紅鮭

2005年12月18日

紅鮭17(紅葉ふる夜11・解説)

2e7fb5e7.jpg紅鮭17(紅葉ふる夜11・解説)

「紅葉ふる夜」を10話完結いたしました。最初の予定とは異なった話の展開になっていきましたが、小説を書くというのは、こういう書き手の思いとは別に、話が進んでいくということがあるのを体験して面白いと思いました。

当初、自分の周囲の年上の女性(40歳代−50歳代)の何人かをモデルに、彼女たちが送っている個性的な人生の歩みを紹介して、源氏物語の頭中将と光源氏の「雨夜の品定め」よろしく主人公に「女性として」彼女たちの魅力を語らせようと思っていました。

実際、こうした年齢の女性は、かつては「おばさん」といったカテゴリーに分類されるだけで、その年代の女性の個性や魅力などは、ほとんど語られていませんでした。また、そうした人たちに対しての知的サービスも妻であること、または母であることに対しての本や記事の形ではあっても、一人の女性として細かく見たものは、とても少なかったと思います。

しかし、自分の周りを見渡しても、単に「いい人」と言う枠を超えて、恋愛の対象として魅力的な人たちがそうした年代で、何人もいます。そこでそうした女性の魅力を描こうと思い、この小説、「紅葉ふる夜」を書き始めました。しかし、そのうち、自分自身と周囲の女性の関係に興味が移っていきました。

年上でも年下でも同年代でも、幸い僕は、多くのいい女友達に恵まれています。与える関係であったり、与えられる関係であったり、教わる関係だったり、競い合う関係だったり、それぞれ異なる形で支えてもらっています。

その一方で、恋愛と言うのは、排他的な側面が強いと思います。社会的な信頼関係を犠牲にする不倫は、その最たるものですが、それ以外でも恋愛関係というのは、燃え上がると、仕事や友人や家族よりも優先されがちで、どんどん二人だけの世界に入っていく傾向があると思います。

そうやって、社会から離れていくことは、二人だけの恋愛を盛り上げます。しかし一方で、恋愛の寿命を短くもしています。少なくとも僕自身は、そうでした。社会から離れても完全に社会から離れて暮らすことは出来ません。仕事をしなければ、経済的に困ります。親子や友人といった関係を完全に二人が断って、一生を過ごすと言うのも、現実的ではありません。そうした無理が重なって恋愛に生きる二人を追い詰めていってしまうことが、よくあります。

今、僕が思うのは、恋愛よりもむしろ、この小説で示したような女友達との関係と言うのが、とても貴重だということです。会う回数自体が少なくても、または肉体的な関係を結んでいなくても、多様な関係をさまざまな女性と結び続けていることは、意味があります。
また、そうした女友達の一人一人は、僕の中で生き続けています。彼女たちの言葉が、僕の言葉となって発せられたり、彼女たちから学んだことが、まわりの他の方に対して再生産されたりします。

また、こうやって、異なる形での関係を多くの女性と結ぶことは、一人の恋愛相手に多くを望みすぎない、という意味でも恋愛を長続きさせやすくしていると思います。

ところで、小説で最後に、タカシが、「あなたをずっと待っていました。」と言って終わります。これが誰であったのか、というのは、実は誰でもいいのではないか、と思います。小説に登場してきた藍子、亜希子、園子の誰かでも良いし、その他の誰かでもいいと思います。憧れの人、思い焦がれている人というのは、たとえ具体的な誰か、の形をとっていたとしても現実に存在する誰か、と一緒だとは思いません。それは理想化された誰か、であり、その理想化には、女友達のすべての要素が含まれていると思うのです。

あと、一つだけお詫びをさせていただきます。「紅鮭14(紅葉ふる夜8・法務官僚藍子その2)」は、ほとんどある小説の要約のようなものになってしまいました。忙しかったとはいえ、盗作みたいな形で、文章の一部を書いてしまったのは、失敗だったと認めます。




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紅鮭16(紅葉ふる夜10・終章)

66b78264.jpg紅鮭16(紅葉ふる夜10・終章)

タカシは、寝台に固定されたまま2週間が過ぎていた。意識も回復せず、周囲の呼びかけにも反応しない状態が続き、家族と病院関係者があわただしくタカシの周囲をかけまわっていた。窓の外は、柿の丸みが夕焼けに照らされ、澄んだ空に煌々と深く底光りのする朱色の光を放っていた。

人生のスピードは、どこで加速度が増すか予想がつかない。タカシの場合がまさにそうであった。4年前、日本に帰国した後、ポルトガル語で法廷通訳を始めたが、そのことが転機となって、すべてが濃密に凝縮された日々が始まった。

タカシは、あくまでも外国人の被告とは、距離をおく一方で、法律知識を蓄え、裁判全体の流れを見ながら、通訳を行った。また、パニックしがちな被告にきちんと話を理解させるために、手を握ったり、被告の呼吸を自分の呼吸に合わせ、ゆっくりとした呼吸のリズムに誘導したり、被告に水を飲むように薦めたり、ちょっとした一工夫を常に加えた。

そのうちに、日系ポルトガル人コミュニティーにタカシの名前は知れ渡っていった。法廷通訳以外にも、日本人の雇用主や、家主との間での意思疎通を助けて欲しいとの依頼が増えていった。

当初は、受けられる範囲で仕事を受けていたのだが、そのうち、ポルトガル人コミュニティー丸ごとから仕事を受けるようになって、個人で出来る仕事量を大きく超えるようになってしまった。そこで、タカシはNPOを立ち上げ、スタッフを増やし、組織的に日系ポルトガル人を中心としたラテンアメリカ労働者の支援にあたるようになった。

