目を覚ますと、そこは、一面の白い世界。
「ここは……?」
あまりにもすべてが白だから、私は今、とりあえず地面に足をついているようではある。けれど、それをすぐに受け入れることができない。
何となく、何もない空間に浮いているような、そんな気もする。
けれどそこは、何もない世界ではなかった。
「え……?」
振り返るとそこに、大きな扉があった。
それはとてもとても頑丈にできた鉄の扉で、高さは私の身長の3倍でもきかないくらいはある。そして、扉には荘厳な装飾が施されているだけでなく、それ自体が1枚の彫刻絵になっているように見えた。
描かれているのは、聖堂らしき場所で戯れるたくさんの天使たち。
そしていちばん奥には、マリア様の姿――けれど、マリア様というには少し、体がふくよかではある。
私はその顔を、どこかで見たことがあるような気がする。けれど、どこだったかは思い出せなかった。
けれどよくよく見てみると、マリア様だけではなく、舞い躍る天使たちの顔も、ことごとく私が見たことのある誰かの顔だった。
ちなみに、彼女たちが誰かはすぐにわかる。いつも、一緒だし。
マリア様に近い場所で賑やかにじゃれあっているのは、令さまと由乃さん。
その様子をにこやかに微笑みながら見守っているのは志摩子さんで、彼女と手を取り合い、そしてこちらに向けて手を伸ばしているのが、乃梨子ちゃん。
そして、祥子さまと私の顔をした天使も……よかった、ちゃんといた。
祥子さまがとても優しい表情で私の髪をとかし、私のそれを受けながら、胸の前で手を組み、瞳を閉じて祈っている。
たまたまかもしれないけれど。
私だけ、目を閉じている。
ここが夢であることは、わかっている。
けれど、それだけではないことも、何となくわかる。
……何となく、予感がしていた。
「もしかして……」
私がその可能性について考えたのと、それはほぼ同時だった。
声が、聞こえた。
「……っく、うう、う…っ……」
それは、泣き声だった。かすかにではあったけれど、祐巳にはそれが、ハッキリとわかった。
その嗚咽は、扉の向こう側から聞こえてくるようだ。
こんな頑丈な扉の向こうから?
声が、漏れる?
私は、その声に耳を澄ます。
その声と同じ声を持つ人を、私は知っている。
だから私は、その名前を呼んでみる。
「……瞳子ちゃん……?」
「……うぅ、う…う……」
祐巳の呼びかけに、瞳子ちゃんの声は応えない。ただただ、嗚咽が続くのみである。
私はとりあえず扉を押してみるけれど、当然ながらビクともしない。
押してだめなら引いてみればよいのだろうけれど、肝心の取っ手は私の遙か頭上。
「……どうすればいいのよ?」
私は途方に暮れる。
瞳子ちゃんの泣き声は、なおも続いている。心なしか、さっきよりも大きくなったような気がする。
早くそばに行ってあげたいのだけれど、扉が開かない。
振り返れば、この扉にぴったりの大きさの巨人さんが現れてくれるわけでもない……って。そこですぐさま可南子ちゃんの顔が浮かんでくるのは、何故だろう?
瞳子ちゃんはこの扉の向こうにいるのは間違いなのに、手をこまねいて見ているしかない、このもどかしさ。焦りが思考を狭くしてしまい、余計に心を追い込んでいってしまっているようだ。
だから、無理矢理深呼吸をして立て直すまで、気づかなかった。
なぜ、こんな頑強な扉の向こうから、しっかり彼女の声だけがこんなにもハッキリ聞こえてくるのか。
この声は、どうやって私の耳まで届いているのか?
この真っ白な空間は……
「まさか……!?」
私は歩き出し、扉を斜めから見る位置に移動する。
その扉は、暑さが20センチ以上はあった。そりゃ、ビクともしないのも当然である。
けれどこの扉、とんでもない役立たずではないか?
