チェンライでテニス

冬の間、タイのチェンライでテニスを楽しむ日々を書き残す。時々、鹿児島のことも。

西郷隆盛と知行合一①」の続きです。

西郷隆盛が若い時に、薩摩川内市にある瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を祀る「可愛山陵(えのさんりょう)」で火災を起こし、その罪で甑島(こしきじま)に流罪になったけれど、それは表向きの事で島津斉彬から密命を受けていたと書きました(ココ)。島津斉彬が藩主になったのが1851年。西郷隆盛が最初の結婚をしたのが1852年ですから、この事件があったのが島津斉彬が藩主になった直後の1851年ごろとすれば、西郷隆盛23歳頃となります。
甑島1
その流された甑島には、14年前に死んだはずの大塩平八郎と息子の格之助が密かに隠れ住んでいて、そこで西郷隆盛は大塩平八郎から陽明学の講義を受けたというのです。

大塩平八郎は乱のあと焼身自殺したと言われますが顔も焼けていて判別がつかない焼死体でした。「大塩平八郎の乱」は1837年のことですから、これが本当のことであれば大塩平八郎は14年間も甑島に隠れ住んでいたことになります。
俄かに信じられない話です

甑島はいまは薩摩川内市に含まれていますが、とても風光明媚なところです。
甑島12
九州本土から離れているものの、地図で見れば分かるようにすごく離れているわけではありません。そのため戦いに敗れた人達が追手から逃れて隠れ住むには都合がよい場所だったかもしれません。 
甑島5
上甑島、中甑島、下甑島と3つの島の中でも下甑島、森進一の「おふくろさんの歌碑」がある島ですが、その島の片野浦には平家の末裔が住む集落が海側にあり、山側には隠れキリシタンの集落があると言われ、そこにある天上墓と呼ばれる墓はザビエルを薩摩に連れてきた弥二郎の墓ではないかと噂されています。
甑島12
(平家の末裔が住む集落)

さらに甑島にはかつて天皇家と関係の深い南朝の末裔たちが隠れ住んでいたと言われ、南朝方菊池の末裔である西郷隆盛にとっては縁のある島だと言えます。

それにしても大塩平八郎は屋敷に大砲を数門隠し持っていたのですが、いくら高名な陽明学者でも、おいそれと大砲を調達できるわけもなく、背後に大塩をバックアップする組織があったことをうかがわせます。

西郷隆盛は禁書となった大塩平八郎の書いた「洗心洞箚記(せんしんどうさっき)」を所持し、暗誦していました。大塩平八郎の精神を受け継いだ西郷隆盛は、彼をバックアップしてくれた組織や同士たちのために勝ち目のない西南戦争を戦って、大塩平八郎と同じように散った・・・ということかもしれません。

このコラムではどれもこれも公には認められてない話ばかりを書きました(完)。

ついに日本政府の堪忍袋の緒が切れて韓国への制裁、いや優遇措置の撤廃がはじまりました。もう韓国とはつきあわんぞと言うくらいの覚悟ができているでしょう。

私たちの知っている韓国人にはよい人が多いのですが、長い間の反日教育の成果(?)で若い人の頭がすっかり反日になっていて、真実を語れば袋叩きに会う社会になっていますから、行く所まで行って社会全体の洗脳が解かれるまではどうにもならないのかなと思います。

そんな中でイ・ヨンフン(李榮薫)ソウル大学名誉教授の勇気ある(命をかけた)発言があったのでリンクを張らせてもらいました。


韓国の若者たちが、この勇気ある李榮薫教授を袋叩きするのでなく、教授の話に真摯に耳を傾けてくれることを願います。

敬老パス」を持ち歩く年齢になりましたが、はるか昔、中学校に入学して最初の国語の授業のことですが、国語担当のH先生が教室に入ってきて、いきなり黒板に4文字熟語を書きました。それが「知行合一(ちぎょうごういつ)」でした。

