チェンライでテニス

冬の間、タイのチェンライでテニスを楽しむ日々を書き残す。時々、鹿児島のことも。

カテゴリ: カフェ

「田んぼ」の中のレストランでの昼食のあと、チェンマイに向かうバス出発までの暇つぶしに行ったのが最近人気が出ているカフェ「Polar Boulangerie and Patisserie」です。
Cafe Polar  (1)
以前は市街地の豆乳屋さんの近くで営業していたのが、郊外の何もないところに引っ越して出したカフェですが、雰囲気がよく人気が出ています。コロナ騒ぎで密閉した空間を避けようという気持ちもあって窓開けっぱなしで扇風機だけのカフェに人気が出たのかもしれません。

ケーキが、なんとなく今は閉店してしまったカフェ「Forget Me Not」の絶品ケーキに似ています。もしあのカフェのパテシェのケーキが提供されているとすれば繁盛しているのも頷けます。次の機会に確かめてみます。
Cafe Polar  (2)
開けっ放し空間はよいとして3月になって気温が30℃を越え、さすがに部屋の中まで熱気が入ってきて、「田んぼ」の中のレストランで昼から飲んだビールも利いて眠気が襲ってきたので早々に引き上げました。
Cafe Polar  (3)
Cafe Polar  (4)
多くのカフェが開店し、そして淘汰されていきます。

チェンライのスアンドーク(花園)村落にある「花園コーヒー」、これまでは大きな池の畔の素敵な立地にあったのに、そこは公共の土地なのですが、隣接する他の店共々立ち退きを迫られ移転しました。

移転先はシンハーパークの先、少し前にブロに書いた「AKHA MINO COFFEE」の目の前です。チェンマイに向かう旧道(1211線)沿いにある店主の自宅と庭が新しいカフェになりました。
花園コーヒー5
「はなぞのコーヒー」という日本語の看板はなくなりましたが、道路沿いの真っ赤なブーゲンビリアが目印です。
花園コーヒー3
これまでは、池を眺めながらコーヒーを飲む、そんなイメージの「花園コーヒー」でしたが、高木が眩しい太陽の光を遮り、木々に囲まれた新しい「花園コーヒー」もまた素敵です。
花園コーヒー6
焙煎機ではなく手作業で焙煎した「花園コーヒー」の優しい「シテイロースト」を日本へのお土産に注文しました。
花園コーヒー4
(パッションフルーツと蜂蜜、きな粉とココナッツミルク いづれもシャーベット)

移転先:「カフェスアンドーク(花園)」の場所はココ

メイサイのバスターミナルそばの「上海小籠包」でラーメン、焼き飯、餃子、小籠包の昼食を済ませた後、
上海小籠包
オップさんはヒロにサッカー少年たちが閉じ込められ救出された洞窟のある山並みを見せてあげたかったようです。昨年、「Phufa Zaje homestay & Cafe」に来たことがありコーヒーを飲みながら、ご主人が若い頃、前国王がたびたび、このアカ族の村を訪ねて来られたという話を聞きました。この時の事は昨年のブログ(ココ)に書いています。

下の写真はこのカフェを開業した頃のものでしょうか。娘さんは女子高校生ぐらいに見えます。
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その彼女も今は年老いた両親の代わりにカフェを切り盛りしています。彼女に前国王がこのアカ族の村を訪れたのは、村の文化や自然に興味があったからだったのですかと訊くと、彼女はあっさりと否定し「村には文化と呼べるものは何もなく、前国王はミャンマーから侵入を受けやすい国境地帯を視察に訪れたのです」との返事が返ってきました。
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私たちはのんびりと山の風景を楽しむ平和な時代に生きていますが、国を統治する前国王の頭の中には別の景色があったようです。前国王の頭の中には国が乱れるのを防ぎ外国からの侵入を防ぐということが常にあったように思います。代替わりした今はちょっと心配です。

彼女は謙遜して「村には文化と呼べるものは何もなく・・」と言っているだけで、アカ族は貧しかったけれど伝統をしっかり守っていると思います。山岳民族は民族間の殺戮から逃れて山間部に生活を求めた人々です。
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(彼女の娘さん?)
アカ族になったマリーとヒロ
(アカ族になったマリーとヒロ)

