ミチユキのぷら〜り散歩「今が旅」

「どうってことない風景が好き」「遠くに行かない」「本当に寛げる場所を探して」などをテーマに持つ写真家、詩・エッセイスト、シンガーソングライター、小説家による、街と文化を探る散歩旅。http://blog.livedoor.jp/chico100/

生きる目的というのは、
本当のお気に入りを体験すること。
自分自身に成りきっていくこと。
迷いもきっと栄養になる。
人生の今が旅。
日々の生活を楽しもう!

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自分には合わないセキュリティの仕事を続けるのはどうか。

テレマーケティングの会社から内定をもらって、

天秤にかけ、やはり自由な時間が手に入る今の仕事の方がいいのではないか。

と結論付けたまでは良かったが。



自分にとって好ましいと思われていたことが、

突然のアクシデントによって豹変する。

その事例が、ぼくを襲った。



カラダに変調が起きたのだ。

徹夜のセキュリティに臨んだこの日、寝冷えで熱っぽく、おまけにお腹が下っていた。

職場のロケーションがコンピュータルームだけに、空調が冷たく、

体調を考えたら最悪のコンディションだった。

一度現場に入ると、次の交代までの1時間〜1時間半、じっと耐えなければならない。

ぼくは、熱でフワフワする体と頭痛をこらえ、空調のため敏感になっている

特急一直線の下腹を一手に引き受ける括約筋の汗を感じながら、

気を紛らわすように狭い部屋をとぼとぼ歩いた。


こんなときの1分の長さは、まるで1時間のように感じられるのだった。

ましてや交代までの1時間の長さは、地獄の責め苦をなめるような思いだった。

最初のうちは権力サイドについて国民をミスリードした新聞を批判する本

「ニューヨークタイムズ神話」を読んでいたが、

熱にフワフワする頭ではついていかず、いきなり訪れる便意に冷や汗がにじんで、

集中できなくなってきた。

疲れているから椅子に座ればいいのだが、居眠りが見つかってしまうと、首になる。

実におそろしい職場なのだ。

この状況は、ぼくが掲げている「日常こそがホラー」というテーマそのものではないか。



ようやく交代を済ませてあえぎながらトイレにたどり着いた。

漏らさないようにあえてゆっくりと座った。

ひと心地つきながら、あと、もう6回の交代に耐えなければならないのかと思うと、

安堵の一息がおおきなため息に変わった。



それでもなんとか堪えて食事休憩に入った。

食欲はわいてこなかった。

気を紛らわせようとカップの焼きそばを作ったが、半分以上残した。

水分だけ補給して、目をつむって頭痛と腹痛を抑え込んだ。



同僚は、声をかけようともしなかった。

この会社のこの職場の、つながりの希薄さを、痛いほどに感じた。

はたしてぼくは、ここに執着していていいものだろうか。

保健室も、横になれる休憩室もない現場で、

あるのはたっぷりとした読書時間だけというのは、本当のところどうだろう。

そういう疑念がじわじわと湧いて出てくるのだった。



終盤に入ろうとしていた勤務時間に、カラダの筋肉や背骨などが、

ボキボキ痛み始めた。

狭い部屋を体の痛みに耐えながら歩くうちに、ぼくはひらめいたのだ。

たっぷりあると思っていた読書時間は、何でもって支えられているのかという問いへの答えが。

それは、居眠りをしないように、起きていなければならないという

縛りがあっての特典だった。

たっぷりの読書時間は、眠気をはらうための過酷な散歩と

引き換えに手に入れたものだったことに改めて気づいた。

ぼくはつぶやいた。


「無理。」

もうこれ以上、続けることはできないと感じた。

実のところ、カラダに大きな負荷をかけていたのだ。

あと5年、10年先まで続けることはできないと強く実感したのだった。



勤務を始めて半年以上が過ぎたが、

体力的にも、また精神的にも、これほど限界を感じたことはなかった。

ぼくは正式に辞める決意を固めたのだった。

現場を後にし、帰路に就いた。

朝の倦怠がぼくを襲った。

たっぷり時間をかけても、家にたどり着こう。

ぼくは、カラダのボキボキを引きづって、とぼとぼ歩き始めた。



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足元を見ながら散歩をしていると、ときどき地図のような絵柄に出会うことがある。