「これが読める人はいるか?」

と先生が訊きますが誰も手をあげない。何も言葉を発せずシーンとした時間が1分、2分、3分と過ぎていきました。

私の父親は高等小学校しか出ていませんが「俺だって一年に何回かは教科書を家で開いたものだが、お前は家で教科書を開いたことが一度もない」と言っていましたが、まったくその通りの小学生でした。他の生徒だって似たようなものでした。

ですから中学生になっていきなり「知行合一」などという言葉を読めるわけもなければ意味も分かりません。

あまりに無言の時間が長く続くのが嫌になって私が手をあげて、自分が読めそうな読み方を答えました。当然のごとく、それは間違っていて、自分でもその時に何と読んだのか覚えていないのですが、その時に先生が「例え間違っても手をあげて答える勇気が大切だ・・・」というようなことを言って大層褒めてもらったことだけを覚えています。

それ以来「知行合一」のことはすっかり忘れていましたが、いま思えば教室や講演会などで分からないことがあれば手を挙げて質問することが躊躇(ためら)いなくできるのは、あの時に先生から褒められたことがあったからだろうと思います。

いまになって西郷隆盛について調べていく過程で、「知行合一」が西郷隆盛が愛した言葉だということを知って13歳の春の一コマを思い出したというわけです。
ニュアンスが多少違いますが「言行一致」を信条として生きてきたのも、この時の先生の教えが影響しているかもしれません。

「知行合一」とは「物事を知ることだけで、行いなければ知らぬと同義。行いが知るを完成させる」というような意味です。陽明学の中の重要な教えだそうです。

陽明学の学者と言えば「大塩平八郎」が有名です。清廉潔白な人で大阪の東町奉行所の与力だった人で、今でいえば下級官吏だったのですが、地球が寒冷化し飢饉が続いた天保の時代、貧しい人達が飢え死にしていた時に11代将軍の徳川家斉は40人だかの側室をもち、産ませた子供はあまり多くて人数がはっきりしないが55人とかと言われて遊びほうけていましたし、役人は賄賂とゴマすり、商人は買いだめに走りますから、庶民の苦しみは増すばかり。毎日、大勢の餓死者が出る。
怒り獅子大塩平八郎

そんな状況をみかねて天保8年に「大塩平八郎の乱」が起こりますが、大阪の市中の1/5が燃えただけで半日で鎮圧されてしまいます。「大塩平八郎」は息子の格之助と共に隠れていたところを見つかり離れ屋敷に自ら火をつけ焼死体としてみつかりました。

明治維新の30年前のことです。

と、ここまでならば歴史の本に書かれているのですが、焼死体ですから本人確認ができない。それで「大塩平八郎」はどこかに逃げ延びて生きていた・・・という話がありますが長くなったので次回に

2週間ばかり前に「西郷隆盛終焉の地」裏の「天然温泉 湯之山」に行ったと書きましたが、それなら、西郷隆盛が最後の突撃をするまで隠れていた城山の洞窟、その洞窟前にある「天然掛け流し温泉 長寿泉」にも行ってみようかということになりました。

「長寿泉」は西郷洞窟の城山展望台に向かう道路を挟んだ真向かいにあります。
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(西郷隆盛が隠れていた城山の洞窟)

入浴料は鹿児島市内の協定料金の390円ですが一年間に30回利用できる敬老パスで100円です。城山展望台に向かう観光周遊バスの「カゴシマシテイビュー」の「西郷洞窟前」で下車すると、そこが「長寿泉」です。
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(「長寿泉」入口)

鹿児島市内の観光に便利なのが「一日乗車券」です。600円で市営バス、路面電車、「カゴシマシテイビュー」に乗れますから、これで観光しながら西郷洞窟前で下車して温泉で汗を流し、1時間後のバスで旅を続ける・・・こんなアイデアもあるかなと思います。貴重品用のロッカー(無料)が
番台の前にあり、おかみさんからカギを借りて保管できます。

私が入った時には昼前でしたが常連さんたちが大勢いました。小ぶりの銭湯で洗い場が狭いので肩寄せ合って8人分。混雑している時には少し窮屈です。サウナもあります。私が気に入ったのは常にパイプから滝のように流れ落ちる「打たせ湯」です。5分ぐらい「打たせ湯」にいたら肩こりがよくなりました。