群馬県大泉市や栃木県真岡市など、北関東には、日系ポルトガル人の大きなコミュニティーが存在するので、タカシは、宇都宮にオフィスを構えた。仕事は順調に拡大し、スタッフも10人にまで増えた。

しかし、タカシはある夜、オフィスに侵入してきた強盗に撃たれた。タカシは恨みを買った覚えはなかった。料金も彼らの年収と故郷への仕送りを考慮して、払えるだけの金額に設定し、そこから逆算してどのようにコストを抑えるか考えていた。

深く重く閉ざされたまぶたの裏で濃く長く続く闇の彼方にタカシは、一条の光を見た。逆行で詳らかではないが、そこに誰かが立っていた。すっと静かにしかし、とても早くその姿は近づいてきた。その女性の姿がすべて見えたとき、タカシは納得がいった。「ああ、あなただといつも思っていました。」

紅葉ふる夜・終


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2005年12月13日

紅鮭15(紅葉ふる夜9・それから4年後)

4de08f3d.jpg紅鮭15(紅葉ふる夜9・それから4年後)

今年の紅葉は、9月末から早くも寒くなり始めたために、赤みがより鮮やかに、ぼやけた黄色を圧倒していた。窓の外を眺めながら亜希子は、50歳代最後の一年を向かえていた。来年は還暦である。頭にも白い霜が振りはじめ、いよいよ人生をまとめはじめる年代に入っていくことを思うと、過ぎ去った日々を振り返り不覚にも涙が頬をつたう。

しかし、こうして歯科医として生き続けてきたことを何より、誇りに思う。また、そのことが自分を支え続けてきてくれた。現に今も、一瞬感傷的になっても、すぐまた患者の虫歯と格闘することが、何よりも自分を奮い立たせてくれる。歯を通して患者の人たちの人生と向かい合って生きることが、この狭い診療室を私にとって世界に通じる道に変えてくれた。ところで、タカシは、今頃どこでどうしているのだろう。

園子は、高校二年生の秋の校庭の景色を眺めていた。規則的に感覚をおいて植えられた紅葉をただ眺めていた。大学受験の準備をはじめて、勉強時間が長くなった分、たまに息抜きでこうしてボーッとするようになった。彼氏とつきあっても、3ヶ月を過ぎると、もう話してもわくわくすることはなくなった。そんなことを2-3回繰り返したら、あまり恋に恋をするということも無くなってしまった。

高校二年生の園子はある意味、冷めた高校生だった。でも、周りにそう見えていたかどうかはわからない。こどもの時から、大人の接し方に違和感を覚えながらも要領よく振舞ってきたので、まわりからはそうした内側の部分は見えないかもしれない。心から思ったとおりに振舞えない窮屈さが、自分を不機嫌にさせていた。そういえば、家によく遊びにきていたタカシさんは、自分を大人として扱ってくれていた。いつからか、私がクラブの練習で遅くなったりして、タカシさんと顔をあわせなくなってしまった。今、タカシさんは、どこにいるのだろう。

藍子は、動き始めた陪審制を見守っていた。準備にずいぶん、時間をかけていたためか、導入後は、あっけないほどスムーズにすべてが進んでいった。マスコミの反応も、ほとんど想定の範囲内のものばかりであった。朝日は、民主主義の進展として陪審制を評価しながら、冤罪の可能性を危惧していた。逆に読売は、専門知識のない陪審員が判断をくだすことに危惧を覚え、特集を組んでいた。しかし、概ね陪審員による評決が、常識的な線に落ち着いていることを好意的に伝えていた。

こうして大仕事に取り組んでいる間に藍子も33歳になった。今まであまり結婚のプレッシャーを感じては来なかった。仕事で忙しくて、プレッシャーを感じる暇もなかった。しかし、子供を産んで、家庭を営むことを仕事と引き換えにするつもりはない。そろそろ、結婚・出産に向けて仕事の分のエネルギーをもっと振り向けなければ。彼氏の洋一とは、うまく行っていたが、結婚となるとなぜか、具体的なイメージがまったく広がらなかった。他の男友達、ヒロキやタカシとの方がむしろ、生活のイメージが膨らんだ。


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紅鮭14(紅葉ふる夜8・法務官僚藍子その2)

80b51b5d.jpg紅鮭14(紅葉ふる夜8・法務官僚藍子その2)

藍子は、いつにも増して忙しい日々を送っていた。いよいよ、「日本版陪審員制度(裁判員制度)」の実施段階まで、残り3年と迫り、その準備に業務の大半の時間を割かねばならなかった。

ここまで来るのも一苦労だった。海外の陪審制の事例や、日本で一度だけ、第二次世界大戦後、米国占領下の沖縄で行われていた陪審制の資料を研究した。また、検察官の掲げる「有罪率100%(検察官が検挙した被告の100%を法廷で、有罪だと認めさせること)」は、近年低下していた。その上に、陪審制導入で、更にそれが低下することを検察幹部は、非常に恐れ、頑なに導入に抵抗を示した。

導入が決まった後も、まだまだ細かいものから大きいものまで、問題が山積みである。従来の裁判所は、陪審員を念頭においていないので、彼らが合議をする場所が、作られていない。表からは、いかめしく見える裁判所も、実際は、お粗末なつくりであるところが多い。例えば、法廷の裏は、小学校の体育館の舞台裏なみの狭さの大人一人がかろうじて通れる細長い空間がある。裁判長を筆頭に裁判官は、ここで判決の打ち合わせをしてしまうことも多いのだ。

