ミチユキのぷら〜り散歩「今が旅」

「どうってことない風景が好き」「遠くに行かない」「本当に寛げる場所を探して」などをテーマに持つ写真家、詩・エッセイスト、小説家による、街と文化を探る散歩旅。http://blog.livedoor.jp/chico100/

生きる目的というのは、
本当のお気に入りを体験すること。
自分自身に成りきっていくこと。
迷いもきっと栄養になる。
人生の今が旅。
日々の生活を楽しもう!

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なんかね、気分の向くままに歩くのもいいけど、

遠い駅まで1時間ほどかけて

自然の中を歩いていくのが好きなんです。
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節句を告げる風景に出くわしたり

なんていう名前か知らないけど

きれいな花と出会ったりするからね。
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散歩の楽しみは、ふるさとのイメージが

そこらへんにあるのを拾って

昔感じた匂いや空気を思い出すときにあるね。
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こういう農家の風景を前にすると

立ち止まって深呼吸するね。

なつかしいな、 なんてつぶやいて。
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この写真、よく見ると

カメがたくさん並んで、日光浴してる。

隣にシラサギが羽繕いしてたりして、心躍るね。
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のどかな風景の中に

自分の中で隠れていた感性が浮かび出てくる。

「あ、まだ健在でしたか」ってね。

そういうのも散歩の醍醐味だね。

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やりとげる、ということ。

何かをやりとげたと思うことができたら、

人生は充実していたと

納得できるのだろうか。


きょう一日、

どこかにたどり着いたのだろうか。

旅の途中に

どこかに立ち寄っているだけでしかない。

きょうの地は目的地だったのだろうか。


求めているのは、どこなのだろう。

彼の地には求めているものが待っているのだろうか。

我々はいつも思う。

いや、ここではない。


我々は、達成するために生きてはいない。

今という、旅の途上に

希望の明かりを見出して

それを糧に生きている。


求めているのは、場所ではない。

たどりつく目標でもない。

今、ここにある希望の明かりだ。

やりとげたいという思いだ。


結果?

誰かに聞いてくれ。
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旅が、非日常だというのは、

外的環境の変化という点では正しい。

しかし、旅している本人は

何も変わってはいない。

ただいえるのは、

そこで出会う人々や景色やイベントによって

大きな刺激を受ける機会になる

という点だ。

日常にいる自分に何かの刺激が加わって、

化学反応が起きる。

なるほど。

しかし、こういう変化の機会は

日常の中にも存在している。

受け入れる側の準備が足りないだけだ。

街で出会う人たちをよく観察すれば、

それぞれの人の抱える世界が垣間見えたりする。

街は感動するヒントに満ちている。

ぼくらは、日常にそれを考える感性を持ち込めばいい。

遠くに行かなくても、旅はできる。

そして、一度そういう感性を持って

大事なことに焦点を合わせることができるようになれば、

旅は、さらに素晴らしい何かを与えてくれる。

そのとき、旅は非日常ではなく、

超日常となるのだ。

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東京での取材を終えて家に帰ろうとしたが、

名古屋駅で車両点検のため遅延。

それで帰るのが不透明になってきたのをいいことに

まだ帰りたくない、という虫が騒いで

大阪を通り越して神戸に足を延ばし

久しぶりに朝まで飲もうと考えた。

やっぱり旅が好きなのだ。

昔、占い師に忠告されたことがある。

あなたは結婚には向きません。

放浪癖があるから。

しかし、もうそのときは手遅れで、

すでに3人の子どもがいた。

元妻は、隣で大きく頷いていたのを思い出す。
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神戸という街は、ぼくにとって故郷以上の思い入れがある場所だ。