それは、まだ見たことのない地球のようでもあり、

抽象画だったりする。

特にブルーが広がっていれば、もうそこは海に見えるし、

コンクリートのひび割れは河川のようにも見える。


自分の今も、俯瞰してみようなどと考えるから、散歩には丁度いい。

ぼくには3人の子供がいて、高校3年生、プータロー、義肢メーカーでモノづくりという

それぞれの人生の途上にいる。

最近、長男と長女に1日違いで会って、飯を食った。

ぼくは、それぞれの相談を受け、アドバイスをして、現状にふさわしい本を贈った。


悩みの根本は、まず今の自分がどこにいるのかというところにある。

その位置を知るところから、気持ちの整理が始まる。

ぼくは歩きながら、空や景色を見、そこに地図らしきものを思い浮かべ、

自分の位置を探る。

つじつまを考え、思いのベクトルを定め、次の一手を考える。

自分らしく生きるということは、難しいことではなくて、

そういう繰り返しの中でできていくのものだ。

途上に偶然のアクシデントが入ってくることもあるけれど、

選択していくのは自分なのだ。


子どもたちと機嫌よく別れた後、

ぼくは自分の選択にとりかかった。

書類審査に通った会社の面接に行き、仕事内容や待遇などについて聞いた。

マーケティングというのは、通販会員への特別な商品を電話で販売する仕事だった。

1時間のうち30本の電話をかけ、販売できれば手当がつくという。

マニュアルどおりに話さないといけないし、売り上げを伸ばさなければならない。

こういう仕事は、まずぼくには無理だ。

だいたい、職場の雰囲気が重くのしかかってきそうでいけない。

待遇面を考えても、また週5日勤務で1日9時間拘束という内容を考えても、

自由になる時間は多くなさそうだ。

内定はもらったが、辞退することに決めた。


机の上には、読みたい本がたくさん積まれてあるし、

さらに昨日、サッチャー回顧録、空の帝国・アメリカの世紀、などを買ってきた。

多重人格の参考に、ダニエル・キースのビリー・ミリガンも読まなければならない。

次の小説の構想も真剣に取り組みたい。

何より時間がほしい。

つまりは、最も時間の融通が利く今のセキュリティの仕事を手放せなくなった

ということだ。

せいぜい英会話の勉強を強化しながら、もう少し粘ってみようと思う。

ほかにも詩作の約束もある。

就職することだけが人生ではない。

ぼくの新しい地平は、まだ広がっていきそうな予感に満ちている。


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月曜の夜、

トリックアートのアーティストであり音楽仲間のオカピーと詩作の打ち合わせをし、

そのあと、いつものミナエンタウンで無茶弾きして、ホテルに戻ったのが朝の5時。

それから少し眠り、元町まで歩いて昼になったので

エビスビールのビヤレストランを見つけて

ビフカツセットで昼飲み。

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幸福に目を細めながら、

考えなければならなかった問題に焦点を合わせ始めた。


何を隠そう、セキュリティの個室散歩をいつまで続けるつもりなのかという自問である。

わたしは、最近湧いてきたその疑問に、けじめをつける必要を感じているのだ。

つまりもともとのことをいえば、アバウトでルーズな性格の自分が

セキュリティの仕事をしていること自体、おかしいのである。

空白の時間が多いことを良しとして、読書と思索に充てるという

コピーライター時代に得たスキルでメリットを発見するまではよかったが、

どこか偽りを引きずっている自分がいる。


それで、ほかの正社員募集に応募した。

面接が金曜日に決まっていた。

テレマーケティングだ。

面接にかこつけたわけではないが、また昔の企業取材の虫が騒ぎ始めた。

とりあえず行ってみることにしよう。

しかし、問題はそこから先のことだ。

内定が出てしまったときに、どうするか。

自分の中で結論を出しておきたかった。

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店を出てメリケンパークに向かって歩き出す。

今にも雨が降り出しそうな生ぬるい空気、

ポートタワーの足元に来れば、

潮の香り。


問題の核心が存在するのか。

玉ねぎの皮をむくように、

中心となる問題点が存在せず、むしろ皮の中に備わっているのか。

事象そのものの問題、あるいは持ち味を評価すべきで、