しかし、まさか、そこに陪審員を通すわけにもいかず、陪審制導入にあわせて、裁判所の改築や新築の必要がある。その設計図面の打ち合わせ、根回しなどもほとんど実質的に藍子が行ってきた。弁護士会や検察の意向も組み入れ、なおかつ司法試験をもっとも優秀な成績で通過してきたものとの自負がある裁判官幹部を納得させる案件を形成するのは、それこそ根気強さが求められる仕事で、ストレスはあっという間に、深くたまっていった。

そんなストレスをためすぎないためには、やはり海に行って波に乗ることが何よりもの特効薬だった。彼氏と付き合うのもいいのだが、忙しい中、やっと時間を
割いても、男の方が私を待つのに疲れるか、やけに理解力のある男だと思ったら、うまく遊ばれている女の中の一人に過ぎなかったりして、それはそれでエネルギーを必要とする。

その意味では、つかず離れずの関係で、もしかしたらつきあうこともあるのかな、と少し思えるような男友達と、たまに飲みに行く方が、ストレスを除くのには、もっとも向いているのかもしれない。

タカシは、そんな男友達の一人だった。法廷通訳のガイダンスをたまたま私が引き受けることになったときに、説明をした相手がタカシだった。法務省の中にはない明るいキャラクターで、なおかつ丁寧に居心地よい距離を保とうとする姿勢に、なれなれしい人よりも、逆に好感を抱いた。


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紅鮭13(紅葉ふる夜7・年上の友人)

9396d682.jpg紅鮭13(紅葉ふる夜7・年上の友人)

園子は、今日も苛立っていた。なぜ、大人は皆、自分に話しかけるときに、子供に対する言葉遣いをするのだろう。「園子ちゃん、今いくちゅ?」「あらー、大きくなったわねー。まあ、園子ちゃん、大きくなったらきっと、すごーくもてるわよー。」

確かに私は、まだ13歳だ。でも、大人が考えているほど、ばかなわけではない。なぜ、彼らは、子供に対して、特別な言葉遣いをするのだろう。なぜ、子供に対して話題を殊更、変えるのだろう。もっとも、彼らが彼らなりに愛情を示そうとしているのは、理解できたので、こちらが大人になって、不満は見せず、彼らの望むようにふる舞ってあげた。このように子供に話しかけてくる人たちは、私がそうした言葉を受けてにこにこしたり、もじもじしたりするのが、大好きだからだ。

そんな大人が多い中、気になる大人がいる。父の友人のタカシさんだ。彼は、たまにしか家を訪ねてこない。半年に一度くらいだろうか。でも、彼は私のことを殊更こども扱いしないで、正面から話しかけてくれるので、退屈しない。他の大人みたいに、無理に私に合わせようとして、私にも話している本人にも面白くない話題ではなく、本人が面白いと思った話題をどんどん私にぶつけてくる。

しかも、私がそれをなぜ、そう思うのか、どのくらいそう思うのか、柔らかな物腰でどんどん聞いてくれる。そして私の話を細かいところまで覚えていて、いつも私を悦ばせるようなお土産を買ってきてくれる。レディーボーデンのバニラアイスクリームのおいしさが、ハーゲンダッツよりも上だということを去年の12月に説明したら、今年の8月の夏休みに、特大のレディーボーデンのバニラを買ってきてくれた。

大きくなってスチュワーデスになりたいと言ったら、例によってタカシさんは、「なぜ、スチュワーデスになりたいのか?」「もし、海外に行くことを仕事にしたいのなら、こんな選択肢もある。外国人も含めていろいろな人に接したいのなら、こんな選択肢もある。」と、普通の大人だったら、「ああ、いいねー。夢があって。」とか、無責任なことしか言わないことでも、真剣に私の話を聞いて丁寧に答えてくれる。

タカシさんが何歳なのか、さっぱりわからないけれど、タカシさんと話しているときは、他の大人と話すときのように、いらいらすることがない。パジャマに着替えたあとも、もっと話していたいくらいだ。クリスマスの時期と夏休みの時期にうちを訪ねてくるので、あと2週間くらいしたら、また会えるかもしれない。




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2005年12月12日

紅鮭12(紅葉ふる夜6・窓の外)

bbd35488.jpg紅鮭12(紅葉ふる夜6・窓の外)

亜希子は、窓の外を見やった。診療室の大きな窓の正面には、大正時代のレンガ造りの時計台に銀杏並木が影を落としていた。その奥に赤く深く染め抜かれた蔦の葉が陰影をより鮮やかなものにしていた。

亜希子が、この大学の前で歯科医を開業してから、既にはや20年の歳月が過ぎていた。大きな窓からは、正面の大学の庭の木と、行きかう学生の姿が、季節を教えてくれた。春、やがて夏。そして秋、なのに冬。この窓の向こうで、静かに時が流れていくのをこの診療室で、患者の歯と格闘しながら、眺めてきた。

時折、そうした窓の外の世界から、飛び込んでくる情報が、窓の外と中の世界を結んでくれた。タカシは、まさにその中の一人だった。元気よく入ってきては、しばらく姿を消し、再び表れるときには、まったく違った姿を現して、亜希子を驚かせた。
インドでガンジス川の川くだりをしたといっては、お土産を買ってきて、メキシコで国際歌謡コンクールに参加したといっては、タカシが登場したテレビの録画画像を持ってきたり、そうかと思えば、大学で政治学を教えていたり、歯と向き合ってこの静かな診療室で時間を重ねてきた私には、まったく次の動きが予想できない子が、タカシだった。

