米国エネルギー省 (DOE)は低放射能汚染されている金属類を一般リサイクル金属と混ぜる計画を提案しています。 そうなると私達生活の身近に入り込んでくるでしょう。 
放射能含有金属を一般リサイクルと混ぜない署名は締め切り2013年2月11日までこちら

【拡散お願い】締め切り2013年2月15日 緊急署名

福島原発事故に関し、厳正な捜査と起訴を求める署名:
福島県内で被曝(ひばく)した住民を中心に1万人を超えており、事前の安全対策を怠ったほか、発生後に避難に関する情報を適切に公表しなかったことで重大な被害を招いた等を訴えています。 徹底した責任追及を求めます。 結果はこれからの原発安全基準にも影響を与えるでしょう。

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オンライン署名

devider

 Ladies & Gentlemen, I am so happy to see you !!
島ユミタじ、言いば、(喜界島の方言で言う)、
「キュラメーラビ、キュラニセイ、ミチ、ワノー、いっぱい、フォーラサ!!」
憧れの百の台会同級会に生まれて初めての出席です。アメリカ・カリフォニアのモントレーの山奥から来ました。 皆さんの顔を見ていると、生まれ故郷喜界島の昔懐かしい景色が浮かんできます。懐かしい涙と嬉しい涙が一度に出そうです。ワノー(私は)、54年前の島ユミタはぺらぺらです。上園田徳市といいます。アメリカの名前はトムです。
またの名は「フリムン徳さん」です。小野津出身です。小野津でただ一人のフリムンです。よろしくご了解願います。アメリカに住んでもう37年になります。でも英語はインチョウマしかディキラー(少ししか出来ません)。坂嶺出身の嫁はんと、アメリカで、島ユミタで生活しているからです。幼い頃の島ぬ生活がわっしらランナティどー(忘れられません)。今住んでいるところはカリフォニア・モントレーの山奥、ブラッドレーというブドウと牧場の多いアメリカ人の村です。

 ロスアンジェルスやシアトル、サンフランシスコにも住みました。アメリカに住んでいて、英語は出来なくても生活できます。日本人が沢山いて日本人社会を作っています。今、住んでいるモントレーの山奥はアメリカ人ばかりの村で、日本人は私と嫁はん二人だけですから、島ユミタばかりです。だから英語は出来まへん。どうか島ユミタ(方言)でお願いします。

 パラグアイで英語の先生だった私の英語がアメリカでは通じなかったので、英語の要らない大工になりました。 見よう見まねで大工さんです。ロスアンジェルス、シアトルで26年間大工をしていましたが、ビールの飲みすぎで、59歳で身体障害者になり、大工仕事が出来なくなりました。酒で身体障害者になったアホナ人間です。ホンマの フリムンです。今は文章の書き方を勉強して、物書きの端くれとして、頭を掻きむしりながら、文章を書いています。 ほんまのフリムンですから、大目に見てくだされ。

 早町中学校3年の終わりに喜界島を出て、大阪、南米パラグアイ、ロスアンジェルス、シアトル、サンフランシスコ、モントレーを、50以上の職業を変えながら70年間、酒と共に、ウヤフジと共に生きながら、幸福という青い鳥を探し続けて生きてきました。私は今日ヤット、人生70年にして青い鳥を見つけました。幸福という青い鳥を見つけました。 今日は私の70歳までの人生で一番幸せな日です。こんなに嬉しい日はありません。こんなにフォラサナ日もありません。 心も身体もブルドーザーのように地響きを立てて震えて喜んでいます。私の捜し求めていた幸福の青い鳥とは喜界島の同級生でした。

 2003年の喜界島での「還暦百の台会」のビデオを、久子と和世から送ってもらって見ました。皆さんが、この世の中で一番幸福な顔で、幼い頃の小学生、中学生に戻って、語り合い、踊り、歌い、はしゃいでいるのを見て、 「人生の幸福とは何か」の答えは、「喜界島の同級生に会うことだ」と確信しました。それ以来、生きているうちに、どうしても1度は同級会に出席する事が私の一番大きな夢になりました。

 死ぬまでに1度は喜界島の同級会に出席して、皆さんと幼い頃の昔話をし、島うどぅい、ドンドンシェー、徳之島チュッキャリ節を踊ったり、はねたり、朝バナー、塩道らんかん節、坂元林緑濃くを歌ったりするのが夢でした。 これが皆さんと一緒に出来たら、もう、この世の極楽を見たのと同じと思います。 

 関西大会の時の福利さんの話も忘れる事が出来ません。福利さんは、病気を押して、関西大会に出席した。 奈良のあるお寺の、大きな柱にあいている丸い穴をくぐりぬけたら、病気が治ると聞いて、くぐりぬけたのだが、その時、真っ先に、頭の中に浮かんだのは同級生の顔だったと言っていました。あの言葉が忘れられません。
喜界島の同級生に会えば、病気も治るのです。この私のフリムンという病気も同級生に会えて、今日は治りました。 今は、もう正常です。病気になったら、医者なんかに行く必要はありません。病気は同級生に会えば治るのです。

 数え切れないくらい同級会のビデオを見たので、とうとうテープが切れてしまいました。賢い久子と和世はそれを見越して、同じテープを二つも送ってくれていました。これが惚れずにいられまっかいな。お二人の顔が大きく見えました。マスマス、べっぴんに見えてきました、惚れ込みました。今更、結婚なんかできるはずがありません。モントレーの山奥で、酔えば、涙で濡れた酒のしずくで、俺の苗字の下に、あなたの名前を、上園田久子、上園田和世と書き、偲び続けています。お二人の旦那さん、ここはフリムンのたわ言だと、ユルチ、タボーリ。

 私には家族も親戚も友達もいますが、同級生が1番大事です。私の本を出版し、売ってくれたのも同級生です。別れて50年以上も音信不通であった同級生の、遠く離れた外国アメリカの私を助けてくれたのです。同級生には、過ぎた年月はないのです。遠く離れた外国もないのです。昔のままの喜界島の幼い小学生、中学生のままがすぐそこにいるのです。

 今回私はこの島の同級会の楽しい、嬉しい思い出を胸いっぱい、腹いっぱい、ワタブー吸い込んでアメリカに帰るつもりです。同級生を思い出すたびに、喜界島の方向に向かい、またも酒のしずくを涙でぬらしながら、人差し指で、「また、喜界島の同級生に会いたい」と書き続けるつもりです。  


by フリムン徳さん
プリムン徳さんはエッセイ本「フリムン徳さんの波瀾万丈記」を出版されています。

2011_10_07_tokusan


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