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有機化学を中心に、興味ある新着論文の情報を提供してゆきます。

カテゴリ:分析化学

-キログラム,モル,アボガドロ定数の現在と将来-
倉本 直樹,東 康史,藤井 賢一
ぶんせき,2015,6,229‐236.

2018年に予定されている,国際単位系(SI単位)の一つであるキログラム(質量)の再定義に関する国際プロジェクトの解説記事です.

当初,基本単位では時間や長さの単位はメートル原器などで定義されていましたが,これらは現在では物理量による定義に置き換えられており,重量の単位のみが人工物である「キログラム原器」で定義されています.キログラム原器は気密容器内で厳重に保管されていますが,表面吸着や洗浄によって重さが変化することは避けられません.

National_prototype_kilogram_K20_replica
キログラム原器

国際キログラム原器(IPK )の承認からすでに120年以上経過した現在でも同じ分銅が使われており,長期安定性が近年の計測技術の進展においては無視しえない大きさとなりつつあるため(相対的に5×10-8の変動幅に相当すると推定),人工物に頼らない質量標準の確立が望まれています.

そのような中,キログラムの実現に必要なアボガドロ数とプランク定数をIPKの長期安定性よりも小さな不確かさで測定できた(それぞれ相対不確かさ3.0×10-8;,7.0×10-10)ことを受けて,2011年にCGPMにおいてキログラムの再定義について決議が採択されました. 本記事ではその後の進捗状況も含めて背景やモルの改定にも触れています.

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キログラム再定義のため,28Si濃縮単結晶のX線結晶密度法から直接決定できるアボガドロ数から求める方法と,ワットバランス法によるプランク定数から求める方法(参考)の二通りが採用されています.著者らの所属する産業技術総合研究所では,前者の研究を40年も前から行っているため,主にその内容の紹介がされています(電気標準における利便性から,定義そのものはプランク定数).同位体濃縮したシリコン結晶でも表面は酸化物などの不純物の層で覆われているため,その評価を行ったことなども紹介されていて,根気の要る現場の苦労が伺えます.現在の大きな課題としては2つの方法で得られた値の整合性の問題だということです.どのようにクリアされるのかとても興味深いところです.

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キログラム原器のお世話も大変な気苦労があるようですから,物理定数を基準にして誰でもキログラムを実現できるようになるとさびしい反面ホッとする方も多いかもしれません.まだ途中段階の大きな国際プロジェクトですので,今後の動向を見守りたいと思います.

<参考> 産業技術総合研究所 “普遍的な物理定数に基づく新しいキログラムの再定義に道を拓く”  (発表・掲載日:2012/02/27)
キログラム原器の扱いについては、こちらの本に面白いインタビュー記事があります。 メタルカラーの時代 12 空前絶後のスーパー仕事師

Loredana Leone, Alessandro Pezzella, Orlando Crescenzi, Alessandra Napolitano, Vincenzo Barone, and Marco d’Ischia
ChemistryOpen 2015 Early view DOI: 10.1002/open.201402164
  
 Cryptographyとはクロマトグラフィーの親戚…では全くなく,「暗号」という意味の情報関連用語です.Molecular Cryptography(: MoCryp)というジャンルは,これまでDNAをベースとしたものがほとんどでしたが,本論文ではトリコシアニンという多機能色素を使うという,コンセプチュアルな点に重きを置いています.

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トリコシアニン類の構造

官能基の異なるシリーズを8種類合成し,pHをコントロールすると,下の図のような(実際掲載されているのは写真です)バリエーションに富んだ色を示します.それだけでも目を引くので,オープンアクセスジャーナルに投稿してアピールするのに向いた内容だと思いました.

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 これらをどのように暗号として用いるかを簡単に示すと以下のようになります.二進法による暗号伝達手段として,溶液群Aというグループの中から一つ,Bというグループの中からやはり一つを選んで混合したものをとし,受信者はその吸収スペクトルを測定し,さらに計算化学の解析結果と照合することで,0 or 1の判別を行うというものです.
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 行っていることは有機合成,溶液化学,計算化学と,基礎化学そのものの手法ばかりですが,その包括的な活かし方として,このようなことも考えられるというのは大変興味深いことではないでしょうか.