はじめて、タカシが診療所を訪れたのも、もう20年前になる。タカシは、そのとき学生だったが、やけに落ち着いていた印象がある。壁にかかっている尾形光琳の「紅梅白梅図」の大きな複製画がお気に入りで、診療の前と後にいつも、その絵に見入っていた。左右の梅の紅白、川と老木の動と静、画面上と下の川幅の差といった対比の妙が、気に入っていたらしい。クリムトにも通じる川の流れの装飾性、抽象性が好きだともよく語っていた。水の動きを捉える観察眼とそれをデザインにまとめる思考力で、普遍性のある美を表現した日本の才能を誇りに思うなどと、学生のときからやけに大人びたことを言う子だった。

そんなタカシが、訪れて来る度に、私はこの窓の向こうの世界と狭くて静かな部屋がつながれて、旅を想うことが出来た。そして、同時に時間を飛び越えることが出来た。連なり積み重なった時間と、20年前の時間がとなりあわせとなって、そこを何度も行きつ戻りつした。

タカシの買ってくるお土産も、メキシコの親指大の民族衣装を着たマグネット人形やら、インドの大判の布、バングラデシュの鮮烈な薄緑のスカーフなど、家のあちこちにその存在を静かに主張している。今でも思い出し笑いをするのは、タカシが持ってきたチョコレートケーキだ。歯科医にチョコレートケーキを持ってきて、「アル中患者が、医者に日本酒を持ってくるようなもんですね。」といいながら、大笑いをしていた。


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2005年12月08日

紅鮭11(紅葉ふる夜5・海の中)

4aaa38d4.bmp紅鮭11(紅葉ふる夜5・海の中)

タカシの東京での日常は、淡々と過ぎていった。法廷通訳は、まず法律用語を日本語で理解し、かつそれをわかりやすい訳で、かつ手短にポルトガル語で、外国人の被告または起訴人に説明する。何よりもタカシが苦労したのは、裁判の進行自体に慣れていなかったことだ。一度、さらっと職員に概要を説明してもらったが、特に講習らしいものなどなかった。民間の法廷通訳者が東京で、年に4回、弁護士から心構えを講義してもらう機会を設けるのが、ほとんど唯一のガイダンスだった。
被告(または起訴人)は、裁判の内容をより深く理解するために、また少しでも有利な方向に話を進めるために、あるいは不安な心理を落ち着かせるために、通訳を単なる言葉の翻訳以上に頼ることが多かった。しかし、彼らの人生に法廷通訳がとことん付き合うことは、出来ないし、またすべきでもない。通訳自身も犯罪に巻き込まれかねないし、そうした個人的な生活の部分に関しては、バトンを他のNGOなり地方自治体なりに渡していった方が、仕事を回していける。
タカシは、その意味で、わかりやすい訳、直訳でなく話の流れが見えるような訳を心がけることに、プロとしてのプライドと思いをかけた。そしてその日の翻訳が終わった後は、裁判のテーマごとの流れをつかむために、分野別の法律の本を読んで予習した。離婚した夫婦の親権争いであれば、少年法の本を読んだりして話の組み立て方を学んだ。
そうして仕事に没頭することは楽しかったし、過去から遠ざかる上でももっとも効果的な方法だった。ただし、目標を明確にしてまっすぐ全速力で走っているときのようなスピード感からは、ほど遠かった。人間関係は限られ、まるで海の中で暮らしているようだった。自分の呼吸の他には、何も聞こえない。光も強くは届かない。方角も明確ではない。ただ、目の前の美しい魚を追って夢中で泳いでいるようなそんな感じ。
タカシは、特に交友関係を大きく広げようとはしなかった。修行僧のように、禁欲的な生活を過ごすことが、前妻と幸福を分け与えられなかったことに対してふさわしい態度に思えて、居心地がよかったのである。しかし、たまに友人から届くメールは、ことの他、心を休めてくれた。コスタリカの50歳ほどの年上の女友達からはこんなメールが届いた。
‘Nos alegra saber que esta haciendo algo por su carrera profesional, no se desespere asi es la vida, lo importante es ir y no detenerse. Un abrazo Lupita’ (「私たち(夫婦)は、あなたがとにかく何かをあなたの職業人生のためにやっていることがわかって、嬉しいわ。がっかりしないで。人生なんてそんなものだから。大事なことは、止まらないで、とにかく前に進むこと。抱擁とともに。ルピータ」)

インターネットは、仕事の生産性を高めたかもしれないが、少なくともタカシにとっては、心の健康を保つためのセーフティーネットとしても機能している。


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2005年12月05日

秋の海と法務官僚藍子

920c2302.bmp紅鮭10(紅葉のふる夜4・秋の海と法務官僚藍子)

秋の海は人影もまばらで、澄みとおっていた。そんな中、高い青空のもと、青い大波に向かっていく一団がいた。藍子も、そのうちの一人だった。海に向かっている間は、ただ波をよく見て、体を波に預けるのが気持ちよかった。海面の下は意外なほど温かく、慣れれば風の冷たさもそれほど感じなくなった。

