2005年09月02日
ラーメン屋
夜はちょっと足をのばして、ネットで「うまい」と評判の「ラーメンひがし」に行ってみた。
以前にも一度行った事のある店で、住宅街の中にあるこじんまりとした非常に目立たない店構えである。しかし、ここのラーメンはうまい。大通りにも面さず、快速も止まらない駅、さらにまったく宣伝をしない普通のラーメン屋のため、行列ができることはないが、常連さんは非常に多いようである。
行くのが夜のためか、店はオヤジさんが1人でやっている。具志堅用高をちょっと痩せさせてヒゲを取ったイメージのオヤジさんなのだが、テーブルに着くと、カウンターからわざわざ出てきて、入口近くの水を汲んで持ってきてくれる。「ハイヨッ!」「オマチドッ!」。う〜ん、威勢がエエノォ。
ラーメンは太麺。スープは非常にさっぱりしていて、店内と同じく飾り気のない味である。今回はチャーハン大盛りを注文したが、うまかった。餃子は大変じゅ〜し〜。肉汁が滴るアツアツ餃子だ。ただ、皮がカリカリ風が好きな管理人としては、ちょっと皮がやわらかいのがオシイところだったかな。金曜夜、店内の小さなテレビで「ぐるナイ」を見ながら、堪能したわけである。ぷはぁ〜。また行くかな。
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治承5(1180)年9月2日
頼朝の御台所・北条政子は、かくまわれていた伊豆山(今の伊豆神社)を降りて、秋戸郷(熱海市内)に移った。まだ政子は頼朝が伊豆から無事に逃れていることを知らず、ひとり涙を流していたところ、午後4時ごろ、土肥遠平(頼朝の供をして安房に渡った土肥実平の長男)が御使いとして、真鶴岬から政子のもとに到着した。
遠平は政子に、石橋山の敗戦後、頼朝は真鶴岬から房総半島へ舟で逃れたことを伝えたが、遠平も船出のあとの事はもちろんわからない。政子も頼朝が無事に逃れた得たことと、出航後の頼朝の事が気がかりで、悲喜こもごもの様子であった。
いま、地図を開いて見てみても、土肥の真鶴岬(土肥実平の領地があった)から房総半島まではかなり距離を感じる。しかも舟は土肥実平が家来の「貞恒」に命じてやっとこさ見つけてきた「小舟」である。遠平は政子に小舟で船出したこともきっと伝えたのだろう。う〜ん、そりゃ、心配しちゃいますね。
以前にも一度行った事のある店で、住宅街の中にあるこじんまりとした非常に目立たない店構えである。しかし、ここのラーメンはうまい。大通りにも面さず、快速も止まらない駅、さらにまったく宣伝をしない普通のラーメン屋のため、行列ができることはないが、常連さんは非常に多いようである。
行くのが夜のためか、店はオヤジさんが1人でやっている。具志堅用高をちょっと痩せさせてヒゲを取ったイメージのオヤジさんなのだが、テーブルに着くと、カウンターからわざわざ出てきて、入口近くの水を汲んで持ってきてくれる。「ハイヨッ!」「オマチドッ!」。う〜ん、威勢がエエノォ。
ラーメンは太麺。スープは非常にさっぱりしていて、店内と同じく飾り気のない味である。今回はチャーハン大盛りを注文したが、うまかった。餃子は大変じゅ〜し〜。肉汁が滴るアツアツ餃子だ。ただ、皮がカリカリ風が好きな管理人としては、ちょっと皮がやわらかいのがオシイところだったかな。金曜夜、店内の小さなテレビで「ぐるナイ」を見ながら、堪能したわけである。ぷはぁ〜。また行くかな。
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治承5(1180)年9月2日
頼朝の御台所・北条政子は、かくまわれていた伊豆山(今の伊豆神社)を降りて、秋戸郷(熱海市内)に移った。まだ政子は頼朝が伊豆から無事に逃れていることを知らず、ひとり涙を流していたところ、午後4時ごろ、土肥遠平(頼朝の供をして安房に渡った土肥実平の長男)が御使いとして、真鶴岬から政子のもとに到着した。
遠平は政子に、石橋山の敗戦後、頼朝は真鶴岬から房総半島へ舟で逃れたことを伝えたが、遠平も船出のあとの事はもちろんわからない。政子も頼朝が無事に逃れた得たことと、出航後の頼朝の事が気がかりで、悲喜こもごもの様子であった。
いま、地図を開いて見てみても、土肥の真鶴岬(土肥実平の領地があった)から房総半島まではかなり距離を感じる。しかも舟は土肥実平が家来の「貞恒」に命じてやっとこさ見つけてきた「小舟」である。遠平は政子に小舟で船出したこともきっと伝えたのだろう。う〜ん、そりゃ、心配しちゃいますね。
2005年09月01日
お香