もしその扉が本当に『閉まっている』のであれば、両隣の壁に阻まれて、扉の厚さなんかわかるはずがないのだ。
「な、何なのよ、もう……」
扉はあるけれど、壁がない。単に、何もない空間に巨大な扉がオブジェのように置き捨てられているだけ。
あまりにも拍子抜けな回答に、私は思わず脱力してしまうけれど、
「……へこんでる場合じゃなかった」
すぐに立て直して駆け出し、扉の脇から回り込んで、その向こう側に至る。
「瞳子ちゃん!」
瞳子ちゃんは扉に背中を預け、膝を抱えて泣いていた。
けれど、私の声を彼女の耳が拾い、全身をびくんと小さく震わす。
「……えっ?」
最初、瞳子ちゃんは呆然とした表情で前方を見つめ、それからしばらく遅れて、ようやく私に目を向けた。
驚きに染めつくされた顔で、私を見ていた。
「祐巳…さま……、そんな、どうやって……」
瞳子ちゃんは、私がどうやって扉のこちら側まで来れたか、まだわからないようだ。
肝心な場面を見ていなかったから……って、それだけだろうか?
瞳子ちゃんは、わかっているはずだ。
ここは、瞳子ちゃんの心の世界。
私はただ、そこに迷い込んでしまったに過ぎない。
この扉を作って、鍵をかけてしまったのは、瞳子ちゃん自身。
瞳子ちゃん自身の心のどこかにある、何か。
もしかしたら瞳子ちゃんが、『理性』とかいう名前をつけているかもしれない、何か。
扉の向こうの世界には行ってはいけないと、それが瞳子ちゃんに余計な枷をはめている。
けれどその扉は、とんでもない役立たず。
ちょっとしたカラクリに気づくだけで、扉の向こうにはいとも簡単に行けてしまうようになる。
そんな風にしたのもまた、瞳子ちゃん自身。
それは、瞳子ちゃんが気づいていないか、あるいは気づいていながら引き出しの奥に仕舞っているもの。
きっとそれに、瞳子ちゃんは何の名前も付けていないと思う。
だから、あえて私が名づけるとしたら……それはきっと、瞳子ちゃんの胸の奥の、いちばん素直な気持ち。
私にはわかる。
だって、『理性』を名乗る心の足枷ですら、完全にそれを演じ切ることはできていないのだから。
文字通り、顔にはしっかりと出ている。本当は、こうしたいという気持ち。
あの天使の絵は、瞳子ちゃんの希望――
「ねえ、瞳子ちゃん」
だから私は、瞳子ちゃんを連れて行かない。
「扉の向こうは、素敵な世界(未来)だよ?」
煽るだけ煽って、けれど、連れて行かない。
「だから、瞳子ちゃんにも早く来てほしい」
ただ、そう願うだけ。
「私たちはずっと待っているから、早く私たちの方に手を伸ばしてきて」
「だけど……」
瞳子ちゃんは虚ろな顔で、巨大な扉を見上げる。
「私は、来れたよ?」
「……どうして……?」
「それは、自分で考えなきゃダメなことよ」
私は瞳子ちゃんの頭を両手で包み、胸に軽く押しつけた。
意地悪ではない。ただ、本当にそうでなきゃダメだと思うからだ。
でも、きっと大丈夫。瞳子ちゃんになら、いつかきっとわかってもらえるはず。そのときは、その答えのあっけなさに、愕然とするに違いない。
「きっと、大丈夫だから……」
私は、瞳子ちゃんに何度もそういって聞かせる。
これは、夢だから。目を覚ましたら、忘れてしまうかもしれないから。
「きっとだよ。必ず来てね」
「祐巳さま……」
瞳子ちゃんが涙を流しながら、何度も私にうなずいて見せた。
そう。
今私が胸に抱いている彼女自身が、瞳子ちゃんのいちばん素直な気持ちそのもの。
私はそれを、ハッキリと認識した。
ああ、よかった。
瞳子ちゃんはいつか、きっと来てくれる――
私、シオンケイは今、その日を待っています。
4年ともうすぐ3ヶ月、私はその日を待っていました。
次刊の表紙を見たとき、私はついに、散々待たされたその日が近づいていることを悟りました。
これで、来なかったら、私はどうすればいいの?という話ですが……(-_-;
『会いに行くのだ』
クリスクロスのあの言葉が、私にとってはとても大切なものでした。
まさか、いきなりあんな一直線な告白をかましてくれるとは思わなかったけれど、瞳子は確かに、扉を開けたのだと思う。
だからあとは、祐巳が瞳子の伸ばした手をしっかり掴むその瞬間を、見守るだけです。
私の願いが、もうすぐかないます――!
その日が来たら、『祐瞳記念祭』をやるんでしたね。
それから他にも、ちょっと、企んでいることがあります。
でもそれはまだ内緒。実際に動き出したら、改めて連絡しますね!