普段、官僚組織の中で、法律と格闘している藍子は、文字通り仕事にすり減らされていた。週末、仕事を離れて自然と身体を一体化することは、心と体のバランスをとる上でも不可欠だった。国の骨格そのものを作っていることに、大きなやりがいを感じてはいた。仕事そのものは忙しくても、とても面白い。職場の同僚や上司で、仕事が出来る人と出来ない人の割合は、7対3と言ったところだろうか。イメージほど、四角四面の人たちばかりというわけではない。

しかし、週末まで仕事に自分を捧げる気にはならなかった。そのようにしたところで、燃え尽きてしまいそうだったし、何より、貴重な若い間の時間を何が悲しくて、塾の延長のような建物で、塾の延長のような仲間と法律用語相手に格闘しなければならないのだろう。それでは、手段と目的を履き違えているではないか、と思う。

浜辺の焚き火で、体を温めながら、頭を空っぽにして呆けて海を見ている時間は、どうしても今の自分に必要なものだった。職場で、1メートル先にあるスチール製の課長の机だけ見ていたら、本当に視野が狭くなってしまう。自分の気持ち、という形になりにくいものも、こうやって身体を海とあわせて風に任せていると見えてくる。

20歳代最後の季節を迎えても、特にあせりはない。世渡りのために、「もう大台ですよー。」とおどけて見たりするが、実のところそれほど、あせっているわけではない。貯金や資格のための勉強など、準備できることは既にしているし、身体や心のバランスをとるために努力もしている。

日が赤く燃えながら、大きく傾いてきた。そろそろ、東京に戻らないとゆっくり休む時間がとれない。仲間と別れ、浜辺を後にして高速道路に向かった。ほどなく夜はとっぷりと暮れた。機械的にハンドルを握りながら、頭はもう今週の仕事の段取りを行っていた。







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2005年12月04日

紅鮭9(紅葉のふる夜3・新天地)

42deba98.jpg紅鮭9(紅葉のふる夜3・新天地)

「ただいま、気流の悪いところを通過しております。シートベルトをしっかりとお締めになられますよう、よろしくお願い申し上げます。」時ならぬ機体の揺れと、アナウンスで目が覚めた。夢を見ていた。何年か前のやり取りを思い出していた。一生愛情生活を続けると言う誓約を自分が守りきれなかったことが自分を責め続けていた。書類上はともかく感情の上で、この失敗は自分の中でまだ十分、過去のものとはなっていなかった。この失敗に対して自分なりにカタをつけるまでは、タカシは、新しい関係を築くことが出来そうもなかった。

機内の空調は利き過ぎているほどなのに、背中には、冷たい汗をかいていた。「お飲み物はいかがですか?」フライトアテンダントから一杯の水を受け取ると、一息で飲み干した。時計を見ると既に東京時間の正午(ワシントンDC午後10時)である。東京到着まで、あと4時間半。半分だけ覚醒した頭をシートに沈め、これからの生活に思いを馳せた。

東京高等裁判所で、ポルトガル語の法廷通訳の仕事をすることになっていた。現在、日本にいる外国人のうち、もっとも多いのが、韓国人、二位が中国人、そして三位がブラジル人である。90年代以降、世界でもっとも大きい150万人を超す日系社会があるブラジルを対象に、日本政府が日系移民の日本へのビザ発給条件を緩和したことから、急激に日本における日系ブラジル人が増大した。

日系ブラジル人は、顔立ちこそ日本人と見間違うほどであるが、内面はまったく異なるラティーノである。また、日本の言語や文化に関して一世や二世は精通しているが、三世以降になると、初級の日本語も覚束ないことが多い。そのため、日本人コミュニティーにも溶け込めず、仕事も限られ、犯罪に走るものも出てくる。

更に、こうした刑法犯に加え、民事での法廷通訳の需要も増えている。若い世代においては、20組に1組が国際結婚である。しかし、自分がそうであったように、結婚生活を幸せに送れず、離婚に至ったり、パートナーが失踪してしまったりすることもある。

こうした外国語の法廷通訳は、かつては口コミで仕事が紹介されていたが、今は、最高裁判所や、各地の高等裁判所で公募されている。タカシは、しばらく住み慣れたメキシコを後にして、いったん日本で生活を立て直したかった。しばらくは、勉強や仕事に没頭して、時間に癒されることを欲していた。そんな時に気まぐれで応募したポルトガル語の法廷通訳の仕事が飛び込んできた。

これから先のことを考えようにも、半分覚醒し半分寝惚けた頭は、あまり鋭く回転してはくれなかった。タカシは、座席のヘッドホンを当てた。聞こえてきたのは、エリック・サティのジムノペディ第一番だった。インスピレーションが欲しいときによく聞いた曲は、今のタカシの状態に良くなじんだ。チッコリーニ演奏のピアノ曲を聞きながら、静かに再び眠りに落ちていった。





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2005年12月03日

紅鮭8(紅葉ふる夜2・El dolor de la vida:人生の痛み)

aa3b1429.jpg紅鮭8(紅葉ふる夜2・El dolor de la vida:人生の痛み)

‘Es que … Es que solo queria compartir mas tiempo contigo. Nada mas. No deseo demasiado. No lo crees? Lo que necesito es solo un carino. Porque no lo entiendes? Porque? Solo tu carino me calma, y solo tu sonrisa tiene sentido para mi. Abrazame, abrazame, porfa!’