ただ、お香は「竹の香り」とか「森の香り」とかいうのを選んで買ってくるのですが、どうもいまいち同じにおいに感じてなりません。家全体が寺っぽい香りに包まれ…まぁ、寺の線香のにおいは嫌いではないので、それはそれでいいのですが、「竹」とか「森」とか謳っているのなら、そういう匂い0にしとかんかい! と思ったりもするのですが。でも線香では厳密に同じにおいにするのは難しいんでしょうね。
それにひきかえ、アロマポットを炊いたときの香りは、結構イメージ通りだったりします。あっちゃこっちゃで買ってくるにおいの素は、やっぱり杉や檜なんかの「木」系なんですが、こいつらは確かに「針葉樹〜!」って匂いを発してくれます。
ただ、アロマポットはいちいちロウソクを炊かなくちゃならんことと、陶器の器に水を張るめんどくささがあって、ここ最近は手間要らずのお香に流れてしまっています
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治承5(1180)年9月1日
頼朝公は、上総介広常のもとに向かう旨を仰せ出だされた。北条時政以下も仰せの通りだと頷いた。
ここ、安房国(千葉県南端)の住人、安西三郎景益という人物は、頼朝公がいまだ幼少の頃、その側近くに仕えていた者だった。そのため、頼朝公が安房に着いたとき、真っ先に手紙を安西景益へ遣わした。手紙は「以仁王の令旨を奉じて、安房国の在庁官人(役所に出勤している官吏) を伴って私のもとに参上するように。また、安房国の住人のうち、ここ最近京都から下ってきた輩は、逮捕して差し出すように」という内容だった。
『吾妻鏡』によれば、825年前の今日9月1日は、箱根石橋山で大敗を喫したのち安房へ渡った頼朝が、上総国の超巨大豪族・上総権介広常を頼ることにした日だったようです。また、幼馴染の安西景益さんへ、味方に来ておくれというお手紙を出していたようです。頼朝が復権をかけた戦いに挑む姿が見えます。
2005年08月29日
吾妻鏡
『吾妻鏡』を読んでいると、8月から9月にかけてけっこう面白いので、今日も825年前の今日の出来事を書いてみることにしました。
「伊豆真鶴岬から舟に乗って安房国(千葉県南端)へ向かった頼朝と土肥実平は、本日、安房国平北郡猟島に接岸した。北条時政等、一足先に安房についていた人々が頼朝一行を出迎えた。箱根石橋山の敗戦以降、頼朝の生死もわからず鬱屈していた人々の心は一気に晴れた。」
今日は頼朝が安房国に漂着した日とされています。ここから頼朝の快進撃が始まり、一気に鎌倉を抑えて鎌倉幕府の礎を築くことになります。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
先日、「常磐新線」こと、つくばエクスプレス(TX)が開通しました。ここ最近、常磐線が空いている気がするのは、つくばエクスプレスのおかげ?? 以前も”ラッシュ!!”というほどの混み具合ではなかったのですが、最近は朝なのに”スカスカ”感があるほどです。ん〜、すいてる電車はいいものです。
「伊豆真鶴岬から舟に乗って安房国(千葉県南端)へ向かった頼朝と土肥実平は、本日、安房国平北郡猟島に接岸した。北条時政等、一足先に安房についていた人々が頼朝一行を出迎えた。箱根石橋山の敗戦以降、頼朝の生死もわからず鬱屈していた人々の心は一気に晴れた。」
今日は頼朝が安房国に漂着した日とされています。ここから頼朝の快進撃が始まり、一気に鎌倉を抑えて鎌倉幕府の礎を築くことになります。
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先日、「常磐新線」こと、つくばエクスプレス(TX)が開通しました。ここ最近、常磐線が空いている気がするのは、つくばエクスプレスのおかげ?? 以前も”ラッシュ!!”というほどの混み具合ではなかったのですが、最近は朝なのに”スカスカ”感があるほどです。ん〜、すいてる電車はいいものです。
2005年08月28日
2005年08月27日
825年前