・DNAを使ったmocrypの文献の例 *L. M. Adleman, Science, 1994, 266, 1921.
*A. Prokup et al. Angew. Chem. Int. Ed. 2014, 53, 13192. 

長谷川 健
ぶんせき,2014, 9, 460-467.

 大学の数学の授業で必ず教わる線形代数は,具体的イメージがつかみにくく,どのような役立て方をされるのか,わかりにくい項目ではないかと思います.この記事は,分析化学の解説というよりは,スペクトル解析に役立つことを示して線形代数のありがたみを実感することを目的としています.化学における数学の大切さを伝える面白い企画だと思い,取りあげました.

下図に吸収スペクトルの例を挙げます.単一成分系から2成分系に拡張すると以下のような簡単な行列式であらわすことができます.
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Kamitsubo50_fig2


重要なのは,このように表すことで,以下のような解析をすることができるということです.

(i) CLS(classical least squares)回帰法
A = CK + R
RはCとKで説明できない部分を負わせて実験値Aの解析ができる式で表します.これは化学的意味が分かりやすいものの,思い込みの成分数を取り入れており,この数を誤るとその後の計算が急激に不正確になるという問題があります.

(ii) PCA(Principle component analysis):主成分分析法
名前とは裏腹に主成分を知ることができる解析法ではありませんが,系に含まれる独立な成分数を客観的に解析することができます.

種々のスペクトル測定は化学分野にとって欠かせないものですが,複数の成分が重なってしまったり,その成分数を予め知ることができないことも多いため,このような解析法について知ることも有意義なのではないかと思いました.

Osvaldo N. Oliveira Jr., Tacito T. A. T. Neves, Fernando V. Paulovich, and Maria Cristina F. De Oliveira
Chem. Lett. Advance Publication DOI:10.1246/cl.140762 (オープンアクセス)

 ☆化学センサーとビッグデータ
 あらゆる人間活動の電子化にともなって膨大なデータが日々蓄積されている昨今,ビッグデータの解析は新たなビジネスチャンスや社会の動きを知るための重要な鍵となりつつあります.この論文はChemistry Lettersに掲載されたものですが,化学センサーからの多様な情報をビッグデータ解析して臨床診断に活かすアイデアを示したレビューです.

 流行の話題×化学というテーマに惹かれて読み進めるうちに,情報科学に近い内容で自分の手に負えないと分かったものの,読者の方の参考くらいにはなるかもしれないと思い,ご紹介することにしました.目次は以下の通りです.

1. 序論
2. 化学センサーの最先端
3. ローカルに保存されているデータに関する挑戦
* 機械で読み込めるデータへ
* データの可視化と検索
* 異なるタイプのデータの統合
* 分類
4. クラウドデータ
* データキュレーションと倫理的な問題
* 大容量データの高速配信と処理能力向上のためのハードウェアとソフト ウェアの開発
5. ビッグデータの応用例
6. 結語

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著者らは論文中で個々の情報を知識化するまでの流れを上図に示しています.どのステップでどのような化学センサーが活用できるのか,もう少し具体例が多く書かれているといいのですが,このように全体像が分かっていると各々のセンサーを見る目が変わってくるのかもしれないとは思います.

<語句>
State-of-the-art:最新鋭の,最先端の.
サポート・ベクター・マシーン(Support Vector Machine, SVM)
デジタル・キュレーション(Digital curation)

Yuhui Li, Wei Luo, Nan Qin, Junping Dong, Jing Wei, Wei Li, Shanshan Feng, Junchen Chen, Jiaqiang Xu, Ahmed A. Elzatahry, Mahir H. Es-Saheb, Yonghui Deng, and Dongyuan Zhao
Angew. Chem. Int. Ed. Early View, DOI: 10.1002/anie.201403817

毒ガスセンサーに関する記事が前回から連続していますが,筆者としては特に毒ガスに興味があるというわけではありません.今回の論文については酸化タングステンに注目していたつもりだったのですが,記事執筆中に広島の産業廃棄物処理施設で硫化水素漏れによる事故が発生したというニュースが報道されました.改めてこうしたセンサーの重要性・必要性を実感した次第です.

