ミチユキのぷら〜り散歩「今が旅」

「どうってことない風景が好き」「遠くに行かない」「本当に寛げる場所を探して」などをテーマに持つ写真家、詩・エッセイスト、シンガーソングライター、小説家による、街と文化を探る散歩旅。http://blog.livedoor.jp/chico100/

生きる目的というのは、
本当のお気に入りを体験すること。
自分自身に成りきっていくこと。
迷いもきっと栄養になる。
人生の今が旅。
日々の生活を楽しもう!

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昔、羽衣伝説というものができたのは、
こんな秋の空に浮かぶ雲をモチーフにしたのではないか
と、思う。
それはギリシャ時代の星座を想像したのと
同じ発想かもしれない。

自然現象からヒントを得て、人は具体的なものをつくり上げてきた。
しかし、メディアが発達すると、人はそれを使って
宣伝・広告的な効果を狙い始める。
SNSも同じ。
face bookは、宣伝のためにあるとある友人は言った。
その発想からは、人々の反応を得るための手段へと変化する。
しかし、ぼくは、人気などどうでもいい。
自分が感じることを表現するための手段のままでいい。

人気取りのSNSなど、何の役にも立たないと思う。
そうして人生を消費していくのは、
表現者として無駄なことだと思う。

そんなことで人生の時間を消費するのは、むなしい。
本当に注ぎたいことに、注ぐべきだと
最近、特に思う。
むなしい人生には別れを告げたい。

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暑いほどの好天。
久しぶりに落ち着いた気持ちで地元、枚方市駅前を散策してみると、
いいお店との出会いがありました。
一軒目は、「そば切り 天笑」。
駅の本の近くに、こんな本格的なそばを食べさせる店があるとは。
シンプルな和風のインテリアのど真ん中に、アフリカのブビンガという木を
天板に用いたというテーブルが、どかん! と据え付けられています。
幅1.5m、長さ7m(目算で)の天板には、彫刻刀でデザインが刻まれていて
見るのも触るのも楽しいです。

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頼んで出てきた粗挽きそばは、あっという間に胃袋に入ってしまったけれど、
うまかったですよ。
日本酒も飲めて、夜も楽しめそう。

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二軒目は、カットハウス「Choki Peta」。
最近同じようなリーズナブルなお店が誕生していますが、
ここは人件費を極力抑えた注目のお店です。
カットは人の手でされるけども、
シャンプーは、自動でシャワーするところがユニーク。
カバーをして、その中に、ザザッ! ウイーン! ザバッ! という感じで
毛根の根元までお湯を届ける、気持ちいいアトラクションに
感じました。
これのためにもう一度行きたくなると思いますよ。
シャンプー後のブロウは、自分でするというシステムですが、
それでもカットとオートシャンプーで1700円は、安い!

秋晴れの昼下がり。楽しい散歩でした。

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なぜオレは赤いクルマにこだわるのか。
あれを書いた頃のアルコール依存症的な自分の
一時的な精神的危機を乗り越える話を書きたいという思いが強いのだろう。
しかし夢や幻想の世界と現実とをどう描くかが悩みの中心となっている。
主人公はきっとぼろぼろになり、酒を飲んで路上で倒れて
どろどろになりながら惨めな思いで少年を助けようとするだろう。
それこそが自分という人間に与えられた唯一最大の使命だというように。
ところが今まで書いてきた主人公はスマートを装い
あやまちなど起こす人間ではなさそうだ。
プライドを保ったまま自分に降りかかった災難に立ち向かおうとする。
賢くて正しい男の話ではないのだ。
そこの煮えきれない素人の作家志望の甘さ中途半端さが自分のことながら鼻につく。
誰だって自分のことはよく思われたい。
しかし作品の中にまで安っぽいプライドを引っ張り込むのはどうか。
作家としての勇気に欠けている。
まずはその覚悟を決めることが先決だ。
第三者で語ると語り部は常に正しくあらなければならない。
そこに主人公の思いが描けないパラドックスを生む。
まず誰の視点で書くのかという問題でずっと悩み続けているのは、
設定とストーリーに欠点が残っているからに他ならない。
それらの欠点をクリアしなければプロットも立てられない。
たとえば誰の視点で書けばどういう不自然さが生じてくるのか。
キングの新作は「ぼく」のことばから始まっている。
彼は自分に起こった奇妙な物語を語る。
主人公とともに読者は冒険の旅に出かけるのだ。