はしゃぐ上の二人を先頭に、

幼い末っ子の手を引いて、

よくここまで買い物に来たものだ。

あの頃の地獄のような日々の中で、

子どもたちへの愛情だけは消えなかった。

電源のあるカフェでエッセーを書いていると、

懐かしい音が聞こえてきた。

ここはハーバーランドの2階。

下にはボールが転がって「カーン」とか「キーン」とか

音を立てるオブジェがあったはずだ。

しかし、覗いてみると、その装置はなくなり、

モニターに在りし日の姿を映し出しているだけの

箱がポツリと佇んでいた。
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ぼくは時の流れというものに

こころを引っかかれたように感じた。

もうあの頃の子供たちの姿もない。

時とともに、すべては変わっていく。

しかし、それが旅というものだ。

ぼくはまたパソコンに思いを打ち込む。

そして、いつか、子どもたちがこれを読み

父がどんな気持ちでいたのかを知るだろう。


from Kobe

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日曜日は、晴れだった。

浜辺の砂浜は柔らかく、

波打ち際はしっかり固まって歩きやすい。

浜には漁師がいる。

漁が終わり網を丁寧に干す姿のそばに

焚火がくすぶっている。

そして突然、新鮮な潮の香りがやってきた。

ここにも人が生活しているのだ、と

何か懐かしい思いに浸る。
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そのまま国道を渡って

長谷寺へ向かった。
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桜はまだだった。

その代わりにボケの花が見ごろだった。
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まずは、十一面観音を拝観し、

高台に登ると鎌倉の海が見えた。
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日本庭園もいい。
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回る経蔵にはマニ車があった。さすがに密教文化が鎌倉にもやってきていたのだ。
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洞穴の中に、弁財天と十六童子があった。
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それから大仏も見学した。
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後姿はこんな風になっているって知ってた?
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でも、何よりぼくを突き動かしたのは、

江ノ電だった。
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翌日は11時から最後の取材が入っていた。

8時半にお世話になった鎌倉ホステルを後にした。
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時間があったので、新橋から永田町まで歩いた。
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そして午後、東京を後にした。

今回の旅が、ぼくの新しいキャリアのスタートとして

記憶に残るように、がんばりたい。

ありがとう、東京、鎌倉、そしてインタビューに答えてくれたみなさん。

また来るぞ!


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午後2時半、鎌倉は雨だった。

JR鎌倉駅と隣接する江ノ電には、

雨を避けようと観光客がひしめき合っていた。

それをしり目に土産物売り場で透明傘を買い、

由比ガ浜のホステルまで歩いた。

三月末の冷たい雨がジャケットの右腕を濡らした。

リュックザックを背中に担ぎ、

大きいノートパソコンが入った手提げかばんを下げ、

もう一方で傘を持つと、スマホでマップを確かめるのも難儀だ。

だいたいの勘で歩いたが、なかなか目標までたどり着かない。

30分も歩いたろうか、

立ち止まってマップを見たら、えらく行き過ぎていて、

目印の喫茶店が見つかった。
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たどり着いたのは3時過ぎ。

しかし、チェックインは4時からだった。

昼飯がまだだったので、

フロントに聞いて、食事のできる店を探しに出かけた。

カバンを預かってもらって、身一つで中を辺りを歩いたが、

2時半を過ぎるとどこも休憩に入っていて開いていない。

しかたなく、セブンイレブンで買い物をしてホステルに向かった。

冷たい風と雨の降る海岸は、

さすがに誰もいない。
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weBase鎌倉ホステル。

昨年できたばかりのドミトリータイプの宿泊施設だ。

昔ぼくらがよくお世話になったユースホステル的な施設で、

この日は外国人旅行客がいっぱいいた。

4時にチェックインを済ませ、

地下のラウンジに向かい、

コンビニで買ってきたビールとサラダで昼食をとる。

それから風呂に入って、安いワインを飲みながら記事に取りかかった。
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翌日も雨だった。

簡単な朝食が付いていたので、

1階のレストランで食べた後、

また地下に潜って、ラウンジで記事の続きを書いた。

午後は早めに出かけ、前日に入ることができなかった中華レストランで

ビールと、エビ入りワンタン麺のセットを注文した。

セットに付けたのはシュウマイ3点。
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これもうまかったが、ビールのあてについてきた

ザーサイと、ラー油用に使ったエビの揚げかすが、いい味を出していた。
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そして、エビ入りワンタン麺だが、香ばしいエビの香りとぷりぷりの歯ごたえのワンタンが

最高にうまかった!
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それからまた、夕食をコンビニまで買い出しに寄って、

ホステルに戻り、ワインを飲みながらジャーナルの記事を書きあげた。
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これが夜のメニュー。

生活費を安くあげるためにはこれくらいでいい。
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ついでに買ったギルビージンが回ってきた。