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本研究ではメソポーラス酸化タングステンを上図に示したようなテンプレート-炭化法で作製しました.WO3が硫化水素センサーになることは以前から知られていましたが,この方法を用いることで結晶性が高く,サイズの揃った大きな穴(およそ10.9 nm)をもつ材料が得られたため,これまでになく高感度なガスセンサー機能を発現しました.妨害ガス(水素、メタノール、ベンゼンなど)の存在下でも0.25 ppmの低濃度硫化水素ガスに対して2秒で応答します.

センサー性能試験を行う装置系については下図のようなイラストを含めた詳しい記述や写真が掲載されているため,実験の様子がイメージしやすい構成になっています.

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(Vh: heating voltage, Vc: circuit voltage, RL: load resistor, Vout: terminal voltage of the load resistor )

著者らは,この新しい材料がセンサーとしてだけでなく,貴金属触媒の担体や光触媒,電気化学デバイスへ応用できるのではないかと期待しているということです.

<参考>
*Y. Zhang, J. Q. Xu, Q. Xiang, H. Li, Q. Y. Pan, P. C. Xu, J. Phys. Chem. C 2009, 113, 3430.→センサー測定について詳細な記述あり.

<硫化水素ガスセンサー 他の研究>
*A. Khanna et al. Appl. Phys. Lett. 2003, 82, 4388.→CuO-SnO2
*C. H. Wang et al. Sens. Actuators B 2006, 113, 320.→ZnOナノロッド
*Y. Shen et al. Sens. Actuators B 2014, 193, 273.→Ptを導入したWO3薄膜
*N. S. Ramgir et al. Sens. Actuators B 2013, 188, 525.→CuOで修飾したWO3薄膜

Santu Sarkar and Raja Shunmugam
Chem. Commun. Advanced Article DOI: 10.1039/c4cc03361b

 ☆サリンを検出するポリマー
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  “化学兵器は人を戦争で殺すためのみならず,平和な時代のさなかにあってもテロリズムの手段としても生産されます.”というギョッとするような物々しい文章で始まるこの論文は,神経ガスとであるサリンのモデルガスを用いて,非常に高感度なセンサーとなる化合物について報告しています.

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 今ある神経ガスの検出方法はDMFやDMSOなどの高極性溶媒や塩基性条件を必要とするため,‘in-field’ detectorが望まれていたところ,上図左側の化合物を塗布した紙を低濃度のガスに曝露し,UVランプを照射するだけで緑色に光ることを見出しました.

 タネになるのは,8-ヒドロキシキノリンと1,2,3-トリアゾールを結合させた,図のようなポリマーです.サリンのようなリン系の神経ガスがこの化合物に触れると,ホスホリル化を経て環化が起こり,上図右のような7員環化合物を作ります.これにUVが当たると,緑に光るという仕組みです.濃度25ppbでも検出できるといいますから,相当の高感度です.
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サリン

 もちろん画期的な成果なのだとは思いますが,このようなものが必要とされる世の中でないことを願わずにいられません.しかもこの論文がopen accessだということから,決して特殊な話題ではないことが示されているようで,どこか暗澹たる気持ちにさせられました.

<参考>
*神経ガスセンサー機能を持つランタノイド(Eu)錯体の例.
(1) G. N. Tew et al. Chem. Eur. J. 2008, 14, 5409-5412.
(2) R. Shunmugam Chem. Commun. 2012, 48, 4223-4225.

Julia M. Bayne and Ian S. Butler*
New J. Chem. 2013, 37, 3833-3839. DOI: 10.1039/c3nj00955f

  ☆永遠の芸術を支える化学
絵画に用いられる絵の具(顔料)は、突き詰めれば化学物質です。このため、絵画の修復や保存において、化学の知識は不可欠となっています。

美術品などに用いられる顔料の安定性についてのショートレビューです.温度と圧力に対する安定性を測定したもので,温度を-196から600℃,圧力を8GPaまで変化させてラマンスペクトルを使用しています.ラマンスペクトルは極微量でできる非破壊分析であるため,このような目的に適しているということです.