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このところ、音楽に没頭していた。
酒の量も、徹夜の量も増えた。
出費もかさんだこの夏が過ぎようとし、
ぼくは、体力的にも、睡眠不足による精神的な部分でも、かなり疲れていた。
神戸のよさこい踊りが披露されている会場で、地面にへたばり、居眠りをしていた。
踊りの衣装を着た一人の若者が「大丈夫ですか?」と、声をかけてきた。
親切に礼を述べ、重たい体を動かして、ベンチまで歩き、仰向けに寝転んだ。
そして、しばらく眠った。

夕方になり、目を覚ますと、一人取り残されたような孤独感が襲ってきた。
わたしは今、なにをしているのか。
何をしようとしているのか。
もうそろそろ体力的な限界を感じていた。
メリケンパークの日は落ちて、寂寥感がさらに増していった。
躁が終わろうとし、鬱の時期が始まろうとしていた。
本当は何をするのだったか、と自問する。
そして、こんなとき必ず思い至るのは、途中で止まったままの小説だ。
ずっと気がかりになったままになっている作品が何作かあって、
いずれも一度書き終えてはいるが、自分の中では未完のままなのだ。

そのなかのひとつは、ぼくにとって特に重要で、
売れる売れないに関係なく、代表作となるはずの長編だ。
そうだ、ぼくは小説を書かなければならない、と思った。
毎月決まった収入がないが、これこそがぼくの仕事なのだと思う。
仕事とは、そういうものだろう?

この日の夜も、新開地の音楽バーに行き、朝まで飲んだ。
疲れのピークの向こうに何があるか、まるで探ろうとしているようにも思えた。

長い夏休みが終わろうとし、生活のための新しい職務に就くために、
昨日、健康診断に行った。
きょう結果をもらいに行ってきた。やはり肝臓の数値が悪くなっていた。
しばらくは酒を控えるように、という医師のコメントが書かれてあった。

なぜか毎日外歩きの就職先を選んだ。
夏の酷暑や、厳寒の冬をまともに受ける職務をなぜか選んでしまった。
そこからまた何かが生まれるかもしれないという予感からか。

未完のままになっている小説は、春を待つ樹木のように、
時間をかけてじっくりと中身を蓄えている。
この間に、以前書いた内容の意味がだんだん見えてくるようになった。
本質的なテーマがどこにあるのかがクリアになってくるのを感じる。
そろそろ本腰を入れて書き始める時が来たのだと思う。
これを仕上げなければ、死ねないと思う。


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だいたいぼくが散歩するときは、何か宿題があって、今回もずっとまとまらない歌詞を考えるのが目的でもあった。しかし、散歩はそれ自体が目的でもあり、楽しみでもある。

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京阪電鉄の鳥羽街道駅を降りてすぐのところに、琵琶湖疎水が流れていた。京都駅の向こうからあるのだけれど、散策するにはこのあたりからがちょうどいい。ずっと前から企画していた散歩コースだ。

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京阪電車が上を走っていく鉄橋をくぐる。腰をかがめて進む。人生はこういうふうに謙虚な姿勢でなければならぬ。

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鉄橋を潜り抜けると、同じような形の橋がいくつも向こうにつづいているのがわかる。

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潜り抜けてふり返ると、ちょうどそこに準急が。こういう風に見える。

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琵琶湖疎水沿いの小道は、一度、伏見稲荷駅あたりで途切れる。まるで、ぼくの作詞活動のように。

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昔ながらの店が並ぶ。ていねいに手入れして、長く暮らすのが京都らしいなと思う。