(「だって。。。だって、ただ、あなたとの時間がもっと欲しかっただけなのよ。そんなに欲張りなことじゃないわ。そうでしょ?私が必要なのは、あなたの優しさだけなのよ。なぜ、わからないの?なぜ?ただ、あなたの優しさだけが私をなだめて、ただあなたの微笑だけが私にとって意味があるのよ。抱きしめてよ。抱きしめてよ、お願い!」)

‘Calmate! No grites! Hay que entendernos sin presionar a otro. Oye, escuchame bien. Hemos pasado 5 anos conjunto. Sin embargo, no hemos avanzado mucho. Al reves, solo hemos lastimado una y otro. No debe de gastar el tiempo. Hay que vivir la vida sinceramente. Hay que admitir nuestro fracaso de continuar la relacion matrimonial.’
(「落ち着けよ!怒鳴らないでくれ! 相手にたたみかけずに、理解しようとしなくちゃ。なあ、よく聞けよ。この5年間、僕らは一緒に過ごしてきた。なのに、大して僕らは前に進んでいない。いや逆にお互いに傷つけてしまっている。時間を無駄に過ごすべきではない。真摯に生きるべきだと思う。僕たちの結婚生活を続けるのに失敗したことをまず受け入れなくちゃならない。」)

‘Otra vez? Todavia tu lo insistes asi? Lo se. Yo se que tu quieres la libertad de andar con las ninas, verdad? Eres muy egocentrico. Solo tu piensas en ti, Yo se. Pero, porque no piensas de mi un poco. Que hago? A donde voy?’
(「また?まだ、そんな風に言うの?わかっているわ。あなたはいろんな女の子と遊びたいんでしょ? あなたは自分勝手ね。ただ、自分のことだけ考えているんだわ。でも、なぜ、私のことを少しは考えてくれないの?私はどうすればいいの?どこにいけばいいの?」)

‘Eso es lo que te he preguntado miles de veces. Nadie puede mandarte a cierto lugar. Solo tu tienes que enfrentar tu vida. Solo tu tienes la libertad de decidir tu sueno. Solo tu sueno te lleva a donde quieras. Con gusto me gustaria ayudarte realizar tu sueno, pero no puedo vivir tu vida. Ensename, por favor. Que es lo que quieres realizar en tu vida? A que puedes contribuir para servir para la gente?’
(「まさに、それが 何千回も君に尋ねたことだよ。誰も君をどこか、確かな場所に行かせることなど出来ない。ただ、君だけが自分の生き方に向かい合わねばならない。ただ君だけが自分の人生に向かい合う自由を持つんだ。そしてその君の夢だけがどこにでも君を引っ張っていってくれるんだ。君の夢を実現するためなら何だって協力したい。でも、君の人生を僕が生きることは出来ない。頼むから教えてくれ。君が実現したいことは何なのだ?人に尽くすために、君に何が出来るんだ?」)



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2005年12月02日

紅鮭7(紅葉ふる夜1)

8c53843a.jpg紅鮭7(「紅葉ふる夜」予告)

一部から、紅鮭「スケート」に関して好評を博することが出来ました。ありがたいことです。そこで、今回、「紅葉ふる夜」を上梓することにしました。前回は、女心を「女性のキャリアと恋愛」の観点から、描こうとしました。今回は、成熟していく女性に魅かれる男心」を描こうと思います。

「紅葉ふる夜」という題は、なかなか気にいっています。小野小町の本歌取りよろしく「降る」と「古(い)」をかけております。(「花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふる(古)眺め(長雨)せし間に」)そして紅葉は、30歳から60歳までの成熟した女性の美しさに喩えています。

若いとき(20歳代)の美しさが文字通り、花だとすれば、30歳代以降の女性の美しさとは、そこから一歩引いた葉が、深まりいく季節の寒さにあわせて色づいていく紅葉の輝きに似ているのではないか、と思います。

視覚的にも美しくありませんか。あでやかな紅葉が、闇夜を背景にひらひらと散っていく。晩秋の静かな夜に、かそけき動きを紅葉の舞がもたらす。障子戸から漏れた光を受けて紅葉の異なる側面が照らされながら、ひらひらと舞って落ちていく。

若い女性の美しさについても、いつか書きたいと思います。でも、いきおい若いときの美しさは、バラの美しさか、ひまわりの印象か、ブルースターの可憐さか、といった花の種類の違いではあっても、個性の輝きを見出すのが難しいので、表現と構想に一工夫する必要があります。

また、今回は、話の筋の他に、小道具を挿入して、話を鮮やかにしようと目論んでいます。田中康夫の「なんとなくクリスタル」まで小道具演出をやるとギャグになってしまいますが、挿入することでイメージが広がって行くようなブランド、作家、芸術家の名前は使っていこうと思います。

高等パロディーとして、川端康成や夏目漱石の文体・表現の真似も織り込んで行きたいのですが、それは文学好きな人向けのマニアックな試みかもしれません。川端康成と三島由紀夫は、何千通にも達する書簡を通じて文章表現問答を行い、切磋琢磨していました。こうしてもたらされた川端の美しい文章表現は、よく「魔界」とも評価されます。ある意味、心霊的な表現がよく出てくるのです。それは、ロマンチックさとオカルトの境界線をいくような感じです。

一方、文豪漱石の文学は、よく女性が描かれていない、と酷評されます。彼自身、自分の奥さんをこきおろしています。フェミニストが、目をむくような表現も良く出てきます。川端康成と比べると、男性的というのか、甘い表現はあまり見られません。心理描写や、自然描写は、なかなかのものなのですが。

こうしたタイプの異なる2種類の表現を織り交ぜて、話の動きを大きく描けるといいな、と思います。



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2005年11月29日

紅鮭6(スケート6・あとがき)

c5c465da.jpg紅鮭6(スケート6・あとがき)