…源頼朝に味方した相模の大豪族・三浦介義明が、平家に味方する武蔵国の河越重頼・江戸重長らに討たれた…(『吾妻鏡』)
今から825年前の8月23日〜27日、関東地方を台風が通過して行ったようです。この日は源頼朝が挙兵したものの平家の大軍に負け、箱根山中を逃げまわっていた日です。そして825年後の8月26日未明、台風がまたまた関東に現れました。
そういえば、台風が近づいてるときに見える早朝の青空ってのはなかなかアジがあるのです。ものすごいコントラストの強い真っ青なキャンバスの前を、ちょいと厚めな雲が猛スピードで流れていきます。一瞬の晴れ間なんですが、普段見える青空とはちょいと違い、濃厚な、ものすごく濃い青さが見られるのです。ゼヒご一見を。
2005年08月25日
ガンダムを見てしまった!


さらに夜も体が痛くて眠れず、ベッドでゴロゴロ。さらに聴いていたラジオの内容まで結構面白い。。。こりゃ益々冴えちまう! 夜中にテレビを見に行くと、おぉ!懐かしの「起動戦士ガンダム」がやっているではないか! しかもなぜか最終回。ガンダムは片腕と頭が吹き飛ばされた姿で、仁王立ちになり、上空に向けて銃を撃つシーン。あぁ、懐かしかった。でもなぜいきなり最終回??を見てしまうのもなんですな。
2005年08月23日
2005年08月22日
2005年08月20日
2005年08月19日
ム〜〜〜ン

月の光は青く見えるんです。
ちょいと昔、飲みの帰りが遅くなり、乗り換えの私鉄の終電が終わってしまったとき、駅から家までの約10キロをてくてくと歩いて帰る事がありました。
道は田んぼ道のために街燈はなく、車もまったく通りません。まさに夜です。田んぼ道を照らしていたのは月明かりだけ

おつきさん、感謝です。
2005年08月18日
夏休み明けで
久々に東京に出てきたわけですが、う〜ん、タバコクセー。
歩きタバコのおっさんたちが今日も元気に会社に向かっています。
あの歩きタバコの連中は存在自体がすでに迷惑ですな。
爽やかな朝っぱらから煙をかがされると、一気にやる気が失せる。吸ったらそのまま吸収しとかんかい
千代田区は一時期、タバコ取締りに躍起になっていたが、もはや取締りの姿すら見えない。やる気ないなぁ、千代田区。
歩きタバコのおっさんたちが今日も元気に会社に向かっています。
あの歩きタバコの連中は存在自体がすでに迷惑ですな。
爽やかな朝っぱらから煙をかがされると、一気にやる気が失せる。吸ったらそのまま吸収しとかんかい

千代田区は一時期、タバコ取締りに躍起になっていたが、もはや取締りの姿すら見えない。やる気ないなぁ、千代田区。
2005年08月17日
HP更新日記2

〜千葉一族HP更新記録〜
千葉介歴代のうち、千葉新介一胤、千葉介氏胤、千葉新介重胤、千葉権介俊胤、千葉定胤に加筆しました。他に佐倉藩に馬術師範として仕えた千葉家について追加しました。あとは、千田尼、千田泰胤、千葉清胤、門井正道の加筆と千葉正胤、千葉尚胤父子について項目を追加してあります。
通常、系譜に見える人物は、現在に近づくにつれて信憑性のある資料が増えてくるものと思いますが、こと近世の千葉宗家に関しては、これだ!というような確実な資料が近世以降なくなります。千葉宗家が小田原の陣で所領を失って浪人したため、資料の散逸などがあったと思われます。江戸時代には「我こそは千葉宗家の正統な後継者」と主張している人物が幾人か実在しています。そのうち、千葉権介定胤、千葉源之助知胤、千葉権介正胤・千葉尚胤父子らが特に積極的に活動していたようです。
ちなみに、最後の千葉介だった「千葉介直重(北条氏政の七男坊)」は、阿波徳島の殿様になった蜂須賀家に拾われて「北条七郎直重」と名前を改め、子孫は大石氏さらには伊勢氏(小田原北条氏はもともと伊勢氏)に改氏して明治に至りました。
他、豊臣秀次の家老・白井氏と関東白井氏との関係の考察と、美濃郡上東氏の当主・東左近将監氏数についての新資料を掲載しました。氏数が第三者の資料に見える初出と思われます。
それから長い間、デザインをしていなかったリンク集をバナー対応版にしました。ちょいと重くなってしまったかもしれませんが、気長に開いてみてください。
2005年08月16日
世界遺産〜日光〜