テニスをしない土曜日、オップさんから昼飯を食いに行こうと誘いの電話がありました。私たちが予想した通り、ガイヤン(焼き鶏)に行こうといいます。ナックナカラに泊まっているヒロにも誘いの電話を掛けたのですがヒロの携帯の電源が入ってないので3人だけで出かけました。

最近開店したばかりの店のようですが、向かいにある同様の店より安い価格らしく結構繁盛していました。店先で焼ける鶏の匂いで食欲が増します。
ガイアン (2)
ガイアン (1)
ガイヤンが目の前に出てきたところでヒロの携帯の電話が使用可能になったと自動メールが届きましたが少し遅かった。

ガイヤンと「レバーの炒め物」、スープにカオニャー(蒸したもち米)で240バーツでした。ひとり当たり80バーツ。

腹を満たしたあと、シンハーパークの先にアカ族が開いた、いいコーヒーショップがあるので行こうということになりました。周りを田んぼに囲まれた長閑な山岳民族のアカ族が開くコーヒーショップです。ショップの名前「アカ・ミノ・コーヒー」の「ミノ」は奥さんの名前だそうです。旅行ガイドをしている日本語の上手なアカ族の若者が北海道のツアーから帰って来たばかりでまたすぐに行くと話していました。
アカミノコーヒー (4)
ショップのそばでコーヒーの木や野菜を植えたり、アカ族の風習が残っています。
アカミノコーヒー (3)
(子供を遊ばせる手作り遊具)

アカミノコーヒー (2)
(小川を越える竹橋)
アカミノコーヒー (1)
(アカ族の食事二人分。オーガニックな料理。299バーツ。隣のお客さんが食べていまいた)

コーヒーは深みがあって美味しかったです。カプチーノ 50バーツ。

「フラワーフェステイバル」が開催されている公園からテニスコートのある「コロイ(浮島)」地区に向かう交差点の一角に樹木に覆われて、ジャングルというか藪のような広い土地がありました。数年前その藪が取り除かれて青空カフェができました。高さ20メートルはあろうかという大木が強い日差しを遮り、自然な風を感じながら、ゆったりとすごすことができるその場所は、私たちのお気に入りになったのですが、翌年には雨の日でも利用できるように屋根ができました。

私たちは、そのカフェを「木下カフェ」と名付け、2年ほど前の「エピローグ」の中で詳しく紹介しました。本当の名前は
Mod Nom Sod มดนมสดです。
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チェンライでは毎年カフェが数多くオープンします。ラーメン一杯が40バーツなのにコーヒーが60バーツや80バーツですから贅沢品です。コーヒーの原価は安いですから、小綺麗な服を着て苦労なく一儲けしようとカフェを開くのでしょうが、特徴のないカフェはすぐに飽きられます。「木下カフェ」はコーヒーが30バーツで、軽食もあり若者に人気です。
木下カフェANNEX (4)
(新たにカフェとして使われるようになったMod Chana Phai Fundationの建物)
木下カフェANNEX (3)
(カフェの入口)

宿が「木下カフェ」から少し離れて、毎日行くわけにはいきませんが、久しぶりに行ってみれば敷地内にある建物内にカフェが拡大し、2階がギャラリーになっていました。一週間後のギャラリーのオープニング・セレモニーに先立ち作品を見せてもらいました。
木下カフェANNEX (1)
(葛飾北斎の浮世絵の構図を真似た絵。月に一度、絵は差し替え予定)

値段よし、雰囲気よしですから、数年後にはチェンライで一番人気のカフェと認められる・・かもしれません。もちろん、私たちにとっては以前からずっと、そして今でも一番のお気に入りの場所です。

城山山麓の西郷像(写真の右側)に隣接するビルの5階、西郷像を斜め上から見下ろす「K10カフェ」に行ってきました。
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(左側のビルの5階に「K10カフェ」があります)

西郷隆盛と言えば「敬天愛人」ですから、カフェの名前の「K10」は「敬天」をもじったものです。このカフェを経営するのは西郷隆盛が沖永良部から戻ってから娶った3番目の妻、「(岩山)糸子」の長男である寅太郎の孫にあたる西郷隆夫さんと、糸子の父方の末裔の若松さん(店長)です。
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(カフェというよりは若松さんの書斎という感じもします)