どう活用するかが重要であるのかもしれない。

などと考えてみる。

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埠頭を歩く。

そびえる小山のような観光ホテル。

仕事がなかった10年前、ベッドのシーツ換えのアルバイト時代がよみがえった。

夏の数か月、ここで毎日、4時間100室ほどのシーツをはがし、張り、しつらえていく。

シーツをつまむ両手の指からは油や水分がとられ、

かさかさになり、皮膚が割れてくる。

4時間の間の休憩はたった15分で、空腹と渇きを補うために

数階下の休憩室にある自販機でコーラを飲み干して戻るだけしかできなかった。

おかげで、5キロ減量し、収入を得ながらシェープアップしたな、と納得したりしていた。

あせりと、暑さにやられた夏。

ぼくの中には、働くということと生活するということにまつわる

つらい体験がまたひとつ増えた。

そして、この間、外資系保険会社の正社員内定が決まった。


運命というものは、常にいくつもの伏線を伴って揺らいでいくものかもしれない。

これまでも、そしてこれからも。

選ぼうとする未来のこたえらしいものは見つからず、

コンテナで作られたようなカフェを見つけて、またビールが飲みたくなった。
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久しぶりに娘が家に遊びに来たので、刺身で夕食を摂った。最後に、天然タイの皮締めで「鯛茶漬け」に。しかし、熱々の出汁をかけても今一つ身が縮まなかったので、電子レンジで温めて、最後に塩昆布を載せてみた。これがまた、ほろりと身がほぐれて最高のできになりました。(写真と本文は関係がありません)


ここ半年、データセンターのセキュリティとして

あまり人が訪れないコンピュータルームの警備をし、

居眠り防止を兼ねて、小さな部屋を歩きながら

本を読んできてはいるが、

どうも退屈でならない。


吸収する時間ばかりが積み重なっても、

行動する時間が得られないというのでは

何のための思考なのか、わからなくなってくる。


そこで、最近、年金支給額決定のための対応策として、

休日を多くとることにした。

年金の支給では、給料収入の上限が決まっていて、

その上限を超えると、支給されないことになっている。

日本の年金は、ケチなことになっているのだ。

だから、その上限に達しないように

給料の額を減らすという策に取り組んだ。

稼働日数を減らし、実費支給の交通費も減らせば、

年金はちゃんと支払われる、その限度額以内に抑える計算だ。


そして、同時に、休日が増えたことで、

ぼくは音楽活動や、小説の構想に取り組む

時間を手に入れることができる。

一石二鳥だ。

しかし、ここでまた、新たな問題が発生するのである。

休みが増えてくると、だんだん仕事に行く気持ちがなくなってくるのである。


この前などは、10日ほどの休日の合間に、支社研修なるものが予定されていたのだが、

その重要性に思い至らず、あっけなくさぼってしまった。

仕事の時のような緊迫感が、朝起きたときに感じられなかったために、

二度寝してしまったのだ。

気が付いたら、出社予定時刻の30分前だった。

ぼくは、自分の出社日を失念してしまったことを詫びる電話を入れた。

こんなことは社会人になってから久しくなかった。

よほど気持ちのタガが緩んでいるのだと実感した。

そして、意外なことに、ぼくは反省もそこそこに

新天地を探すおもいにとらわれ始めたのだった。


そんな日のこと、長男、長女が相次いで話をしにやってきた。


つづく






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エッセー「赤いクルマに向かって」小説制作覚書より


人間は記憶の生き物であり、過去を変えたいと願っている。
少なくとも、過去を理解し過去と和解したいと望んでいる。
過去は変えられないというのが現実的な結論だが、過去の認識を変えることはできる。
過去の過ちをやり直すことはできる。

人間は過ちを繰り返す生き物だから、現在も同じ問題に直面したとき、過ちを繰り返す。
しかしそれに立ち向かって勇気を出して発想を変えて過ちを繰り返さないことはできる。
過去もまた使いようだ。
そうして(心的に)過去を変える。
人生の意義とはそういうところにもあるのではないかと思う。
だから、あの時代に(バブル時代〜崩壊後〜リーマンショック)こだわりたい。
あの時代には人を狂わすものがあった。
それを突き止めなければならない。