新車ラフェスタ快調です〜

世間で聞く渋滞とやらはどこへやら、道はスイスイ、あっという間に栃木に入ってしまいました。天井一面に広がるパノラマルーフも全開! いやぁ気持ちいい。
日光まで三時間で到着しました。
東照宮の鳥居、表門を抜けて「見ざる言わざる聞かざる」の三猿で有名な「神厩」を覗くと、厩舎の中に、奉納された真っ白の神馬(生きてます)がいました。今でも現役で使われていたんですな。そこから振り返ると、日光の象徴的な建物である「陽明門」があります。いやぁ、金、黒、白、赤、緑…なんか豪華ですな〜。
陽明門の先、拝殿の右手には「坂下門」があります。この門が有名なのは、左甚五郎作といわれている「眠り猫」です。実はこの眠り猫の裏手にも彫刻がありまして、雀が二羽遊んでいます。猫が雀を食う戦国はすでに終わり、猫=軍事力は眠り、雀が楽しく遊ぶ「平和」を象徴するモチーフになっています。
あちこち境内を回っているうちにおぉ、もう午後2時を回っているじゃないですか。華厳の滝に行きたかったのに、行けそうもないなぁ。この旅は滝を見る旅だったはずなのだが… 仕方がないので、華厳の滝は次回ということにして、今回は「日光東照宮めぐりの旅」に目的を変更しました。
その後、下野国一ノ宮である日光二荒山神社を参拝。最後に三代将軍・徳川家光が眠る大猷院を参拝し、帰りの渋滞が怖いので、さっさと切り上げて千葉への帰途に着きました。
ラフェスタナビは高性能なのかどうなのか、車が一台通れるかどうかの道まで検索してくれて、難儀した道もありましたが、恐れていた渋滞にもはまることなく四時間で帰ってくることができました。ふぅ〜、疲れた。。。
あ、HPの更新日記を書き忘れました

●日光東照宮について細かく紹介・解説しています。「へぇ〜、だから陽明門って…。」「へぇ、だから日光にしたんだ…。」「なるほど! この彫刻はっ!」
東照宮の建物の配置、参道の位置、彫刻の意味など、東照宮にあるものはすべて深い意味があってそこに建てられていることがわかる一冊!

日光東照宮の謎
2005年08月15日
ちょいとリッチな朝飯
●サンマルク
http://www.saint-marc.co.jp/
今日に限らずちょくちょく行ってるのですが、ここ、焼きたてのパン食い放題なのです。と言っても、バイキングではないので、店員さんが持ってきてくれるのを口をあけて待っているわけですが。
モーニングコースが700円台から1000円台まで三種類ほどあり、朝食にしてはちょいと高めなのですが、ウマイので許します。食事や店員に対するアンケートも毎回配られていて(別に答えなくても良いのですが)、客のニーズを積極的に取り入れてるんだろうと感じながら、セットの生ハムサラダの生ハムを切るのに悪戦苦闘しているわけです。
パン屋というだけあって、もちろん普通にパンも売っています。そのパン売り場の横に珍しい無料ジュースコーナーを見つけました。「ビワミンゴールド」。色はワイン色で見るからにうまそうです。置いてあった紙コップにトクトクと注いでグイっといっぱつ。……うひょーーー! こ、これは酢! ビネガーです! ぶどう味の酢でした。咳き込みつつもう一杯味わってみると、なかなかいけます。クセになりそうです。買ってもいいかなと思って値段をみると、私の財布に眠る野口さん二人では足りません。というわけで諦めました。
今度来た時にビワミンがまたあったら、挑戦してみようかと思った朝のひと時でした。

ビワミンゴールド(720ml)
2005年08月14日
暑い夏の日

というわけで、近所の広場にやってきました。
久しぶりにバドミントンをやろうと思って来たわけですが、暑いせいか、この広場はそれほど混んでいません。横には小川が流れ、その先には池まである森に囲まれたいい広場なのです。
パカーン、ボト★ ひゅるる〜、ポト☆
うーん、ラリーが続かないぞ?

しかし暑い!! 一時間も打ち合っていたら汗と土と回転レシーブのときに付いた草汁でドロドロになってしまいました。
久しぶりの運動でちょいと疲れた一日でございました。