小説紅鮭、いかがでしたでしょうか。どのように読んでいただいても結構なのですが、作者としてどのような思いをこめていたのか、を少し説明させていただきます。

話に華を添えるために、主人公はプロフィギュアスケーターとしました。ただ、中心となるテーマは、「女性のキャリアと恋愛」であり、普遍性のあるものにしました。女性の社会進出が、ゆっくりとはいえ広く深く進んでいます。

この物語の元になる話が起きたのは、80年代後半でした。その頃は、るみのような特殊な職業の女性に限られた「キャリア上の選択と恋愛の両立」といった問題が、今日ではより多くの女性にとって共通の問題となっているように思います。

単に結婚・出産のためにキャリアを捨てるかどうか、ということではありません。キャリアを深めていくために出てくる選択肢と恋愛の形をどう組み合わせるか、というのはまさにどう生きるか、ということでもあります。

キャリアを通して何を実現し、何を自分は社会に提案できるのか、パートナーと一緒にどんな夢を共有できるのか、その2点があいまいだと、状況に引きずられてその場しのぎのバランスをとるのに精一杯になるように思われます。

るみの場合も、常に2位の壁を破れなかったのは、そこが原因でした。多くの人と共有できる魅力ある夢でないと、その夢は小さく弱いものになります。例えば、「大金を稼ぐ」ということも、そのお金を通して何をしたいのかが明確でないと周りの人と夢を共有できません。共有できない夢は支持されませんから、後押しのない孤独な道のりの夢となります。

こうしてみると、「女性のキャリアと恋愛」に関して描いたこの作品は、実はジェンダーを超えて通じるテーマだと気づかされます。いかがでしょうか。

また、表現に関して、コメントを加えさせていただきます。これは、BLOGに連載して発表するという形式をとりました。BLOGでは、それほど辛抱強く皆さんが時間をかけて読んでいただけるわけではないと思います。

そのため、短時間で話の中身が伝わるよう工夫をし、タブーをおかしました。話の内容や人間関係は通常、会話や描写を通して描くもので、あらすじをナレーションで説明するのは、下手な小説の典型的なものとされています。でも、そうした通常の手法をつかっては、話がみえるまでにずいぶん時間をかけねばならず、その前にBLOGの読者は、離れてしまうと思いました。

そこで、今回はあえて最初から、なるべく短い言葉で状況や人間関係を説明しました。最後の紅鮭5になるまで、会話を挿入しないいわゆる上から見た神の目線と、登場人物三人の独白と言う形で話を進行させました。

ぼくのまわりには幸運なことに、美しく才長けて魅力的な女性しかいないので、どの女性も創作意欲を掻き立てます。しかし、個人的なことでなくその中に普遍的なものは何なのか、が明確でないと面白いものにならないと思います。観察眼を鍛えてまた執筆を続けていこうと思います。よろしくお願いいたします。


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2005年11月28日

紅鮭3(スケート3・義春)

6087ce0d.bmp紅鮭3(スケート3・義春)

るみをはじめて見たのは、スケート場のリンクの上だった。それからも、彼女を見るのは、街中でなく氷上であった。滑っていると言うよりも、はじめからそれがそう定められている運動の法則であるかのように、その肢体は伸びたり縮んだり、光の筋を跡付けていった。

見慣れるまで、そこで何が起こっているのかすらよくわからなかった。自分が、テレビの向こうに見て知っていたスケートというものとは、まったく別のものだと思った。何回転しているのかはおろか、ましてや回転中に足が曲がっていたかどうかなど、まったく目が届かなかった。ただ彼女はプロであり、異なる世界で生きていることだけ理解した。

毎日、彼女の動きを見ているうちに、少しずつパターンが見えてきた。そして彼女の動きにあわせて僕の筋肉も連動し始めた。ターンを決めるとき、演技をするとき、フィニッシュの回転に入るとき、それぞれの動きにあわせて僕の体も反応するようになった。

学生だったから時間があった、ということもある。アイスホッケーの練習のあとに彼女の動きを見ているのは、本当に楽しかった。その時間のために一日が存在していた、と言っていい。

ある日、勇気を出して彼女に話しかけた。それから、彼女と一緒に話しながら駅まで歩く20分は、一つ一つの言葉、一つ一つの仕草が焼きついた。自宅までの道のりは、彼女の記憶を辿りながら、組み合わせたり、何度もかみしめたりしながら、彼女の生き方の雛形に自分を当てはめてみた。

多くは望んでいなかった。それだけで満足していた。しかし、時間は止まってくれない。いつしか、彼女と過ごす時間は積み重なり、肌を重ねる夜も過ごした。しかし、だからといって彼女と呼べる関係にいたったのかどうかはわからない。
何というか、彼女の心をつかんだ実感がその後も深まらなかったからだ。

彼女はいらいらすることが多くなった。今まで、父親がいなかったことや母親が彼女のスケートに全財産を賭けたこともあって、彼女は、人に甘えたことがなかった。だから、いらいらをぶつけるというのは、甘えることになれない彼女なりの甘えの表現なのだろうと僕は思った。

そうしたいらいらやわがままを受け入れることが、彼女のスケートをより高めることになるのかもしれないと思っていたので、僕にはそうした彼女の振る舞いが気になることはなかった。




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2005年11月27日

紅鮭2(スケート2・独白)

c5d1de2b.jpg紅鮭2(スケート2・独白)