人はカネでのみ生きるものではない。人はカネで死ぬものでもない。
しかしときに人は愛をカネに換えるために死ぬときもある。
死にたくなるときがある。
年間の自殺者が3万人を何年も越えたあの頃、日本人の心に何が起きていたのか。
それを考えるべきときが来ていると思うのだ。

今、(制作途中で止まっている小説)赤いクルマは難問をたくさん抱えている。
少年の虐待に関する内容と扱い方、主人公の現実から幻想への入り方、住み分け方、
いつしか見知らぬ場所に立っていた的な表現の仕方、すべては違う世界に生きていながら
現実の世界での記憶がないという怖さもある。
実は主人公が恐れているのはそっちのほうで、少年が事故に遭ったとき自分はどこにいたのかが
ずっと気になっていた。
ひょっとして記憶がなくなっているときに、自分が少年を撥ねたのではなかったのか
という疑問がいつしか湧き出して抑えきれなくなる。
その衝動に駆られた主人公が勝手に作り出したストーリーが、赤いクルマでの逃避行だった。

その事故のとき主人公はどこで何をしていたのかを探っていく物語、という設定ではどうか。
主人公が語り始める。語り部は主人公以外の誰かだ。
そうして主人公と語り部である付き添いたちが現場を訪れる。
あなたはここにいた、と語り部は告げる。
異界にいるときの表現は主人公がわたしという一人称で語るのもいいし、
彼を主語にしてその心の中を語ることもできる。
なぜなら主人公がすべてを語ったからだ。

構成としては、自動車が海に突っ込んだときのダイナミックさがほしいので、
漁師のゴイヤンや契約しているダイビングガイドの証言がほしい。
だから語り部は二通りの可能性が考えられる。
わたし、もしくは私以外の誰かだ。
決して神の目ではなく、調査した人物、主人公の友人、妻、子どもあたりになってくるか。
あるいは亡くなったはずの少年とかで大ドンデンがあるのも考えられるか。

主人公は何を隠しているのか。見て見ぬ振りをしているのか。
心理的に蓋をしておきたい現実があったのか。
小説に細かなディティールや解説めいた表現や比喩などを書きたいのなら、
語り部を誰にするかが重要になる。語り部の感性が地の文章となるからだ。
過去を思い出そうとする試みの物語にして、
主人公の記憶を蘇らせるためにたとえば線香を焚いてみたり
香水を使ってみたりする。夢や幻想なら香りはしないからだ。
香りや気温や雨や蒸し暑さやセミの声などを掛け合わせて、記憶を蘇らせるテストをしながら
語り部は細かなディティールを語る。そうなると主人公が語るのを語り部が聞いていることも可能だ。

小説「赤いクルマ」制作覚書より抜粋(2015.1.28記入分)