つづく

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2日目は、いよいよ朝から取材があった。

久しぶりの取材は、虎ノ門からスタート。

ぼくが昔勤めていたことのある

リクナビネクストの元編集長だった人物なので、

アポがとりやすかった。

その取材で勘を取り戻し、

昼からは、渋谷のブックラボへ。

その間にそば屋で大盛せいろを食べる。
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このつゆの枯れた感じがなかなか出せないのだ。
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昼からの取材は、旅人を募集するサイトの

スタートアップメンバーと広報担当者が集まっていただいた。

旅好き人間ばかり集まったためか、

賑やかで楽しい雰囲気のうちに、

あっという間に1時間が過ぎた。

次は、永田町に移って「ビジネスノマド・ジャーナル」の編集者とお茶してから

一般社団法人シェアリングエコノミー協会の理事と

体験する「民旅(みんたび)」の企画・運営サイトの広報の女性とに

インタビュー。

夕方5時前に取材が終わって、

ついでにシェアリングエコノミーの中核と言える「民泊」を経験しに

大井町まで移動。

そこから徒歩で20分ほど歩いて、

予約していた民泊に到着した。

そこまでの途中、古めかしい建物のガス店があった。
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民泊のホスト、つまり大家さんに、どんな仕事なのかを

取材させてほしいと頼んでいたので、

到着すると施設の使い方の説明を受けたあと、

メモをしない形で話を聞いた。

年齢がぼくより10歳違うくらいの男性だったこともあり、

話すうちに打ち解けてきて、話し込んでしまった。

夕食をとりに大森駅界隈をぷら〜り散歩した。
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駅の東側をぶらついて小さな居酒屋で一杯飲み、

やっぱりまた、そば屋で夕食に。

大森駅のすぐそばにある「笑庵」は、天ぷらも店で揚げているのでうれしい。
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かき揚げ丼と、かけそばのセットをいただく。うまい。
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満足して宿に戻り、記事を書いていると

ホストが部屋にやってきて、また話し込んでしまった。

11時ごろまで話して、ぼくは記事の続きを書き始めた。

午前2時ごろに終身。

翌日は11時から神保町で外国人のCEOにインタビューだ。

人材育成、特にリーダー育成用のシステムを開発している会社だが、

CEOはフランクな若者だった。

取材がちょうど一時間で終わり、フリーランスのライターのほかは

何かしているのかと聞いてきたので、

小説も書いていますと言って、営業用に持ってきた「オレンジマシンルール」を渡すと、

いや、書店で買いますと言った。

でもね、これは絶版なので売っていませんよ。

そういうと、じゃあアマゾンで買いますと続けた。

ぼくは、じゃあアマゾンのkindleで売っていますと答えると、

彼はその場でスマホを取り出してアマゾンを開き、目の前で「購入」ボタンを押したのだ。

なかなかこういう瞬間に出会えることはない。

しかも、アメリカ人だ。

日本語はゆっくいりだけれど読めるという。

ありがとうと言ってそこを出て、

曇ってきた空の下、

渋谷へと向かう半蔵門線に乗った。


つづく

from Kamakura

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青春18きっぷを買ったのは、意味があった。

フリーランス・ライターとして、

そして特に売れっ子でもない私としては

東京取材の可能性が高まった時点で、

交通費を安くあげるために必要だった。

もし交通費が出ないとなれば、

ヤフオクで手に入れた赤く変色したチケットが

頼りの綱だった。
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しかし、編集担当者の計らいで

東京への交通費と必要であれば宿泊費も出るようだとわかった。

記事の単価は1本数千円。

さらに取材単価は、対面だと1万円になるということがわかった。

その段階で私は決まっていた24回シリーズの編集内容を企画し、

取材の回数を増やせると踏んだ。

それでメールでアポイントを取りまくり

一週間ほどかけて、2日間にわたる5本の取材アポイントをまとめた。

その後、さらに週明けの月曜日にもアポが決まり、

取材件数は6本になった。

木曜、金曜の取材の後、また月曜日に上京するのは経費がかさむと思ったので

編集者に提案して、金曜から日曜までの3日間の宿泊を認めてもらった。

このやり方だと、安いところを選べば、新幹線を使う片道料金よりも安く済ませる計算だ。

都内では値がかさむので、少し離れた鎌倉に滞在することにした。

計画は決まった。

出発の日は3月29日。

新幹線の交通費が出ることが分かっていたが、

私はすでに青春18きっぷを入手していた。

そのため、前日に時間をかけて移動し、前泊して取材に備えることにしたのだ。

ちょうど出発の日まの3日間、一番下の息子が家に泊まりに来ていて、

早朝、二人で駅まで歩いた。
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高校2年に上がる息子は、将来の展望が見えていない。