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ここいらで昼食をとった。「海や」というお店のラーメンとから揚げと餃子のセット、そしてビール。満足。

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あらためて琵琶湖疎水に戻る。流れの方向の右側、つまり西側の歩道は、きれいに整備されていた。

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橋の上から見下ろす景色。風が出てきて、気持ちいい。

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橋の下に波紋の反射が映って、ゆらめいている。疎水のゆったりとした流れを感じる。深草あたりで、秋刀魚らしい魚を焼くいい匂いが漂ってきた。踏切の音が聞こえてくる。なんか生活感。

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鴨が集まっているところもあった。結構太って大きな鴨だ。

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この椎の木には、ちょっと見えにくいが、鳩が5羽ほどとまっていて、椎の実を食べていた。

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藤森あたり。疎水には、ときどき護岸についている藻か何かを食べる魚がいた。腹に斑点模様が並んでいる。写真で泡のように見えるのは、魚が水面の虫か何かを食べるためにできた波紋だ。

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人びとが行き来するために琵琶湖疎水には100メートル、数百メートルの間隔で小さな橋がたくさんこしらえてある。疎水は、墨染(すみぞめ)の発電所まで続き、そこで終わる。また桜の時期に期待と思ったりするが、狭い小道に花見客でいっぱいになりそうな気もする。そういう時期を外してでもやってきたいと思った。ご飯を食べて2時間ほどの散歩。いろんな発見と生き物の出会いも楽しかったです。あ、歌詞は、全然思い浮かばなかったけど。

