ミチユキのぷら〜り散歩「今が旅」

「どうってことない風景が好き」「遠くに行かない」「本当に寛げる場所を探して」などをテーマに持つ写真家、詩・エッセイスト、小説家による、街と文化を探る散歩旅。http://blog.livedoor.jp/chico100/

生きる目的というのは、
本当のお気に入りを体験すること。
自分自身に成りきっていくこと。
迷いもきっと栄養になる。
人生の今が旅。
日々の生活を楽しもう!

DSC_0389

そこから離れて福祉センターまで歩いた。

ここも地域のお祭りや

防災訓練で子どもたちとよくよく遊んだ。

右手を引っ張る末っ子が聞いてくる。

ヒロと遊んできていい?

遠くに行かないように。

二人が駆けていく。

長女はイカ焼きの準備を手伝っている。

そんな光景が浮かび上がる。

今は誰もいない広場。

施設だけがぽつりと佇んでいる。

ぼくはまた歩き出す。

ぼくが創刊号から作っていた

ふれあいの街づくり協議会だよりが

街角の掲示板にあのころのデザインのまま

引き継がれて

掲示されているのを見つけた。

5年の歳月が通り過ぎていた。

号を重ねて今も小学校や地域の催しを報じていた。

つづいていくもの、変わっていくもの。

その中で人も変わっていく。

自分の中で変わっていくもの、変わらないものを

比べてみる。

ぼくは変わらない。

変わったけれど、変わらない。

いや、もっと変わらないでいよう。

そんなことを思った。


つづく

DSC_0383

店内に入ってみた。

中の様子はあの頃と同じだ。

エスカレーターで2階に上がると

いつもと変わらない陳列。

野菜コーナーがあり、その先には冷凍ものがあるはず。

ぼくは、手をつなぐ子供たちに、「今晩なに食べたい?」と聞く。

パスタ!

オムライス!

手巻き寿司!

だいたいいつもそんなとこだ。

肉のコーナー辺りを歩きながら

ぼくはあの頃を思い出し、

懐かしさのあまり胸がこみ上げてくる。

あわてて階段を降り、

踊り場で立ち止まって

窓から見える団地の駐車場を見つめる。

あれから10年も経っていないというのに。

ここにぼくの原点があるのだ。

つづく

DSC_0381

電車は、緑でいっぱいの山の中を抜けていった。

トンネルを抜けてたどり着いた駅は、

あの頃のままだった。

改札を出たところにある焼き鳥屋も健在だった。

公園を抜けて、金魚の中華料理店を確かめ、

レンガ敷の広場を横切って歩道に出た。

子どもたちと毎週、買い物に来たCOOPが

あの頃のままの姿で現れた。

懐かしさが、一気に押し寄せてきた。

つづく


DSC_0380

この火曜日。湊川で音楽の夜を過ごした翌日。

新開地あたりを歩いた。

久しぶりに炭焼きうなぎの店に入ったあと、

そろそろ行かなければならない場所があると感じた。

神戸電鉄の湊川駅の前に立って決意した。

あの頃の自分に会いに行こうと思った。

つづく

YOTA85_husaiyou215135819_TP_V

最近民間の求人サイトで見かける

60歳以上の求人情報って、

企業が助成金を欲しがっているだけのように

思えて仕方がない。

実際に応募して面接に行っても

適当に面接される。

採用する側は、一人採用すればいくら助成金が入るという

計算の下で行っているのだ。

今のところ、60歳を過ぎたベテランの採用に力を入れているのは

ハローワークくらいしか見当たらない。

派遣会社で年齢不問とあっても、

派遣先の企業が断れば同じことだ。

普通の転職サイトでは

「年齢不問」と書いてあっても

「35歳まで」と臆面もなくそれを否定しているところが多い。

民間の求人サイトは、もっとベテランの力を活かす戦略を立てるべきだ。

そうして企業にもそれをアピールすべきだ。

何なら、ベテランばかりの求人サイトを立ち上げるべきだ。

そこで集まる本物のサービス、ノウハウ、判断力などを

若い世代に伝えることもできる。

そういう教育の機会を作るとか、

スクールを作るのもいいだろう。

ここから10年、20年が勝負だ。

ベテランの力を活かすか、没にするか。

良く考えてほしい。

あるいは、そういう組織の必要性を感じる人を集めて

セミナーか何かを一度開いてみるのはどうだろうか。

DSC_0272

なんかね、気分の向くままに歩くのもいいけど、

遠い駅まで1時間ほどかけて

自然の中を歩いていくのが好きなんです。
DSC_0261

節句を告げる風景に出くわしたり

なんていう名前か知らないけど

きれいな花と出会ったりするからね。
DSC_0275

散歩の楽しみは、ふるさとのイメージが

そこらへんにあるのを拾って

昔感じた匂いや空気を思い出すときにあるね。
DSC_0276

こういう農家の風景を前にすると

立ち止まって深呼吸するね。

なつかしいな、 なんてつぶやいて。
DSC_0273

この写真、よく見ると

カメがたくさん並んで、日光浴してる。

隣にシラサギが羽繕いしてたりして、心躍るね。
DSC_0274

のどかな風景の中に

自分の中で隠れていた感性が浮かび出てくる。

「あ、まだ健在でしたか」ってね。

そういうのも散歩の醍醐味だね。

DSC_0242

やりとげる、ということ。

何かをやりとげたと思うことができたら、

人生は充実していたと

納得できるのだろうか。


きょう一日、

どこかにたどり着いたのだろうか。

旅の途中に

どこかに立ち寄っているだけでしかない。

きょうの地は目的地だったのだろうか。


求めているのは、どこなのだろう。

彼の地には求めているものが待っているのだろうか。

我々はいつも思う。

いや、ここではない。


我々は、達成するために生きてはいない。

今という、旅の途上に

希望の明かりを見出して

それを糧に生きている。


求めているのは、場所ではない。

たどりつく目標でもない。

今、ここにある希望の明かりだ。

やりとげたいという思いだ。


結果?

誰かに聞いてくれ。
DSC_0251



DSC06124


旅が、非日常だというのは、

外的環境の変化という点では正しい。

しかし、旅している本人は

何も変わってはいない。

ただいえるのは、

そこで出会う人々や景色やイベントによって

大きな刺激を受ける機会になる

という点だ。

日常にいる自分に何かの刺激が加わって、

化学反応が起きる。

なるほど。

しかし、こういう変化の機会は

日常の中にも存在している。

受け入れる側の準備が足りないだけだ。

街で出会う人たちをよく観察すれば、

それぞれの人の抱える世界が垣間見えたりする。

街は感動するヒントに満ちている。

ぼくらは、日常にそれを考える感性を持ち込めばいい。

遠くに行かなくても、旅はできる。

そして、一度そういう感性を持って

大事なことに焦点を合わせることができるようになれば、

旅は、さらに素晴らしい何かを与えてくれる。

そのとき、旅は非日常ではなく、

超日常となるのだ。

↑このページのトップヘ