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ここに行けば西郷隆盛の秘話が聞けると知って、市役所に行った帰りに立ち寄りました。「K10カフェ」は5階ですが入口はビル1階の駐車場脇にあるエレベーター、これがかなり古びたエレベータです。5階まで上りエレベータを出ると目の前に「K10カフェ」の案内がごちゃごちゃとあります。
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ひいき目にみても若いカップルが入りたくなるようなお洒落な雰囲気はなく、西郷隆盛に興味を持つ年配者がなにか新しい発見がないかと・・・実は私達もそんな感じで行ったのですが、カフェには他に誰もお客さんがおらず、若松さんが次々と色々な事についてお話をしてくれました。
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(「K10カフェ」から西郷像を眺める)

西郷隆盛については色々謎めいた事があり、そのひとつが「台湾にいた隠し子」説 です。公には認められていませんがその「隠し子」とそっくりの方が西郷隆盛の子孫にいたのですから恐らく事実だと考えられます。その方の写真もカフェの壁に貼られています。
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(左上が台湾で見つかった西郷隆盛の隠し子と考えられる人物の写真)

西郷隆盛は奄美大島や沖永良部に流刑になった話はNHKのドラマに出てきますが、台湾に渡ってそこで隠し子を作った話は公には語られません。

西郷家は南朝方の菊池の出で代々隠密活動をしてきた一族です。西郷隆盛が若い時に、いまの薩摩川内市にある瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を祀る「可愛山陵(えのさんりょう)」で火災を起こし、その罪で甑島(こしきじま)に流罪になるのですが、それは表向きの事で西郷隆盛は島津斉彬から密命を受け台湾に渡り、琉球人に仮想して宜蘭で偵察のため半年滞在し、そこで現地の娘との間で男の子をもうけたというものです。

西郷隆盛が奄美大島に流され愛加那との間に生まれた長男に菊太郎ではなく、菊次郎と名づけたのも、その前に台湾に子供がいたからだと考えれば、なるほどとうなずけます。
西郷隆盛系譜

(蘿茉(ローモ)、劉武老は末尾紹介の「南海物語」から)

後に菊次郎が台湾の宜蘭長官として派遣された時に自分の長兄にあたる人を探しあてたとも言われています。

密命を受けて行動したことに記録・文献が残るわけもなく、いつまでも秘話のまま伝わっていく話題なのかもしれません。

詳しくはココを参照。

興味のある方は是非「K10カフェ」を訪ねてみてはいかがでしょう。思わぬ発見があるかもしれません。私達も時間を作ってまた行こうと思っています。

お勧め! 「

南海物語-西郷家の愛と哀しみの系譜- / 加藤和子



オップさんがとってもよいカフェがあるので行ってみようと言いますから、「なんでも見てみよう」という考えの私たちはとりあえず賛成しました。道は象キャンプに向かう方向です。郊外に移った刑務所の脇を通り抜け、しばらく行くと真新しいカフェが見えてきました。入口のそばの大きな木に巻きつくうように階段があり20人は座れるような広さのカフェでした。私たちはホテルの近くの私たちが勝手に名付けた「木の下カフェ」でチャマナオを飲んだりするのですが、ここは「木の上カフェ」です。
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カフェは施設の一部で、養鶏をやっていたり、ビニールハウスでのキノコ栽培、いろいろな野菜栽培のほかに広い敷地にゴムの木が植えられていて農業試験場のようにも見えました。
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(ゴムの木)
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(ゴムの樹液採取)
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ちょっと変わったマッサージをしてくれる部屋がありました。木製の「手のひら」、それを木槌で軽くたたくマッサージで私も3分ばかりやってもらいました。そのあとで手で肩を揉んでもらいました。「肩こり」のツボをしっかり押さえたしっかりとしたマッサージでした。
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女子高校生たちが大勢いました。課外学習のようです。
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その中で気になったのは「Inspire by Princes」というマークが貼ってあったことと、職員の数が多くて、これだけの職員を抱えてカフェや食堂だけで経営が成り立つのだろうかと思ったことでした。「Princes」がからんでいるならロイヤルプロジェクトなのかなとオップさんに訊くと、どこかから情報を仕入れてきました。