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音楽をやっている友だちが、face bookで、

好きなことで食べていけるかどうかが大事だと書いていた。

それはいいことだと思う。

好きな音楽の世界で生きていくというのは、あこがれだ。

しかし、ぼくのように、あれもこれも好きだし、

何もしない日だって好きだという人間にとっては、

日々を楽しく過ごせることの方を大事にしたい。


ぼくは小説やエッセーを書く世界で食べていけたら、と思っていた。

しかし、どうも、書くものが売れないし、

まあそれでも仕方がないと思う。

だから、好きな世界で食べていけることを目標にもしなくなって、

ただ、メインは、毎日をいろいろ感じながら過ごすことの方が

大事になってきた。


ときにはギターを弾いたり、ドラムをたたいたり、歌を歌ったりするけれど、

それでお金を儲けなければならないとは思わない。

小説やエッセーだって、あまり売れてもらうと困る。

なぜなら、忙しくなって、自由な時間が無くなるからだ。


だから、売れない方がいい。

好きなことは好きなこととして、日々を楽しみたい。

そうやって流れていく日々が好きだ。

何か大きな成果を残せたかどうかは、結果論で、

誰かに噂されればいいというくらいの気持ちしかない。

ぼくにとって大事なのは、自分らしく生きたかどうかであって、

あとは家族を大事にするくらいしかない。


ときどき友だちから、「あんた、それでいったい何がしたいの?」

と聞かれることがある。

そんなときは、適当に答えることにしている。

多分、ぼくの思いは説明し始めると、雲をつかむような話になるから。


あまりあくせくしたくない。

ゆっくりと、日々を感じて生きていたい。

たしかに、今、アメリカを中心としたノンフィクションをたくさん読んでいるのは、

いつか時代小説やファンタジーを書いてみたいという気持ちからだし、

あの帝国の中身というか、中心にある意思を理解したいだけからかもしれない。

それだって、散歩で考える話題程度。

人生のすべてを理解しようとしても限定的だ。

それなら、自分というこの借り物を突き詰めて考える方が現実的だと思う。

可能性は無限かもしれない。

しかし、それはぼくには無意味だ。


そして、ぼくは、先日散歩した神戸元町から続いている

廃り行くモトコウ商店街の、打ち捨てられ忘れられた、

ある店舗の写真を取り出して考える。

この店をオープンしたときに、

いつか成功しようとして取り組んだオーナーの頑張った時代がそこにあった、

ということだけでも

すごく貴重な日々だったのではないかと思う。


すべては変化し、消えていく。

人生も、時代も。

大事なのは、生きている間に感じること。

それこそが生きている意味だと思う。



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散歩が好きだ。毎日、一日中、散歩をしていたい。焼き魚を食べたくなって、魚の美味しいスーパーマーケットまで歩く。土筆の季節を終えたばかりの地面を見つめながら、ゆっくりと。ほとんど、とぼとぼ、というくらいにゆっくりと歩く。

ふと自転車で日本一周の旅をしていた時のことを思い出す。リアス式海岸のきつい上り道。ペダルを漕ぎながら、なんでまたこんなことをしているのかと考えた。しかし、峠を超え、海からやってきた入道雲の下に入り、スコールを全身に浴びながらこの旅の感動を味わった。

まだ娘が幼かったころ聞いてきたことがある。

「お父さん、人間は何のために生きているの?」

ぼくは答える。「人間はね、楽しむために生きているんだよ。だから生きていくためのルールを勉強しておこうね」

喜怒哀楽のすべてを受け入れる、とはまだ説明することはできなかったが、同じようなことだと思った。キャッチコピーとしては、まだ楽しむために生きるといったほうがよかったのだと思う。

それでいけば、ぼくは、この「ぷら〜り散歩」を仕事にできないかと考えてみる。今度は、歩いて日本一周旅行をしたいと思う。できれば、行き先々の写真にエッセーを付けて、作品を残しながら歩く旅。そしてそれで生活費を稼ぎながら続けることができれば最高だ。衣料品、IT関係、食料品、出版関係の企業の皆様、このプロジェクトにひとつ乗っていただけませんか?





