームメートによるルームメートのためのルールであること
5) 大人として責任感ある態度をとること
こうしたルールは、筋が通っていたし、我々にとって、受け入れやすいものだった。実際、我々を窮屈にするような制限は、何もなかった。しかし、第4点は、少々、説明をしておきたい。ルームメートは、皆、男で、似たようなセンスを持っていた、といえる。シンプルで最低限の装飾、ベージュや白といった明るいモノトーンが、家のテーマカラーだった。もっとも大事なことは、皆が、それで、満足していたということだ。皆が心配していたのは、もし、誰かルームメートの知り合いのしかし、ルームメートでないものが、家の装飾に口を挟んで皆にとって、不愉快になってしまうことだった。だから、僕たちは、それぞれのルームメートが自分の部屋は勝手に装飾してかまわないけれど、家全体に関わることは、皆の合意が、要ることとした。

3. 共同備品の購入
前にも少し述べたけれども、家は、家具なしだった。だから、すべての家電品と家具を購入する必要があった。我々は、ソファ、机、テーブル、ガーデンチェア、本棚、ステレオ、TVセット、冷蔵庫などなどを購入した。しめて、3,500ドル。一人当たり、900ドルの負担である。更に、ベッドやテーブルといった各自の部屋の基本的な家具も、買わねばならなかった。我々は、家を各自が出るときに新しく入ってくるものから、その分の金額を徴収することで合意した。誰が、この家を出て行くときにも、新しくやってくるであろう人は、以下のような金額を払うことになる。

(デポジット)+(月ぎめの家賃)+(共同備品代 マイナス 減価償却)+ (各自の部屋の家具代)
(具体例:200ドル+220ドル+900ドル−300ドル+400ドル=1,420ドル)

こうして、われわれは、引越し前から、散財した。こうした大きな出費は、果たして次に住む住人をたやすく見つけられるのかどうか、大いに不安にした。これは、どうみたって、特に学生にとっては、小さな金額とは、言えない。いくら、彼らも、更に後からやってくる人から、お金を回収できるとはいえ、このコストは、高すぎるように思えた。

しかし、それは、杞憂に終わった。実際、新たなルームメートを見つけるのは、家が魅力的であるために、とてもたやすかった。また、我々は、去っていくルームメートの代わりを見つけるときに、いつも、大きなパーティーを企画した。これは、とてもよいやり方で、友好的で国際的な雰囲気の中で家を見せることが出来た。大体200人の人々がパーティーに訪れ、彼らは、皆、いい感じだった。どんなクラブでも、客をこんな風に寄せ付け、満足させることは出来ないと思う。パーティーが、とても、格好よかったので、多くの人が、家に住みたがった。


4. パーティー
我々のパーティーのサイズは、決して誇張では、ない。いつも、200人の客がパーティーに訪れていた。ルームメートは、皆、同じスペイン語学校で知り合ったけれども、それぞれ、違った職場や学校に通っていた。4人のルームメートのうち、各自が30人の友人を招待して、さらにそれらの友人が、彼らの周りの友人をパーティーに連れてきた。最初のパーティーの後は、人を集めるのは、本当に楽だった。パーティーの評判が、一人歩きして、労せずして、人が集まってきたからだ。

パーティーがうまくいったのには、いくつか、理由があると思う。まず、我々の家、それ自体が素晴らしかったこと。また、お金を取らないで、あふれんばかりのビールを用意したこと。メキシコでは、1本のビールが、小売で25セントである。もし、まとめて購入して卸向けの価格にしてもらえたら、1本のビールが、わずか10セントで買えてしまう。我々は、1500本のビールをパーティー用に買った。それでも、締めて150ドルである。トラックどころではなく、トレイラーが、うなりをあげてメキシコのビール工場から、家の前に到着した。6本パックでなく30本入りの箱ごとにビールが、庭に山のように積まれていった。

更に、パーティーの日の光景を僕は、忘れることが出来ない。いつも、何かのテーマをつけて、パーティーを開催していた。
ある日は、水着パーティーを行なった。レバノン人の芸術家が、最低限のコストで庭に想像上の海と大きな船を作り出すのを手助けしてくれた。ルームメートは、ラテンの親切さとアロハシャツでゲストにサービスした。他の日には、庭でコンサートを開いた。当時は、僕はメキシコのホテルのバーで、大学院で勉強する傍ら、日本人の歌手として歌っていた。僕のクラスメートや、パーティーの知り合い、バンドメンバー、ルームメートの友人らが、集まって音楽とパーティーを一緒に楽しんでくれた。

最後に、人が素晴らしかったことを挙げたい。200人が、パーティーにあつまっている様子を考えていただきたい。国籍の異なるいろいろな人と知り合えることが出来る。こうした人たちは、間接的に友人の友人として、つながっている。そして、どこか、そうした友人とつながる共通のものを持っている。皆がお互いに知っている狭い社会では、現実を離れて、クレージーに、はじけることは、ちょっと難しい。でも、200人のうち、10人しか、知らないうえに、そうした知らない人々が、皆いい人である空間。25以上の国籍、男女比は、半々。こうした状況では、パーティーで、「誰かいい人」を見つけるのは、たやすいことだった。

大使夫人が、ナイジェリア人と踊り、日本の女の子が、フランスの男の子とみかんの木の下で、キスをしていた。ドイツ人の化学者とチリの女性が、愛を議論していた。アメリカのカントリーマンが、アルメニアの女の子と一緒に酔っ払っていた。もっとも、大事なことは、皆が、ハッピーだったことだ。

こうして、ドイツ人の友人と美しいコロニアル風のメキシコの家は、僕の人生を楽しいものにしてくれた。彼らの生き方とマネージメントスキルは、とても目を見張るものだった。もっとも、意思決定の仕方に関しては、いささか、僕がなれたものとは、異なったけれども。家の外では、メキシコの文化を学び、メキシコの人たちが、毎日、どんな風に暮らしているのか、知ることが出来た。その一方で、ドイツ風というかヨーロッパ風の雰囲気が家で僕の周りを支配していた。今、僕は、ワシントンDCに住んでいる。こうした経験が、他の国の人たちとのコミュニケーションに大いに役立っている。


















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Cheel
ラテンアメリカ研究者。民間セクター開発専門家。趣味は歌・絵画・小説・旅行・スポーツ全般。5言語(英語、スペイン語、ポルトガル語、フランス語、日本語)を駆使して仕事を行う。現在アンゴラ、ルアンダ市在住。
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