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出版して10年以上が経ったけれど、

amazon kindleのお陰で、絶版後に電子出版ができるようになって、

再度、世の中に顔を出し、数年。

とはいえ、知名度が低い身としては、

人目にさらされる機会も少なく、

自分でもあきらめかけていた。

それが最近、kindleからほんの少額だけれども

口座に振り込まれるようになった。

これまでもポツポツ思い出したようにあったが、

ふた月つづいて入ると、さすがに注目してしまう。

チャリン、チャリン程度とはいえ、

収入があったということだ。

吹けば飛ぶような存在であったとしても

自分が小説家であるという自覚が再び芽生えてくるから不思議だ。

中には、ドイツにも読者がいるようで、なんだか国際的になったのだなあと

想いを巡らせたりする。

単純。



※ほかにこんな作品もあります。amazon kindle版
ちなみにこれら2作の表紙デザインは、自作。

川を渡る人

けっこう泣ける、おっさんの友情のお話。

刺されたクギはひっこ抜け

現状を前向きに捉え、自分らしく生きるために。

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いいお天気なので、淀川の河川敷まで自転車で出かけた。


お盆休暇も終わった週明けの今日、

気持ちよく晴れたので、きょうはぷら〜りサイクリング。

ものを考えるのには、川沿いはちょうどいい。

そういえば、ぷら〜り散歩は川沿いとか坂道が多いな。


今書いているバラードというかソール調の歌詞が、今一つ決まらない。

枚方の昔、くらわんか船が行き来する旅人に食べ物を売っていた辺りの

土手の上にあるサイクリングロードを北へ。


くずはの河川敷ゴルフ場には、さすがにお盆明けの平日。

美しく整備されたコースだけが、まるで庭のように静かにたたずんでいた。

その傍らを、淀川がゆっくり流れている。


少年の頃には、この淀川をカヌーとかファルトボートで下っていきたいと

思ったときがあった。

いずれ、また機会があればやってみたい。

ぷら〜り川下りは、きっときもちいいだろうなぁ。


向かい風の中、同じメロディーが頭の中でくりかえし流れた。

そのねちっこい音が、踏み込むペダルと呼応し、

うなるような旋律から言葉が生まれようとするのだが

閃きはない。


中年男の後悔を歌にするという課題があるので、

リフレインの部分に

それなりの言葉を当てはめては行くのだけれど、

ピンと来ない。


この曲には、一度詞を書いて提出したのだが、

物語風になってしまったので、

やり直すことになったのだ。

答えは、メロディの中にあって、ぼくはそこから生まれるものを

大事にしたい。

なので、何度も曲を聴き、頭の中で何度も繰り返す。

そうすれば、夢の中でも曲が流れているように感じることもある。

そうして曲の世界を感じ取る。

この曲を歌う人物は、何をなげいているのだろうか。

それが見つからなければ、始まらない。


しかし、こんな健康的な青空の下では、

無理か。

しかたがないので、ちょっとまたサイクリングを楽しもうか。

近くにラーメン屋さんがなかったかな。


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健康上の問題で見切りをつけたセキュリティの仕事を辞めて、

有休処理の期間に、友だちの曲に詞を書いたり、

自分の新曲を書いたり、オリジナルソングを発表したりしているうちに

自由な日々は過ぎ去って、

内定が決まった会社の入社研修に通い始める。

しかし、吝嗇な企業の採用時の対応や

研修の進め方を見ていると、自分がやりたかった営業とは

まったく違っていることに気づかされ、

途中で嫌になってくる。

会社の姿勢に疑問を感じた。

本当に人を育てる気持ちがあるのか

疑問に思えてくる。


実際の営業電話をモニターする。

通販の商品を売り込む電話には、顧客のニーズよりも

売ることばかりにしか意識が感じられない。

商品をたくさん売れ。そんなふうにコールスタッフたちは言われ続けているのだろう。

だから、ぼくは研修の講師であり上司に伝える。

これは、ぼくが本当にやりたい仕事ではないのです。


そう、もちろん

講師は、切れる。

曰く、「そのモニターした営業は教えたことができていない」。

しかし、それは教える者の逃げ口上でしかない。

できるように指導してはじめて、教える側の目標を達成したことになるのだから。

「こう教えたよね。だからできるはずだよね」

これは、指導するものが言ってはならないセリフ。

あした、ロールプレイングの指導を受け、

売ることしか考えていないトークスクリプトを押し付けられたら、

早々に抜けようと思っている。

どんな風に人に評価されようが、ぼくはまったく気にしない。

世の中のために活躍できる場所は、まだまだあるはずなのだ。


翌日。

朝方にロールプレイングをして、昼から実際に営業電話をかける予定になっていた。

辞退するなら、今しかないと思った。

昼食前に指導官に辞意を伝えた。

研修の日給は出ませんよ、それでもいいですね。と、上司に言われた。

あ、大丈夫です。

そう言って会社を出た。

ぼくにとって、また一つの会社取材が終わった。

入ってみなければ見えないものが、世の中にはたくさんある。

こういう経験は、必ず形になっていくだろう。

就職相談とかもいいし、小説や歌詞といった作品に昇華していくだろう。


玄関を出ると、街は、むせ返る酷暑だった。

ぼくは駅までの川沿いの道を歩いた。

構想途中にある新曲の歌詞を考えながら。

数日後には、新開地でオリジナルソングを披露することになっている。

帰ったら、最近作った曲を練習しようと思った。



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頼まれた歌詞を考えに、加茂川べりを歩く。

ぼくの歌詞は、ぼくを映したものであって、

商業ベースに合わそうなんてつもりは

全くない。

だから、できあがる詞は、けっこう不細工だ。


けれども、そこがいいと言ってくれるミュージシャンもいて、

不安げに提出した作品が

むっちゃいい、と褒められるから、おもしろい。


おもしろいし、うれしい。

なぜなら、ぼくが求め続けてきた

自分らしさを発揮できる世界が、ここにあるというわけだから。


とぼとぼ散歩の世界が、歌詞になるという驚きは、

ぼくのなかの壁を壊しつつある。

ロードムービー的な新しい詞は、このブログを反映させたものだし、

曲が持つ世界がそれを引き出してくれた。


そこにも書いたが、仕事を辞めた、という部分。

それは、ぼくの人生そのもの。

そして自由へのあこがれそのものの表れだ。


わたしは今、何をしているのか。


その問いかけそのものが、歌詞という形になってきた。

ひょっとして、ぼくは、小説やエッセーもあわせて

この問いかけを生きるためにいろいろやってきたのかもしれない。

かんぱい!
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自分には合わないセキュリティの仕事を続けるのはどうか。