あまりにもすべてが白だから、私は今、とりあえず地面に足をついているようではある。けれど、それをすぐに受け入れることができない。
何となく、何もない空間に浮いているような、そんな気もする。
けれどそこは、何もない世界ではなかった。
「え……?」
振り返るとそこに、大きな扉があった。
それはとてもとても頑丈にできた鉄の扉で、高さは私の身長の3倍でもきかないくらいはある。そして、扉には荘厳な装飾が施されているだけでなく、それ自体が1枚の彫刻絵になっているように見えた。
描かれているのは、聖堂らしき場所で戯れるたくさんの天使たち。
そしていちばん奥には、マリア様の姿――けれど、マリア様というには少し、体がふくよかではある。
私はその顔を、どこかで見たことがあるような気がする。けれど、どこだったかは思い出せなかった。
けれどよくよく見てみると、マリア様だけではなく、舞い躍る天使たちの顔も、ことごとく私が見たことのある誰かの顔だった。
ちなみに、彼女たちが誰かはすぐにわかる。いつも、一緒だし。
マリア様に近い場所で賑やかにじゃれあっているのは、令さまと由乃さん。
その様子をにこやかに微笑みながら見守っているのは志摩子さんで、彼女と手を取り合い、そしてこちらに向けて手を伸ばしているのが、乃梨子ちゃん。
そして、祥子さまと私の顔をした天使も……よかった、ちゃんといた。
祥子さまがとても優しい表情で私の髪をとかし、私のそれを受けながら、胸の前で手を組み、瞳を閉じて祈っている。
たまたまかもしれないけれど。
私だけ、目を閉じている。
ここが夢であることは、わかっている。
けれど、それだけではないことも、何となくわかる。
……何となく、予感がしていた。
「もしかして……」
私がその可能性について考えたのと、それはほぼ同時だった。
声が、聞こえた。
「……っく、うう、う…っ……」
それは、泣き声だった。かすかにではあったけれど、祐巳にはそれが、ハッキリとわかった。
その嗚咽は、扉の向こう側から聞こえてくるようだ。
こんな頑丈な扉の向こうから?
声が、漏れる?
私は、その声に耳を澄ます。
その声と同じ声を持つ人を、私は知っている。
だから私は、その名前を呼んでみる。
「……瞳子ちゃん……?」
「……うぅ、う…う……」
祐巳の呼びかけに、瞳子ちゃんの声は応えない。ただただ、嗚咽が続くのみである。
私はとりあえず扉を押してみるけれど、当然ながらビクともしない。
押してだめなら引いてみればよいのだろうけれど、肝心の取っ手は私の遙か頭上。
「……どうすればいいのよ?」
私は途方に暮れる。
瞳子ちゃんの泣き声は、なおも続いている。心なしか、さっきよりも大きくなったような気がする。
早くそばに行ってあげたいのだけれど、扉が開かない。
振り返れば、この扉にぴったりの大きさの巨人さんが現れてくれるわけでもない……って。そこですぐさま可南子ちゃんの顔が浮かんでくるのは、何故だろう?
瞳子ちゃんはこの扉の向こうにいるのは間違いなのに、手をこまねいて見ているしかない、このもどかしさ。焦りが思考を狭くしてしまい、余計に心を追い込んでいってしまっているようだ。
だから、無理矢理深呼吸をして立て直すまで、気づかなかった。
なぜ、こんな頑強な扉の向こうから、しっかり彼女の声だけがこんなにもハッキリ聞こえてくるのか。
この声は、どうやって私の耳まで届いているのか?
この真っ白な空間は……
「まさか……!?」
私は歩き出し、扉を斜めから見る位置に移動する。
その扉は、暑さが20センチ以上はあった。そりゃ、ビクともしないのも当然である。
けれどこの扉、とんでもない役立たずではないか?