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真夜中の知的散策


真夜中に数メートル四方の部屋を散歩する。

入り口と出口に挟まれた真っ白い部屋。

そこがぼくの知的散策のエリアだ。

話し相手は、ときおり入る無線連絡以外は、本である。


最近、また一人、人が辞めていった。

労働環境のせいではない。

本人のモラルがもたらした職務怠慢がもたらした結果だ。

ここには、使うつもりになればいくらでも有用に使える時間がある。

それを有効にせしめるかどうかは、本人次第なのだ。


ぼくは、この職場を、思索に使うべきだと結論した。

ほとんど人が入らない白い空間に閉じ込められたと考えるか、

それとも、一人の思索時間を手に入れたと考えるかで

価値観が全く違うものになる。


1時間、1時間半、といった一定の時間が過ぎると、交替要員がやってくる。

それまでの時間は、本を読み、反芻し、栄養として取り込んでいく時間となる。

いや、なり得る。


そのために話し相手を用意する。

話し相手とは、仕入れてくる、このような書籍たちだ。

ぼくは最近、知恵も、道具も、時間も、借りることの重要さに気づいた。

それまでは自分みずからつくり上げることにしか、人生の意味はないと思っていた。


しかし、最近になって、思考は逆転しだした。

人間は、借りることで、時間や労力を軽減することができる、ということに

改めて思い至った。

人類の知恵も、そうだ。


生き方だってそうだ。

自分という生き方は、誰かの知恵でもって変わり得る。

ブドウがワインになるまでに、どれほどの借りものに寄っているか。

それと同じと考えればいい。

ぼくはここで思索を巡らせる。


ここは借りものであり、実存の場所でもある。

そこを使うことに意味を見出せなければ、

ほかのどこにいても同じだろう。


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最近、自分の中で何か大きな転換が起きていると自覚する。

それは、今までの視野を広げるために、新しい視座へと移りつつあるという自覚だ。

とはいえ、同じ個人なのであるから、

ふだんの行動は、ぱっと見たところ何も変わっていないようにも思える。

ただ、行動を起こすときの価値観は、これまでにはなく、

意図的で、決断されたものへと変わってきた。

言動もそれにともなって、核心的なものへと変わってきた。

それというのも、行動は思考の表現そのものであるというところから

由来する。


今、ぼくは毎日12時間拘束の仕事をしているため、

あまり自由になる時間が少なくなっている。

これまでのように、何となく散歩し、電車に乗ってどこかに行き、

いろんなことを考える余裕はなくなっている。

しかし、捉え方によっては、今の仕事は、

思索するのに好ましい条件が整っているともいえる。


データセンターのセキュリティとして、

サーバールームに出入りする人々のチェックをするというのが仕事内容だ。

日勤だと出入りする人の数はそれなりにあるが、

深夜勤務になると、ほとんど出入りがない状況になる。

そのため、起きていなければならないが、待っている時間は

読書をすることはできる。

ぼくは、この環境を逆手にとることにした。


つまり、この時間を、読書と思索の時間に充てようと思いついた。

ここに映っている本は、休日のきょう、古本店で買ってきたもの。

中には、以前に読んだものもある。

最近のぼくの関心事が、これらのラインナップに反映されているはずだ。


最近、もっとも関心のあることは、「お金」に関することで、

今まで持ち続けてきた価値観、あるいは罪悪感から、解放されつつあることに

我ながら驚いているところだ。

自分の「お金」に関する価値観は、どうやら父親から押し付けられたもので、

仕事や人生のインセンティブがあいまいになっていたことに気づき、

遅ればせながら、その修正を図りつつ、新たな人生計画を練り始めている、

といったところか。


それにより、ぼくの「お金」観は大きく変わった。

同じように人生観も前向きに変わってきていることに気づかされる。

さまざまな知恵の集約された書籍に出会い、

その考えに自分を置いてみることで、

これまでの判断基準がどこにあったのか、

あいまいだったものが鮮明に見えてくるのが不思議で、また気持ち良い。

現在勤めている会社の文化を見ていると、

リーダーシップ論や、組織論などについても

今まで以上に興味が湧いて出てくる。


入社したての頃、といっても数か月前だが、

やる気のない同僚を見ていて、そのモラルの低さに同化してしまいそうで

退職を考えていたのだが、

思う存分本が読めて、給料がもらえる仕事は、そんなにあるもんじゃない。

そんなふうに考え直して、思考と行動のパターンを180度変えてみた。

いずれ、今吸収していることを、新たにどこかで発揮できるように、

さらなる探求に努めたいと思う。


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まだ暗いうちに起きだし、

半分眠りながら、歯を磨く。

コーヒーを淹れ、トーストにマーガリンをたっぷり。その上に蜂蜜を少しのせる。

パソコンを立ち上げ、ニュースやメールをチェックしながら軽い朝食。

日が昇り始めるころに家を出る。

通勤だと思えば味気ない道のりも、

散歩だと思えば楽しい。

季節の移り変わりを見ながら、

日替わりで遭遇するさまざまな景色や生き物に

自分の存在や、生きている実感を振り返らされる。

眠くてつらい思いも、仕事のストレスも、すべて生きている実感。

いずれ消えてなくなる肉体と意識が

いきいきと感受性にまみれている今を

味わうことしか、生きるという意味を追いかけるすべはない。

だから、自分らしくていい。

自分らしく笑う。

自分らしく悩む。

自分らしく楽しむ。

それでいいのだと

自然はいつも、私に語りかける。

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