源泉掛け流しの「長寿泉」で旅の途中で汗を流す・・いいかもしれません。

3月はじめにチェンライから鹿児島に戻って約100日、ほぼ毎日温泉に入っています。自宅の風呂に入ったのは1日だけ。「みどり温泉」、「中山温泉」、「竹迫温泉」に週に一度行き、他の日は歩いて5分の「高齢者福祉センター」のお風呂です。「高齢者福祉センター」は65歳以上の市民が使え入浴料100円です。

42℃ぐらいの温泉に入ると免疫が高まり体に溜まった悪い物がデトックス(排出)される・・・そんな効果を期待していますが、そのおかげでしょうか、体調がよく風邪も引きません。

「みどり温泉」と「中山温泉」には5リットルのプラスチックのボトルを持参し「湧き水」を汲んで我が家の「炊事」や「飲み水」に使います。水道水には消毒のための塩素が含まれていますが、これがアトピーとか花粉症の原因ではないかと疑われています(詳しくはココ)。水道水の塩素だけでなく食品添加物や農薬など石油を原料とするこれまで天然になかった物質が体の中に少しずつ溜まり、累積量が限界を超えた時にそれを排出しようとする症状がアトピーとか花粉症だと思うのです。

(今のところ)アトピーも花粉症もありませんが、悪い物をなるべくとらないために「湧き水」を飲み、また入ってきた悪い物を排出(デトックス)するために温泉に浸かるのですが・・温泉がいたるところにある鹿児島、それが鹿児島に住む一番の魅力です。

とはいえ、いつも同じ温泉だけでは飽きます。鹿児島県には500か所以上温泉があるのですから新しい温泉を試してみることにしました。

インターネットで調べると「いい湯だよ~」と評判の「天然温泉 湯乃山」に行ってきました。
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(「南洲翁終焉之地」碑の左側の路地を上っていくと「湯乃山」の看板)

創業が1962年といいますから東京オリンピックの2年前です。古びた温泉というか、もしかして創業時そのままの建物とも思えるのですが、それも実に簡素な作りの温泉で鹿児島市内の入浴料が390円の協定料金なのに「天然温泉 湯乃山」は500円と高めです。サウナがなく、カランもありませんから湯船からお湯を汲んで体を洗います。

家族風呂と男女に分かれた一般風呂があり、どちらを利用しても500円です。家族風呂といっても自宅の風呂の2倍程度の広さで、一般風呂も一度に5人程度しか入れない広さですが、混雑するのは週末の夕方だけで、昼時に行った時には男湯には他に誰もおらず貸し切り状態でした。
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(家族風呂が7部屋)
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(男湯・・最大5人まで。奥の左隅の水風呂はひとりだけ)

古くて、簡素で、高めの料金でも、この温泉のファンがいるということは、それだけ泉質がよいということだと思います。源泉掛け流しで湯舟からあふれ出る温泉は褐色です。温泉が湧きだす地下の土壌で泉質が変わりますが、そこが植物性有機物のためコーヒーのような色がついた「モール温泉」となっています。肌にぬるっとした感触があり潤いを与えてくれる。そこが魅力です。

その「天然温泉 湯乃山」の場所は西南戦争で西郷隆盛が隠れていた城山の洞窟から数百メートル下りて官軍の銃弾を腰、大腿部に受け、「晋どん、もうここらでよか」と言って、別府晋介の介錯で自刃した「西郷隆盛終焉の地」のすぐ裏手です。
西郷隆盛終焉の地
(地図の右上に「天然温泉 湯乃山」、「西郷隆盛終焉の地」)
 緯度経度(31.601830, 130.554968)

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(南洲翁終焉之地)

切り落とされ血だらけの西郷隆盛の首を近くに流れる清水で洗い白い布で包んで埋めたと言われています。その時に流れていた同じ水が「天然温泉 湯乃山」の水風呂にも流れている? きれいな旨い水でした。

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