私は、あのとき追い詰められていた。自分の力をすべて出せば、国内の選手権で一位が取れる位置にいた。でもその一方で、それだけでは長く王座を保てないこともわかっていた。圧倒的に他の子たちに差をつけるためには、表現力だけでなく技術力をもっと磨かなければならなかった。

でも、自分の残された選手生命の中で、決定的に差をつける技術力を身につけるには、練習のかなりの時間を新しい技のために割かなければならなかった。それは、下手をすると、新しい技術どころか、今ある技術をも不安定にさせかねないリスクの高い選択だった。

無難に今までの技術を固めて、表現力を多様化させるのか、それとも選手生命のすべてを賭けて新しい技術を磨くのか、その2つの選択肢の間で私は揺れていた。
技術面で従来の路線を続け表現を磨くのならば、スケートリンクの外での時間を大切にする必要がある。でも、技術力を磨くのであれば、初心に帰って、もっとリンクの中で集中して過ごさねばならない。

そんなときに、義春に出会った。義春は優しかった。同じスケートリンクでアイスホッケーの練習に参加していた彼は、練習のあと、私のスケーティングをずっと眺めていた。私の練習後、たった20分の駅までの帰り道を一緒に話をするために、彼は毎日3時間待ち続けた。

でも、私は彼の優しさに苛立っていた。彼は、いつでも「お前が好きなようにするのが、最高の選択なんだ。」と言ってくれた。そしていつでも私のわがままをそのまま受け入れていた。しかし、そうして彼が献身的に私に尽くせば尽くすほど、私は苛立ち、いやな女になっていった。

優しくされていやなわけではない。でも、そこまで優しくされても与えてあげるもののない私には、逆にそれが重荷になった。私がそのとき必要だったのはむしろ、厳しい言葉と態度だった。また、私が選ぼうとしていた選択肢のうち、技術に打ち込み、スケートの鬼になることを難しくさせた。彼と一緒にいることが表現力を磨くことになるかもしれない、と自分に言い訳して少しでも彼と一緒にいる時間を作ろうとしたからだった。

でも、そうした態度では勝つことが出来ない。おそらく本当に自分が選ぶべきなのは、より厳しい一か八かの新しい技術力開発に賭けることだとわかっていた。でも、そのためには、彼の優しさが邪魔だった。優しくされてそれを拒絶するのには、より強くなければならなかった。こうしたジレンマに苦しめられて私は彼につらく当たった。

それでも、彼が優しくし続けるのに、気がおかしくなりそうだった。彼は私のわがままを受け入れられるのは、自分の特権だとでも勘違いしているようで、それが、私のいらいらを倍増させた。


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2005年11月26日

紅鮭1(スケート)

4a9148e4.jpg紅鮭1(スケート)

るみは、プロ・フィギュアスケーターである。もっとも、るみと言うのは、本名でないので、検索しても該当する名前は出てこない。フィギュアスケートのスターが、渡部絵美から伊藤みどりにうつるまでのほんの数年の間の大きなチャンスを彼女は、ものに出来なかった。常に国内で2位に甘んじているうちに、時代は伊藤みどりによる高速回転にうつり、もはや彼女の技術と努力では追いつけなくなった。彼女は、競技のためのスケートにプロとして参加することを止めた。

るみは、綺麗な人だった。そしてそのことが彼女を支え続けてきた。5歳のときに、プロスケーターになるために、ルックスを含め、総合力でコーチに選抜されたときから、美しくいつづけるために途方もない努力を彼女は重ねてきた。リンクの中で真ん中にたち続けるために、すべてはささげられた。

細くて、しなやかな肉体。鍛えられた肉体が柔らかくしなやかに動く。与えられた美しさは節制を重ね、磨き上げられていた。鋭角の頬骨に薄く張った肌は薄いのにしっとりと輝いていた。あごの裏に隠れたほくろがのぞいたときには、そこに見入ってしまうまばゆさがあった。

しかし、服装のセンスはあまりよくなかったように思う。きらきらし過ぎて、宝塚のステージ衣装のようというのか、演技のための服選びのセンスがそのまま日常の服装の好みに反映されていた。

てかてかして派手な服は、リンクでこそ見栄えがしたが、街中では実際の年齢よりも年上に見せたうえに、くすんで見えた。おしゃれということは、時代の息吹を吸っているということだと思う。スケートのために、狭い世界ですべてを賭けて生きてきた彼女にとっては、リンクが生きる舞台であり、自分を見せるのは、スケートを見に来た不特定多数の観客であった。

東京で、若い女性が男の目や同性の目を意識して、着飾るための流行とは、もとのコンセプトが違っているのだ。多くの女性は東京で仕事をし、勉強し、生活し、恋愛する。いわば、東京が生きるステージである。その意味で、彼女はおしゃれになりようがなかったのかもしれない。

彼女にお父さんは、いなかった。母親は、すべての愛情とお金を彼女のために捧げられた。いわば、リンクで輝く夢を母親と二人三脚で歩み続けてきた。プロのフィギュアスケーターとして成功すること、それだけが人生最大の目標だった。食事も、美しくい続けることも、人間関係も、努力もすべてがスケートのためにだけ存在した。





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Cheel
ラテンアメリカ研究者。民間セクター開発専門家。趣味は歌・絵画・小説・旅行・スポーツ全般。5言語(英語、スペイン語、ポルトガル語、フランス語、日本語)を駆使して仕事を行う。現在アンゴラ、ルアンダ市在住。
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