もしその扉が本当に『閉まっている』のであれば、両隣の壁に阻まれて、扉の厚さなんかわかるはずがないのだ。
「な、何なのよ、もう……」
扉はあるけれど、壁がない。単に、何もない空間に巨大な扉がオブジェのように置き捨てられているだけ。
あまりにも拍子抜けな回答に、私は思わず脱力してしまうけれど、
「……へこんでる場合じゃなかった」
すぐに立て直して駆け出し、扉の脇から回り込んで、その向こう側に至る。
「瞳子ちゃん!」
瞳子ちゃんは扉に背中を預け、膝を抱えて泣いていた。
けれど、私の声を彼女の耳が拾い、全身をびくんと小さく震わす。
「……えっ?」
最初、瞳子ちゃんは呆然とした表情で前方を見つめ、それからしばらく遅れて、ようやく私に目を向けた。
驚きに染めつくされた顔で、私を見ていた。
「祐巳…さま……、そんな、どうやって……」
瞳子ちゃんは、私がどうやって扉のこちら側まで来れたか、まだわからないようだ。
肝心な場面を見ていなかったから……って、それだけだろうか?
瞳子ちゃんは、わかっているはずだ。
ここは、瞳子ちゃんの心の世界。
私はただ、そこに迷い込んでしまったに過ぎない。
この扉を作って、鍵をかけてしまったのは、瞳子ちゃん自身。
瞳子ちゃん自身の心のどこかにある、何か。
もしかしたら瞳子ちゃんが、『理性』とかいう名前をつけているかもしれない、何か。
扉の向こうの世界には行ってはいけないと、それが瞳子ちゃんに余計な枷をはめている。
けれどその扉は、とんでもない役立たず。
ちょっとしたカラクリに気づくだけで、扉の向こうにはいとも簡単に行けてしまうようになる。
そんな風にしたのもまた、瞳子ちゃん自身。
それは、瞳子ちゃんが気づいていないか、あるいは気づいていながら引き出しの奥に仕舞っているもの。
きっとそれに、瞳子ちゃんは何の名前も付けていないと思う。
だから、あえて私が名づけるとしたら……それはきっと、瞳子ちゃんの胸の奥の、いちばん素直な気持ち。
私にはわかる。
だって、『理性』を名乗る心の足枷ですら、完全にそれを演じ切ることはできていないのだから。
文字通り、顔にはしっかりと出ている。本当は、こうしたいという気持ち。
あの天使の絵は、瞳子ちゃんの希望――
「ねえ、瞳子ちゃん」
だから私は、瞳子ちゃんを連れて行かない。
「扉の向こうは、素敵な世界(未来)だよ?」
煽るだけ煽って、けれど、連れて行かない。
「だから、瞳子ちゃんにも早く来てほしい」
ただ、そう願うだけ。
「私たちはずっと待っているから、早く私たちの方に手を伸ばしてきて」
「だけど……」
瞳子ちゃんは虚ろな顔で、巨大な扉を見上げる。
「私は、来れたよ?」
「……どうして……?」
「それは、自分で考えなきゃダメなことよ」
私は瞳子ちゃんの頭を両手で包み、胸に軽く押しつけた。
意地悪ではない。ただ、本当にそうでなきゃダメだと思うからだ。
でも、きっと大丈夫。瞳子ちゃんになら、いつかきっとわかってもらえるはず。そのときは、その答えのあっけなさに、愕然とするに違いない。
「きっと、大丈夫だから……」
私は、瞳子ちゃんに何度もそういって聞かせる。
これは、夢だから。目を覚ましたら、忘れてしまうかもしれないから。
「きっとだよ。必ず来てね」
「祐巳さま……」
瞳子ちゃんが涙を流しながら、何度も私にうなずいて見せた。
そう。
今私が胸に抱いている彼女自身が、瞳子ちゃんのいちばん素直な気持ちそのもの。
私はそれを、ハッキリと認識した。
ああ、よかった。
瞳子ちゃんはいつか、きっと来てくれる――
私、シオンケイは今、その日を待っています。
4年ともうすぐ3ヶ月、私はその日を待っていました。
次刊の表紙を見たとき、私はついに、散々待たされたその日が近づいていることを悟りました。
これで、来なかったら、私はどうすればいいの?という話ですが……(-_-;
『会いに行くのだ』
クリスクロスのあの言葉が、私にとってはとても大切なものでした。
まさか、いきなりあんな一直線な告白をかましてくれるとは思わなかったけれど、瞳子は確かに、扉を開けたのだと思う。
だからあとは、祐巳が瞳子の伸ばした手をしっかり掴むその瞬間を、見守るだけです。
私の願いが、もうすぐかないます――!
その日が来たら、『祐瞳記念祭』をやるんでしたね。
それから他にも、ちょっと、企んでいることがあります。
でもそれはまだ内緒。実際に動き出したら、改めて連絡しますね!