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図1に示した数種の顔料について検討していますが,結論はやはり長きにわたって活躍しているこれらの顔料は高温や高圧の特殊環境においても安定性が高いというものでした.今後筆者らは,より現実に即した,長期間の美術館やギャラリーでの保管状態における安定性について情報を提供したいとしています.

興味深いと思ったのは,Maya Blueと呼ばれる顔料について,壁画などに使われているオリジナルが実際にどのように合成されたのか,未だ謎が残されているということです(参考).今回の測定では著者らが考えだした合成法によって作ったサンプルを使用しています.‘Maya blue’で検索すると,きれいな画像がいくつも出てくるので一度ご覧になってはいかがでしょうか.
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Maya blueによる絵画の例

Matthew R. MacDonald, Jefferson E. Bates, Joseph W. Ziller, Filipp Fuyche*, and William J. Evans*
J. Am. Chem. Soc. ASAP DOI: 10.1021/ja403753j

 ☆ランタノイドが2価をとる?

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 ランタノイドといえば、セリウムが4価をとるなどの例外はありますが、基本的に3価の陽イオンになるというのが今までの常識でした。しかし著者らは,これまで発見されたことのなかった,ランタノイド2価イオンの新規錯体を合成しています。そして今回、Pr2+, Gd2+, Tb2+, Lu2+錯体を合成したことで,ランタノイドすべてをコンプリートすることに成功しました.

 一連の研究の発端はイットリウム錯体で,カチオンとして[(18-crown-6)K]+を使用しており,この1錯体のみで2011年に速報を発表しています(JACS, 2011, 133, 15914.,JACS, 2012, 134, 8420.).

 今回の論文ではクラウンエーテルの代わりに2.2.2-クリプタンドを利用することで,より安定な錯体を合成できたことも大きな成果です.18-crown-6の場合,カリウムが1つのシクロペンタジエニル環と相互作用する近い距離にありますが, 化合物全体の分解がこの部分から始まっていることが示唆されました.そこで,2.2.2-クリプタンドを利用することでこの分解が起きることを防ぎ,安定化することを狙っています.

  全体的な内容としても,結晶構造,計算化学,吸収スペクトル,EPR,熱分析と,一通り取り揃えて議論しているので,この分野の論文として,教科書的な構成になっていると思います.

 これらのデータから,電子配置は4fn5d1であると筆者らは考えています.なお,すでに化合物が知られているEu2+, Yb2+, Sm2+, Tm2+, Nd2+などの電子配置は4fn+1とされており,これらとは異なる電子配置をとっているのではないかということです.

  超分子の礎となったともいわれるクラウンエーテルやクリプタンドが,数十年たった今なお,希土類元素の常識を覆す活躍をみせた,面白い研究だと思います.

Dr. Henry G. Hocking, Dr. Gerrit J. Gerwig, Dr. Sébastien Dutertre, Dr. Aude Violette, Dr. Philipe Favreau, Dr. Reto Stöcklin, Prof. Dr. Johannis P. Kamerling, Prof. Dr. Rolf Boelens
Chemistry - A European Journal, Early View, DOI: 10.1002/chem.201202713

☆新型O-結合型糖鎖

O-結合型糖鎖とは、セリン(Ser)/スレオニン(Thr)の側鎖に付加されている糖鎖のことを指します。O-結合型糖鎖には様々なバリエーションがありますが、今回の論文では新しいタイプのO-結合型糖鎖の発見及び構造解析がなされています。
010513 ChemEurJ CcTX

筆者らが調べたのは、conopeptideと総称される糖ペプチドの一つです。これらは一般にイモガイから見つかり、神経毒として知られています。CcTxと呼ばれる糖ペプチドを解析してみると、5糖から成る糖鎖の中に稀なL-galactoseが2つ含まれていることがわかりました。(D-galactoseは主要な単糖)
CcTXに含まれる糖鎖がどのような役割を果たしているのかはまだ不明とのことですが、バクテリアの産生物や海産物の中にはまだ私たちの知らない構造がたくさん含まれているのかもしれません。

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