テレマーケティングの会社から内定をもらって、

天秤にかけ、やはり自由な時間が手に入る今の仕事の方がいいのではないか。

と結論付けたまでは良かったが。



自分にとって好ましいと思われていたことが、

突然のアクシデントによって豹変する。

その事例が、ぼくを襲った。



カラダに変調が起きたのだ。

徹夜のセキュリティに臨んだこの日、寝冷えで熱っぽく、おまけにお腹が下っていた。

職場のロケーションがコンピュータルームだけに、空調が冷たく、

体調を考えたら最悪のコンディションだった。

一度現場に入ると、次の交代までの1時間〜1時間半、じっと耐えなければならない。

ぼくは、熱でフワフワする体と頭痛をこらえ、空調のため敏感になっている

特急一直線の下腹を一手に引き受ける括約筋の汗を感じながら、

気を紛らわすように狭い部屋をとぼとぼ歩いた。


こんなときの1分の長さは、まるで1時間のように感じられるのだった。

ましてや交代までの1時間の長さは、地獄の責め苦をなめるような思いだった。

最初のうちは権力サイドについて国民をミスリードした新聞を批判する本

「ニューヨークタイムズ神話」を読んでいたが、

熱にフワフワする頭ではついていかず、いきなり訪れる便意に冷や汗がにじんで、

集中できなくなってきた。

疲れているから椅子に座ればいいのだが、居眠りが見つかってしまうと、首になる。

実におそろしい職場なのだ。

この状況は、ぼくが掲げている「日常こそがホラー」というテーマそのものではないか。



ようやく交代を済ませてあえぎながらトイレにたどり着いた。

漏らさないようにあえてゆっくりと座った。

ひと心地つきながら、あと、もう6回の交代に耐えなければならないのかと思うと、

安堵の一息がおおきなため息に変わった。



それでもなんとか堪えて食事休憩に入った。

食欲はわいてこなかった。

気を紛らわせようとカップの焼きそばを作ったが、半分以上残した。

水分だけ補給して、目をつむって頭痛と腹痛を抑え込んだ。



同僚は、声をかけようともしなかった。

この会社のこの職場の、つながりの希薄さを、痛いほどに感じた。

はたしてぼくは、ここに執着していていいものだろうか。

保健室も、横になれる休憩室もない現場で、

あるのはたっぷりとした読書時間だけというのは、本当のところどうだろう。

そういう疑念がじわじわと湧いて出てくるのだった。



終盤に入ろうとしていた勤務時間に、カラダの筋肉や背骨などが、

ボキボキ痛み始めた。

狭い部屋を体の痛みに耐えながら歩くうちに、ぼくはひらめいたのだ。

たっぷりあると思っていた読書時間は、何でもって支えられているのかという問いへの答えが。

それは、居眠りをしないように、起きていなければならないという

縛りがあっての特典だった。

たっぷりの読書時間は、眠気をはらうための過酷な散歩と

引き換えに手に入れたものだったことに改めて気づいた。

ぼくはつぶやいた。


「無理。」

もうこれ以上、続けることはできないと感じた。

実のところ、カラダに大きな負荷をかけていたのだ。

あと5年、10年先まで続けることはできないと強く実感したのだった。



勤務を始めて半年以上が過ぎたが、

体力的にも、また精神的にも、これほど限界を感じたことはなかった。

ぼくは正式に辞める決意を固めたのだった。

現場を後にし、帰路に就いた。

朝の倦怠がぼくを襲った。

たっぷり時間をかけても、家にたどり着こう。

ぼくは、カラダのボキボキを引きづって、とぼとぼ歩き始めた。



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