そんな彼にとって、事業に失敗し父親がどう映っているのか、

わからないながらも、

仕事というのは自分で切り拓いていくのが一番面白いのだと

このところの取材企画からアポ獲得の流れを話した。

「お父さん、気を付けてね」

その声を皮切りに、私の取材ツアーが始まった。

午前8時半過ぎにJRに乗り込んで、

大阪で米原行きの新快速に乗り換えた。

もちろん、新幹線ではない。

青春18きっぷは、新幹線も、特急も、急行さえも乗れない。

東京まで10時間の長旅が待っていた。

米原で大垣行きの普通に乗り換え、

そこから豊橋行きの新快速に。

久しぶりに見た伊吹山には雪がまだしっかり残っていて、

春の日差しに輝いていた。

電車は岐阜を過ぎ、名古屋を経て、淡々と走る。
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昼食は、豊橋駅構内のうどん・そば店で、天ぷらきしめんを食べた。

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さすがに出汁の色は黒かったが、

天ぷらと柔らかめのきしめんとの相性が抜群で、きざみ葱のハーモニーもgood!

時間があまりなくて、熱い出汁に未練を残しつつ

慌ててトイレを済ませて電車に乗り込んだ。

そこから浜松、静岡を通り、熱海、横浜、そして東京へ。

富士駅の前後は、富士山の写真を撮ろうと構えていたが、

なかなか思うような撮影ができずに終わった。

しかし、隣に座った年配の女性が

同じく富士山の風景を撮ろうとしていたので、

話しが弾んで時間のたつのを忘れることができた。

「旅は道連れ」とは、こういう効果をさすのだろうか。

東京に着いたのは、18時半ちょうど。

ぴったり10時間の旅だった。

思っていたよりも普通列車の旅は苦痛でもなく、

新快速をはじめとする普通列車は

シートも昔と比べて背中の収まりがよくなったり、

座面の改良の後が見え、格段の進化を遂げていた。

東京に到着したあとは、リクルート時代の仲間と待ち合わせ、

二人で居酒屋で飲んだ。

翌日は午前中から取材が待っていたので9時に店を出て、

午後10時には、最初の宿泊先にしていた千葉のホテルに到着。

そこで駅前をぶらついて、ラーメン頑頑坊主でとんこつラーメンを食べ
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(濃厚とんこつスープにストレート麺。替え玉1回サービスだったけれど、自制しておいた)

風呂に浸かった。

これで第一日目は終了かというと、そうではなかった。

金曜日までにアップさせなければならない記事が2本残ったままだった。

買ってきた缶入りの角水割りを飲みながら、

書くべきテーマについて考え、パソコンにアイデアを打ち込んでいった。

一応のめどが立ったのは午前2時を過ぎたころだった。


つづく


from Kamakura

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この水曜日から週末にかけて、
東京へ出かけます。
27年続いた求人広告のコピーライターを辞めてから、
もう8年。
なんとかライターとしてやっていきたいと考えながらも、
生保営業や清掃責任者や
派遣のバイトなどをしながら
今まで来ました。
その間も、小説やエッセー、
それにネット上での記事を書いてきましたが、
フリーランス・ライターという立場で
東京取材に行けるところまで
ようやくたどり着いたという感慨です。
5件の取材申し込みを受けていただいたわけですが、
初日は移動日、30日に4件、31日に1件の
アポイントをいただきました。
すべて自分で企画して取材申し込みしたものですから、
興味のある所に集中した感もあります。
週明けからは、本格的な記事執筆が始まりますが、
まだ取材の数は足りません。
みなさんのお力をお借りするかもしれません。
そのときはよろしくお願いします。

ナカツカサミチユキ

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