どうやらそこは近くの刑務所の付属設備で刑期の残りが数か月ぐらいになった囚人たちの社会復帰のための施設だったのです。コーヒーを運んでくれたお姉さんも肩を揉んでくれたお兄さんたちもみんな囚人たちです。刑務所の中では社会復帰に向けての訓練がされています。表情に暗さはなく、みんな明るいのは残る刑期が少なくなっているためなのか、技術を習得して出所後の生活に自信がついたためなのでしょうか。ほとんどは麻薬の運びや販売組織の末端の仕事で捕まった人たちだと聞いています。

チェンマイの女子刑務所に隣接して女囚さんたちの作った「刑務所グッズ」を販売していたり、マッサージ店かあり腕がいいのでよく通いました。刑務所の移転後しばらく閉店していましたが、また営業を再開したようです。
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それでは、このブログに刑務所の写真でものせなきゃと思い、帰りがけに刑務所に近づいたのでカメラをとりだしました。走りながらですから、いい具合の構図で写真が撮れません。「オップさん、少し止まってよ」と頼んだのですが、オップさんはスピードは緩めたものの停止せず走り続けます。曰く、かつて刑務所から脱走した者がいたので刑務所の外観の撮影をしていいのかよくわからない。撮影が脱走の手助けだと思われてもなあー、刑務所から誰か出てきて、ちょっと中に入ってみるかいと招待されても困ります。
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そんな苦労をして写真をとったのに、あとでグーグルマップのストリートビューをチェックしたら全景が写っていました。(ココ

タチリクで観光」からの続きです。

オップさんから電話があったのは私たちがタチリク(ミャンマー)のパゴダを出ようとした時でした。チェンセンに持つ土地の固定資産税を支払うためにメイサイから20キロばかりのところまで来ているので一緒に昼飯を食おうというものでした。それで1~2時間後に私達が国境を越えてメイサイ(タイ)に戻るのでそこで会うことにしました。

3つの寺を見た後で、タチリクの商店街でちょっとした買い物をし、ついでに免税店でワイン2本を買って、ミャンマー出国のスタンプを押してもらい、タイに入国し、改めて30日間の査証をもらいました。私たちはこれから45日間ほど滞在するので、今回もらった査証が切れる前にもう一度ミャンマーに入出国してタイの査証をもらう必要があります。念のためイミグレの係官に「30日後にもう一度来るけれど査証はOKだね?」と訊くと「うんうん」という返事でした。

私たちの国境手続きは待つこともなく順調でオップさんに連絡するとすでにメイサイに到着済みでした。雲南の麺を食べに行くことになりました。何年か前にいったことのある店でした。本当は私たちはメイサイでインド料理かモスリム料理を試してみようと考えていましたが、オップさんがわざわざメイサイにきてくれたのでインド料理とモスリム料理は次の楽しみにとっておくことにしました。

メイサイを出てチェンライに向かうのですがオップさんが昨年夏の13人のサッカー少年の救出活動のあった洞窟(Tham Luang Cave)、その洞窟はいまやタイ中から、いや日本人でさえやってきて賑わっているのですが、その洞窟の入口ではなく、その洞窟のある山を背後から望むカフェがあるから、そこに行こうと言い出しました。カナダ人のアーリと一度来たことがあるところだと言います。
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(Tham Luang Caveは中央の山の中にある)
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行ってみれば本当に眺めの素晴らしいところでした。カフェが何軒かあるのですが、私たちが入ったカフェは亡くなられたキングが若い頃、何度も訪れたカフェで実際にキングが座られた椅子もそのまま置いてありました。
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当時は舗装もない山道を何人もの村人がキングの乗られた馬を引っ張りあげる様子が写真に収められています。
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馬上のキングに寄り添って手を添えていた話をカフェの店主から聞きました。周辺に住む山岳民族アカ族の村長さんだったようです。
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(カフェの店主はアカ族の元村長さん、奥さんと娘さん)

このアカ族の村の風景はまるで雲南のようだとオップさんは言います。わざわざ遠い雲南に行かずともメイサイから車でわずか10分で雲南を楽しめました。

オップさんは私たちがメイサイに行く日に合わせてチェンセンにやってきて、私たちにこの風景を見せたかったのだと思います。このアカの村でゆっくり過ごしたため夕方の渋滞に巻き込まれてしまいましたが、本当にすばらしい時間を過ごしました。
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場所はココ

昨年までは大韓航空でチェンマイから仁川、鹿児島というルートで帰国していましたが、今年はチェンライからバンコク、仁川、鹿児島というルートにしました。3月のチェンマイの暑さを避けたかったからです。

チェンライーバンコク間はバンコク航空です。「やっぱりいいな、バンコク・エアウエイズ」で書きましたが、チェンライ発バンコク行きのチケットを買うはずが、間違って逆のバンコク発チェンライ行きのチケットを買ってしまい、泣き落としでリファンドしてもらい、買い直したチケットです。

2年ぶりにチェンライ空港に行ってみれば、随分きれいになっていました。私たちはホテルに配車を頼んで自分たちで空港に行くつもりでしたが、オップさんが自分が送っていく、空港でコーヒーを飲もうと強く言うものですから、そうしたのですが、オップさんとしては綺麗になったチェンライ空港の2階にできた国際線入口脇のフードコートに行きたいというのが本当の目的だったようです。
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(国際線搭乗口脇のフードコート)

私たちは荷物の中の、ナイト・ストリート・マーケットで買った蜂蜜が発酵を始めていたので、なるだけスーツケースを冷たい環境に置いておきたかったのですが、ホテルをチェックアウトした後にオップさんと昼食をとったりするとオップさんの車の中でスーツケースが暑くなり、蜂蜜の発酵が勢いづき、ペットボトルから蜂蜜が漏れ出すのではないかと心配していました。

そんな私たちの心配を知らないオップさんですが、チェンライ空港2階のフードコートのチャマナオ(紅茶+ライム)は値段はチェンライのどのカフェよりも高い79バーツでしたが、味は最悪でした。どうすれば、これだけまずいチャマナオが作れるのか不思議なほどまずいチャマナオです。私はひと口飲んだだけで飲むのをやめてしまいました。
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(もう二度と飲まない、まずい・まずいチェンライ空港のチャマナオ)

やっぱりチャマナオは蜂蜜たっぷり
30バーツの木の下カフェ」が最高です。

ところで私たちの心配したペットボトルの蜂蜜ですが、帰国し、家でスーツケースを開け、スーツケースの中が蜂蜜でベトベトだったという事態はありませんでしたが、ペットボトルがパンパンに膨れ上がっており、フタを緩めれば蜂蜜が漏れ出てきました。

来年、もしオップさんに空港まで送りに行くと言われても、自分たちで行くことにします。

2日続けてCafe(喫茶店)巡りをしたので、オップさんもしばらくはCafeに行かないだろうと思っていたのに、どうしても連れて行きたいところがあると言うのです。山岳民族の女性が経営するCafeのすぐ先の山上に眺めのよいCafeがあるのだとか。

行ってみれば、言った通りの中々よい眺めでした。幸運舎利塔と観音像が背後から見えます。
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コーヒーを飲み始めたところにチェンライに数年ほど前から住み始めたカナダ人のアーリが入ってきました。アーリと会うのは数年ぶりです。街の中ならともかく、なんで山の上のCafeで会うのかとお互いに偶然のこととはいえビックリしました。アーリは物静かな人で真面目そのものですが、彼の連れはアーリとは違いユニークな風貌です。マリー曰く「まるで仙人のようだ」というのですが、なるほど白いヒゲが生えているし、20年間も中国の雲南の山間に住んでいたというから仙人かも知れないと思えたのですが、マリーが言うには「何日もシャワーを浴びてないのか臭うのよ」と言うのです。そりゃ仙人なら何年間も風呂には入ってないかも知れないなと納得したのでした。
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(右端が仙人、左端がオップさん、そしてアーリ)

アーリは雲南で英語教師として8年間過ごしたというし、連れの仙人も雲南に20年間もいたというので雲南つながりの知り合いです。仙人はデンマーク生まれの橋梁技術者で43歳でリタイアし120カ国を旅したらしい。アフリカはすべて回ったよと言っていました。

久しぶりのアーリとの再会で色々な話題で盛り上がり、三時間もそのCafeで過ごしてしまいました。コーヒーの値段が70バーツとこれまでで最高でしたが三時間もおしゃべりを楽しんだのでよしとしましょう。

アーリたちはどうやらCafeに昼食をとりに来たようだったのですが、話が弾んで何も食べずに帰っていきました。

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